蕎麦談義1
一時、手打蕎麦に凝り、プロの手ほどきもちょこっと受けたりして、かなり入れ込んだことがありました。山ほどいる素人蕎麦打ちの一人にすぎませんが、拙い経験から、蕎麦を巡る「蘊蓄」を語ってまいりましょう。まずは、「蕎麦は大盛りがいいのか、小盛りがいいのか?」から。二人の蕎麦好きが議論していました。
小森くん
「こないださあ、いい蕎麦屋見つけたんだ。蕎麦粉は国産○○で毎日その日の分だけを石臼で挽いてね。盛り蕎麦一枚900円だけど、なんといっても蕎麦粉10割の生粉打ちだからね。それにつゆは~(以下延々)」
大森くん
「僕はそんなの嫌いだね。もったいぶって講釈が多くてさ。そもそも、そんな店じゃ、盛り蕎麦一枚なんて、箸で3~4回もたぐったらお終いで、3枚食べてやっと腹八分、3,000円もかかっちゃうだろ。大体、蕎麦なんてものは、昔、唐の時代に、飢饉対策の救荒作物として日本に伝わったんだ。米や麦を食えないから蕎麦を食ってたんだ。蕎麦を高級な食べ物と考えること自体が間違っちょる!1,000円札一枚でお腹一杯にならなけりゃだめだよ。その点、僕が行きつけのあの店は、輸入物の粉も使って、二八だけど、800円の大盛りとくりゃ、ピラミッドのような山盛りで、それだけでお腹一杯だよ。これこそ蕎麦の本来の食べ方というもんだ。」
小森くん
「昔はともかく、食の豊かな現代で、蕎麦で腹を太らせようということ自体が野暮なんだよ。蕎麦は小粋な食べ物なんだから小腹を満たす程度に食うもんだよ。寄席に行く前に焼のりと板わさでお銚子一本のお酒、それに盛り一枚を軽くたぐってから落語を聴く、これこそ蕎麦食いの醍醐味だな。」
皆さんは、大森くん、小森くん、どちらの味方ですか。要は好みなのです。
蕎麦は古い時代に中国・朝鮮から伝えられましたが、現在のように、打った蕎麦を包丁で切り、麺にして食べるようになったのはずっと後の時代からです。諸説はありますが、江戸初期の1614年、近江の慈性というお坊さんが江戸のお寺で「そば切り」を馳走されたと、「慈性日記」に記したのが、江戸で「麺」の蕎麦が食べられた最初の記録と伝えられています。江戸中期から急速に普及し、至る所に蕎麦屋ができたらしいですね。江戸の街に、寄席と蕎麦屋は今のコンビニ位あったとの説もあります。浮世絵に蕎麦屋の画は沢山ありますし、落語のネタにも多い。
蕎麦粉10割で、「つなぎ」を入れずに打つのを「生粉(きこ)打ち」と言い、蕎麦屋の看板に「生蕎麦」と書いているのはその意味ですが、そう書いているからと言って、その蕎麦屋が10割蕎麦を出しているかどうかは別ですよ。
私は、大盛り派。高級なこだわり蕎麦もたまにはいいけど、やっぱり「喰った喰った」という満足感の方がいいですね。
私の知ってる大盛り派の有名な店は、まず、信州上田市の「刀屋」。ここの盛りは強烈。盛りに数段階あり、大盛りを頼むと、お店の人が「お客さん、大盛りは多すぎるかもね」と親切に言ってくれるほど。池波正太郎が好んだ店だそうです。また、小諸に本店がある「草笛」。新幹線の佐久平駅にも支店があり、すごい人気です。上田城近くの「やぐら亭」もいいですよ。それに、長野市川中島にある「たなぼた庵」。ここの盛りはすごい。大盛りは食べきれません。田んぼの中の一軒家なのに昼は行列ができています。
それでも、小盛り派も捨てがたいですね。そういえば、人間国宝の先代柳家小さん師匠が、寄席で「時そば」をやった後は、いつも近くの蕎麦屋が満員になったとか。
噺家が、蕎麦を食べるときと、うどんを食べるときの、仕草の違い、出す音の違い、これも面白い。ああ、盛り蕎麦一枚食べたくなってきました。
大森くんと小森くんの蕎麦談義はまだまだ続きます。
もさんじん 記
蕎麦談義2
大森君と小森君、お銚子を傾けながらますます蕎麦談義に熱中します。
小森君
蕎麦屋に行くと、蕎麦の食べ方を知らない人が結構いるんだよね。野暮なのは、蕎麦猪口のつゆに、箸でたぐった蕎麦全部をどっぷりつけて食べること。それじゃ、つゆの味が濃すぎて蕎麦の香りも消されてしまうよ。蕎麦ってものは、箸で掬いあげた蕎麦の下の方を、ほんの数センチだけつゆにつけて喰うものだ。それでこそ、蕎麦の香りが活きるというものさ。わさびも、最初からつゆの中に全部入れてかき混ぜる人が多いけど、それじゃ、わさびの風味とつゆの風味がごっちゃになってしまうね。ほんの少し箸の先にわさびを乗せて一口分の蕎麦の上に付け、わさびがつゆにつからないようにして食べるのが、香りを消さない粋な食べ方さ。
大森君
確かに、江戸前の高級な蕎麦は、もともと猪口の底の方に少ししかつゆが入ってないから、そうだろうけど、これはつゆのタイプにもよるよ。どんなつゆでも蕎麦を少ししかつけない、というのは独断的決めつけだね。江戸前の蕎麦つゆは、濃くて辛いから、少ししかつけないんだけど、地方によっては、甘目で出汁の効いた薄めのつゆを猪口にたっぷり入れてくれる店も多いので、そんなところでは、遠慮なく蕎麦にたっぷりつゆをつければいいんだよ。せっかく美味しいつゆなのに、通ぶって、ちょっとしかつけないってのは見栄っ張りのやることだな。落語の枕にもあるじゃないか。蕎麦好きだった男が臨終の際に「一度でいいから死ぬ前につゆをたっぷりつけて喰いたかった」と恨みを言う話(笑)。わさびは、確かに僕も同意見だけど、要は好みだな。人によってはわさびでなく、一味唐辛子を蕎麦に軽く振って食べるけど、これも悪くないよね。
小森君
もっと野暮なのは、口に入れた蕎麦をぐちゃぐちゃ何度も噛んで食べること。蕎麦ってのは、噛むもんじゃないんだよ。蕎麦は「縦(たて)に食え」って言うだろ。噛まずにすっと喉越しの香りを楽しむのが通の食べ方だね。
大森君
これまた、見栄っ張り蕎麦喰いの話だな。確かに、うどんと違って、蕎麦はぐちゃぐちゃ噛むものじゃないけど、まったく噛まないと蕎麦の香りも出ないよ。2~3度ごく軽く噛んで口の中に蕎麦の味と香りが広がってから喉にすっと入れるのが僕は好きだね。僕が一番野暮な食べ方だと思うのは、せっかく蕎麦がテーブルに来たのに、話に夢中ですぐに手をつけないこと。蕎麦っていうのは、「挽きたて」「打ちたて」「茹でたて」の三たて、が生命なんだ。茹でた蕎麦は、放っておくと、あっという間に延びてしまって、ペースト状になってしまう。特に上等の蕎麦粉の蕎麦ほどそうだね。何人かで会食している時に、自分の分の蕎麦が先に来れば、他の人の分が来てないからといって、遠慮して箸を付けずに待っている必要はない。「お先に」と言って、さっさと箸をつければいいんだよ。
小森君
やっと君と意見が一致した。まさにその通りだね。目の前に出された料理はすぐに食べるのがよいというのは蕎麦に限らない。カウンターでの天麩羅や握り寿司でも、板前さんが一番いらいらするのは、せっかく揚げたて、握りたてをすぐに食べて欲しいのに、客がぺちゃくちゃと話に夢中で手をつけないということだそうだね。ところで、君は蕎麦は更科系か、田舎系かどっちが好きなの?
大森君
更科系は、蕎麦の実の中心部分のみの粉で打ったものだから、色は白くて上品だよね。酒で言えば、米の芯の部分のみで酒造りをする大吟醸のようなものだ。更科もいいけど、僕は、どっちかというと、蕎麦の実を甘皮ごと挽いた、色の黒い「挽きぐるみ」の田舎蕎麦系の方が、香りも強く野趣があって好きだな。
小森君
僕は、どちらかと言うと、更科系かな。香りはやや薄いけど、あの上品な味と喉ごしがいいよ。まあ、僕も田舎系も好きだけどね。これは、時と場所次第の好みだね。ところで、君は「駅蕎麦」なんか食べるの?
大森君
当たり前だろ。値段と味のコストパフオーマンスは一番だな。確かに小麦粉などのつなぎが多いから高級蕎麦にはかなうはずもないけど、最近の駅蕎麦は随分工夫して美味しくなってるよ。飲んだ帰りに駅蕎麦で締めるっていうのは僕の生活習慣さ。君は蕎麦通だから、さぞかし駅蕎麦なんて馬鹿にして喰わないんだろ。
小森君
白状すると、僕も実は駅蕎麦フアンなんだ。高級蕎麦は高級蕎麦、駅蕎麦は駅蕎麦だ。サラリーマンの強い味方だよ。安くて旨い、これがやっぱり食の原点だよね。これで蕎麦論争は一件落着だな(大笑)。
もさんじん 記