globeー地球温暖化対策の現状ー

地球温暖化対策の現状(100501 三多郎)

米海洋気象局(NOAA)次官、ジェームズ・ベイカー氏と、イギリスの気象庁長官ピーター・エウィンズ氏は、「1990年代は、北半球では過去1000年間で最も暑い10年間になった」と述べ、「気候変動を無視することは、われわれとわれわれの子孫にとって、あらゆる可能な選択肢のなかで最も費用のかかる結果になるのは間違いない、人類は今や、地球温暖化がもたらす大災害に対する心の準備をしなければならない」という。確かに今年の夏も暑かった。

米国学術研究会議(NRC)が2000年1月13日に発表した研究報告によると、地球はこの20年間、それ以前の数十年間よりもより急速なスピードで温暖化しているという。環境団体『オゾン・アクション』は、北極海の海氷が年間で3万6400平方キロずつ小さくなっているという最近の報告に言及し、環境における温暖化の兆候は明らかだと警告している。

2001年1月21日、国連の『IPCC』(Intergovernmental Panel on Climate Change:気候変動に関する政府間パネル)から1つの報告書が出された。この報告書の中で、IPCCは、今世紀末までに地球表面の平均気温が最大で5.8度(摂氏)上昇すると予想している。もしこのとおりとすれば、極地や高山の氷は溶け、沿岸部は洪水に見舞われ、その後厳しい干ばつが数百年間続くことになる。WWFジャパンのサイトは、これを具体的に分説している。

しかし、国連のIPCCで、植林したり、農地の耕作の仕方を改善したりすることで、樹木などが吸収する二酸化炭素が、議定書の目標削減量と同じくらいになるという報告書が採択されたことに対しては、このように石油や石炭の使用量を減らさなくても、目標が達成できることになるというやりかたは、現状の改善に繋がらないと環境保護団体や発展途上国が反発している。
森林の吸収源についても、WWFジャパンは、簡易で明快な解説をしている。

7月にイタリアのジェノバで行われた温暖化防止を重要テーマとした主要8ヶ国のいわゆるG8の国際会議は、いわゆる京都議定書を巡るEU対アメリカの激しい対立の中で、なんとか議定書の「立ち枯れ」だけは防いだ。

ここでいう京都議定書とは、1997年12月に京都市で開かれた「気候変動枠組み条約締約国会議(地球温暖化防止京都会議)」で採択された公式報告。2008年から2012年の先進38カ国とEU(欧州連合)の温室効果ガスの排出量を定めており、目標を1990年より先進国全体で5%、日本6%、米国7%、EU8%減らす、としている。

しかし、そのジェノバの会議で見せた日本の行動は、醜態と言うしかあるまい。まず最初が、小泉発言だ。

「アメリカの参加を勝ち取ることが望ましい」との発言は、日本ではしばしば見られる詭弁の布石であるが、国際舞台では通用しない。日本では比較的このような物言いを嫌っていたはずの小泉氏が、こんな布石を打っておいて、「アメリカを抜きにした条約に実行力があると思いますか」なんて言っていたが、問われていたのは、そういう評論家的姿勢ではなく、日本政府が、条約から抜けようとするアメリカに、どういう説得をするのか、という主体的な姿勢なのだから。地球温暖化防止活動推進センター。

地球温暖化防止のための京都議定書の要旨は、京都新聞のサイトにまとめられている。
議定書採択(97年12月)を各国政府が署名(日本は98年4月に署名)し、55カ国、又は先進国排出量の55%をカバーする各国政府が実施を確約(=批准する)して発効。つまり、各国に議定書で定められたことを守る義務が生じる。このように京都議定書が発効するには、批准する先進国のCO2排出量合計が、先進国全体のCO2排出量の55%以上になることが条件とされているのは、それ以下だと議定書が有効に機能しないと判断されるためである。

温暖化対策はビジネスチャンスであると考え、議定書発効を支持しようという企業の署名を集めるこのEmission55というイニシアティブは、5月末にドイツで始まった。このe-mission55というネーミングは、「環境(environment)」の「e」と「使命」の意味の「mission」をつなげたものであり、また「排出」を意味する「emission」とかけている。55という数字は、議定書が発効条件である「1990年における先進国のCO2の排出量の少なくとも55%を占める、少なくとも55カ国の批准が必要」からきたもので、賛同企業をまず55社集めようという目標値でもあった。なかなかしゃれている。

といっても、エコビジネスの姿勢は一様ではない。来る12月の気候変動枠組み条約第3回締約国会議(地球温暖化防止京都会議)に向けて、米国が温室効果ガスの削減数値目標案に盛り込み、導入を強く主張している制度は、議定書の発効後に、締約国各国は温室効果ガスの一定の排出権を持つ仕組み。自国の排出権を超過してしまう国は、他国から排出権を購入することができるというもの。米国では、1990年の大気浄化法の改正により、酸性雨の原因となっている二酸化硫黄SO2の発電所からの排出量を、2000年までに80年を基準に1000万トン削減するため、排出権取引をすでに導入。シカゴの商品取引所で排出権が市場取引されており、当初予測よりも削減は進んでいるという。エコビジネスといえなくはないが、釈然としない。

先月下旬にボンで開かれた京都会議の事前交渉で、先進国間では導入について合意に達したが、取引価格に比べて国内での温室効果ガスの削減コストが高いと削減は進みにくいなどを問題点して挙げる国もある一方で、途上国は「先進国の削減負担を軽くする抜け穴だ」として、導入に反対している。

その一方、CO2だけが、地球温暖化の原因ではないとする新説も登場している。「地球温暖化の原因のうち、15~30%は煤、すなわち黒色炭素が占めている可能性がある」とスタンフォード大学のマーク・ジェイコブソン氏は語る。ジェイコブソン氏は、煤は、純粋な煤の粒子よりも他のものと結びついた場合のほうが、日光の吸収率が高く、熱の放射量も2倍になる。従って、他の物質と結合した煤が地球温暖化の主原因になる可能性は大いにあるというのである。したがって、世界中の煤の排出量を減らすことが、急激に進む地球温暖化防止に有効であると主張する。

しかし、この説に対しては、CO2排出力を規制する運動への故なき敵対であるとの批判もあり、いまだ、充分受け入れられていない。

この説が、故なき敵対の便法であるなら、煤とCO2問題とを対立的・択一的に提示することにこだわるだろう。見守りたい。

まず手始めに(010701 三多郎)

何時の頃からか、人間は、地球を宇宙船に例えるようになった。この星が宇宙に漂う小さな存在であり、地球上の全てが有機的連関を有する生物的、物理的な結合体であることを自覚するようになった。また、経済面では、「成長の限界」という指摘を始めとして様々な視点も生まれた。

これらは、いずれも人間の存在とはなにかという根源的な問いへと連なる。地球環境を考えながら、繰り返しこの根本に立ち返ることを忘れてはならないだろうと、私は思う。

さて、地球環境を考える手がかりとして、最初に訪れるサイトは、やはり環境省だろう。環境問題に甘い責任官庁の情報なんて、と馬鹿にするむきもあろうが、だいたいサイトの価値というのは、そのサイト自体の提供する情報量だけで計れるものではなく、そのサイトがいかに貴重なサイトにリンクしているかによって決まるといってもよい。

というわけで、ここのリンク集にあたってみる。首をかしげたくなるリンクもないわけじゃないし、名前に惹かれて行って見ると、欲しい情報がほとんどないサイトもある。ゴミばかりじゃないかなんてはやまって嘆いてはいけない。カラッポじゃないだけましというものだ。

ゴミと環境は切っても切れないなんて冗談はさておき、我慢強く当たっていると、中に国立環境研究所のサイトがある。

そこへ行くと、環境問題のテーマが取り敢えず網羅的に判る。環境問題は、自然環境、地球環境、大気環境、水・土壌環境、健康・化学物質、ごみ・リサイクル、エネルギーに分けられている。まあ、こんなものかなと思う。

ここでも物足りないので、地球環境パートナーシッププラザのサイトへいってみる。
ここが最も力を入れているのは里山の保全。東京周辺では、三多摩地区のNGOが活躍しているようだ。熱帯雨林の保護といわれてもピンとこない私だが、里山なら少しは判ることもある。かつてドイツを旅したとき、「この森がベルリンの酸素をまかなっている」というような説明を聞いて、えらく感動したのを思い出す。

いったい私の住んでいる街の酸素をまかなうには、行動半径の中にどのくらいの樹木が確保されていなければならないのか、というようなことを考えるデータは、どこでどうやって得られるのだろうか、誰か教えて欲しい。

もっとも樹木が、炭酸ガスを吸って酸素を掃き出すというのは、或る段階までのこと。樹齢を重ねると逆転が起きるそうだ。だから、何時かの時期に木を切ることになる。このサイクルをいかに合理的なものとして作り出すかが大事だが、それとともに、その合理性が、人間中心であることを、考えるべきだろう。切り倒される一本の木の視点を捨象した合理主義は、本当に合理的か、と考えるべきときにきているのではないか。

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