私の好きな美術館~碌山美術館(その1)
アルプスを眺める信州安曇野の一角に、北欧の教会風、煉瓦造りの小さな「碌山美術館」があります。私が最も好きな美術館の一つです。その本館の扉には、「この美術館は、29万9100余人の力で生まれたりき」と記されています。碌山の人と芸術を愛する多くの人々の熱い志によって建設されたものなのです。
碌山(ろくざん)とは、日本の近代彫刻の草分けであった荻原守衛(おぎわらもりえ 明治12~43)の雅号。碌山は、安曇野に生まれ育ち、画家を志ざして貧苦の中で画業に励み、アメリカからフランスに渡ったが、ロダンの「考える人」の像に接し、深い衝撃を受けて彫刻の道を歩むこととなりました。その後、結核に冒され、わずか32歳で夭逝するまでの間に碌山が残した彫刻作品は、我が国の近代彫刻の生成と発展の歴史に燦然と輝いており、それらの作品の多くが、この小さな美術館に展示されています。美術館の庭に展示されている「坑夫の像」は、親友であった詩人高村光太郎が、パリの美術学校で碌山が造った生命力のみなぎる習作を見て、是非壊さずに日本に持ち帰るようにと強く求めたものとのこと。また、本館内にある、「女の胴」は、首もなく、膝から下もない、粗削りの女性の胴だけの彫刻ですが、これは茶目っ気のある碌山が、美術学校で、自分に与えられたモデルよりも隣の女性のモデルの身体の線の美しさに惹かれ、横目で盗み見ながら「刹那の印象」を刻したものと伝えられています。中央には、「女の像」。これは、美術の教科書にもしばしば紹介されるもので、御記憶の方も多いでしょう。碌山の死の直前の遺作で、碌山の悲恋の人であり、碌山を終生愛し、庇護した、相馬愛蔵、黒光(こっこう)夫妻の、夫人相馬黒光の姿を映しているとも言われています。その人となり、人格までが静かに伝わってくるような「北条虎吉像」も素晴らしい。
これらの話はすべて旧聞に属することです。でも、碌山が我々を引き付けてやまないのは、その透徹した審美眼だと思います。碌山の日記や手紙を読むと、碌山が真の美、芸術を求めて刻苦する中で、ギリシアの彫刻の精緻な美より、むしろエジプトの彫刻の素朴さや力強さの方に心を惹かれたこと、また、そのような生命力に通じるものを、日本の仏教彫刻の中に見出したことなどが語られています。当時、近代国家の仲間入りをしようと懸命になっていた日本においては、美術界でも、一方では西洋に対する崇拝、憧れにより西洋美術に傾倒・追随する動きと、逆に、国粋的・内向的に日本の伝統美を追及する動きとが対照をなしていました。しかし、碌山は、このようないずれの傾向にもとらわれず、西洋であれ日本であれ、それらの相克を超え、自らの眼と心のみに確かに響く美というものを追求しました。そのことは、現代においても、国際社会の動きや時代の最先端の潮流をしっかりと把握して見極め、良きものを採り入れながらも、単にそれらに巻き込まれ、翻弄されるのではなく、日本の誇るべき伝統や文化、国民性と言うものの根幹を揺るがせないという姿勢として、学ぶべきものがあるように思います。
碌山は、パリを去り、日本に戻るとき、師と仰ぐロダンに、「これから自分に師はいなくなる。誰に学んでいけばよいのでしょう。」と不安な気持ちを訴えました。ロダンは「何も私やギリシア・エジプトを手本にすることはない。仰ぐべき師は至るところにあるではないか。自然、自然の研究こそが最上の師というべきものだ。」と、碌山を励ましたそうです。
後に、碌山の死を知らされたロダンは、「彼は、善く私の制作を観て私の芸術の精神を領解した。フランス人よりも善く領解し た。そして私の芸術を模倣せずに、彼自らの芸術を発見した。彼の死は、彼の不幸のみではない。」
と言って、碌山の死を、日本のために惜しんだと伝えられています。
次回は、碌山をめぐる人々、相馬愛蔵、黒光夫妻のことなど、お話していきましょう。
もさんじん 記
(参考)
- 「碌山 愛と美に生きる」 財団法人碌山美術館・南安曇教育委員会
- 「碌山・32歳の生涯」 仁科惇 三省堂新書
- 「荻原守衛の人と芸術」 碌山美術館編 信濃毎日新聞社
私の好きな美術館~碌山美術館(その2)
中村屋とインドカリー
信州の富農で、農村改革運動の指導者であった相馬愛蔵・黒光(こっこう)夫妻は、後に上京し、当時は角筈(つのはず)村と呼ばれていた新宿の一角で「中村屋」というパンの製造販売業を営むようになりました。夫妻はキリスト教信仰に基づく勤勉・誠実の精神で事業を発展させるとともに、碌山を始めとする多くの若い芸術家達を支援・庇護しました。黒光は、明治の女性史に輝く一人でもあります。
ある時、愛蔵は、九州の右翼玄洋社の巨頭頭山満から、インド独立運動の志士、ラス・ビハリ・ボースをかくまうよう頼まれます。ボースは、イギリス植民地であったインド独立を目指し、イギリスの提督を襲撃したことにより、イギリス政府から追われ、日本で逃走潜伏中でした。当時「大アジア主義」を唱えてアジア諸国の独立運動を支援していた頭山は、「天野屋利兵衛(歌舞伎の忠臣蔵に登場する義商)頼む」と、旧知の相馬夫妻にその庇護を求めたのです。
一方は信州の敬虔なクリスチャン、一方は九州出身の右翼の巨頭ですが、2人は、静坐法の道場で旧知となり、思想は異なっても、お互いを尊敬しあっていました。愛蔵も、ボースに対し「猟師だって懐に飛び込んできた窮鳥を撃たないというではないか」と義憤と同情を感じていたそうです。当時、日英同盟の下で、日本政府はイギリスからボースの逮捕を求められてボースに国外退去命令を発しており、それに反してボースをかくまうということは、命がけともいえる大変なことでした。しかし、相馬夫妻は、その申し出を受け入れ、家族や従業員の理解の下で、7年間の長きにわたり、ボースをかくまったのです。そして、戦後、インドは独立を果たし、ボースはその志士として称えられ、来日した国連議長パンデイット女史やネール首相は、ボースを庇護した相馬夫妻に対し、「インド国民の名において」敬意と感謝の意を表しました。かくまっていた期間、相馬夫妻の娘とボースの間に愛が芽生え、2人は結婚します。そして、ボースが、相馬夫妻に、インドの本格的なカリーの作り方を教え、それを中村屋のレストランで提供するようになり、大きな評判となりました。今の新宿中村屋のインドカリーがそれです。3階レストラン「レガル」でその味を楽しめます。絵画に囲まれ、落ち着いた、昔ながらの中村屋を偲ばせる私の好きな店の一つでしたが、現在店舗改装中とのことです。
アゴラ誌の著者は「バブルに踊った揚げ句、それに続く不況のなかで右往左往する最近の世相を見るにつけ、『一小売商夫妻』の立場にありながら、命がけで筋を通した相馬愛蔵と黒光のような人々がいたということを忘れたくないと思うのである」 と結んでいます。
再び碌山のこと。碌山は、中村屋の近くにアトリエを構え、悲恋の人であった相馬黒光を思わせる最後の彫刻「女の像」の制作に取り組みます。そして、その完成とともに、多量の喀血をし、31歳の若さでこの世の生を終えました。安曇野の山々を見上げる碌山美術館の庭に佇むと、若き日の碌山や相馬夫妻、中村屋、ボースのことなどが思い起こされます。皆さんも是非お訪ねください。
もさんじん 記
(参考)
- 「相馬愛蔵、インド独立の志士を助けた中村屋の創業者」上田温之 アゴラ 1998年秋号
- 「中村屋のボース」中島岳志 白水社
私の好きな美術館~軽井沢現代美術館
軽井沢現代美術館は、2008年8月、中軽井沢駅に近い、軽井沢町立図書館のある丘の上の明るい木立の中にオープンしました。オーナーは、神田神保町三省堂書店4階フロアで「海画廊」を経営する谷川憲正さん。谷川さんは、若い頃は美術雑誌の編集を担当しておられたが、「無名のまま海外に渡り、非常な努力によって国際的に評価を得るようになったにもかかわらず、国内でその素晴らしさが十分に知られていない芸術家たちを日本の人々に紹介したい」ということをライフワークとし、その思いを「海画廊」という店名に込めて、長年、奥様やスタッフの皆さんと共に現代美術の画廊経営を続けて来られました。
そして更にその夢を実現するため美術館の建設地を探し求めておられましたが、中軽井沢の旧JRの保養所の広大な敷地建物を、谷川さんの夢に対するJR側のご理解によって譲り受け、大規模な改造を施して素晴らしい現代美術館の建設にこぎつけることが出来たのです。
美術館は、1階の明るく広いオープンスペースに、奈良美智さんの巨大なオブジェ、また奥前面の壁にはベネチアビエンナーレ出品に係る草間彌生さんの大作「天上よりの啓示B」が掲げられ、数多くの現代アートの版画、油彩等々が展示されています。玄関ホール傍の広いラウンジには、沢山の美術関係書物も並べられ、入館者は思い思いに美術作品を鑑賞したりお茶を飲みながらラウンジで美術書を手にするなどして楽しんでいます。
4年前のオープン以来、年ごとに入館者、殊に現代美術に関心のある若い人々の来館者が増えているのは喜ばしいことです。
毎年8月には、江戸古典落語の最高峰の一人である柳家さん喬師匠をお招きし、「軽井沢現代美術館緑陰寄席~古典落語と現代アートのコラボレーション」という企画も続けていますが、寄席とは違い、草間彌生さんの大作を背景に着物姿の美しい師匠の古典落語を聴けるのは圧巻です。
神保町の海画廊は、4階フロアのオープンスペースに、沢山のリトグラフを始めとする版画を中心にユニークな油彩作品も展示しています。私も美術が好きですが、例えばシャガールのリトグラフなど、オリジナル・サイン入りであれば、とても手が出ませんが、サラリーマンのへそくりでも手に入るオリジナルリトの小品作品も沢山あります。これまで、シャガール、マティス、ルオー、デュフィなどの小品を購入し、狭い家の壁に飾って楽しんでいますが、暮らしの中での潤いとしてちょっと豊かな気持ちになれますね。
ちなみに、当事務所入り口正面に掲げてあるブラジリエの大きなリトグラフも、ずっと以前に北村所長が海画廊で購入したものとのこと。世間は狭いものです。
もさんじん 記