専門性の意味

専門性の意味

弁護士における専門化の重要性は、既に30年以上前から叫ばれていた。

とはいえ、専門性の必要を口にする修習生が昔に比べてずっと増えたのも事実である。しかし、仮にそれが、「弁護士としての生き残り」のためにすぎないなら、その狭量さ故に、決して専門家として大成することはできないだろう。専門家は、専門的技能を広く社会に行き渡らせ、専門性を専門性でなくさせるよう力を尽くすことを使命の一つとしているからである。

もとより専門性とは、特定ジャンルに関する法的技術の習熟程度では、全く不充分である。専門性の確保は、一見極めて技術的・細目的な意味での成熟に見えるかもしれないが、専門性は、身にまとう衣服のようなものではなく、自分の内側にとりこみ、それまでの自己の人生で培ってきたものによって消化し、自分の内なる感性を研ぎ澄ますことを不可欠とする。言いかえれば、専門家の必要性を生み出す社会の現実に着目し、前法律的な感性をもってそれを受けとめ、それを法的レベルという限られた場にもどし、これを法技術をもって裁断・加工してゆくことなのである。

それ故にこそ、日頃からの市民としての感性と能力の多面化の涵養が求められている。こうすることで社会全体としての成熟に寄与する法律家の専門性といえるのである。

だからこそ、我々の事務所が、「知財専門事務所」とか、「企業法務専門事務所」と呼ばれるときには、それは自省の契機とすべきことであって、我々の理想に照らしてむしろ恥ずべきことでさえある。

専門性と多様性

専門性といえば、知財というのが、昨今の定番である。しかし、流行りものだから魅かれるというなら、それは単なる後追いにすぎない。そもそも、専門性の深化とは、これまで専門と呼ばれていなかったものを分岐させ専門化させるということに他ならない。

問題は、まず紋切り型の尺度を棄てることである。20数年前に私達が著作権を一つの分野と見定めたとき、それは極めて少数の志向にすぎなかった。しかもその少数の中の目敏い人は、コンピュータープログラム著作権に焦点を当てており、旧来型の著作物に対する関心をほとんどもっていなかった。

尺度の基礎は自分自身である。当該分野に深い興味と関心があること、その分野の仕事をすることが自己実現の一つと確信できること、そのような仕事を通して依頼者と社会に貢献ができるよう納得ゆくまで探求すること、これらによって発見されるべきものなのである。

その尺度が適切な社会性に裏打ちされていれば、その関心は必ずや専門分野となる。しかし、例にそうでなかったとしても、それが何であろうか。目先の流行りに左右され、目に見える選択肢から選び出す人生よりも、はるかに充実していると振り返ることができるのではないか。間違いなく専門性は、多様なものとしての専門性である。そのことが現実のものとなる時代に私達は生きているのである。

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