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【事件名】“映画村”記事の類似事件(2)
【年月日】平成29年1月24日
 知財高裁 平成28年(ネ)第10091号 著作権侵害および名誉侵害行為に対する損害賠償控訴事件
 (原審・東京地裁平成28年(ワ)第3218号)
 (口頭弁論終結日 平成28年11月28日)

判決
控訴人(一審原告) X
被控訴人(一審被告) 株式会社朝日新聞社
訴訟代理人弁護士 秋山幹男


主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実及び理由
 用語の略称及び略称の意味は、本判決で付するものを除いて、原判決に従い、原判決に「原告」とあるのは「控訴人」と、「被告」とあるのは「被控訴人」と、適宜読み替える。
第1 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、控訴人に対し、340万円及びこれに対する平成28年2月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被控訴人は、控訴人の名誉回復措置として原判決別紙謝罪文記載の内容の謝罪文を被控訴人のウェブサイトに英語及び日本語で掲載せよ。
第2 事案の概要
 本件は、控訴人記事(甲2)の著作者であり、著作権者である控訴人が、被控訴人が運営するウェブサイトに掲載された被控訴人記事(甲1)により、著作権(翻案権)及び著作者人格権(同一性保持権、名誉・声望権)を侵害され、名誉を毀損されたと主張して、被控訴人に対し、@著作権侵害、著作者人格権侵害ないし名誉毀損の不法行為に基づき、損害合計340万円及びこれに対する不法行為の後の日(訴状送達の日の翌日)である平成28年2月16日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、A著作権法115条ないし民法723条に基づき、被控訴人のウェブサイトへの謝罪文の掲載を求めた事案である。
 原審は、(a)被控訴人各表現は、表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において、控訴人各表現と同一性を有するにすぎないから、控訴人各表現を翻案したものではない、(b)被控訴人記事は、控訴人記事を改変したものではないから、同一性保持権の侵害はない、(c)控訴人指摘の被控訴人記事中の表現部分は、被控訴人記事の著者の控訴人記事に対する意見ないし論評又は控訴人記事から受けた印象を記載したものにすぎず、控訴人又は控訴人記事を誹謗中傷するものとは認められないから、名誉・声望権の侵害はない、(d)被控訴人記事が控訴人の社会的評価を低下させる理由として控訴人が主張する点は、控訴人の社会的評価を低下させることの理由とはなり得ないし、被控訴人記事の記載が控訴人の社会的評価を低下させるものとも認められないから、名誉毀損は成立しないなどとして、控訴人の請求をいずれも棄却した。
 控訴人が、これを不服として控訴した。
1 前提事実
 本件の前提事実は、原判決の「事実及び理由」欄の第2の1に記載のとおりである。
2 争点及び争点に関する当事者の主張
 本件の争点及び争点に関する当事者の主張は、以下に当審における控訴人の補充主張とそれに対する被控訴人の反論を加えるほか、原判決の「事実及び理由」欄の第2の2及び3に記載のとおりである。
(1) 当審における控訴人の補充主張
ア 名誉毀損の成否について
(ア) 社会的評価の低下の有無について
a 控訴人記事のうち、一般読者の普通の注意と読み方を基準として判断される控訴人の社会的評価を左右する部分は、多額の税金が使われている公益性の高い東京国際映画祭について、これを運営する公益財団法人の理事と関係が深い複数の企業が、独占的かつ5年連続して事業委託を受けている実態など、公共の利害に係る事項の記載である。そのような控訴人記事において不可欠な重要な事実の記載を欠く紹介をした場合、一般読者は控訴人記事との同一性を体感することはできず、控訴人記事への信頼を毀損するから、被控訴人記事が上記重要な事実の記載を欠く紹介をしたことは、控訴人の社会的評価を低下させるものである。
b 被控訴人記事の「日本映画全般のがっかりするような国際的な地位」という記載は、一般の読者の普通の注意と読み方を基準としても、控訴人記事において控訴人が日本の映画作品やその創作性、創作に関わる映画制作者を含む国際的地位を「がっかりするほど低い」と評価、評論したという事実を摘示したことになるが、控訴人記事にそのような事実摘示はない。そして、映画プロデューサーである控訴人が説得力のある理由や根拠を示すこともなく、他のアーティスト作品や創作性の国際的地位が低いと評価、評論したという虚偽の事実は、控訴人の社会的評価を低下させるものである。
c 被控訴人記事は、控訴人記事が2015年東京国際映画祭を受けて書かれたものであるかのように紹介しているが、控訴人記事は、同年の東京国際映画祭の前に発売されたものである。そして、映画プロデューサーである控訴人が、被控訴人が大幅に改善されたと批評した同年の東京国際映画祭を受けてもなお残る毎年恒例の東京国際映画祭の酷評を行ったという虚偽の事実は、控訴人の社会的評価を低下させるものである。
 被控訴人は、控訴人記事が指摘した問題点が2015年映画祭にも当てはまると主張するが、控訴人記事が指摘する「映画祭事業費への税金拠出額とその使われ方」、「クールジャパンと連携して映画祭事業費が跳ね上がったかどうか」、「公益性の高いイベントを公益財団法人の理事に関係のある企業や独占的に連続して受託する一部企業の既得権益構造が存在したか」等の問題点は、毎年6月頃に公益財団法人ユニジャパンの前年度の決算報告書が公表されるまで確定しないものであり、被控訴人記事が掲載された2015年11月13日の時点では、2015年映画祭に上記問題点が当てはまるということはできない。
 また、被控訴人は、控訴人記事の「今年も10月22日から10日間にわたって『東京国際映画祭』が開催されるが、その任務は映画芸術の祝福にない」との記載を恣意的に切り取り、控訴人の批判的見解が「2015年映画祭」にも向けられていると主張するが、上記記載は、その直前の「日本の多様な声を世界に届ける『国際映画祭』が日本にないからだ」との記載を受け、ここで意味している「日本の国際映画祭」が東京国際映画祭であることを説明したにすぎず、「今年も10月22日から10日間にわたって」との記載は東京国際映画祭の状態を説明したにすぎない。被控訴人指摘の記載の直後に「予算の半分以上が税金で賄われる公益性の高いイベントでありながら、映画会社と広告代理店という『既得権益』を強化するばかりで、日本の映画産業や映画文化を育む機能を果たせていない。」と記載されていることからも、控訴人記事が「これまでの税金の使われ方」について書かれていることが一般読者に向け明確に定義されており、一般読者の普通の注意と読み方を基準とした場合、控訴人記事が「2015年映画祭」に向けられているとはいえない。
(イ) 真実性の抗弁ないし公正な論評の抗弁の成否についてa 被控訴人記事は、控訴人が東京国際映画祭に関する酷評記事を書いたとの事実、控訴人記事の中で控訴人が指摘した事実を述べたものにすぎないから、控訴人記事の事実の摘示ないし事実表明であり、論評ないし意見表明ではない。論評ないし意見表明による名誉毀損であることを前提として違法性がないとした原判決の判断は誤りであり、事実の摘示ないし事実表明による名誉毀損であることを前提とすれば、違法性は阻却されない。
 被控訴人は、「厳しく批判した」としたのは、被控訴人記事の筆者の判断・見解を述べたものであり、意見の表明に該当すると主張するが、これが意見表明でないことは、被控訴人作成の2015年11月26日付けファックス(甲8)で被控訴人自身が「控訴人が記事を書いた」という事柄についての事実摘示である旨を認めていることからも明らかであるし、被控訴人主張の「厳しい批判」は、「改善が見られた2015年イベント以降でも毎年酷評が付きまとう東京国際映画祭」という東京国際映画祭の状態を説明しているものであり、控訴人記事への意見表明には該当しない。
b 被控訴人記事は、公共の利害に関する事項について、専ら公益を図る目的とはいえない。すなわち、東京国際映画祭への税金投入や公益財団法人による運営等の事実を記載していないから、民間事業である映画祭における民間企業への委託費の配分の紹介となっており、公共の利害に関する事項に当たらない。また、読者の関心を引くために、控訴人記事の発売時期を偽り、あたかも自らの批評に沿う「the bad」(悪い事)として紹介することは、専ら公益を図る目的とはいえない。さらに、2015年東京国際映画祭の改善を受けてもなお毎年恒例の酷評をした人間がいるという紹介は、公共の利害に関する事項にも、専ら公益を図る目的にも当たらない。
c 控訴人が「東京国際映画祭と日本映画全般のがっかりするような国際的な地位」と述べた旨の記載は、控訴人記事の引用紹介として正確性を欠くものである。また、控訴人記事のうち、多額の税金が使われている公益性の高い東京国際映画祭について、これを運営する公益財団法人の理事と関係が強い複数の企業が、独占的かつ5年連続して事業委託を受けている実態など、公共の利害に係る重要な事項の引用を欠いていることも、控訴人記事の引用紹介としての正確性を欠くものである。
イ 名誉・声望権侵害の成否について
 被控訴人記事は、控訴人記事への意見表明ないし論評ではなく、恣意的に歪曲した虚偽の事実の摘示に該当する。
 また、「大幅な改善努力を見せた2015年東京国際映画祭を受けてもなお毎年恒例の酷評を控訴人が行った」、「控訴人が日本映画作品やその創作性及び日本映画制作者の国際的地位が不本意であるという評価、評論を行った」、「不本意な国際的地位を理由として既得権益を批判した」という記述は恣意的に歪曲された虚偽であり、名誉・声望権を侵害する。
(2) 被控訴人の反論
ア 名誉毀損の成否について
(ア) 社会的評価の低下の有無について
a 原判決は、「念のため検討しても、被控訴人記事は、控訴人が『東京国際映画祭と日本映画全般の残念な国際的な地位は“映画村”のせいだと批判し、映画産業の既得権益に触れた』ものであり(控訴人の訳文による)、『2014年度の映画祭事業費の3分の2は大手映画会社とその子会社、巨大広告代理店の電通、大手不動産会社の森ビルらが独占する委託費になっていることを指摘した』というものにすぎないのであって、控訴人がこのような批判や指摘をした旨の紹介自体が、一般読者の普通の注意と読み方を基準とした場合に控訴人の社会的評価を低下させるものとは認めることはできない。」旨判示しており、被控訴人記事が控訴人の社会的評価を低下させるものでないことは明らかである。
b 被控訴人記事は、2015年の東京国際映画祭について「大幅に改善された」と記載しているが、改善された点として挙げているのは、上映ラインアップの半分以上を邦画にした点、クラシック作品の紹介にも力を入れた点、2014年に第二会場として使われた日本橋会場はやめて、歌舞伎町の新東宝シネマを含む3つのシネコンを会場として選んだ点、「日本映画スプラッシュ部門」に駄作がなかった点などであり、控訴人記事が指摘した問題点(@映画祭の事業費の使われ方、A既得権益としての映画村の存在、B一握りの大手関係企業が政府のクールジャパン事業から利益を得ている)については、改善されたとは記載していない。これらの問題点は、映画祭の構造的問題として、2015年の映画祭にも当てはまるものである。また、控訴人記事は、「今年も10月22日から10日間にわたって『東京国際映画祭』が開催されるが、その任務は映画芸術の祝福にない」と述べており、控訴人の批判的見解は、2015年の映画祭にも向けられていることを明確にしている。
 このように、控訴人が指摘している東京国際映画祭の問題点は2015年の映画祭においても改善されておらず、控訴人が東京国際映画祭を批判したとの被控訴人記事の記載は、控訴人の社会的評価を何ら低下させるものではない。
(イ) 真実性の抗弁ないし公正な論評の抗弁の成否について
a 被控訴人記事中の「それにもかかわらず、未だ東京国際映画祭は批判の格好の的になっており、映画祭に対する厳しい批判は毎年の恒例行事のようなものになっている。そして、今回それを行ったのが映画プロデューサーのXであった」との記載について、原判決は、「被控訴人記事の著者の控訴人記事に対する意見ないし論評又は控訴人記事から受けた印象を記載したものにすぎ」ない旨判示しているが、上記記載は、控訴人が東京国際映画祭を厳しく批判したとしたもので、「厳しく批判した」としたのは、被控訴人記事の筆者の判断・見解を述べたものであり、意見の表明に該当するから、原判決の判示に誤りはない。
b 被控訴人記事は、「東京国際映画祭」の問題点等について述べたものであり、公共の利害に関する事項を摘示したものであることは明らかである。
c 原判決が判示するとおり、被控訴人記事の「東京国際映画祭ならびに日本映画全般の残念な国際的地位」との記載は、控訴人記事の引用紹介として正確性を欠くものとはいえない。
 また、控訴人は、事業委託が5年にわたり公益財団法人ユニジャパンの理事と関係の深い企業などへ行われていることなど、控訴人記事記載の重要な事実が、被控訴人記事に記載されていないことから、名誉毀損の違法性は阻却されない旨主張するが、被控訴人記事が控訴人の社会的評価を低下させる場合において、控訴人記事の一部が被控訴人記事で紹介されていないからといって、違法性が阻却されないということにはならない。
イ 名誉・声望権侵害の成否について
 被控訴人記事は、控訴人記事への論評ではなく、事実の摘示に該当する旨の控訴人の主張に理由がないことは、前記ア(イ)aのとおりである。
 また、前記ア(ア)bのとおり、控訴人記事において控訴人が東京国際映画祭について指摘した問題点は、2015年の東京国際映画祭においても改善されていなかったのであるから、被控訴人記事の「大幅な改善努力を見せた2015年東京国際映画祭を受けてもなお毎年恒例の酷評を控訴人が行った」との記載は、真実を記載したものである。
 さらに、控訴人記事は、「日本映画は大変不幸である。なぜなら日本の多様な声を世界に届ける『国際映画祭』が日本にないからだ。今年も10月22日から10日間にわたって『東京国際映画祭』が開催されるが、その任務は映画芸術の祝福にはない。予算の半分以上が税金で賄われる公益性の高いイベントでありながら、映画会社と広告代理店という『既得権益』を強化するばかりで、日本の映画産業や映画文化を育む機能を果たせていない。」(甲2・12頁1段目)、「世界の映画産業はパラダイムシフトに入っている。世界市場の変化だけでなく、消費者行動の変化により、100年の歴史をもつ映画の概念が根本から変わろうとしている。その中においても、日本では国際的な実務能力をもたない『映画村』の人間たちが、政府から税金を引き出し、利権を貪っている。人を育むことを無視した施策こそ、日本映画産業の国際的な発展を大きく妨げている。」(甲2・13頁4段目)などと記載し、東京国際映画祭が日本映画産業や映画文化を育む機能を果たせておらず、人を育むことを無視した施策が日本映画産業の国際的な発展を大きく妨げているとしており、東京国際映画祭と日本映画全般が国際的に不本意な地位にあるとの趣旨の評価、論評を行っている。
 したがって、被控訴人記事が「控訴人が日本映画作品やその創作性および日本映画制作者の国際的地位が不本意であるという評価、評論を行った」という真実でない記載をした旨の控訴人の主張は、理由がない。
第3 当裁判所の判断
 当裁判所も、控訴人の請求はいずれも棄却すべきものと判断する。その理由は、下記のとおり当審における控訴人の補充主張に対する判断を示すほかは、原判決「事実及び理由」欄の第3の1〜4に記載のとおりである。
(当審における控訴人の補充主張に対する判断)
1 名誉毀損の成否について
(1) 社会的評価の低下の有無について
ア 控訴人は、控訴人記事のうち、多額の税金が使われている公益性の高い東京国際映画祭について、これを運営する公益財団法人の理事と関係が深い複数の企業が、独占的かつ5年連続して事業委託を受けている実態など、公共の利害に係る事項の記載が、一般読者の普通の注意と読み方を基準として判断される控訴人の社会的評価を左右する部分であり、そのような重要な事実の記載を欠く紹介をした場合、一般読者は控訴人記事との同一性を体感することはできず、控訴人記事への信頼を毀損するから、被控訴人記事が上記重要な事実の記載を欠く紹介をしたことは、控訴人の社会的評価を低下させるものであると主張する。
 しかしながら、前記引用の原判決が説示するとおり、被控訴人記事の記載が控訴人の社会的評価を低下させるものであるかどうかは、被控訴人記事についての一般読者の普通の注意と読み方を基準として、被控訴人記事の記載自体に基づいて判断されるべきものであるから、被控訴人記事の記載自体ではなく、被控訴人記事において控訴人記事の記載の一部を紹介しなかったという点については、たとえ紹介していない部分が控訴人記事における重要な事実の記載であったとしても、原則として、控訴人の社会的評価を低下させるものとは認められない。もっとも、控訴人記事の記載の一部を紹介しなかった場合に、被控訴人記事に接した一般読者の普通の注意と読み方を基準として、控訴人記事の趣旨や内容が誤解されるようなときには、当該誤解に基づいてその著作者である控訴人の社会的評価が低下するということはあり得ると解される。しかしながら、被控訴人記事に接した一般読者の普通の注意と読み方を基準とすれば、被控訴人記事は、控訴人が「東京国際映画祭と日本映画全般の残念な国際的な地位は“映画村”のせいだと批判し、映画産業の既得権益に触れ」るとともに、「2014年度の映画祭事業費の3分の2は大手映画会社とその子会社、巨大広告代理店の電通、大手不動産会社の森ビルらが独占する委託費になっていることを指摘し」て、「東京国際映画祭・・・に対する厳しい批判」を行った旨を記載したもの(控訴人の訳文による。)と理解されるのであって、控訴人がこのような批判や指摘をした旨の一般読者の理解は、控訴人記事の趣旨や内容を誤解したものとはいえず、したがって、被控訴人記事が、控訴人記事の趣旨や内容を誤解させ、当該誤解に基づいて控訴人の社会的評価を低下させるものということもできない。
 この点に関連して、控訴人は、被控訴人記事には、東京国際映画祭への税金投入や公益財団法人による運営等の事実が記載されていないことから、民間事業である映画祭における民間企業への委託費の配分の紹介となっている旨も主張するが、被控訴人記事は、控訴人記事において、東京国際映画祭等の残念な国際的な地位の責任が“原子力村”から派生した造語である“映画村”にあると批判していること、「映画産業の既得権益」に触れていること、2014年度東京国際映画祭事業費の3分の2を委託費として独占する大企業が「政府のクールジャパン政策の恩恵のほとんどを享受」していることが記載されている旨を紹介しており、被控訴人記事に接した一般読者の普通の注意と読み方を基準とすれば、純粋な民間企業の委託費の配分が問題とされているのではなく、公的資金の使途が問題の背景にあることを十分推知することができるといえ、控訴人主張のように控訴人記事の趣旨や内容が誤解されるものではない。
 また、控訴人は、一般読者が控訴人記事との同一性を体感することができず、控訴人記事への信頼を毀損する旨も主張するが、被控訴人記事に接した一般読者が控訴人記事の趣旨や内容を誤解するものではないことは前示のとおりであるから、その意味での同一性を損なうものとは認められない。また、控訴人の主張が、被控訴人記事に接した一般読者において、控訴人記事自体に直接接した場合と同一の印象を受けることを要するという趣旨であれば、そのような意味での同一性を求めることは失当であると認められる(換言すれば、そのような意味での同一性を満たさなければ、控訴人記事の著作者である控訴人の社会的評価を低下させるというものではない。)。
 以上のとおり、控訴人の主張は理由がない。
イ 控訴人は、被控訴人記事の「日本映画全般のがっかりするような国際的な地位」という記載は、控訴人記事において控訴人が日本の映画作品やその創作性、創作に関わる映画制作者を含む国際的地位を「がっかりするほど低い」と評価、評論したという事実を摘示したことになるが、そのような事実はないから虚偽であり、映画プロデューサーである控訴人が説得力のある理由や根拠を示すこともなく、他のアーティスト作品や創作性の国際的地位が低いと評価、評論したという虚偽の事実は、控訴人の社会的評価を低下させると主張する。
 しかしながら、被控訴人記事の「東京国際映画祭と日本映画全般の残念な国際的地位」という記載における「日本映画全般」(原文では、「Japanese cinema in general」)という用語は、多義的であるといえ、文脈次第では、控訴人が主張する「日本の映画作品やその創作性、創作に関わる映画制作者」を指す意味に解される場合もあり得るものの、被控訴人記事においては、「日本映画全般の残念な国際的地位は“映画村”(“原子力村”から派生した造語)のせいだと批判し」という文脈で用いられ(控訴人の訳文による。)、これに続いて、映画産業の既得権益、東京国際映画祭の事業費の使途、政府のクールジャパン政策の恩恵の享受について記載されているのであるから、被控訴人記事に接した一般読者の普通の注意と読み方を基準とすれば、ここでの「日本映画全般」という用語は、日本の「映画産業」全体を指すものと理解され、個別の映画作品や映画制作者を指すと理解されるものではない。そして、そのような映画産業という趣旨において、控訴人記事が日本の映画産業が国際的に不本意な地位にあるとの趣旨の評価、評論を行っていたことは、原判決14頁1行〜15頁1行記載のとおりであり、被控訴人記事における控訴人記事の引用紹介が正確性を欠くとまでは認められない。控訴人の主張は理由がない。
ウ 控訴人は、被控訴人記事は、2015年東京国際映画祭を受けて書かれたものであるかのように紹介しているが、控訴人記事は、同年の東京国際映画祭の前に発売されたものであり、映画プロデューサーである控訴人が、被控訴人が大幅に改善されたと批評した同年の東京国際映画祭を受けてもなお残る毎年恒例の東京国際映画祭の酷評を行ったという虚偽の事実は、控訴人の社会的地位を低下させると主張する。
 確かに、控訴人記事が2015年10月10日発行・発売の雑誌に掲載されたものであり、同年の東京国際映画祭が同月22日から10日間にわたって開催されたものである(甲2)のに対し、同年11月13日に掲載された被控訴人記事は、「今年の東京国際映画祭は過去の失敗から学び、再び映画を中心に考え、大幅に改善されたイベントを開催する明確な努力がはっきりと表れていた。/それにも関わらず、未だ東京国際映画祭は批判の格好の的になっており、映画祭に対する厳しい批判は毎年の恒例行事となっている。そして今回それを行ったのが映画プロデューサーのXである。彼はプレジデントオンラインの記事において・・・」と記載しており(控訴人の訳文による。)、控訴人主張のとおり、この記載は、控訴人記事が2015年東京国際映画祭を踏まえて書かれたものであるかのような印象を与える不適切な措辞であるというべきである。
 もっとも、被控訴人記事は、それ自体が2015年東京国際映画祭の終了から2週間足らずのうちに掲載されたものであり、「Xは2014年度の映画祭事業費の3分の2は大手映画会社とその子会社、巨大広告代理店の電通、大手不動産会社の森ビルらが独占する委託費になっていることを指摘した。」と記載して、控訴人記事において指摘されているのが「2014年度の映画祭事業費」であることをも示していることからすると、被控訴人記事に接した一般読者の普通の注意と読み方を基準とすれば、控訴人が2014年度の事業費を根拠として東京国際映画祭に対する批判をしているものであると理解され、上記の不適切な措辞を考慮しても、控訴人が2015年度の事業費を根拠として東京国際映画祭に対する批判をしていると誤解されるものではないと認められる。以上に加え、被控訴人記事には、2015年東京国際映画祭の事業費に関し改善が見られた旨は記載されていないこと、他方、控訴人記事自体が、「日本映画は大変不幸である。なぜなら日本の多様な声を世界に届ける『国際映画祭』が日本にないからだ。今年も10月22日から10日間にわたって『東京国際映画祭』が開催されるが、その任務は映画芸術の祝福にはない。予算の半分以上が税金で賄われる公益性の高いイベントでありながら、映画会社と広告代理店という『既得権益』を強化するばかりで、日本の映画産業や映画文化を育む機能を果たせていない。/東京国際映画祭の事業費の内訳をみれば、この映画祭が誰のために行われているのかがよくわかる。主催する公益財団法人ユニジャパンの決算報告書(2014年度)によれば、東京国際映画祭の事業費は約10億9656万円である。このうち66.6%を占める7億3052万円は『委託費』となっている。」などと記載して、2015年東京国際映画祭開催のわずか2週間前に発行される雑誌において、2014年度の事業費を根拠として、「『東京国際映画祭』・・・の任務は映画芸術の祝福にはない」、「事業費の内訳をみれば、この映画祭が誰のために行われているのかがよくわかる」などと、東京国際映画祭全般について批判的な評価を加えており、2015年東京国際映画祭についても特に除外していないばかりか、かえって、「今年も10月22日から10日間にわたって・・・開催されるが、その任務は映画芸術の祝福にはない。」と記載していることをも考慮すると、被控訴人記事が、控訴人記事が2014年度の事業費を指摘していることをも示した
上で、控訴人記事について、2015年東京国際映画祭以降もなお残る毎年の恒例行事となっている「厳しい批判」として紹介したことは、不適切な措辞を含むものではあるものの、なお控訴人の社会的評価を低下させるとまではいえないものと認められる。
 以上によれば、控訴人の主張は理由がない。
(2) 真実性の抗弁ないし公正な論評の抗弁の成否について
 被控訴人記事が控訴人の社会的評価を低下させるものではなく、被控訴人記事による名誉毀損が成立しないことは、前記引用の原判決が認定説示するとおりである。したがって、真実性の抗弁ないし公正な論評の抗弁の成否について判断する必要はないから、この点に関する当審における控訴人の補充主張に対する判断はしない。
2 名誉・声望権侵害の成否について
(1) 控訴人は、被控訴人記事は、控訴人記事への意見表明ないし論評ではなく、恣意的に歪曲した虚偽の事実の摘示に該当すると主張する。
 しかしながら、被控訴人記事は、控訴人が控訴人記事において「映画祭に対する厳しい批判」を行った旨記載するものであるが、控訴人記事が「映画祭に対する厳しい批判」であることは、証拠等をもってその存否を決することができる事項ではないから、事実の摘示ではなく、控訴人記事への意見ないし論評の表明に当たるというべきである。控訴人は、「厳しい批判」は、「改善が見られた2015年イベント以降でも毎年酷評がつきまとう東京国際映画祭」という東京国際映画祭の状態を説明しているものであると主張するが、被控訴人記事は、「映画祭に対する厳しい批判は毎年の恒例行事となっている。そして今回それを行ったのが映画プロデューサーであるXである。」と記載しているのであるから(控訴人の訳文による。)、控訴人が「それを行った」、すなわち、「厳しい批判」を行ったとの意見ないし論評を表明していることは明らかである。控訴人の主張は理由がない。
(2) 控訴人は、@「大幅な改善努力を見せた2015年東京国際映画祭を受けてもなお毎年恒例の酷評を控訴人が行った」、A「控訴人が日本映画作品やその創作性及び日本映画制作者の国際的地位が不本意であるという評価、評論を行った」、B「不本意な国際的地位を理由として既得権益を批判した」という記述は恣意的に歪曲された虚偽であり、名誉・声望権を侵害すると主張する。
 しかしながら、著作物に対する意見ないし論評などは、それが誹謗中傷にわたるものでない限り、著作権法113条6項の「名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為」に該当するとはいえないところ、被控訴人記事が控訴人又は控訴人記事を誹謗中傷するものとは認められないことは、前記引用の原判決が認定説示するとおりである。
 念のため、個別に検討しても、控訴人主張の@については、前記1(1)ウのとおり、控訴人の社会的評価を低下させるとまではいえないし、控訴人主張のAについては、同イのとおり、被控訴人記事における「日本映画全般」(原文では、「Japanese cinema in general」)の意味を正解しないものであり、やはり控訴人の社会的評価を低下させるものではない。また、控訴人主張のBについては、被控訴人記事の対応する記載は、「彼はプレジデントオンラインの記事において、東京国際映画祭と日本映画全般の残念な国際的な地位は“映画村”(“原子力村”から派生した造語)のせいだと批判し、映画産業の既得権益に触れた。」というものであって(控訴人の訳文による。)、控訴人主張の記述自体が認められない。結局、控訴人主張の@〜Bの記述により、控訴人記事に係る控訴人の名誉・声望権が侵害されたものと認めることはできない。
 以上のとおり、控訴人の主張は理由がない。
第4 結論
 そうすると、控訴人の請求をいずれも棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。

知的財産高等裁判所第2部
 裁判長裁判官 清水節
 裁判官 片岡早苗
 裁判官 古庄研
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