判例全文 line
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【事件名】映画「やわらかい生活」シナリオ収録拒否事件(2)
【年月日】平成23年3月23日
 知財高裁 平成22年(ネ)第10073号 出版妨害禁止等請求控訴事件
 (原審・東京地裁平成21年(ワ)第24208号)
 (口頭弁論終結日 平成23年2月28日)

判決
控訴人 X
控訴人 社団法人シナリオ作家協会
控訴人ら訴訟代理人弁護士 的場徹
同 山田庸一
同 服部真尚
同 大塚裕介
同 川口綾子
被控訴人 Y
訴訟代理人弁護士 清水浩幸


主文
1 控訴人社団法人シナリオ作家協会の本件控訴を棄却する。
2 控訴人Xが当審で拡張した差止請求権不存在確認の訴えを却下する。
3 控訴人社団法人シナリオ作家協会が当審で拡張した差止請求権不存在確認請求を棄却する。
4 控訴費用は、控訴人らの負担とする。

事実及び理由
第1 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、控訴人社団法人シナリオ作家協会が別紙著作物目録記載の脚本を別紙書籍目録記載の書籍に収録し、出版することを妨害してはならない。
3 控訴人らと被控訴人の間において、控訴人社団法人シナリオ作家協会が別紙著作物目録記載の脚本を別紙書籍目録記載の書籍に収録し出版することについて、被控訴人の同控訴人に対する差止請求権が存在しないことを確認する。
第2 事案の概要
1 原審の経緯等
 本件の原審の事案は、別紙書籍目録記載の書籍(以下「本件書籍」という。)を発行している控訴人社団法人シナリオ作家協会(1審原告。以下「原告協会」という。)と、小説「イッツ・オンリー・トーク」(以下「本件小説」という。)を原作とする映画(以下「本件映画」という。)の製作のために別紙著作物目録記載の脚本(以下「本件脚本」という。)を執筆した控訴人X(1審原告。以下「原告X」という。)が、本件脚本の本件書籍への収録及びその出版を承諾しなかった本件小説の著作者である被控訴人(1審被告。以下「被告」という。)に対し、被告の委託を受けて本件小説の著作権を管理している株式会社文藝春秋(以下「文藝春秋」という。)と、本件映画の企画製作プロダクション会社である有限会社ステューディオスリー(以下「ステューディオスリー」という。)との間で締結された本件小説の劇場用実写映画化に係る原作使用契約(以下「本件原作使用契約」という。)において、著作物の二次的利用については、「文藝春秋は、一般的な社会慣行並びに商習慣等に反する許諾拒否は行わない」との条項があることに照らすと、本件脚本を本件書籍に収録して出版することについては原告X及び原告協会(以下「原告ら」という。)と被告との間で許諾合意が成立していたと認めるべきであり、被告の前記不承諾は不法行為に当たる旨主張し、上記許諾合意に基づき、原告らにおいては本件脚本の本件書籍への収録及びその出版を妨害してはならないことを求めるとともに、原告協会においては原告協会と被告との間において前記出版の被告に対する著作権使用料が3000円であることの確認を求め、原告ら各自において前記各不法行為による損害賠償請求権に基づき、慰謝料及び弁護士費用相当額の各損害金400万円の内各1円及びこれに対する平成21年8月22日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求めたという事案である。
 原判決は、@原告らは、本件原作使用契約の当事者ではないから、本件原作使用契約の二次的利用許諾条項に基づく許諾合意の成立を主張することはできず、許諾合意に基づく主張は失当である、Aなお、二次的著作物の利用について共同著作物に関する著作権法65条3項は類推適用されないから、同項の類推適用を根拠に許諾合意の成立を主張することもできない、B二次的著作物である本件脚本の利用に関し、原著作物の著作者である被告は本件脚本の著作者である原告Xが有するものと同一の種類の権利を専有し、原告Xは被告との合意によらなければ自らの権利を行使することができないと解されるから、被告の不承諾は、原著作物の著作権者として有する正当な権利の行使であって、不法行為には当たらない、旨判断して、原告ら主張の許諾合意又は不法行為損害賠償請求権に基づく各請求を全部棄却した。
 これに対し、原告らは、原判決を不服として本件控訴を提起した。そして、当審において、原告らは、請求及び請求の原因を交換的に変更した。すなわち、原告Xにおいては出版妨害禁止請求に係る訴えを取り下げ、原告協会においては著作権使用料額の確認請求に係る訴えを取り下げ、原告らにおいて各不法行為損害賠償請求に係る訴えを取り下げた。その上で、原告協会は、出版妨害禁止請求に係る訴えを維持し、また、原告らにおいて出版差止請求権不存在確認請求に係る訴えを追加した。いずれの訴えにおいても、原告らは、原告協会の出版行為に対して、被告が許諾を与えないことが権利濫用に当たるとの主張、すなわち、原著作物の著作権(著作権法28条、112条1項)に基づく出版差止請求権の存在を主張すること(抗弁)が権利濫用に当たるとの主張(再抗弁)をするに至った。
2 当審における原告らの主張
(1) 当事者
 原告Xは、本件映画製作のために、被告の著作した本件小説「イッツ・オンリー・トーク」を原作として、本件脚本「やわらかい生活」を著作した。
 原告協会は、1950年に文部省の認可を得て設立されたものであり、「シナリオの文化的使命の重要性を認識し、作家の相互の信頼と協力とによってシナリオ作家の適切なる活動を図り日本映画文化の向上発展に寄与することを目的」とする公益法人であり、その事業の一環として、本件脚本を本件書籍に掲載して出版する意思を有し、本件脚本の著作者(複製権者)である原告Xから出版権の設定を受けて、その出版の準備を行っている。
 被告は、本件小説の著作者である。
(2) 被告の著作権行使の権利濫用
 被告は、原告協会が本件書籍に本件脚本を掲載して出版することに対して、本件小説の著作者として、著作権を行使することができる立場にある(著作権法28条)。そして、被告は、原告協会による本件脚本の本件書籍への掲載及びその出版を許諾しない。
 しかし、被告が二次的著作物である本件脚本の本件書籍への収録出版に対して、許諾を与えないこと、また、原著作物の著作権者として著作権法28条、112条1項に基づき出版差止請求権を有すると主張すること(抗弁の提出)は、以下の諸事情に照らせば、権利の濫用(民法1条3項)に該当する。なお、著作権法65条3項が同法28条に類推適用され、かつ同項所定の「正当な理由」がないから被告の許諾拒否が許されない旨の原審での主張は、当審において主張しない。
ア 被告とステューディオスリーとの本件原作使用契約の締結
 原告X、映画監督H及び映画プロデューサーMは、本件小説を映画化することを企画し、ステューディオスリーに所属するMが交渉窓口となって、被告の本件小説の著作権管理を行っている文藝春秋と交渉し、ステューディオスリーと文藝春秋が契約当事者となって、本件原作使用契約(乙4)を締結し、映画化の許諾を得た。
 本件原作使用契約においては、文藝春秋が被告から契約締結の完全な権限が与えられていることが保証され(第2条1項)、文藝春秋が、ステューディオスリー(将来確定する本件映画のために出資する出資者、共同製作者、配給会社等を含む。第3条1項)に対して、本件映画(本件小説を原作とし、制作される映画。第1条(2))の「製作・封切・配給」(第3条1項)、本件映画のネガフィルムを「プリントし、本映画を配給、頒布し、日本国内の劇場等において上映すること」(第3条3項)等の許諾を与えた。
 本件原作使用契約においては、さらに、第3条5項において、「乙(判決注 ステューディオスリー)は、予め甲(判決注 文藝春秋)の書面による合意に基づき、別途著作権使用料を支払うことによって、次の各号に掲げる行為をすることができる。ただし、甲は一般的な社会慣行ならびに商慣習等に反する許諾拒否は行わない。」とされた上で、ビデオ・グラムとしての複製、頒布、テレビ放送、衛星放送、有線放送等が列挙されているほか、「(8)本契約に基づき作成された脚本の全部または一部を使った・・・出版物を作成し、複製、頒布すること。」が挙げられている。
イ 原告Xによる本件脚本の著作
 原告Xは、ステューディオスリーからの翻案権の再許諾を受けて、平成16年3月ころ、本件小説に基づき、本件脚本を著作した。
ウ 本件映画の製作・配給・上映
 本件映画は、本件脚本に基づいて製作され、平成16年12月にその撮影が完了し、平成17年2月にその編集作業が終了して完成され、平成18年6月10日から日本全国の劇場において上映された。
エ 本件映画のテレビ放送
 本件映画は、本件原作使用契約第3条5項に基づき株式会社ハピネット・ピクチャーズユニットと文藝春秋の合意により平成19年7月以降、地上波、衛星放送、CS放送により、広くテレビ放送された(甲28)。
オ 本件映画のDVDの発売・レンタル
 本件映画は、本件原作使用契約第3条5項に基づき株式会社ハピネット・ピクチャーズユニットと文藝春秋の合意により平成19年1月からそのDVDが発売され(甲27)、レンタルに供された。それらの数は、セル(販売)が3843枚、レンタルが合計で8678枚であった(甲28)。
カ 本件小説の書籍の帯における映画化の掲載・告知
 本件小説の書籍の帯には、本件映画により映画化されたことが掲載され、一般読者・書店来訪者に対し、本件映画の原作が本件小説であることが幅広く告知された(甲16、17)。
キ ステューディオスリーによる本件脚本の出版についての交渉
 ステューディオスリーは、原告協会が本件脚本を本件書籍に掲載して出版したいとの意向を受け、文藝春秋と交渉することとし、平成20年6月ころに、本件原作使用契約第3条5項に基づき、許諾を請求した(甲8)。なお、ステューディオスリーは、文藝春秋に対し、妥当な著作権使用料を支払う用意がある。
 しかし、文藝春秋から回答がなかったことから、ステューディオスリーは、平成20年11月に再度許諾を請求した(甲9、乙9)。
 これに対して、文藝春秋は、著作者である被告の意向を理由に許諾を拒絶した。
ク ステューディオスリーによる被告の許諾を条件とする原告協会に対する再許諾
 ステューディオスリーは、本件脚本の出版について被告から許諾が得られることを条件に、被告から得られた出版の許諾を原告協会に再許諾した(甲25)。
ケ 原告Xによる出版の許諾
 原告Xは、原告協会に対し、本件脚本の著作者として、本件脚本を本件書籍に掲載することを許諾し、原告協会に対し、本件脚本の複製権者(著作権法21条)として、本件脚本について出版権を設定した(同法79条)。
コ 本件映画及び本件脚本に対する評価
 本件映画及び本件脚本は、以下のとおり高い評価を受けている。
 本件脚本は、平成18年度の年鑑代表シナリオに選出され、第9回菊島隆三賞を受賞した。
 本件映画は、@第19回シンガポール国際映画祭最優秀作品賞、A第28回ヨコハマ映画祭ベストテン8位、B第2回おおさかシネマフェスティバル賞助演男優賞、C第8回バルセロナ・アジア映画祭審査員特別賞・最優秀監督賞、Dサンダンスフィルムフェスティバル上映、Eプラハ映画祭上映、Fドーヴィル映画祭のH監督特集で上映、G平成18年函館イルミナシオン映画祭オープニング上映、H川崎市民ミュージアム「脚本家X」特集で上映、I日本映画プロフェッショナル大賞平成18年主演男優賞、特別賞、ベスト10第3位、Jキネマ旬報平成18年度日本映画ベストテン第12位、K映画芸術平成18年ベスト(日本映画)第1位などの栄誉を受けた。
サ 本件書籍の性質
 本件書籍は「年鑑代表シナリオ集」の2010年版である。
 年鑑代表シナリオ集は、原告協会が発行しているものであり、昭和27年(1952年)に創刊され、50年を超える歴史を有するものであり、それぞれの年を代表するシナリオを収録し、貴重な文化的資料となり、また、映画を志す若者にとってのテキストの役割を果たしてきた。
 そもそもシナリオは映画の製作のために作成されるものであり、かつ、小説のように一般読者を想定して作成した著作物とは異なることから、一般にシナリオ集の販売は困難であり、シナリオ集という出版物自体が少なく、また、その部数も少数であり、年鑑代表シナリオ集も、商業的出版物というより、赤字覚悟で行う、原告協会が公益法人としての文化事業の一環として刊行しているものである(甲6)。
 このような性質から、年鑑シナリオ集の出版は、現在は、文化庁の芸術団体人材育成支援事業として、補助金が交付されている。同事業は、「現代舞台芸術(略)、伝統芸能等(略)、大衆芸能、美術、舞台芸術、映画及びその他(略)の部門において、我が国の団体が実施する上記部門に関する調査研究及び情報交流事業等を支援するもので(あり)」(甲26、3枚目)、補助の対象となる事業については「芸術家等の人材育成に資するものであること、事業内容に公益性が認められること、国等の文化施策の実施に資するものであること」等が、事業を行う団体については「芸術文化に関する専門的知識と調査研究等について相当の実績を有する我が国の団体であり、高い専門性が認められること」等が審査の対象となる(甲26、8枚目)。年鑑代表シナリオ集の出版は、以上のとおり公益性が認められている。
シ 本件書籍の部数・頒布先
 本件書籍は、上述の事情もあり、その発行部数は少数であって、1000部ないし1200部を予定しているに留まる。平成22年においては、文化庁の助成事業に基づくものであるため、このうち200部は献本用として、全国の図書館、映画関連団体、掲載された脚本の映画に関連する作者らに配布された。また、本件書籍は一般の書店で販売され、大手書店の店頭で展示されている場合もあるものの、通常は、書店の注文に基づき原告協会が販売するものである。
ス 被告が許諾しない理由(権利行使の理由)
 これに対して、被告が、本件書籍に本件脚本の掲載を許諾しない理由は、被告にとって、本件脚本が、本件小説から変更された部分を含み、その意向に添わない内容になっているというものである。
セ まとめ
(ア) 被告のステューディオスリーに対する許諾のみが不足していること
 本件原作使用契約は、ステューディオスリーと文藝春秋との契約である。原判決は、この点を捉えて、本件原作使用契約の効力が原告らに及ばないことを理由に、原告らの請求を棄却した。しかし、原判決は誤りである。すなわち、文藝春秋は被告から契約締結の権限を与えられているから、本件原作使用契約は被告を拘束する。また、直接に映画化等の許諾を受けたのはステューディオスリーではあるが、ステューディオスリーが単独で脚本を著作し、映画を製作し、複製し、配給し、上映することができるわけではないことが明白であるから、本件原作使用契約は、ステューディオスリーが許諾を受けた限度で第三者に再許諾できることが当然の前提とされている(仮にそうではないとすると、例えば、ステューディオスリーが自ら運営する映画館でのみ映画を上映しなければ、本契約に違反することになるし、テレビ放映も自らテレビ局を運営していないのであるから不可能となるし、ステューディオスリーが原告Xに本件脚本を著作して本件小説を翻案させたことも、契約違反となるはずであるが、そのような解釈が本件原作使用契約の目的にそぐわないことは明らかである。)。したがって、本件脚本の出版についても、ステューディオスリーが文藝春秋ないし被告から許諾を受ければ、ステューディオスリーがその許諾に基づいて原告協会に再許諾をすることが当然に可能なはずである。すなわち、原告らは、本件原作使用契約の当事者ではないが、ステューディオスリーが再許諾をすることにより、本件原作使用契約の効力を及ぼすことができる。また、少なくとも、原告らが本件原作使用契約の趣旨を援用することはできよう。そして、上述のとおり、ステューディオスリーは、文藝春秋ないし被告から許諾を得る意思を有して交渉を行い、本件原作使用契約書の第3条5項に基づき許諾を請求し(第3条5項(7))、被告から許諾が得られることを条件に原告協会に再許諾している(第3条5項(8))。また、原告Xは、原告協会に対して、本件脚本を出版する許諾を与えている(第3条5項(9))。
 以上によれば、現在、原告協会が本件書籍に本件脚本を掲載する上で、不足している許諾は、本件小説の著作者である被告のステューディオスリーに対する許諾のみである。
(イ) 許諾権は「一般的な社会慣行ならびに商慣習等」により制約され、許諾拒絶は極めて例外的であるから、原告Xの許諾への期待は当然であること
 本件原作使用契約書の第3条5項ただし書は、「甲は一般的な社会慣行ならびに商慣習等に反する許諾拒否は行わない。」と定めている。被告は、同規定は権利濫用を行わないという趣旨に留まると主張し、文藝春秋版権業務部S(以下「S」という。)もそのように供述している(乙22)。しかし、契約の常識的な解釈としては、契約書に含まれた条項には、それなりの意味がある(何らかの法律効果を創設している)と解すべきであり、これを単に権利濫用を許さない旨の当たり前のことを規定した確認的な条項と解するのは妥当ではなく、原作者の著作権行使に「一般的な社会慣行ならびに商慣習等」という制約を課したと解する方が自然である。しかも、日本文藝家協会によれば、日本文藝家協会の書式には、上記ただし書のような条項は入っていない(乙13)。この対比からも、敢えて挿入された特別の条項であるから、同条項には、単なる権利濫用の禁止という当然の内容を超えた意味があると解するのが妥当であるし、通常である。そして、そのような契約書を用意したのは被告側の文藝春秋である(乙22)。
 また、映画の脚本の出版を原作者が拒絶した例が、被告が指摘する1例に留まり、これに対して、本件書籍の属する「年鑑代表シナリオ集」が営々と出版されてきたことに照らせば、そのような事例は例外であり、仮に「慣行」、「慣習」と化していたか否かについて争いがあるとしても、極めて大多数の事例では許諾されてきたことが明らかである。したがって、被告の許諾の拒絶が本件原作使用契約に直ちに反するか否かはともかく、その許諾権は「一般的な社会慣行ならびに商慣習等」により制約されており、かつ、許諾の拒絶は少なくとも極めて例外的な事例であるといえる。
 そうすると、本件原作使用契約を締結したステューディオスリー、同社と一体となって映画化を企画していた原告Xが、脚本の出版について、著作権使用料を支払うことにより原則として許諾されるものと理解し、期待したことは当然である。
(ウ) 本件書籍の文化的意義等と比較して本件脚本の掲載出版阻止によって得られる被告の利益が小さいこと
 本件脚本ないし本件映画は、被告の意向に反していたとはいえ、社会的には高い評価を受けており、本件脚本を出版して後世に残すことには文化的意義がある。また、本件書籍は、歴史のある書籍であり文化的意義、公共性のある事業である。
 これに対して、被告が本件脚本を出版させたくない理由は、本件脚本が被告の意向に添わないものであったことにある。すなわち、自己の意に添わない本件脚本の内容が世の中に流布することを阻止することであって、被告が激しく反発していることも、原審の主張・立証から容易に窺えるが、本件脚本は、本件映画の元となったものであるから、本件映画が社会に流通すれば、本件脚本の内容も社会に流通する関係にある。そして、本件映画は全国で広く上映されたほか、テレビ放映により全国の視聴者が視聴され、DVDが多数販売され、レンタルにも供されている。したがって、本件脚本の内容は、広く社会に知られているのであり、独り本件脚本の出版を阻止したところで、被告の意向に反する本件脚本の内容が社会に知られることを阻止することにはならない。また、本件映画ないし本件脚本が本件小説を原作とするものであることは、本件小説の書籍の帯にも掲載されているから、本件小説と本件映画が結びつけられることも、被告は容認していた。さらに、DVDにも本件映画の原作が本件小説であることが掲載されている。また、一般社会からの評価においても、本件映画、本件脚本の原作が本件小説であるとはいえ、相互に別個の独立した著作物・作品であり、それぞれ別個の評価が行われるものであるから、被告にとって、本件映画、本件脚本の内容が不本意なものであったとしても、本件映画、本件脚本によって、本件小説や被告の業績・評価が損なわれるものではない。このことは、被告自身も「基本的には小説を書き終えた段階で、その作品は作者から手を離れるものという認識。後は読者のものでもあるし、監督のものでもあるという風に思っている。」と認めている(甲29)。
 最後に、本件書籍の部数は少数であるから、本件書籍自体によって、本件脚本が広く社会に流布するというものではないことも明らかである。
 以上によれば、本件脚本が本件書籍に掲載されることを阻止することによって守られる被告の利益は、(主観的には被告が様々な感情を有していることは承知しているが)、客観的には小さなものと評すべきである。
(エ) 以上の諸事情を検討すれば、原告協会が本件脚本を本件書籍に掲載・出版することに対して被告が著作権法28条、112条1項に基づく出版差止請求権を有すると主張することは権利濫用(民法1条3項)に該当すると評価せざるを得ない。
(3) よって、原告協会は、被告に対し、出版権(著作権法79条1項、112条1項)に基づき、本件書籍に本件脚本を収録し、出版することを妨害しないことを求める。
 また、原告Xは本件脚本の収録出版に重大な利害関係を有する本件脚本の著作者として、原告協会は出版権者として、出版の自由権(憲法21条)に基づき、原告協会が本件脚本を本件書籍へ収録して出版することについて被告による差止請求権が存在しないことの確認を求める。
3 当審における被告の反論
(1) 本案前の答弁
 原告Xの出版差止請求不存在確認の訴えについては、原告Xに当事者適格及び確認の利益がないので、その訴えは却下されるべきである。
(2) 被告の著作権行使の権利濫用に対し
ア 被告のステューディオスリーに対する許諾のみが不足していることに対し
 原告らは、原告協会が本件書籍に本件脚本を掲載する上で不足している許諾は、本件小説の著作者である被告のステューディオスリーに対する許諾のみであると主張する。しかし、本件訴訟の主題は、被告が許諾しなければならないのかどうかの点にあるから、被告以外の周囲の者の許諾の有無は問題とはならない。また、原告らの上記主張は、被告1人のために本件脚本の掲載出版が実現できないことを強調して被告に許諾を迫るものであって、著作権者の信条、作者が自分の作品に対する真摯な思い、そして著作権法が依って立つ精神を、踏みにじるものである。原告らの主張は、本件映画製作の関係者が、撮影開始のスケジュールがもうすぐであることを告げて、被告1人がその障害になっているとして被告を断りづらい状況に追い込み、映画化を許諾するように執拗に迫った当時の状況の再現であり、本件紛争の根源にあるものである。
イ 許諾権は「一般的な社会慣行ならびに商慣習等」により制約され、許諾拒絶は極めて例外的であるから、原告Xの許諾への期待は当然であることに対し
 原告Xは、本件原作使用許諾契約書の定めに基づいて請求をする立場にないから、許諾についての期待がたとえあったとしても、それは事実上のものにすぎず、法的に保護されることはない。実際の時間の経過に照らしても、被告が掲載・出版を拒絶した後の平成20年4月になってから初めて原告らが本件原作使用契約書を見たというのであるから、そのように事後的に生じた期待は法的保護に値しない。
 また、本件原作使用契約書の条項を考慮するとしても、同契約書には、「乙(判決注 ステューディオスリー)は、第3条各項の利用にあたって、本著作物の内容、表現または題名等、甲(判決注 文藝春秋)の書面による承諾なしで変更を加えてはならない。」(第5条1項)、「乙は、本映画のプロットおよび脚本を完成後、直ちに甲に対し3部提出し、本映画のクランク・イン前に甲の了解を得るものとする。」(第5条2項)との条項があるから、これらも遵守されるべきである。そうであるのに、本件映画製作の実際の過程においては、ステューディオスリーも脚本執筆者も、事前に文藝春秋や被告に必要な時間的余裕をもって脚本を提出し、説明して協議をするといった当然の手続を取ることが全くなく、逆に、クランク・イン(撮影開始)の日程を一方的に、かつ間近に設定し、被告をして拒絶し難い状況を作り出し、それに乗じる形で被告から映画製作についての了解を不承不承のうちに強引に得たのである。ステューディオスリー又は脚本執筆者らが前記の第5条1項、2項を尊重した態度を取り、原作者側から意見を十分に聞いて協議の上で進めていれば、脚本の問題に起因する本件のような紛争はそもそも起こらなかった。
ウ 本件書籍の文化的意義等と比較して本件脚本の掲載出版阻止によって得られる被告の利益が小さいことに対し
 原告主張の他の利益との比較論の根拠は、理由がない。例えば、現在の出版業界の厳しい状況下では、年鑑代表シナリオ集の予定発行部数とされている1000部から1200部は決して少ないとはいえない。そして、年鑑代表シナリオ集は、全国の図書館、映画関連団体に配布されるというのであるから、それから先に多くの人々の目に本件脚本が触れる可能性は、一般読者が書籍を蔵書用に購入する場合に比べて格段に大きく、本件脚本の収録出版による影響が小さいとはいえない。
 また、視点を変えていえば、年鑑代表シナリオ集への掲載の影響が原告らの主張するように本当に小さいのであれば、そのことだけのために、被告の権利を抑制してまであえて本件脚本を掲載出版する必要性はないともいえる。
エ 権利濫用の有無の判断において考慮すべき事情
 被告の許諾拒否(出版差止請求権存在の抗弁の主張)が権利濫用であるか否かが本訴訟の争点になるとした場合は、以下の諸事情を考慮すべきである(以下の諸事実は、被告が当初に許諾を拒否した後で生じた事実であるが、判決の既判力の基準時は事実審の口頭弁論終結時であり、被告の許諾拒否が権利濫用であるか否かの判断が下されるのは口頭弁論終結の時点であるから、考慮されるべきである。)
(ア) 「’06年鑑代表シナリオ集」(甲2)及び「’07年鑑代表シナリオ集」(甲3)のほか、原告協会のウェブサイト(乙18、19)においても、被告に対して、度を超えた非難がされている。こうした仕打ちを受けながら、それでもなお被告の許諾拒否が権利濫用に当たるとされることはあり得ない。
(イ) 原告協会は、本件訴訟提起前に本件脚本をその出版物である「月刊シナリオ」2006年7月号(乙10)に掲載し、原告Xも出版時からその事実を知っており、原告らは、その事実を明らかにせずに本訴訟を進行させていた。被告が独自の調査によって第1審の途中でその事実を発見して本件訴訟に顕出させると、原告らは社会慣行・商慣習があるから適法だと述べた。原告らは、社会慣行・商慣習というが、著作権侵害が単に発覚せずに見過ごされてきただけのことである。そのことは、作家を主要な構成員とする社団法人日本文藝家協会が、正式に文書で確認している(乙12、13)。
(ウ) 被告執筆の別の小説「ばかもの」の映画化においては、本件映画の場合とは全く異なって、脚本について被告が納得するまで話し合いが行われた。その点に関して映画製作者、監督及び脚本執筆者は被告に対して、非常に協力的・協調的で、被告の意見を十分に尊重していた。「ばかもの」の映画化のプロセスは、本件映画化のように、被告の意見を軽視し、拒否しにくい状況のなかで映画化許諾を強引に迫るといったやり方とは、対極であった。「基本的には小説を書き終えた段階で、その作品は作者から手を離れるものという認識。後は読者のものでもあるし、監督のものでもあるという風に思っている。」と被告が述べたのは(甲29)、そのような被告の意見を十分に尊重した別の映画化の際のものであるから、それとは正反対の本件映画化に関連して原告らが援用するのは失当である。
オ 出版の自由権(憲法21条)に対し
 憲法21条は私人間には直接に適用されないから、出版の自由権(憲法21条)を法的根拠とする原告らの主張は、失当である。憲法21条が間接適用されるとしても、上記のとおり、被告の主張等は、権利濫用には当たらない。
第3 当裁判所の判断
1 事実認定
 証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。
(1) 被告は、平成15年4月14日、デビュー作である本件小説の執筆により第96回文學界新人賞を受賞した(乙14。なお、被告は、その後の平成18年に「沖で待つ」の執筆により芥川賞を受賞した。)。
 本件小説は、平成15年5月7日に文藝春秋から発売された文芸雑誌「文學界」(同年6月号)に掲載され(甲4、乙14)、次のような「選評」も掲載された。
ア 「主人公の女性が係わる複数の人物達がそれぞれ魅力的に描出されたところに安定した力量を感じさせ、・・・破格のパワーが感じられない点は不満であったけれど、逆に『巧さ』はかえると考え、受賞作とすることに積極的に賛成した」(乙14、「O」選評)
イ 「主人公のやさぐれ方に魅力がある。絵描き、精神科通い、無職と来たら、あの恐怖の自分探し小説になってしまいがちだが、この作者は、そんな野暮なことなど主人公にさせない。正当にぐれていて、あっぱれだと思う。この、ぐれるの定義は、中島義道氏の『ぐれる!』(新潮新書)にもとづくものです。ああ、私も、もっとこの主人公のように、すっぱり、ぐれてしまいたい。」(乙14、「I」選評)
ウ 「この小説には、さまざまな人間たちが登場する。誰もが問題を抱えた半端者なのだが、奇妙にリアリティがあり、またそれぞれに魅力的だ。・・・高いハードルに挑んだ作品ではないかもしれないけれど、まず過剰な自意識や情念を捨てるという意味では、これはこれでよかったのではないか。」(乙14、「A」選評)
エ 「文學界新人賞に応募してくる書き手はそれぞれの流儀でグレてはいるがグレ方が足りない。・・・受賞作の『イッツ・オンリー・トーク』は候補作の中ではもっとも狡猾な語りのスタイルを採っている。『ヤリマン』のヒロインのヤサグレ具合も魅力的である。誰とでも寝る非生産的女性の生態報告としてもよくできている。バブルの恩恵に与った女の世の中をナメた態度は普通、顰蹙を買うものだが、このヒロインは自分探しさえも投げており、EDの都議やプータローの従兄弟に対して妙に優しかったりするので、つい好感を抱いてしまった。選考委員のあいだでは、もさっとした四十四歳の、博多弁丸出しの従兄弟の人気が高かった。」(乙14、「D」選評)
オ 「『蒲田』というまちが舞台で、風狂な人物たちが『私』の中で(文字どおり『私』の体の中で)交錯する。まるで揺れる水の中に射し込んだ光が妖しげに屈折するのをみるようだ。このような風俗に馴染みがなくても、体験や経験の質や様相が違っていても、読んでいて違和感を全く覚えないのは、作者の視線が滞っていず、人物や風景との距離がよく計られていて、おまけに愛情というか、いとおしみというか、とにかく何かそのような滾るもので対象を遇しているからだ。辛辣さもユーモアもそこから出てきて、結局、読む方もその目を通して、見るよろこびを与えられる。この視点以外から見る必要を感じない。いい小説には必ずこの唯一感があって、どうやらこれが小説の自由を保証するものらしい。」(乙14、「T」選評)
(2) 本件小説を読んだM(ステューディオスリー所属の映画プロデューサー)は、平成15年5月20日ころ、文藝春秋(文學界編集長)に対し、本件小説を映画化すること(監督はH、主演はK)を企画しているので検討してほしい旨の文書をファクシミリで送信した(乙1、21)。
(3) 被告は、平成15年6月27日ころ、Mの勧めに従い、文藝春秋の担当編集者Nと共に、H監督の新作映画「ヴァイブレータ」(原作はB、脚本は原告X、プロデューサーはM、主演はJ[乙1])の試写を見たところ、原作の文学的な色合いを損なったりセリフを大幅に書き換えたりしない、原作に忠実な映画化であると感じて安心したこと、Kが主演するとの企画であったことから、文藝春秋に対し、本件小説に係る映画化の協議をMとの間で行うことを委託した(乙21)。
 他方、原告X(第3回日本アカデミー賞優秀脚本賞等の受賞脚本家。主な映画脚本は、「赫い髪の女」「神様のくれた赤ん坊」「ワニ分署」「遠雷」「Wの悲劇」等)、M及びH監督も、平成15年7月ころ、「ヴァイブレータ」に続く作品として、予定主演女優のKの内諾を得た上で、本件小説を原作として本件映画を製作することを正式に決定した(甲5、11)。
(4) そして、文藝春秋とステューディオスリーは、平成15年9月11日、「著作権使用予約完結権契約」を締結した(乙2)。同契約は、被告から著作権の管理権限を授与されている文藝春秋がステューディオスリーに対し、本件小説を原作として本件映画(35o光学フィルム又はデジタル上映による劇場用実写映画)を製作することに係る許諾を受けるための予約完結権を与えることなどを内容とするものであった(乙2)。
(5) 原告Xは、平成16年5月までに、本件小説を原作とする本件映画の脚本(同月28日印刷の準備稿、甲12)を執筆した。Mは、同月下旬、Nに対し、上記脚本(準備稿)を手渡して、被告による速やかなチェックを依頼するとともに、本件映画の今後のスケジュールについて、「被告のチェックを反映させた脚本の完成稿を同年6月に作成し、同月20日にクランク・イン、同年7月20日にクランク・アップ、同年9月に完成、平成17年5月に劇場公開を目指している」旨説明した(甲20、乙21)
(6) これに対し、Nは、契約締結後6か月以上も音沙汰がなかったのに1か月後にクランク・インとは随分急な申し出であると感じたが、Mに対し、被告と上記脚本(準備稿)を確認した上、同年6月第1週を目処に連絡する旨回答した(乙21)。
 そして、被告とNは、上記脚本(準備稿)をチェックした結果、原作の設定やストーリーを逸脱するものとして看過することのできない点が多数含まれていることを確認したことから、Nにおいて、Mに対し、平成16年5月28日付けのファクシミリ文書(乙3)により、多数の問題点のうち、次のアないしウの3点については原作者としては絶対に譲ることができないので、脚本を変更してほしい旨を申し入れた(乙21)。
ア ラストの音楽は「エレファント・トーク」(キング・クリムゾン/ディシプリン収録)でないと作品自体の意味がない。この点は絶対にお願いしたい。ジャニスはクリムゾンの対極にある。
イ 主人公の優子は、東京の女だからこそ、蒲田に住んであの作品のような感慨がある。地方出身であればああはならない。方言をしゃべらせるのは止めてほしい。
ウ 被告が日常出入りする居酒屋の店名が出てくるが、影響を考慮して店名を替えてほしい。被告自身のプライベートにかかわることなので、居酒屋のロケは全く別の土地で行ってほしい。
(7) これに対し、Mは、約2か月後の平成16年7月下旬ころ、Nに対し、「本件映画の主演がKからJに変更になった。Kは、脚本に不満があるため、主演を降りた。」旨の電話をしただけであり、同年10月になって、ようやく本件映画の脚本(平成16年10月20日印刷の第2稿、甲1)をNに送付した(乙21)。
 上記脚本(第2稿)においては、被告からの前記変更の申入れを受けて、次のアないしウのとおり準備稿(甲12)から改められていた(甲20)。
ア ラストの音楽について、準備稿では「ジャニス・ジョプリンの『A Woman Left Lonely』」と指定されていたところ、第2稿ではその指定が削除されていた。
イ 優子が使用する方言について、一部が修正されていた。
ウ 被告指摘の居酒屋の店名については伏せ字(「×××」)にされていた。
(8) Nは、上記脚本(第2稿)を被告に転送し、その内容について被告と協議した結果、平成16年10月20日、Mに対し、次のアないしウのとおり問題点を指摘するとともに、上記脚本(第2稿)での映画化は絶対に認められず、原作に忠実なシナリオに変更するのでなければ映画化の話は中止してほしいとの要請をした(乙16、21)。
ア 優子が九州の言葉をしゃべるシーンは少し減ってはいるが、九州出身というシナリオ独自の設定は改められていない。シーン44(カラオケボックス)、46(駐車場)、63(優子の部屋)、64(優子の部屋)、65(焼肉屋)、67(アパート・優子の部屋)、70(祥一の運転する車が、蒲田の街に入っていく)、79(××湯・前)では方言をしゃべっている。
イ 被告の指摘した店名だけが割愛されているが、蒲田の町の描写は減っていない。また、被告個人のホームページからの引用も残ってしまっている。被告個人のホームページからの引用を許諾した覚えはない。ストリートミュージシャンについてのシーンなど、作家のプライバシーと作品を混同されかねない。
ウ 祥一(判決注:福岡在住の優子の従兄。なお、原作である本件小説では「林」姓であるが、本件映画の脚本では、優子と同じ「橘」姓となっている。)が話す九州の言葉が間違っている。作家として、方言の表現は厳密に考えており、いい加減な言葉づかいをしてほしくない。
エ シナリオ作者に躁鬱病についての正確な知識が欠落しており、統合失調症と躁鬱病との区別がついていない。デリケートな問題であり、このシナリオのまま映画化されると、作家としてマイナス面が多すぎる。
(9) 上記(8)の申入れに対し、Mは、平成16年10月末ころ、Nに対し、本件映画のクランク・インが迫っており、主演のJを初めとする俳優たちのスケジュールも確保していることを説明した上、H監督と被告が話し合いをして問題点を確認し、直すべきところは直すので、再考してほしい旨の申出をした(乙21)。
 そこで、被告は、平成16年11月7日、文藝春秋の会議室において、同社のN、G(版権業務部長)、S(版権業務部)も立会いの上、上記脚本(第2稿)について、M、H監督と協議をした(なお、被告は、原告Xの出席も求めていたが、原告Xは、同日の協議のことを知らされていなかったため、出席しなかった。)。この席上、被告は、H監督から「キング・クリムゾンは音楽使用料が高いので使えない。主人公(判決注:優子)は標準語で、幼なじみの男性(判決注:祥一)は博多弁で統一する。言葉遣いについては、脚本への『差し込み稿』を作成して被告に送るので確認してほしい。映画内で主人公が作成するホームページに出てくる飲食店は、店の了解を取ってから写真を当該ホームページに載せるようにする。その店のメニューは、映画スタッフがオリジナルで作成する。」等の説明を受けた。被告及びNは、H監督の上記説明に誠意を感じ、脚本に関する被告の疑問や不安についても善処してくれるのではないかと考え、@本件映画のタイトルを本件小説のタイトルから変更し、映画エンディングのクレジットで本件小説のタイトルを表記するときは、文字の大きさをできるだけ小さくし、かつ、「原作」としてではなく「Y『イッツ・オンリー・トーク』より」と表記すること、A被告は、本件映画に関するメディアからの問い合わせやインタビュー取材などを一切受けないこと、以上の2点についてH監督から了解を取った上で、クランク・インが迫っていた本件映画の製作については、不本意ながらも、これを承諾した(甲20、乙21)。
(10) 原告Xは、上記脚本(第2稿)に手直しをした脚本(甲13、平成16年11月16日印刷)を作成していたが、上記(9)の協議結果を踏まえ、優子が方言(九州の言葉)を使用するシーンをラストのシーン81(××湯・前)に限定し、それ以外のシーンでは標準語に統一することとして同脚本(甲13)にその旨の修正を手書きで施し、これを本件映画の撮影稿とした。また、被告の個人情報に関する問題については、撮影の中でHが対処することとされた(甲13、20、乙10。なお、平成16年11月16日印刷の脚本〔甲13〕及び上記撮影稿が被告に交付されたことを認めるに足りる証拠はない。)
(11) 文藝春秋とステューディオスリーは、平成16年11月中旬ないし下旬ころ、本件原作使用契約(契約書上の契約日付けは、平成15年9月10日)を締結した(乙4、21)。
(12) 本件映画は、監督をHとし、主演女優をJとして、平成16年11月から12月上旬にかけて、脚本である上記撮影稿に基づき、その撮影が行われた。そして、その編集作業中の平成17年1月7日、被告は、Nを介して、Mに対し、本件映画の脚本(第2稿、甲1)の問題点として、シーン19(洒落た焼き鳥屋)において、本間俊徳(優子の大学時代の同級生で都議会議員。以下「本間」という。)が優子に対し、日の丸、君が代に関する政治的な主義、主張を展開する場面が含まれていることを指摘し、その場面が本件映画に必要な描写とは思われないのにあえて挿入されていることからすると、原作者である被告が本間というキャラクターの口を借りてその個人的思想、信条を表現しているかのように誤解されてしまうおそれがあるとして、その改善を求めた(甲5、20、乙5)。
 脚本家である原告Xは、以上の原作者である被告の申入れに対し、原作者の不満は自分の書いた小説と違うというだけの不満で、よくあることだなどと受け止めていた(甲5、4頁)。
(13) 本件映画は、平成17年2月に編集作業を終えて完成し(なお、上記の日の丸、君が代に関する本間の政治的発言は、完成された本件映画からは削除された。また、本件映画の題名は、本件小説のそれとは異なり、「やわらかい生活」とされた。)、同年4月にシンガポール国際映画祭で上映された後(最優秀作品賞受賞)、平成18年6月10日から国内の一般劇場でも公開された(甲5、11)。
 原告協会は、上記の一般劇場公開に先立ち、本件映画の広告、宣伝のため、被告の許諾を得ることなく、機関誌である月刊「シナリオ」(平成18年7月号)に本件脚本を掲載して、これを頒布した。また、その掲載された脚本は、上記の撮影稿とほぼ同一であったが、ラストシーンに用いられる音楽について、撮影稿においては、原作者である被告からの「ジャニス・ジョプリンは、被告希望のキング・クリムゾンの対極にある曲だから、やはりキング・クリムゾンを使用してほしい。」旨の要望に対する解決策として、曲の指定をしないことと変更されていたのとは異なり、脚本家である原告Xのモチーフになった曲であるという理由により、「ジャニス・ジョプリンの『A Woman Left Lonely』が流れて、クレジットが上がってくる。」という指定が最初の準備稿のとおり復活して脚本末尾に書き加えられていた(甲20、乙10)。
 本件映画は、被告の許諾により、平成19年1月にDVDの販売とレンタルが開始された後、同年8月21日にはテレビで放送された(甲6、11)。
(14) 原告協会の年鑑代表シナリオ集編纂委員会は、平成19年3月ころ、平成18年度(2006年度)の「年鑑代表シナリオ集」に掲載すべき脚本の1つとして、本件脚本を選出した(甲2、6、7)。なお、本件脚本は、第9回日本シナリオ作家協会菊島隆三賞を受賞した(甲5)。
(15) 原告協会は、平成19年6月28日、Nに対し、原告協会から発行する平成18年度(2006年度)版「年鑑代表シナリオ集」に本件映画の脚本を掲載することの諾否について照会をしたが(乙6)、Nは、被告(当時、海外に長期滞在中)が本件映画の脚本を残したくないと明確に希望していることを確認した上で、同日、原告協会に断りの回答をした(甲11、14、乙21)。
(16) 平成19年7月19日、原告協会の会長(当時)C、事務局長Uが文藝春秋を訪問し、本件脚本を「年鑑代表シナリオ集」に掲載することについて許諾するよう要請したが、対応したN及び版権業務部(現知財法務部)部長Gは、出版社としては作者の意向を尊重せざるを得ない旨を説明した(甲6、11、乙22)。
 そこで、原告協会は、平成19年8月13日、Nに対し、本件脚本の「年鑑代表シナリオ集」への掲載に当たっては、原作者名を掲載せず、解説文においても原作(本件小説)に関して触れないことにすることでどうかという提案をしたが、Nは、被告の意思を確認した上、同月24日、原告協会に対し、「これまでどおり、『原作者としては、あのシナリオを活字として残したくない』という、強いご意志を示しておられます。理由としては、映画化の作業中に、何度も、シナリオを修正くださるように申し入れをしたのに、受け入れていただけなかったこと。出来上がった作品についても、原作者としては満足できないこと、を挙げておられます。原作者の意思がはっきりしている以上、原作者名を外しての収録もやめていただきたいと思います。」と回答した(甲6、乙7、21)。
 その結果、原告協会は、平成19年9月3日の理事会決議により、本件脚本を「'06年鑑代表シナリオ集」に収録することを断念し、同月11日、Nにその旨を伝えた(甲6、11、15、乙8)。
(17) 原告らは、平成20年4月、本件原作使用契約に第3条5項ただし書の規定があることを知ったことから(甲11)、同月7日ころ、原告協会がステューディオスリーに協力を求め、これを受けたステューディオスリーは、同年11月20日ころ、文藝春秋に対し、「本件につきましては、利用先である社団法人シナリオ作家協会の出版期日も迫っており、残念ながらあまり時間の猶予もございません。『原作使用許諾契約書』(平成15年9月10日付)の第3条第5項(8)に該当する利用につきましては、一般的な社会慣行並びに商習慣等に反するものではない限り許諾拒否はできないものと理解しておりますので、弊社と致しましてもその契約意図に沿う形で進めさせて頂きたいと考えております。また、当該許諾料に関しましては、できれば本件利用の文化的側面に照らし完成本の献本をもってご同意頂けると助かります。時間の制約もあり、当該出版利用並びにその条件等についてのご意見は、11月28日までにご連絡ください。なお、万が一、利用を許諾できない場合にはその理由を明記し、必ず文書で回答下さるようお願い致します。」との文書を送付した(甲6、乙9)。なお、原告らは、上記文書の送付に先立つ平成20年6月ころ、ステューディオスリーが文藝春秋に対し、本件脚本を「'07年鑑代表シナリオ集」に収録、出版することについての許諾を文書で申請したと主張し、それに沿った文書(甲8)を提出するが、その文書が文藝春秋に到達したと認めるに足りる証拠はなく、そのような文書を見たことがなかった旨のS(文藝春秋)の陳述書(乙22)の記載や、それまでの文藝春秋の丁寧な対応経過、甲8の文書には作成日付けがないことなどに照らし、文藝春秋が文書による上記許諾申請を受けていた事実を認めることはできない。
 平成20年11月の前記許諾申入れに対し、Sは、被告の意思を確認した上、同年11月25日ころ、Mに対し、本件脚本の掲載を許諾することはできない旨、電話で回答した(甲6、乙22)。
(18) 原告らは、平成21年3月17日、文藝春秋に対し、本件脚本の掲載を許諾しない理由について、2週間以内に説明を求める旨の質問状を送付した(甲10の1、2)。
 そこで、Sは、同月23日、Mと面会の上、上記(16)と同様、「被告の意思が固いので、出版社としてはこれ以上対応することができない。」旨を説明した(乙22)。
 その後も、原告らは、本件脚本の出版について、被告の許諾を得ることができなかったことから、本件脚本を「'07年鑑代表シナリオ集」に収録することを断念した(甲3)。
(19) 原告らは、平成21年7月14日、本件訴訟を提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(20) 原告Xは、本件訴訟において提出した陳述書において、次のように述べている。
 「素朴な疑問と怒りを『年鑑代表』掲載拒否に覚えましたが、それ以上にこれから脚本(原作付きの脚本)の仕事をする場合に、まず目指すことが、いいシナリオを書くではなく、原作者が気に入るシナリオを書くになってしまうことに絶望を感じました。悪いシナリオからいい映画ができることは決してあり得ないが、いいシナリオから悪い映画ができることはしばしばある、とは私たち、脚本家の間ではよく言われていることです。そのいいシナリオかどうかが原作者の私意、あるいは恣意に委ねられてしまうというのでは、シナリオの未来、映画の未来は絶望的だと言わざるを得ません。シナリオは原作のためではなく、映画のために書かれるものです。そこが分からない原作者は、映画化の申し入れを拒絶するべきだと思います。」(甲5、5頁)
 「被告は、『本脚本は、優子を嘘をつく女性に設定している』・・・『嘘をつく人物として優子を造形したことで、優子は精神を病み、虚言癖があり、社会通念に反するどうしようもない女性となってしまっている』・・・などと述べていることに対して、脚色の意図について説明したいと思います。・・・私はこの原作をもうひとつ別の人生を仮構することで生きていかざるを得ない人たちの話だと読みました。嘘の人生を作らなくては、現実がシンドすぎてやってられないということです。・・・つまり、両親は阪神大震災で死に、彼氏は地下鉄サリン事件で死に、友だちはニューヨークの9・11テロで死んだ、だから私は躁鬱病になった、という嘘で、誰だってそんな目に遭えば病気になるのあたりまえでしょ、と自分を『肯定』あるいは『正当化』して、かろうじて『病気』とつきあって生きている女にしたのです。」(甲22、1 頁〜3頁。なお、乙10の27頁参照)
 「小説家と脚本家、同じ字を書いて表現することを業とする者です。E氏のこの『映画化を前提として書かれたもの(判決注 シナリオ)が、映画の原作である』という考え方は、尊敬に値します。そして、私たち、原作小説を脚色する脚本家をどんなに勇気づけることでしょう。私は『脚色とは原作の読み替えであり、原作への批評なのだ』という先輩脚本家F氏の言葉を指針にしてきたし、これからもそうしたいと思っています。」(甲22、10頁)
(21) 原告協会の元会長C(平成15年ないし平成21年在任)は、本件訴訟において提出した陳述書において、次のように述べている。
 「映画として公開され、海外で高い評価を得、DVD発売、テレビ地上波での放送と、既に社会的な認知を受けている作品でありながら、文字としての掲載だけを認めないという原作者の姿勢は、脚本家の団体としては看過できない重大問題であります。・・・原作を映画化する場合、脚本執筆の段階での原作の改変は避けて通れない筋道です。もし、改変されることが嫌だというのであれば、当初から映画化の申し込みを受けなければいいのです。」(甲6、9頁)
2 出版差止請求権不存在確認の訴えにおける原告Xの訴えの利益(本案前の答弁)について
 原告Xの出版差止請求権不存在確認の訴えについては、原告Xに訴えの利益を認めることができず、これを却下するのが相当である。
 すなわち、原告Xが被告に対して確認を求めた内容は、「原告協会が、本件脚本を本件書籍に収録し、出版しようとする行為について、被告が原告協会に対して行使することが予想される差止請求権」の不存在である。本件脚本を本件書籍に収録して出版しようとする主体は、原告協会であって、原告Xではない。原告Xは、本件脚本の著作者であり、本件脚本を本件書籍へ収録して出版する原告協会の行為が禁止されるか否かによって、影響を受けることはあり得るが、それは事実上のものである。また、本件においては、原告協会が、本件脚本を本件書籍に収録し、出版しようとする同原告の行為について、被告の原告協会に対する差止請求権不存在確認請求等を、現に提起しているのであるから、出版行為の主体ではない原告Xが、被告の原告協会に対する出版差止請求権の不存在について、即時に確定させる必要性があるとはいえず、原告Xに当該訴えの利益を認めることはできない。原告Xの被告に対する当該確認の訴えを却下するのが相当である。
3 権利濫用の主張について
 当裁判所は、「原告協会が、原著作者である被告の許諾を得ることなく、本件脚本を本件書籍に収録し、出版しようとする行為について、被告が許諾を与えないことは権利濫用に当たる」旨の原告協会の主張(なお、原告協会によれば、「原告協会の被告に対する出版妨害禁止請求及び出版差止請求権不存在確認請求において、被告が、同法28条、112条1項に基づく出版差止請求権を有すると抗弁として主張することは、権利濫用に該当するとの再抗弁の主張」と整理されるが、その趣旨は、同様である。)は、理由がないと判断する。その理由は、以下のとおりである。
(1) 前記1項で認定した事実によれば、@N(被告の代理人である文藝春秋の担当編集者)は、平成15年9月に著作権使用予約完結権契約が締結されてから約8か月も経過した平成16年5月下旬になってようやく本件脚本の第1稿を示され、6月20日のクランク・インを前提とする早急な点検要請に対応して、被告と打合せの上、原作に忠実ではないと感じた脚本内容のうち、3点に絞って変更の要請とその具体的理由をステューディオスリーに対して申し入れたものの、約2か月後に、予定の主演女優が脚本内容への不満を理由に降板して別の女優に変更されたとの電話連絡を受けたのみであったこと、Aその約3か月の平成16年10月20日になってようやく本件脚本の第2稿が被告に示されたが、被告の前記指摘に沿って変更がされていなかったことから、被告及びその意向を受けたNは、即日、ステューディオスリーに対し、再び具体的な理由を述べながら、原作に忠実なシナリオに変更するのでなければ映画化を中止してほしいとの要請をしたこと、Bこれに対し、ステューディオスリーは、本件映画のクランク・インが迫っており、主演俳優等のスケジュールも既に確保してあるから、H監督とも話し合って、是非とも映画化を承諾してほしいと強く要請したこと、Cそこで、被告は、H監督らと話し合った上、同監督自身の対応には誠意もみられたことから、多数の関係者に大きな混乱を生じさせることを回避するために、不本意ながら本件脚本に基づく映画化を許諾したこと、以上の事実経過が認められる。
 このように、被告は、ステューディオスリーにより一方的に設定されたスケジュールを根拠に時間を急がされながらも、具体的な理由を述べて、本件脚本が原作者である被告の意には沿わないものであることを終始一貫して示し続け、原作者として譲れない点に絞って変更を申し入れていた。そして、本件において、被告が著作権の行使に藉口して過大な利益を得ようとか、第三者に不必要な損害や精神的苦痛を与えようなどといった不当な主観的意図を有していることを疑わせるような事情は一切見当たらない。
 また、被告が本件脚本の掲載出版に対する許諾を拒否した理由は、小説の原作者として譲れない点に絞った変更を申し入れ続けていたにもかかわらず脚本家側から誠意ある脚本の変更がされなかったと被告が感じていた点にあるものであって、本件脚本の本件書籍への収録出版を許諾しないことによって守られる、本件小説に込めた被告の原作者としての思想、信条、表現等や被告のプライバシーに係る不安が、原告協会主張の本件脚本の文化的、公共的価値等に比較して小さな利益にすぎないものということはできない。
 以上によれば、原告協会が本件脚本を本件書籍へ収録して出版することについて、被告が許諾を与えないこと(すなわち、原告協会の整理によれば、被告が原著作物の著作権者として著作権法28条、112条1項に基づく出版差止請求権を有する旨を抗弁として主張すること)は、正当な権利行使の範囲内のものであって、権利濫用には当たらないというべきである。
(2) 権利濫用に係る原告協会の個別的主張について
ア 被告のステューディオスリーに対する許諾のみが不足していることについて原告協会は、原告協会が本件書籍に本件脚本を掲載する上で、不足している許諾は、本件小説の著作者である被告の許諾のみであることを権利濫用を基礎付ける事情として主張する。
 しかし、原告協会の上記主張は採用の限りでない。すなわち、被告は、二次的著作物である本件脚本の原著作物の著作者として、本件脚本の利用に関し、原告Xが有するものと同一の種類の権利を専有している以上(著作権法28条)、本件脚本の掲載出版に対する諾否の自由を有しているのであって、被告以外の関係者が本件脚本の掲載出版に対して許諾を与えていることがあったとしても、それによって被告の権利が剥奪されることにはならないから、原告協会の上記主張は、権利濫用を基礎付ける事情としても、採用の限りでない。
イ 許諾権は「一般的な社会慣行ならびに商慣習等」により制約され、許諾拒否は極めて例外的な事例であるから、原告Xの許諾への期待は当然であることについて
 原告協会は、被告の許諾権は本件原作使用契約(乙4)第3条5項ただし書に基づき「一般的な社会慣行並びに商慣習等」により制約されており、かつ、許諾の拒絶は少なくとも極めて例外的な事例であり、原告Xが、脚本の出版について、著作権使用料を支払うことにより原則として許諾されるものと理解し、期待したことは当然であることを、被告の権利濫用を基礎付ける事情として主張する。
 しかし、原告協会の上記主張も、採用の限りでない。すなわち、@原告協会は、本件原作使用契約の当事者ではなく、その契約条項の効力を援用することはできないから、権利濫用を基礎付ける事情としても、本件原作使用契約の条項を援用することはできない。また、Aその点を除いても、原作者が映画化について許諾をした以上、脚本の掲載出版についても許諾をする一般的な社会慣行及び商慣習があると認めるに足りる証拠はないから(乙12、13)、そのような社会慣行等の存在を前提とする原告協会の上記主張は採用の限りでない。さらに、B映画の脚本の本件書籍への掲載出版の拒絶が極めて例外的な事態であったとしても、そのことをもって著作権法28条に基づく原著作物の著作者の諾否の自由が奪われるものではないから、被告以外の関係者が許諾済みであることが被告の権利濫用を基礎付ける事情になるともいえない。そして、被告が本件原作使用契約の締結により本件小説の映画化や、そのDVD化やテレビ放送の許諾をしていたとしても、それらは、あくまでも「映像化」及びその上映宣伝等に必要な範囲での許諾であると通常は理解されるのであって、本件脚本を本件小説と同様の「活字」による創作物として外部へ独自に発表することに対する許諾を当然に含むものであるとは理解されないから、被告が本件映画の製作やDVD化、テレビ放送を許諾したことによって、本件脚本の出版についても被告の許諾を得られるのではないかとの期待を契約当事者ではない原告Xらが抱いたとしても、それは、事実上の期待にすぎないものであって、法律上保護されるべきものであるとはいえない。
 なお、本件原作使用契約書の第3条5項ただし書、(8)項において、「一般的な社会慣行ならびに商慣習等に反する許諾拒否」(ただし書)は、「脚本の全部・・を使用した出版物を作成し、複製、頒布すること。」について行わないと合意されている点について検討してみても、その文言に照らせば、「一般的な社会慣行ならびに商慣習等」に反しなければ「許諾拒否」を行うことが原著作物の著作者になお留保されているものと意思解釈するのが相当である。そして、本件においては、前記認定の事実経過に照らせば、被告の許諾拒否が「一般的な社会慣行ならびに商慣習等」に反したものであるということはできないから、前記約定の存在を考慮しても、なお被告の許諾拒否が権利濫用に当たるということはできない。
ウ 本件書籍の文化的意義等と比較して本件脚本の掲載出版阻止によって得られる被告の利益が小さいことについて
 本件書籍の文化的意義等と比較して本件脚本の掲載出版阻止によって得られる被告の利益が小さいとはいえないことは、前記(1)で説示したとおりであるから、この点に係る原告協会の主張も、採用の限りでない。
4 結論
 以上によれば、@当審において拡張された原告Xの差止請求権不存在確認の訴えについては、訴えの利益を欠くからこれを却下するのが相当であり、A原告協会の本件脚本の収録出版に係る妨害排除請求については、被告の出版差止請求権存在の主張(抗弁の提出)は権利濫用には当たらないから、原告協会の同請求を棄却した原判決の判断は相当であって、本件控訴は理由がないから、これを棄却するのが相当であり、B当審において拡張された原告協会の差止請求権不存在確認請求についても、被告の出版差止請求権存在の主張(抗弁の提出)が権利濫用には当たらないから、原告協会の出版差止請求権不存在確認請求を棄却するのが相当である。
 よって、主文のとおり判決する。

知的財産高等裁判所第3部
 裁判長裁判官 飯村敏明
 裁判官 齊木教朗
 裁判官 武宮英子


(別紙)著作物目録
 題名 やわらかい生活
 作成時期 平成18年(2006年)5月
 掲載誌 雑誌「シナリオ」平成18年(2006年)7月号
 原作 イッツ・オンリー・トーク

(別紙)書籍目録
 題名 '10年鑑代表シナリオ集
 編者 社団法人シナリオ作家協会(原告)
    年鑑代表シナリオ集編纂委員会
 発行所 社団法人シナリオ作家協会(原告)
 発行日 2011年9月(予定)
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