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【事件名】日立金属元社員の“発明の対価”請求事件(2)
【年月日】平成16年4月27日
 東京高裁 平成15年(ネ)第4867号 「窒素磁石」に係る発明の対価請求控訴事件
 (原審・東京地裁平成14年(ワ)第16635号)
 (平成16年1月15日 口頭弁論終結)

判決
控訴人兼被控訴人 X(以下「1審原告」という。)
訴訟代理人弁護士 石本哲敏
同 高橋雄一郎
同 森川清
補佐人弁理士 辻丸光一郎
被控訴人兼控訴人 日立金属株式会社(以下「1審被告」という。)
訴訟代理人弁護士 飯田秀郷
同 栗宇一樹
同 早稲本和徳
同 七字賢彦
同 鈴木英之
同 大友良浩
同 隈部泰正
訴訟復代理人弁護士 戸谷由布子


主文
1 原判決中、1審原告敗訴部分を、本判決主文第2項に反する限度で取り消す。
2 1審被告は、1審原告に対し、平成16年10月末日限り、金136万2000円及びこれに対する平成16年11月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 1審原告のその余の控訴を棄却する。
4 1審被告の控訴を棄却する。ただし、原判決主文1項の「1128万8000円」中の内金「82万5000円」に対する付随金の支払の起算日を「平成14年11月1日から」と改める。
5 訴訟費用は、第1、2審を通じ、これを16分し、その1を1審被告の負担とし、その余を1審原告の負担とする。
6 この判決の第2項、第5項は、仮に執行することができる。

事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 1審原告
(1) 原判決中、1審原告敗訴部分を取り消す。
(2) 1審被告は、1審原告に対し、7846万1000円及びこれに対する平成14年8月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(3) 1審被告の控訴を棄却する。
(4) 訴訟費用は、第1、2審とも1審被告の負担とする。
(5) 仮執行宣言
2 1審被告
(1) 原判決中、1審被告敗訴部分を取り消す。
(2) 上記部分に係る1審原告の請求を棄却する。
(3) 1審原告の控訴を棄却する。
(4) 訴訟費用は、第1、2審とも1審原告の負担とする。
第2 事案の概要
 本件は、1審被告の従業員であった1審原告が、1審被告に対し、在職中にした発明につき、特許法35条3項に基づく相当の対価の支払を請求し、原判決がその一部を認容しその余を棄却したのに対し、当事者双方が、これを不服として、控訴を提起した事案である。
 当事者の主張は、次のとおり付加・訂正するほか、原判決の「事実及び理由」の「第2 事案の概要」、「第3 争点に関する当事者の主張」のとおりであるから、これを引用する。
 当裁判所も、「本件特許1」、「本件特許2」、「本件特許3」、「本件各特許」、「本件各発明」、「被告規程」、「本件ライセンス契約(1)」、「本件各ライセンス契約」、「被告研究所」の語を、原判決の用法に従って用いる。会社名については、株式会社等を含む正式名称ではなく、略称を用いる。
1 当審における1審原告の主張の要点
 原判決は、1審原告の請求について、本件各発明について特許を受ける権利の承継の対価は1128万8000円が相当であると認定した。しかし、原判決のこの判断は、誤った認定判断に基づくものである。
 1審原告は、当審では、本件各発明の特許を受ける権利の承継の相当の対価は、8974万9000円であると主張して(このうち1128万8000円は、原判決が認容した分である。)、その支払を求めるものである。
(1) 「使用者等が受けるべき利益の額」について
 原審は、本件各特許に関する実施料収入額を、一時金1億1500万円及び平成10年9月から平成14年5月までのランニングロイヤルティ824万8637円、合計1億2324万8637円と認定した。しかし、この認定は、次のとおり、変更されるべきである。
(ア) 平成14年6月以降の実施料収入
 1審被告は、本件各特許に関し、平成14年6月以降平成15年11月までの間に、住友金属鉱山及び日亜化学から、合計1462万4750円のランニングロイヤルティを取得している。1審被告は、控訴審において、上記金額を「使用者等が受けるべき利益の額」として追加的に主張する。
(イ) 東芝からの実施料収入
 1審被告は、東芝との間で平成14年5月14日に本件各特許に係る通常実施権許諾契約(以下「本件ライセンス契約(3)」という。)を締結したときに、本来、一時金6000万円を取得するべきであったにもかかわらず、不当にも、一時金を1000万円に減額し、ランニングロイヤルティをゼロとして同契約を締結した。しかし、窒素磁石市場の有望性並びに住友金属鉱山及び日亜化学との各ライセンス契約における最恵国待遇条項の存在に照らすと、たとい、本件各特許の残存期間が1年半しか残っていなかったとしても、この実施料は不当に低い額というべきである。上記1000万円に加えて、5000万円を、特許法35条4項の「使用者等が受けるべき利益の額」として算入すべきである。
 仮に、この主張が認められないとしても、1審被告は、東芝との間で本件ライセンス契約(3)を締結したときに、当時の取締役らが、その重過失によって、東芝に対して5000万円の免責を与えたことに基づき、同取締役らに対し、同額の損害賠償債権を取得していると評価することができる。したがって、上記5000万円は、「使用者等が受けるべき利益の額」に算入するべきである。
(ウ) 自己実施分について
 本件では、1審被告の自己実施による利益をも、「使用者等の売上高×実施料相当額」により算出して、「使用者等が受けるべき利益の額」に算入すべきである。
 第三者は、本件各特許について本件各ライセンス契約を締結し、1審被告に対しロイヤルティを支払うことにより、その製造原価が実施料の分だけ引き上げられることになる。特許権者は、当該第三者との関係では、当該実施料の分だけ製造原価の面で優越的な地位を築くことになるのである。このことからすれば、1審被告は、本件各特許を承継し、独占的地位を得たのであり、その価値は、自己実施分についてみても、第三者と同じ一時金相当額及び同率の実施料率により、算定されるべきである。
 1審被告は、本件各特許の満了日までの間に、本件各特許を実施した製品(窒素磁石)を販売し、その販売額は、1億8907万6373円である。1審被告の自己実施に対する「使用者等が受けるべき利益の額」は、一時金相当額5000万円とランニングロイヤルティ(売上げの3%)相当額567万2291円の合計額5567万2291円とすべきである。
(エ) まとめ
 以上を合計すると、本件各特許に関して「使用者等が受けるべき利益の額」は、少なくとも2億4354万5678円である。
(2) 「使用者等が貢献した程度」について
 原判決は、1審被告が本件各発明がされるについて貢献し、また前記利益を受けるについて貢献した程度としては、全体の約90パーセントである、と認定した。しかし、原判決が、その評価をするに当たって考慮した事情には多くの事実誤認があり、また、これらの事実の評価にも誤りがある。
(ア) 1審被告の職歴
 原判決は、「原告は、・・・昭和56年9月21日以降第五研究室に在籍していた間は、希土類磁石の研究に従事していた。」(原判決書17頁3段)と認定した。しかし、1審原告は、昭和58年10月25日までは希土類磁石の研究をしたことがなく、同月26日に至って、初めて、住友特殊金属のAが開発した希土類−鉄−ボロン磁石の追試実験を行う1審被告社内のプロジェクトに参加することになったのである(甲40)。なお、1審の第7回口頭弁論調書の弁論の要領欄には、1審原告の陳述として、「右被告準備書面(5)(15・5・6付)記載の事実は認める。」と記載されており、被告準備書面(5)には、「昭和56年9月21日以降第五研究室に在籍していた間は、希土類磁石の研究に従事していた」との主張事実が記載されているため、上記事実は、一見すると争いのない事実のようにも見える。しかし、1審原告は、1審において本人訴訟で訴訟行為をなしていたものであり、上記陳述は、十分な理解の下になされたものではない。いずれにせよ、原判決の上記認定は、上記証拠に照らし明らかに誤りである。
(イ) 1審被告研究所のプロジェクトと1審原告のそこでのテーマ
 原判決は、「使用者等が貢献した程度」の認定に当たり、「ことに」考慮する事情として、「A 本件各発明当時、原告も参加した被告研究所のプロジェクトにおいて新磁石探索が研究テーマの一つとされ、新規磁性材料の開発・発明をすることが期待されており、原告はその中で本件各発明を行ったこと」(原判決書29頁下から3行〜30頁1行)を挙げている。しかし、たとい、「新磁石探索が研究テーマの一つとされ」ていたとしても、新磁石そのものが極めて抽象的なスローガンにすぎず、そもそも、窒素磁石は、その「新磁石」として想定もされていなかったのである。上記Aの事実を1審被告の貢献として考慮するのは誤りである。
 1審被告の当時のプロジェクトにおいては、窒素磁石について何ら関心を持たれておらず、1審原告は、当時の上司の指示どおり、希土類−鉄−ボロン磁石において、ボロンの量を増量させて特性を測定する実験研究をしていただけである。
(ウ) 本件各発明の着想
 原判決は、本件各発明がされた経緯として、「原告は、以前東北大学のB教授の論文において、鉄−窒素(Fe−N)化合物が高飽和磁気モーメントを持つことが発表されていたことや、被告研究所において原告も発明者の1人として行った鉄−クロム−コバルト(Fe−Cr−Co)磁石に関する研究において、窒素(N)が吸収されたことをもとにして、昭和58年11月初めころ、本件各発明の着想を得た。」(原判決書19頁末段)と認定した。
 しかし、1審原告は、名古屋大学大学院工学研究科修士課程にあった当時、昭和43年12月4日から6日まで、同大学において東北大学のB教授の窒化鉄に関する集中講義を受講していたところに、昭和58年6月3日、住友特殊金属のNEOMAXに関する新聞記事に接し、上記記事には添加物に関してボロンの記載がなかったことから、とっさに添加物が窒素であると想像し、希土類−鉄−窒素磁石についての発明の着想、すなわち、本件各発明の着想を得たのである。「昭和58年11月初めころ、本件各発明の着想を得た」わけではない。本件各発明の着想に対する1審被告の貢献はない。
(エ) 本件各発明に関する実験経過
 原判決は、本件各発明に関する実験経過として、「原告は、被告の測定装置等を使用してその実験を行ったところ、飽和磁化が増加し、かつ保磁力が得られることを確認した。」(原判決書20頁1段)と認定し、「使用者等が貢献した程度」の認定に当たり「ことに」考慮する事情として、「E 本件各発明の実験等は、被告の測定装置等を利用して行われたこと」(原判決書30頁9行、10行)を挙げている。
 しかし、1審原告が本件各発明の着想を検証するために行った実験は、アーク溶解、電気炉、VSMといった、大学の実験室には必ず備え付けられている程度の1審被告の装置を利用してのことにすぎない。このような実験に要する費用は、極めて安価であり、10万円を超えることはあり得ない。このような実験を行った事実を、重要視すべきではない。
(オ) 当初の特許出願の経緯
 1審原告は、昭和58年12月12日に本件各発明に関する特許出願明細書の原稿を完成させ、1審被告の特許部門の担当者はこれに何ら手を加えることなくそのままタイプして出願した。原判決は、この事実を十分に評価していない。
(カ) 本件特許1の審査請求と補正
 1審被告の特許担当者は、平成2年12月19日、発明の構成が不明確な特許請求の範囲を起案し、審査請求と同時に補正をした。1審原告も、このときに補正書を起案し、同時に提出した。
 1審被告は、その後、発明の単一性の要件に違反するとの拒絶理由通知を受けて、これに応じる補正をしたものの、1審被告特許担当者が誤って特許担当者起案部分を残してしまったことから再度拒絶理由通知を受け、その後、特許請求の範囲第1項を1審原告起案のものに差し替えることによって、ようやく特許査定を受けたのである。原判決は、この事実を十分に評価していない。
(キ) 本件特許2及び3の出願
 原判決は、「被告は、本件特許3の明細書の請求項2及び実施例における希土類元素としてサマリウム(Sm)を追加した。また、同月24日付けの補正書において本件特許1について上記と同様の補正をした。なお、分割出願を行った際の明細書や上記補正書は、原告の了解を得て被告の特許部門の担当者が作成した。」(原判決書22頁2段)及び「特許が維持された本件特許2及び同3の最終的な明細書の内容は、原告が作成した当初明細書の実施例2ないし4を削除するなどの大幅な訂正がされたものである。」(原判決書23頁3段)として、あたかも、1審被告の特許部門の担当者が努力して特許請求の範囲や実施例を追加した結果、本件各特許が初めて有力なものとなり、一方で1審原告の起案に係る部分は削除されたかのように、認定している。
 しかし、原判決の上記認定は誤りである。特許請求の範囲についてみると、1審被告の特許担当者が追加した部分はことごとく拒絶理由通知の対象となって削除され、最終的に残ったものは、1審原告が当初起案した特許請求の範囲のみである。実施例についてみても、後に削除された各実施例は本件特許2、3の分割出願の際に1審被告の特許担当者が勇み足で付け加えたものであり、最終的に残された実施例は1審原告の起案に係る部分のみである。より具体的にいえば、次のとおりである。
 1審被告は,平成4年11月20日、本件特許1の分割に係る本件特許2及び3の出願を行った。その際の本件特許2の特許請求の範囲は、すべて1審原告の起案に係るものであり、本件特許3の特許請求の範囲は、1審原告起案部分と1審被告特許担当者起案部分とが混在するものであった。しかし、その後の審査において、1審被告特許担当者の起案部分はすべて削除され、1審原告の起案部分のみが残るに至っている。また、上記分割出願の際に、サマリウム等に関する実施例を追加したのは、1審被告の特許担当者である。しかし、その後の異議手続において、このサマリウム等に関する実施例はすべて削除され、残っている実施例は、1審原告の出願当初の起案に係るもののみである。
(ク) 本件特許2に関する審判官との面接
 1審被告の特許担当者らは、本件特許2の異議手続において、審判官から特許を取り消す意向である、との連絡を受け、特許権の維持に否定的な立場を取っていた。しかし、1審原告の主導で審判官との面接が実現し、1審原告が独力で準備した面接資料によって、審判官の本件特許2に対する当初の疑義は解消された。
 審判官は、その後、別の疑義により取消理由通知を発したものの、1審被告が、特許明細書から、特許担当者が追加したサマリウム等に関する実施例を削除し、1審原告が収集した文献とその起案に係る意見書を審判官に提出することにより、取消理由とされた疑義が解消された。
(ケ) 本件各特許の出願・維持費用
 原判決は、「使用者等が貢献した程度」として、「G・・・被告においても、出願費用や権利維持管理等の費用を含め相当の費用を費やし、その額が600万円にのぼることを原告も自認していること」(原判決書30頁下から9行〜8行)を挙げている。しかし、本件各特許の出願手続は、上記のとおり、もともと、1審原告の主導によってなされたものである。本件各特許の出願・維持費用も、多くとも151万7500円を超えることはない。本件各特許の出願維持費用は、自白の対象となる主要事実には当たらない上、上記認定は、明らかに真実に反するものでもある。
(コ) ライセンス契約締結の経緯
 原判決は、「使用者等が貢献した程度」として、「H 本件各ライセンス契約の締結のための交渉は、専ら被告の特許ライセンス部門の担当者により行われ、その経費が1233万2000円にのぼることを原告も自認しており、本件各ライセンス契約の締結及び実施許諾の対価の決定に当たっては、被告において窒素磁石の実用化のために多額の開発費を支出していたこと等も考慮されたものであること」(原判決書30頁下から7行〜3行)と判断している。
 しかし、ライセンス契約交渉のための費用が「1233万2000円」であるとの認定は誤りである。本件各特許は基本特許であり、他社の製品が本件各特許に抵触することは明らかであったため、他社はライセンス契約を締結せざるを得ない状況に置かれていたこと、本件各特許が業界において注目されていたこと、特許権の有効性についての議論は、異議申立手続において既に異議申立人との間で議論済みであったため、ライセンス先会社との間でこの点を議論する必要はなかったことなどから、1審被告にとって、ライセンス契約締結のための交渉は非常に楽なものであった。このような状況の下で、ライセンス交渉のための費用が20万円を超えるようなことはあり得ない。また、1審被告による研究開発費用の支出は、そもそもライセンス契約締結過程において考慮されるべき事項ではない。なお、ライセンス契約締結のための費用は、自白の対象となる主要事実には当たらない上、上記認定は明らかに真実に反するものである。
(サ) 東芝から受け取った一時金の額の不当性
 1審被告は、東芝との間の本件ライセンス契約(3)において、本来、同社から、6000万円の一時金とランニングロイヤルティとを取得すべきであった。ところが、一時金を1000万円まで減額し、ランニングロイヤルティの支払を不要として、一時金5000万円分とランニングロイヤルティ相当分を免責してしまった。これは、1審被告の経営判断上の重大な過失であり、「使用者等が貢献した程度」が極めて低いことを象徴するものである。
(シ) 本件各発明のパイオニア性
 本件各発明は、当時の技術常識とかけ離れた独創的なパイオニア発明であり、平成2年にC教授が学会で発表したことを契機として、学会でも産業界でも極めて高い評価を受け、その後の旭化成の改良発明を誘発したものである。本件各発明に係る窒素磁石は、磁力が強く、耐食性に優れ、耐熱性にも優れるなど、従来の磁石に比べ、多くの優位性を有し、ソニーのスピーカーシステムなど、多くの製品に使用されている。これは、使用者等が貢献した程度を引き下げる事由というべきである。
(ス) 1審被告が窒素磁石に関する評価を誤ったこと
 1審被告は、窒素磁石の重要性に気付かずその評価を誤ったため、本件各特許の当初出願がなされた昭和59年12月19日の2か月後の昭和59年2月21日に、1審原告を分析部門に異動させ、その後の研究の中止を余儀なくさせた。1審原告が、窒素磁石の研究を再開したのは、平成2年1月からである。そのため、1審被告は、窒素磁石の実用化が、住友金属鉱山などよりも遅れ、その売上げも伸びていない。
(セ) 発明者感情が害されたこと
 1審被告は、平成10年7月28日に、本件各特許取得を報道機関に発表する際に、1審原告にその内容を通知しておらず、特許ライセンス契約締結の事実も1審原告に伝えていなかった。これら事実によって、1審原告は発明者感情を害された。
(ソ) まとめ
 以上からすれば、「使用者等が貢献した程度」は、本件においては、20%から30%を超えることはないというべきである。百歩譲っても、50パーセントを超えるものではあり得ない。
(3) 「使用者等が貢献した程度」と無関係な事実
(ア) 1審被告が自己実施により利益を上げていないことについて
 原判決は、「使用者等が貢献した程度」を認定する資料として、「I 被告は、本件各発明の自社における実施により利益を上げるに至っていないこと」との事実を挙げている。しかし、1審被告が窒素磁石事業において利益を上げていないことは、過剰設備と技術力の不足という1審被告自身の問題であり、「使用者等が貢献した程度」の認定において考慮すべき事項ではない。
(イ) 1審原告の社内人事上の待遇について
 1審原告と同期入社した大学院卒7名の中で、1審原告を除く6名全員は、少なくとも平成8年4月よりも前に参事に昇格していた。1審原告は、それから5年以上を経た平成13年4月に至って、1審被告を退職するわずか3か月前に、参事に昇格したにすぎない。本件各特許に関するライセンス契約を契機として1審原告の昇格がなされたとしても、これは1審原告の労働者としての能力が正当に評価されただけのことであり、使用者等が貢献した程度とは無関係である。
(ウ) 本件特許1へのサマリウム限定の付加について
 本件特許1の特許請求の範囲第2項には、1審被告の特許担当者の起案に係るサマリウム(Sm)の文言が残存している。しかし、同第2項は、実施態様項であるにすぎず、1審原告起案に係る特許請求の範囲第1項がサマリウム−鉄−窒素磁石を含むことが明確である以上、本件特許1の権利範囲を何ら動かすものではなく、使用者等が貢献した程度とは無関係である。
2 1審被告の当審における主張の要点
(1) 割引キャッシュフロー法(Discounted Cash Flow method、DCF法)について
 特許法35条3項の「相当の対価」は、割引キャッシュフロー法の一種である、正味現在価値法(Net Present Value method、NPV法)を、過去にさかのぼって修正する方法により算定すべきである。原判決が1審被告の主張として記載したものは、確率計算法であり、修正した割引キャッシュフロー法とは異なる。
(ア) 「相当の対価の額」の決定には、権利承継時において予測される「使用者等が受けるべき利益」を考慮する必要があるから、将来の「使用者等が受けるべき利益」というインカム(将来キャッシュフロー)を推計し、その流列から正味現在価値を算定するDCF法の中のNPV法(以下、特に断らない限り、単に「DCF法」という)によることが相当である。DCF法は、いわゆるインカム・アプローチの一種であり、特許権の価値評価の手法として確立した考え方でもある。
 すなわち、DCF法は、資産価値を当該資産の耐用期間を通じて得られる純キャッシュフロー(受取キャッシュフローから支払キャッシュフローを控除したもの)の現在価値により評価する。換言すると、特許権からもたらされる将来の期待利益を予想し、それを現在価値に換算する方式であるということができる。
 このDCF法の三大要素は、以下のとおりである。
 資産が生み出す収入流列の総額
 収入流列がもたらされる期間の予想
 期待収益実現のリスクの予想
 これらは、次の公式により表すことができる。
 V :資産に起因する収入流列の価値
 CF:資産を利用することによって得られる純キャッシュフロー(正味現金流入額)
 i :資産の利用と期待収益獲得に伴うリスクを加味した資本化率で、事業や、経済状況や、規制状況などに関するリスクが反映されたもの
 n :経過年数
(イ) 特許権の純キャッシュフローを、算式で示すと次のとおりである。
 特許権の純キャッシュフロー =(全受取キャッシュフロー − 全支出キャッシュフロー)× 特許権の寄与割合
 すなわち、特許権が関係する事業全体を見て、当該事業による全売上げ(予想)額(自社による実施に基づく製造販売による売上げ及び他社ライセンスによる実施料収入)から、これに要する一切の費用を控除した残額が、特許権が関係する事業の総純キャッシュフローであり、これに特許権の寄与割合を乗じることにより特許権が寄与する純キャッシュフローが得られる。
 こうして得られた特許権が寄与する純キャッシュフローに基づき、DCF法によって評価基準時の現在価値を算出する。この場合に適用される割引率は多くの要素によって影響を受けるものである。その要素の主なものは、@インフレーション、A流動性、B実質金利、Cリスク・プレミアなどである。
 以上の算定により得られる特許権の評価基準時の現在価値は、当該特許権(特許を受ける権利)の市場において売却できる客観的な交換価値に相当する。次に、このようにして得られた特許権の現在価値について、使用者等が本来有する法定の通常実施権の価値相当分及びその発明がなされるについての使用者等の貢献度が控除される。こうして、発明者が貢献した度合いによる特許権の現在価値が得られるのである。
(ウ) 職務発明を譲り受けた使用者等が、これに関連する事業によって得た現実の利益(純キャッシュフロー)は、特許権の承継時においては将来の不確定要素として考慮されるものであるから、これを将来の収益として想定されたものであると仮定し直し、このような収益(「使用者等が受けるべき利益」)を実現するための確率(リスク)を考慮して、割引率を決定して権利承継時の時価額に割り戻すという修正が必要となる。
(エ) 本件における割引キャッシュフローアプローチに基づく具体的算定は、別紙のとおりである(なお、原判決に基づき「利益」を現実に受けた実施料額とし、これに対する費用の控除をしない場合のものである。)。発明者貢献度を5%とすべきであるから、これによると、「相当の対価」は、62万2109円である。なお、仮に発明者貢献度を10%とすると、「相当の対価」は、124万4217円である。
(オ) DCF法は、権利承継時において予測される使用者等の「受けるべき利益」というインカム(将来キャッシュフロー)を推計し、その流列から正味現在価値を算定するものであり、いわゆるインカム・アプローチの一種である。このようなDCF法自体は、特許権の価値評価の手法として確立した考え方である。
 このようなDCF法を基礎にして1審被告が主張する修正されたDCF法は、権利の承継時における客観的な経済的価値を算定するに当たり、権利承継後の事情である「会社が受けた利益額」を、「参考資料」として考慮するために、権利承継時における客観的に相当な対価として評価し直す作業を行おうとするものである。
(カ) 原判決の判断に従えば、企業は、たとい、発明者に対して「発明考案取扱規定」に基づく報奨金を支払っていても、発明者に支払うべき「相当の対価」については、最終的には裁判所の判断を待たなければならないことになる。しかも、その対価を決定する際に基準となる「使用者等の貢献度の程度」を決定する基準は、原判決からは明確でない。また、特許の権利期間が満了するまで、こうした発明報奨対価の金額は不確定の状態に置かれたままとなる。
 これは、企業として、将来同様の提訴を受けるリスクを抱えたまま、いいかえれば、発明者に対する不確定債務を抱えたままで経営を行わなければならないことを意味する。
 仮に、原判決の基準に従えば、このリスクを避けるためには、実施料収入の10%程度を発明者に支払うよう「発明考案規定」を改訂するか、将来の請求に備えて引当金を用意しておく必要がある。しかし、想定される負担金額は、企業経営にとって決して容認できる水準ではない。企業は、限られた経営資源の中で、しかも会計規則上及び会社法上(投資家からの監視等)の種々の制約があり、多額の引当金を準備しておくことにはおのずと限界がある。これらの点からすれば、1審被告が主張する修正されたDCF法に基づく算定方法こそが、「相当の対価」の具体的算定根拠として妥当なものである、というべきである。
(キ) 特許法35条3項の「相当の対価」の算定基準時
 特許法35条3項の「相当の対価」の算定基準時は、特許を受ける権利を承継した時点である。そうである以上、同条4項の「使用者等が受けるべき利益の額」は、その発明により現実に受けた利益を指すのではなく、受けることになると見込まれる利益、すなわち、使用者等が権利承継により取得したものの承継時における客観的な価値を指すことになるはずである。割引キャッシュフロー法は、この観点からみても正しい手法である。
(2) 原判決の算定方法の誤り
 仮に、何らかの理由により、特許法35条3項の「相当の対価」の算定方法として、割引キャッシュフロー法を採用しないことにする場合には、原判決が採用した算定方法、すなわち、承継の時より後に生じた事情である、使用者等が特許を受ける権利を承継して特許を受け、特許発明を排他的独占的に実施することによって現実に受けた利益、使用者等が発明を権利化し、独占的に実施し又はライセンス契約を締結するについて貢献したとの事情、その他証拠上認められる諸般の事情を総合的に考慮して、相当の対価を算定する、との判断手法によるべきであることについては、1審被告は、争わない。しかし、この判断手法によった場合でも、原判決には、次のような誤りがある。
(ア) 特許法35条3項の「相当の対価」は、その発明の価値から使用者等が取得した無償の通常実施権の価値を控除した残価値を基準とし、これに「その発明がされるについて使用者等が貢献した程度」を考慮して、割合的に割り引いたものをもって認識されるべきである。
 相当の対価 =(特許権の価値−法定通常実施権の価値)×発明者の貢献度割合
 この場合、特許権の価値は、使用者等が受けるべき利益を基に算定される。
 特許権の価値 =(発明に基づく事業の全受取収入−同全支出費用)×特許権の寄与割合
 法定通常実施権の価値は、法定通常実施権に基づき、使用者等が受けるべき利益を基に算定される。
 法定通常実施権の価値 =(通常実施権による実施に基づく事業の全受取収入−同全支出)×特許権の寄与割合
 特許法35条4項の「使用者等が受けるべき利益の額」は、特許発明が関係する事業全体を見て、当該事業による全売上額(自社による実施に基づく製造販売による売上げ及び他社へのライセンスによる実施料収入)から、これに要する一切の費用を控除した残額が、特許権が関係する事業の総利益であり、これに特許権の寄与割合を乗じることにより得られるのである。そして、これがそのまま特許権の価値となる。原判決が、「実施料は、職務発明の実施を排他的に独占することによって得られる利益にほかならない」(原判決書27頁6行〜7行)として、他の事業利益(損失)等を全く考慮しない判断をしたのは誤りである。1審被告が得た実施料から、本件各発明の実用化・事業化のために支出した費用や、窒素磁石に関連する特許の権利化及び維持のために支出した費用を控除して、本件各発明から得た「利益の額」を算定すべきである。
(イ) 「使用者等が受けるべき利益の額」について
 1審被告が支出した費用は、次のとおりであり、これらの費用は、本件各発明に基づく事業に要する費用に相当するから、本件各発明の実施料収入から控除しなければならない。
(a) 本件各特許の出願・維持費用 600万円
(b) ライセンス契約締結費用 1233万2000円
(c) 本件各発明のための研究活動費 528万円
(d) 本件各特許以外の特許の出願・維持費用 533万1000円
(e) 本件ライセンス契約(1)が締結されるまでの発明実用化費用 1億5000万円
(f) 本件各発明の被告における事業化費用(上記(e)を除いたもの) 2億9000万円
(g) 旭化成へのライセンス料支払 3044万8356円
 少なくとも、(a)、(b)及び(d)の各費用は、実施料収入を得るための直接経費であるから、これを本件各発明の実施料収入から控除しないとする原判決は誤りである。
(ウ)「使用者等が貢献した程度」
 原判決が1審被告の貢献の程度を判断する上で考慮すべき項目として掲げた@ないしJの具体的な事項については、首肯できる。しかし、原判決は、1審被告の貢献の程度として「全体の約90パーセントと認めるのが相当である。」(原判決31ページ)とすることについては、具体的な算定根拠を何ら示していない。1審被告のみが本件特許発明の事業化に伴うリスクを一方的に負担し、1審原告は、本件特許から何ら収入が得られないリスクを全く懸念することなく、たまたま実現した成果の一部だけを援用して、事後的に「相当の対価」を主張できるという意味で、1審被告の貢献の程度はもっと高く評価されるべきである。米国の一般民間企業における発明報奨水準及び欧州の調停事案に現れた発明者に対する報奨実績から判断しても、95パーセントを下ることはないというべきである。特許発明の事業化は高い失敗リスクを伴うものであり、投資の大原則である、ハイ・リスク、ハイ・リターン(ロー・リスク、ロー・リターン)の原則は、研究開発投資及びその成果である職務発明の対価についても適用されるべきである。
(エ) 原判決が認定した、1審原告が昇級しなかった場合の給与と、実際の給与の差額である358万9000円は、1審被告が1審原告に支払った報奨金103万7000円に加えて計算すべきである。
(オ) 1審被告は、1審原告に対し、平成15年10月に、追加報奨として10万円を支給し、報奨金は合計約113万円となった。
(カ) 1審原告は、至る所で自白の撤回をしている。すべて争う。いずれも自白撤回の要件を満たしていない。
第3 当裁判所の判断
 当裁判所は、1審原告の本訴請求は、次に認定する限度で理由があると判断する。その理由は、次のとおり付加、変更するほかは、原判決の「第4 当裁判所の判断」を引用する。
1 特許法35条3項の「相当の対価」の算定方法について
(1) 従業者等は、契約、勤務規則その他の定めにより、職務発明について使用者等に特許を受ける権利若しくは特許権を承継させたときに、「相当の対価」の支払を受ける権利を取得する(特許法35条3項)。ただし、その「相当の対価」の算定方法、算定基準時、支払時期等については、特許を受ける権利が、将来特許を受けることができるか否かも不確実な権利であり、その発明により使用者等が将来得ることができる利益もその承継時に算定することが極めて困難であることからすると、契約、勤務規則その他の定めにより、将来、当該特許が登録されたとき、第三者に実施許諾をしたとき、実施料収入を得たとき、若しくは、その独占的実施による利益を得たときなどに、その実績をみて、その都度、適正な対価を支払う旨を定めることは、合理性のあることというべきである。被告規程によれば、1審被告は、従業員に対し、職務発明の特許を受ける権利の承継時に定額の報奨金を支払うほか、1審被告が特許発明を実施し、その実施成績が顕著である場合、若しくは、第三者に特許発明の実施を許諾し、実施料収入を得た場合に、実績報奨を支払うこと、及び、実績報奨は1年単位で前年の4月1日から当年の3月31日までの1年間の実績に基づき毎年10月に支払うものとされている(乙1の1ないし4)。これによれば、上記「相当の対価」の算定は、上記定額の報奨金を除けば、特許を受ける権利等の承継の時期ではなく、毎年の実績報奨の支払時期に、当該特許の前年度の実績を評価した上でなされるべきことになる。被告規程におけるこのような実績報奨の定めは、「その実施成績が顕著である場合」の趣旨その他具体的な実績報奨の金額の定めについては、特許法35条の趣旨に照らして解釈することを要するものではあるものの、実績をみながら支払うとの基本的な考え方、及び、その考え方に基づく報奨金の支払時期等の定めが、上記法条の趣旨に何ら反するものではなく、これらの定めが同法条の下でも有効であることは、明らかというべきである。本件においては、「相当の対価」は、被告規程に照らし、1審被告が特許発明を実施し、その実施成績が顕著である場合、若しくは、第三者に特許発明の実施権を許諾し、実施料収入を得た場合に、これらの実績を前提として、「その発明により使用者等が受けるべき利益の額」及び「その発明がされるについて使用者等が貢献した程度」を考慮して定めるべきである。
 このような算定方法が定められている場合、従業者等がある時点において「相当の対価」の算定根拠として主張し得る、「その発明により使用者等が受けるべき利益の額」は、使用者等が既に受領した実施料を基にした額であると解すべきである(特許発明の独占的実施等による利益についても同様である。)。
 特許法35条3項の「相当の対価」は、「その発明により使用者等が受けるべき利益の額」と「その発明がなされるについて使用者等が貢献した程度」とを考慮して算定すべきである(同条4項)。しかし、「使用者等が受けるべき利益の額」が上記のとおりのものである場合には、「その発明がされるについて使用者等が貢献した程度」(同条4項)のみならず、使用者等が利益を受けたことに貢献した事情、職務発明に伴い従業員発明者が受けた人事上の特別の処遇、その他当該職務発明に関連する一切の事情を、いわば、「使用者等が受けるべき利益の額」を得るのに「使用者等が貢献した程度」として、考慮して算定すべきである。すなわち、上記のような場合には、使用者等が支出した特許発明の研究開発費等、文字どおり、「その発明がされるについて使用者等が貢献した程度」を考慮すべきであることは当然であるものの、これ以外にも、特許発明の出願・維持費用、実施料収入を得るために要したライセンス契約締結費用(この費用は、本来、「その発明により使用者等が受けるべき利益の額」を算定する際に、使用者等が得た実施料の額から差し引くべきものであると考えることも可能である。しかし、その費用の具体的金額の立証が困難である場合には、上記の意味での「使用者等が貢献した程度」の一つの事情に含めて判断することも許容され得るものというべきである(民訴法248条参照))、その他、諸般の事情を考慮して算定すべきである。なお、特許発明を事業化するための費用は、原則として、使用者等が当該特許発明を独占的に実施した事業により得た利益を算定する際に、事業収入から差し引くべき経費であり、実施料収入に関する経費として算定すべきものではない。ただし、特許法35条が、使用者等と従業者等との利害を調整する規定であることからすれば、使用者等が特許発明を事業として実施したことにより、多額の利益を得たのか、若しくは、多額の損失が生じているのか等の事情は、実施料収入について、使用者等が貢献した程度を算定する諸般の事情の一つとして考慮することができる、と解すべきである。
(2) 1審被告は、特許法35条3項の「相当の対価」は、割引キャッシュフロー法(正味現在価値法、NPV法)を修正した方法により算定すべきである、と主張する。
 割引キャッシュフロー法は、特許権若しくは特許を受ける権利等の知的財産権の承継時において、使用者等が当該権利により、将来「受けるべき利益」を予測して推計し、投資リスクを正当に反映した割引率を用いて、これを現在価値に換算する方法である。この方法は、特許権又は特許を受ける権利等の知的財産権を売買する際の当該特許権若しくは特許を受ける権利等の知的財産権の評価の手法としては優れたものということができ、現にそのように用いられているものである(乙23〜25、32、33)。
 しかし、職務発明に係る特許を受ける権利の対価については、本件の被告規程におけるように、将来における当該発明の独占的実施の状況及びライセンス契約による実施料収入の実際の状況をみて、その具体的な実績に応じて対価を算定するとの方法を定めている場合は、その算定方法によるべきであることは前記のとおりである。そして、このような算定方法が定められた場合には、1審被告が主張するような割引キャッシュフロー法を修正した算定方法を採る必要がないこと、むしろ、このような方法を採ることは許されないことが明らかである。すなわち、1審被告が主張する方法は、本件におけるように、実際に確定した実施料収入が既に発生し、これに基づき「相当の対価」を算定することが可能であるときにも、この算定をせずに、これらの確定収入を将来発生するかどうか不確実な実施料収入と同視して、所定の割引率を乗じて算定し、権利承継時の時価額に割り戻すという方法であり、既に確定的に発生した実施料収入を将来発生するかどうか不確定な収入とみなすとの点において不合理なものである。また、被告規程におけるように、職務発明に係る特許を受ける権利の承継の対価を、前年度に発生した実施料収入等を基にして、各年度に実績報奨金を支払うとの定めがある場合において、その定めの存在を合理的理由もなく無視するものである。1審被告の主張する方法は、特許を受ける権利等の承継時点において、将来、特許権として登録されるのかどうか、若しくは、将来、実施料収入等が発生するかどうかが不確定な段階で、当該権利の価値を算定する場合に採用し得る方法であるにすぎず、本件においては、採用する余地のないものというほかはない。
2 本件各発明の承継の「相当の対価」について
(1) 「使用者等が受けるべき利益の額」について
(ア) 1審被告は、住友金属鉱山、日亜化学工業及び東芝との間で、本件各特許について本件各ライセンス契約を締結し、実施料として、一時金合計1億1500万円及び平成10年9月から平成14年5月までのランニングロイヤルティ824万8637円の合計1億2324万8637円の支払を受け、また、1審原告に対し、平成13年10月までの間に、実績報奨金として103万7000円を支払った(原判決書3頁〜4頁)。
 1審被告は、その後、平成14年6月以降平成15年11月までの間に、住友金属鉱山及び日亜化学工業から、本件各発明のランニングロイヤルティとして合計1462万4750円の支払を受け(甲155、156)、1審原告に対し、平成15年10月に10万円の実績報奨金を支払った(弁論の全趣旨)。
 以上のとおり、1審被告が本件各発明の実施料として第三者から受領した金額、すなわち、1審被告が本件各発明により受けた利益の額は、合計1億3787万3387円である。また、1審被告が1審原告に対し、これまでに支払った実績報奨金は、合計113万7000円である。
(イ) 1審原告は、住友金属鉱山及び日亜化学との各ライセンス契約においては、最恵国待遇条項があることからすれば、東芝に対する本件各特許の実施許諾の対価(1000万円)が不当に低い額である、1審被告が東芝から受け取るべき一時金の額は少なくとも6000万円であり、5000万円を「使用者等が受けるべき利益の額」に追加的に算入すべきである(それが無理でも、1審被告の取締役は、その重過失によって東芝に対し5000万円の免責を与えたから、1審被告に対して同額の賠償義務を負っており、この額も「使用者等が受けるべき利益の額」に算入すべきである。)などと主張する。
 しかし、特許法35条3項が規定する「相当の対価」を、その発明により使用者等が現実に利益を受けたときに、その実績に応じてこれを評価するとの算定方法が、合理的な算定方法の一つであることは上記のとおりであり、本件についてもこの方法により算定することが被告規程により定められている以上、この算定方法により、本件各発明の承継の「相当の対価」を算定すべきである。東芝との実施料についてのみ、これと異なる考え方を採るべき理由はないというべきである。1審被告は、営利企業であり、また、住友金属鉱山及び日亜化学との各ライセンス契約においては、最恵国待遇条項があることからすれば、東芝との間で、何ら合理的理由もなく、他社と比べ極端に低い実施料をその内容とするライセンス契約を締結することは、そもそも考えにくいことである。使用者等は、職務発明に係る特許を受ける権利等を承継した後は、これを自らの権利としてさまざまなリスクを考慮しながら、事業全体を見渡した総合的な判断に立って、その裁量的な判断に基づいて利益を追求していくことが許容されているのである。1審被告の取締役がその重過失によって東芝に対し5000万円の免責を与えていたことを認めるに足りる証拠もない。1審原告の上記主張は採用することができない。
(ウ) 1審原告は、本件では、1審被告の自己実施による「使用者等が受けるべき利益の額」は、「使用者等の売上高×実施料相当額」により算出されるべきである、と主張し、その理由として、特許権者は、特許権者にロイヤルティを支払う第三者との関係では、当該実施料の分だけ製造原価の面で第三者より優越的な地位を築くことになる、と主張する。
 しかし、1審被告は、本件特許発明を独占的に実施しているのではなく、上記のとおり、第三者に本件各発明を実施許諾し、その実施料収入を得ているものである。使用者等は、従業者等が職務発明について特許を受けたときには、その特許権を承継しなくとも、これについて法定の通常実施権を有するのであるから(特許法35条1項)、従業者等が支払を受けるべき相当の対価の算定において考慮に入れるべき、使用者等が職務発明の実施により受けた利益があるとすれば、それは、法定の通常実施権以上のものにより受けた利益でなければならないはずである。本件においては、1審被告がこのような利益を受けたことを認めるに足りる証拠はない。法定の通常実施権者は、もともと当該特許を実施するに当たって、特許権者にロイヤルティを支払って実施する第三者と比較して、当該実施料の分だけ製造原価の面で優越的地位を有するものであるから、1審原告の上記主張は、理由がないものであることが明らかである(なお、1審被告におけるサマリウム−鉄−窒素(Sm−Fe−N)磁石の事業としての売上げは、年間数百万円であり、材料費がその売上げを上回ることも多く、それ以外の変動費や固定費を控除すると、年間数千万円の損失を計上し、サマリウム−鉄−窒素(Sm−Fe−N)磁石についていまだ利益を上げるには至っていない状況である(甲21、22、乙11)。このように、1審被告が本件各発明を事業として実施したことにより、多大の損失が生じていることからすれば、1審被告が事業として本件各発明を実施したことにより受けた利益はそもそもない、といわざるを得ない。)。
(エ) 1審被告は、特許法35条3項の「相当の対価」について、
 (特許権の価値−法定通常実施権の価値)×発明者の貢献度割合
 であり、この場合、特許権の価値は、
 (発明に基づく事業の全受取収入−同全支出費用)×特許権の寄与割合
 として算定される、
 と主張する。1審被告のこの主張の意味するところは、1審被告の本件各発明を実施した事業により生じた損失と実施料収入とを合算して「その発明により使用者等が受けるべき利益」を算定すべきである、との点にある。
 しかし、特許権者が第三者に実施許諾して実施料収入を得ることは、特許発明の実施権を独占し得る地位にある特許権者であるからこそなし得ることである。そのような方法で得た実施料収入を、特許権者である「使用者等が受けるべき利益の額」とみて、「相当の対価」を算定することは、合理的な判断手法であるということができる。すなわち、使用者等は、もともと、職務発明について法定の通常実施権を有し、職務発明に係る特許発明を自由に実施することができるのであるから、職務発明に係る特許を受ける権利を承継した場合と、そうでない場合との差異は、特許発明の実施権を独占し得る地位を有するかどうかであり、第三者に対し当該特許権を実施許諾し、実施料を得ることはその一つの現れである。そして、本件各発明を実施すること自体は、特許を受ける権利を承継しない使用者等も、その法定の通常実施権により、できることであるから、その事業により利益が上がることも、損失が生じることも、特許権を承継しても、承継しなくとも生じ得る問題である。また、特許権を承継した使用者等は、特許発明を事業として実施する義務を負うわけではなく、その経営判断によっては、ライセンス契約を締結するだけにとどめることも可能である。したがって、使用者等が、第三者とライセンス契約を締結し、自らも事業として実施している場合において、事業により生じた利益ないし損失を考慮せずに、使用者等がライセンス契約により得た実施料収入のみを、「その発明により使用者等が受けるべき利益」とみて、同条項の「相当の対価」を算定することは合理的な判断手法である、というべきである。1審被告の上記主張は採用することができない。
(オ) 1審被告は、本件各発明の実施料収入から、本件各特許の出願・維持費用、本件各ライセンス契約締結費用、本件各発明のための研究活動費、本件各特許以外の特許の出願・維持費用、ライセンス契約が締結されるまでの発明実用化費用、本件各発明の被告における事業化費用、旭化成工業へのライセンス料支払の各費用を差し引くべきである、と主張する。
 確かに、本件各ライセンス契約締結費用については、これを本件各発明の実施料収入から差し引くべき費用として考慮することも可能である。しかし、1審被告が主張するその余の費用は、いずれも本件各発明の実施料収入から差し引くべき費用とみるべきものではない。すなわち、本件各特許以外の特許の出願・維持費用は、本件各特許についての費用と考える余地はないものであり、その余の各費用は、いずれも前述した「使用者等が貢献した程度」を判断する際の要素ないし事情として考慮すれば足りるものである。また、本件各ライセンス契約締結費用については、本件全証拠によっても、その具体的な金額を認めるに足りる証拠はない。そうである以上、これを「使用者等が貢献した程度」を判断する際の一つの要素として考慮することも許容される方法であることは前記のとおりである(民訴法248条)。
(2) 「使用者等が貢献した程度」について
(ア) 1審原告の職務内容、本件各発明がなされた経緯、本件各発明を権利化するに至る経緯、本件各発明の事業化の経緯、本件各ライセンス契約締結の経緯及び原告に対する給与等の支払状況等の諸事情については、次のとおり付加訂正するほかは、原判決の「2 争点(2)について」(原判決書16頁下から5行〜26頁9行)に認定されているとおりである。
(a) 1審原告は、原判決が、「原告は、・・・昭和56年9月21日以降第五研究室に在籍していた間は、希土類磁石の研究に従事していた。」(原判決書17頁3段)と認定したことは誤りである、1審原告は、昭和58年10月25日までは希土類磁石の研究をしたことがなく、同月26日に至って、初めてそのプロジェクトに参加することになった、と主張する。
 確かに、1審原告は、昭和56年10月から昭和58年10月25日までは、フェライト磁石の研究をしていたものであり、希土類磁石の研究を開始したのは、昭和58年10月26日からである。1審原告は、それから本件各発明の特許出願に至った昭和58年12月19日までの、比較的短い期間で本件各発明に至ったことが認められる(甲40、154)。
(b) 1審原告は、本件各発明を着想したのは、昭和58年6月に、住友特殊金属の磁石開発の新聞記事を読んだときである、と主張する。しかし、1審原告が本件各発明を着想した時期は、もともと、事柄の性質上、外部から客観的に把握することの困難な事実である。のみならず、1審原告自身の記憶も、この点については変遷しているところである(甲154参照)。また、原判決も、1審原告が本件各発明について実験をし、本件各発明を完成させたのは、昭和58年11月ころであること、及び、本件各発明が1審原告自身の着想に係るものであることを認定しているのであるから、原判決が認定した実験の時期及び本件各発明完成の時期の認定に誤りはないのである。そうである以上、仮に、1審原告が本件各発明を着想したのが、昭和58年11月より前であるとしても、この事実は「その発明がされるについて使用者等が貢献した程度」に大きな影響を与えることはない、というべきである。
(c) 1審原告は、当初の特許出願の経緯、本件特許1の審査請求と補正、本件特許2及び3の出願、本件特許2に関する審判官との面接について、種々主張し、原判決が、「特許が維持された本件特許2及び同3の最終的な明細書の内容は、原告が作成した当初明細書の実施例2ないし4を削除するなどの大幅な訂正がされたものである。」(原判決書23頁3段)と認定した部分は誤りである、と主張する。
 しかし、本件各発明の特許出願における、当初明細書の作成、補正書の作成、異議手続における面接及び意見書等の作成は、発明者である1審原告と、1審被告の特許担当者との協議と相互の協力によりなされたものであり、その作業において、発明者である1審原告も、1審被告の特許担当者もそれぞれの役割を果たし、その結果、本件各特許が特許査定されるに至ったものであることについては、原判決の認定事実によっても、1審原告の主張事実を前提としても、変わりはない。そのようなとき、結果的に、明細書の記載として最終的に残ったものが、いずれが起案したものかどうかということを、「その発明がされるについて使用者等が貢献した程度」に大きな影響を与える事情とすることはできないというべきである。
 したがって、原判決が、「特許が維持された本件特許2及び同3の最終的な明細書の内容は、原告が作成した当初明細書の実施例2ないし4を削除するなどの大幅な訂正がされたものである。」(原判決書23頁3段)と認定した部分は、もともと認定する必要のない事実であったというべきであるから、この部分を除いて、原判決の本件各特許の出願から登録までの経緯に関する認定事実(原判決書21頁11行〜23頁下から6行)を援用することとする。
(d) 原審において、1審原告は、本件各特許の出願・維持費用を600万円、本件各ライセンス契約締結費用を1233万2000円と主張し、1審被告がこれを援用したため、原判決は、これらの額を上記各費用として認定した。しかし、1審原告は、当審において、上記主張をいずれも撤回した。
 1審被告が、本件各特許の出願・維持費用及び本件各ライセンス契約締結費用を負担したこと、及び、その金額が通常支出される範囲のものであることまでは弁論の全趣旨により認められるものの、本件全証拠によってもその具体的な金額までは認定することができない。したがって、原判決の上記認定部分については、具体的な金額の認定部分を除いたその余の認定部分を援用することとする(1審原告の上記主張の撤回は、主要事実についての自白の撤回ということはできないものの、訴訟上の信義則に反する、との見方もあり得るところである。しかし、本件における前述した意味での「使用者等が貢献した程度」については、本件各特許の出願・維持費用及び本件各ライセンス契約締結費用を1審被告が負担したとの事実が認定できれば十分であるので、原審及び当審における上記経過は「使用者等が貢献した程度」の認定における弁論の全趣旨として考慮するにとどめることにする。)。
(イ) 原判決の「2 争点(2)について」(原判決書16頁下から5行〜26頁9行)についての上記認定事実(上記のとおり、一部を訂正ないし削除したもの)の下では、「使用者等が貢献した程度」を90%とした原審の認定判断は、次に述べる諸事情に照らし、是認することができる。
@ 1審原告が、昭和45年4月の入社以降本件各発明に至るまでの間、磁性材料の研究に従事し、特に昭和58年10月26日以降、第五研究室に在籍していた間は希土類磁石の研究に従事していたこと、
A 本件各発明当時、1審原告が参加した被告研究所のプロジェクトにおいて、新磁石探索が研究テーマの一つとされ、新規磁性材料の開発・発明をすることが期待されており、1審原告はその中で本件各発明を行ったこと、
B 本件各発明は、1審原告独自の着想、とりわけ希土類−鉄(R−Fe)化合物に窒素(N)を侵入させることにより、磁性材料としての新しい可能性を示したものであり、この1審原告の着想が、当時としては全く新しいものであり、新たな永久磁石材料としての、希土類−鉄−窒素(R−Fe−N)系磁石を提供するという意義を有するものであること、
C 1審原告が本件各発明の着想に至った基礎の一つに、被告研究所において行った鉄−クロム−コバルト(Fe−Cr−Co)磁石に関する研究において、窒素(N)が吸収されたことが挙げられるものの、本件各発明の着想に1審被告の他の研究員は直接関与していないこと、
D 本件各発明の実験等は、1審被告の測定装置等を利用して行われたこと、
E 本件各発明は、希土類−鉄−窒素(R−Fe−N)系磁石を包括的に含む基本的な発明ではあるものの、本件各発明を実用化するために必要な希土類はサマリウム(Sm)であり、1審原告は発明の時点でこの事実を見出していなかったこと、
F 1審原告は、1審被告に入社して以来、一貫して、磁性材料研究に従事してきたのであり、このような1審被告における研究生活を通じ、磁性材料の研究者としての専門的な知見、洞察力、及び着想力を磨いてきたこと、及び、磁石材料に関するこれらの知識と経験は、希土類磁石についても十分に応用し得るはずのものであることからすれば、本件各発明が1審原告自身の着想に係るものであり、1審被告がその着想について直接的な寄与をしていないとしても、そのことだけに焦点を当て、本件各発明がされたことに対する1審被告の貢献の程度をわずかなものであるとすることは相当ではないこと、
G 本件各発明が権利化されるに至るには、1審原告が、発明者として、明細書の作成、補正書の作成その他により特許権の登録に至るまで1審被告に対し協力をしたものの、1審被告の特許部門の担当者や委任した外部の弁理士も、意見書、補正書及び特許異議申立てに対する答弁書等を作成し提出すること等の労力を費やし、1審被告においても、出願費用や権利維持管理等の費用相当額を負担したこと、
H 本件各ライセンス契約の締結のための交渉は、専ら1審被告の特許ライセンス部門の担当者により行われ、本件各ライセンス契約の締結及び実施許諾の対価の決定に当たっては、1審被告において窒素磁石の実用化を計画し、そのために多額の開発費を支出していたこと等も考慮されたものであること、
I 1審被告は、現在までのところ、本件各発明の自社における実施により、いまだ利益を上げるに至っておらず、むしろ、多大の損失を被っており、本件各特許のライセンスを受けている2社が1審被告に支払うランニングロイヤルティの金額も、前記の程度の金額であり、本件各特許の存続期間満了日に至っても、窒素磁石の売上げは、業界全体としても、大きな金額のものとなっているとはいい難いこと、
J 1審被告は、住友金属鉱山との本件ライセンス契約(1)が締結された後、1審原告を本件各発明の発明者として社内人事上も評価して職群制度上の昇級をさせ、その結果、1審原告について、このような職群制度上の昇級をせず、人事査定についても1審被告社内の平均値で評価したと仮定した場合の給与等と、実際に1審原告に対して支給された金額とを比較すると、その差額が合計358万9000円になること
(ウ) 1審原告は、「使用者等が貢献した程度」に関して、種々反論する。しかし、1審原告の反論は、いずれも採用することができない。
(a) 1審原告は、たとい、本件各発明時、被告研究所のプロジェクトにおいて、新磁石探索が研究テーマの一つとされていたとしても、「新磁石」そのものが極めて抽象的なスローガンにすぎず、そもそもその「新磁石」の中には、窒素磁石は想定もされていないかったのであるから、新磁石探索が研究テーマの一つとされていたことを1審被告の貢献として考慮するのは誤りである、と主張する。
 確かに、1審原告自身の着想により本件各発明に至ったことは、上記認定のとおりであり、上記事情を使用者が貢献した程度を認定するに際して考慮すべき重要な事実であるとまでいうことはできないであろう。しかし、「新磁石探索」を研究テーマとしたことが、本件各発明を生む契機となったということも否定することができない事実である。上記事情を、本件各発明が生み出される契機となったという程度において、考慮に入れることに誤りはないというべきである。
(b) 1審原告は、本件各発明の実験に要した費用は、極めて安価であり、10万円を超えることはあり得ないから、このような実験を行った事実を、重要視すべきではない、と主張する。しかし、仮に、1審原告主張のとおりであったとしても、当裁判所も(原判決も)、実験に要した費用について具体的に触れているわけでもなく、多大の費用を要した、と認定しているわけでもない。したがって、「使用者等が貢献した程度」に係る事情として、1審被告の測定装置を利用して本件各発明の実験等を行ったことを考慮することを誤りであるということはできない。
(c) 1審原告は、1審被告が、東芝との本件ライセンス契約(3)において、本来、同社から6000万円の一時金を取得すべきところ、これを1000万円まで減額し、5000万円分とランニングロイヤルティ相当分を免責してしまったことは、1審被告の経営判断上の重大な過失であり、「使用者等が貢献した程度」が極めて低いことを象徴するものである、と主張する。
 しかし、営利企業である1審被告が、東芝から、6000万円の一時金をその内容とするライセンス契約を締結することができるのに、1000万円の一時金をその内容とするライセンス契約を締結した、とする1審原告主張事実は、前記のとおり、通常、考えにくいことであり、また、このような事実を認めるに足りる証拠はない。ライセンス契約における一時金の額は、実施許諾を受ける会社が、当該特許の実施権を必要とする事情、その実施予定規模、特許権の残存期間等により異なってくるのであり、このような事情を考慮しないまま、他のライセンス契約における一時金の額のみを同列に論じることは不合理である。
(d) 1審原告は、本件各発明のパイオニア性を強調する。確かに、本件各発明は、窒素が磁気特性を劣化させる不純物としていた当時の技術常識とかけ離れた独創的な発明であり、平成2年にC教授が学会で発表したことを契機として、学会でも産業界でも注目されたものであり、その後の旭化成の改良発明を誘発したものである、ということができる(甲6ないし8)。しかし、当裁判所も、この点は上記Bのとおり、「本件各発明は、1審原告独自の着想、とりわけ希土類−鉄(R−Fe)化合物に窒素(N)を侵入させることにより、磁性材料としての新しい可能性を示したものであり、この1審原告の着想が、当時としては全く新しいものであり、新たな永久磁石材料としての、希土類−鉄−窒素(R−Fe−N)系磁石を提供するという意義を有するものである」と認定判断しているところである。
(e)1審被告は、窒素磁石の重要性に気付かずその評価を誤ったため、本件各特許の当初出願がなされた昭和59年12月19日の2か月後の昭和59年2月21日に、1審原告を分析部門に異動させ、窒素磁石のその後の研究を中止させた、1審原告が、窒素磁石の研究を再開したのは、平成2年1月からである、そのため、1審被告は、窒素磁石の実用化が、住友金属鉱山などよりも遅れ、その売上げも伸びていない、と主張する。
 しかし、特許発明を事業として実施した場合に、利益が上がるのか、損失が生じるのかについては、全体的な経済情勢、商品に対する需要と供給との関係、当該企業の他社と比較した場合の技術力その他の様々な要因が関係することは顕著な事実である。したがって、1審被告が1審原告を異動させ、窒素磁石の研究を中止させたとしても、そのことが、1審被告の窒素磁石の事業が振るわなかった原因である、と判断することは困難である。
(f) 1審被告が、本件各発明を事業として実施したものの、その売上げは伸びず、毎年数千万円の損失を計上していることは前記のとおりである。1審原告は、1審被告が窒素磁石事業において利益を上げていないことは、過剰設備と技術力の不足という1審被告自身の問題であり、「使用者等が貢献した程度」として考慮すべき事項ではない、と主張する。しかし、本件各特許のライセンスを受けている2社が1審被告に支払うランニングロイヤルティの金額も前記の程度であり、本件各特許の存続期間満了日に至っても、窒素磁石の売上げは、業界全体としても、大きな金額のものとなっているとはいい難い。そのような事情も考慮すれば、1審被告が窒素磁石において利益を上げていないことの原因を1審原告が指摘するもののみに断定することができないことは、明らかというべきである。
(g) 1審原告は、「I1審被告は、現在までのところ、本件各発明の自社における実施により、いまだ利益を上げるに至っておらず、むしろ、多大の損失を被っている」との事実は「使用者等が貢献した程度」として考慮すべきではない、とも主張する。
 しかし、特許法35条3項の「相当の対価」の算定において、特許を受ける権利の承継後に使用者が現実に得た実施料収入等の利益をもって、「その発明により使用者等が受けるべき利益の額」を算定するとの方法を採用する場合には、「使用者等が貢献した程度」を考慮に入れるべきであり、この「使用者が貢献した程度」には、文字どおりの「その発明がされるについて使用者等が貢献した程度」、すなわち、その発明がされるについて使用者等が貢献した事情のほか、使用者等がその発明により利益を受けるについて貢献した事情、及び、その発明後に従業者が得た人事上の昇進、昇級等の利益、その他特許発明に関係する一切の事情を含めて考慮すべきである。そして、1審被告が自社実施により利益を上げていないこと、すなわち、本件各発明を実施したことにより、大きな損失を抱えていることは、前記のとおり、これを1審被告が本件各特許から得た実施料収入に要した費用と解することはできないものである。しかし、使用者等が発明の実施により利益を受けている場合と損失を被っている場合とでは、使用者側の事情に大きな差異があることは事実であるから、特許法35条4項が使用者等と従業者等との利害関係を調整する規定であることからすれば、このような事情を「使用者等が貢献した程度」に関する事情の一つとして考慮することは、可能というべきである。
(h) 1審原告は、原判決が、住友金属鉱山との本件ライセンス契約(1)の締結後に昇級したことを、使用者等がその発明により利益を受けるについて貢献した事情と評価したことについて、昇級については、1審原告の能力が正当に評価されただけのことである、と主張する。しかし、1審原告が昇級したのは、本件ライセンス契約(1)の締結後であり、本件各特許により、1審被告が実施料を取得したことを契機としたものであることは明らかであり、1審原告の上記主張は採用することができない。
(i) 1審原告は、1審被告が、平成10年7月28日に、本件各特許取得を報道機関に発表する際に、1審原告にその内容を通知しておらず、特許ライセンス契約締結の事実も1審原告に伝えていなかったことによって、発明者感情を害された、と主張する。
 しかし、1審被告は、1審原告から本件各特許の特許を受ける権利を取得したのであるから、本件各特許取得を報道機関に発表する際に、1審原告にその内容を通知する法的義務を負うわけではなく、また、特許ライセンス契約締結の事実を1審原告に伝えるべき法的義務を負うわけでもない。これらのことは、いずれにしても、「使用者等が貢献した程度」とは無関係の事実というべきである。
(エ) 1審被告は、原判決が、具体的な算定根拠を示さずに、「使用者等が貢献した程度」を90パーセントと認定したとして、米国の一般民間企業における発明報奨水準及び欧州の調停事案に現れた発明者に対する報奨実績から判断しても、本件における「使用者等が貢献した程度」は、95パーセントを下ることはないというべきである、と主張する。
 しかし、1審被告も、何ら具体的な算定根拠を示しているわけではない。本件に現れた様々な事情を考慮すれば、本件における「使用者等が貢献した程度」は、前記のとおり解すべきであり、原判決の判断を変更すべき根拠を見いだすことはできない。
(3) 給与差額について
 1審被告は、原判決が認定した、1審原告が昇級しなかった場合の給与と、実際の給与の差額である358万9000円は、1審被告が1審原告に支払った報奨金に加えて計算すべきである、と主張する。
 しかし、労働の対価である給与と発明の報奨金とは異なるものであり、給与の差額を発明の報奨金に加えるべき理由はない。1審被告の主張は失当である。
3 結論
 本件各発明により「使用者等が受けるべき利益の額」は、原判決が認定した平成10年9月から平成14年5月までの1億2324万8637円に、平成14年6月以降平成15年11月までの間に支払われたランニングロイヤルティ合計1462万4750円を加えた合計1億3787万3387円である。これに使用者が貢献した程度90%を差し引いた10%を乗じると、1378万7000円(1000円未満四捨五入)となる。
 本件各発明について支払われた平成13年10月までの実績報奨金は、原判決が認定した103万7000円であり、その後、本件口頭弁論終結時までに、平成15年10月に10万円が支払われたものと認められるから、113万7000円となる。
 上記1378万7000円から上記実績報奨金113万7000円を差し引くと、1265万円となる。この1265万円と原判決が認定した1128万8000円との差額136万2000円は、平成14年6月から平成15年11月までの期間に支払われたランニングロイヤルティ1462万4750円に対応するものである。実績報奨金は、前記のとおり、前年度4月から当年度3月までの実績を考慮して、毎年10月末に支払われるものであることからすると、平成14年4月以降平成15年3月までの実績について生じる実績報奨金は、平成15年11月1日から遅滞となり、平成15年4月から本件特許の期間満了日である平成15年12月19日までの実績について生じる実績報奨金は、平成16年11月1日から遅滞となるところである。しかし、上記ランニングロイヤルティについては、平成14年6月から平成15年11月までの期間の、どの時期に支払われたものか、すなわち、平成14年4月以降平成15年3月までと、平成15年4月以降平成15年12月19日までの期間の、どの実績に対し支払われたものか、証拠上不明である。したがって、上記136万2000円の支払時期は、後者の期間の実績に対する実績報奨金の支払時期である平成16年10月末日と解するほかない。
 原判決は、1審被告が平成14年5月末までに合計824万8637円のランニングロイヤルティを受領したことを前提事実として認定し、その1割を、本件各発明の承継の相当な対価として認定している。上記ランニングロイヤルティについては、本件各ライセンス契約締結日から平成14年3月末までの実績に対応したものと認められるものの(甲22)、その期間内のどの時期の実績に対して支払われたものか、証拠上不明である。したがって、原判決が認容した1128万8000円中、上記ランニングロイヤルティの金額の1割に相当する82万5000円(1000円未満四捨五入)の支払時期は、平成13年4月から平成14年3月までの実績に対する実績報奨金の支払時期である平成14年10月末日と解するほかない。原判決の主文1項の「1128万8000円」についての遅延損害金の起算日を、内金82万5000円についてのみ、「平成14年11月1日から」と改める。
第4 結論
 以上からすれば、1審原告の本訴請求は、原判決が棄却した部分についても、本判決主文第2項に記載した限度では理由があり、その余は理由がないことが明らかである。そこで、原判決中、1審原告の請求を棄却した上記部分を、本判決主文第2項に反する限度で、取り消し、同限度で1審原告の請求を認容し、その余の控訴は棄却することとし、1審被告の控訴は理由がないので棄却することとする(原判決が認容した金額の内金82万5000円についての遅延損害金の起算日を上記のとおりとする点を除く。)。訴訟費用の負担につき、民事訴訟法67条2項、64条を、仮執行の宣言について同法259条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

東京高等裁判所知的財産第3部(旧第6民事部)
 裁判長裁判官 山下和明
 裁判官 設樂隆一
 裁判官 阿部正幸は、転補のため署名押印することができない。

裁判長裁判官 山下和明



(追加)
 次のとおり、上記判決については、平成16年5月6日付けで補充決定がなされている。

決定
控訴人兼被控訴人 X
被控訴人兼控訴人 日立金属株式会社

 上記当事者間の平成15年(ネ)第4867号「窒素磁石」に係る発明の対価請求控訴事件について当裁判所が平成16年4月27日に言い渡した判決の主文につき、民事訴訟法259条5項により、職権で、次のとおり補充の決定をする。


主文
 原判決の主文第1項(ただし、1128万8000円の内金82万5000円に対する付随金の支払の起算日を平成14年11月1日と改めたもの)は、仮に執行することができる。

平成16年5月6日
東京高等裁判所知的財産第3部(旧第6民事部)
 裁判長裁判官 山下和明
 裁判官 設樂隆一
 裁判官 若林辰繁
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