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【事件名】「週刊文春」の田中前外相長女報道事件(2)
【年月日】平成16年3月31日
 東京高裁 平成16年(ラ)第509号 仮処分決定認可決定に対する保全抗告事件
 (原審・東京地裁平成16年(モ)第51504号他)

決定
抗告人 株式会社文藝春秋
代表者代表取締役 白石勝
代理人弁護士 喜田村洋一
相手方 甲野花子
代理人弁護士 森田貴英
同 加藤君人
同 片岡朋行
相手方 乙山太郎
代理人弁護士 大川原紀之


主文
一 原決定を取り消す。
二 東京地方裁判所が、同裁判所平成一六年(ヨ)第九九八号記事掲載等禁止仮処分命令申立事件、同第一〇〇二号雑誌出版等禁止仮処分命令申立事件について平成一六年三月一六日にした仮処分命令をいずれも取り消す。
三 相手方らの上記各仮処分命令申立事件に係る仮処分命令の申立てをいずれも却下する。
四 申立費用は原審・当審とも相手方らの負担とする。

理由
第一 事案の概要
一 本件は、東京地方裁判所が、相手方甲野花子(以下「相手方甲野」という。)を債権者、抗告人を債務者とする同裁判所平成一六年(ヨ)第九九八号記事掲載等禁止仮処分命令申立事件及び相手方乙山太郎(以下「相手方乙山」という。)を債権者、抗告人を債務者とする同裁判所平成一六年(ヨ)第一〇〇二号雑誌出版等禁止仮処分命令申立事件について、いずれも相手方らの申立てを相当と認め、「債務者は、別紙書籍目録記載の雑誌につき、債権者と元配偶者との離婚に関する記事を切除又は抹消しなければ、これを販売したり、無償配付したり、又は第三者に引き渡したりしてはならない。」(「書籍目録」として、「題号 週刊文春 編集人 木俣正剛 平成一六年三月二五日号 版型 A4版」との記載がある別紙が添付されている。)(当裁判所注‥上記のうち「版型 A4版」は「版型 B5版」の誤記である。)との主文の各仮処分命令(以下「本件仮処分命令」という。)をしたのに対し、抗告人が保全異議の申立てをしたところ、原審が本件仮処分命令をいずれも認可するとの決定(以下「原決定」という。)をしたので、これを不服として保全抗告を申し立てた事案である。
二 当事者の求めた裁判
(1)抗告人
 主文同旨
(2)相手方甲野
ア 本件抗告を棄却する。
イ 申立費用は抗告人の負担とする。
(3)相手方乙山
ア 本件抗告を棄却する。
イ 申立費用は抗告人の負担とする。
三 基本的事実関係
 次の事実は当事者間に争いがないか、又は疎明資料によって一応認められる。
(1)相手方らは、いずれも平成九年に会社員として就職し、職場の同僚として知り合い、平成一五年二月ころ婚姻した。同年三月には相手方乙山が米国に転勤することとなり、相手方甲野もそのころ退社して、いずれも渡米したが、その後、相手方甲野は単身で帰国して、相手方らは別居となり、平成一六年二月ころ離婚した。
(2)相手方甲野の母の甲野松子氏(以下、便宜「甲野松子衆議院議員」という。)は衆議院議員、父の甲野竹夫氏(以下、便宜「甲野竹夫参議院議員」という。)は参議院議員、母方の祖父の甲野梅夫(以下、便宜「甲野元首相」という。)は故人であるが、生前、衆議院議員、内閣総理大臣等を歴任した。しかし、相手方らは、公務員でも、公職選挙の候補者でもなく、過去にこれらの立場にあったわけでもない。また、政治家の親族であることを前提とする活動もしていない。なお、相手方乙山は、相手方甲野と婚姻していたことがあるというだけで、政治とのかかわりを有していたことはない。
(3)抗告人は、雑誌、図書の印刷、発行及び販売等の事業を営む株式会社であり、「週刊文春」と題する週刊誌を発行している。その平成一六年三月二五日号(以下「本件雑誌」という。)は、本件仮処分命令の後の同月一七日から全国で市販されており、これには「独占スクープ 甲野松子長女わずか一年で離婚 母の猛反対を押し切って入籍した新妻はロスからひっそり帰国」と題し、B5版の誌面の三ページにわたり、相手方らの前記離婚に関する記事(以下「本件記事」という。)が掲載されている。
四 本件仮処分命令申立て及び保全異議申立てに段階における当事者の主張
(1)相手方ら
ア 本件記事は、相手方らのプライバシーを侵害するものである。
 相手方らは、純粋な私人であり、本件記事には公共性・公益性はない。さらに、相手方らがプライバシーの公開を全く容認していないこと、本件雑誌が発行部数の極めて大きな媒体であって、被害の拡大が容易に想定されること、記事内容がプライバシーの最たるものである離婚及びそれにまつわる周辺事情に及ぶものであることを考慮すると、本件記事によるプライバシーの侵害は甚大である。
 このような場合には、いかなる基準に照らしても、仮処分手続をもって、出版物の販売等を差し止めることが認められるべきである。
イ 本件雑誌のうち相当部数のものが既に抗告人から出荷され、取次業者を経由して小売店舗等に配布され、一般購読者に販売することができる状態にあるとしても、出荷済みの雑誌が取次業者から小売店等を経て一般購読者に販売されていく過程は、抗告人から取次業者ないし小売店等への委任又は再委託に基づくものであって、取次業者や小売店は抗告人の補助者たる地位に立つのであるから、抗告人がこれらの関係者をして本件雑誌を販売させることは、本件仮処分命令による差止めの対象となる販売行為に当たる。このような販売行為は、今後とも行われ、それによって相手方らのプライバシー被害が拡大していくおそれがあるから、仮処分をもって、これを差し止める必要性はなお存する。
(2)抗告人
ア 本件記事は、相手方らのプライバシーを侵害するものではない。
 相手方甲野は、前記三の(2)のとおり、二代にわたって著名な政治家を輩出した家系に属しており、相手方乙山は、その配偶者であった者であるから、相手方らの離婚は、著名政治家の後継者の可能性に影響を与え得るものであって、これを報道した本件記事は、公共の関心事に係り、公益を図る目的に出たものである。
 離婚という事実は、いずれは周囲の者に知られていくものであって、相手方らの離婚を報道する本件記事が仮に相手方らのプライバシーを侵害しているとしても、少なくとも、重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれはない。
 このような場合には、仮処分手続をもって、出版物の販売等を差し止めることはできない。
イ 本件雑誌については、七七万部が印刷されたが、抗告人が本件仮処分命令の正本の送達を受けた時点において、七四万部が取次業者に出荷済みであった。本件仮処分命令による差止め対象となる販売行為は、この出荷によって完了した(出荷済みの雑誌が取次業者から小売店舗を経て一般購読者に販売されていく過程は、取次業者ないし小売店舗の行為であって、本件仮処分命令による差止めの対象となる販売行為に当たらない。)。そして、出荷済みの本件雑誌のうち、相当数は、既に一般購読者に販売されており、その余のものも、今後とも販売されるのであって、本件仮処分命令を維持しても、相手方らのプライバシー被害を防止することはできない。
五 原決定の要旨
(1)プライバシー侵害を理由とする出版物の印刷、製本、販売、頒布等の事前差止めは、当該出版物が公務員又は公職選挙の候補者に対する評価、批評等に関するものでないことが明らかで、ただ、当該出版物が「公共の利害に関する事項」に係るものであると主張されているにとどまる場合には、当該出版物が「公共の利害に関する事項に係るもの」といえるかどうか、「専ら公益を図る目的のものでないことが明白」であって、かつ、「被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがある」といえるかどうかを検討し、当該表現行為の価値が被害者のプライバシーに劣後することが明らかであるかを判断して、差止めの可否を決すべきである。
(2)本件記事は、@「公共の利害に関する事項に係るもの」とはいえず、かつ、A「専ら公益を図る目的のものでないことが明白」であり、かつ、B相手方らが「重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがある」ということができるから、いずれの観点からしても、事前差止めの要件は、充足されているということができる。
 相手方らの被る損害が真に重大というべきかどうかについては、議論の余地があり得るが、本件記事が上記@及びAの点において、いずれも特別の保護に値するものとは考え難いことをも踏まえて、侵害行為によって被る相手方らの不利益と差止めによって抗告人が被る不利益(経済的不利益は、重視すべきでない。)とを比較衡量すれば、「表現行為の価値が被害者のプライバシーに劣後することが明らかである」ということができ、上記判断を左右しない。
(3)本件雑誌は、発売日前日の平成一六年三月一六日までに約七七万部が印刷され、抗告人はこれを取次業者に順次出荷していたところ、その途中段階において、本件仮処分命令の正本の送達を受けたことから、その後の作業を中止した。そのため、本件雑誌のうち、約七四万部は出荷され、取次業者への搬入及び受入れの確認を終えたが、約三万部は出荷されず、現在でも抗告人が保管している。出荷された上記七四万部のうち、相当部分は、取次業者から更に小売店等に出荷され、その中には、小売店等の判断により一般購読者への販売が自粛されたものもあったが、相当数は、一般購読者に販売された。そして、本件雑誌が取次業者から小売店等を経て一般購読者に流通していく過程は、本件仮処分命令による差止めの対象外の現象であるとみるのが相当であり、同命令の法律上の効力としては、取次業者や小売店等の占有下にある本件雑誌が一般購読者に販売されることを直接に阻止しているわけではないというべきである。
 抗告人は、このような事情から、本件仮処分命令については保全の必要性が消滅していると主張する。
 しかしながら、約三万部という部数は、それ自体が軽視することのできない量であり、しかも、本件雑誌については、本件仮処分命令による差止めがされたこと自体が大きく報道され、社会の関心を集めているところであって、そのような状況において約三万部の販売が解禁され、出荷されることとなれば、出荷済みの雑誌の販売増などと相まって、相手方らのプライバシーに決定的な被害が生ずるおそれがある。そうであるとすれば、抗告人の占有下にある約三万部の本件雑誌について、その販売等の差止めが解かれることによるプライバシー被害は、観念的なものではなく、著しく、かつ回復不能なものであることが明らかであるというべきである。よって、現時点においても、相手方らの申立てに係る仮処分の必要性は失われていない。
六 当審における当事者の主張
(1)抗告人
ア 本件は、相手方らが、プライバシーの侵害を理由として、本件雑誌について、本件記事を切除又は抹消しなければ、これを販売等してはならないとする事前差止めを求めた事案であり、このような事前差止めが認められるためには、@当該記事が「公共の利害に関する事項に係るもの」でないこと、A当該記事が「専ら公益を図る目的のものでないことが明白」であること、Bプライバシーを侵害されるとする者が「重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあること」、という三つの要件がすべて充足されることが必要であると解すべきである。
イ 本件においては上記三つの要件はいずれも充足されていない。
a 要件@について
 相手方甲野の属する甲野家のような日本における最も著名な政治家一家(しかも、子が親の後継者になるとともに、〔甲野元首相から見た〕娘婿も政治家となっている。)については、その結婚ないし離婚という問題は、純粋の私事にとどまらず、後継者問題との関係で、公共の利害との関連性を否定し得ないものというべきである。したがって、本件記事は「公共の利害」に係るものである。
b 要件Aについて
 「専ら公益を図る目的のもの」であるか否かは、この「専ら公益を図る目的」という語が問題にしているのは「目的」という行為者の意思なのであるから、これは行為者の主観によって判定されなければならない。
 本件記事は、公共の利害に係る相手方らの離婚の事実を報じるものであり、抗告人の「週刊文春」編集部では、これを報じることが甲野家の後継者問題について読者に有用な情報を提供することになると確信して記事としたものである。したがって、本件記事は「専ら公益を図る目的」で掲載されたものである。そして、仮に「公共の利害関連性」が結果として否定されるとしても、上記編集部においては、上記のような目的を有していたのであるから、これをもって「専ら公益を図る目的に出たものでないことが明白」とはいえないことが明らかである。
 なお、原決定は、この明白性を認定していない。
c 要件Bについて
 原決定は、この要件について、「離婚の事実やその経過の公表が、常に重大な障害を生じ、これを公表する表現行為の価値より優越することが明らかとまでいうのは困難である」としながらも、対象者が私人であること、離婚自体を主題としていること、読者の好奇心をあおる態様で掲載されていること、離婚からの時間も間もないことなどを根拠として、相手方らが重大な精神的衝撃を受けるおそれがあると認定した。
 しかし、上記の点はいずれも理由がない。仮に、相手方らが私人であるとしても、その結婚ないし離婚は、日本で最も著名な甲野家という政治家一家の後継者問題に直結するのであるから、対象者の属性いかんにかかわらず、その結婚・離婚は公共の利害に係る事項である。次に、離婚自体を報じたという点については、抗告人は、「相手方らの離婚そのものが公共の利害に係る」との判断によって本件記事を報じたものであるから、その意味では当然のことである。また、読者の好奇心をあおるという点についていえば、週刊誌は学会誌や官報ではないのであり、読者の好奇心を喚起して読ませようとすることは当然である。問題はその程度であろうが、本件記事が報じた内容とその表現方法などに照らせば、それが徒に読者の好奇心を刺激し、単なる物見的関心に応えるものでもないことは明らかである。最後に、離婚から間もないという点については、新しいこと、新規な情報がニュースであるということを想起すべきである。不必要な情報(詳細な離婚原因など)に踏み込むことは避けるべきであるが、離婚という事実そのものは、その直後からニュース性を帯びるのであり、これを報じるのが早すぎるということはないのである。
 したがって、本件記事は、相手方らに対して重大で著しく回復困難な損害を与えるものとはいえない。
 また、本件仮処分命令が抗告人に送達された時点では、本件雑誌七七万部のうち七四万部が取次店以降に搬入されており、これに対しては同命令の効力は及ばないのであるから、同命令が発令ないし抗告人に送達された時点において、事前差止めを必要づける要件である「重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれ」の存在は認められなかったものである。
(2)相手方ら
 原決定が、定立した、プライバシー侵害を理由とする出版物の販売等の事前差止めの三要件は適切なものであり、本件記事が、「公共の利害に関する事項に係るもの」ではないこと、「専ら公益を図る目的でないことが明らかである」こと、本件記事によって、相手方らが「重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがある」ことは、原決定の認定・判断のとおりである。
 もっとも、原決定が、本件仮処分命令の法律上の効力について、取次業者や小売店等の占有下にある本件雑誌が一般購読者に販売されることを直接に阻止しているわけではない旨、判断している部分は、明らかに誤りである。本件仮処分命令は、少なくとも本件雑誌が取次業者の占有下にある間は、それが一般購読者に販売されることを直接に阻止している。
第二 当裁判所の判断
一 原決定は、本件記事は、相手方らの人格権の一つとしてのプライバシーの権利を侵害するものであるところ、プライバシーは極めて重大な保護法益であり、人格権としてのプライバシー権は物権の場合と同様に排他性を有する権利として、その侵害行為の差止めを求めることができるものと解するのが相当であるとし、本件においてこれを認め得るための要件として、前記のとおり、@本件記事が「公共の利害に関する事項に係るものといえないこと」、A本件記事が「専ら公益を図る目的のものでないことが明白であること」、B本件記事によって「被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあること」、という三つの要件を挙げている。
ア まず、本件記事が人格権の一つとしてのプライバシーの権利を侵害するものといえるかどうかであるが、本件記事は、要するに、「相手方甲野が、母である甲野松子衆議院議員の反対を押し切って、当時勤めていた会社の同僚である相手方乙山と結婚し、相手方乙山の米国勤務に伴って米国に渡ったものの、単身帰国し、一年ほどで両者は離婚するに至った」というものである。
 結婚・離婚と、それを巡る事情といったことは、関係者の人間関係や社会的状況によっては必ずしも一様ではないであろうが、本来的には、お互い同士、一人間としての全くの私事に属するものとして守られるべきものというべきである。そして、いろいろなことはあるにしても、離婚までには至らない人が多数を占めている社会が形成されている。
 このような状況の下において、離婚という事実は、それ自体、本人にとって重大な苦痛を伴うであろうことはいうまでもないことであろうし、まして、それを、いわば見ず知らずの不特定多数に喧伝されることに更なる精神的苦痛を被るであろうことは、当然の事理というべきである。
 したがって、ある人の離婚とそれを巡る事情といったものは、守られるべき私事であり、人格権の一つとしてのプライバシーの権利の対象となる事実と解するのが相当である。
 そうすると、本件記事は、将来における可能性といったことはともかく、現時点においては一私人にすぎない相手方らの離婚という全くの私事を、不特定多数の人に情報として提供しなければならないほどのことでもないのに、ことさらに暴露したものというべきであり、相手方らのプライバシーの権利を侵害したものと解するのが相当である。
イ 次に、前記の三つ要件について考えるに、それは、名誉権の侵害に関する事前差止めの要件として樹立されたものを斟酌して設定されたものと解されるところ、名誉権に関するものをプライバシーの権利に関するものに直ちに推し及ぼすことができるかどうかについては疑問がないわけではない。
 しかしながら、上記の三つの要件は、それ自体として、本件における事前差止めの可否を決める規準として相当でないとはいえないし、当事者双方が、これらの要件自体については格別の異議を唱えず、専ら、本件を巡る事実関係ないしはそれに対する評価がこれらの要件を具備するものといえるかどうかを争っていることに加え、本件が、保全事件であり、本案事件とはまた自ずと異なる手続的・時間的制約等の下に置かれているものであることなどを考えると、当裁判所としても、本件保全抗告事件においては、上記三要件を判断の枠組みとするところに沿って判断するのが相当であると解する。
二 そこで、本件記事が上記三要件を具備するものといえるか否かを検討する。
ア 本件記事が「公共の利害に関する事項に係るもの」といえるかどうか。
 抗告人は、第一、六、(1)、イ、aのとおり、相手方甲野は、その親族関係などから見て、現に国会議員である両親の後継者として政治を志す可能性があると考えるのが相当であるから、また、相手方乙山は相手方甲野の配偶者であった者であるから、本件記事は、「公共の利害に関する事項に係するもの」であると主張する。
 確かに、両親・祖父といった最も近い身分関係にある者を高名な政治家として持つ者は、そうではない境遇の者の場合と比べて、将来、政治家を志すかもしれない確率が高いと考える余地もあり得るであろう。しかし、その者が自ら将来における政治家志望等の意向を表明していたり、あるいはそのような意図ないし希望をうかがわせるに足りる事情が存する場合は格別、そうでない時点においては、その者が、将来、政治活動の世界に入るというのは、単なる憶測による抽象的可能性にすぎない。このような抽象的可能性があることをもって、直ちに、公共性の根拠とすることは相当とはいえない。しかも、本件記事の内容が、婚姻・離婚という、それ自体は政治とは何らの関係もない全くの私事であることをも考えると、本件記事をもって「公共の利害に関する事項に係るもの」と解することはできない。
 また、疎明資料によれば、甲野松子衆議院議員が、議員となる前の、甲野元首相の首相時代などに、同首相の外国出張に同行するなどしているところ、相手方甲野も、甲野松子衆議院議員が科学技術庁長官として外国出張するのに同行したり、新潟県に建設された「甲野梅夫記念館」の仮オープンの式典に同衆議院議員と共に出席していること、同衆議院議員の選挙運動に参加していること、同衆議院議員が「自分の後継者は娘二人である」と明言したと述べる人がいること等の事実が一応認められるけれども、こういった相手方甲野の行動は、将来政治の世界に入ることを意識してのものというよりは、家族ゆえのこととも考えられるところであり、以上のような事実があるからといって、同相手方を甲野松子衆議院議員あるいは甲野竹夫参議院議員の後継者視して、同相手方の婚姻・離婚を「公共の利害に関する事項に係るもの」とみるのは相当とはいえないというべきである。
 なお、本件記事をもって、相手方甲野の母である甲野松子衆議院議員の国会議員ないし政治家としての資質等をうかがわせる一つの事情を主題として報道しようとしたものであれば、また、別の視点からの検討が必要であろうが、抗告人の本件雑誌編集部が、本件記事をそのようなものであることを意図して編集したものではないことは抗告人自ら認めているところであるだけでなく、その内容からみても、それが相手方らの婚姻・離婚を主眼としたものとなっていることは明らかである。したがって、前記の視点からの検討はしない。
イ 本件記事が「専ら公益を図る目的のものでないことが明白である」か否か。
 抗告人は、第一、六、(1)、イ、bのとおり、「専ら公益を図る目的のもの」であるか否かは、この「専ら公益を図る目的」という語が問題にしているのは「目的」という行為者の意思なのであるから、それは行為者の主観によって判定されなければならない」旨主張する。
 しかし、まず、本件記事は、家族など身内に著名な政治家がいるとはいえ、現時点では一私人にすぎない相手方甲野及びその配偶者であった相手方乙山という私一人の全くの私事(しかも、それは、公表によってプライバシーが侵害される事柄である。)を内容とするものであり、「専ら公益を図る目的のものでないことが明白である」というべきである。
 抗告人は、上記の「目的」は行為者の主観によって判定されなければならないと主張するが、そのように解することは相当ではない。家族・親族などに政治に携わる者が全くなく、自らも、過去・現在ともに公職に就いたことも、政治活動に関与したこともなく、いわば全くの市井の一私人として生活を営む者の離婚について、本件雑誌のような媒体への掲載を決めた者が、何らかの理由で、それを報じることが公益に資するものであると考え、主観的には、「専ら公益を図る目的」であったからといって、それだけで掲載記事が「専ら公益を図る目的」であったとすることは到底できない。「公益を図る目的」の有無は、公表を決めた者の主観・意図も検討されるべきではあるにしても、公表されたこと自体の内容も問題とされなければならない。
ウ 本件記事によって「被害者が重大にして著しく回復困難な損音を被るおそれがある」か否か。
 我が国における現行婚姻制度の下において、離婚は、一般的には、望ましいことではないにしても、また、それを余儀なくされた当事者の痛みの点はともかく「それ自体としては、社会的に、非難されたり、人格的に負をもたらすものと認識・理解されるべき事柄ではないというべきである。
 本件記事が、単なる婚姻・離婚の事実だけではなく、その経緯等についての言及によって、相手方らの性格といった人格そのものをも記事の内容の一部としていることにはなるにしても、その内容及び表現方法において、相手方らの人格に対する非難といったマイナス評価を伴ったものとまではいえないことを考えると、上記の点は、前記判断を動かすものとはいえない。
 ところで、本件記事は、憲法上保障されている権利としての表現の自由の発現・行使として、積極的評価を与えることはできないが、表現の自由が、受け手の側がその表現を受ける自由をも含むと考えられているところからすると、憲法上の表現の自由と全く無縁のものとみるのも相当とはいえない側面のあることを否定することはできない。
 一方、離婚は、前記のように、当事者にとって、喧伝されることを好まない場合が多いとしても、それ自体は、当事者の人格に対する非難など、人格に対する評価に常につながるものではないし、もとより社会制度上是認されている事象であって、日常生活上、人はどうということもなく耳にし、目にする情報の一つにすぎない。
 更には、表現の自由は、民主主義体制の存立と健全な発展のために必要な、憲法上最も尊重されなければならない権利である。出版物の事前差止めは、この表現の自由に対する重大な制約であり、これを認めるには慎重な上にも慎重な対応が要求されるべきである。
 このように考えると、本件記事は、相手方らのプライバシーの権利を侵害するものではあるが、当該プライバシーの内容・程度にかんがみると、本件記事によって、その事前差止めを認めなければならないほど、相手方らに、「重大な著しく回復困難な損害を被らせるおそれがある」とまでいうことはできないと考えるのが相当である。
 なお、プライバシーの権利を侵害する事案においては、事前差止めのために「損害が回復困難である」ということまでを要求すべきではないという考え方がある。プライバシーが一度暴露されたならば、それは、名誉の場合とは必ずしも同じではなく、「回復しようもないことではないか」ということであろうかと思われる。本件においては、この観点に立っても、本件記事によるプライバシー侵害の内容・程度にかんがみるならば、事前差止めは、これを否定的に考えるのが相当というべきである。
三 以上の次第であるから、相手方らの主張する本件記事についての事前差止請求権はこれを認めることができない。
第三 結語
 よって、その余の点について判断するまでもなく、主文のとおり決定する。

東京高等裁判所第五民事部
 裁判長裁判官 根本眞
 裁判官 持本健司
 裁判官 竹内努
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