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【事件名】早稲田大学の名簿提供事件B(2)
【年月日】平成16年3月23日
 東京高裁 平成15年(ネ)第4719号 損害賠償等請求控訴事件
 (一審・東京地裁平成11年(ワ)第7043号/差戻前二審・東京高裁平成13年(ネ)第5999号
 /上告審最高裁平成14年(受)第1656号)

判決
控訴人(原告) 甲田一郎(ほか二名)
上記三名訴訟代理人弁護士 水永誠二
同 渡辺千古
同 林千春
同 小林優
同 武田博孝 
同 土屋公献
同 寺崎昭義
同 長島亘
同 永見寿実 
同 西澤圭助
同 町田正男
同 矢澤昇治
同 山元博
被控訴人(被告) 学校法人早稲田大学
同代表者理事 丁川一夫
同訴訟代理人弁護士 石丸俊彦
同 渡部喬一
同 小林好則
同 仲村普一
同 近藤勝彦
同 守田大地
同 岸巌
同 宮下啓子
同 中村民夫
同 田中修司
岡 赤羽健一
同訴訟復代理人弁護士 吉原政幸


主文
一 原判決中、プライバシーの侵害を理由とする損害賠償請求に関する部分を次のとおり変更する。
(1)被控訴人は、控訴人らに対し、それぞれ五〇〇〇円及びこれに対する平成一一年四月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(2)控訴人らのその余の請求を棄却する。
二 訴訟の総費用は、各自の負担とする。

事実及び理由
第一 控訴の趣旨(当初の控訴の趣旨から後記確定部分を除いたもの)
一 原判決中、プライバシーの侵害を理由とする損害賠償請求に関する部分を取り消す。
二 被控訴人は、控訴人らに対し、それぞれ三三万円及びこれに対する平成一一年四月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
一 早稲田大学は、平成一〇年一一月二八日に同大学の大隈講堂において中華人民共和国の江沢民国家主席(以下「江主席」という。)の講演会(以下「本件講演会」という。)を開催するに際し、学籍番号、氏名、住所及び電話番号の各記入欄のある名簿(以下「本件名簿」という。)を各学部事務所等に備え置き、同大学の学生に対して参加を募った。控訴人らは、当時、早稲田大学の学生であり、本件名簿に氏名等を記入して本件講演会に参加を申し込んだ。
 早稲田大学は、警視庁から、警備のために本件講演会の出席者の名簿を提出してほしいとの要請を受け、控訴人らの同意を得ることなく、本件名簿の写しを警視庁戸塚署に提出した。
 控訴人らは、本件講演会に参加したが、江主席の講演中に突然座席から立ち上がり、「中国の核軍拡反対」と大声で叫ぶなどしたため、私服の警察官らに身体を拘束されて会場の外に連れ出され、建造物侵入及び威力業務妨害の嫌疑により現行犯逮捕された(以下「本件逮捕」という。)。また、控訴人らは、本件講演会を妨害したことを理由として早稲田大学からけん責処分(以下「本件処分」という。)に付された。
 本件は、控訴人らが、早稲田大学を設置している被控訴人に対し、違法な本件逮捕に協力して無効な本件処分をしたことを理由とする損害賠償、本件処分の無効確認並びに謝罪文の交付及び掲示を求めるとともに、被控訴人が控訴人らの氏名等が記載された本件名簿の写しを無断で警視庁に提出したことが、控訴人らのプライバシーを侵害したと主張して、不法行為による損害賠償金(控訴人ら一人当たり、慰謝料三〇万円及び弁護士費用三万円の合計三三万円)及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成一一年四月一〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
(1)第一審判決(原判決)は、本件処分の無効確認を求める訴えを不適法として却下し、本件逮捕は違法でなく、本件処分も適正妥当なものであり、さらに本件名簿の写しの提出行為には正当な理由があり、社会通念上許容されるものであって、控訴人らのプライバシーの権利を侵害するものではないなどと判示して、その余の請求をいずれも棄却したので、これを不服とする控訴人らが控訴の申立てをした。
(2)これに対して、差戻し前の控訴審は、本件処分の無効確認を求める訴えは適法であるとして、原判決のうち本件処分の無効確認を求める訴えを却下した部分を取り消したが、本件処分が無効であると認めることはできないとして、その無効確認請求を棄却し、また、本件逮捕も違法であると認めることができない上、本件名簿の写しを無断で警視庁に提出した行為について、@本件名簿に記載された控訴人らの個人情報(以下「本件個人情報」という。)は、氏名、学籍番号、住所、電話番号及び控訴人らが本件講演会の参加申込者であることであり、プライバシーの権利ないし利益として法的保護に催するものであるが、A早稲田大学が本件個人情報を開示することについて、事前に控訴人らの同意ないし許諾を得ていないとしても、同大学が本件個人情報を開示したことは、社会通念上許容される程度を逸脱した違法なものであるとまで認めることはできず、その開示が控訴人らに対して不法行為を構成するものと認めることはできないなどとして、控訴人らのその余の控訴をいずれも棄却したので、控訴人らは、上記控訴審判決のうちプライバシーの侵害を理由とする損害賠償請求に関する部分を不服として、上告及び上告受理の各申立てをした。
(3)これに対して、最高裁判所は、上告は棄却したが、上告受理の申立てについては、上告審として事件を受理する旨の決定をした上、上告審として、上記控訴審の判断のうち、@は是認することができるが、Aは是認することができないとし、その理由として、本件講演会の主催者として参加者を募る際に控訴人らの本件個人情報を収集した早稲田大学は、控訴人らの意思に基づかずにみだりにこれを他者に開示することは許されないというべきであるところ、同大学が本件個人情報を警察に開示することをあらかじめ明示した上で本件講演会参加希望者に本件名簿へ記入させるなどして開示について承諾を求めることは容易であったものと考えられ、それが困難であった特別の事情がうかがわれない本件においては、本件個人情報を開示することについて控訴人らの同意を得る手続を執ることなく、控訴人らに無断で本件個人情報を警察に開示した同大学の行為は、控訴人らが任意に提供したプライバシーに係る情報の適切な管理についての合理的な期待を裏切るものであり、控訴人らのプライバシーを侵害するものとし不法行為を構成するというべきであると判示して、上記控訴審判決中プライバシーの侵害を理由とする損害賠償請求に関する部分を破棄し、同部分について更に審理判断をさせる必要があるとして、本件を当審に差し戻した。
(4)したがって、上記差戻し後の当審における審理の対象は、上記控訴審判決のうち、プライバシーの侵害を理由とする損害賠償請求に関する部分であり、その余の部分は上記上告審判決により確定している。
二 差戻し後の争点及び当事者双方の主張
 差戻し後の当審における争点は、(1)早稲田大学が控訴人らの同意を得ないで本件個人情報を警察に開示した行為が、控訴人らのプライバシーを侵害するものとし不法行為を構成するか否か、(2)仮に早稲田大学の上記行為が不法行為を構成する場合に、控訴人らの被控訴人に対する損害賠償請求権の行使が権利の濫用として許されないものであるか否か、(3)被控訴人が控訴人らに対して負うべき損害賠償(慰謝料及び弁護士費用)の額であり、前提となる事実及び上記各争点に関する当事者双方の主張は、差戻し後の当審における当事者双方の主張を後記のとおり付加するほかは、原判決「事実及び理由」欄中の「第二 事案の概要」の一、二の(3)及び(4)、三の(3)及び(4)(原判決三頁一二行目から四頁二二行目まで、七頁二行目から九頁八行目まで、一三頁二三行目から一七頁一一行目まで)に、差戻し前の控訴審判決の「事実及び理由」欄中の「第二 事案の概要」の三及び四(上記控訴審判決五頁末行から一八頁七行目まで)に、それぞれ記載するとおりであるから、これらを引用する。
第三 当裁判所の判断
一 前記前提となる事実に、<証拠略>を総合すると、次の各事実を認めることができる。
(1)早稲田大学は、かねてより、来日した諸外国の要人を同大学に招へいして、その講演会を開催してきたが、平成一〇年七月下旬ころ、中華人民共和国大使館から、同国の江主席が同年秋ころに来日する際、同大学を訪問したい旨の連絡を受け、本件講演会を開催することを計画し、警視庁、外務省、同大使館等との打合せを経て、同年一一月二八日に同大学の大隈講堂において本件講演会を開催することを決定し、同大学の学生に対して参加を募ることにした。
(2)本件講演会の参加は先着順とし、参加希望者は、平成一〇年一一月一八日から同月二四日までの間に同大学の各学部事務所、各大学院事務所及び国際教育センターに備え置かれた本件名簿に氏名等を記入して参加申込みをすることとされた。本件名簿の用紙には、最上段の欄外に「中華人民共和国主席江沢民閣下講演会参加者」との表題が印刷され、その下に、横書きで、学籍番号、氏名、住所及び電話番号の各記入欄が設けられ、参加申込者が一人ずつ記入できるよう、一行ごとに横線が引かれて各欄が囲われていた。また、上記用紙には、一枚につき、一五名の参加申込者が記入できるよう、一五行の欄が設けられていた。そして、本件名簿に氏名等を記入して本件講演会に参加を申し込んだ学生に対しては、参加証及び「江沢民中華人民共和国国家主席講演会における注意事項」と題する書面(乙第一号証)が交付されたが、この書面には「プラカード、ビラ、カメラ、テープレコーダー等の持ち込みは厳禁です。」「静粛な態度で臨み、ヤジ、罵声等はさけてください。」などの注意事項が記載されていた。
(3)控訴人らは、当時、早稲田大学の学生であり、参加を希望する他の学生らと共に、本件名簿に、学籍番号、氏名、住所及び電話番号を記入して本件講演会に参加を申し込み、上記の参加証及び注意事項書の交付を受けた。
(4)早稲田大学は、本件講演会を準備するに当たり、警視庁、外務省、中華人民共和国大使館等から、万全を期すよう要請されていた。そこで、早稲田大学の職員、警視庁の担当者、外務省及び中華人民共和国大使館の各職員らの間において、平成一〇年七月下旬ころから、数回にわたり、打合わせが行われた。その中で、早稲田大学は、警視庁から、警備のため、本件講演会に出席する者の名簿を提出するよう要請された。
(5)この要請を受けて、早稲田大学は、内部での議論を経て、本件講演会の警備を警察にゆだねるべく、本件名簿を提出することとした。そこで、総務部管理課において、平成一〇年一一月二五日までに各事務所等から学生部に届けられた本件名簿の写しの提供を受け、同課の職員が、同日又は翌二六日の夜、その本件名簿の写しを、同大学の教職員、留学生、プレス関係者等その他のグループの参加申込者の各名簿と併せて、警視庁戸塚署に提出した。早稲田大学は、この本件名簿の提出について、控訴人らの同意は得ていない。
(6)本件講演会の当日、その会場である大隈講堂の周辺には多数の警察官が配置され、本件講演会の警備に当てられた。大隈講堂の一階は中華人民共和国の随行員、同国の招待者、早稲田大字の教職員、留学生及びプレス関係者の座席とされ、二階及び三階が同大学の学生の座席とされた。大隈講堂内は、腕章を付けた同大学の職員約三〇名及びこれを上回る数の私服の警察官が警備等に当たっていた。
(7)本件講演会に参加する学生は入場に際しては、あらかじめ手荷物を預けた上で、入口において、参加証及び学生証で本人確認を受け、「中華人民共和国主席江沢民閣下講演会参加者への遵守事項」と題する書面(乙第二号証)の交付を受けた。この書面には、「場内では静粛に願います。ヤジ等大声を出したり、プラカード・掲示物等を出した場合は即刻退場となりますので、充分注意してください。」などの記載があった。また、大隈講堂の入口等の目に付くところ数か所にA1判の大きさで、「場内では静粛に願います。ヤジ等、大声を出したり、プラカード・掲示物等を出した場合は、即刻退場となりますので、充分注意されたい。」との記載がある書面(乙第三号証)が掲示されていた。
(8)控訴人らも、上記のとおり本人確認を受け、上記遵守事項書の交付を受けて本件講演会の会場である大隈講堂に入場した。この際、控訴人乙野及び控訴人甲田は、それぞれ小さく折り畳んだ横断幕を衣服の中に隠し持って入場し、控訴人ら三名は、いずれも大隈講堂の三階の座席に着席した。
(9)江主席の講演が午前九時三〇分ころに始まり、静粛に続いていた。午前九時四五分ころ、控訴人乙野は、突然、座席から立ち上がり、「中国の核軍拡反対」などと大声で叫びながら、上記のとおり衣服の中に隠し持っていた横断幕(「反対北京官僚使中国資本主義化! 打倒江沢民政権!」との趣旨が中国語で書かれたもの)を取り出して両手で広げたが、直ちに私服の警察官らに身体を拘束されて会場の外に連れ出された。その直後には控訴人甲田が座席から立ち上がり、「中国の核軍拡反対」などと大声で叫び、上記のとおり衣服の中に隠し持っていた横断幕を取り出そうとしたが、取り出す前に私服の警察官らに身体を拘束されて会場の外に連れ出された。さらに、九時五〇分ころ、控訴人丙山が座席から立ち上がり、「核軍拡をやっているのは、どこの誰なんだ」などと大声で叫んだが、私服の警察官らに身体を拘束されて会場の外に連れ出された。その後、控訴人らは、建造物侵入及び威力業務妨害の嫌疑により現行犯逮捕された。また、控訴人らは、後日、本件講演会を妨害したことを理由として早稲田大学からけん責処分に付された。
(10)平成一〇年一二月一日、早稲田大学常任理事の丁川一夫らは、外務省の中国課及び儀典課に赴き、本件講演会の状況を説明して謝罪するとともに、中華人民共和国大使館に赴き、公使に対して正式に謝罪した。
二 争点(1)(早稲田大学が控訴人らの同意を得ないで本人個人情報を警察に開示した行為が、控訴人らのプライバシーを侵害するものとし不法行為を構成するか否か)について
(1)本件個人情報は、早相田大学が重要な外国国賓講演会への出席希望者をあらかじめ把握するため、学生に提供を求めたものであるところ、学籍番号、氏名、住所及び電話番号は、早稲田大学が個人識別等を行うための単純な情報であって、その限りにおいては、秘匿されるべき必要性が必ずしも高いものではない。また、本件講演会に参加を申し込んだ学生であることも同断である。しかし、このような個人情報についても、本人が、自己が欲しない他者にはみだりにこれを開示されたくないと考えることは自然なことであり、そのことへの期待は保護されるべきものであるから、本件個人情報は、控訴人らのプライバシーに係る情報として法的保護の対象となるというべきである。
(2)このようなプライバシーに係る情報は、取扱い方によっては、個人の人格的な権利利益を損なうおそれのあるものであるから、慎重に取り扱われる必要がある。本件講演会の主催者としで参加者を募る際に控訴人らの本件個人情報を収集した早稲田大学は、控訴人らの意思に基づかずにみだりにこれを他者に開示することは許されないというべきであるところ、同大学が本件個人情報を警察に開示することをあらかじめ明示した上で本件講演会参加希望者に本件名簿へ記入させるなどして開示について承諾を求めることは容易であったものと考えられ、それが困難であった特別の事情があることを認めるに足りる証拠はない。そうすると、本件個人情報を開示することにっいて控訴人らの同意を得る手続を執ることなく、控訴人らに無断で本件個人情報を警察に開示した同大学の行為は、控訴人らが任意に提出したプライバシーに係る情報の適切な管理についての合理的な期待を裏切るものであるといわざるを得ず、したがって、控訴人らのプライバシーを侵害するものとし不法行為を構成するというべきである。
三 争点(2)(控訴人らの被控訴人に対する損害賠償請求権の行使が権利の濫用として許されないものであるか否か)について
 被控訴人は、(1)控訴人らが本件講演会に参加した目的は江主席の講演を妨害すること、すなわち住居侵入罪及び威力業務妨害罪という犯罪行為を行うためであって、その手段として本件名簿に氏名等の本件個人情報を記載したものであること、(2)控訴人らの本件講演会に対する妨害行為は、犯罪行為に当たる上、学生の本分に反する行為であって、早稲田大学の名誉及び信用を著しく毀損し、早稲田大学に甚大な被害を及ぼしたものであること、(3)控訴人らは、本件訴訟において、本件逮捕及び本件処分が正当なものであることを知りながら、あえて、早稲田大学が違法な本件逮捕に協力して無効な本件処分をしたものであると主張して、損害賠償、本件処分の無効確認並びに謝罪文の交付及び掲示を求めたものであり、被控訴人は、控訴人らによる上記のような不当訴訟により応訴を余儀なくされ、弁護士費用相当の損害を被ったこと、(4)本件個人情報の開示は、本件講演会の警備という正当な目的のために有用かつ必要なものであり、その方法も社会通念上相当なものであって、控訴人らの被った精神的損害の程度は極少なものであることなどを理由として、控訴人らが本件個人情報の開示により取得した損害賠償請求権を行使することは、クリーン・ハンズの原則、公共の福祉、信義誠実の原則に違反し、権利の濫用として許されない旨を主張する。
 確かに、前記認定のとおり、控訴人らは、江主席の講演中、突然、座席から立ち上がり、「中国の核軍拡反対」などと大声で叫び、また、衣服の中に隠し持っていた横断幕を取り出して両手で広げる等の行為をしたのであり、横断幕を衣服の中に隠し持っていたこと等の事情からして、控訴人らが江主席の講演を妨害する意図をもって本件講演会の会場に入場したものと認めることはでき、そうすると、控訴人らが本件講演会の参加申込みをした時点においても江主席の講演を妨害する目的をもっていたものと推認することが可能といえるが、そのような事情があるとしても、被控訴人が本件個人情報を警察に開示することをあらかじめ明示して承諾を求めることが容易であること、そして、控訴人らの本件個人情報が控訴人らのプライバシーに係る情報として法的保護の対象となること自体に変わりはなく、被控訴人が控訴人らの本件個人情報を無断で警察に開示したことについて、控訴人らのプライバシーを侵害するものとして不法行為が成立する以上、控訴人らがその損害賠償請求権を行使することが、クリーン・ハンズの原則、公共の福祉、信義誠実の原則に違反し、権利の濫用に当たるものとして許されないとまでいうことは困難である。また、被控訴人の主張する上記(2)ないし(4)のような事情があるとしても、前記のとおり、被控訴人が控訴人らの同意を得ないで控訴人らの本件個人情報を警察に開示したことが、まさに不法行為を構成し、控訴人らが損害賠償請求権を取得するのであるから、被控訴人が控訴人らに対して損害賠償請求等の措置を採ることは格別、控訴人らがその損害賠償請求権を行使することが、クリーン・ハンズの原則、公共の福祉、信義誠実の原則に違反し、権利の濫用に当たるものとして許されないということも困難というほかない。
 したがって、被控訴人の上記主張は採用することができない。
 なお、控訴人らは、控訴人らによる本件損害賠償請求権の行使が権利の濫用として許されない旨の被控訴人の主張は、原審及び差戻し前の控訴審において主張されていないものであって、本件訴訟の経過にかんがみ、被控訴人の重大な過失による時機に後れた防御の方法であることは明らかであり、訴訟を遅延させるものとして却下されるべきであると主張する。
 しかしながら、本件訴訟の経緯、とりわけ、被控訴人は、控訴人らのプライバシー侵害を理由とする損害賠償請求について、不法行為の成立自体を強く争っており、原判決及び差戻し前の控訴審判決がいずれも当該不法行為の成立を否定していた経過に照らすと、被控訴人の上記主張が被控訴人が重大な過失により時機に後れて提出した防御の方法であるとまでいうことは困難である。また、上記のとおり、被控訴人の上記主張の根拠としている事実関係は、既に取調済みの証拠に基づくものであって、被控訴人が新たな証拠の申出をしていないことからして、被控訴人の上記主張の提出により本件訴訟の完結を遅延させることとなるともいい難い。そうすると、被控訴人の上記主張を時機に後れた防御の方法として却下することは相当ではないというべきである。
四 争点(3)(被控訴人が控訴人らに対して負うべき損害賠償(慰謝料及び弁護士費用)の額について
(1)前記のとおり、本件個人情報は、控訴人らのプライバシーに係る情報として法的保護の対象となるものであって、早稲田大学が控訴人らに無断で本件個人情報を警察に開示した行為は、控訴人らのプライバシーを侵害するものとして不法行為を構成するというべきであるから、これにより控訴人らが被った精神的苦痛について、被控訴人は、控訴人らに対して損害賠償責任を負うべきである。そこで、その損害賠償の額について検討することとする。
(2)本件個人情報の開示が不法行為を構成するのは、早稲田大学が本件個人情報の開示についてあらかじめ控訴人らの承諾を求めることが困難であった特別の事情がないのに控訴人らの同意を得ることなく開示をしたからであって、本件個人情報の開示自体には本件講演会の警備等の正当の理由があり、開示された個人情報も秘匿されるべき必要性が必ずしも高いものとはいえないものであったことに照らすと、早稲田大学が行った本件個人情報の開示が違法であることが本件訴訟において肯定されるならば、控訴人らの被った精神的損害のほとんどは回復されるものとも考えられる。また、控訴人らは、本件講演会の参加申込みをした時点において江主席の講演を妨害する目的をもっていたことは前記のとおりであり、以上の事情その他本件に現れた一切の事情を斟酌すると、控訴人らの精神的損害を回復させるためには、控訴人に対する慰謝料は五〇〇〇円とすることが相当であり、また、弁護士費用相当の損害賠償請求を認める理由はない。
 なお、控訴人らは、本件と同様の内容の別件において、最高裁判所が被控訴人に対して学生一人当たり各慰謝料一万円の支払を命じた東京高等裁判所の判決(甲第一二四号証)を維持して上告を棄却する旨の判決(甲第一二六号証)を言い渡したことを指摘し、早稲田大学が控訴人らに対して謝罪の意を表するような姿勢を全く見せていないこと等の本件上告審判決後の事情にかんがみると、控訴人らに対しては、上記金額を上回る額の損害金の支払を命じるべきであると主張するが、本件上告審判決後の事情は、被控訴人の本件不法行為成立後の事情であるから、控訴人らの慰謝料額の検討において、これを慰謝料増額の理由とすることには無理があるのみならず、上記事情に照らすと、控訴人らの主張するような事情を考慮に入れても、なお控訴人らに対する慰謝料の額は、前記の金額が相当である。また、本件には、上記の別件には見られない上記の事情(控訴人らは、本件講演会の参加申込みをした時点において江主席の講演を妨害する目的をもっていたことが認められること。)があることから、上記の別件の訴訟における慰謝料を下回る慰謝料額となることもやむを得ないものというべきである。
五 以上によれば、控訴人らの被控訴人に対するプライバシー侵害を理由とする損害賠償請求は、それぞれ、慰謝料五〇〇〇円及びこれに対する平成一一年四月一〇日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから、その限度において認容し、その余の請求をいずれも棄却すべきである。
 したがって、本件控訴は理由があるから、これと異なる原判決を上記判断と抵触する限度で変更することとし(なお、仮執行宣言については、相当ではないからこれを付さないこととする。)、主文のとおり判決する。

東京高等裁判所第21民事部
 裁判長裁判官 濱野惺
 裁判官 富田善範
 裁判官 小林昭彦
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