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【事件名】青色発光ダイオード“発明の対価”請求事件
【年月日】平成16年1月30日
 東京地裁 平成13年(ワ)第17772号 特許権持分確認等請求事件
 (中間判決の口頭弁論終結の日 平成14年6月27日)
 (終局判決の口頭弁論終結の日 平成15年10月24日)

判決
原告 N
訴訟代理人弁護士 升永英俊
復代理人弁護士 荒井裕樹
同 江口雄一郎
被告 日亜化学工業株式会社
訴訟代理人弁護士 品川澄雄
同 吉利靖雄
同 内田敏彦
同 宮原正志


主文
1 被告は、原告に対し、200億円及びこれに対する平成13年8月23日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用はこれを10分し、その1を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
4 この判決の第1項は、仮に執行することができる。

事実及び理由
第一 原告の請求
一 主位的請求
1 被告は、原告に対し、別紙特許権目録記載の特許権につき、持分1000分の1の移転登録手続をせよ。
2 被告は、原告に対し、1億円及びこれに対する平成13年8月23日(訴訟提起の日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
二 予備的請求(その1)
1 被告は、原告に対し、別紙特許権目録記載の特許権につき、持分1000分の1の移転登録手続をせよ。
2 被告は、原告に対し、1億円及びこれに対する平成13年8月23日(訴訟提起の日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
三 予備的請求(その2)
 主文第1項と同じ。
第二 事案の概要
一 請求の要旨
 原告は、被告会社の元従業員であり、被告会社在職中に窒化物半導体結晶膜の成長方法の発明(以下「本件特許発明」という。)をした。この発明は、平成2年10月25日、被告会社により特許出願され、平成9年4月18日、発明者を原告、権利者を被告会社として設定登録された(特許第2628404号。以下、この特許権を「本件特許権」という。)。
 原告は、本件特許発明についての特許を受ける権利(以下「本件特許を受ける権利」という。)は、同発明の完成と同時に発明者である原告に原始的に帰属し、現在に至るまで被告に承継されていないと主張して、被告に対し、主位的に、一部請求として本件特許権の一部(共有持分)の移転登録を求めるとともに、被告が本件特許権を過去に使用して得た利益を不当利得であるとして、その一部である1億円の返還及び遅延損害金の支払を求めている(前記第一、一)。
 原告は、予備的に、仮に本件特許を受ける権利が職務発明として被告に承継されている場合には、特許法35条3項に基づき、発明の相当対価の一部請求として、本件特許権の一部(共有持分)の移転登録並びに1億円及び遅延損害金の支払を求めると主張している(前記第一、二)。
 また、仮に、特許法35条3項に基づく対価請求として、特許権の一部(共有持分)の移転登録を求めることが許されない場合には、同項に基づき、発明の相当対価の一部請求として、200億円及び遅延損害金の支払を求めると主張している(前記第一、三)。
二 本件訴訟の経緯
 原告は、平成13年8月23日、第一、一ないし三記載の裁判を求めて本件訴訟を提起した(ただし、訴訟提起時における予備的請求(その2)(第一、三)の請求額は、20億円であった。)。
 当裁判所は、平成14年6月27日に口頭弁論を終結し、同年9月19日、第一、一記載の主位的請求につき、本件特許を受ける権利が被告会社に承継された旨の被告の主張は理由がある旨の中間判決をした(本判決末尾添付。以下、単に「中間判決」という。)。
 中間判決以後は、本件特許権が被告会社に帰属することを前提に、特許法35条3項、4項に基づき本件特許発明の相当対価を請求する予備的請求(第一、二及び三)についての審理がされ、原告は、上記予備的請求(その2)の請求額を、平成15年6月17日に提出された同日付け原告準備書面(28)により50億円に、同月19日に提出された同日付け原告準備書面(29)により100億円に拡張し、さらに同年9月19日に提出された同日付け原告準備書面(46)により200億円に拡張した。
 当裁判所は、平成15年10月24日に再び口頭弁論を終結した。
三 前提となる事実(当事者間に争いがないか、あるいは当該箇所に掲げた証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
1 当事者
 被告は、蛍光体や電子工業製品の部品・素材の製造販売及び研究開発等を目的とする株式会社である。
 原告は、被告会社の元従業員であり、現在、米国カリフォルニア大学サンタバーバラ校の教授である。
2 原告の就職
 原告は、昭和54年3月、徳島大学工学部修士課程を卒業した後、被告会社に就職した。
 被告会社は、従来、蛍光体原料(リン酸カルシウム)及び蛍光体の製造販売を主たる業務としていたが、原告の就職当時には、蛍光体以外に新規開拓すべき分野として、赤色LED(発光ダイオード)等の半導体結晶膜の原料となるGaメタル(ガリウムメタル)の精製に取り組んでいた。
 原告は、就職後間もないころから、GaP(ガリウム燐)の研究開発・製品化に従事し、また、赤外及び赤色LEDの原料となるGaAs(ガリウム砒素)の研究開発・製品化に従事した。さらには、赤色LEDのチップを製造するため、GaAlAs(ガリウムアルミ砒素)結晶膜の液相エピタキシャル成長方法の研究開発に取り組んだ(甲4、93〜96等)。
3 青色LED研究開発の着手
 原告は、昭和63年ころ、当時誰も開発に成功しておらず、実用化は21世紀になるだろうといわれていた青色LED(発光ダイオード)を新たな研究開発テーマにしたいと考え、LED(発光ダイオード)の半導体結晶膜を成長させる方法として有機金属気相成長法(MOCVD)を学ぶため、被告会社の許可を得て、同社の費用で米国フロリダ州立大学に約1年間留学した(甲96等)。
4 MOCVD装置
 原告は、平成元年4月ころに帰国した後、被告会社に納入されていた市販のMOCVD装置(訴外株式会社日本酸素製)を用いて、GaN(窒化ガリウム)の結晶膜の成長に取り組み始めた。
 ただし、同装置は、原料となる元素(N、Ga等)を供給するガスの配管や反応装置部分の構造が複雑である上に、ガスの供給条件(流速、角度等)や反応温度の設定によって、無数の反応条件の組み合わせがあり、製品化に耐え得る質のGaN結晶膜を成長させるのは容易なことではなかった。原告も、当初は、上記市販装置に添付されたマニュアルを参照するなどして結晶膜の成長を試みたが、満足のいく質のGaN結晶膜を得ることはできず、自らガス配管の形状を改造し、基板を加熱するヒーターを設計して自作するなど、試行錯誤を繰り返した。
5 本件特許発明
 原告は、平成2年9月ころ、上記市販装置の反応装置部分を改造し、基板に対して概ね平行な方向から反応ガスを、実質的に垂直な方向から不活性ガスを、それぞれ供給するように自作したMOCVD装置(以下「ツーフロー方式1号機」という。)を用いて、窒素化合物半導体結晶膜の成長方法に関する本件特許発明を発明した。
 被告会社は、同年10月25日、本件特許発明につき原告を発明者、被告会社を出願人として特許出願をした。この特許出願に際して願書に添付された明細書における特許請求の範囲の記載は、下記のとおりであった(以下、この出願を「本件特許出願」といい、本件特許出願に際して願書に添付された上記明細書を「当初明細書」という。乙102[特開平成4−164895号]参照)。
 「基板の表面に反応ガスを噴射して、加熱された基板表面に半導体結晶膜を成長させる方法において、基板の表面に、平行ないし傾斜して反応ガスを噴射すると共に、基板に向かって押圧拡散ガスを噴射することを特長とする半導体結晶膜の成長方法。」
6 被告社規
 ところで、被告会社には、昭和56年に取締役会で制定され、昭和60年に改正された社規第17号が存在する。同社規は、昭和60年の改正により名称を「発明・考案及び業務改善提案規定」と改め、昭和60年6月10日から平成8年ころまで施行された(乙7の1。以下、昭和60年改正後の社規第17号を単に「被告社規」という。)。したがって、本件特許発明がされた平成2年9月ころには、被告社内における職務発明及び考案等の扱いを定めるものとして、上記被告社規が施行されていた。
 被告社規には、次のような条項が置かれている。
 第1条(目的)
  従業員が行なう発明・考案及び業務改善の取扱いについて定め、創意工夫の意欲を高め、社業の向上に資する。
 第2条(発明・提案の内容)
  発明・考案、改善提案の内容は、次の通りとする。
  1.発明・考案は、その性質上会社の職務範囲とする。
  2.(省略)
 第3条(資格)
  従業員は、すべてこの規定により発明・考案及び改善提案を行なうことができる。
 第4条(職制の義務)
  部課長は常に部署の業務内容を把握し、発明・改善及び特許問題等の発掘に努め適切な対策と指導を行い、特許、実用新案に関する権利の侵害を防ぐため、公報の閲覧等を行い必要な対策を講ずる。
 第5条(提出方法)
  提出方法は次の通りとする。
  1.発明・考案を行なった時は、その案を所属長を経て特許担当部門に提出する。
  2.(省略)
 第6条(業務分担)
  担当部門は、次の業務を行う。
  1.特許担当部門
   @発明・考案の受付及び出願手続の点検と弁護士・弁理士への委嘱
   A特許委員の選任及び委員会の招集
   B表彰手続及び決定事項の報告
   Cその他特許に関する必要事項
  2.(省略)
 第7条(委員会)
  発明・考案及び改善提案の推進と効果の拡大を図るため、各委員会を置き、委員会は原則として毎月1回以上開催し、次の業務を行う。
  1.特許委員会
   @特許出願及び技術保全に関する審議
   A異議申立及び特許係争に関する審議
   B特許情報管理及び啓発に関する審議
   C特許・考案の内容評価
  2.(省略)
  3.(省略)
  第8条、第9条(省略)
  第10条(表彰及び褒賞)
   従業員が行った発明・考案及び改善提案に対し、別に定める基準(付則−1)により表彰及び褒賞金を支給する。
   そして、第10条を受けて定められた社規第17号付則−1には、次の条項が置かれている。
   T (省略)
   U 発明・考案関係
  1.審査及び表彰基準
  発明・考案の評価は、下記事項に基づき特許委員会が審査を行い、上長の承認を受け表彰する。賞金はその都度決定する。
   @特許出願件数
   A権利取得状況
   B内容の検討
  2.褒賞金支給基準
   @特許出願1件につき 10、000円
   A権利成立1件につき 10、000円
   B認証1件につき 5、000円
   C実用新案出願1件につき 5、000円
   D実用新案成立1件につき 5、000円
7 出願補償金の受領
 原告は、本件特許発明が出願された平成2年10月25日ころ、上記被告社規10条及び社規第17号付則−1、U、2.@の規定に基づき、被告会社から1万円の支払を受けた。
8 GaN系バッファ層及びp型化アニーリングの各発明
 原告は、本件特許発明をした後も、ツーフロー方式1号機を用いて、より結晶性の高いGaN結晶膜を成長させる方法の研究開発に努めた。そして、平成3年3月ころには、LED素子の基板となるサファイア基板の上にGaN系の化合物からなるバッファ層を成長させることを特徴とするGaN系化合物半導体の結晶成長方法に係る発明(特開平成8年−8217号)をした。被告会社は、そのころ、同発明を特許出願した(以下、この発明を「GaN系バッファ層の発明」という。甲63、161等)。
 また、原告は、同年12月ころには、当時原告の部下であった被告会社従業員Bと共に、有機金属気相成長法(MOCVD)によりp型不純物(例えばMg)をドープしたGaN系化合物半導体を成長させた後、400℃以上の温度でアニーリング(熱処理)を行うことを特徴とするp型GaN系化合物半導体の製造方法に係る発明をした。被告会社は、そのころ、同発明を特許出願した(後の特許第2540791号。以下、この発明を「p型化アニーリングの発明」という。甲63、161等)。
9 InGaN結晶膜の成長
 平成4年に入ると、被告会社は、前記市販のMOCVD装置(訴外株式会社日本酸素製)を更に数台購入し、反応装置部分をツーフロー方式1号機と同様に改造して(以下、これらのMOCVD装置を「ツーフロー方式2号機等」という。)、同1号機と共に稼働させ、GaN系化合物半導体の開発製造を進めた。
 原告は、同年3月ころには、いわゆるpn接合型のLEDを試作し、同年6月ころには、いわゆるダブルへテロ構造のLEDの発光層を形成する、結晶性の高いInGaN結晶膜を成長させることに成功した。
10 ダブルへテロ構造の青色LEDの製品化
 原告は、平成5年に入ると、ダブルへテロ構造のLEDの試作に成功し、同年12月ころ、被告会社は、世界で初めて同構造の青色LEDの製品化を発表した。
 この青色LEDの製品化を報じる平成6年2月7日付け日経産業新聞の記事(甲92)には、「1988年に青色LEDの研究に着手した日亜のN主任研究員は、苦心の末に独自の『ツーフローMOCVD(有機金属化学的気相成長)』装置を開発。結晶と基板をぴったりと合わせることに成功し、ちょうど1年前に発光を確認した。技術的な完成度が高く、同社は試作品を通り越していきなり本格生産に踏み切った。‥‥‥本社工場に設けた生産ラインの歩留まりは『80%』(D技師長)で、四月から月間百万個単位の出荷を計画している。価格は一個五百円。」と記載されている。
11 高輝度LED及びLDの製品化
 原告は、上記ダブルへテロ構造の青色LEDの製品化に続き、さらに発光輝度の高いLEDを製作するため、量子井戸構造の発光層からなるLEDの研究開発に着手し、これに成功した。
 被告会社は、平成7年9月ころ、世界で初めて量子井戸構造の発光層を有する高輝度青色LED及び緑色LEDの製品化を発表した。また、平成8年9月ころには、これも世界で初めて白色LEDの製品化を発表した。
 また、原告は、LED(発光ダイオード)にとどまらずLD(レーザーダイオード)の研究開発も進め、平成7年9月ころには、世界で初めてInGaN井戸層及びInGaN障壁層からなる多重量子井戸構造の発光層を有する紫色LDの発振に成功した。
 その後の平成11年4月ころ、被告会社は、世界で初めて上記多重量子井戸構造の発光層を有する紫色LDの製品化を発表した。
12 拒絶理由通知と補正
 他方、当時出願中であった本件特許発明に対し、平成8年8月22日付けで拒絶理由通知書(乙104)が発せられた。この拒絶理由通知は、公知文献である「Journal of Electronic Materials,14〔5〕(1985)」(乙103)を引用した上、同文献の第5図(Fig.5.)には、当初明細書の特許請求の範囲に記載された発明と同一の半導体結晶膜の成長方法が記載されている旨を指摘するものであった。
 被告会社は、上記拒絶理由通知を受けて、同年11月16日付けで意見書(乙105)を提出し、上記文献の第5図に記載された半導体結晶膜の成長方法は、基板に向かって平行な方向及び垂直な方向の両方から反応ガスを噴射し、半導体結晶膜を成長させるものであるのに対し、出願に係る発明は、基板に垂直な方向に反応ガスを含まない不活性ガスを押圧ガスとして供給する相違点がある旨の意見を述べた。また、被告会社は、同日付けで手続補正書(乙106)を提出し、明細書における特許請求の範囲の記載を、下記のとおり補正することなどを内容とする補正を行った。
 「加熱された基板の表面に、基板に対して平行ないし傾斜する方向と、基板に対して実質的に垂直な方向からガスを供給して、加熱された基板の表面に半導体結晶膜を成長させる方法において、基板の表面に平行ないし傾斜する方向には反応ガスを供給し、基板の表面に対して実質的に垂直な方向には、反応ガスを含まない不活性ガスの押圧ガスを供給し、不活性ガスである押圧ガスが、基板の表面に平行ないし傾斜する方向に供給される反応ガスを基板表面に吹き付ける方向に方向を変更させて、半導体結晶膜を成長させることを特徴とする半導体結晶膜の成長方法。」
13 本件特許権の設定登録及び登録補償金の支払
 本件特許発明は、平成9年4月18日に設定登録された(特許第2628404号)。
 原告は、そのころ、上記社規第17号付則−1、U、2.Aの規定に基づき、被告会社から1万円の支払を受けた。
14 被告会社の実施する方法
 なお、被告会社は、本件特許権が設定登録される直前の平成9年4月15日ころ以後、別紙「被告方法目録」記載の方法(以下「被告現方法」という。)を実施して、青色LED及びLD等の半導体発光素子製品を製造している。
15 特許異議と訂正
 平成10年1月8日、本件特許権に対して特許異議の申立てがあり、特許庁から取消理由通知が発された。
 被告会社は、同年7月14日付けで、不明瞭な記載の釈明を目的として、発明の名称「半導体結晶膜の成長方法」を「窒素化合物半導体結晶膜の成長方法」に訂正するとともに、特許請求の範囲の減縮を目的として、前記補正後の明細書における特許請求の範囲の記載を下記のとおり訂正することなどを内容とする訂正請求をした(乙1、3、86)。
 「加熱された基板の表面に窒素化合物半導体結晶膜をMOCVD法でもって常圧で成長させる方法において、基板の表面に平行ないし傾斜する方向には、窒素化合物半導体の原料となる反応ガスを供給し、基板の表面に対して実質的に垂直な方向には、反応ガスを含まない不活性ガスの押圧ガスを供給し、不活性ガスである押圧ガスが、基板の表面に平行ないし傾斜する方向に供給される、窒素化合物半導体の原料となる反応ガスを基板表面に吹き付ける方向に方向を変更させて、窒素化合物の半導体結晶膜を成長させることを特徴とする窒素化合物半導体結晶膜の成長方法。」
16 本件特許の維持
 特許庁は、平成10年11月18日、上記訂正を認めた上で、本件特許を維持する旨の決定(乙1)をし、この決定は確定した。
 したがって、被告会社は、上記訂正後の明細書(以下「本件明細書」という。)における特許請求の範囲に記載された発明に係る特許権(本件特許権)を、設定登録日である平成9年4月18日から存続期間満了日である平成22年10月25日まで有するものである。
17 原告の退職
 原告は、平成11年12月に被告会社を退職した。
第三 当事者の主張
一 主位的請求について
1 被告の主張
 中間判決「事実及び理由」欄の第3、1記載のとおり。
2 原告の反論
 中間判決「事実及び理由」欄の第3、2記載のとおり。
3 被告の再反論
 中間判決「事実及び理由」欄の第3、3記載のとおり。
二 予備的請求について
1 原告の主張
(1) 相当対価の算定式
 従業者によって職務発明がされた場合、使用者は無償の通常実施権(特許法35条1項)を取得する。したがって、使用者が当該発明に関する権利を承継することによって受けるべき利益(同法35条4項)とは、特許権譲渡の対価と必ずしも同じではなく、当該発明に係る特許権を独占することによって得られる利益(以下「独占の利益」という。)と解すべきである。ここで、上記独占の利益とは、@ 使用者が職務発明を自社で実施している場合には、それにより得られる超過収益のことであり、A 他社に同発明の実施許諾をしている場合には、それによって得られる実施料収入のことである(高林龍「標準特許法」74〜75頁〔有斐閣・平成14年〕参照)。
 ところで、被告会社は、LED及びLD各製品を製造するに際し、本件特許権のみならず、被告会社の保有する他の多くの特許権(そのほとんどは、原告の単独ないし共同発明に係るものである。)をも実施しており、かつ、被告会社は、本件特許権を含むこれらの発明を自社のみで実施し、他社にライセンスしていない。そうすると、本件においては、下記の計算式に示すとおり、LED及びLD各製品に実施された本件特許権を含む多数の特許を独占し、これらを自社で実施することによって被告が得られる利益を算出した上(上記@の場合)、これに上記多数の発明中の本件特許発明の貢献度割合を乗じ、さらに、同発明について従業者発明者である原告が貢献した割合(特許法35条4項参照)を乗じたものが、本件特許権の相当対価として算出されるというべきである。
 本件特許権の相当対価=上記多数の特許に係る独占の利益×本件特許権の貢献度×原告(発明者)の貢献度
(2) 独占の利益
 監査法人トーマツ作成の「青色LED特許権の『相当の対価』算定における無形資産の超過収益の価値評価について」と題する書面(甲122。以下「トーマツ鑑定書」という。)は、被告会社の平成6年12月期から平成14年12月期までの各期ごとの売上高(既に明らかになっている。)に基づき、平成6年12月期から本件特許権の存続期間満了年次に当たる平成22年12月期までのLED及びLD各部門の税引後営業利益累計を予測して算出する。そして、この税引後営業利益累計から、LED及びLD各製品の生産・販売に投下した特許権以外の資本(必要運転資本、固定資本)の期待利益額(いわゆるキャピタルチャージ)を控除し、さらに無形資産である上記特許権の期待利益額を控除して、平成15年8月末現在の上記超過収益の額を算定している。
 一般的な開発投資リスクプレミアム10%を適用して計算した場合の超過収益額は、1493億9300万円である。
 また、本件における4つの特殊事情、すなわち、@ 青色LEDは市場が待ち焦がれていた製品であり、巨大な需要が存在することは平成9年4月18日の本件特許権の設定登録の時点において容易に予想されたこと、A 前記平成6年2月7日付け日経産業新聞の記事(甲92)からも分かるように、被告会社は、青色LED製品の歩留率として非常な高水準である80%を達成しており、製品化リスクが低いばかりか、他社製品とのコスト競争に負けるリスクも低いと考えられること、B 訴外スタンレー電気株式会社(以下、単に「スタンレー電気」という。)が、東北大学名誉教授NS博士の発明に係る半導体膜結晶成長技術「温度差法」を用いて高品質な赤色LEDを製造し、市場で長期間優位性を保っていることから分かるように、LEDの製造については高品質な結晶を成長させることが重要なポイントであり、したがって、青色LEDの市場においても、窒化化合物半導体の結晶膜成長方法である本件特許権を用いて製造された被告製品の優位性が長期間保たれると予測できること、C 本件特許権の設定登録の時点においては、青色LED製品は既に製品化されていて市場の評価を受けており、かつ、特許公開から5年が経過して、本件特許権の有用性についても専門家の検討が進んでいたと考えられること、といった事情を考慮に入れた場合は、上記超過収益額は2652億4300万円となる。
 なお、株式会社ベンチャーラボ及びASG監査法人作成の「特許の価値評価」と題する書面(甲129の1。以下「ベンチャーラボ&ASG鑑定書」という。)は、@ 実施料率をベースとした価額評価、A フリーキャッシュフローをベースとした価額評価、及びB いわゆるモンテカルロ・シュミレーションによる価額評価、という複数の評価方法に基づき、平成15年8月末現在の上記超過収益の額を算出している。その結果は、実施料率を20%として上記@の方法によった場合が2911億円、資本コストとビジネスリスクの合計を6.47%として上記Aの方法によった場合が2870億円ないし2942億円、フリーキャッシュフローをベースとして上記Bの方法によった場合の中央値が2872億円あるいは2940億円、さらに、売上高をベースとして上記Bの方法によった場合の中央値が2841億円あるいは2919億円である。このように、ベンチャーラボ&ASG鑑定書における計算結果は、いずれもトーマツ鑑定書における鑑定結果である上記2652億4300万円と近似する数値を示しており、このことは、トーマツ鑑定書の信用性を裏付けるものというべきである。
 ところで、いわゆるオリンパス光学事件最高裁判決(最高裁平成13年(受)第1256号同15年4月22日第三小法廷判決・民集57巻4号477頁。以下、単に「オリンパス光学事件最高裁判決」ということがある。)をはじめとする相当対価算定が問題となった裁判例は、いずれも口頭弁論終結時における実施料の累計額を、特許出願時や特許設定登録時に割り戻して計算することなく、そのまま相当対価算定の基礎に用いている。したがって、口頭弁論終結時(平成15年10月24日)を基準とすることとし、原告は、上記4つの特殊の事情を考慮した場合の超過収益2652億円を、上記基準時の価額にひきなおして再計算した3357億5300万円が、本件における相当対価算定の基礎となる独占の利益の額であると主張する。
(3) 本件特許権の貢献度
ア 他の基本技術(特許)との関係
 被告会社が保有する技術(特許)のうち、GaN系青色LEDの製造に関与する主な技術としては、@ 結晶性の良いGaN結晶膜を成長させる技術である本件特許発明のほかに、A サファイア基板上にバッファ層を設ける技術(前記「GaNバッファ層の発明」)、B p型GaN化合物半導体を製造するために不純物Mgをドープする技術、C Mgドープによりp型化する際のアニール(熱処理)技術(前記「p型化アニーリングの発明」)などが挙げられる。これは被告の指摘するところであるが(平成14年12月18日付け被告第11準備書面参照)、原告も、一般論としてそのことを否定するものではない。
 しかしながら、被告会社が市場において圧倒的な競争力を誇る高輝度のLED及びLDについては、本件特許権の貢献度が100%であり、その他の技術の貢献度はゼロというべきである。なぜなら、発光素子を構成する窒化物化合物の結晶膜の質がよくなければ、その他の点でいくら優秀な技術を用いても、高輝度の発光素子を製造することはできない。例えていえば、質の高い結晶膜はダイヤモンドの原石なのであり、原石がよくなければ、いくら磨いても高品質のダイヤモンドは得られないのである。そのことは、本件特許権を独占する被告会社が、上記A〜Cの点についてそれなりの代替技術や独自技術を有する競業会社である豊田合成株式会社及び米国法人クリー社(以下、それぞれ単に「豊田合成」及び「クリー社」という。)に比して、常に何割か輝度の高いLED及びLDを製造し続け、市場における優位性を保ち、限界利益率80%(これは、被告会社が豊田合成に対して提起した別件の特許権侵害訴訟事件において、被告自身が主張していた数値である。甲13参照)という驚異的な高収益をあげていることに、端的に示されているというべきである。
 念のため、上記A〜Cについて触れておくと、Aの点、すなわち、基板上にバッファ層を設ける技術については、被告会社が原告の発明に係るGaNバッファ層を用いているのに対し、豊田合成及びクリー社は、代替技術であるAlN(窒化アルミニウム)バッファ層を用いており、GaNバッファ層の発明が被告が得る独占の利益(前記(2))に貢献しているものとは認められない。また、Bの点、すなわち、p型半導体を得るために不純物Mgをドープする技術それ自体は、1970年代から研究され、開発されてきた公知の技術であり、独占の利益の根拠になるようなものではない。さらに、Cの点、すなわち、p型化のアニール(熱処理)技術についてみると、原告の共同発明に係るp型化アニーリングの発明は、たしかにp型半導体の安定した量産に貢献するものであるが、必ずしも高品質な結晶膜の形成に貢献するものではないし、豊田合成が使用する、A名古屋大学名誉教授らの研究グループ開発に係る電子線照射によるp型化という代替技術が存在する。
 以上のとおりであるから、上記A〜Cの点は、本件特許権の貢献度を100%と認めることの妨げになるものではない。
イ 本件特許権の市場独占力
 被告会社は、現在数百台のMOCVD装置を稼働させて、高輝度LED及びLDを量産しているはずであるが、これらのMOCVD装置はすべて、原告が市販の装置を改造して作成した前記ツーフロー方式1号機の延長線上にある被告会社オリジナルの装置である。
 そもそも、MOCVD(有機金属気相成長法)自体が、ほんのわずかな実験条件の違いによって結晶膜の成長が左右される非常に精密な技術であり、市販のMOCVD装置を使って、製品化できるレベルの結晶膜を成長させる場合においても、その調整のために数年程度の月日を要することが珍しくない。ましてや、原告は、試行錯誤を重ねて、市販装置の反応装置部分を本件特許権を実施したいわゆるツーフロー方式に改造しており、MOCVD装置の心臓部というべき反応装置部分は、各種の配管等が入り組んだ非常に複雑な構成となっている。このようにして得られたMOCVD装置の構造及び結晶膜成長のための最適化条件こそが、高品質な窒化ガリウム系結晶膜を得るための最大のポイントであり、市場を席巻する被告会社の高輝度LED及びLDの競争力の源泉である。
 仮に当業者が本件特許権の明細書を見て、これを模倣して実施しようと試みたとしても、市販の装置ですら満足できる質の結晶膜を得るのに数年かかるのであるから、被告会社オリジナルのツーフロー方式の装置における最適化条件を見付けるには、それ以上の年限を要することが容易に予想される。しかも、上記のとおり、被告会社のMOCVD装置の反応装置は非常に複雑な構造をしており、被告会社はこれを某メーカーに製造させているはずであるが、注文どおりの構造の装置を作るには、職人芸というべき精妙な手工技術を要するので、せいぜい数か月に1台というような割合でしか製造することができない。そうすると、競業他社が、ツーフロー方式のMOCVD装置を数百台という単位で揃え、量産ベースにおいて被告会社に追いつくことは、事実上不可能というべきである。
 このことは決して空論ではなく、青色LEDに先立つ赤色及び黄緑色LEDの開発及び市場発展の歴史を見ても分かることである。すなわち、スタンレー電気は、前記NS博士の発明に係る半導体膜結晶成長技術「温度差法」を用いて、高品質な赤色LEDの開発に成功したが(前記(2)参照)、この温度差法を実施した最初の装置を開発するのに、昭和45年から同53年までの約8年の歳月を要した。他方、競業他社は、この複雑な装置を自社で製造することができず、市販の装置を使用することを余儀なくされたが、市販の装置を製造するメーカーは、上記発明に係る特許権との抵触をおそれて、温度差法を実施する装置を製造することができなかった。このことが原因となって、スタンレー電気は、世界で最初に高輝度赤色LEDの開発に成功し、かつ、今日まで約25年間の長きにわたり、高輝度赤色及び黄緑色LEDの市場において優位を保ってきたのである。
 上記のとおり、高輝度LEDの市場においては、いかに品質の高い化合物半導体の結晶膜を得るかが、競争力の最大の決め手になるというべきであり、競業他社が、少なくとも本件特許権の存続期間満了年次である平成22年までに、ツーフロー方式に基づき製造された被告会社製品と対抗し得る品質の高輝度青色LED及びLDを製造し、市場に参入する見込みは、ほとんどないに等しい。このように、本件特許権は、被告会社が市場を独占するに際して絶大な役割を果たしているのであり、この観点からも、本件特許権の貢献度が100%で、他の特許の貢献度はゼロというべきである。
ウ 小括
 上記のとおり、本件特許権の相当対価算定に当たって、被告会社が本件特許権を含む多数の特許を自社で実施することにより得られる独占の利益に乗じるべき本件特許権の貢献度は、100%というべきである。
(4) 発明者の貢献度
 原告は、被告会社就職以来、約10年間にわたって、赤色LED関連のGaP(ガリウム燐)、GaAs(ガリウム砒素)及びGaAlAs(ガリウムアルミ砒素)結晶膜の液相エピタキシャル成長方法の研究開発に取り組み(第二、三2)、いずれも製品化に成功したが、先行する大企業との競争力の違いから、被告会社の商業的成功にはつながらなかった。この経験が教訓となって、たとえ会社の方針に反してでも、他社が真似できない独自の技術を開発しなければならないとの思いを強め、当時、夢の実用技術と言われ、20世紀中の開発は不可能とまで言われていた青色LEDの研究開発に取り組みたいと考えるに至った。そして、原告に理解のあった当時のE社長(故人)に直訴し、青色LEDの研究開発の許可を取り付け、米国フロリダ州立大学に約1年間留学させてもらい、また、日本酸素製の市販MOCVD装置購入を含む約3億円の初期設備投資を負担してもらった。
 このようにして青色LEDの研究開発が始まったが、原告は、当時新入社員であったF氏やB氏を補助に付けてもらったほかは、ほとんど独力で開発を進めていった。本件特許発明も原告が独力でした発明であり、使用者たる被告会社は、原告を米国に留学させてくれたのと、後にツーフロー方式1号機となる上記市販のMOCVD装置を購入してくれた以外は、特に何も貢献していない。それとて、原告自身が青色LEDを取り組むべき研究開発テーマに選び、当時本命とされていたセレン化亜鉛(ZnSe)ではなく、結晶膜成長の制御が難しいとされていた窒化ガリウム(GaN)を敢えて発光素子の原料として選択し、さらに結晶膜成長方法として有機金属気相成長方法(MOCVD)を選んだ上でのことであるから、被告会社の貢献度はないに等しい。
 それどころか、被告会社の現社長であるG氏は、原告が本件特許発明のツーフロー方式に取り組んでいたさなかの平成2年3月26日ころ、被告会社を来訪した訴外松下電器のH氏の勧めに応じ、原告に対し、青色LEDの開発を中止して、当時被告会社に1台しかなかったMOCVD装置を用いて、携帯電話のHEMT(高速電子移動トランジスタ)用のガリウム砒素(GaAs)を製造することを命じた。また、平成4年3月に原告がpn接合型のGaN系青色LEDの試作に成功した後は、より輝度の高いLEDの開発を目指してダブルへテロ構造の発光素子の開発に取りかかろうとする原告に対し、単純なpn接合型のLEDを早く製品化するよう促した。さらに、G社長をはじめとする被告会社の経営陣は、同社のような小規模な地方企業が特許出願しても、公開等を通じて大手企業に技術が流出するだけであるとの考えを持っており、ダブルへテロ構造の青色LED製品化発表を目前にするところまでこぎ着けた平成5年夏ころには、当時、原告の発明に係る200以上の特許が出願されていることに気付き、公開前の方法特許はすべて取り下げるように命じた。被告会社特許部の若手社員は社長命令に従おうとしたが、原告の懸命な説得が功を奏し、特許出願取り下げを最小限で済ませてくれた。このような経緯を経て権利化された多数の特許が、現在被告会社の大黒柱に成長している。
 このように、G社長ら被告会社の経営陣は、原告による高輝度青色LED開発の節目節目において、そのつど開発を妨げる方向の経営判断や社長命令をしてきたのであり、解雇を覚悟で開発を続けることを決意した原告が、これに逆らって研究開発を続けたからこそ、現在被告会社に莫大な利益をもたらしている高輝度青色LED及びLDが製品化されたのである。
 上記のような特殊事情の存在する本件においては、本件特許発明は限りなく自由発明に近い発明というべきであって、本件特許発明をするに際し、従業員発明者である原告の貢献度は100%であり、他方、使用者である被告会社の貢献度はゼロというべきである。
(5) 原告の相当対価請求
 前記(1)のとおり、本件で問題となる本件特許権の相当対価は、被告会社保有に係る特許の独占の利益×本件特許権の貢献度×原告(発明者)の貢献度の算定式により算出されるところ、同(2)のとおり、被告会社が高輝度青色LED及びLD製品に実施する複数の特許を独占することによって得られる利益は、3357億5300万円である。また、これら複数の特許に占める本件特許権の貢献度は、同(3)のとおり、割合にして100%であり、本件特許発明に関して被告会社との関係における発明者(原告)の貢献度も、同(4)のとおり、割合にして100%である。したがって、本件特許権についての職務発明の相当対価は、3357億5300万円×1(100%)×1(100%)=3357億5300万円となる。
 ただし、前記トーマツ鑑定書によると、青色LEDが製品化された平成6年の12月期から口頭弁論終結の前年である平成14年12月期までの上記独占の利益は、口頭弁論終結時(平成15年10月24日)を基準にして、合計493億9000万円と算出される。
 したがって、これに対応する相当対価は、493億9000万円(493億9000万円×1(100%)×1(100%)=493億9000万円)となる。
(6) 原告による一部請求
ア 予備的請求(その1)
 原告は、特許法35条3項に基づき、職務発明の相当対価の一部請求として、本件特許権の一部(共有持分)の移転登録並びに1億円及びこれに対する訴訟提起の日(平成13年8月23日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
イ 予備的請求(その2)
 原告は、職務発明に基づく相当対価請求(特許法35条3項、4項)の一部請求として、被告会社が過去に独占の利益として得た493億9000万円に対応する相当対価493億9000万円(493億9000万円×1×1=493億9000万円)のうち200億円及びこれに対する訴訟提起の日(平成13年8月23日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を請求する。
 仮に、このような過去の受益分という形での限定が法律上できないのであれば、被告会社が本件特許権の存続期間満了までの独占の利益として得る過去及び将来の受益分に対応する相当対価全体である前記3357億5300万円のうち、一部請求として200億円及びこれに対する訴訟提起の日(平成13年8月23日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を請求する。
2 被告の反論
(1) 本件特許権の相当対価
ア 相当対価の算定式
 特許法35条4項の相当対価算定が問題になった過去の裁判例を分析すると、本件のように、従業員発明者の単独発明に係る特許発明について、使用者会社が当該発明を他社にライセンスせず、自社のみで実施して売上を得ている場合には、裁判例は、使用者会社の売上高に競業他社に対して当該発明の実施を禁止できたことに起因して得られた割合を乗じ、これに実施料率を乗じて、さらに発明者の貢献度を乗じ、相当対価の額を算定しているものと考えられる(東京地判平成4年9月30日判決・判例時報1433巻129号、大阪地判平成6年4月28日・判例時報1542巻115頁、大阪高判平成6年5月27日・判例時報1532巻118頁等参照)。現在のところ、相当対価算定に関する確立した手法は存在しないから、上記のような算定方式が著しく不合理でない限り、従前の裁判例に表れた、「相当対価=被告の売上高×競業他社に発明の実施を禁止できたことに起因する割合×実施料率×発明者の貢献度」という算定式によるべきである。
イ 競業他社に発明の実施を禁止できたことに起因する割合について
 被告提出に係る乙94(大阪府立大学先端研究所I氏の意見書)、乙112(早期審査に関する事情説明書)、乙113(電気学会技術報告)、乙114(名古屋大学名誉教授A博士らの論文)及び乙115(京都大学大学院工学研究科J博士の意見書)によれば、@ 本件特許発明のツーフロー方式が発明された当初から、すでに競業他社である豊田合成において、本件特許発明と同等かそれ以上のGaN結晶膜成長方法が開発されていたこと、A 本件特許発明の方法によると、わずかな反応回数によりGaN結晶物が押圧ガス副噴射管及び原料ガス噴射管に付着し、この方法は再現性が極めて悪く、工業化には全く不向きな技術であったこと、B 近年に至っては、MOCVD装置の汎用機メーカーが、結晶成長指導とセットにして汎用機を販売しており、しかも、このような汎用機によって成長させたGaN化合物半導体の結晶性は、本件特許発明の方法により成長させたそれの結晶性を上回っていること、以上の各事実が認められる。また、C 原告自身が、原告及びNS博士の共著に係る書籍「青の発見 赤の発見」(乙98)において、本件特許発明の方法により成長させたGaN化合物半導体の結晶性について、「できたものは、せいぜい他所でやっている結晶とどっこいどっこいの結晶ですよ。」と明確に述べている。
 以上を勘案すると、被告会社の売上高における、豊田合成等の競業他社に対して、本件特許発明の実施を禁止できたことに起因して得られた売上の割合は、ゼロであるといわざるを得ない。
ウ 実施料率について
 前記アの算定式における項目のひとつである「競業他社に発明の実施を禁止できたことに起因する割合」がゼロである以上、本件特許権の相当対価がゼロであることは明らかであり、これ以上の反論は本来不要であるが、議論を明確にするため、上記算定式のもうひとつの項目である実施料率についても述べておく。
 本件のように相当対価算定の対象となる発明の実施契約が存在しない場合においては、過去の裁判例は、競業他社等の平均値を参考にして実施料率を認定しているものと考えられるが、上記イで述べたとおり、本件特許権は競業他社に対する優位性のない技術であるばかりか、特許公報等の資料によれば、競業他社である豊田合成やクリー社は、いずれも本件特許権の方法と異なる独自のMOCVD装置を使用しているものと認められる。このように、競業他社に対する優位性がない上に、代替技術が存在する以上、それだけで実施料率は限りなくゼロに近いといわざるを得ない。
 そもそも、本件特許発明の方法は、それだけで製品化に耐え得る質の窒化物半導体結晶膜の成長を可能にするものではなく、この方法を実施したツーフロー方式1号機及び同2号機等は、工業的に無意味な装置ではなかったにせよ、競業他社に対する優位性は全くなかった。基板に平行ないし傾斜した方向から供給される原料ガスをいわゆる層流の状態にして、良質な結晶性のGaN系化合物結晶膜を成長させるためには、ガス噴射管の形状・角度、供給するガスの流速、基板の加熱温度等のいわゆるノウハウに属する部分が極めて重要であり、被告会社は、上記1号機及び2号機等に改良を加えてノウハウを蓄積し、本件特許発明が登録される直前の平成9年4月15日ころには、本件特許発明と別個の技術思想に基づく窒素化合物の半導体結晶膜成長方法を開発した。これが、被告現方法(別紙「被告方法目録」記載の方法)であり、被告会社は、そのころから現在に至るまで、被告現方法を実施したMOCVD装置(以下「被告現装置」という。)を稼働させて、高輝度青色LED及びLDの全製品を製造している。
 上記のとおり、良質なGaN結晶膜を成長させるにおいて本件特許発明が果たす役割は、被告現方法及び被告現装置が果たす役割に比して著しく小さく、100分の1にも満たない。このような観点からしても、本件特許権自体の実施料率は限りなくゼロに近いものというべきである。
エ 発明者の貢献度
 さらに、本件特許権の相当対価を算定する際の項目のひとつである発明者の貢献度について、被告の見解を述べる。
 本件においては、@ 被告会社は、昭和48年ころから将来のLED開発をにらんで基礎研究を始めており、半導体について全くの素人であった原告は、被告会社に入社して初めて、その開発方針に従い、同社が蓄積した半導体の基礎技術を学びながら、研究者として成長していったこと、A 本件特許発明の直接のきっかけとなったMOCVD装置の購入は、被告会社の開発方針に基づくものであり、原告はその方針に従って、同装置に関する基礎研究を目的として米国フロリダ州立大学に派遣されたこと、B MOCVD装置は、これを購入した平成元年当時で約1億3900万円と高価なものであり、当時の被告会社の規模(ちなみに、同社の平成元年度の経常利益は11億3000万円である。)からすれば莫大な投資であると同時に、原告が自認するとおり、LED製品化のめどは全く立っておらず、非常にリスクの高い投資であったこと、C 結晶膜成長の基板となる2インチのサファイヤ基板は、平成2年当時の価格が1枚3万円強であるなど、MOCVD装置を使用した実験は非常にコストがかかるものであり、本件特許発明が特許出願される同年10月ころまでの間に、同装置に関して約3億8000万円もの開発研究資金を投じた被告会社の大胆な投資なくして、本件特許発明は完成に至らなかったこと、D 被告会社特許部は、本件特許発明を特許出願した後も、拒絶理由通知及び特許異議申立に対して苦慮しつつ適切に対応し、再度にわたる補正を経て平成9年4月の登録にこぎ着けたものであり、このような特許部の尽力なくして、本件特許権は成立し得なかったこと、E 他方、原告は、本件特許権の事業化の過程において、例えばプロジェクトチームに参加するなど積極的に関与したことはなく、それどころか会議にも全く出席しないなど、事業化過程に何らの貢献もしていないこと、以上のような事情が存在する。
 これらの事情に照らせば、本件は、過去の裁判例でいえば、いわゆるオリンパス光学事件の1審判決(東京地判平成11年4月16日・判例時報1690号145頁)及び2審判決(東京高判平成13年5月22日・判例時報1753号23頁)の事案に最も近いというべきであるが、同事件における発明者の貢献度は、様々な事情を勘案した上、5%と認定されている。しかるに、平成2年当時の被告会社がMOCVD装置に投資することで負担したリスクが、東証一部上場の大企業であるオリンパス光学工業株式会社が負担したリスクよりも著しく大きいことはいうまでもない。したがって、本件特許発明における原告の貢献度は、どんなに多く見積もっても5%を上回ることはあり得ない。
オ 結論
 以上のとおりであるから、いずれにせよ、本件において、原告が本件特許を受ける権利を被告に譲渡したことに対する相当な対価(特許法35条3項)は、ゼロと算出されるべきものである。
(2) 原告の主張に対する反論
ア 将来利益について
 特許を受ける権利は、特許法上、譲渡可能な財産的権利として規定されており(同法33条1項)、同法自身が、特許を受ける権利の対価を、特許登録の有無とはかかわりなく譲渡時に客観的に算定可能なものとみていることが分かる。また、同法35条4項が、使用者が現実に受けた利益ではなく、「使用者が受けるべき利益」を相当対価の算定根拠としていることからしても、特許法が譲渡時に定まった額の相当対価請求権を発生させ、原則として譲渡時から同請求権の行使を可能にしたものであることは明らかというべきであり、過去の裁判例もそのことを当然の前提にしてきた。
 以上から明らかなとおり、特許法35条の相当対価算定において算出されるべきは、あくまでも譲渡時における期待利益であって、従業者の請求の時期によって基準時が前後することはない。したがって、相当対価算定において斟酌することが許されるのは、譲渡時において合理的に予想される限度においての将来利益であって、原告が主張するように、本件特許を受ける権利の譲渡から10年以上を経過した本件訴訟の口頭弁論終結時において算定される将来利益ではあり得ない。本件訴訟口頭弁論終結時までに被告が実際にあげた利益についても、あくまで譲渡時における期待利益を算定するに際し、1つの資料として斟酌することが許されるにすぎない。
 そうすると、原告の主張は、その前提となる特許法35条の趣旨の理解を誤ったものというべきであり、この誤った理解に基づくトーマツ鑑定書(甲122)及びベンチャーラボ&ASG鑑定書(甲129の1)の各鑑定結果も、また誤りといわなければならない。
イ 譲渡時における期待利益
 ちなみに、青色LED開発の経過に照らせば、単純なpn接合型LEDの実現までに限っても、@ 結晶性の良いGaN結晶膜の成長、A サファイア基板上にバッファ層を設ける着想(前記「GaNバッファ層の発明」)、B p型GaN化合物半導体を製造するためのMgドープ、C p型化の際のアニール(熱処理)(前記「p型化アニーリングの発明」)、という技術的課題が存在したのであり、原告及び被告会社は、最後の難題であった上記Cの点(アニール技術の確立)の解決に成功したことにより、世界的にその名を知られるところとなった。これに対し、本件特許発明は、上記@に対する1つの解決方法を提供するものにすぎず、本件特許を受ける権利が譲渡された当時は、青色LED製品化の実現は、まだまだ遠い先の話であり、予想すらできなかったと言っても過言ではない。そのことは、原告自身が、本訴において、「本件特許権のツーフローMOCVDが、1990年に出来た時は、まだ青色LEDが開発できるとは、N教授は想像もできなかった。」(平成15年1月29日付け原告第20準備書面38頁)と認めるとおりである。その後被告会社が高輝度青色LEDの製品化に成功したのは、ダブルへテロ構造や量子井戸構造の発光層の実現、さらには被告会社の技術陣による絶え間ないノウハウの蓄積によるところが大きい。
 このような事実関係の下においては、本件特許を受ける権利が譲渡された平成2年当時、本件特許発明により受けることになると見込まれる期待利益は、ほとんどゼロに等しかったというべきである。
ウ 新日本監査法人鑑定書
 上述のとおりであり、いずれにしても、本件特許権についての職務発明の相当対価はゼロというべきであるから、これ以上の算定は不要である。
 しかしながら、被告は、使用者がその企業生命を賭けて研究開発方針を決断し、それに基づき莫大な研究開発費用を投じるという大きなリスクを負担していることを相当対価算定に反映させるため、また、被告会社が高収益をあげている事実が原告のマスコミ宣伝等により独り歩きすることを防ぐため、前記独占の利益についてのあるべき見解を明らかにしたいと考え、新日本監査法人作成に係る「調査結果報告書」と題する書面(乙117。以下「新日本監査法人鑑定書」という。)及びL助教授ほか作成に係る意見書(乙151)を証拠として提出した。以下、新日本監査法人鑑定書に基づき、被告の見解を述べる。
@ 特許法上の相当対価請求は、使用者があげた利益の分配的な要素を持つものであるが、分配の対象になるのは、単なる計数上の利益ではなく、支払利息や為替損益等の営業外損益を控除した後に、最終的に企業の手元に実際に残った利益とみるべきである。
 したがって、特許関連製品がもたらした利益を算定するに際しては、トーマツ鑑定書が採用する税引後営業利益ではなく、税引後当期利益を基礎とすべきである。
A 商法上の決算書記載の数字だけをもとに各製品群の損益を確定させて対象期間の損益を集計したのでは、製品販売に至る前の研究開発費及び試験研究用固定資産残高を考慮できない結果となる。
 しかし、これらは当該特許発明の開発のために特別に支出されたものであるから、特許関連製品がもたらした利益の算定に際し、対象期間の損益から控除されるのは当然である。
 新日本監査法人鑑定書は、このような見解に基づき、青色LEDが製品化された平成5年以前の研究開発費合計約52億6300万円を控除しているものであり、妥当である。これに対し、トーマツ鑑定書は、原告自身の評価に基づき10億円の研究開発費を控除しているが、なぜ会計帳簿記載の客観的な数値によらず、原告自身の評価額などという根拠薄弱な数値を採用するのか、理解に苦しむ。
B わが国の現行会計制度では、研究開発用に購入した資産は、一定年数で償却し、償却した金額を償却年度の費用とすることが認められており、決算日における未償却残高は資産として次期以後に繰り越される。被告会社においても、平成13年12月末時点で、特許関連製品の研究開発に供している資産の未償却残高が計上されている。
 しかしながら、研究開発資産は用途が限られ、他に転用できず、将来の収益獲得に貢献する機会がないから、本来資産として評価されるべき価値を有しない資産である。したがって、米国の会計処理実務においては、資産として次期以後に繰り越さず、取得した時の費用とする処理が一般的に認められている。このような実情に加え、同資産を購入した時点で既に企業から現金が流出している点をも考慮すれば、特許関連製品がもたらした利益の算定に際し、同資産の未償却残高を控除すべきことは当然である。
C 特許関連製品がもたらした利益の算定に際し、決算上の損益計算書における当期損益をベースにすると、借入金等の負債資本コストにかかるコスト(支払利息)は考慮されるものの、自己資本(資産から負債を差し引いた純資産)に対応するコストは考慮されないことになる。
 しかしながら、現在では、投資に伴って生じる危険負担コストとして上記自己資本コストを考慮に入れることが企業経営に欠かせない重要な概念になっており、上記利益の算定にあたっても、自己資本コストを控除する必要がある。同コストの算定に使用する資本コスト率は、資金提供者である債権者及び株主が要求する最低限の利回り率で表され、現在では、安全証券の利子率に当該株式のリスク・プレミアムを加算して最低利回りを算出するCAMP法(資本市場モデル)によることが一般的になっている。
 新日本監査法人鑑定書は、上記CAMP法を採用した上、被告会社が非上場会社で計算に必要なデータが得られないことから、被告会社と競業関係にある米国NASDAQ上場のクリー社の自己資本コスト率を算出し、被告会社の自己資本コスト率もこれと同一とみなして、自己資本コストを算出したものであり、合理的な算定方法というべきである。
 これに対し、トーマツ鑑定書は、プライムレートを基礎として自己資本コストを算出しているが、自己資本コスト率は、元本保証のない拠出資本を回収するのに見合う率に設定されるものであり、その算出に、元本保証のある投資に対するリターンの利率であるプライムレートを用いるのは不適切である。
 以上のとおりであり、上記@〜Cに基づき、青色LEDが製品化された平成6年12月期から平成13年12月期までの間に、特許関連製品により被告会社にもたらされた損益を計算すると、別紙「相当対価算定についての被告の主張」記載のとおり、14億9000万円の損失という結果になる。
 このような算定結果も、本件特許権についての職務発明の相当対価はゼロである旨の被告の前記主張を裏付けているというべきである。
(3) 被告現方法について
ア 本件特許発明の方法、被告当初方法及び被告現方法
 ところで、原告は、本件特許発明がされて以後現在に至るまで、被告会社が一貫して本件特許発明を実施していることを前提に、本件特許発明を独占できることに起因する利益を主張し、特許法35条3項、4項の相当対価を請求している。
 しかしながら、本件特許発明を含むツーフロー方式のMOCVDにおいて、良質な窒素化合物半導体結晶膜を成長させるためには、反応ガスの流れを基板に平行な層流の状態に保つ必要があるところ、原告が発明した本件特許発明の方法はこの点を必ずしも十分意識しておらず、再現性の極めて悪いものであった。すなわち、原告の発明に係るツーフロー方式は、反応ガスを上記層流の状態に保つため、基板に実質的に垂直な方向から供給される不活性ガスを所定の圧力に基づき供給することを必須の要件とするものであったが、特許請求の範囲にはこの点に関する要件が開示されておらず、明細書の記載だけをみると、未完成発明というべきものであった。
 そこで、被告会社においては、本件特許発明がされた直後から実験を繰り返し、上記不活性ガスの所定の圧力に関する最適条件を見付け出した上、この条件に基づきツーフロー方式(以下「被告当初方法」という。)を実施して、青色LEDの研究開発及び製品化を進めた。この被告当初方法は、本件特許発明の構成要件に、上記不活性ガスの所定の圧力に関する要件を付加したものであって、本件特許発明との関係でいえば、せいぜいその改良発明に当たるものでしかない。その後、被告会社は、平成8年11月16日ころから、徐々に被告当初方法から被告現方法への切り替えを始め、本件特許権が設定登録される直前の平成9年4月15日以後は、被告会社が保有するすべてのMOCVD装置につき、本件特許発明とは別個の技術思想に基づく発明である被告現方法を実施して、高輝度青色LED及びLDの全製品を製造している。
イ 本件特許発明と被告現方法の対比
 被告現方法は、本件特許発明の技術的範囲に属しない。この点に関する主張は、別紙「被告現方法についての被告の主張」記載のとおりである。
 したがって、被告会社が現在に至るまで本件特許発明の方法を実施していることを前提とする原告の相当対価請求は、その前提を欠くものであり、この観点からも、本件特許発明についての職務発明の相当対価の額は、限りなくゼロに近いというべきである。
(4) 消滅時効の援用
ア 判例の法理
 オリンパス光学事件最高裁判決(最高裁平成13年(受)第1256号同15年4月22日第三小法廷判決・民集57巻4号477頁)は、職務発明の相当対価の支払時期については、額の場合と異なり、特許法35条4項のように勤務規則等の定めを修正する規定がないから、「勤務規則等に対価の支払時期が定められているときは、勤務規則等の定めによる支払時期が到来するまでの間は、相当の対価の支払を受ける権利の行使につき法律上の障害があるものとして、その支払を求めることができないというべきである。そうすると、勤務規則等に、使用者等が従業者等に対して支払うべき対価の支払時期に関する条項がある場合には、その支払時期が相当の対価の支払を受ける権利の消滅時効の起算点となると解するのが相当である。」と判示する。
 同判決は、使用者会社の社内規定等に、その法的性質が特許法35条所定の相当対価の一部又は全部と評価し得る金員の支払規定が存在する場合には、従業者等はそこに規定された支払時期に拘束され、同時期が未到来であることが「法律上の障害」に該当し、その結果、消滅時効の起算点がその時点にまでずれ込むことを明確にしたものと解される。
イ 消滅時効の起算点
 特許法35条は、職務発明の相当対価を、特許を受ける権利を譲渡した時点で客観的に算定可能なものとみているから(同法33条1項)、同対価の支払時期についても、上記譲渡時における一括払いを原則としているものと解される。しかるに、勤務規則等において、譲渡時における一括払い以外の支払方法が規定されている場合に、従業者等が常にこれに拘束されるとすると、使用者が恣意的に支払時期を遅く設定した場合にまで、従業者等は、その時期が到来するまで相当対価請求権を行使することができなくなり、特許法が同法35条3項、4項という片面的な強行規定を置いて従業者等の保護を図った趣旨にもとる結果となる。
 したがって、使用者が勤務規則等において、譲渡時の一括払い以外の補償を定めている場合に、それが相当対価の支払の一部又は全部と評価され、その結果、消滅時効の起算点が当該補償の支払時期にずれ込むことが許容されるためには、上記補償に関する規定が、法が原則とする譲渡時の一括払いに代替し得る合理的な支払方法と評価できるものでなければならない。勤務規則等に定められた支払規定がそのように評価できない場合には、従業者等の保護のため、原則に戻って、特許を受ける権利が譲渡された時から、当該発明に係る相当対価請求権の行使が可能と解すべきである。このような場合には、相当対価請求権の消滅時効も、当然、権利の譲渡時から進行することになる。
ウ 本件へのあてはめ
 前記のとおり、本件特許発明の特許を受ける権利が譲渡された平成2年当時の被告社規(乙7の1。昭和60年改正後の社規第17号)10条を受けて定められた社規第17号付則−1は、「U 2.褒賞金支給基準」の項で、特許出願1件につき1万円、権利成立1件につき1万円と、定額かつ低廉な出願補償金及び登録補償金を定めるのみで、いわゆる実績補償の性質を有する金員の支払は一切定められていない。
 特許法35条4項が、相当対価算定に当たって考慮に入れるべき要素として、「使用者等が受けるべき利益」を挙げていることから分かるとおり、同法の想定する相当対価請求権は、使用者があげた利益を分配する要素を持つものである。しかるに、上記社規付則における出願補償金及び登録補償金は、当該発明の技術的価値や見込まれる経済的利益の大小を一切考慮することなく,一律に定額の対価を支給するものであり、使用者利益の分配的な要素を一切有していない。このような規定を相当対価の全部又は一部の支払を定めたものと解するときは、実績に見合う対価が支払われる可能性はなく、1〜2万円という低廉な対価しか支払われないことが分かり切っているのに、特許を受ける権利を承継してから登録の有無が定まるまでの長期間、法律上の障害が存在するものとして相当対価請求権の行使を控えなければならないという、従業者等にとって一方的に不利な結果となる。
 そうすると、このような社内規定を、譲渡時の一括払いに代替し得る合理的な支払方法と評価することはできないから、本件においては、法の定める原則に戻り、特許を受ける権利の承継時(遅くとも、特許出願の日である平成2年10月25日)から相当対価請求権が行使可能であったと解すべきものである。したがって、消滅時効も当然この時点から進行することになる。そうすると、相当対価請求権の消滅時効の期間を5年(商法522条)と解するにせよ、あるいは10年(民法167条1項)と解するにせよ、いずれにしても、本件特許発明についての職務発明の相当対価請求権は、本件訴訟が提起されるより前の遅くとも平成12年10月25日の時点において、既に時効消滅したものというべきである。被告は、平成14年12月19日の第10回口頭弁論において上記消滅時効を援用した(同月18日付け被告第11準備書面)ので、原告の請求は理由がないことに帰する。
エ オリンパス光学事件最高裁判決の射程
 なお、オリンパス光学事件最高裁判決においては、裁判所が算定した相当対価から、従業員発明者に支払われた出願補償金3000円、登録補償金8000円及び工業所有権収入取得時報償金(実績補償金)20万円を控除した上、最後に支払われた工業所有権収入取得時報償金の支払時期を消滅時効の起算点と解し、不足分の支払を命じた1審判決及び2審判決の結論が維持されている。
 しかし、最高裁がこのような結論を採ったのは、上記工業所有権収入取得時報償金支払に関する社内規定を、金額の点はさておいても、譲渡時の一括払いに代替し得る合理的な支払方法と評価することができたからである。すなわち、このような規定があれば、同規定に基づき算定される実績補償金の支払を待って、なお不足分があると考えた場合には、特許法35条3項、4項に基づき司法判断を求めることができる。したがって、実績補償金の支払時期から消滅時効が進行すると解しても、何ら従業者等の保護に欠けるところはない。オリンパス光学事件最高裁判決は、まさにそのような事案であった。もともと、実績補償制度は、使用者利益を従業者等に還元する目的で設けられた制度であり、出願補償及び登録補償に加えて実績補償の定めを置くことで、経済的価値の高い発明に対しては実績補償で報いる一方で、経済的価値の低い発明に対しては一律定額の出願補償及び登録補償で済ませるという合理的な運用が可能となるのである。
 しかるに、本件においては、前記のとおり、出願補償金及び登録補償金の規定があるのみで、実績補償金に関する規定は一切ない。このような事案をオリンパス光学事件の事案と同列に扱い、出願補償金及び登録補償金の支払を相当対価の支払の一部とみた上で、最後に支払われた登録補償金の支払時期(本件特許権の設定登録時である平成9年4月18日)から消滅時効が進行すると解することは、前記イ、ウで述べた特許法の趣旨に反するというべきである。本件は、オリンパス光学事件最高裁判決の射程の及ばない事案とみるべきであり、前述のとおり、本件においては、特許を受ける権利の承継時(平成2年9月)から消滅時効が進行すると解すべきものである。以上述べたところは、これと同趣旨のY学習院大学助教授作成に係る鑑定書(乙148。以下「Y鑑定書」という。)によっても裏付けられる。
オ 時効中断の主張に対する反論
 ところで、原告は、被告の消滅時効に関する主張(上記ア〜エ)に対し、時効の起算点をどの時点と考えるかは別にして、被告会社が、本件特許権が設定登録された平成9年4月18日ころに原告に対して登録補償金1万円を支払ったことは、債務の承認(民法147条3号)に当たるから、同支払により消滅時効は中断していると主張する(後記3(3)ウ)。そして、これに沿うS法政大学名誉教授作成に係る意見書(甲136)を書証として提出している。
 時効中断事由としての「承認」といえるためには、権利の存在を認識し、その認識を表示したと認め得る行為が必要と解されており、上記鑑定書もそのことを前提にしていると考えられる。しかるに、被告社規における出願補償及び登録補償の定めは、前記のとおり、特許法35条の相当対価の支払の全部又は一部と評価できるものではなく、これとは別個の補償を定めたものと解すべきであるから、出願補償及び登録補償の支払をもって、被告会社が相当対価請求権の存在を認識し、その認識を表示したということはできない。
 たしかに、上記規定に基づく登録補償金1万円の支払は、裁判所が中間判決において正当に認定したとおり、特許を受ける権利の譲渡を前提に行われた行為である。しかし、使用者が特許を受ける権利の譲渡を受けたことを前提に行う行為は、出願から登録に至るまでの権利化のための行為、各種審判手続及び訴訟手続において権利を維持し、あるいはこれを行使するため発明者に協力を求める行為等、無数に存在する。これらの行為の度に消滅時効が中断するとの結論が不当であることはいうまでもないから、権利の譲渡を前提にした行為があったからといって、直ちに消滅時効が中断されるものではないというべきである。
 そもそも、債務承認が時効中断事由とされているのは、承認により債権者に債務支払に対する期待が生じるので、この期待を保護する必要があるからである。この点、実績補償制度が採用されている場合には、出願補償及び登録補償の支払により、実績補償に基づく支払への期待が高まるであろうから、出願補償及び登録補償の支払が債務承認としての意味を持つこともあり得よう。しかるに、被告社規のように、出願補償及び登録補償の支払のみが規定されていて、登録補償の支払規定が一切存しない場合には、出願補償及び登録補償が現実に支払われても、それ以上の支払のないことが明らかであるから、相当対価請求権の支払に対する期待は生じようがない。したがって、このような場合には、時効を中断してまで保護すべき債権者の期待が存在しない。
 以上によれば、本件における上記登録補償金の支払は、「承認」と評価される性質のものではないというべきである。この点に関する原告の上記主張は失当である。
(5) 原告の予備的請求(その1)について
 原告は、予備的請求(その1)として、職務発明の相当対価請求権を定めた特許法35条3項に基づき本件特許権の一部(共有持分)の移転登録を求めるとしているが、同項はそのような内容の請求権を定めたものではない。
 原告は、代物弁済的な趣旨で上記移転登録を求めているのかもしれないが、特許権の共有持分の移転登録請求を認めることは、共有持分の自由譲渡性を否定する特許法73条の趣旨に反する。すなわち、特許権の共有者は持分に関係なく特許権に係る発明を実施できるので、共有者は、他の共有者の実施能力により大きな影響を受け、共有の相手次第で、自己の共有持分の経済的価値に大きな変動が生じる。そのため、自らが関与しないところで、第三者が共有関係に入ってくるのを阻止できる制度になっているのである。
 上記によれば、本件特許権につき、特許権者である被告の自由意思に反して(すなわち、被告の同意なしに)原告との共有関係を強制する結果となる原告の上記移転登録請求を認める余地はないというべきである。
3 原告の再反論
(1) 本件特許発明と被告現方法の対比について
 被告現方法は、本件特許発明の構成要件をすべて充足しており、その技術的範囲に属する。この点に関する主張は、別紙「被告現方法についての原告の主張」記載のとおりである。
(2) 未完成発明の主張に対して
 ところで、被告は、ツーフロー方式のMOCVDにおいて、良質な窒素化合物半導体結晶膜を成長させるためには、反応ガスの流れを基板に平行な層流の状態に保つ必要があるとした上、本件特許発明においては、このような層流状態を実現するための必須の要件である、不活性ガスを供給する際の所定の圧力が開示されておらず、未完成発明というほかないと主張する。
 しかしながら、仮にこのような所定の不活性ガス(サブフローガス)圧力なるものを想定したとしても、@ 現実に供給される不活性ガスの圧力が所定の圧力より大きい場合には、ノズルから供給された反応ガスが基板に達する前に不活性ガスに跳ね返され、上方に舞い上がってしまい、また、A 現実に供給される不活性ガスの圧力が所定の圧力より小さい場合には、加熱された基板の上で、反応ガスが熱対流により上方に舞い上がろうとするのを十分に抑えることができず、いずれにしても、良質な窒素化合物系半導体の結晶膜を基板上に成長させることができない。これに対し、B 現実に供給される不活性ガスの圧力が所定の圧力に等しかった場合にだけ、同ガスが、熱対流により舞い上がろうとする反応ガスを、その浮力に対抗して基板に吹き付ける方向に方向を変更させ、結晶膜の安定した成長が実現できる。
 上記から分かるとおり、被告が主張する上記「所定の圧力」なる要件は、構成要件Dにいう「反応ガスを基板表面に吹き付ける方向に方向を変更させて」の文言に既に取り込まれた内容のものにすぎない。したがって、上記「所定の圧力」なる要件の開示がないことを根拠に、本件特許発明が未完成発明であるとする被告の上記主張に、理由のないことは明らかといわなければならない。
 そもそも、前記で触れたとおり、MOCVD装置による半導体結晶膜の成長そのものが、非常に精密な技術であり、ほんの少しの実験条件の違いで結晶膜がうまく成長するかどうかが左右されるから、マニュアル等が添付された市販の装置を使ってですら、満足のいく質の結晶膜を得るための最適化条件を見つけるのに、数年程度の時間を要することが珍しくない。ましてや、原告の発明に係るツーフロー方式のMOCVD装置は、その心臓部である反応装置部分が全くオリジナルの装置であるから、仮にその最適化の過程をすべて記載したならば、膨大なページ数の明細書になるはずであり、そのようなことは現実には不可能である。被告の上記主張は、このような観点からも理由のないことが明らかである。
 上記のとおり、本件明細書には、その作用効果を奏するために必要な事項が漏れなく記載されており、本件特許発明には、被告が主張するような未完成発明あるいは記載不備などの瑕疵は存在しない。
(3) 消滅時効について
ア オリンパス光学事件最高裁判決の法理
 オリンパス光学事件最高裁判決においては、使用者会社の社内規定に基づき、従業員発明者に対し、出願補償金3000円、登録補償金8000円及び工業所有権収入取得時報償金(実績補償金)20万円の合計21万1000円が既に支払われていた事案において、最後に支払われた工業所有権収入取得時報償金の支払時期を消滅時効の起算点と解した上、裁判所が特許法35条4項に基づき算定した相当対価250万円から、上記21万1000円を差し引いた残額である228万9000円の支払を命じた1審判決及び2審判決の当否が問題となった。
 上記の事案につき、最高裁は、「職務発明について特許を受ける権利等を使用者等に承継させる旨を定めた勤務規則等がある場合においては、従業者等は、当該勤務規則等により、特許を受ける権利等を使用者等に承継させたときに、相当の対価の支払を受ける権利を取得する(特許法35条3項)。対価の額については、同条4項の規定があるので、勤務規則等による額が同項により算定される額に満たないときは同項により算定される額に修正されるのであるが、対価の支払時期についてはそのような規定はない。したがって、勤務規則等に対価の支払時期が定められているときは、勤務規則等の定めによる支払時期が到来するまでの間は、相当の対価の支払を受ける権利の行使につき法律上の障害があるものとして、その支払を求めることができないというべきである。そうすると、勤務規則等に、使用者等が従業者等に対して支払うべき対価の支払時期に関する条項がある場合には、その支払時期が相当の対価の支払を受ける権利の消滅時効の起算点となると解するのが相当である。」と判示した。
 上記事案に照らして最高裁の判示するところを素直に読めば、オリンパス光学事件最高裁判決からは、@ 相当対価の額と異なり、相当対価の支払時期については、特許法は何ら定めるところがないので、使用者会社も従業員発明者も、勤務規則等に定められた支払時期に従うことになる。したがって、かかる定めは相当対価請求権を行使する上での法律上の障害となり、定められた支払時期が来るまで消滅時効は進行しない。A 勤務規則等に定められた出願補償、登録補償及び実績補償の支払は、いずれも当然に相当対価の一部(又は全部)を構成するものであり、だからこそ、裁判所が算定した相当対価の総額から支払済みの出願補償、登録補償及び実績補償を控除した額の支払が命じられた。B そうだとすると、これらのうち最後に支払時期の到来するものの支払時期が到来するまでは、法律上の障害の存在により、実体法上1つの請求権である相当対価請求権を行使できないことになるので、消滅時効についても、出願補償、登録補償及び実績補償ごとにそれぞれ時効が進行するのではなく、最後に支払時期の訪れたものの支払時期から、一括して時効が進行する(ちなみに、オリンパス光学事件の事実関係を検討すると、同事件における出願補償金3000円は、提訴の約17年前に支払われており、個別に時効が進行するのであるならば、提訴の時点で既に消滅時効が完成している事案であった。)。以上のような法理が導き出されるというべきである。
イ 本件へのあてはめ
 上記アを本件についてみるに、本件においては、被告社規に基づき、本件特許権の特許出願時である平成2年10月25日ころに出願補償金として1万円が、設定登録時である平成9年4月18日ころに登録補償金として1万円が、それぞれ支払われている。これらが相当対価の支払の一部であることは当然であるが(上記アA)、従業員発明者である原告は同規定に拘束され、設定登録の成否が判明して登録補償金1万円が支払われるまでは、法律上の障害があるものとして、相当対価請求権を行使することができない(同@)。したがって、同請求権の消滅時効は、被告社規に定められた相当対価の支払のうち、最後に支払時期の訪れた登録補償金の支払時期(すなわち、平成9年4月18日ころ)から一括して進行する(同B)。
 相当対価請求権の消滅時効の時効期間は10年(民法167条1項)と解すべきものであるが、仮に万が一、時効期間を5年(商法522条)と解したとしても、上述したところによれば、本件においては、本訴提起時(平成13年8月23日)に消滅時効が完成していないことは明らかである。
ウ 時効の中断
 被告は、本件における消滅時効の起算点は、特許を受ける権利の譲渡時であると主張するが、仮にそうであったとしても、本件においては、被告会社が原告に対し、登録補償金(社規によると「登録褒賞金」)1万円を支払ったことにより、消滅時効は中断している。以下、詳述する。
 特許法35条3項は、「従業者等は、契約、勤務規則その他の定により、職務発明について使用者等に特許を受ける権利‥‥‥を承継させ‥‥‥たときは、相当の対価の支払を受ける権利を有する。」と規定する。この規定によれば、職務発明の相当対価請求権は、特許を受ける権利の承継(譲渡も当然含まれる。)と対価関係に立つ権利として、強行法規たる特許法35条3項に基づき、法律上当然に発生する権利であると解される。そうすると、特許を受ける権利の譲渡と、当該譲渡と同時に相当対価請求権が発生することは、不可分一体の関係にあることになり、したがって、特許を受ける権利の譲渡を認識し、これを承認することは、当該譲渡と不可分一体の関係にある相当対価請求権の存在を認識し、承認することと等価値というべきである。
 しかるに、本件においては、被告自身が、社規に基づき出願時及び登録時に支払われた補償金(褒賞金)が、特許を受ける権利が被告会社に譲渡されたことを前提に支払われる金員であることを繰り返し自認している。したがって、登録補償金の支払により、被告会社が本件特許を受ける権利を譲り受けたことを認識し、これを承認していたことは明らかである。そうすると、被告は、これと不可分一体の関係にある相当対価請求権の存在をも認識し、これを承認したことになるから、平成9年4月18日ころに被告会社から原告に登録補償金1万円が支払われたことによって、民法147条3号に基づき、本件特許発明の相当対価請求権の消滅時効は中断したというべきである。
 そもそも、消滅時効の制度根拠としては、@ 永続した事実状態に対する信頼を保護し、法律関係の安定を図る、A 永続した事実関係は真実の法律関係に合致する蓋然性が高いので、この事実関係を正当とみなすことで、証明の困難を救済する、B 権利の上に眠る者は保護に値しない、以上の3点を挙げるのが通説的理解であるところ、債務の承認がある場合には、債権者に債務の履行に対する期待が生じるから、直ちに権利を行使しない場合であっても、「権利の上に眠る者」とはいえなくなるし、真実の権利関係の存在が明らかになって、上記@〜Bの根拠がすべて失われることになる。したがって、債務の承認が時効の中断事由とされているのである。
 本件においても、出願補償金及び登録補償金が相当対価の一部である以上、被告会社が登録補償金1万円を支払ったことにより、相当対価請求権の存在が明らかになったということができる。よって、この支払が「債務の承認」(民法147条3号)に当たることは明らかである。
エ 被告の主張に対する反論
 被告は、実績補償の規定が使用者のあげた利益を分配する性質を有するものとして、従業員発明者の保護に資するものであることを前提に、オリンパス光学事件最高裁判決は、出願補償及び登録補償のほかに実績補償の規定が存在した事案において、当該事案における実績補償の規定が特許法35条3項の趣旨に適う合理的なものであったことから、これを相当対価支払の一部と評価し、その支払時期をもって消滅時効の起算点としたものであると主張する。そして、本件においては、被告社規には出願補償及び登録補償の規定があるのみで、実績補償の規定が存在しないから、本件は上記判例と事案を異にするとして、このような場合には、従業者等保護の見地から、原則に戻って特許を受ける権利の譲渡時から相当対価請求権が行使可能と解すべきであるとし、したがって、消滅時効もこの時点から進行すると主張して、これに沿うY鑑定書(乙148)を提出する。
 しかしながら、従業者等の保護を強調し、使用者利益の分配的な要素の有無に着目するのであるならば、本件のように出願補償及び登録補償の規定しかない場合には、強行法規たる特許法35条3項の解釈として、当該特許発明の運用益が出て使用者利益の分配が現実化する時点まで、消滅時効の起算点を繰り下げるのが論理的な帰結のはずである。それにもかかわらず、このような場合に、なぜ消滅時効の起算点を繰り上げる解釈を採るのか疑問であり、被告の主張には矛盾があるというほかない。Y鑑定書は、実績補償がなく、出願補償及び登録補償の規定しかない場合には、社内規定に従っていても、定額の補償金を得られる可能性しかないのであるから、権利の譲渡時から相当対価請求権の行使を可能とみることが従業員発明者の保護に資するとする。しかし、特許を受ける権利の譲渡時においては、当該発明が首尾よく設定登録されて経済的価値を生み出すのか、それとも、出願公開によりノウハウとしての価値すら失った上で登録に失敗して経済的価値がゼロとなるのか、全くの未知数であって、この時点で権利譲渡の経済的価値を正確に算出することは、従業者等にとって限りなく不可能に近い。また、権利の譲渡時においては、従業員発明者は使用者会社に雇用されているのであるから、自らを雇用する会社相手に相当対価を請求するのは、現実問題として困難である。従業員発明者からの相当対価請求が問題となった過去の裁判例のうち、1件を除いては、オリンパス光学事件を含むすべての事案が、従業員発明者が会社を退職した後に訴えを提起した事案であったという社会的事実が、そのことを明確に物語っている。特許を受ける権利の譲渡時に、従業員発明者が相当対価請求権を行使することが現実に可能であることを前提とするY鑑定書の立論は、机上の空論というべきものである。C大阪大学大学院法学研究科教授作成に係る「鑑定意見書」(甲173)及びK上智大学法学部教授作成に係る「意見書」(甲175)は、いずれも上記の点を指摘し、本件においても登録補償金の支払時期から消滅時効が進行すると解すべきであるとする。当を得た意見というべきである。
 上記のとおり、オリンパス光学事件最高裁判決に関する被告の上記主張は、失当である。
第四 当裁判所の判断
一 主位的請求についての判断
 第一、一の主位的請求に対する当裁判所の判断は、中間判決「事実及び理由」欄の第4記載のとおりである。
 すなわち、本件特許発明は職務発明に該当すると認められるところ、同発明がされた当時、被告社規が特許法35条にいう「勤務規則その他の定」に該当するものとして存在したほか、遅くとも同発明がされる前までには、従業者と被告会社との間で、職務発明については被告会社が特許を受ける権利を承継する旨の黙示の合意が成立していたと認められる。また、本件特許発明の特許を受ける権利については、原告と被告会社の間で、これを被告会社に譲渡する旨の個別の譲渡契約も成立していたと認められる。したがって、本件特許発明の特許を受ける権利は、特許法35条に基づき、発明者である原告から被告会社に承継されたものであるから、上記権利が原告に原始的に帰属したまま、被告会社に承継されていないことを前提とする原告の主位的請求には理由がない。
二 予備的請求についての判断
1 はじめに
(1) 相当対価の算定方法について
 従業者によって職務発明がされた場合、使用者は無償の通常実施権(特許法35条1項)を取得する。したがって、使用者が当該発明に関する権利を承継することによって受けるべき利益(同法35条4項)とは、当該発明を実施して得られる利益ではなく、特許権の取得により当該発明を実施する権利を独占することによって得られる利益(独占の利益)と解するのが相当である。ここでいう独占の利益とは、@ 使用者が当該特許発明の実施を他社に許諾している場合には、それによって得られる実施料収入がこれに該当するが、A 他社に実施許諾していない場合には、特許権の効力として他社に当該特許発明の実施を禁止したことに基づいて使用者があげた利益がこれに該当するというべきである。後者(上記A)においては、例えば、使用者が当該発明を実施した製品を製造販売している場合には、他社に対する禁止の効果として、他社に実施許諾していた場合に予想される売上高と比較して、これを上回る売上高(以下「超過売上高」という。)を得ているとすれば、超過売上高に基づく収益がこれに当たるものというべきである。また、使用者が当該発明自体を実施していないとしても、他社に対して当該発明の実施を禁止した効果として、当該発明の代替技術を実施した製品の販売について使用者が市場において優位な立場を獲得しているなら、それによる超過売上高に基づく利益は、上記独占の利益に該当するものということができる。B 他社に実施許諾していない場合については、このほか、仮に他社に実施許諾した場合を想定して、その場合に得られる実施料収入として、独占の利益を算定することも考えられる。
 このようにして、使用者が特許権の取得により当該発明を実施する権利を独占することによって得られる利益(独占の利益)を認定した場合、次に、当該発明がされる経緯において発明者が果たした役割を、使用者との関係での貢献度として数値化して認定し、これを独占の利益に乗じて、職務発明の相当対価の額を算定することとなる。
 特許権は、その存続期間を通じて特許発明の実施を独占することのできる権利であるから、上記の独占の利益も、また、特許権の存続期間満了までの間に使用者があげる超過売上高に基づく利益を指すものである。当該利益の認定に当たって、事実審口頭弁論終結時までに生じた一切の事情を斟酌することができるのは、当然である。
 そして、勤務規則等に職務発明の対価の支払時期が定められている場合には、特段の事情のない限り、相当対価は当該支払時期を基準として算定された額であることが予定されているものと解されるから、特許権の存続期間を通じて算定される上記の独占の利益は、中間利息を控除して当該支払時期の時点における金額として算定するのが相当である。
(2) 本件における検討
 本件特許発明については、当事者間において、被告会社が他社に実施許諾していないという点につき争いがないので、当裁判所としても、これを前提として判断する。
 被告会社は、本件特許発明がされた後、本件特許発明に不活性ガスの所定の圧力に関するノウハウを付加した被告当初方法により青色LEDの製品化を行ったが、その後、被告当初方法から被告現方法への切り替えを進め、平成9年4月15日以後は、被告現方法を実施して、高輝度青色LED及びLDを製造している(このことは、当事者間に争いがない。)。
 そこで、本件特許権により競業他社に対して本件特許発明の実施を禁止していることにより、被告会社が、高輝度青色LED及びLDの製造販売において、市場において優位な立場を獲得し、これによる超過売上高を得ているかどうかが問題となる。
 この点を判断するためには、本件特許発明と被告現方法との関係、高輝度青色LED及びLDの製造に当たって本件特許発明が果たす役割等を、検討する必要がある。
 そこで、まず、本件特許発明と被告現方法との関係を検討し、次に、本件特許発明の内容と高輝度青色LED及びLDの製造に当たって本件特許発明が果たす役割等について検討する。
2 本件特許発明と被告現方法
(1) 被告は、被告当初方法については本件特許発明に不活性ガスの所定の圧力に関するノウハウを付加したものであって、本件特許発明の改良発明に属するとして、本件特許発明の技術的範囲に属することを争わないが、被告現方法については、本件特許発明とは別個の技術思想に基づく発明であるとして、本件特許発明の技術的範囲に属することを争っている。
 しかしながら、当裁判所は、被告現方法は本件特許発明の構成要件をすべて充足し、その技術的範囲に属するものと判断する。その理由は、別紙「被告現方法についての当裁判所の判断」記載のとおりである。被告の主張するところは、要するに、ノウハウに係る部分の構成が付加されているから、被告現方法は、本件特許発明とは技術思想を異にする全く別個の発明であるということに尽きるものであるが、被告現方法は、本件特許発明の技術的原理を前提として、その作用効果を高めるために実施態様を工夫したか、せいぜい改良発明としての意味を持つものでしかない。被告の主張は、採用できない。
(2) なお、上記のとおり、当裁判所は、被告現方法は本件特許発明の技術的範囲に属すると判断するものであるが、特許権侵害訴訟と異なり、本件のような職務発明の相当対価請求訴訟においては、上記の点は、必ずしも相当対価の算定に当たり結論に影響を与えるものではない。すなわち、仮に、本件特許発明の各構成要件の文言を狭義に解釈して、被告現方法は文言上本件特許発明の技術的範囲に属しないとし、また、被告現方法と本件特許発明の相違部分につき当業者が容易に想到することができないとして均等の成立も否定する立場をとるとしても、別紙「被告現方法についての当裁判所の判断」記載の理由によれば、被告現方法が本件特許発明を基本的原理として利用した技術であることは明らかである。そして、後記のとおり(後記3、4参照)、本件特許発明が、高輝度青色LED及びLDの製造のためのGaN系半導体結晶膜を成長させるに当たって決定的な役割を果たす技術であることに照らせば、競業他社に対して本件特許発明の実施を禁止することにより、被告会社が高輝度青色LED及びLDの市場において競業他社に対して優位な立場を獲得していることは、優に認められるところである。そうすると、仮に被告現方法が厳密には本件特許発明の技術的範囲に属しないとしても、被告会社が高輝度青色LED及びLDの市場における優位な立場を通じて得ている超過売上高は、いずれにせよ、本件特許権の取得により本件特許発明を実施する権利を独占することによって得られる利益(独占の利益)と認定すべきものだからである。
3 本件特許発明の内容等について
(1) 未完成発明の主張について
 被告は、本件特許発明のようなツーフロー方式MOCVDにおいて、結晶性の高いGaN系結晶膜を成長させるためには、基板に平行ないし傾斜した方向から供給される反応ガスを層流の状態に保つため、基板の上から供給される不活性ガスを所定の圧力で供給することが不可欠であるところ、本件明細書にはこの所定の圧力に関する要件が開示されておらず、本件明細書の記載によれば、本件特許発明は未完成発明というべきである(第三、二2(3)ア)と主張する。
 特許権者である被告自身が、本件特許発明を未完成発明であるとして、本件特許の有効性を疑問視するような主張をする真意は必ずしも明らかでないが、本件明細書(中間判決に添付した特許公報及び異議決定参照)の記載を前記出願経過(第二、三5、12、13、15、16)に照らして精査しても、また、この点に関連して被告から提出された各証拠(乙94〜95、149等。枝番号省略。以下同じ。)を検討しても、本件特許発明が未完成発明ということはできないし、本件明細書の記載に不備があるとも認められない。
 かえって、原告は、本件特許発明が特許出願されて半年もたたない平成3年3月には、本件特許発明に係るツーフロー方式を用いて、基板の上にGaNバッファ層を形成して高品質なGaN層を成長させる(前記「GaNバッファ層の発明」)ことに成功していること(甲63、161)、被告自身が、少なくとも平成8年11月16日ころまでは、本件特許発明の改良発明に係るツーフロー方式MOCVD(被告当初方法)を実施したことを自認している(第三、二2(3)ア)ことなどに照らせば、本件特許発明は、その特許出願の当時において、「産業上利用することができる発明」(特許法29条1項柱書)として完成していたものであり、かつ、本件明細書の記載にも欠けるところはないもの(同法36条4項1号参照)と認められる。
 したがって、この点に関する被告の主張は採用できない。
(2) 本件特許発明とノウハウ
 被告は、また、本件特許発明を含むツーフロー方式MOCVDにおいては、不活性ガスの所定の圧力の最適条件に関するノウハウが極めて重要であって、良質なGaN結晶膜を成長させるに当たって本件特許発明が果たす役割は、被告現方法及びこれを実施した被告現装置が果たす役割に比して著しく小さく、100分の1にも満たない(第三、二2(1)ウ)などとも主張する。
 たしかに、MOCVD自体が非常に精密な技術であり、わずかな条件の相違によりGaN系半導体結晶膜の成長が左右されるものであることは、MOCVDの専門家である原告本人もこれを自認している(第16回口頭弁論における原告本人尋問調書93頁以下)。その点からすれば、被告が主張するように、本件特許発明を産業的に実施して高輝度青色LED及びLDを製品化するためには、本件明細書に直接開示された以外のいわゆるノウハウに属する部分が、少なからぬ役割を果たしていることが推測されないではない。しかしながら、これらのノウハウは、本件特許発明の技術的原理を前提として、その作用効果を高めるために実施態様を工夫したものか、せいぜい改良発明としての意味を持つものでしかなく、本件特許発明が存在しない限り意味を持たない。
 したがって、本件特許発明について、これを産業的に実施するために本件明細書に開示されていないノウハウが必要であったとしても、高輝度青色LED及びLDの製品化のための特許発明としての、本件特許発明の評価に影響を与えるものではない。
4 高輝度青色LED及びLDの製造における本件特許発明の位置付け
(1) 前記の前提となる事実(第二、三記載)に証拠(原告本人(第1、2回。以下同じ。)、甲21〜23、51〜54、57〜59、63、66、74、148〜151、154〜156、161)及び弁論の全趣旨を総合すれば、@ 本件特許発明が発明されたことにより、青色LEDの製品化に耐え得る質のGaN系化合物半導体結晶膜の成長が可能となり、そのことがきっかけとなって、原告は、GaNバッファ層の形成や、発光層に用いられる良質なInGaN結晶膜の成長などに次々と成功し、それまでのLEDの研究開発の歴史からすれば、画期的な早さで青色LED及びLDの製品化に至ったものであり、被告会社における青色LED及びLDの開発の経緯に照らすと、本件特許発明は、高輝度青色LED及びLDの実用化に必要な、いくつかの重要な技術的課題の解決のきっかけとなった基本特許の地位を占めるものであると認められ、また、A 被告会社は、高輝度青色LED及びLDの市場、とりわけ収益性の高い高輝度青色LEDの分野において、競業他社に対する優位を保っているものであるところ、B 競業関係にある豊田合成及びクリー社も、それぞれMOCVD方法によりGaN系化合物半導体結晶膜を成長させていることがうかがわれるものの、結果として、青色LEDが製品化されて以来現在に至るまで、本件特許発明を独占して実施する被告会社の製造する高輝度青色LEDに比して、常に何割か輝度の劣るLEDしか製造できておらず、このことからすれば、高輝度LED及びLDに関しては、本件特許発明の方法によってもたらされる結晶膜の質の差が、製品となった半導体発光素子の品質(輝度)に決定的な役割を果たしているものと認められる。
 この点に関して、被告は、GaN系青色LEDの製造に関与する技術(特許)として被告会社が保有するものとしては、@ 結晶性の良いGaN結晶膜を成長させる技術である本件特許発明のほかに、A サファイア基板上にバッファ層を設ける技術(前記「GaNバッファ層の発明」)、B p型GaN化合物半導体を製造するために不純物Mgをドープする技術、C Mgドープによりp型化する際のアニール(熱処理)技術(前記「p型化アニーリングの発明」)などが存在することを指摘するものであるが(原告も、この点は争わない。)、前掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば、前掲Aの技術、すなわち基板上にバッファ層を設ける技術については、被告会社が原告の発明に係るGaNバッファ層を用いているのに対し、豊田合成及びクリー社は、代替技術であるAlN(窒化アルミニウム)バッファ層を用いており、前掲Bの技術、すなわちp型半導体を得るために不純物Mgをドープする技術自体は、1970年代から研究され、開発されてきた公知の技術である。また、前掲Cの技術、すなわちp型化のアニール(熱処理)技術については、原告の共同発明に係るp型化アニーリングの発明は、たしかにp型半導体の安定した量産に貢献するものであるが、必ずしも高品質な結晶膜の形成に貢献するものではないし、豊田合成が使用する、A名古屋大学名誉教授らの研究グループ開発に係る電子線照射によるp型化という代替技術が存在する。したがって、前掲A〜Cの技術についていずれも代替技術ないし独自技術を有する競業会社である豊田合成及びクリー社に比して、被告会社が常に何割か輝度の高いLED及びLDを製造し続け、市場における優位性を保っているのは、被告会社が本件特許発明を実施して半導体結晶膜を製造し、他方、本件特許権の存在により競業会社である豊田合成及びクリー社が本件特許発明を用いて半導体結晶膜を製造することができないことに起因するものといわざるを得ない。
 現在の製造メーカーの状況においては、短期間に多数のMOCVD装置を入手することは不可能であり、加えて、前記のとおりMOCVDは非常に精密な技術で、わずかな条件の相違により結晶膜の成長が左右されるものであり、ツーフロー方式の装置における最適化条件を見付けるには、ある程度の年月を要することに照らせば(前掲各証拠、弁論の全趣旨)、競業他社が将来本件特許発明に比肩する代替技術を開発する可能性を考慮しても、なお、少なくとも本件特許権の存続期間の満了する平成22年10月までの間は、市場における被告会社の優位性はゆるがないものと推認できる。
 また、スタンレー電気が、NS博士の発明に係る半導体膜結晶成長技術である「温度差法」を用いて高品質な赤色LEDを製造し、高輝度赤色及び黄緑色LEDの市場において昭和53年以来今日に至る約25年間もの長期間にわたって優位を保っていること(前掲各証拠、弁論の全趣旨)に照らしても、LEDの製造においては高品質な結晶を成長させることが重要なポイントであり、青色LEDの市場においても、窒化化合物半導体の結晶膜成長方法である本件特許発明を用いて製造された被告会社の製品の優位性が市場において今後も長期間保たれることが予測される。
(2) 被告は、また、本件特許発明の方法により成長させたGaN系半導体結晶膜の品質は、他の技術により成長させた結晶膜の品質に比して必ずしも良好ではないと主張し、この点に関する証拠(乙113〜114、130〜135、157〜158、160〜164)を提出する。また、現在では、市販の汎用機であるMOCVDを用いても、本件特許発明の方法により成長させた結晶膜に劣らない品質の結晶膜を成長させることができるなどとも主張する(第三、二2(1)イ参照)。
 しかしながら、前者の点については、そもそもいかなるデータによっても半導体結晶膜の質の優劣を一義的に決定することは困難であって、例えばGaN結晶膜の場合は電子移動度がひとつの目安になるものの、最終的には、GaN、AlGaN及びInGaN等の各種結晶膜を重ねて構成された発光素子の輝度を比べることで結晶膜の優劣を推測するしかなく、少なくとも産業上、経済上の観点からの評価としては、このような方法により比較するほかなく、かつそれで十分と認められる(原告本人、甲158、163、弁論の全趣旨)。また、被告の提出に係る上記各証拠を検討しても、比較の基礎となる製法の差異以外の他の条件(例えば結晶膜の膜厚等)が必ずしも明確でなく、結晶膜の優劣を論じるのに有意な比較であるかどうかが不明であるから、これをもって、被告の上記主張を裏付けるものということはできない。また、後者の点についても、この点に関する被告の主張を裏付けるに足りる客観性のある証拠は提出されておらず、被告の主張を採用することはできない。
5 独占の利益の算定
(1) 独占の利益算定の基準時
 上記2ないし4における検討の結果によれば、本件特許発明は、高輝度青色LED及びLDの製造のためのGaN系半導体結晶膜を成長させるに当たって決定的な役割を果たす技術であり、高輝度青色LED及びLDの市場において被告会社が優位な立場を獲得しているのは、本件特許発明を実施して半導体結晶膜を製造し、本件特許権により、競業他社に対して本件特許発明の実施を禁止していることに起因するものと認められる。
 そこで、被告会社が高輝度青色LED及びLDの市場における優位な立場を通じて得ている超過売上高を認定し、それにより被告会社が本件特許発明を実施する権利を独占することによって得ている利益(独占の利益)を算定する。
 ところで、前記1(1)において判示したとおり、上記の独占の利益は、特許権の存続期間満了までの間に使用者があげる超過売上高に基づく利益を指すが、勤務規則等に職務発明の対価の支払時期が定められている場合には、特段の事情のない限り、独占の利益は、中間利息を控除して当該支払時期の時点における金額として算定するのが相当である。
 本件においては、前記の前提となる事実(第二、三6)記載のとおり、本件特許発明の特許出願当時、被告会社においては被告社規が施行されていたところ、同社規の10条には、「従業員が行った発明・考案及び改善提案に対し、別に定める基準(付則−1)により表彰及び褒賞金を支給する。」と定められていた。また、これを受けた社規第17号付則−1の「U 発明・考案関係」と題する項には、次のとおりの規定が置かれていた。
 1.審査及び表彰基準
  発明・考案の評価は、下記事項に基づき特許委員会が審査を行い、上長の承認を受け表彰する。賞金はその都度決定する。
 @特許出願件数
 A権利取得状況
 B内容の検討
 2.褒賞金支給基準
 @特許出願1件につき 10、000円
 A権利成立1件につき 10、000円
 B認証1件につき 5、000円
 C実用新案出願1件につき 5、000円
 D実用新案成立1件につき 5、000円
 上記によれば、被告会社の社規においては、従業員が職務発明をした場合には、特許については、特許出願1件につき1万円、特許登録1件につき1万円を基準として、特許委員会が、特許出願状況、権利取得状況、権利の内容を検討の上、その都度、褒賞金の金額を決定して支給するものと定められている。もっとも、証拠(原告本人、乙32、33)及び弁論の全趣旨によれば、上記社規の実際の運用としては、被告会社の組織として特許委員会は置かれておらず、特許出願時及び特許登録時に従業員発明者に各1万円が支払われていたもので、原告も、被告会社から、本件特許発明を特許出願した平成2年10月25日ころに1万円、本件特許権が設定登録された平成9年4月18日ころに1万円の各支払を受けたものである(原告に対する前記各支払は、当事者間に争いがない。)。
 被告社規の規定する上記褒賞金は職務発明の対価の一部をなすものというべきであるから、被告社規とこれを受けた社規第17号付則−1の上記各規定は、勤務規則等に該当する被告社規において定められた、相当対価の支払時期に関する定めに該当するというべきである。そして、そこで定められた最終の支払時期は、いわゆる登録補償金(上記の社規第17号付則−1のU2.A)の支払の要否が明らかになる特許権の設定登録時ころと認められる。
 上記によれば、本件においては、独占の利益は、中間利息を控除して相当対価の最終支払時期である本件特許権の設定登録時(平成9年4月18日)における金額として算定するのが相当である。
(2) 被告会社におけるGaN系LED及びGaN系LDの売上高
 そこで、被告会社の独占の利益を算定する前提として、被告会社におけるGaN系LED及びGaN系LDの売上高を認定する。
ア GaN系LEDの売上高の算出
 証拠(甲5、122、乙85の2、117)を総合すると、一般に入手可能な資料に基づき既に明らかになった、青色LEDが市場に出始めた平成6年から平成14年までの被告会社のGaN系LEDの売上(各年度12月末日締め。以下、売上高、予想売上高等については、すべて同様である。)は、別紙「相当対価算定についての当裁判所の判断」1記載のとおり、合計2398億5100万円である。
 次に、平成15年以降の売上については、@GaN系LEDの市場全体の成長率、A被告会社の市場占有率、及び、B被告会社の成長率を、下記のとおり推測する(甲122)。
              上記@    同A    同B
 平成15年(2003年) 45.4%  52.2%  34%
 同 16年(2004年) 30.6%  49.8%  25%
 同 17年(2005年) 17.1%  47.4%  11%
 同 18年(2006年) 14.3%  44.9%   8%
 同 19年(2007年) 18.6%  42.5%  12%
 同 20年(2008年) 16.7%  40.1%  10%
 同 21年(2009年) 16.7%  37.7%  10%
 同 22年(2010年) 16.7%  35.2%   9%
 上記各数値は、平成7年から平成14年までの上記@ないしBの数値(既に明らかとなっており、別紙「相当対価算定についての当裁判所の判断」2記載のとおりである。)を基礎として推測したものである。すなわち、まず、上記@については、LED業界で高い信用を得ている米国Strategies Unlimited社作成に係るレポート「Gallium Nitride−2003」(甲120)に基づき、平成15年以降のGaN系LEDの市場規模を予測して算定したものである。そして、上記Aについては、被告会社の生産能力が市場の伸びに追いつかない懸念、代替技術登場の可能性及び販売体制の制約等の事情を加味し、平成14年における被告会社の市場占有率が、本件特許権の存続期間満了年次である平成22年までの間に、GaN系LEDが製品化されてからこれまでに被告会社が記録した最も低い市場占有率にまで逓減するというように被告会社の将来の市場占有率を控えめに予測したものである(甲122〔10頁、11頁〕参照)。上記各予測数値は、本件において提出されている証拠上、最も控えめな予測数値であり、合理的なものと認められる。
 そこで、上記各予測数値に基づいて算定したGaN系LEDの市場規模(市場全体の売上高)に被告会社の各年度の上記予想市場占有率を乗じて、各年度ごとの被告会社の予想売上高を算出する。その結果は、別紙「相当対価算定についての当裁判所の判断」3記載のとおり(1万円未満切り捨て。以下同じ)である(ただし、平成22年度分については、本件特許権存続期間満了日である平成22年10月25日までのもの〔日割計算〕である。甲122〔11頁、23頁〕参照)。
 そして、前記(1)において判示したとおり、本件においては、独占の利益は、中間利息を控除して相当対価の最終支払時期である本件特許権の設定登録(平成9年4月18日)の時点における金額として算定するのが相当であるから、独占の利益算定の前提となる被告会社の売上高についても、中間利息を控除して同時点における金額として算定しておくのが便宜である。
 そうすると、本件特許権の設定登録時までに既に得られていた平成6年から同8年までの売上高については、これらを合計すると(これらの売上高中の独占の利益に対応する相当対価は、いずれも本件特許権の設定登録時に支払時期が到来し、それまで遅滞とならないから、遅延利息は付さない。)、60億4600万円となる。
 他方、平成9年から特許権存続期間満了年次である平成22年までに得られることが予測される各年度ごとの売上については、これをまず複利計算により中間利息(年5分)を控除して平成9年(12月末日)現在の価値にひきなおした金額を合計した上(なお、被告会社の売上高等、算定の基礎となる各数値が各年度を単位として算出されていることから、上記中間利息の控除についても、年度ごとを単位としてこれを行うこととする。)、更に平成9年12月末日から上記基準時(平成9年4月18日)までの間の中間利息(年5分)を控除して、算定すべきこととなる。
 平成9年以降の分についてまず平成9年12月末日現在の価値として上記の計算を施した上での、被告会社のGaN系LED売上高に関する各年度ごとの数値は、別紙「相当対価算定についての当裁判所の判断」4記載のとおりであり、これらの合計額は1兆1380億9394万円となる。
 次に、平成9年から平成22年までの売上げ合計1兆1380億9394万円について、これを更に本件特許権の設定登録時である平成9年4月18日現在の価額として算定すると、上記1兆1380億9394万円から257日分(平成9年4月19日から同年12月31日まで)の中間利息(年5分)を控除した1兆0993億8940万円となる。
 1兆1380億9394万(円)÷{1+(0.05×257/365)} = 1兆0993億8940万(円)
 そして、平成6年から同8年までの売上高合計60億4600万円に上記1兆0993億8940万円を加算した合計1兆1054億3540万円が、GaN系LEDについて平成9年4月18日を基準とした相当対価を算出するための基礎となる売上高合計額となる。
イ GaN系LDの売上高の算出
 GaN系LDについても、前記米国Strategies Unlimited社作成に係るレポート「Gallium Nitride−2003」(甲120)に基づいて、平成15年以降のGaN系LDの市場規模を予測する。また、被告会社は、既にLD市場においても主導的な地位にあると認められるから、被告会社が、少なくともLED市場において過去に記録した被告会社の最低市場占有率と同率の市場占有率を、LD市場においても占めるものと控え目に予測した(甲122〔10頁、12頁〕参照)。そして、上記LD市場の予測規模に上記市場占有率を乗じて、各年度ごとの被告会社の予想売上高を算出すると、別紙「相当対価算定についての当裁判所の判断」5記載のとおりである(ただし、平成22年度分については、本件特許権存続期間満了日である平成22年10月25日までのもの〔日割計算〕である。甲122〔12頁、26頁〕参照)。
 上記の各売上高を、LEDの場合と同様に、まず複利計算により中間利息(年5分)を控除して平成9年(12月末日)現在の価値にひきなおした金額を求めると、別紙「相当対価算定についての当裁判所の判断」6記載のとおりであり、合計1067億9788万円となる(ただし、1万円未満は切り捨て)。
 そして、平成15年から平成22年までの売上げ合計1067億9788万円について、これを更に本件特許権の設定登録時である平成9年4月18日現在の価額として算定すると、上記1067億9788万円から257日分(平成9年4月19日から同年12月31日まで)の中間利息(年5分)を控除した1031億6587万円となる。
 1067億9788万(円)÷{1+(0.05×257/365)}=1031億6587万(円)
ウ 小括
 以上によれば、本件において、平成9年4月18日を基準とした相当対価を算出するための基礎となる売上高合計額は、GaN系LEDについての上記1兆1054億3540万円とGaN系LDについての上記1031億6587万円との合計額である1兆2086億0127万円と認められる。
 1兆1054億3540万(円)+1031億6587万(円)=1兆2086億0127万(円)
(3) 被告会社の独占の利益
ア 被告会社の超過売上高
 そこで、次に、被告会社の独占の利益を算定する前提として、本件において、本件特許権により競業他社に本件特許発明の実施を禁止していることに起因する被告会社の超過売上高を認定する。すなわち、競業他社に本件特許発明の実施を許諾していた場合に予想される売上高と比較して、被告会社がどれだけこれを上回る売上高を得ているかが問題となる。
 前記4(1)において判示したとおり、被告会社が、競業会社である豊田合成及びクリー社に対して、輝度のまさった高輝度青色LED及びLDを製造し続け、市場における優位性を保っているのは、被告会社が本件特許発明を実施して半導体結晶膜を製造し、他方、本件特許権の存在により競業会社である豊田合成及びクリー社が本件特許発明を用いて半導体結晶膜を製造することができないことに起因するものと認められる。すなわち、高輝度青色LED及びLDの市場、とりわけ収益性の高い高輝度青色LEDについては、被告会社が市場において他社に対する優位を保っているものであるが、これは、被告会社が本件特許発明を独占していることが、他社の市場参入を阻む強い抑止力として働いている結果というべきである。
 青色LED及びLDの市場は、被告会社のほか豊田合成及びクリー社により占められた寡占的な市場であり、証拠上、これら3社の間に、製品自体の競争力のほかにその売上高を大きく左右する事情(例えば企業規模や販売力の顕著な差等)が存在するとは認められない。
 上記の諸事情を考慮すれば、仮に被告会社が本件特許発明の実施を競業会社である豊田合成及びクリー社に許諾していれば、上記(2)の売上高のうち少なくとも2分の1に当たる製品は、豊田合成及びクリー社により販売されていたものと認められる。すなわち、上記(2)の売上高のうち、被告会社が競業他社に本件特許発明の実施を禁止できたことに起因して得ることのできた売上の割合は、少なくとも2分の1を下回るものではないと認めるのが相当である(なお、上記(2)の売上高のうち、本件特許権が設定登録された平成9年4月18日より前のGaN系LEDの売上は、本件特許権の効力が生じる前の売上であるが、被告会社が本件特許発明を独占的に実施していたという状況は本件特許権の設定登録後と同じであるから、この売上についてもその後の売上と同様に扱う。)。
イ 独占の利益の算定方法
 そこで、上記認定を前提として、本件特許権についての被告会社の独占の利益を算定することとなるが、その方法としては、@ 被告会社が上記超過売上高から得る利益を算定する、A 豊田合成及びクリー社に本件特許発明の実施を許諾した場合を想定して、その場合に得られる実施料収入により算定する、という2つの方法が考えられる。
 @の方法をとる場合は、被告会社が上記超過売上高(上記(2)の売上高の2分の1)から得る利益を算定することになるところ、本件においては、上記売上から得られる利益率や、LED及びLDの分野の他の特許との関係で各製品において本件特許発明の占める寄与率について、これを明らかにする証拠がない(甲13によれば、被告会社は豊田合成に対して提起した別件の特許権侵害訴訟事件において、被告会社のLED製品の限界利益率を80%と主張していたことが認められるが、これは短期間(侵害期間)に販売製品数(侵害品販売数)も限定された場面において、新たな設備投資等を伴わないものとして主張された数値であり、長期間における多数の製品の販売を想定する本件にこの数値を採用することは適切ではない。)。また、この方法では、被告会社が自ら製造販売することによりあげる収益を算定することになるが、将来の設備投資や資金調達のリスク等の諸要素をも考慮する必要が存在する。
 これに対して、Aの方法の場合は、他社から支払われる実施料収入であるから、金額としては、被告会社が自ら製造販売を行うことによりあげる利益額(上記@の方法)よりも控え目な金額となるが、他社による売上につき一定割合の収入が支払われるものであって、被告会社自らが設備投資や資金調達等を行う必要がないので、これらに伴うリスク等の諸要素を考慮する必要がない。
 本件においては、前記のとおり、@の方法をとるには証拠等が必ずしも十分とはいえないので、Aの方法により被告会社の独占の利益を算定することとする。
ウ 本件特許発明の実施料率
 そこで、上記Aの方法により被告会社の独占の利益を算定する。
 前記のとおり、仮に被告会社が本件特許発明の実施を競業会社である豊田合成及びクリー社に許諾していれば、上記(2)の売上高のうち少なくとも2分の1に当たる製品は、豊田合成及びクリー社により販売されていたものと認められる。
 次に実施料率が問題となるが、前記のとおり、被告会社が、競業会社である豊田合成及びクリー社に対して、輝度のまさった高輝度青色LED及びLDを製造し続け、市場における優位性を保っているのは、本件特許発明を独占していることによるものであり、さらに前記2ないし4において認定した諸事情をも併せて考慮すると、仮に豊田合成及びクリー社に本件特許発明の実施を許諾する場合の実施料率は、少なく見積もっても、販売額の20%を下回るものではないと認められる。
エ 小括
 そうすると、仮に被告会社が本件特許発明の実施を競業会社である豊田合成及びクリー社に許諾していれば、上記(2)の売上高のうち少なくとも2分の1に当たる製品は、豊田合成及びクリー社により販売されていたものであるから、実施料額算定の前提となる豊田合成及びクリー社の売上高としては、上記(2)の売上高の2分の1、すなわち、平成6年度から平成22年度までの、被告会社の青色LED及びLDに関する売上高及び予想売上高につき、平成9年4月18日の時点の価値として計算した数値である1兆2086億0127万円の2分の1となる。したがって、上記の時点(平成9年4月18日)の価値として算定した実施料額は、これに本件特許発明の実施料率20%を乗じて得られた1208億6012万円となる(下記計算式参照。ただし、1万円未満切り捨て)。
 1兆2086億0127万(円)×1/2×0.2=1208億6012万(円)
 以上によれば、被告会社が本件特許発明を独占することにより得ている利益(独占の利益)は、1208億6012万円と認められる。
(4) 被告の主張について
 ところで、被告は、相当対価の算定方法について、そもそも相当対価請求権は、特許を受ける権利の譲渡と同時に客観的に算定されるはずのものであるから、相当対価算定において算出されるべきは、あくまでも譲渡時における期待利益であり、そこで斟酌することが許されるのは、譲渡時において合理的に予想される限度における将来利益であって、口頭弁論終結時に算定される将来利益ではあり得ず、口頭弁論終結時までに被告が実際にあげた利益についても、あくまで譲渡時における期待利益を算定するに際し、一資料として斟酌することが許されるにすぎない旨を主張する(第三、二2(2)ア)。
 そして、上記主張を前提に、新日本監査法人鑑定書(乙117)を提出し、これを根拠にして、青色LEDが製品化された平成6年12月期から平成13年12月期までの間に青色LED関係の特許関連製品により被告会社にもたらされた損益を計算すると、実際にあげた税引後当期利益を累計し、研究開発費、研究資産未償却残高及び自己資本コスト累計を差し引いた結果は、むしろ14億9000万円の損失になると主張している。
 たしかに、相当対価の額は、一定の時点の価額として客観的に算定されるべきものであり、勤務規則等に職務発明の対価の支払時期が定められている場合には、特段の事情のない限り、当該支払時期を基準として、そうでない場合は譲渡時を基準として、いわば期待利益として算定されるべきものである。
 しかしながら、その算定に当たっては、事実審口頭弁論終結時までの一切の事情を斟酌することができるものである。この点は、債務不履行や不法行為を理由とする損害賠償請求訴訟において、逸失利益の算定に当たり、履行期ないし不法行為時以後の事情を斟酌して逸失利益の額が算定されるのと同様である。
 本件においては、口頭弁論終結時までに明らかになった被告会社の実際の売上高や市場の成長率等の合理的数値に基づき、特許権存続期間満了時までの被告会社における本件特許発明の実施品の売上高合計額を求め、勤務規則等に当たる被告社規に定められた支払時期を基準に中間利息を控除して計算した金額を基礎として、独占の利益を算定した上で、発明者の貢献度を考慮して相当対価を算定しているものであるが、このような算定方法により相当対価を算定することは合理的なものとして当然許容されるものである。
 ちなみに、被告の提出する新日本監査法人鑑定書は、@ その計上する研究開発費及び研究資産未償却残高の範囲が不明確であって、青色LED及びLD以外の製品に関連する費用が含まれていることが疑われる、A 資本コスト率において、競業他社であるとはいえ、企業規模や資金獲得方法等の相違が明らかでなく、かつ、一般に採用されている会計原則等の異なる米国法人であるクリー社の数値を用いているが、その理由が明らかではない(青色LEDが産業界において待望されていた技術であることに照らせば、本件特許発明の事業化は、いわば成功が保証されていたものであって、事業化に特段のリスク等が存在したものでもなく、また、長期間にわたっての市場における優位性の保持が見込まれるものであった。これらの点からいえば、そもそも通常と同様の資本コストを考慮すること自体も疑問である。)、B 平成14年以降の被告会社の売上高や市場規模が一切考慮されていない、などの疑問点が指摘されるものである。また、新日本監査法人鑑定書の結果に従えば、被告会社は、平成13年度末の時点において、青色LED及びLDの製造販売により、いまだ利益を出していないばかりか、逆に14億円以上の損失を出していることになるが、これは青色LED及びLDの製造販売により被告会社が巨額の利益を得ている現在の実情とあまりにかけ離れた結論であり、同鑑定書の信憑性自体に疑問を抱かざるを得ないものである。
6 発明者の貢献度
 そこで、次に本件特許発明における発明者(原告)の貢献度を検討する。
(1) 前記の前提となる事実(第二、三)記載の事実に証拠(原告本人、甲4、21〜23、51〜57、92〜96、104〜105、121)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の各事実が認められる。
@ 昭和54年の原告の就職当時、被告会社は蛍光体等の製造販売を主たる業務とする会社であり、原告は、就職間もないころから約10年間、赤色LED等の原料となるGaメタルの精製、GaP及びGaAsの製造開発、さらには液相エピタキシャルによるGaAlAs結晶膜の成長に取り組み、半導体に関する基礎工業技術を身に付けた。これらの技術は、既に製品化され、市場が形成されていた赤外ないし赤色LEDの原材料を供給する事業に関するものであった。
A 被告会社においては、当時、赤色LEDの原材料精製等に関する技術の蓄積が多少あったものの、青色LED開発に必要な技術の蓄積は全くなかった。したがって、被告会社としては、既に実用化されていた赤色LEDはともかくとして、青色LEDの開発を手がけることは、到底考えられない状況にあった。
B そのような状況の下、原告は、次の研究開発のテーマとして、自ら青色LEDを選択し、被告会社の経営陣に働きかけて、青色LEDの半導体結晶膜を成長させる方法として、上記液相エピタキシャルと異なる有機金属気相成長法(MOCVD)を新たに学ぶため、被告会社の費用で米国フロリダ州立大学に約1年間留学した。
C 当時、青色LEDは、夢の技術といわれ、世界中の大企業や研究機関がしのぎを削って研究開発に取り組んでいたが、20世紀中の開発は不可能とまで言われていた。青色LEDについては、そもそも半導体結晶膜の素材としてどの物質を選ぶかという点から各研究機関において模索中であり、セレン化亜鉛(ZeSe)、炭化珪素(SiC)及び窒化ガリウム(GaN)等が研究対象とされていたが、世界の趨勢はZeSeを本命視する方向にあった。GaNについては、いわゆる格子整合性に難点があって、そもそも実用化に耐え得る結晶膜の成長が難しいとされており、当時、日本国内でこれに取り組む有力な研究グループとしては、名古屋大学名誉教授のA博士らが挙げられる程度であった。
 しかるに、原告は、上記留学を終える前後ころ、あえてGaNを素材に選択することを決意した。
D 原告は、平成元年4月ころに留学から帰国した後、被告会社の費用(約1億3900万円)で購入した市販のMOCVD装置を用いて、GaN系半導体結晶膜の成長に取り組み始めた。
 しかし、MOCVD自体が非常に精密な技術であり、わずかな実験条件の違いで結晶膜の成長が左右され、満足のいく質の結晶膜を成長させるのは容易なことではなかった。
 そこで、原告は、製品化に耐え得る質の結晶膜を成長させるべく、自らガス配管や加熱器(ヒーター)を改造するなどの工夫をしながら、試行錯誤を重ねた。
E この間、原告は、新入社員であったFやBを補助に付けてもらったほかは、独力で開発を進めていたものであるが、平成2年9月ころ、本件特許発明をした。
(2) 上記の各事実に照らすと、被告会社には、赤色LEDの原材料精製等に関する技術の蓄積が多少あったものの、青色LED開発に必要な技術の蓄積は全くなかったところ、原告が、研究開発テーマとして青色LEDを選んだ上、その素材としてGaN系化合物を、さらにその結晶膜の成長法としてMOCVDをそれぞれ選択して、独力でMOCVD装置の改良を重ね、本件特許発明をするに至ったものということができる。
 他方、本件特許発明が発明される経緯において被告会社の行った具体的な貢献としては、原告の米国留学費用を負担したこと、市販MOCVD装置購入を含む3億円余の初期設備投資の費用(乙76の1〜17)を負担したこと、原告による青色LEDの研究開発期間中、実験研究開発コストを負担したこと、直ちに利益をもたらす見込みのつかない青色LEDの研究に没頭する原告に対し、結果として会社の実験施設等を自由に使用することを容認し、補助人員を提供したことなどが挙げられる。
 上記によれば、競業会社である豊田合成やクリー社が青色LEDの分野において先行する研究に基づく技術情報の蓄積や研究部門における豊富な人的スタッフを備えていたのに対して、被告会社においては青色LEDに関する技術情報の蓄積も、研究面において原告を指導ないし援助する人的スタッフもない状況にあったなか、原告は、独力で、全く独自の発想に基づいて本件特許発明を発明したということができる。本件は、当該分野における先行研究に基づいて高度な技術情報を蓄積し、人的にも物的にも豊富な陣容の研究部門を備えた大企業において、他の技術者の高度な知見ないし実験能力に基づく指導や援助に支えられて発明をしたような事例とは全く異なり、小企業の貧弱な研究環境の下で、従業員発明者が個人的能力と独創的な発想により、競業会社をはじめとする世界中の研究機関に先んじて、産業界待望の世界的発明をなしとげたという、職務発明としては全く稀有な事例である。このような本件の特殊事情にかんがみれば、本件特許発明について、発明者である原告の貢献度は、少なくとも50%を下回らないというべきである。
(3) この点について、被告は、本件特許発明の直接のきっかけとなったMOCVD装置の購入は、被告会社の開発方針に基づくものであり、原告はその方針に従い米国に派遣されたにすぎないなどと主張する(第三、二2(1)エ)。
 しかしながら、MOCVD装置の購入を被告会社に働きかけたことをはじめ、一貫して原告が主体的に行動を選択し、その発意を被告会社が容認ないし追認する形で本件特許発明がされたことは、前記認定のとおりである。
 被告の主張するところは、原告の働きかけとは関係なく、被告会社が自ら青色LEDを研究開発する方針を立て、その方針に従って原告を米国に派遣したというものであるが、これを裏付けるに足りる客観的証拠は全く存在しない。かえって、前掲各証拠によれば、原告がGaN系半導体結晶膜の成長方法の開発に取り組んでいたさなかの平成2年3月末に、訴外松下電器産業株式会社のHの示唆から、被告会社の経営陣が、原告に対して携帯電話のHEMT(高速電子移動トランジスタ)用のGaAs(ガリウム砒素)の開発製造を命じたのに対し、原告が、当時被告会社に1台しかなかったMOCVD装置をGaAs結晶膜の成長に用いると、GaN結晶膜の成長方法の開発は断念せざるを得ないと考え、被告会社の指示に反してGaN結晶膜の成長方法の研究開発を続行した事実が認められるものであり、この事実に照らしても、被告の主張が採用できないことは明らかである。
 また、被告は、平成元年にMOCVD装置の購入に約1億3900万円を費やし、平成2年には1枚3万円強のサファイヤ基板を毎日のように費消する実験研究開発コストを負担したなど、当時の被告会社の規模(平成元年度の経常利益11億3000万円)からすれば莫大な投資をしたなどと被告会社の貢献度を強調するが、発明に対する使用者会社の貢献度とは、当該発明がされるに当たって人的物的面で客観的に寄与した内容により判断されるものであって、当該寄与が使用者会社の規模に照らしてどれほどの負担かといった、いわば使用者の主観的な側面が考慮されるものではない。
 さらに、被告は、本件特許発明の特許出願後、設定登録に至る間に被告会社特許部が努力をしたことや、本件特許発明の事業化に原告が関与しなかったことなどを指摘するが、発明がされた後のこれらの事情は、そもそも使用者会社の貢献度として考慮される事情に当たらない(仮にこの点をおくとしても、本件特許権が設定登録され、特許異議に対して維持された経緯をみても、その手続における被告会社の対応は、出願人として通常の範囲の対応であるし、青色LEDが産業界において待望されていた技術であることに照らせば、本件特許発明の事業化は、いわば成功が保証されていたものであって、事業化に特段のリスク等が存在したものでもない。被告の主張は、この点からも失当である。)。
7 本件特許発明の職務発明についての相当対価
 そうすると、本件特許を受ける権利の譲渡に対する相当対価の額(特許法35条4項)は、被告会社の独占の利益1208億6012万円(前記5において算定した実施料合計額)に発明者の貢献度50%を乗じた604億3006万円(ただし、1万円未満切り捨て)となる。
 1208億6012万(円)×0.5=604億3006万(円)
8 消滅時効の主張について
(1) 消滅時効の成否
 被告は、本件特許発明についての職務発明の相当対価請求権につき、消滅時効を援用して、相当対価請求権は既に時効消滅していると主張するので、この点につき検討する。
 職務発明について特許を受ける権利を使用者に承継させる旨を定めた勤務規則等がある場合には、従業者は、当該勤務規則等により、特許を受ける権利を使用者に承継させたときに、相当の対価の支払を受ける権利を取得する(特許法35条3項)。対価の額については、同条4項の規定があるので、勤務規則等による額が同項により算定される額に満たないときは同項により算定される額に修正されるのであるが、対価の支払時期についてはそのような規定はない。したがって、勤務規則等に対価の支払時期が定められているときは、勤務規則等の定めによる支払時期が到来するまでの間は、相当の対価の支払を受ける権利につき法律上の障害があるものとして、その支払を求めることができないというべきである。そうすると、勤務規則等に使用者が従業者に対して支払うべき対価の支払時期に関する条項がある場合には、その支払時期が相当の対価の支払を受ける権利の消滅時効の起算点となると解するのが相当である(最高裁平成13年(受)第1256号同15年4月22日第三小法廷判決・民集57巻4号477頁(オリンパス光学事件最高裁判決)参照)。
 本件においては、前記5(1)において判示したとおり、本件特許発明の特許出願当時、被告会社においては被告社規10条及びこれを受けた社規第17号付則−1が置かれており、その規定によれば、従業員が職務発明をした場合には、特許については、特許出願1件につき1万円、特許登録1件につき1万円を基準として、特許委員会が、特許出願状況、権利取得状況、権利の内容を検討の上、その都度、褒賞金の金額を決定して支給するものと定められおり、原告も、被告会社から、本件特許発明を出願した平成2年10月25日ころに1万円、本件特許権が設定登録された平成9年4月18日ころに1万円の各支払を受けたものである。被告社規の規定する上記褒賞金が職務発明の対価の一部をなすものであることは明らかであり、したがって、被告社規とこれを受けた社規第17号付則−1の上記各規定は、勤務規則等に該当する被告社規において定められた、相当対価の支払時期に関する定めに該当する。そして、そこで定められた最終の支払時期は、少なくとも、いわゆる登録補償金の支払の要否が明らかになる特許権の設定登録時以降というべきである。
 そうすると、本件特許発明の対価請求権の消滅時効の起算点は、本件特許権が設定登録された平成9年4月18日以降というべきである。
 そして、職務発明の相当対価請求権は、特許法35条により従業者に認められた法定の権利であるから、消滅時効期間は10年と解すべきものである。
 本件においては、原告は、平成13年8月23日に訴訟を提起し(ただし、訴訟提起時における予備的請求(その2)の請求額は、20億円であった。)、その後、上記予備的請求(その2)の請求額を、平成15年6月17日に提出された同日付け原告準備書面(28)により50億円に、同月19日に提出された同日付け原告準備書面(29)により100億円に拡張し、さらに同年9月19日に提出された同日付け原告準備書面(46)により200億円に拡張したものであるから、本件訴訟における原告の請求については、予備的請求(その1)、予備的請求(その2)のいずれについても消滅時効が完成していない。
(2) 被告の主張について
 この点について、被告は、被告社規においては、特許出願1件につき1万円、権利成立1件につき1万円と、定額かつ低廉な出願補償金及び登録補償金を定めるのみで、いわゆる実績補償の性質を有する金員の支払は一切定められていないから、本件においては、特許を受ける権利の承継時(遅くとも、特許出願の日である平成2年10月25日)から消滅時効が進行するものであり、消滅時効が完成していると主張する。
 しかしながら、出願補償金及び登録補償金のみを規定したものであったとしても、勤務規則等にその支払時期の定めがある場合には、従業者は、これに拘束されるものであるから、支払時期の到来まで相当対価請求権の行使につき法律上の障害があるものであり、支払時期が消滅時効の起算点となると解すべきである。この点について、勤務規則等にいわゆる実績補償に該当する対価の支払が規定されている場合と、そうでない場合とを区別する理由はない。
 被告は、勤務規則等において譲渡時における一括払い以外の支払方法が規定されている場合に、従業者が常にこれに拘束されるとすると、使用者が恣意的に支払時期を遅く設定した場合、相当対価請求権の行使可能時期が不当に遅くなり、従業者の保護を意図した特許法35条3項、4項の趣旨にもとる結果になると主張するが、対価の支払時期に関する勤務規則等の定めが著しく不合理で特許法35条の趣旨に反するような場合には、支払時期に関する条項を公序良俗違反として無効として従業者を救済することも可能である(そのような場合には、従業者保護の観点から対価の支払時期に関する勤務規則等の定めを無効とするのであるから、無効を主張することができるのは従業者の側のみであって、当該勤務規則等を自ら定めた使用者の側からその効力を否定して早期の消滅時効完成を主張することは、許されないというべきである。)。被告の主張は採用できない。
 なお、前記のとおり、被告社規10条及びこれを受けた社規第17号付則−1の規定上は、従業員が職務発明をした場合には、特許については、特許出願1件につき1万円、特許登録1件につき1万円を基準として、特許委員会が、特許出願状況、権利取得状況、権利の内容を検討の上、その都度、褒賞金の金額を決定して支給するものと定められているものであり、これによれば、特許委員会の決定があるまでは、褒賞金の支給額は定まっておらず、その支給時期も到来していない。そうすると、上記社規の実際の運用としては、被告会社の組織として特許委員会は置かれておらず、特許出願時及び特許登録時に従業員発明者に各1万円が支払われていたもので、原告も、被告会社から、本件特許発明を出願した平成2年10月25日ころに1万円、本件特許権が設定登録された平成9年4月18日ころに1万円の各支払を受けたものであるが、規定上は、原告は、本件特許権の設定登録時である平成9年4月18日ころに1万円の支払を受けるまでは、被告から支給される褒賞金の金額及びその支給時期を知らないわけであり、この点からすれば、本件においては、相当対価請求権の消滅時効は、原告が登録補償金として1万円の支払を受けた時から進行するものと解するのが相当である。
 上記のとおり、消滅時効の完成をいう被告の主張は、理由がない。
9 予備的請求(その1)について
 原告は、予備的請求(その1)において、職務発明の相当対価請求権を定めた特許法35条3項に基づき本件特許権の一部(共有持分)の移転登録を求めるとしている。
 しかしながら、特許法35条3項は「相当の対価」と規定しているところ、「対価」とは譲渡の目的物とは別個のものを反対給付することを意味するものである。特許権は、特許を受ける権利がその目的を達して変容したものであり、実質上両者は同一と評価されるものであるから、特許を受ける権利を譲渡した対価として特許権の一部を移転するということは、譲渡の目的物の一部を対価として支払うということになり、文言上背理となる。また、特許法35条は、使用者が特許を受ける権利又は特許権の全部を使用者に承継させることを予定した規定というべきである。すなわち、特許が従業者と共有となる場合には、使用者は、従業者の同意を得なければ専用実施権の設定や通常実施権の許諾をすることができず、また、従業者は使用者の同意を得ないで特許発明の実施をすることができることになるから(特許法73条参照)、使用者は特許発明を独占的に実施することができないことになるが、特許法35条の規定が職務発明についてこのような結果を予定しているとは到底解することはできない。したがって、特許法35条に基づき本件特許権の一部(共有持分)の移転登録を求めるという点は、失当である。
 また、原告の本件特許権の一部(共有持分)の移転登録請求が代物弁済として金員に代わって本件特許権の一部(共有持分)の譲渡を求める趣旨であるとしても、債権者が、債務者の同意なしに、一方的に代物弁済として特定の財物の給付を求めることは許されないから、いずれにしても、本件特許権の一部(共有持分)の移転登録請求は、失当である。
 上記のとおり、原告の予備的請求(その1)は、理由がない。
三 結論
 以上によれば、原告の主位的請求(前記第一、一)及び予備的請求(その1)(前記第一、二)は、いずれも理由がない。
 しかし、前記のとおり、原告は被告会社に対し本件特許発明についての職務発明の相当対価として604億3006万円の請求権を有するものであり、相当対価の支払については勤務規則等の定めによる支払時期から履行遅滞となるものであるから、本件特許発明の相当対価の一部として200億円及びこれに対する支払時期以降の日である平成13年8月23日(訴訟提起の日)から支払済みまでの民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める予備的請求(その2)は、理由がある。
 なお、原告は、予備的請求(その2)につき、本件特許発明の相当対価のうち、被告会社が過去に独占の利益として得た493億9000万円に対応する相当対価を一部請求とし、そのうち200億円を請求すると主張した上で、このような過去の受益分という形での限定が法律上できないのであれば、被告会社が本件特許権の存続期間満了までの独占の利益として得る過去及び将来の受益分に対応する相当対価全体3357億5300万円のうち、一部請求として200億円を請求すると主張している(第三、二1(6)イ)。職務発明の相当対価請求権は、全体として1個の請求権として発生するものであり、そのうち一定の期間の受益分のみを区別することはできないから、過去の受益分に相当するものとして一部請求したとしても、それは請求権の一部を特定する意味を有するものではなく、単に、単純一部請求として請求金額を画する意味を有するにすぎない。したがって、予備的請求(その2)は単純一部請求として相当対価全体のうち200億円の支払を請求するものと解すべきものである。
 よって、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第46部
 裁判長裁判官 三村量一
 裁判官 青木孝之
 裁判官 吉川泉


(別紙)特許権目録
 特許番号 第2628404号
 発明の名称 窒素化合物半導体結晶膜の成長方法
 出願年月日 平成2年(1990)10月25日
 登録年月日 平成9年(1997)4月18日
(注:以下「***」で表記されている部分は閲覧制限対象部分である。)

(別紙)相当対価算定についての被告の主張
 平成6年12月期から平成13年12月期までの税引後当期利益累計 233億3800万円
 1993年以前の研究開発費 −52億6300万円
 研究資産の未償却残高 −72億7900万円
 自己資本コスト累計 −122億8600万円
 (合計)−14億9000万円

(別紙)被告現方法についての被告の主張
(ア) 本件特許発明の構成要件
 本件明細書における特許請求の範囲の記載は、下記のとおりである(第二、三15)。
 「加熱された基板の表面に窒素化合物半導体結晶膜をMOCVD法でもって常圧で成長させる方法において、基板の表面に平行ないし傾斜する方向には、窒素化合物半導体の原料となる反応ガスを供給し、基板の表面に対して実質的に垂直な方向には、反応ガスを含まない不活性ガスの押圧ガスを供給し、不活性ガスである押圧ガスが、基板の表面に平行ないし傾斜する方向に供給される、窒素化合物半導体の原料となる反応ガスを基板表面に吹き付ける方向に方向を変更させて、窒素化合物の半導体結晶膜を成長させることを特徴とする窒素化合物半導体結晶膜の成長方法。」
 上記特許請求の範囲の記載は、次のとおり、構成要件に分説することができる(以下、下記の各構成要件をその記号に従い「構成要件A」などという。)。
 A 加熱された基板の表面に窒素化合物半導体結晶膜をMOCVD法でもって常圧で成長させる方法において、
 B 基板の表面に平行ないし傾斜する方向には、窒素化合物半導体の原料となる反応ガスを供給し、
 C 基板の表面に対して実質的に垂直な方向には、反応ガスを含まない不活性ガスの押圧ガスを供給し、
 D 不活性ガスである押圧ガスが、基板の表面に平行ないし傾斜する方向に供給される、窒素化合物半導体の原料となる反応ガスを基板表面に吹き付ける方向に方向を変更させて、
 E 窒素化合物の半導体結晶膜を成長させる
 F ことを特徴とする窒素化合物半導体結晶膜の成長方法。
(イ) 被告現方法の構成
 被告が、平成9年4月15日ころ以後、実施している窒素化合物の半導体結晶膜成長方法(被告現方法)の構成は、別紙「被告方法目録」記載のとおりである。被告現方法の構成を、本件特許発明の構成要件に対応して分説すると、下記のとおりである(以下、下記の各構成をその記号に従い「被告現方法構成a」などという。)。
 **********(閲覧制限対象部分)*************
 e 窒素化合物の半導体結晶膜を成長させる
 f ことを特徴とする窒素化合物半導体結晶膜の成長方法。
(ウ) 本件特許発明と被告現方法の対比
 被告は、被告現方法構成b、e及びfが、それぞれ構成要件B、E及びFを充足することを認める。
 しかしながら、次のとおり、被告現方法構成a、c及びdは、それぞれ構成要件A、C及びDを充足するものではない。
@ 構成要件Aと被告現方法構成aは、2方向から加熱された基板の表面にガスを供給することによって、この基板の表面に窒素化合物半導体結晶膜をMOCVD法でもって常圧で成長させる方法であること、及び、2方向から供給されるガスのうち一方が、上記基板の表面に基板に対して平行ないし傾斜する方向から供給されることの2点において共通する。
 しかし、本件特許発明においては、2方向から供給されるガスのうち一方が、上記基板の表面に基板に対して実質的に垂直な方向から供給されるのに対し、被告現方法においては、***(閲覧制限対象部分)***から、この点において、これら2つの方法は明確に相違する。したがって、被告現方法構成aは構成要件Aを充足しない。
A 構成要件Cと被告現方法構成cを対比すると、前者における「反応ガスを含まない不活性ガスの押圧ガス」は、窒素化合物半導体の原料となる反応ガスと反応しない組成のガスを意味するところ、後者における「反応ガス(α)を含まず且つ該反応ガスと反応しない組成からなるサブフロー・ガス(β)」がこれに当たることは明らかである。したがって、構成要件Cと被告現方法構成cは、反応ガスを含まず、かつ反応ガスと反応しない組成からなる不活性ガスを供給する点において共通する。
 しかしながら、上記@で述べたとおり、***(閲覧制限対象部分)***から、上記不活性ガスを供給する方向において、被告現方法は本件特許発明と明確に相違する。よって、被告現方法構成cは構成要件Cを充足しない。
B 構成要件Dと被告現方法構成dを対比すると、前者は、不活性ガスが、基板の表面に平行ないし傾斜する方向に供給される反応ガスを、基板表面に吹き付ける方向に方向を変更させるものであるのに対し、後者は、***(閲覧制限対象部分)***である点で、これらは明確に相違する。よって、被告現方法構成dは構成要件Dを充足しないというべきである。
 この点をやや詳しく説明すると、本件特許発明においては、加熱された基板の表面上で熱対流により舞い上がろうとする反応ガスを、基板に実質的に垂直な方向から供給される不活性ガス(サブフロー・ガス)により、基板表面に吹き付ける方向に方向を変更させるという、力まかせというべき強引な方法を採っている。同方法においては、不活性ガスを供給する副噴射管は、基板に近づくにつれて若干広がるテーパー状の形状であるため、この形状に起因して、不活性ガスの流れは、基板に近づくほど若干傾斜して「実質的に垂直」になる。このような流れの不活性ガスと、基板に概ね平行な方向から供給された反応ガスとが衝突する結果、反応ガスの大部分は、噴射された方向と逆向きの斜め下方に押し戻す力を受けることになる。そうすると、反応ガスの中に前進しようとするものと後退するものとが生じ、その結果、反応ガスは層流ではなく乱流にならざるを得ない。前述した本件特許発明の再現性の悪さ、代替技術に比しての優位性の欠如も、まさにこの点が原因である。
 これに対し、被告現方法は、***(閲覧制限対象部分)***基板表面に平行な方向の層流状態を維持することを可能にした。これは、もはや本件特許発明とは別個の技術思想に基づく発明というべきであって、このような反応ガスの層流状態を実現したからこそ、被告現装置を稼働させて質の高い窒素化合物半導体結晶を成長させることが可能となり、被告会社による高輝度青色LED及びLDの製造が実現されているのである。
(エ) 結論
 上記のとおり、被告現方法は、本件特許発明の構成要件A、C及びDを充足せず、その技術的範囲に属するものではない。

(別紙)被告現方法についての原告の主張
(ア)「実質的に垂直」の要件
 被告は、本件特許発明においては、不活性ガスが基板に対して実質的に垂直な方向から供給される(構成要件A)のに対し、被告現方法においては、***(閲覧制限対象部分)***(被告現方法構成a)から、被告現方法は「実質的に垂直な方向」の文言を充足しないと主張する。
 ところで、不活性ガスが「実質的に垂直な方向」から供給されるとは、それ自体非常に幅の広い表現であるところ、本件明細書の記載を精査しても、上記文言が、不活性ガス(押圧ガス)が基板に対して供給される際、基板からどの程度離れた位置で垂直方向に供給されることを要求しているのか、必ずしも明らかでない。むしろ、明細書における、「基板の上部から垂直に流す不活性ガスである押圧ガスは、H2、N2ガスを単独で、あるいはこれ等の混合ガスを使用する。この方向に噴射される押圧ガスは、反応ガスの方向を基板に向かう方向に変えるものである」(中間判決に添付した特許公報〔甲1〕4欄30行以下)、「基板に上から垂直に押圧ガスを流す副噴射管は、好ましくは、下方に向かって太くなる円錐形に成形される。この形状の副噴射管で押圧ガスを噴射すると、反応ガスを均一に基板に向かって流すことができ、」(同公報4欄36行以下)、「このように、優れた結晶性の半導体結晶膜を成長できるのは、反応ガスを基板と平行に供給し、反応ガスを含まない不活性ガスである押圧ガスを、基板に垂直に供給するからである。この状態で基板に供給される反応ガスは、高温加熱に基板表面にできる激しい熱対流に起因する弊害を押圧ガスによって解消し、さらに、基板上で分解されて優れた結晶性の半導体結晶膜として成長される。」(同公報10欄29行以下)との各記載に照らせば、不活性ガスの供給については、特に具体的な態様が想定されているものではなく、基板の真上方向から基板に向かって吹き付けられることを単に「垂直」と表現していることがうかがわれる。したがって、「実質的に垂直」の文言についても、言葉の一般的な意味を超えた技術的意義があるものではなく、不活性ガスが、全体的にみて、基板の真上方向から基板に向かう方向に供給されることを広く含むものと解すべきである。
 しかるに、被告現方法においても、***(閲覧制限対象部分)***に変わりはない。したがって、同方法は、「実質的に垂直」(構成要件A及びC)の文言を充足するというべきである。
(イ)「基板表面に吹き付ける方向に」の要件
 被告は、本件特許発明においては、不活性ガスが、基板の表面に平行ないし傾斜する方向に供給される反応ガスを、基板表面に吹き付ける方向に方向を変更させる(構成要件D)のに対し、被告現方法においては、***(閲覧制限対象部分)***ものであるから、被告現方法は、「反応ガスを基板表面に吹き付ける方向に方向を変更させて」の文言を充足しないと主張する。
 しかしながら、被告による上記対比の議論は、特許請求の範囲に何ら記載のない「基板表面に平行な方向の層流状態」の有無を問題にし、構成要件充足性を論じるもので、不当である。
 その点をさておいても、本件明細書において、「このようにGaAlNの原料となるGa源ガスとAl源ガスとN源ガスとを一緒にして、反応ガスとして基板に対して平行方向若しくは傾斜した方向で吹き付けると、原料ガスが均一に基板表面で広がり膜質の安定した結晶を成長させることができる。しかも押圧ガスで反応ガスが熱対流により拡散しないようにしているので、基板の上にガスを薄い状態で広げることができる。」(同公報6欄7行以下)、「本実施例のように、反応ガスの流量よりも、副噴射管から流す押圧ガスの流量を多くすることにより、熱対流を抑え反応ガスを基板に押しつけて、均一な結晶成長を行うことができる。」(同公報7欄7行以下)、「このように、優れた結晶性の半導体結晶膜を成長できるのは、反応ガスを基板と平行に供給し、反応ガスを含まない不活性ガスである押圧ガスを、基板に垂直に供給するからである。この状態で基板に供給される反応ガスは、高温加熱に基板表面にできる激しい熱対流に起因する弊害を押圧ガスによって解消し、さらに、基板上で分解されて優れた結晶性の半導体結晶膜として成長される。」(同公報10欄29行以下)と、押圧ガスが、熱対流により舞い上がろうとする反応ガスを基板に対して押さえ付ける効果を奏することが、繰り返し記載されていることからすれば、「押圧ガスが‥‥‥反応ガスを基板表面に吹き付ける方向に方向を変更させて」(構成要件D)とは、押圧ガスが、熱対流により舞い上がる反応ガスを熱対流の浮力に対抗して基板に吹き付ける方向に方向を変更させることを意味するものであることが、容易に理解できる。
 しかるに、被告現方法においても、***(閲覧制限対象部分)***基板に吹き付ける方向に方向を変更させていることは疑いない(だからこそ、ツーフロー方式の作用効果が発揮され、高品質な窒化ガリウム系半導体の結晶膜が得られるのである。)。被告現方法において、反応ガスが基板表面に平行な方向の層流状態に維持されているというのは、あるいはそのとおりかも知れないが、それは、上記のように反応ガスが押圧ガスにより方向を変更された結果、実現したものにすぎない。以上によれば、被告現方法は、「反応ガスを基板表面に吹き付ける方向に方向を変更させて」(構成要件D)との文言を充足するというべきである。

(別紙)被告現方法についての当裁判所の判断
(ア)本件明細書における特許請求の範囲の記載は、次のとおりである。
 「加熱された基板の表面に窒素化合物半導体結晶膜をMOCVD法でもって常圧で成長させる方法において、基板の表面に平行ないし傾斜する方向には、窒素化合物半導体の原料となる反応ガスを供給し、基板の表面に対して実質的に垂直な方向には、反応ガスを含まない不活性ガスの押圧ガスを供給し、不活性ガスである押圧ガスが、基板の表面に平行ないし傾斜する方向に供給される、窒素化合物半導体の原料となる反応ガスを基板表面に吹き付ける方向に方向を変更させて、窒素化合物の半導体結晶膜を成長させることを特徴とする窒素化合物半導体結晶膜の成長方法。」
 上記の特許請求の範囲の記載は、下記のとおり、構成要件に分説することができる(以下、下記の各構成要件をその記号に従い「構成要件A」などという。)。
A 加熱された基板の表面に窒素化合物半導体結晶膜をMOCVD法でもって常圧で成長させる方法において、
B 基板の表面に平行ないし傾斜する方向には、窒素化合物半導体の原料となる反応ガスを供給し、
C 基板の表面に対して実質的に垂直な方向には、反応ガスを含まない不活性ガスの押圧ガスを供給し、
D 不活性ガスである押圧ガスが、基板の表面に平行ないし傾斜する方向に供給される、窒素化合物半導体の原料となる反応ガスを基板表面に吹き付ける方向に方向を変更させて、
E 窒素化合物の半導体結晶膜を成長させる
F ことを特徴とする窒素化合物半導体結晶膜の成長方法。
(イ)被告は、上記を前提に、本件特許発明に係る方法においては、押圧ガスが基板に対して実質的に垂直な方向から供給されるのに対し、被告現方法においては、***(閲覧制限対象部分)***「基板に対して実質的に垂直な方向」(構成要件A及びC)から供給されるものではない。また、本件特許発明の方法においては、不活性ガスが、基板の表面に平行ないし傾斜する方向に供給される反応ガスを、基板表面に吹き付ける方向に方向を変更させるのに対し、被告現方法においては、***(閲覧制限対象部分)***基板表面に平行な方向の層流状態に維持するから、「反応ガスを基板表面に吹き付ける方向に方向を変更させて」(構成要件D)いない。以上のように主張して(第三、二2(3)イ)、構成要件A、C及びDの充足性を争っている。
(ウ)そこで検討するに、本件明細書の特許請求の範囲においては、「実質的に垂直」(構成要件A及びC)及び「基板に吹き付ける方向に方向を変更」(構成要件D)との各文言に特に限定は付されていない。そこで発明の詳細な説明をみると、(ア) 基板の真上から、TMG(トリメチルガリウム)、NH3(アンモニア)及びH2(水素)を混合した反応ガスを吹き付ける、いわゆるワンフロー方式の従来例が紹介され、この方法においては、TMGとNH3が基板に到達する前に付加化合物ができてしまうか、あるいは、高い反応温度に由来して起こる熱対流により反応ガスが基板に到達しないことが原因で、反応ガスの流速を一定以上にしないと基板上にGaN結晶膜がうまく成長しなかったとされている。そして、一定の流速を保つためには反応ガスの下端開口部の内径を小さくする必要があるところ、そうすると、基板上の限られた面積にしか結晶が成長せず、非常に歩留率が悪いという欠点があったとされている(中間判決に添付した特許公報2欄3行以下及び第3図)。また、(イ) ツーフロー方式ではあるが、TMG等の反応ガスを基板に平行ないし傾斜する方向から、NH3等の反応ガスを基板に垂直な方向からそれぞれ供給するタイプの従来例(乙103)が紹介され、この方法においては、大気圧中で基板を1000℃以上の高温に加熱するので、基板表面上で強い熱対流が発生し、そのためNH3等をH2とともに基板に垂直な方向から吹き付けても、NH3等の反応ガスが基板上で拡散してしまい、TMG等の反応ガスとうまく反応せず、結晶欠陥の多いGaN結晶膜しか成長しない欠点があったとされている(同公報3欄39行以下)。そして、本件特許発明は、これらの欠点を克服することを目的として、上記(イ)の従来例を改良し、基板の表面に平行ないし傾斜する方向には反応ガスを供給し、実質的に垂直な方向には反応ガスを含まない押圧ガス(不活性ガス)を供給する構成を採ったものであり、かかる構成を採ったことにより、基板に対して実質的に垂直な方向から供給される押圧ガスが、基板の表面に平行ないし傾斜する方向に供給される反応ガスを、基板表面に吹き付ける方向に方向を変更させて、GaN系半導体結晶膜の成長を可能にすることが記載されている。それとともに、基板の上から垂直に押圧ガスを供給する副噴射管については、下方に向かって太くなる円錐状に成形することが望ましく、かかる形状の副噴射管で押圧ガスを噴射すると、反応ガスを基板に向かって均一に流すことができ、その結果、GaN結晶膜が基板の表面上に均一に成長するものとされている(同公報4欄12行以下)。
 上記によれば、本件特許発明は、とりわけ従来例との関係において、基板に対して平行ないしやや傾斜する方向から、TMG(トリメチルガリウム)、NH3(アンモニア)及びH2(水素)を混合した反応ガスを流す一方で、垂直な方向(上方)からは、反応ガスを含まないH2(水素)やN2(窒素)等の不活性ガスを押圧ガスとして供給し、もって反応ガスを基板に押しつけるように均一に流すことを特徴とするものと解される。したがって、特許請求の範囲における「実質的に垂直な方向」の文言は、反応ガスの「平行ないし傾斜する方向」と対比する意味で用いられているものであって、「実質的に垂直」の語は、不活性ガスの方向について、反応ガスの方向との関係での相対的な位置関係を示すものである。また、「基板に吹き付ける方向に方向を変更させる」との文言も、反応ガスを基板に押しつけるように流す結果を実現することを意味するものである。このように、これらの各文言は、必ずしも厳密な意味で用いられているわけではなく、2方向から供給されるガスのうち、片方(反応ガス)が基板の横方向から、もう片方が基板の縦方向(上方)から供給されるものであり、かつ、後者が前者を基板に押しつけるように作用するものであることを、一般的に表現したものと解することができる。
 このような理解は、本件明細書における実施例に関する記載からも裏付けられる。すなわち、本件明細書には、「このようにGaAlNの原料となるGa源ガスとAl源ガスとN源ガスとを一緒にして、反応ガスとして基板に対して平行方向若しくは傾斜した方向で吹き付けると、原料ガスが均一に基板表面で広がり膜質の安定した結晶を成長させることができる。しかも押圧ガスで反応ガスが熱対流により拡散しないようにしているので、基板の上にガスを薄い状態で広げることができる。」(同公報6欄7行以下)、あるいは、「本実施例のように、反応ガスの流量よりも、副噴射管から流す押圧ガスの流量を多くすることにより、熱対流を抑え反応ガスを基板に押しつけて、均一な結晶成長を行うことができる。」(同公報7欄7行以下)との各記載がある。これらの記載からは、押圧ガスが、熱対流の作用に抗して基板上に結晶膜の原料を含む反応ガスを薄く広げることに、本件特許発明が作用効果を奏するための中核的な技術思想があり、このように反応ガスが薄く均一に広がるのであるならば、押圧ガスが供給される角度や、反応ガスが実際にどのような流れをたどるかは、必ずしも厳密に意識されていないことがうかがわれる。また、好ましい実施例とされる前記テーパー状の副噴射管につき、このような副噴射管によると、「押圧ガスが効果的に副噴射管の壁を伝って、基板表面に垂直にガスが供給できるようにする作用があ」るほか、「副噴射管3の下端開口部は、基板1の大きさにほぼ等しく設計される。さらに、副噴射管3の下端は、基板1の上面に接近して開口される。」(同公報6欄20行以下)との記載があるところ、これらの記載と、かかる形状の副噴射管で押圧ガスを噴射すると、反応ガスを基板に向かって均一に流すことができ、その結果、GaN結晶膜が基板の表面上に均一に成長する旨の前記記載(同公報4欄36行以下)を併せ読めば、本件特許発明においては、押圧ガスの流れが、基板の一部ではなく全体に対して実質的に垂直になるように供給されることが重要であり、押圧ガスがこのように供給されることによって、基板全面に均一に結晶が成長するものとされていることが分かる。
 そして、本件明細書を精査しても、上記の各記載以上に、「実質的に垂直」及び「基板に吹き付ける方向に方向を変更」との各文言の具体的な意味を限定する根拠となる記載はないから、以上を総合すれば、特許請求の範囲における「実質的に垂直」(構成要件A及びC)とは、反応ガスを含まない不活性の押圧ガスが、全体として、基板の上方から、反応ガスを基板に押しつけるように供給されることを意味するものと解すべきである。また、「基板に吹き付ける方向に方向を変更」(構成要件D)とは、押圧ガスが、反応ガスの流れる方向を実際に基板表面に吹き付ける方向に変更することを必ずしも意味するものではなく(気体である反応ガスの垂直下方向への流れを遮るものとして基板が存在する以上、そもそも、基板の表面上で、実際に「基板表面に吹き付ける方向」への反応ガスの流れが生じることを想定するのは必ずしも現実的でないと考えられる。)、反応ガスを基板表面に押さえつける方向に作用することを意味するものと解すべきである。
(エ)しかるに、被告現方法においては、***(閲覧制限対象部分)****押圧ガスが、全体として、基板の上方から、反応ガスを基板に押しつけるように供給されていることに変わりはないから、被告現方法は、「基板に対して実質的に垂直な方向」との文言(構成要件A及びC)を充足するものと認められる。また、被告現方法においては、上記のように供給された押圧ガスが、基板の表面に略平行やや下向きの方向に供給される反応ガスを基板表面に押さえつける方向に作用していることは明らかであるから、反応ガスが押圧ガスの下側で基板表面に平行な層流状態に維持されているかどうかにかかわりなく(そもそも、被告が付加するこの層流に関する要件は、本件明細書に一切開示されていないものである。)、被告現方法は、「反応ガスを基板表面に吹き付ける方向に方向を変更させて」(構成要件D)との文言を充足するものである。
 被告現方法が、上記以外の構成要件B、E及びFを充足することに争いはない。
 以上によれば、被告現方法は、本件特許発明の構成要件をすべて充足し、その技術的範囲に属するものと認められる。

(別紙)相当対価算定についての当裁判所の判断
1 平成 6年(1994年) *********(円)
  同7年(1995年) *********
  同8年(1996年) *********
  同9年(1997年) *********
  同10年(1998年)*********
  同11年(1999年)*********
  同12年(2000年)*********
  同13年(2001年)*********
  同14年(2002年)909億0000万
 (合計)2398億5100万(円)

2          市場全体の成長率 被告会社の市場占有率 被告会社の成長率
 平成 7年(1995年)       *****     
 同  8年(1996年)100.0% ***** ****
 同  9年(1997年) 25.0% ***** ****
 同 10年(1998年) 80.0% ***** ****
 同 11年(1999年) 86.7% ***** ****
 同 12年(2000年) 78.6% ***** ****
 同 13年(2001年)  4.7% ***** ****
 同 14年(2002年) 69.8% 54.6%  63%


   3   平成15年(2003年)   1214億1300万(円)
       同 16年(2004年)   1511億9700万
       同 17年(2005年)   1684億9500万
       同 18年(2006年)   1827億8100万
       同 19年(2007年)   2049億9800万
       同 20年(2008年)   2255億4200万
       同 21年(2009年)   2472億3600万
       同 22年(2010年)   2203億5018万

   4   平成 9年(1997年)   **********
       同 10年(1998年)   **********
       同 11年(1999年)   **********
       同 12年(2000年)   **********
       同 13年(2001年)   **********
       同 14年(2002年)    712億2252万
       同 15年(2003年)    906億0024万
       同 16年(2004年)   1074億5288万
       同 17年(2005年)   1140億4404万
       同 18年(2006年)   1178億2226万
       同 19年(2007年)   1258億5098万
       同 20年(2008年)   1318億6973万
       同 21年(2009年)   1376億7025万
       同 22年(2010年)   1168億5640万
                (合計)1兆1380億9394万

   5   平成15年(2003年)      1億6900万(円)
       同 16年(2004年)     14億4900万
       同 17年(2005年)     43億9300万
       同 18年(2006年)     78億5700万
       同 19年(2007年)    169億8000万
       同 20年(2008年)    299億3700万
       同 21年(2009年)    527億7800万
       同 22年(2010年)    759億6795万


   6   平成15年(2003年)      1億2611万
       同 16年(2004年)     10億2977万
       同 17年(2005年)     29億7335万
       同 18年(2006年)     50億6469万
       同 19年(2007年)    104億2424万
       同 20年(2008年)    175億0354万
       同 21年(2009年)    293億8876万
       同 22年(2010年)    402億8742万
                  (合計)1067億9788万
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