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【事件名】『新ゴーマニズム宣言』の肖像権侵害事件(2)
【年月日】平成15年7月31日
 東京高裁 平成14年(ネ)第3647号 謝罪広告等請求控訴事件
 (原審・東京地裁平成12年(ワ)第18782号)

判決
控訴人 甲野太郎
上記訴訟代理人弁護士 土屋公献
同 高谷進
同 小林哲也
同 小林理英子
同 五三智仁
同 高橋謙治
同 中田貴
被控訴人 小林善範
上記訴訟代理人弁護士 中村裕二
同 瀧澤秀俊
被控訴人 株式会社 小学館
上記代表者代表取締役 相賀昌宏
上記訴訟代理人弁護士 竹下正己
同 山本博毅
同 那須智恵


主文
一 原判決を次のとおり変更する。
(1)被控訴人らは、控訴人に対し、 各自二五〇万円及び内金二〇〇万円に対する平成一〇年一〇月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を、内金五〇万円に対する被控訴人小林善範について平成一二年九月一八日から、被控訴人株式会社小学館について同月一九日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(2)被控訴人らは、別紙認容広告目録記載の広告を、別紙認容広告態様目録記載の雑誌に同目録記載の態様で一回掲載せよ。
(3)控訴人のその余の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを三分し、その二を控訴人の負担とし、その余を被控訴人らの負担とする。
三 この判決の第一項(1)は仮に執行することができる。

事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人
(1)原判決を取り消す。
(2)被控訴人らは、控訴人に対し、連帯して、七二二万円及び内金五〇〇万円に対する平成一〇年一月一日から、内金二二二万円に対する被控訴人小林善範(以下「被控訴人小林」という。)について平成一二年九月一八日、被控訴人株式会社小学館(以下「被控訴人会社」という。)について同月一九日からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(3)被控訴人らは、別紙請求広告目録記載一の謝罪文を、同目録記載二の新聞及び雑誌に、同目録記載三の条件で各一回掲載せよ。
(4)被控訴人らは、別紙請求広告目録記載一の謝罪文を、同目録記載四の条件で掲載しないときは、同目録記載五の書籍を出版、発行、販売、頒布してはならない。
(5)訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
(6)仮執行の宣言。
二 被控訴人ら
 本件控訴をいずれも棄却する。
第二 事案の概要等
一 事案の概要
 控訴人は、従軍慰安婦問題等の研究者であり、被控訴人小林は、「小林よしのり」のペンネームで被控訴人会社が発行する雑誌「SAPIO」に連載されている漫画「新・ゴーマニズム宣言」(連載後、単行本として被控訴人会社から発行されている。)を執筆する漫画家である。
 控訴人は、平成九年一一月、「脱ゴーマニズム宣言」と題する著作を出版し、その中で、「新・ゴーマニズム宣言」のカットを採録しながら、従軍慰安婦問題等に関する被控訴人小林の見解を批判するなどした。これに対し、被控訴人小林は、上記控訴人の著作は被控訴人小林の著作権(複製権)等を侵害するものであるという見解の下に、控訴人を批判する内容を含む「新・ゴーマニズム宣言第五五章」(以下「本件漫画」という。)を執筆し、これが、雑誌「SAPIO」平成九年一月二六日号及び単行本「新・ゴーマニズム宣言第五巻」(平成一〇年一○日一〇日発行)に掲載された。
 本件は、控訴人が、被控訴人らに対し、本件漫画が控訴人の名誉を毀損し、肖像権を侵害するものであると主張して、不法行為に基づき、損害賠償を求めるとともに、民法七二三条に基づき、新聞紙等のほか今後発行される本件浸画が掲載された単行本等への謝罪広告の掲載を求めた事案である。
 原審は、本件漫画は、控訴人の名誉を毀損するものであるが違法性を欠き、また、控訴人の肖像権又は人格権を侵害するものともいえないとして、控訴人の請求をすべて棄却した。そこで、控訴人がこれを不服として控訴をした。
二 争いのない事実
(1)控訴人は、大学講師で、従軍慰安婦問題等の研究者である。被控訴人小林は、「小林よしのり」のペンネームで、雑誌「SAPIO」に連載され単行本の発行されている漫画「新・ゴーマニズム宣言」を含む「ゴーマニズム宣言」シリーズ(以下「ゴーマニズム宣言」と総称する。)を執筆する漫画家である。被控訴人会社は、上記雑誌及び単行本を発行する出版社である。
(2)控訴人は、平成九年一一月、「ゴーマニズム宣言」のカットを採録し、従軍慰安婦問題等に関する被控訴人小林の見解を批判することなどを内容とする原判決別紙第三目録記載の表現を含む「脱ゴーマニズム宣言」と題する書籍(以下「控訴人著作」という。)を出版した。
(3)被控訴人小林は、控訴人著作において被控訴人小林の漫画を多数採録したのは引用の要件を具備せず複製権の侵害であるとの見解の下に、控訴人を批判する内容の原判決別紙第一目録記載の表現を含む本件漫画を執筆し、被控訴人会社は、雑誌「SAPIO」平成九年一一月二六日号及び単行本「新・ゴーマニズム宣言第五巷」(平成一〇年一〇月一〇日発行)に本件漫画をそれぞれ掲載した。
(4)被控訴人小林は、控訴人著作は被控訴人小林の漫画の複製権及び同一性保持権を侵害する等として、控訴人、控訴人著作の発行者及び控訴人著作の出版社に対し控訴人著作の出版等の差止め及び損害賠償を請求する訴訟を東京地方裁判所に提起した(以下「別件訴訟」という。)。別件訴訟では、第一蕃で被控訴人小林の請求をすべて棄却する判決がされたが、第二審では同一性保持権の侵害が認められ、被控訴人小林の請求を一部認容する判決がされた。これに対し、控訴人が上告及び上告受理の申立てをし、被控訴人小林も附帯上告受理の申立てをしたが、平成一四年四月二六日、最高裁判所は、控訴人の上告を棄却するとともに、事件を上告審として受理しない旨の決定をし、これにより、上記第二審判決が確定した。
三 争点
 本件の争点及びこれについての当事者の主張は、次項において当審における当事者の主要な主張を付加するほか、原判決事実及び理由の「第二 事案の概要」の「三 争点」欄記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、原判決書一六頁七行目から一一行目までを次のとおり改める。
 「(イ)控訴人の名誉を回復する方法としては、別紙請求広告目録記載一の謝罪文を、同目録記載二の新聞及び雑誌に、同目録記載三の条件で一回掲載するとともに、同目録記載五の本件漫画が掲載される書籍が発行される場合には、上記謝罪文を同目録記載四の条件で掲載させるのが相当である。」
四 当審における当事者の主要な主張
(1)控訴人
ア 「ドロボー」等の表現の事実摘示性等について
 著作権法違反(複製権侵害)行為の存否は、本件においては著作権法三二条の規定する引用行為の存否の問題であり、これは、引用の主従性の要件などを証拠に基づいて検討すれば客観的に確定することのできる事柄である。
 したがって、「ドロボー」か否か、すなわち複製権侵害行為か否かは、裁判所が証拠に基づいて決することが可能な事柄であり、複製権侵害行為と公表する行為は事実摘示である。
 最高裁判所平成九年九月九日第三小法廷判決・民集五一巻八号三八〇四頁においても、事実摘示とみるか否かのメルクマールは、証拠によって決することができるか否かであるとされており、「法律問題」であるか否かはメルクマールとされていない。
 本件に類似する東京高裁平成一二年九月一九日判決・判例時報一七四五号一二八頁の判示に照らせば、本件においては、控訴人による被控訴人小林の漫画の無断転載という基礎事実が存在していたとしても、被控訴人らは、それが著作権法上の「複製権侵害」行為に該当すると公表する前に、著作権法上の「引用」行為に該当するか否かを慎重に検討する必要があったのであり、何ら慎重な検討をせず、控訴人が事前に引用の正当性を確認した「専門家」である社団法人日本著作権協議会や出版社著作権協議会に意見を尋ねるなどの作業さえ怠った被控訴人らが免責される余地はない。
 仮に「複製権侵害行為」が事実摘示を含まない単なる意見であるとすれば、複製権侵害行為の存否は証拠によって決することができないこととなるが、これは、著作権侵害をめぐる裁判の否定であり、明らかな誤りである。
イ 「ドロボー」等の表現が意見ないし論評であるとしても被控訴人らが免責されないことについて
 仮に本件の「ドロボー」等の表現が事実摘示を含まない意見ないし論評であるとしても、被控訴人らが免責されるためには、前提事実の主要部分の真実性の証明ないし相当性が要件となる。そして、コマの引用さえあれば他者を公然と「ドロボー」呼ばわりできるなどという解釈はおよそ常識に反するのであるから、コマの転載の事実のみならず、コマの転載が違法であることについても相当の調査をなした場合に初めて「前提事実の相当性」の要件が充足されると解すべきである。
 また、控訴人著作において被控訴人小林を批判したことについては、先に被控訴人小林が、控訴人ないし控訴人が中心的人物の一人である従軍慰安婦を支援するグループを誹謗したものであることや、控訴人が控訴人著作において述べたのは、主として被控訴人小林の従軍慰安婦論争における主張に対する反論であり、被控訴人小林個人の人格攻撃はしていないこと、本件漫画では控訴人個人の人格攻撃等がされていることなどを考慮すれば、控訴人著作における上記批判によって、本件漫画の論評としての相当性が基礎付けられるものではない。
 被控訴人らは、適法な引用か否かは優れて高度な法的な価値判断を要する事項であるなどと主張するが、それにもかかわらず「ドロボー」等と断定的に表現するのであれば、十分な調査を行った上で表現すべきであり、そのような調査を行わず「ドロボー」等と断定的に表現することは無責任な言論であり、民主主義社会においても保護されない言論である。
ウ 肖像権(人格権)侵害について
 ある個人の特徴を捉えて描かれた似顔絵は、表現者においてその個人を表すことを意図して描かれており、その個人の特徴を捉えて描かれているため、読者もその似顔絵がその個人を指すことを容易に理解することができる。すなわち、そのような似顔絵は、その個人の人格を視覚的に象徴するものであり、これを公表することは肖像権侵害となると解すべきである。
 また、肖像画と似顔絵とを区別することは本質的に不可能であり、似顔絵は機械的記録ではないから肖像権侵害にならないということはできず、一部を歪曲すれば肖像権侵害にならないということもできない。肖像権侵害の有無は、本人の容貌と似顔絵とを対比して、特定の人物を指すと判別することができるか否かにより判定すべきであり、その際、文字による氏名の表示の有無やその似顔絵がどのような状況で描かれたのかなどその似顔絵の描かれ方全般を総合的に判断すべきである。さらに、肖像権は、自己の肖像の無断公開・改変という耐え難い苦痛から個人を保護するための権利であり、まず、その個人の精神的苦痛を考慮すべきであって、読者の受け取り方や社会的評価の低下は副次的な判断要素にすぎない。
 描かれる対象が政治家や高級官僚のように民主主義の根幹を支える高度に公的な人物である場合には、特徴を捉えた似顔絵を掲載し実際に行っていない行為を描いたとしても、健全な民主政治を支える批判活動の一環として、一定限度許容される場合があろうが、その他の一般人については、その人格の象徴である肖像を他者が自由に操ることは許されない。
 そして、本件漫画において控訴人の特徴を捉えた似顔絵を描く必要性が全くないことをも考慮すれば、原判決別紙第一目録記載一、四、五、六、一〇、一一、一二、一三、一四、一六、一七、一九、二〇のコマは、いずれも控訴人の肖像権ないし人格権を侵害している。
エ 被控訴人らの主張ア及びオに対する反論
(ア)被控訴人らの主張アは、日常的に名誉毀損行為や肖像権侵害行為を行っている者を批判するときは、名誉毀損行為や肖像権侵害行為をされても仕方がないという論法であり、法治国家においては受け入れられるものではない。そもそも、控訴人著作は、従軍慰安婦問題に関して著されたものであり、複製権をめぐる論争に関する著作ではないから、複製権侵害に関する論争が生ずることは全く予想し得なかった。また、控訴人の公的な言論活動に関する批判であっても、名誉毀損行為や肖像権侵害行為を行ってならないことは当然であり、控訴人著作における被控訴人小林の漫画の複製が適法な引用である以上、これをもって被控訴人小林に対する挑発ということもできない。
 したがって、本件漫画の表現が受忍限度内にあるとはいえず、本件漫画による不利益を控訴人が承諾していた事実もない。
(イ)控訴人は、本件訴訟において、本件漫画を雑誌「SAPIO」平成九年一一月二六日号及び平成一〇年一〇月一〇日発行の単行本にそれぞれ掲載した違法行為により既に生じた被害の回復として金銭賠償及び謝罪広告の掲載を求めているものであるから、被控訴人ら主張オの注記を今後発行される単行本・文庫本に掲載するとしても、そのことは、本件訴訟には何ら影響を及ぼさない。
(2)被控訴人ら
ア 本件漫画が受忍限度内にあること等について
 本件漫画による被控訴人小林の控訴人著作に対する反論は、当初から予想されたものである上、控訴人は、これを承知で、又は十分承知し得て、控訴人著作を著した。一方、本件漫画による表現は、「特に重要な憲法上の権利として尊重されなければならない」(最高裁判所昭和六一年六月一一日大法廷判決・民集四〇巻四号八七二頁)公共的事項に関するものであり、本件漫画は、従来の被控訴人小林の漫画の手法によるものであるのみならず、控訴人の公的な言論活動に関する批判であり、私生活を暴いたり、個人的な人格攻撃をしているものではない。
 したがって、本件漫画による表現は、受忍限度内にあり違法性を欠いており、また、控訴人は、本件漫画により不利益を受けていることを承諾していたものというべきであり、この点でも違法性を欠く。
イ 「ドロボー」等の表現の事実摘示性等について
 控訴人著作が被控訴人小林の漫画を無断で複製した事実は当事者間に争いがなく、控訴人が主張すべき抗弁たる「引用」の成否が争点であって、このことは本件浸画でも表現されている。そして、適法な引用か否かは、優れて高度な法的な価値判断を要する事項ということができる。また、本件漫画では、「著作権侵害」という表記の根拠として、無断複製があったという争いのない事実が、引用の量や程度を含めて具体的に指摘され、適法な引用の成否について対立する見解があることも示されている。
 したがって、本件漫画の読者は、控訴人が行ったことに争いのない無断複製の事実が適法な引用として許容されるか否かが著作権侵害の成否を決するものであることを認識するはずであり、適法な引用の成否は、証拠をもって存否を決すべき事実ではない。
ウ 本件漫画による表現が不法行為に該当しないことについて
 被控訴人小林は、控訴人著作による被控訴人小林の漫画の異常な無断複製に対し、本件漫画で「著作権侵害」と表現したのであり、コマの引用さえあれば他者を公然と「ドロボー」呼ばわりできるなどという解釈に立つものではない。
 また、控訴人著作全体を通読すれば、控訴人が被控訴人小林の立ち直りを期待しているなどとは到底いえず、むしろ皮肉な表現により、被控訴人小林を揶輸し誹謗することを強調する表現といえる。さらに、被控訴人小林は、控訴人自身を控訴人著作発行に先立ち攻撃したことはない。被控訴人小林が、控訴人の属するグループや立場を批判することがあったとしても、控訴人をその一員として特定して批判したことは全くなく、上記グループ等への批判が控訴人個人への中傷や侮辱になることはない。したがって、本件漫画は、控訴人著作に対する反論として相当なものである。
 本件においては、控訴人著作に被控訴人小林の漫画のデッドコピーが前例もないほど大量に無断で使われており、被控訴人小林は、本件漫画において、そのことに加え、控訴人の見解まで紹介した上、自らの意見表明として、著作権侵害であると主張したのであり、意見ないし論評として相当なものであって、本件漫画の表現は、何ら不法行為に該当するものではない。
エ 肖像権(人格権)侵害について
 肖像は、特定人であることを識別し得る身体的特徴であるから、いかに特徴を捉えた絵であっても、その「肖像」だけでは特定人であることを識別することができないときには、肖像権による保護の対象とすべきではない。重要なことは、「肖像画」と呼ばれているかどうかではなく、その「絵」から特定の個人であると容易に識別することができるかである。
 本件漫画における控訴人の似顔絵は、それ自体から控訴人と特定することはできず、肖像権侵害には当たらないし、肖像権とは別の人格権侵害の有無という点からみても、社会通念上相当性の範囲内にある。
オ 別件訴訟が確定したことについて
 控訴人著作における被控訴人小林の漫画の複製が著作権侵害に当たらないという別件訴訟の判断が確定したことは、本件漫画が発売された当時の名誉毀損の成否には何ら影響を及ぼさない。
 なお、被控訴人らとしては、今後本件漫画が掲載された単行本・文庫本の増刷に当たっては、読者の誤解を招かないよう、別件訴訟の経緯等について注記する予定である。
第三 当裁判所の判断
一 争点(1)(本件漫画による名誉毀損の成否)及び争点(2)(本件漫画による侮辱の成否)について
 当裁判所は、原判決別紙第一目録記載二、三、七、八、九、一五、一八、二〇の表現について、いずれも控訴人の名誉を毀損するものであると判断する。また、したがって、これらの表現(ただし、同目録記載二の表現を除く。)が侮辱に当たるか否かについては改めて判断しないこととする。その理由は、原判決事実及び理由の「第三 当裁判所の判断」の一項及び二項記載のとおりであるから、これらを引用する。ただし、原判決書一八頁二三行目の「後記三」を「後記二」、に改める。
二 争点(3)名誉毀損等の免責の成否)について
(1)上記第二の二の事実に加え、<証拠略>を総合すれば、次の事実を認めることができる。
ア 控訴人は、大学講師で、従軍慰安婦問題等の研究者であり、太平洋戦争の戦後処理問題に関する団体である「日本の戦争責任資料センター」の事務局長を務めている。そして、著書、雑誌への寄稿、テレビ出演、講演、インターネットのホームページ等においてその意見を表明しており、衆議院内閣委員会で開かれた公聴会で意見を陳述したこともある。控訴人ないし日本の戦争責任資料センターは、従軍慰安婦問題について、我が国に責任があり、慰安婦であった者等に対し謝罪、賠償等をすべきであるという立場に立っている。
 被控訴人小林は、「小林よしのり」をペンネームとし、「ゴーマニズム宣言」を代表作の一つとする漫画家であり、雑誌「SAPIO」に現在も連載され単行本も発行されている「新・ゴーマニズム宣言」において、様々な社会問題等を取り上げ、作品中で関係者の実名や似顔絵を掲載して自らの意見を表明し、反対意見を批判している。このほか、被控訴人小林は、テレビ出演等の活動もしている。
イ 被控訴人小林は、控訴人著作の発行に先立つ平成八年八月ころから平成九年三月ころにかけて、従軍慰安婦問題等のいわゆる戦争責任問題について、我が国に責任がある、我が国が謝罪すべきであるとする論者、論調を批判する内容の漫画「新・ゴーマニズム宣言第二四章従軍慰安婦カマトトマスコミを撃つ」、「同第二七章心からの謝罪の無意味」、「同第二九章老若男女・慰安婦問題大論争」、「同第三一章弱者という聖域に居る権力者」、「同第三二章四三団体の言論弾圧にわしは屈せぬ」、「同第三七章朝ナマで見た凶暴な善意のファシズム」等を執筆し、これらが雑誌「SAPIO」に掲載された。これらの漫画において、控訴人個人の氏名が明記されたことはなく、控訴人個人を批判の対象としたとの印象を抱く記載がされたこともなかった。ただ、控訴人が被控訴人小林とともにテレビの討論番組に出演したときの状況を表した上記「新・ゴーマニズム宣言第三七章」において、控訴人の似顔絵が他の出演者の似顔絵と並んで描かれたカットが掲載されたことはあったが、この控訴人の似顔絵自体には、読者に、控訴人への何らかの不快感や悪印象を与える誇張等はなかった。
 なお、平成九年五月二〇日に初版第一刷が発行された単行本「新・ゴーマニズム宣言第三巻」においては、「私達のじっちゃんたちを「性奴隷をひきずりまわした強姦魔」として世界に売りわたし」「子孫代々伝えましょう!」というセリフのあるカット等に控訴人に似た風貌の人物が描かれているが、その描かれている位置、このカットの置かれた文脈等に照らし、この人物の印象は薄い。
ウ 控訴人は、平成九年一一月一日、控訴人著作の初版第一刷を発行した。
 控訴人著作の表紙カバーの上半分には「これは、漫画家小林よしのりへの鏡塊の書である。」と記載されており、下半分には著者名、定価(消費税別で一二〇〇円)のほか、「脱ゴーマニズム宣言」、「小林よしのりの「慰安婦」問題」という控訴人著作の表題及び副題が記載されているとともに、表紙カバーの背表紙部分にも同じ表題及び副題が記載されている。これらの表題のうち「ゴーマニズム宣言」の部分は黒字であるのに対し、「脱」の字のみは赤系統の色が用いられ、かつ、「ゴーマニズム宣言」の部分より大きめの字体となっており、また、背表紙部分の「小林よしのり」の部分は赤字となっている。
 控訴人著作は、「はじめに―「小林よしのりへのレクイエム」、目次、本文部分及び 「あとがき」により構成され、全一四九頁である。本文部分のうち、一一頁から一〇〇頁までが「脱ゴーマニズム宣言」と題する部分、一〇一頁から一四三頁までが「「慰安婦」攻撃の裏舞台」と題する部分となっている。また、奥付の部分には、著者である控訴人の略歴等のほか、控訴人の顔写真が掲載されている。この控訴人著作において被控訴人小林が執筆した漫画「ゴーマニズム宣言」のカットが採録されているのは、「脱ゴーマニズム宣言」と題する部分のみである。
エ 控訴人著作中「脱ゴーマニズム宣言」と題する部分の体裁は、「一 ひん死の「ゴーマニズム宣言」」から「二二 おわりに―小林よしのりは復活できるか」までの二二の章に分かれており、基本的に、一頁が上下二段組で各段一八行となっている。
 上記「脱ゴーマニズム宣言」と題する部分において採録されている被控訴人小林が執筆した漫画のカット数は、全五七カット(七四コマ)であり、見開きの二頁に上記カットが全く採録されていない箇所も一〇か所(一九頁)あるが、頁の二分の一以上を上記カットの採録部分が占めるとみられる頁もある。また、採録カットの中には、人物に目線を施したものが三カット、手書き文字を加えたもの及び配置を変えたものが各一カット存在し、一カットを除く他のすべての採録カットには、出典が明記されている。「ゴーマニズム宣言」は、最低でも見開き二頁の一話単位で、通常は八頁の一話単位で完結する漫画であるが、控訴人著作に採録されたカットはそのごく一部分に過ぎず、それらはいずれもそれ自体が独立した漫画として読み物になるものではない。控訴人は、これらのカットを被控訴人小林に断ることなく控訴人著作に採録した。
オ 控訴人著作中「脱ゴーマニズム宣言」と題する部分の内容は、第一章から第四章までが主として被控訴人小林の漫画家としての活動姿勢全般に対する批判、論評であり、第五章から第二二章までが主として「新・ゴーマニズム宣言」において従軍慰安婦問題を採り上げた箇所について批判、反論をするものである。
 そして、控訴人著作のうちはしがきにおいては、原判決別紙第三目録記載アからオまでのように、基本的には冷静な筆致で被控訴人小林の漫画家としての活動姿勢等を批判しているが、「脱ゴーマニズム宣言」と題する部分に至ると、同目録記載カからヒまでのように、被控訴人小林を「よしりん」と呼び、関西弁風のくだけた筆致となる。また、「ゴーマニズム宣言」では、作品の締めの部分において「ごーまんかましてよかですか?」というセリフが記載されたカットが挿入され、被控訴人小林の意見がまとめられたカットが続くという体裁が定型化しているが、控訴人著作の「脱ゴーマニズム宣言」と題する部分においては、第二二章を除く各章の締めの部分で、「ごーまんかましてかめへんやろか?」というタイトルの下に、控訴人の意見のまとめが記載されるという体裁で定型化されている。この意見のまとめの部分では、「このままやと「ゴーマニズム宣言」は「作・某政治家、絵・小林よしのり」の宣伝ビラになりまっせ。」(第一章)、「そのうち「マンガばっかし描いてると、よしりんみたいになるよ!」と、どこかのおかーさんが言うようになったら恥やで!」(第七章)、「ゴーカン問題にドンカンなよしりんは、そのうち「ゴーカンニズム」宣言と呼ばれるかもしれへんぞ。」(第一〇章)、「ウソをついてまで責任者を隠すようになったあんさんは、もうおしまいなんかも知れへんな!」(第一八章)、「ものごとを、ごっつう単純に描けば、「そりやマンガや」と人は笑う。よしりんは、そんなしょーもない「マンガ」を描く人やなかった。せやけど、ここまであんさんが、そのマンガ家になり果てていたとは、今しみじみわかった。」(第一九章)といったように、被控訴人小林を皮肉り、あるいは揶輸するなど、被控訴人小林に対する挑発的言辞が並べられている。
カ 控訴人著作のあとがきにおいては、原判決別紙第三目録記載マ及びミのような被控訴人小林を批判する内容のほか、「最後に、小林氏の漫画を、本人の了解なく大量に引用したことをお断りしておきたい。」とした上、「漫画を批判するとなると、文字だけではどうしても正確を期したことにならない。画面そのものに含まれた多様な情報も引用する必然性がある。これは、専門家に確認した上で行った。漫画の部分的な引用は、それを評する文章との間に必然的な連関があるかぎり、著作権に抵触しないとのことだ。漫画に関する批評を正確に行うための「引用権」と呼んでもよいかも知れない。小林氏も、本文の九四ページにあるように、私の顔を勝手に描いておいて、自分の漫画だけは一切自由に引用するな、などとわがままなことは言わないだろう。」と記載されている。
キ 控訴人著作が発行されたことを受け、被控訴人小林は本件漫画を執筆し、これが、雑誌「SAPIO」平成九年一一月二六日号に掲載された。
 本件漫画は「第五五章広義の強制すりかえ論者への鎮魂の章」との副題が付けられ、全八頁の内、最初の約二頁が控訴人著作への被控訴人小林の漫画の採録を著作権侵害と批判する部分であり、その余は、控訴人著作中での、それ以前の「新・ゴーマニズム宣言」に現れた被控訴人小林の従軍慰安婦問題に関する見解への批判、反論に対する反批判、再反論を加える部分である。
 本件漫画中、控訴人著作は被控訴人小林の著作権を侵害するものであるとして批判、抗議する部分の概要は、次のとおりである。
 控訴人著作の著者は、かつて被控訴人小林とテレビ番組で討論をした人物であると紹介した上、控訴人著作には被控訴人小林が執筆する「ゴーマニズム宣言」からの無断転載カットが満載されており、「この本全体が「甲野太郎・著 小林よしのり・挿絵」というような仕上がりになってしまっている!」との被控訴人小林の主張を述べつつ、「これは、専門家に確認した上で行った。漫画の部分的な引用は、それを評する文章との間に必然的な連関があるかぎり、著作権に抵触しないとのことだ。漫画に関する批評を正確に行うための「引用権」と呼んでもよいかも知れない」という控訴人著作あとがきに記載された控訴人の意見を原文のまま紹介し、これに対し、業界の慣例として認められている部分的な引用はセリフなどの文章部分のみに限られている、控訴人著作でもセリフ・文章の引用でこと足りるのに、わざと被控訴人小林の絵を多く使って売上を伸ばそうとしているなどと被控訴人小林の反論が述べられている。また、控訴人著作あとがきの「小林氏も、本文の九四ページにあるように、私の顔を勝手に描いておいて、自分の漫画だけは一切自由に引用するな、などとわがままなことは言わないだろう」という部分も原文のまま引用した上、人の顔は「著作物」ではなく、似顔絵を描かれたから著作物を無断転載していいなどという理屈は成立しないなどとの被控訴人小林の反論が述べられている。さらに、人物に目線を施したカットについて、「このような絵は作家の著作物を勝手に改ざん・発表する行為であって著作権上特に許されないものだ」との被控訴人小林の意見が記載されたカットの後、このような行為を野放しにしておくことはできないとして、「この著作権侵害事件に関しては弁護士を立てて断固とした法的措置を取る!」という被控訴人小林のセリフが記載されたカットが描かれている。
 その後、控訴人著作における従軍慰安婦問題に関する記述に対する批判、反論が述べられているが、ここでも、控訴人著作における控訴人の意見を原文のまま引用した上で被控訴人小林の批判、反論が述べられるようになっており、「ごーまんかましてよかですか?」のセリフに続くカットの内容も、従軍慰安婦問題に関するセリフのみとなっている。
 本件漫画は、単行本「新・ゴーマニズム宣言第五巻」(平成一〇年一〇月一〇日発行)にも掲載された。
ク 漫画作品を評釈した出版物においては、引用するのはセリフなどの活字部分だけで、絵は引用していない例が多いが、控訴人著作発行前において漫画作品を絵も含めて引用した出版物も少数ながら存在した。控訴人は、このような実情について、「漫画を引用しない慣行が業界を支配してきた」「「引用などもともとありえない」という考え方が慣行を支配してきたことも事実なのである。」との認識を明らかにしているほか、被控訴人小林から別件訴訟を提起されたことについて、「もし負ければ「ドロボー」という彼のマンガでの主張が証明されることになりますから、大変な緊張感とプレッシャーのもとでこれに臨むことになりました。」と陳述したり、インターネット上で、被控訴人小林の執筆した「戦争論」という漫画について、「私もここで彼の漫画を引用して批判を書きたいが、弁護士から自重するよう言われている。」と記載したりしている。
 一方、被控訴人小林が執筆した漫画については、そのカットを出版物に転載するに当たり、事前に被控訴人小林側の承諾が求められた例がある。
ケ 漫画は、一般に、作者のアイデアをもとに、作者及び複数のアシスタントが役割分担して手を加えていくもので、作品を完成させるまでにはシナリオ、コンテの制作、絵のアイディア、下書き、ペン入れ、仕上げ、色指定、写植指定の工程を経る必要がある。また、絵は、特定の作者によることが読者に直ちに認識される特徴があり、通常セリフなどの活字部分よりも作品の構成、読者への訴求力、作品の人気度等に大きな影響を与える。
 雑誌「SAPIO」に掲載される「新・ゴーマニズム宣言」については、各回のテーマを被控訴人小林と編集部との間で協議し、このテーマに従い、被控訴人小林が、およその感じが分かる程度の絵に、人物のセリフ、背景の説明文等の文字部分が描かれたコンテを作成し、これに基づき改めて協議の上、最終的に掲載すべき漫画が決定される。その後、コンテに基づき被控訴人小林が漫画の原画を描き上げるとともに、原画の欄外にコメントを書き加え、編集部の作業を経て印刷に回される。本件漫画も、これと同様の作業によって執筆、掲載された。
コ 別件訴訟については、平成一一年八月三一日、東京地方裁判所が、控訴人著作への被控訴人小林の漫画のカットの採録は、著作権法三二条一項にいう引用の要件を充たすものであり、複製権侵害は認められないし、同一性保持権侵害も認められない等として、原告である被控訴人小林の請求をすべて棄却する判決を言い渡した。この判決に対し被控訴人小林が控訴をしたところ、平成一二年四月二五日、東京高等裁判所は、複製権侵害の点については適法な引用であり違法ではないと判断したものの、コマの配置を変えて採録した部分一か所について著作者人格権である同一性保持権を侵害したものと認め、原判決を一部変更し、上記採録部分を含む控訴人著作の出版等の差止めと二〇万円の慰謝料の支払を命ずる旨の判決をした。この判決に対し、控訴人が上告及び上告受理の申立てをし、被控訴人小林も附帯上告受理の申立てをしたが、平成一四年四月二六日、最高裁判所は、控訴人の上告を棄却するとともに、事件を上告審として受理しない旨の決定をし、これにより、上記第二審判決が確定した。
(2)被控訴人小林が執筆する漫画「ゴーマニズム宣言」が著作権法上の著作物に該当することは当事者間に争いがないところ、同法二一条は、「著作者は、その著作物を複製する権利を専有する。」と著作者のみに複製権があることを定める一方、同法第二章、第三節、第五款(三〇条から五〇条まで)において著作権の制限を定め、そのうち同法三二条一項では、「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。」と規定している(以下、同項の定めを「引用条項」という。)。
 本件漫画を掲載した雑誌及び単行本が発行された平成九年ないし平成一〇年当時、引用条項の解釈に関しては、正当な範囲内の節録引用を偽作(複製権侵害)から除外していた旧著作権法(明治三二年法律第三九号)三〇条一項二号について、「ここにいう引用とは、紹介、参照、論評その他の目的で自己の著作物中に他人の著作物の原則として一部を採録することをいうと解するのが相当であるから、右引用にあたるというためには、引用を含む著作物の表現形式上、引用して利用する側の著作物と、引用されて利用される側の著作物とを明瞭に区別して認識することができ、かつ、右両著作物の間に前者が主、後者が従の関係があると認められる場合でなければならないというべきであり、更に、法(当裁判所注・旧著作権法)一八条三項の規定によれば、引用される側の著作物の著作者人格権を侵害するような態様でする引用は許されないことが明らかである」と判示した最高裁判所昭和五五年三月二八日第三小法廷判決・民集三四巻三号二四四頁が存在し、現行の著作権法における引用条項の解釈に当たっても、上記最高裁判決の判示が重要な指針として認識されていた。しかし、同判決の判示と現行著作権法三二条一項の文言との関係が必ずしも明確でなかったこともあって、引用条項にいう「引用」の意味や引用して利用するための要件について、上記判示以上に具体的ないし詳細な基準は一般化していなかった。
 また、言語の著作物における美術の著作物の利用が、適法な引用による利用として複製権侵害とならないかが問題となった下級審裁判例としては、東京地方裁判所昭和五九年八月三一日判決(無体裁集一六巻二号五四七頁)及びその控訴審である東京高等裁判所昭和六〇年一〇月一七日判決(無体裁集一七巻三号四六二頁)(美術全集の内の一巻中の美術史に関する論文の数頁に一人の画家の絵合計一二点の図版が他の画家の絵の図版と共に掲載された事実関係の下に、被告である出版社(本件の被控訴人会社)の適法な引用との主張を認めず、差止め及び損害賠償請求が認容された事例)、が公表されていた。特に、上記東京高裁の判決では、上記最高裁判決の判示を踏まえて、「(引用して利用する側の著作物と引用されて利用される側の著作物の間の)主従関係は、両著作物の関係を、引用の目的、両著作物のそれぞれの性質、内容及び分量並びに被引用著作物の採録の方法、態様などの諸点に亘つて確定した事実関係に基づき、かつ、当該著作物が想定する読者の一般的観念に照らし、引用著作物が全体の中で主体性を保持し、被引用著作物が引用著作物の内容を補足説明し、あるいはその例証、参考資料を提供するなど引用著作物に対し付従的な性質を有しているにすぎないと認められるかどうかを判断して決すべきものであり、このことは本件におけるように引用著作物が言語著作物(富山論文)であり、被引用著作物が美術著作物(本件絵画の複製物)である場合も同様であって、読者の一般的観念に照らして、美術著作物が言語著作物の記述に対する理解を補足し、あるいは右記述の例証ないし参考資料として、右記述の把握に資することができるように構成されており、美術著作物がそのような付従的性質のもの以外ではない場合に、言語著作物が主、美術著作物が従の関係にあるものと解するのが相当である。」と、最高裁判決の示した判断要素を具体化する判示がされた。そして、当該事件で問題となった論文と絵画の複製の主従関係についての判断のまとめとして、「このように本件絵画の複製物はそれ自体鑑賞性を有することに加え、それが富山論文に対する理解を補足し、その参考資料となっているとはいえ、右論文の当該絵画に関する記述と同じページに掲載されているのは二点にすぎないこと前記認定のとおりであって、右論文に対する結び付きが必ずしも強くないことをあわせ考えると、本件絵画の複製物は富山論文と前叙のような関連性を有する半面において、それ自体鑑賞性をもった図版として、独立性を有するものというべきであるから、その限りにおいて富山論文に従たる関係にあるということはできない。」と判断した。
 このように上記最高裁判決の示した判断要素を具体化する判示がされた下級審裁判例があるものの、なお、個別具体的な事案ごとに、上記最高裁判決の判示を基礎に、上記下級審裁判例を参考に引用条項が適用されるか否かを判断せざるを得ない状況であった。
(3)上記(1)及び(2)の認定事実を前提に、本件表現による名誉毀損の免責の判断基準、本件表現の性質について検討する。
ア 名誉毀損の不法行為は、一般に、問題とされる表現が、人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価を低下させるものであれば、これが事実を摘示するものであるか、又は意見ないし論評を表明するものであるかを問わず、成立し得るものである。ところで、事実を摘示しての名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、摘示された事実がその重要な部分について真実であることの証明があったときには、上記行為には違法性がなく、仮に上記事実が真実であることの証明がないときでも、行為者において上記事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失が否定される。一方、ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、上記意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、上記行為は違法性を欠くものというべきである。そして、仮に上記意見ないし論評の前提としている事実が真実であることの証明がないときでも、行為者においで上記事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その改憲又は過失は否定されると解するのが相当である。
 上記のように、事実を摘示しての名誉毀損と意見ないし論評による名誉毀損とでは、不法行為責任の成否に関する要件が異なるため、問題とされている表現が、事実を摘示するものであるか、意見ないし論評の表明であるかを区別することが必要となる。ところで、事実を摘示し、又は意見ないし論評を表明する漫画におけるある表現の意味内容が他人の社会的評価を低下させるものであるかどうかは、その表現についての一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断すべきものであり、そのことは、上記区別に当たっても妥当するものというべきである。そして、上記漫画におけるある表現中の名誉毀損の成否が問題となっている部分を通常の意味に従って理解したときに、証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項を明示的又は黙示的に主張しているものと解される場合には、上記部分は事実を摘示するものとみるのが相当である。(以上につき、最高裁判所平成九年九月九日第三小法廷判決・民集五一巻八号三八〇四頁参照)
イ ところで、本件においては、控訴人が控訴人著作に被控訴人小林が執筆した漫画を採録したという事実については当事者間に争いがなく、ただ、その事実が引用条項によって適法ということができるか否か、という法的評価に争いがあったものである。このような争いについては、裁判所に訴えを提起することにより、裁判所の公権的かつ確定的判断が確実に示されるべきものであり、現に、本件について、被控訴人小林が別件訴訟を提起し、控訴人著作における上記採録は被控訴人小林の複製権の侵害には当たらないという裁判所の判断が確定していることは、上述のとおりである。このように、法的解釈適用のみが問題となっている事項であっても、その問題について裁判所による公権的かつ確定的判断が確実に示されるべき事項については、上記最高裁判決が説示する「証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項」に類するものということができ、同最高裁判決にいう事実と意見ないし論評の区分上、事実を摘示するものとみるのが相当である。
 そうであれば、上記一で引用する原判決説示のとおり、全体として、控訴人自身ないし控訴人が控訴人著作に「ゴーマニズム宣言」のカットを採録したことを「ドロボー」と、控訴人著作を「ドロボー本」と表現するなどして、一般読者に対し、控訴人が控許人著作において被控訴人小林が執筆した漫画のカットを採録したことは、無断盗用で違法である、すなわち、著作権侵害として違法であるとの印象を与える本件表現は、事実を摘示したものというべきである。
 また、本件表現中原判決別紙第一目録記載七については、同じ印象に加えて、控訴人著作の商品としての値段の大部分は引用した被控訴人小林の漫画が占め、控訴人の文章にはほとんど意味がないとの印象を与えるものであり、控訴人著作において被控訴人小林が執筆した漫画のカットが採録された量が大量に上り、控訴人著作の多くの割合を占めるという事実を前提に、(控訴人著作の定価一二〇〇円の内)「おまえの文は一〇円だ!わしの絵が一一九〇円だ!!」と、控訴人著作の商品としての価値の大部分は引用した被控訴人小林の漫画が占め、控訴人の文章にはほとんど意味がないとの論評を比喩的に表現したものと認めることができる。
ウ 以上によれば、本件表現中、控訴人が被控訴人小林の著作権を侵害したという印象を与える部分にあっては、その表現が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ると認められる場合に、摘示された事実がその重要な部分について真実であると判断されるときには、その表現には違法性がなく、仮に上記表現された事実が真実であると判断されないときでも、被控訴人らにおいて上記表現された事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失が否定されるというべきである。また、本件表現中、控訴人著作中の控訴人の文章にはほとんど意味がないとの印象を与える部分にあっては、その表現が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ると認められる場合に、その表現が前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、その表現は違法性を欠くといえる。
(4)本件表現の内、控訴人の行為が、無断盗用で違法である、すなわち、著作権侵害として違法であるとの印象を与える表現についての免責の成否について検討する。
ア 著作権侵害は法定刑が三年以下の懲役又は三〇〇万円以下の罰金の犯罪行為であり(著作権法一一九条一号)、本件漫画は、被控訴人小林の浸画を控訴人著作において無断で採録して出版したのは違法な複製権侵害であると摘示しているのであるから、公共の利害に関する事実に係るものである。
 また、本件漫画中の本件表現は、上記採録行為の可否を広く一般読者に問題提起し、被控訴人小林自身の作品を含む漫画の著作権を擁護することに主たる目的があり、専ら公益を図る目的を有すると認めることができる。
 控訴人は、本件漫画は控訴人著作に憤慨した被控訴人小林の私怨と、控訴人の社会的評価及び控訴人著作の信用性を低下させて従軍慰安婦問題の論争において優位に立とうとする同被控訴人の私欲が主たる目的であって、公益を図る目的があるとはいえないと主張する。
 確かに、本件漫画は「第五五章広義の強制すりかえ論者への鎮魂の章」との副題が付けられ、全八頁の内、最初の約二頁が控訴人著作への被控訴人小林の漫画の採録を著作権侵害と非難する部分であり、その余は、控訴人著作中での、それ以前の「新・ゴーマニズム宣言」に現れた被控訴人小林の従軍慰安婦問題に関する見解への批判、反論に対する反批判、再反論を加える部分であり、全体としては、従軍慰安婦問題についての反批判、再反論が主であり、その前に著作権侵害問題が取り上げられている構成となっている。そして、原判決別紙第一目録記載二、九、一五、一八、二〇の表現のように、控訴人著作の内容すなわち従軍慰安婦問題についての被控訴人小林の見解への批判、反論に言及する際に、「無断で盗んで」「ドロボー本」と表現している部分がある。また、<証拠略>によれば、本件漫画には、被控訴人小林が控訴人著作に憤慨しているとの印象を与える部分や、従軍慰安婦問題について控訴人の立場を批判する部分があり、さらに、<証拠略>によれば、被控訴人小林は、「新・ゴーマニズム宣言」の別の章で、自ら「わしだけの言論の自由のために闘うのである!」というセリフを述べているカットを描いていることが認められる。
 しかし、控訴人著作の内容すなわち従軍慰安婦問題についての被控訴人小林の見解への批判、反論に言及する際に、「無断で盗んで」「ドロボー本」と著作権侵害についても非難する表現をしている部分が一部にあるとはいえ、本件漫画は、最初の約二頁の著作権侵害についての非難の部分と後半六頁の慰安婦問題に関する反批判、再反論の部分とが一応分かれていること、
 被控訴人小林は、現実に控訴人等を被告として、控訴人著作が被控訴人小林の漫画の複製権等を侵害していると主張して、控訴人著作の出版等の差止めと損害賠償を求める訴訟を提起し、最高裁判所まで争ったことに、本件漫画全体の内容を総合すると、本件漫画中の本件表現は、上記採録行為の可否を広く一般読者に問題提起し、被控訴人小林自身の作品を含む漫画の著作権を擁護することに主たる目的があり、従軍慰安婦問題の論争で優位に立つために控訴人の社会的評価及び控訴人著作の信用性を低下させようとする目的があったとまでは認められず、控訴人の上記主張は採用することができない。
イ 別件訴訟では、複製権侵害については、第一審の東京地方裁判所においても、第二審の東京高等裁判所においても、控訴人著作への被控訴人小林の漫画のカットの採録は、著作権法三二条一項にいう引用の要件を充たすものであるとして、複製権侵害の主張は認められず、上記第二審判決が確定したことは、上記(1)コのとおりである。そうすると、本件表現中、一般読者に対し、控訴人が控訴人著作において被控訴人小林が執筆した漫画のカットを採録したことは、無断盗用で違法である、すなわち、著作権侵害として違法であるとの印象を与える部分は真実とは認められない。
ウ そこで、被控訴人小林及び被控訴人会社において、上記表現により摘示された事実を真実と信ずるについて相当の理由があるとの主張について検討する。
(ア)本件漫画が雑誌「SAPIO」に掲載された平成九年一一月当時及び単行本「新・ゴーマニズム宣言第五巻」に掲載された平成一〇年一〇月当時の、美術の著作物の引用の適法性の判断基準を示した判例、裁判例及び学説の状況についてみる。
@ 上記の問題についての、当時参照されるべきと考えられていた判例、裁判例は上記(2)切に認定した昭和五五年最高裁判決、及び昭和五九年東京地裁判決、昭和六〇年東京高裁判決であったが、昭和五五年最高裁判決は、現行の著作権法の引用条項にいう「引用」の意味や引用して利用するための要件を検討するについても一定の参考となる基準を示しており、昭和六〇年東京高裁判決は、上記最高裁判決の示した判断要素を具体化する判示がされているが、なお、個別具体的な事案ごとに、上記最高裁判決の判示を基礎に、上記下級審裁判例を参考に引用条項が適用されるか否かを判断せざるを得ない状況であった。
 上記昭和六〇年東京高裁判決の、同事件で問題となった論文と絵画の複製の主従関係についての判断のまとめとしての、「このように本件絵画の複製物はそれ自体鑑賞性を有することに加え、それが富山論文に対する理解を補足し、その参考資料となっているとはいえ、右論文の当該絵画に関する記述と同じページに掲載されているのは二点にすぎないこと前記認定のとおりであって、右論文に対する結び付きが必ずしも強くないことをあわせ考えると、本件絵画の複製物は富山論文と前叙のような関連性を有する半面において、それ自体鑑賞性をもった図版として、独立性を有するものというべきであるから、その限りにおいて富山論文に従たる関係にあるということはできない。」との判断から、同判決が鑑賞性のある絵画の複製物であれば言語の著作物に従たる関係にあるとは認められず適法な引用とはいえないというものでないことは明かである。
A一般的な著作権法に関する判例、判決例の解説書であるジュリスト・著作権判例百選(第一版)(昭和六二年発行)中の上記昭和六〇年東京高裁判決の解説では、主従関係については、本件書籍の紙質、図版の大きさ、掲載場所、本件複製の仕上がり状態等を詳細かつ具体的に検討した上で、本件絵画の複製物が美術性・鑑賞性にすぐれていることとともに論文との結び付きが必ずしも強くないこと、したがって、論文に対する理解を補足し、参考資料となるという付従的性質のものにとどまらず、それ自体鑑賞性を有する図版として独立性を有すると判断した旨説明されている(板東久美子執筆)。
 田村善之著「著作権法概説」(第一版)(平成一〇年九月二〇日発行)は、上記昭和六〇年東京高裁判決をリーディングケースとして紹介し、「絵画が特漉コート紙や特漉上質紙を用いたカラー、モノクロ図版で複製されており、大きさも八分の一頁から三分の二頁に上り、他方、解説文の当該絵画に関する記述と同じ頁に掲載されているものは二点に過ぎず、解説文に対する結びつきも必ずしも強くないということ等を理由に、解説文に対して従たる関係にあるということはできないと判示した。」としている(その下敷きとなった田村善之著「著作権法講義ノート21」発明平成九年三月号にも概ね同旨の記載がある。)。
 もっとも、上記昭和六〇年東京高裁判決の判示については別の読み方をする説もあり、ジュリスト・著作権判例百選(第二版)(平成六年六月発行)中の上記昭和六〇年東京高裁判決の解説では、「言語の著作物への絵画の著作物の引用という点に関しては、本判決は引用された絵画が鑑賞性を有するか否かを重視しており、本件絵画がそれ自体鑑賞性を有する図版として独立性を有することが、付従性を否定する主たる理由となっている。」と説明されている(山中伸一執筆)。
 北村行夫著「判例から学ぶ著作権」(平成八年六月発行)は、引用の要件としての付従性についての説明部分で「例えば、美術の著作物を引用して利用するときに、「鑑賞に耐えうる方法」で利用した場合は、当然に付従性がないと言うべきか。次の判例は、利用された絵画に鑑賞性があるときは、付従性の要件を欠くという。しかし疑問である。」として上記昭和六〇年東京高裁判決の判示を引用する。ただし、著者は、判決のいわんとすることは別にあるとしつつ、「本件判決は次の判示部分が一人歩きして、あたかも美術の著作物においては、鑑賞性の感じられる利用の仕方は適法引用の要件を満たさないかの判例として用いられる傾向にあることは憂慮すべきである。」とする。
 加戸守行著「全訂著作権法逐条講義」(平成元年二月発行)には、「絵画を引用するということがいわれますけれども、絵画の引用がここでいう公正な慣行に合致するかどうかには、若干の問題があります。というのは、美術史においてその記述に密接に関連した資料的な意味で引用する場合は公正な慣行に合致するでしょうけれども、引用とはいいながら、実質的には鑑賞的な形、つまり、その引用された絵画を見る人が鑑賞する形で使われているということになるとすれば、公正な慣行に合致しません。」との記載も、「引用される著作物の分量の問題ですけれども、事柄の性質上、美術作品とか、写真とか、あるいは俳句のような短い文芸作品の場合ですと、その一部分の引用ということは考えられませんので、これらは全部の引用が可能となりましょう。」との記載もある。
 日本新聞協会研究所編集「新聞と著作権」(平成五年三月発行)には、「絵画や写真等はその性質上、作品の一部分を引用したのでは意味をなさないことが多く、全体の引用が許される。しかし、引用というためには、記事に対して引用された絵画や写真等が従属的な関係になければならず、紙面扱い上、その絵や写真が主役の印象を与えることがあれば、もはや引用とは言えない。絵画に関して、鑑賞に耐えうるような利用方法は引用とは言えず複製に当たるとされているが、紙面掲載に当たっても、この考え方が基準とされてよい。」との記載、「絵画の引用について「それ自体、独立して鑑賞することができる場合には、引用とはいえない」とした判例の考え方が参考になる。」(吉田健執筆)との記載があり、上記昭和六〇年東京高裁判決が注で引用されている。
 豊田きいち著「編集者の著作権基礎知識」(平成五年一月発行)には、「主従関係が有機的であることが明確であるならば、文章ばかりでなく、写真や絵のような視覚的なものも無断・無料で、文章の中に挿入して利用することが可能である。」との記載、「絵画の著作物ばかりでなく彫刻などを含めた美術の著作物は、鑑賞性を伴うところから、その引用は、拡大解釈されて利用されることも多く、したがって、言語の著作物よりも限定されるといわれてきた。」との記載がある。
 清水幸雄編「著作権実務百科」(平成四年二月発行)には、「適法な引用では、引用して利用する側の著作物と引用される著作物との間に、主従の関係があり、有機的な関連がなければならない。そのような条件のもとで、写真や絵画も引用することができる。しかし、写真や絵画等視覚にたよる著作物では、単なる引用だけでなく、鑑賞性がともなうなどの事情から、適法引用のケースは言語の著作物よりも限定されてくる。」との記載がある。
(イ)平成九年、一〇年当時の、上記(ア)に認定した判例、裁判例、学説の状況の下では、上記昭和六〇年東京高裁判決の判示の理解について見解が分かれており、上記(1)ウエオに認定した控訴人著作物の内容とそこに採録された被控訴人小林の執筆した漫画のカットの具体的態様を前提に、控訴人著作物での被控訴人小林執筆の漫画の採録が、裁判所において、適法な引用に当たらず複製権侵害と判断されるか否かの予測としては、適法な引用に当たると判断される蓋然性があり、被控訴人らに有利に見ても、せいぜいその判断は著作権法の専門家にとっても困難であり、複製権侵害と判断される蓋然性が高いとは到底言えない状況であったと認めるのが相当である。そのような状況は、被控訴人らにおいて控訴人著作物を示して著作権法の専門家に相談すれば容易に知ることができたものであり、我が国有数の出版社である被控訴人会社及び有名漫画家である被控訴人小林にとってそのような相談をすることに支障があったとは認められない。ところが被控訴人らは、著作権法の専門家に相談したこともその専門家から得られた意見も主張しないことからすれば、そのような相談はしていないものと推認される。
 以上のような事情の下では、被控訴人小林及び被控訴人会社において、控訴人の行為が、無断盗用で違法である、すなわち、著作権侵害として違法であることを真実と信ずるについて相当の理由があるとは認められない。
エ よって、本件表現の内、控訴人の行為が、無断盗用で違法である、すなわち、著作権侵害として違法であるとの印象を与える表現について免責は認められない。本件漫画は、その制作の過程で、被控訴人小林と被控訴人会社の編集担当者が協議、打ち合わせの上作成されたものであることは上記(1)に認定したとおりであるから、被控訴人らは、共同不法行為者として、上記表現による名誉毀損の不法行為責任を負う(なお、名誉毀損の不法行為の要件を満たす場合には、名誉感情の侵害についてはその中に評価されており改めて判断する必要はないと判断する。)。
(5)次に、本件表現の内、控訴人著作における控訴人の文章にはほとんど意味がないとの印象を与える部分(原判決別紙第一目録記載七)についての免責の成否について検討する。
ア 本件表現の内、控訴人著作の商品としての値段の大部分は引用した被控訴人小林の漫画が占め、控訴人の文章にはほとんど意味がないとの印象を与える部分は、控訴人著作において被控訴人小林が執筆した漫画のカットが採録された量が大量に上り、控訴人著作の多くの割合を占めるという事実を前提に、(控訴人著作の定価一二〇〇円の内)「おまえの文は一〇円だ!わしの絵が一一九〇円だ!!」と、控訴人著作の商品としての価値の大部分は引用した被控訴人小林の漫画が占め、控訴人の文章にはほとんど意味がないとの論評を比喩的に表現したものと認められることは、上記(3)イのとおりである。
 ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、上記意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、上記行為は違法性を欠くものというべきである。そして、仮に上記意見ないし論評の前提としている事実が真実であることの証明がないときでも、行為者において上記事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定されると解するのが相当であることは、上記(3)アのとおりである。
イ 本件表現の内、控訴人著作における控訴人の文章にはほとんど意味がないとの印象を与える部分も、控訴人著作における被控訴人小林の漫画のカットの採録が、無断盗用で違法である、すなわち、著作権侵害として違法であるとの表現の流れの中でされたものであるから、上記(4)アと同じ理由により、公共の利害に関する事実に係るものであり、また、本件漫画中の本件表現は、上記採録行為の可否を広く一般読者に問題提起し、被控訴人小林自身の作品を含む漫画の著作権を擁護することに主たる目的があり、専ら公益を図る目的を有すると認めることができる。
ウ 本件表現の内、控訴人著作の商品としての値段の大部分は引用した被控訴人小林の漫画が占め、控訴人の文章にはほとんど意味がないとの印象を与える部分は、控訴人著作において被控訴人小林が執筆した漫画のカットが採録された量が大量に上り、控訴人著作の多くの割合を占めるという事実及び控訴人著作の定価が一二〇〇円であることを前提にするものである。
 上記(1)認定の控訴人著作の体裁、内容、全一四九頁の内、本文の中心となる部分で控訴人著作の題名と同じ「脱ゴーマニズム宣言」と題する部分が九〇頁の中に全部で五七カット(七四コマ)が採録され、見開きの二頁にカットが全く採録されていない箇所も一〇か所(一九頁)あるが、頁の二分の一以上をカットが採録されている頁も四頁あることなどの、採録された被控訴人小林執筆の漫画のカットの数量、同カットが控訴人著作の各頁において占める分量のほか、定価が一二〇〇円であること、並びに控訴人著作発行当時、著作権の保護期間内の漫画作品を絵も含めて引用した出版物は少数であったことなどの事実によれば、被控訴人小林が上記論評の前提とした、控訴人著作において被控訴人小林が執筆した漫画のカットが採録された量が大量に上り、控訴人著作の多くの割合を占めるという事実は重要な部分について真実であったものと認められる。そして、「おまえの文は一〇円だ!わしの絵が一一九〇円だ!!」との表現は、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものとは認められない。
エ よって、本件表現の内、控訴人著作における控訴人の文章にはほとんど意味がないとの印象を与える部分(原判決別紙第一目録記載七)は違法性を欠き、被控訴人らは、これによる不法行為責任を負わない(なお、名誉毀損の免責の要件を満たす場合には、名誉感情の侵害についても免責されると判断する。)。
三 争点(4)(控訴人の肖像権の侵害の成否)について
(1)控訴人は、原判決別紙第一目録記載一、四、五、六、一〇、一一、一二、一三、一四、一六、一七、一九、二〇のカットで控訴人の似顔絵を記載したのは、控訴人の肖像権を侵害すると主張する。
ア 個人の私生活上の自由として、人は、みだりに自己の容貌ないし姿態を撮影され、これを公表されない人格的利益(いわゆる肖像権)を有し、これは、法的に保護される権利であり、これを侵害すれば、民事上不法行為が成立し、損害賠償の対象となると解される。肖像権が保障される根拠は、自己の容貌ないし姿態の撮影及び公表は、個人の自律的判断にゆだねられるべきで、何人もその意思に反してみだりに自己の容貌ないし姿態という情報を他人に取得され、公表される理由はないということにある。そうすると、肖像権の侵害が問題となるべき行為とは、写真撮影、ビデオ撮影等個人の容貌ないし姿態をありのまま記録する行為及びこれらの方法で記録された情報を公表する行為であると解すべきである。絵画は、写真撮影又はビデオ撮影のように被写体を機械的に記録するものとは異なり、作者の主観的、技術的作風が介在するものであるから、肖像画のように写真と同程度に対象者の容貌ないし姿態を写実的に正確に描写する場合はともかく、少なくとも作者の技術により主観的に特徴を捉えて描く似顔絵については、これによってその人物の容貌ないし姿態の情報をありのまま取得させ、公表したとは言い難く、別途名誉権、プライバシー権等他の人格的利益の侵害による不法行為が成立することはあり得るとしても、肖像権侵害には当たらないと解すべきである。
 <証拠略>によれば、本件漫画における控訴人の似顔絵は、控訴人の顔写真を基に描かれているものではあるが、控訴人の容貌ないし姿態を正確に表現しようとするものではなく、他のキャラクターと同様に被控訴人小林の漫画家としての技術により主観的に特徴を捉えて描く似顔絵であるとみるのが相当であり、その容貌ないし姿態の情報をありのまま取得させ、公表したとは認め難く、控訴人の肖像権を侵害するとは認められない。
イ 控訴人は、ある個人の特徴を捉えて描かれた似顔絵は、表現者においてその個人を表すことを意図して描かれており、その個人の特徴を捉えて描かれているため、読者もその似顔絵がその個人を指すことを容易に理解することができ、そのような似顔絵は、その個人の人格を視覚的に象徴するものであり、これを公表することは肖像権侵害となると解すべきである、また、肖像画と似顔絵とを区別することは本質的に不可能であり、似顔絵は機械的記録ではないから肖像権侵害にならないということはできず、一部を歪曲すれば肖像権侵害にならないということもできない、肖像権侵害の有無は、本人の容貌と似顔絵とを対比して、特定の人物を指すと判別することができるか否かにより判定すべきであるなどと主張する。
 しかし、このような考え方は、肖像権概念の外延を曖昧かつ不明確なものとし、かえって、肖像権の保障を危うくするおそれがある上、作者の技術により主観的に特徴を捉えて描く似顔絵にあっては、作者の何らかの意思、思想等の表現が含まれているものといえ、そのような作者の表現の自由との調整を図る必要もあり、個人の容貌ないし姿態の情報をありのまま取得させ、公表する行為と区別する積極的実益もあるといえる。
 したがって、肖像権概念自体の拡張をいう控訴人の上記主張は、採用することができない。
(2)控訴人は、似顔絵の公表が肖像権侵害に該当しないとしても、似顔絵も人格の視覚的象徴であるから、人格権の一内容として憲法一三条に基づき肖像権と同様の保護を受けると主張する。
 確かに、ある特定の人物を描いたことがその人物を知る者にとって容易に判別することができる似顔絵については、その似顔絵の内容や、公表すること自体、公表の方法等により、描かれた人物の人格的利益(その根拠は、根源的には憲法一三条に求めることができるともいえる。)を違法に侵害したと認めるべき場合はあり得るといえる。しかし、そのような似顔絵については、上記(1)のとおり、作者の主観的、技術的作用により表現されるという側面を有しており、その表現の自由との調整が問題となるという点で、容貌ないし姿態の情報をありのまま取得させ、公表するという肖像権が問題となる場合とは異なる観点からの検討が必要となるといえる。特に、漫画においては、絵が作者の意見・思想を表現する重要な手段であり、セリフなどの活字部分と相まって一つの表現手段として社会的に広く認知され、尊重に値するということができるから、似顔絵に描かれた個人の人格的利益の侵害による不法行為の成否の判断においては、作者の表現の自由を過度に制約することがないよう考慮する必要がある。似顔絵を描かれることについても肖像権と同様の保護を受けるとすると、特定の人物を似顔絵で表現することは原則として違法となりかねず、ひいては漫画による表現の範囲を過度に狭めるおそれがあるから、控訴人の上記主張を採用することはできないといわざるを得ない。
 このような点を考慮すれば、名誉権、プライバシー権等とは別に似顔絵の公表自体が個人の人格的利益を違法に侵害するか否かについては、似顔絵が掲載された表現物全体の文脈を踏まえ、その表現物の目的や内容、表現の方法や媒体、その似顔絵から一般読者が受ける印象、似顔絵を描かれた人物の社会的地位、その人物と作者との関係等の諸事情を総合考慮し、社会通念に照らして判断するのが相当であり、この判断の結果、作者の表現の自由を尊重してもなおその似顔絵の公表が相当性を逸脱するというべき場合には、似顔絵の公表自体が違法性を帯びると解すべきである。
(3)<証拠略>によれば、本件漫画において控訴人が肖像権侵害を主張する人物の似顔絵は、控訴人を知る者にとって容易に控訴人と判別することができるものであると認めることができる。
 そこで、以下、控訴人が肖像権侵害であると主張する似顔絵について、本件漫画全体の文脈を踏まえて個別に検討する。
ア 原判決別紙第一目録記載一の絵について
 この絵は、本件漫画中で初めて控訴人の氏名を表したカットで、控訴人を特定し、読者に紹介するための表現とみられ、被控訴人小林のセリフにより、読者に対し、控訴人がテレビのパネリスト席に座っている様子を表している印象を与える。
イ 原判決別紙第一目録記載四、五の絵について
 これらの絵の背景には、控訴人著作は適法な引用であるという控訴人側の主張を文章で掲載しており、読者に対し、控訴人が背景記載の主張をしているとの印象を与える。
ウ 原判決別紙第一目録記載六の絵について
 この絵は、控訴人が苦労して似顔絵を描いている様子を表現している。背景に、「顔を描かれたのが不快ならば小林よしのりの似顔を描き返せばいいというだけの話だ」と記載されており、読者に対し、控訴人が似顔絵を描いている場面を想定した絵により被控訴人小林の上記主張を表現したとの印象を与える。
エ 原判決別紙第一目録記載一〇の絵について
 この絵は、控訴人が執筆している様子が小さく描かれており、背景に「甲野は『吉見義明理論』の熱狂的信者である」等と記載されており、読者に対し、控訴人が上記理論の影響下にあるという被控訴人小林の認識を表現したとの印象を与える。
オ 原判決別紙第一日録一一から一四までの絵について
 これらの絵は、控訴人が老人を片手で持ち上げたり、投げ捨てたりする動作、クラッカーを鳴らす動作等が描かれており、文脈によれば、読者に対し、控訴人が以前支持していた「吉田証言」を十分な説明もなく転換し、それを快挙だと思っているとして、従軍慰安婦問題に関する控訴人の主張の変遷を批判する被控訴人小林の主張を表現したとの印象を与える。
カ 原判決別紙第一目録一六の絵について
 この絵は、控訴人が涙を流しているように描き、背景に「こうまでぐだぐだ言って 『ね!ね!慰安婦って性奴隷でしょ?』と説得したいか?」と記載されており、文脈によれば、読者に対し、控訴人が従軍慰安婦問題について自説に固執していることを批判する被控訴人小林の主張を表現したとの印象を与える。
キ 原判決別紙第一目録一七の絵について
 この絵は、控訴人が口笛を吹きながらあるいは鼻歌を歌いながら執筆している様子を横顔で描き、背景に「『わしは漫奴隷か?』と書いたのを捕らえ喜々として(中略)などと書きまくるこの無神経」と記載されており、読者に対し、控訴人が嬉々として執筆している場面を想定した絵で被控訴人小林の上記主張を表現したとの印象を与える。
ク 原判決別紙第一目線記載一九の絵について
 この絵は、控訴人が建物の除から通行人の若者に対して呼び込みをする様子を描き、背景に「サヨク・スキャンダル雑誌のインチキ記事をそのままたれ流してしゃべっている」、「単なるデマ屋じゃないか!」と記載されており、文脈によれば、読者に対し、控訴人が「サヨク・スキャンダル雑誌」の記事を推奨している場面を象徴的に描いて被控訴人小林の上記主張を表現したとの印象を与える。
ケ 原判決別紙第一目録記載二〇の絵について
 この絵は、泥棒の振りをした控訴人が老人を蹴飛ばし、別の人物を持ち上げている様子を描き、背景に、「甲野太郎のわしの絵をドロボーしたこの本は吉田証言から吉見理論へのすりかえ本にすぎない」と記載されており、文脈によれば、読者に対し、泥棒の絵により控訴人著作において被控訴人小林の漫画を採録したことを違法な盗用であると批判する被控訴人小林の意見を、また上記動作により従軍慰安婦問題に関して控訴人が見解を変遷させたとしてこれを批判する被控訴人小林の意見をそれぞれ表現したとの印象を与える。
(4)本件漫画は、被控訴人小林が、控訴人著作による漫画の無断引用を著作権侵害行為であると批判するとともに、いわゆる従軍慰安婦問題についての控訴人の見解を批判する目的を有するものと認められる。また、上記(3)のとおり、控訴人の似顔絵に動作をつけた部分についても、一般読者に対し控訴人がそのような動作をしたとの印象を与えるものではなく、いずれも被控訴人小林の控訴人著作への批判や再反論をせりふ等の活字部分と相まって比喩的に表現したものと容易に理解することができる表現がされている。
 このような本件漫画の目的及び内容、本件漫画に描かれた控訴人の似顔絵により一般読者が受ける印象のほか、控訴訴人は、「日本の戦争責任資料センター」という団体の事務局長を務め、著書等の文字媒体のほか、テレビや衆議院内閣委員会という公の場において自らの意見を述べたことのある人物であること、控訴人著作のうち上記採録がされた「脱ゴーマニズム宣言」と題する部分においては、関西弁風のくだけた筆致で文章が書かれ、被控訴人小林が執筆する漫画「ゴーマニズム宣言」で定型化している締めの部分をもじった上、被控訴人小林を皮肉り、揶揄するなど、被控訴人小林に対する挑発的言辞が並べられていること、本件漫画においては、控訴人の主張も正確に引用され、上記採録の適否は、最終的には裁判所において判断されるべき問題である旨が示されていること、控訴人著作発行時点では、漫画作品を絵も含めて引用した出版物は少数であり、控訴人自身、現実としては、漫画を引用しない慣行が業界を支配してきたという認識を明らかにしていること、その他上記二(1)認定の事実を総合すれば、本件漫画における控訴人の似顔絵の掲載は、控訴人著作に対抗して被控訴人小林の意見及び反論を表現する手段としての意味合いを持っており、いずれも社会通念に照らし相当性を逸脱しているとは認められない。
 控訴人は、政治家や高級官僚のように民主主義の根幹を支える高度に公的な人物ではない一般人については、その人格の象徴である肖像を他者が自由に操ることは許されず、また、本件漫画において控訴人に特徴を捉えた似顔絵を描く必要性が全くないことをも考慮すれば、本件漫画は控訴人の人格権を侵害している旨主張する。
 しかし、似顔絵を描く対象が上記のように限定されるとすることは、表現の自由を過度に制約するというべきであり、上述した控訴人の社会的地位や言論活動を広く行っていることやその内容、控訴人著作の内容、特に「脱ゴーマニズム宣言」の部分においては関西弁風のくだけた筆致で、「ゴーマニズム宣言」の定型化された体裁をもじり、被控訴人小林に対する挑発的言辞が並べられていることなどに照らせば、被控訴人小林が本件漫画に控訴人の似顔絵を描き、これを控訴人の意に反して操ることについて、必要性がないとも、また、相当性を欠くともいうことはできず、控訴人の上記主張は、採用することができない。
(5)したがって、本件漫画のうち原判決別紙第一目録記載一、四、五、六、一〇、一一、一二、一三、一四、一六、一七、一九、二〇の各カットにおいて控訴人の似顔絵を掲載したことが被控訴人らの不法行為に当たるという控訴」人の主張には、理由がない。
四 争点(5)(控訴人の損害の有無、謝罪広告等の要否)について
(1)控訴人の行為が、無断盗用で違法である、すなわち、著作権侵害として違法であるとの印象を与える表現による名誉毀損によって生じた控訴人の損害について検討する。
 上記二(1)に認定した控訴人の社会的地位、すなわち、大学講師で、従軍慰安婦問題等の研究者であり、太平洋戦争の戦後処理問題に関する団体の事務局長を務めており、著書、雑誌への寄稿、テレビ出演、講演、インターネットのホームページ等においてその意見を表明しているという立場にある者として、著作権侵害との理由のない指摘を受けることは、通常人以上にその社会的影響は大きく、控訴人の受けた精神的苦痛も大きいこと、本件漫画による具体的表現も、単に著作権侵害、その通俗的な表現である無断盗用との摘示を行うに止まらず、著作権侵害のドロボー本、甲野ドロボー本、ドロボーだ!ドロボーは許さん!、絵を勝手にドロボーして、わしの絵をドロボーしたこの本等の表現を繰り返して使用し、文脈から控訴人を表すと容易に特定できる人物が唐草模様の風呂敷を背負って目に黒いアイマスクをかけている絵を含むコマがあるなど、文言、漫画で繰り返しどぎつく表現していること、、本件漫画が当初掲載された被控訴人の発行する雑誌「SAPIO」は、我が国でも有名な雑誌の一つであり、その発行部数も相当多数であると推認されること、被控訴人小林が著名な漫画家の一人であり、数頁にわたるコマの多い漫画で社会事象を論評する「ゴーマニズム宣言」は、その作風の特異さ、論調の明快さもあり、連載が打ち切られず続いていることからも、雑誌掲載後単行本とされていることからも、人気のある作品であると認められるから、本伸漫画の掲載された単行本「新・ゴーマニズム宣言第五巻」も相当部数出版されたものと認められること、これらの事情を考慮すると、控訴人の精神的苦痛を償うに足りる慰謝料としては二〇〇万円を相当と認め、これを超える慰謝料を相当と認める事情を認定するに足りる証拠はない。
 なお、控訴人は、本件漫画が雑誌「SAPIO」及び単行本「新・ゴーマニズム宣言第五巻」に掲載されたことを一体とした不法行為として主張しているものと解されるから、上記慰謝料の遅延損害金については、上記単行本が発行された平成一〇年一〇月一〇日以降のものを認めるのが相当である。
(2)控訴人が、控訴人代理人らに本件訴訟の提起、遂行を委任したことは本件記録上明らかであり、本件訴訟の内容、難易度、後記(3)に判断する原状回復のための処分を含む結果等一切の事情を考慮すれば、控訴人に生ずる弁護士費用の内五〇万円の限度で、被控訴人らの不法行為と相当因果関係のある損害と認める。なお、これについての遅延損害金の起算日は、控訴人の請求のとおり、本件不法行為の日の後であり、本件訴状が各被控訴人に送達された日の翌日とする。
(3)<証拠略>によれば、別件訴訟については、第一、二審判決とも、いわゆる三大紙を含む複数の日刊新聞にその内容が掲載され、控訴人著作が被控訴人小林の執筆した漫画を採録したことが違法ではない旨が報道されたと認められ、また、<証拠略>によれば、控訴人は、インターネットのホームページ上に別件訴訟で上記採録が違法ではないという判断が示されたことなどを記載していることが認められる。これらの事実によれば、控訴人は、被控訴人らによる本件不法行為により低下した社会的評価を一定程度回復しているとみることができる。
 しかし、<証拠略>によれば、被控訴人小林は、雑誌「SAPIO」に連載されている「新・ゴーマニズム宣言」の中で、別件訴訟について、控訴人による上記採録が違法であるという自己の主張を繰り返し述べているのみならず、第二審判決後の「新・ゴーマニズム宣言第一九章逆転勝訴の真相」においては、被控訴人小林が「逆転勝訴」したことを強調しており、これらの漫画が掲載されたことによって、本件漫画により低下した控訴人の社会的評価が回復したとみることはできない。これに加え、上記(1)に挙げたような、控訴人の立場、本件漫画による名誉毀損の態様が文言、漫画で繰り返しどぎつく表現されたものであること、本件漫画が当初掲載された雑誌「SAPIO」は、我が国でも有名な雑誌の一つであり、その発行部数も相当多数であると推認されること、その後、本件漫画の掲載された単行本「新・ゴーマニズム宣言第五巻」も相当部数出版されたものと認められることなどを考慮すると、控訴人の損害を回復するためには、上記の損害賠償のみでは必ずしも十分ではなく、名誉を回復するために適当な処分として、本件漫画が掲載された雑誌「SAPIO」に謝罪広告を掲載することを命ずるのが相当と判断する。しかし、これを超える控訴人請求の日刊新聞への謝罪広告の掲載を命ずることが相当であるとは認められない。
 そして、上記謝罪広告掲載の具体的な方法については、掲載箇所は、雑誌「SAPIO」に連載中の「新・ゴーマニズム宣言」掲載の直前の頁とし、その文言は別紙認容広告目録のとおり、掲載態様は別紙認容広告態様目録のとおりとするのが相当である。
 さらに、控訴人は、原状回復の方法として、別紙請求広告目録一記載の謝罪文を、同目録四の条件で掲載しないときは、同目録五の書籍を出版、発行、販売、頒布してはならない旨の裁判を求めるが、条件付であれ差止め請求が名誉毀損の回復措置として適当な処分とは本件の場合認められず、上記請求を、別紙請求広告目録五の書籍を出版する際には、同目録一記載の謝罪文を、同目録四の条件で掲載せよとの趣旨に言い換えても、平成九年及び平成一〇年に雑誌及び単行本に掲載された本件漫画による名誉毀損の回復措置としては相当でない。よって、上記の方法による原状回復請求は理由がない。
五 以上のとおりであるから、原判決中、上記判断に反する部分は相当でないからこれを変更することとし、主文第一項(2)については仮執行宣言を付するのは相当ではないので付さないこととして、主文のとおり判決する。

東京高等裁判所第14民事部
 裁判長裁判官 西田美昭
 裁判官 森高重久
 裁判官 伊藤正晴

別紙 認容広告目録 略
別紙 認容広告態様目録 略
別紙 請求広告目録 略
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