判例全文 line
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【事件名】『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』の名誉毀損事件(2)
【年月日】平成15年2月26日
 東京高裁 平成14年(ネ)第1133号 損害賠償等請求控訴事件
 (原審・東京地裁平成8年(ワ)第13874号)

判決
控訴人 甲野太郎
訴訟代理人弁護士 武藤春光
同 弘中惇一郎
同 喜田村洋一
同 飯田正剛
同 坂井眞
同 加城千波
被控訴人 櫻井良子
訴訟代理人弁護士 別紙被控訴人訴訟代理人目録記載のとおり。


主文
一 原判決を次のとおり変更する。
二 被控訴人は、控訴人に対し、四〇〇万円及びこれに対する平成六年八月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 控訴人のその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用は、第一、二審を通じて、これを五分し、その三を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。
五 この判決は、第二項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由
第一 控訴の趣旨
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人は、控訴人に対し、一〇〇〇万円及びこれに対する平成六年八月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被控訴人は、控訴人に対し、原判決別紙一(ただし、「被告」を「被控訴人」に、「原告」を控訴人に、「東京地方裁判所」を「東京高等裁判所」に、「平成八年(ワ)を「平成一四年(ネ)に、「請求事件」を「請求控訴事件」に、それぞれ改める。)記載の「判決の結論の広告」を、朝日新聞全国版社会面記事下七センチメートル二段に、「判決の結論の広告」の八文字は三号の活字、その他の部分は一〇ポイントの活字をもって掲載せよ。
四 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
五 仮執行宣言
第二 事案の概要
 本件は、被控訴人が、非加熱濃縮血液凝固因子製剤(非加熱製剤)の投与によって、血友病患者に多数のエイズ感染者が出た、いわゆる「薬害エイズ」を題材として、雑誌に掲載した記事「私の傍聴した『東京HIV訴訟』裁判(最終回)」(中央公論社発行「中央公論」平成六年四月号、平成六年三月発売、本件雑誌記事)、及びこれをもとに執筆して出版した単行本「エイズ犯罪 血友病患者の悲劇」(中央公論社発行、初版本平成六年八月七日発行、本件単行本)について、控訴人が、本件雑誌記事及び本件単行本(以下、両者を併せて「本件記載」という。)には、控訴人が加熱濃縮血液凝固因子製剤の治験を遅らせたなどの記載があり、その記載によって名誉を毀損されたと主張して、被控訴人に対し、慰謝料一〇〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である平成六年八月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、名誉回復の処分として原判決別紙一記載「判決結論の広告」を新聞紙上へ掲載することを求めたところ、被控訴人が、本件記載において摘示した事実は真実であり、また、仮にそれが真実ではないとしても、真実であると信ずるについて相当の理由があるなどと主張して争った事案である。
 原審は、控訴人の請求を棄却したので、控訴人が控訴した。
一 前提となる事実(証拠を記載した事実以外は、争いがない。)
(1)当事者
ア 控訴人は、血液学(凝固・線容学)を専門とする医学者であり、また、臨床医としてこれまで多くの患者の診療に携わってきた。
 控訴人は、昭和一六年、東京帝国大学医学部医学科を卒業し、昭和一七年から海軍軍医科士官として従軍した後、昭和二一年、東京帝国大学医学部第一内科学教室に復帰し、昭和二八年から昭和三二年までの間欧米留学をして、昭和三九年、東京大学医学部第一内科講師となった。その後、昭和四六年の帝京大学医学部の創設に際して、同大学医学部第一内科教授に就任し、昭和五五年、同大学医学部長に就任し、さらに、昭和六二年、同大学副学長に就任して名誉教授の称号を受けたが、平成八年二月、同大学を辞職した。
 控訴人は、昭和五八年六月から昭和五九年三月までの間、厚生省に設置された「後天性免疫不全症候群の実態把握に関する研究班」(いわゆるエイズ研究班)に所属し、主任研究者(班長)を務めた。
イ 被控訴人は、「櫻井よしこ」の名前で活動しているフリーのジャトナリストであり、昭和五五年七月から平成八年三月まで、日本テレビのニュース番組「きょうの出来事」のニュースキャスターを務めた。
(2)被控訴人による執筆
 被控訴人は、本件雑誌記事を執筆し、さらに、この記事をもとに本件単行本を執筆して出版した。なお、本件単行本は、「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞した。
(3)問題とされた記載(本件記載)
 本件雑誌記事(三二二〜三二三頁)と本件単行本(第八章 最高権威・甲野太郎氏の重い責任、二三七〜二三九貢)には、次のような記載がある。
ア ≪それにしても、なぜ甲野氏は治験の開始時期を遅らせたのか。厚生省が治験の説明会を業者向けに行なったのが八三年一一月である。これでもアメリカが治験を許可した八三年三月から八ヵ遅い。それを甲野氏は開発の遅れていたミドリ十字にあわせて全体の治験開始をさらに遅らせ、八四年二月にやっと始めさせた。
 「ミドリはうんと遅れてたんだ。(一方)トラベノールはもうずうっと前からやっていたんだ。だから差がつくわけだ」
 甲野氏は一九八八年二月四日の『毎日新聞』とのインタビューでこのように述べ、さらに、
 「治験をやるのは僕らだからね。向こうが急いでやってこられたから、僕がちょっと調整する意味もあった」と話している。
 日本の血液製剤市場の四割を占める最大手、ミドリ十字にあわせて全体の治験を「調整」した結果、日本での加熱製剤の認可は最終的に八五年七月にずれこんだのだ。アメリカより二年四カ月遅い。
 こうして本来ならHIVに感染しなくてもすんでいたはずの多くの患者に感染させてしまった理由は、結局甲野氏の欲″にほかならないのではないか。
イ 治験の時期、甲野氏がメーカー各社から寄付を募っていたことはつとに知られている。甲野氏が理事長をつとめる財団法人「血友病総合治療普及会」設立の資金としての寄付である。≫
ウ ≪甲野氏は一体いかほどの資金提供を受けたのか。通帳を確認する姿が幾度となく目撃されたのは、甲野氏が継続的に資金を受けとっていたということであろう。
 加熱治験の代表責任者としての甲野氏は、メーカーに対しては絶対的優位に立っており、その立場で寄付を強要したとなれば大問題だ。
 別の人物は、財団設立の資金だけでなく、学会での甲野氏の地位と体裁を保つための資金も大きな額になると推測する。≫
エ ≪資金提供を受けていたから、どの社もおちこぼれないように治験を遅らせた甲野氏は、一体いかほどの金に染まって医師の心を売り渡したのか。≫
(4)血友病及び加熱製剤について
ア 血友病について
 血友病は、人体の血液凝固因子のうち第[因子又は第\因子の先天的欠乏又は低下のため、出血が止まりにくい症状を呈する遺伝性疾患であり、第[因子の先天的欠乏等によるものを血友病A、第\因子の先天的欠乏等によるものを血友病Bという。そして、その血液凝固因子の欠乏等の程度に応じて、重症、中等症及び軽症に分類されている。血友病患者の出血症状としては、関節内出血、皮下・筋肉内出血、消化器官内出血、頭蓋内出血等があるが、そのうち関節内出血は、肢体不自由者を生じさせる原因の第一に挙げられており、重篤な結果が生じる。
 血友病には、根治治療は存在せず、患者に対して欠乏する血液凝固因子を補充するいわゆる補充療法が行われていた。血友病A患者に対しては濃縮第[因子製剤が、血友病B患者に対しては濃縮第\因子製剤がそれぞれ使用されていた。これらの血液製剤は、ヒトの血液を原料とするものであるところ、昭和五八年当時、この原料となる血漿の大部分は、米国等の外国で採取されたものを使用していた。そして、このようにヒト由来の原料を使用していることから、ウイルス性肝炎を始めとする感染症の危険が伴うものと考えられていた。
イ 加熱製剤について
 本件雑誌記事及び本件単行本において問題となっている加熱製剤とは、血友病患者に対し、欠乏する血液凝固因子を補充するために使用される血液製剤であって、血液中の血液凝固因子を抽出精製し、病原性ウィルスを不活化するために加熱処理をした「加熱濃縮血液凝固第[因子製剤」(以下「加熱製剤」というときは、同製剤を示す。)である。
 我が国では、非加熱の濃縮血液凝固第[因子製剤(以下「非加熱製剤」というときは、同製剤を示す。)は、昭和五三年八月一日に製造承認されていたが、加熱製剤については、昭和六〇年七月一日、株式会社ミドリ十字を含む五社の製剤が一括して承認された。
(5)治験
 医薬品とは、薬事法(昭和五四年一〇月一日津第五六号による改正後のもの。以下、同じ。)二条一項各号に掲げる物を指し、その中には医師の処方により使用される医療用医薬品と、使用者が直接市販品として購入し使用できる一般用医薬品とがあり、いずれも厚生大臣の製造承認が必要である。そして、加熱製剤は、医療用医薬品に属する。
 医薬品等の製造の承認は、申請に係る医薬品等の名称、成分、分量、用法、用量、効能、効果、性能及び副作用等を審査して行われるが、申請に係る医薬品等がその申請に係る効能、効果又は性能を有すると認められないとき、申請に係る医薬品等がその効能、効果又は性能に比して著しく有害な作用を有することにより、医薬品等として使用価値がないと認められるときなどには、承認は与えられない(同法一四条二項)。医薬品等について製造の承認を受けようとする者は、厚生省令で定めるところにより、申請書に臨床試験の試験成績に関する資料その他の資料を添付して申請しなければならない(同条三項)。この承認申請書に添付すべき資料は、有効成分の種類、投与経路、薬剤、構造及び性能等に応じ、起原又は発見の経緯、性質等、安定性及び毒性等に関する資料である(薬事法施行規則・昭和五五年厚生省令第三四号一八条の三)。
 「治験」とは、薬事法一四条三項(同条四項、二三条において準用する場合を含む。)の規定により提出すべき資料のうち臨床試験の試験成績に関する資料の収集を目的とする試験の実施をいう(同法二条七項)。治験の依頼をするに当たっては、厚生省令の基準に従ってこれを行い、あらかじめ治験計画を届け出なければならない(同法八〇条の二第一項、二項)。この治験の依頼の基準及び治験の計画の届出等については、薬事法施行規則六七条以下に規定がある。なお、厚生省薬務局長通知(昭和五五年一〇月九日付け)には、治験計画届書の様式が定められており、成分・分量、製造方法、予定される効能・効果、予定される用法・用量、計画の概要(目的、例数、対象疾患、用法・用量、実施期間、実施機関、実施責任医師)等を記載することとされている。
 治験は、通常、第T相試験、第U相試験及び第V相試験の三段階に分けて行われるが、申請に係る医薬品等が新しい有効成分等を含むか、あるいは既に製造承認を得た医薬品等の応用に係る物であるかなどの具体的な申請内容のいかんによって、第T相から第V相までのすべての試験を実施する場合と、そのうちの一部のみの試験を実施する場合とがある。
 第T相試験は、主として医薬品等の安全性等を調査することを目的として実施され、通常、少数の健康な青壮年層である男性のボランティアを対象として行われ、人に何らかの作用を生ずる量はどの程度かなどについて調査される。
 第U相試験は、主として医薬品等の有効性及び安全性等を調査することを目的として行われ、当該医薬品等の対象である少数の患者に対して実施されるものであり、これにより当該医薬品等の効能、効果等があるか、どれくらいの分量を使用すれば効能、効果が得られるかなどについて調査が行われる。
 第V相試験は、第T相試験や第U相試験で得られたデータを基に、一定の規模の患者を対象として行われる。
 なお、医薬品の製造承認申請のために行われる安全性試験の実施については、厚生省薬務局長通知(昭和七年三月三一日付け)があり、試験従事者の職務等、試験施設、機器の設計等、試験施設での操作、被験物質等、試験計画書及び試験の実施、報告等について規定している。
(6)治験統括医
 控訴人は、加熱製剤の治験について、後日、我が国において加熱製剤の製造承認を受けるに至ったすべての製剤メーカー、すなわち、日本トラベノール株式会社(現在のバクスター株式会社、トラベノール)、カッター・ジャパン株式会社(現在のバイエル薬品株式会社、カッター)、ヘキストジャパン株式会社(ヘキスト)、財団法人化学及血清療法研究所(化血研)、株式会社ミドリ十字(ミドリ十字)、日木臓器株式会社(日本臓器)及び日本製薬株式会社(日本製薬)の七社から依頼を受けて、その治験統括医となった。なお、控訴人は、第\因子製剤の加熱製剤の治験については、化血研、ミドリ十字、日本臓器及び日本製薬から依頼を受けて、その治験統括医となった。
 治験統括医とは、医薬品等の製造承認を申請するために必要な臨床試験の試験成績に関する資料の収集を行うことを目的として、製薬会社から治験の実施を委託された責任者であって、治験の実施全体を掌握し指揮する立場にあり、治験期間、治験の対象症例数、治験薬の投与方法、検査項目、有効性及び副作用の判定基準等を決定して、これを治験計画書(プロトコール)として作成し、さらに、治験に参加する病院施設、担当医師等を決定し、治験計画書に基づいて実施した治験の結果を収集した上、これを論文として完成させる職務を負っている医師をいう。
 控訴人は、昭和五八年末までに前記七社から加熱製剤に係る治験の依頼を受けて治験統括医となった後、昭和五九年一月、いったんこれを辞任したものの、同年三月、再び治験統括医に復帰した。
(7)後天性免疫不全症候群の実態把握に関する研究班(エイズ研究班)
 エイズ研究班は、厚生省薬務局生物製剤課の乙山松夫課長(乙山課長)が、昭和五七年暮れころ、米国で血友病患者からエイズ発症者が出ているという情報に接し、我が国の血友病患者について危機感を抱いたことを契機として、生物製剤課の所管に係る血液研究事業の一環として、我が国におけるエイズ発生状況の調査及び血液凝固因子製剤に関するエイズ対策を検討することを目的として設置された。
 そして、エイズ研究班の班長について、厚生省は、控訴人が年長で、血液学の専門家であり、これまで臨床医として多数の血友病患者等の診療に携わってきた実績等に照らし、控訴人が班長として最も適任であるという理由から、控訴人を班長とすることを決め、控訴人もこれを承諾して班長に就任した。
 エイズ研究班の分担研究者(班員)には、丙川竹夫(国立公衆衛生院疫学部室長)、丁原梅夫(九州大学医学部検査部教授)、戊田春夫(千葉大学医学部皮膚科学教授)、甲田夏夫(順天堂大学医学部教授)、乙野秋夫(日赤中央血液センター所長)、丙山冬夫(東京都臨床医学総合研究所副所長)、丁川一郎(国立予防衛生研究所血液製剤部長)が選任されたほか、控訴人の補助を兼ねて戊原二郎(帝京大学医学部講師)が選任された。
 また、昭和五八年八月一九日に開催された第三回エイズ研究班会議において、血液製剤対策について検討するために、エイズ研究班の下に、甲川三郎(帝京大学医学部教授)を委員長とする血液製剤小委員会が設置された。
二 争点
(1)本件記載による名誉毀損の成否
(控訴人の主張)
 本件記載は、全体を見れば、「控訴人が製剤メーカー各社、殊にミドリ十字から資金の提供を受けていたので、特に開発の遂行の遅れていたミドリ十字の便宜を図るために、治験の開始を遅らせて、感染しなくてもよかった多くの患者をエイズ感染に至らしめた」という事実を摘示したものである。
 すなわち、本件記載アは、厚生省の説明会が行われた昭和五八年一一月以降、控訴人が意図的に全体の治験開始を遅らせた事実、それがミドリ十字の開発の遅れに合わせる目的であった事実、控訴人が意図的に全体の治験開始を遅らせた結果として、認可の時期が昭和六〇年七月にずれ込んだ事実を摘示した上で、それに続く「こうして本来なら」以下の記載において、控訴人が、ミドリ十字の便宜を図るために、製剤メーカー各社の治験の開始を遅らせ、その結果本来なら感染しなくともよかった多くの患者に、エイズ感染に至らしめたものであり、それは控訴人の欲≠フためであると摘示したものである。そして、ここにいう欲とは、金銭欲をいうのであって、その例として、本件記載イ、ウにおいて、控訴人が治験の時期に治験の統括医としての優位な立場を利用して、製剤メーカー各社から財団法人設立資金の寄付を募っていた事実を摘示し、さらに、本件記載エにおいて、控訴人が製剤メーカー各社から資金の提供を受けていたので、その見返りとして、どの社(ミドリ十字を示す。)も落ちこぼれないように治験を遅らせた事実を摘示したものである。
 そして、本件記載を総合すれば、一般の読者に対して、加熱製剤が早期に承認されて使用できるようになることが血友病患者にとって利益であるのに、控訴人がミドリ十字から相当の資金提供を受けていたために、その利益を犠牲にして、ミドリ十字という特定の製剤メーカーの利益を図り、その結果、多数の患者にエイズを感染させてしまった、という印象を与えるものである。したがって、本件記載は、医学研究者で、かつ臨床医である控訴人の社会的評価を著しく低下させ、控訴人の名誉を毀損するものである。
(被控訴人の反論)
 本件記載アのうち、厚生省の説明会が行われた昭和五八年二月以降、控訴人が全体の治験開始を遅らせた事実、控訴人が治験開始を遅らせた目的が、全体をミドリ十字の開発の遅れに合わせるところにあった事実、控訴人が全体の治験開始を遅らせた結果として、認可の時期が昭和六〇年七月にずれ込んだ事実を読者に伝達していることは認める。これらの事実は、その事実自体が控訴人の社会的評価を実体的に形成するものとはいい難いが、この記載がそれらの事実をとらえて控訴人に対する非難の根拠に据えていることから、それが控訴人の社会的評価を低下させるものであることはおおむね認める。
 また、本件記載イ及びウは、@ 治験の時期に控訴人が製剤メーカー各社から財団、法人設立資金の寄付を募っていた事実、A 控訴人が治験の統括医として製剤メーカー各社に対しては絶対的優位に立っていた事実を伝達するものであるが、控訴人が優位な立場を「利用して」製剤メーカー各社から寄付を募ったという事実は伝達していない。「その立場で寄付を強要したとなれば大問題だ」という記述は、それ自体から明らかなとおり、@、Aの二つの事実を前提として意見を表明したものである。@の事実はその事実自体において控訴人の社会的評価を否定的に形成するものではないが、被控訴人がこの事実を控訴人に対する非難の根拠に置いたという意味で、控訴人の社会的評価を低下させるものであることは認めるが、Aの事実が控訴人の社会的評価を否定的に形成するとの主張は争う。
 さらに、本件記載エには、「見返りとして」という記述はないし、「ミドリ十字」との記述もない。この記載は、事実を伝達するものではなく、控訴人が全体の治験開始を遅らせた事実と治験の時期に控訴人が製剤メーカー各社から財団法人設立資金の寄付を募っていた事実を前提として、意見を述べたものである。この意見表明が、控訴人の社会的評価を否定的に形成するものであることは認める。
(2)摘示された事実又は前提とされた事実の真実性
(被控訴人の主張)
 本件記載が摘示し、又は前提とする事実は、次のとおりいずれも真実であり、また、意見表明の記述も相当性を欠くものではないから、被控訴人の行為に違法性はない。
ア 本件記載アについて
 控訴人は、製剤メーカー各社間には加熱製剤の開発状況に大きな落差があることを認識した上で、製剤メーカー各社に対し、治験の同時開始と一括承認申請という意図を明示し、また、第U相試験の治験開始時期をあらかじめ昭和五九年三月と設定した上、治験期間を一年間とすることを提案し、開発の早かった製剤メーカーには第T相試験を実施させ、昭和五九年一月には治験の統括医も一方的に辞任した。これらの、控訴人の行為と、ミドリ十字は加熱製剤の開発が遅れていたこと、昭和六〇年七月一日には、ミドリ十字を含む五社の加熱製剤が同時に製造承認されたこと等を考慮すれば、厚生省の説明会が行われた昭和五八年一一月以降、控訴人が全体の治験開始を遅らせた事実、控訴人が治験開始を遅らせた目的が、全体をミドリ十字の開発の遅れに合わせるところにあった事実、控訴人が全体の治験開始を遅らせた結果として、承認の時期が昭和六〇年七月にずれ込んだ事実は、いずれも真実であるというべきである。
イ 本件記載イについて
 本件記載イにいう「治験の時期」とは、治験が実際に行われている期間に限らず、「加熱製剤の治験が問題となっている時期」と読むのが自然かつ合理的である。その時期は遅くとも昭和五八年三月からであり、そのころから昭和五九年にかけて、控訴人には製剤メーカー各社から多額の寄付がされていたのであるから、治験の時期に控訴人が製剤メーカー各社から財団法人設立資金の寄付を募っていた事実も、真実である。控訴人は、非加熱製剤の導入時からその治験の統括医として中心的役割を果たしており、加熱製剤の導入に際しても、治験統括医として中心的役割を果たすことを当然視されていたのであるから、控訴人が治験の統括医として製剤メーカー各社に対しては絶対的優位に立っていた事実も、また真実である。
ウ 本件記載ウについて
 本件記載ウのうち、「その立場で寄付を強要したとなれば大問題だ」という意見表明部分については、製剤メーカー各社にとって、重要な治験の時期に、治験の統括医となる控訴人から「血友病総合治療普及会」や学会のためという名目で寄付を募られれば、誰でも断りにくいことは明らかであるから、その上での仮定として「大問題だ」と記述したのであって、これが意見表明として相当性を欠くものではない。また、控訴人が製剤メーカー各社から資金提供を受けていたという事実と、製剤メーカー各社の足並みが揃うように全体の治験開始を遅らせたという事実を前提とすれば、二つの事実が原因と結果の関係にあるのではないかと疑問を抱くのは当然のことであるから、この意見表明も相当性を欠くものではない。
(控訴人の反論)
 本件記載が摘示する事実について、真実であることの証明はされていない。
(3)真実と信ずるについての相当性
(被控訴人の主張)
 被控訴人は、薬害エイズに関する多くの出版物、新聞記事、控訴人自身の著作や講演録等を検討し、東京HIV訴訟を傍聴して証言を聴き、その弁護団や感染被害者、家族、血友病友の会等から資料収集や聞き取り調査を行い、厚生省の乙山課長その他の関係者に対してインタビューを行うなど、薬害エイズの真相に迫るため最大限の努力を重ねてきたものであり、また、本件単行本が公表される直前には、控訴人に対するインタビューも実現した。
 被控訴人は、これらの取材に基づいて、真実と信じて本件記載をしたものであるから、仮に、本件記載が真実を摘示していないか又は前提とする事実が真実でないとしても、被控訴人にはこれを真実であると信ずるについて相当の理由があるから、被控訴人には故意又は過失がないというべきである。
(控訴人の反論)
 被控訴人が取材したとするものだけでは、本件記載が摘示する事実を真実と信ずるについて相当の理由があるとはいえない。
 昭和五八年当時の非加熱製剤に関する危機認識の程度について、被控訴人が調査した形跡はなく、また、医薬品の開発の際に第T相試験を実施することは通常の手続であって、時間的にも労力的にも大した問題ではないことは、取材をすれば容易に判明するのに、被控訴人はこれを無視したものである。
(4)損害
(控訴人の主張)
 本件記載は、控訴人の長年にわたる医学研究者としての活動、臨床医としての活動に直接関係するものであり、これによる控訴人の精神的苦痛は筆舌に尽くし難いものがある。加えて、本件雑誌記事及び本件単行本は、高名なジャーナリストである被控訴人の執筆によるものであり、また、本件単行本が大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したことから、多くの人々に読まれる結果となった。一連の薬害エイズ報道において、控訴人が製剤メーカー各社から金銭の供与を受け、それと引き換えに製剤メーカー各社の利益を図る目的で加熱製剤の治験開始の時期を遅らせて、製造承認を遅らせた結果、薬害エイズの被害が拡大したという事実無根のストーリーが広く流布されているが、その発端は、本件雑誌記事と本件単行本にある。このため、控訴人は、帝京大学副学長を辞職せざるを得なくなったものであり、この点でも被控訴人の責任は重大である。
 被控訴人の名誉毀損行為によって、控訴人は、帝京大学辞職に伴う有形無形の損害と精神的苦痛を被ったものであり、これを慰謝するに足りる金額は、本件雑誌記事と本件単行本を併せて一〇〇〇万円を下らない。
 さらに、控訴人の名誉回復のための処分として、控訴の趣旨第三項記載のとおりの判決の結論の広告を求める。
(被控訴人の反論)
 一連の薬害エイズ報道において、控訴人が製剤メーカー各社から金銭の供与を受け、それと引き換えに製剤メーカー各社の利益を図る目的で加熱製剤の治験開始の時期を遅らせて製造認可を遅らせた結果、エイズの被害が拡大したという論調の報道がされてきたこと、控訴人が帝京大学副学長を辞職したことは認めるが、本件雑誌記事と本件単行本がそのような報道論調を生成したことは否認し、本件雑誌記事と本件単行本により控訴人に損害が発生したとの主張は争う。
第三 争点に対する判断
一 本件記載による名誉毀損の成否
(1)判断の基準
 まず、名誉毀損の成否に関する判断基準についてみるに、雑誌等の記載による名誉毀損の不法行為は、問題とされる表現が、人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価を低下させるものであれば、これが事実を摘示するものであるか、又は意見ないし論評を表明するものであるかを問わず、成立し得るものである。ところで、事実を摘示しての名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、摘示された事実がその重要な部分について真実であることの証明があったときには、その行為には違法性がなく、仮にその事実が真実であることの証明がないときにも、行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定される。また、ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、その意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、その行為は違法性を欠くものというべきである。そして、仮にその意見ないし論評の前提としている事実が真実であることの証明がないときにも、行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定されると解するのが相当である。
 ところで、ある記載の意味内容が他人の名誉を毀損するかどうか、すなわち、他人の社会的評価を低下させるものであるかどうかは、その記載についての一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すべきである。また問題とされている表現が、事実を摘示するものであるか、又は意見ないし論評の表明であるかを区別するに当たっても、一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すべきである。
(2)本件記載アについて
 本件記載アは、一般の読者の普通の注意と読み方とを基準とすれば、控訴人が厚生省の治験の説明会が行われた昭和五八年一一月以降、加熱製剤の開発が遅れていた日本の血液製剤市場の最大手であるミドリ十字に合わせて加熱製剤全体の治験開始を更に遅らせ、その結果、日本での加熱製剤の認可(承認)が昭和六〇年七月にずれ込み、米国より二年四か月遅いという事実を摘示するものである。
 この記載は、一般読者に、加熱製剤が早期に承認されて使用できるようになることが血友病患者にとって利益であるのに、控訴人がその利益を犠牲にして、ミドリ十字の利益を図るために、治験開始を遅らせ、その結果、加熱製剤の承認が昭和六〇年七月にずれこみ、米国より二年四か月遅れたと受けとめさせるものであるから、控訴人の社会的評価を低下させるものであり、控訴人の名誉を毀損する。
 また、これに続く「こうして本来ならHIVに感染しなくてもすんでいたはずの多くの患者に感染させてしまった理由は、結局甲野氏の欲″にほかならないのではないか。」という記載は、控訴人が治験開始を遅らせた事実及び本件記載イにおける治験の時期に控訴人が製剤メーカー各社から寄付を募っていた事実を前提として、控訴人がミドリ十字の利益を図った理由は、控訴人の欲にほかならないとする被控訴人の意見ないし論評を表明したものであるということができる。そうすると、前記意見ないし論評は、控訴人の社会的評価を低下させるものであり、控訴人の名誉を毀損する。
(3)本件記載イについて
 本件記載イは、一般の読者の普通の注意と読み方とを基準とすれば、加熱製剤の治験の時期に、控訴人が理事長を務める財団法人「血友病総合治療普及会」の設立資金とするために、控訴人が製剤メーカー各社から寄付を募っていたという事実を摘示するものである。
 この記載は、本件記載アと併せて全体的に読めば、控訴人が血友病患者の利益を犠牲にして、ミドリ十字の利益を図るために、加熱製剤の治験開始を遅らせ、多くの患者にHIVを感染させたものであり、その理由は、結局控訴人の欲にほかならず、控訴人が自らの任務に関連して、治験の時期に、製剤メーカー各社から財団法人設立資金としての寄付を受けていたとするものであるから、控訴人の社会的評価を低下させるものであり、控訴人の名誉を毀損する。
(4)本件記載ウについて
 本件記載ウは、一般の読者の普通の注意と読み方とを基準とすれば、控訴人が加熱製剤の治験の時期に、控訴人が製剤メーカー各社から財団法人設立資金の寄付を募っていた事実(本件記載イと同じ)と、控訴人が治験統括医という絶対的優位な立場にあるという事実を摘示しつつ、それらを前提にして、控訴人がその絶対的優位な立場を利用して寄付を強要したのであれば大問題であるという意見ないし論評を表明したものというべきである。
 そして、本件記載ウによる意見ないし論評の表明は、控訴人が治験統括医としての立場を利用していたのではないかという懸念を述べ、もしそうであれば重大な問題であるとする考えを表明したものであるから、控訴人の社会的評価を低下させるものであり、控訴人の名誉を毀損する。なお、控訴人が治験統括医として絶対的優位な立場にあるという事実自体は、治験統括医の職責に照らして、控訴人に対する否定的評価を含むものではないから、控訴人の社会的評価を低下させることにはならず、控訴人の名誉を毀損するものではない。
(5)本件記載エについて
 本件記載エは、一般の読者の普通の注意と読み方とを基準とすれば、控訴人が製剤メーカー各社から寄付を受けていたので、加熱製剤の承認に向けて取り残される製剤メーカーが出ないように、治験の開始を遅らせたという事実を摘示するものであり、また、控訴人は「一体いかほどの金に染まって医師の心を売り渡したのか。」という記載は、この摘示された事実を前提にして、控訴人が金のために医師の心を売り渡したものであり、医師としては到底許されない行為に及んだとする意見ないし論評を表明したものである。
 したがって、これは事実の摘示と意見ないし論評とが相まって控訴人の社会的評価を低下させるものであり、控訴人の名誉を毀損する。
二 摘示された事実又は前提とされた事実の真実性
(1)真実性の抗弁
 前記説示のとおり、事実を摘示しての名誉毀損行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合、摘示された事実がその重要な部分について真実であることの証明があったときには、その行為には違法性がなく、ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合、その意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには、意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、その行為は違法性を欠く。
 本件において、控訴人に対する被控訴人の名誉毀損行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったことは争いがないから、以下、摘示された事実又は意見ないし論評の前提とされた事実の真実性について検討する。
(2)エイズ対策等について
 <証拠略>を総合すると、以下の事実が認められる。
ア 米国防疫センター(CDC)は、昭和五七年七月、他に基礎疾患がなく、免疫抑制を来すような治療を受けていない血友病患者について、カリニ肺炎が発症した初めての例を報告し、同年一二月にも、非加熱製剤を投与されていた血友病患者について、リンパ球減少細胞性免疫不全等共通の症状を発症した例を報告した。なお、このカリニ肺炎等を特徴とする病気はエイズと命名された。
 米国血友病財団(NHF)は、昭和五七年一二月二一日、エイズに罹患している血友病患者が増大しており、現在八人の症例と高度に疑わしい二例がある、今後血友病患者を通じて伝播するかも知れないという心配が増大している、新鮮凍結血漿等がエイズの危険を減ずる決定的な証拠はないが、優先する医療上の適応がない限り、今まで非加熱製剤を使用しておらず、現時点で非加熱製剤を使用すべきでない患者、例えば、四歳以下の幼児等については、クリオ製剤を使用すべきである、しかし、それ以外の非加熱製剤を使用している患者については、治療の変更を推薦しない、必要なときに非加熱製剤の使用を控えるべきでない、エイズ問題は複雑な状態にあり、これが何か、どのように伝播するのかについて、多くのことが未解明であると報告した(このクリオ製剤とは、新鮮血漿を凍結した後、緩やかに融解する際に生ずる沈殿から製造される製剤である。)。
 なお、NHF医学諮問委員会は、昭和五九年一〇月一三日、次のとおり勧告した。
 「 A ウイルスを弱毒化(加熱処理)した濃縮凝固第[因子製剤が適切な治療法である場合が存在するという認識とともに、以下のグループに属する凝固第[因子欠乏患者に対しては、その治療に際してクリオ製剤を使用することを勧告する。1 新生児及び四歳以下の幼児 2 過去に濃縮凝固第[因子製剤を投与されたことのない、新たに血友病と診断された患者
B 軽症又は中等症の血友病A患者に対しては、可能な限り、DDAVP(デスモプレシアンアセテート)を使用すべきである。DDAVPにより十分な治療効果が得られない場合には、当該患者は、Aに明示した方法により治療されるべきである。
C 我々は、ウイルスを弱毒化(加熱処理)した濃縮凝固因子製剤を普遍的に採用すべきであるということを確実に言えるだけの十分な科学的データを持ち合わせていない。しかしながら、ごく予備的なデータは、HTLV―V(HIV)が熱に敏感であることを確かに示唆している。…加熱処理した血液製剤は、加熱処理に起因する不都合な結果の増大をもたらすことはないと思われるので、我々は、濃縮凝固因子製剤を扱う者は、エイズに対する防御効果は未だ証明されていないという理解の下で、加熱製剤を変えることを是非とも考慮すべきであると勧告する。我々は、再度過去にプール血漿から製造された血液製剤を投与されたことのない患者に対して、これらの加熱製剤及びその他の製剤を使用することについての全国的な研究が将来にわたってなされることを切望する。加えて、ウイルスを弱毒化する手法の有効性についての更なる基礎研究を切望する。…」
イ カッターは、昭和五八年一月四日、肝炎に安全な加熱製剤コーエイトのチンパンジー投与研究に関して、加熱製剤が臨床上の効果を損なうことなく、非加熱製剤よりも潜在的に安全なことは論理的であり、エイズから免れることについて決定的な証拠がなくとも、できるだけ早期に利用可能にすべきであるとの見解を明らかにした。
 米国トラベノール社は、B型肝炎ウィルス対策として加熱製剤へモフィルTを開発し、昭和五八年三月二一日米国食料医薬品局(FDA)から、承認を受けた。しかし、米国において血友病患者の大半が既にB型肝炎に罹患していたことや、治療医の間に加熱による蛋白変性が新規抗原性、インヒビターの発現に繋がって投与の効果がないとの懸念があったこと等から、非加熱製剤の使用も平行して行われ、米国での加熱製剤の販売は伸びなかった。
ウ 昭和五八年三月二四日、米国保険福祉省次官補エドワード・エヌ・プラント・ジュニアは、声明を発表し、FDAが新しい加熱製剤を認可したことを歓迎し、エイズの原因物質が分からないので確信することはできないが、肝炎ウィルスに対すると同様にエイズに対してもいくつかの防御を血友病患者に与えることができるものと希望しているとした。また、同人は、昭和五八年五月二四日にも、加熱製剤がエイズに効果のあることを期待する旨述べている。
 昭和五八年五月一六日から同月一九日までの間、リスボンで開催された「輸血と免疫血液学に関する専門家委員会」の第二二回会議において、緊急議題としてエイズが取り上げられ、エイズが血液及び血液製剤によって伝播される因子によって引き起こされる可能性があるとして、@ 供血者の数を最少にすること、A 献血による無報酬の供給者からの自給を各国が達成すること、B 感染症の危険のある人のいる国、売血による供血者からの血液製剤の輸入は避けることとした上で、以下の勧告、すなわち、@ 大規模なプール血漿から製造された凝固因子製剤の使用を避けること、A 治療医や血友病患者のような選択されたレシビエントに対し、血液療法が潜在的に健康に及ぼす危険性及びこうした危険を最小限にする可能性について情報を提供すること、B 供血者に対し、エイズの情報を提供すること等を勧告した。
 なお、昭和五八年五月には、「サイエンス」誌上に、エイズの本態に迫る最初の論文といわれるギャロ及びモンタニエ両氏の論文が掲載されたが、同論文の中で、ギャロは、エイズの本態を成人型T細胞白血病ではないかと主張したが、モンタニエは、これに異論を唱えた。この論争は、先進各国の専門家の間でも展開されたが、本態は何か、ウイルスなのかどうか、原因ウイルスは何なのか、ウイルス感染とすれば、感染力の程度や潜伏期間如何等については一切分かっていなかった。これらエイズを巡る論争は、その後更に昭和五九年まで続いた。
 なお、控訴人は、昭和五八年一二月号の「帝京医学雑誌」において、「現在原因病原体として最も可能性が高いと見られているのは、T細胞白血病ウイルスとは異なるレトロウイルス(LAV)である。」と述べている。
エ 昭和五八年六月末、国際血友病連盟(WHF)の大会がストックホルムで開催され、そこではエイズの危機に直面しながらも、現在の血友病の治療方法(非加熱製剤の投与)は変えないとの決議文が採択された。
オ 昭和五八年七月一八日に開催されたエイズ研究班会議において、同月六日に死亡した帝京大学病院に入院していた血友病患者をエイズと認定すべきか否かについて議論されたが、結論としてはエイズではないと判定された。なお、昭和六〇年になってから、同患者はエイズと認定された。
カ 昭和五八年八月一四日、血友病患者によって組織された全国ヘモフィリア友の会は、厚生省に対し、血液製剤及び血漿の安全性の基準の設定、危険性のある加熱製剤の回収、国内血液を原料とする血液製剤の安定供給、加熱製剤の早期使用のための具体的な配慮等を要望した。
キ 昭和五八年八月二四日、控訴人は、その主催する家庭療法委員会において、加熱製剤の治験について協議し、治験実施の意向を示した。なお、同委員会にはトラベノールの担当者も出席していた。
 そして、昭和五八年九月一四日に開催された第一回血液製剤小委員会において、クリオ製剤の評価、加熱製剤及び原料血漿の問題について討議されたが、加熱製剤については、それがいわゆる完全新薬となるのか、又は一部変更で済むのかが話題となり、その際半減期や新しい抗原性が問題になるが、緊急性の程度によるであろうとの発言や、治験を実施すると、製剤の承認時期が一年は遅くなるとの発言があったが、最終的にはエイズよりも肝炎への対策の一つとして加熱製剤を試用する、ただし、治験は必要であるとの共通のコンセンサスに達し、治験を実施することが決定された。
ク 昭和五九年五月、ギャロ博士らのグループの研究によって、HIVがエイズの原因ウイルスであることが確認されたことから、広くエイズがHIVウィルスによって引き起こされることが認められるようになったが、それでも、科学者や医師の間ではまだ混乱があった。このような傾向は昭和六一年になっても存在していた。
ケ 我が国においては、昭和六〇年七月に加熱製剤の製造承認がされた後、非加熱製剤の回収が指示され、同年一一月には製剤メーカー各社による自主回収が完了した。なお、米国では、同年六月に非加熱製剤の製造の禁止勧告がされたが、非加熱製剤の回収指示が出されることはなかった。
(3)加熱製剤の治験の経過等について<証拠略>を総合すると、以下の事実が認められる。
ア 非加熱製剤は、我が国では、昭和五三年八月一日、ミドリ十字、化血研、日本臓器、カッター、日本製薬、住友化学工業(トラベノールと提携)らの製剤について、一括して承認申請がされ、同時期に承認された。この非加熱製剤の治験についても、控訴人が全部の製剤メーカーの統括医を務めていた。このときに行われた治験は、基礎的試験により、製剤メーカー各社の製剤の同質性等の試験を行い、その同質性等を確認した上で、治験を実施し、治験によって得られたデータについても各社共同の資料とすることとしたことから、治験が効率的に行われ、短期間内に治験が終了した。
 なお、昭和五八年の非加熱製剤の製造量のシェアは、ミドリ十字五一・一パーセント、日本臓器一六・六パーセント、トラベノール一一・三パーセント、カッター八・四パーセント、化血研八・四パーセント、日本製薬四・二パーセントであった。
イ 控訴人は、昭和五八年九月、加熱製剤の製造承認申請の資料とするため、トラベノール、化血研に対して第T相試験を行うよう指示するとともに、トラベノール、カッター及びミドリ十字に対しては、同年一〇月八日までにサンプルを提出するよう指示した。控訴人は、第T相試験を実施する準備段階として、各種製剤性状の共通性ないし同質性を検討するための予備試験(製剤の分析等)を行うことを考えていた。
ウ 厚生省薬務局生物製剤課は、昭和五八年一一月一〇日、製剤メーカー八社(アーマー山之内、化血研、カッター トラベノール、日本製薬、日本臓器、ヘキスト及びミドリ十字)を招集し、「加熱第[因子製剤の申請の取扱いについて」の説明会を開催した(厚生省説明会)。
 この席上で、厚生省係官は、加熱製剤の治験では第T相試験は必ずしも必要ではなく、省略することは可能であると述べた。その際に説明された治験の内容は、治験例数は二施設以上、一施設二〇例以上、合計四〇例以上とすること、ただし、一施設二〇例以上が無理であれば、二施設にわたってもやむを得ないこと、治験の目的は、非加熱製剤との生物学的同等性を示すものであること、投与期間は三か月程度、追跡期間は二か月ないし三か月程度とすること、申請の添付資料は、起原又は発見の経緯、実測値、規格・試験方法、長期保存試験、生物学的同等性、加熱処理(目的、方法、有用性)、臨床試験成績(用法、用量、副作用、インヒビターの発見、有効性)等に関する資料であることというものであった。
エ 控訴人らは、昭和五八年一二月一三日、東京ステーションホテルに製剤メーカー八社(アーマー山之内、化血研、カッター、トラベノール、日本製薬、日本臓器、ヘキスト、ミドリ十字)の担当者を集めて、加熱製剤の臨床治験の実施計画について説明会を開催した(治験説明会)。
 控訴人らは、その席上で、治験実施の計画案を示した。その内容は、製剤メーカー各社からの治験依頼は、血友病治療全国委員会という組織を作ってそこで一括して受託し、多施設において治験を実施すること、各社が同時期に同一のプロコトールでスタートし、患者への投与は、コントローラーが製剤を選択した上で治験担当医に指示すること、治験期間は一年間、治験例数は各社の製剤毎に四〇例以上とすること、各社の製品がいずれも同一であることを証明した上で、承認申請は統一して行うこと、第U相試験の治験を昭和五九年三月に着手したいので、二月末日までに臨床サンプルを帝京大学に提出すること、健常人を対象とした第T相試験からの治験を行うので、第U相試験の治験開始までにこれを済ませておくこと、というものであった。なお、ここでは、従前実施することを考えていた予備試験は含まれないことになった。
 この治験説明会には、血液製剤小委員会の委員長である甲川三郎医師、その委員である乙原四郎医師(東京医科大学)や丙田五郎医師(聖マリアンナ医科大学)らが出席していたが、乙原四郎医師と丙田五郎医師は、第T相試験の実施に反対する発言をした。
オ 治験においては、第T相試験は原則として実施されるが、例外的に省略されることがある。加熱製剤の治験の開始当時、加熱製剤における第T相試験の必要性については、専門家の間で見解が分かれており、健常人へのウィルス感染を危倶してその必要性がないとする考え方と、凝固因子ないしタンパク質に対する加熱処理による変性ないし変質がないかを確かめるためには必要であるとする考え方があった。
カ 乙山課長は、昭和五八年暮れころ、外資系製剤メーカーの従業員から、控訴人が治験に絡んで寄付金を要求しているという内容の抗議を受けた。乙山課長は、血友病患者自身による血液製剤の自己注射療法(医師の処方した血液製剤を、血友病患者が自ら注射して投与する治療方法)の啓蒙等を行うために、控訴人が財団法人の設立を計画していると認識していたので、控訴人が治験に絡んで寄付金を要求しているという話によって、控訴人が非難を受けることは好ましいことではないので、そのような話があることを噂として控訴人に伝えるのがよいと考えた。
 乙山課長は、昭和五九年一月初め、甲川三郎医師、丙田五郎医師及び乙原四郎医師らと会った際、製剤メーカー八社の各加熱製剤の治験等の一律同時進行は無理である、第T相試験は必要なのかという話をするとともに、控訴人が血友病財団法人の設立資金の調達と治験を絡ませているという噂があるという話をした。
キ 昭和五九年一月一二日、丙田五郎医師、乙原四郎医師らは、控訴人に会って、乙山課長からの前記話を伝えた。
 これに対して、控訴人は、同年一月一七日ころ、加熱製剤の治験統括医を依頼されていた製剤メーカー各社に対し、書簡ないし電話により治験統括医を辞退する旨を伝えた。その中で、控訴人は、自分としては、最も迅速に支障なく承認を得るよう治験計画を検討してきたが、このたび厚生省から非公式に、@ 各社の中には臨床試験のための準備が遅れる会社のある可能性があるので、同時一括申請は無理ではないか、A 厚生省の手続上では、「剤型変更」の取扱いとするので、第T相試験は必要ないので、計画を改めてはどうかとの忠告を受けた、治験計画案においては、各社の加熱製剤の成分構成、類似性、使用上の効果、副作用を確かめる必要があると考えたからである、ましてや血友病総合治療研究会の資金を調達することを目的として治験を行っているなどの誤解を受けたことは心外であり、取りまとめ役を辞退させて頂くことにしたと述べている。
 こうした控訴人の態度を受けて、同年二月二日、日本血液製剤協会主催による加熱製剤開発会議が開催されたが、今後の治験について意見はまとまらず、各社が独自に取り組むことになり、各社はそれぞれ独自に治験を実施する準備に入った。そのため、一つの施設に四、五社の治験依頼がされるなど、今後の治験の実施に当たって混乱が危惧される事態が生じていた。
ク 控訴人は、昭和五九年三月、個別的に依頼を受ける形で治験統括医に復帰したが、その際、製剤メーカー各社に対して「今回の治験が財団法人とは無関係である」という趣旨の念書を差し入れることを要求した。
 この時点で、控訴人が各社に示した治験案は、第U相試験からの実施を内容とするものであったが、そのうち試験一は単回投与による「薬物生体内動態及び急性副作用の観察」であり、試験二は「長期多回投与による有効性、安全性と有用性をみる」というものであって、試験一は、患者を対象とする点において第T相試験そのものとはいえないものの、第T相試験に準ずる試験であった。また、第U相試験は、対象患者につき一年間継続して行うものの、六か月後に中間成績をまとめ、この期間における中間結果をもって承認申請の添付資料とすることにした。控訴人は、この時点において従来考えていた予備試験による加熱製剤の同質性を確認して治験を実施するという共同治験方法を変更し、予備試験は行わず、控訴人の指導の下で多施設において効率的に治験を実施することにした。そこで、控訴人は、各施設に対し、どの製剤を何例引き受けてもらえるかを個別に問い合わせて、協力方を要請し、その結果を集約した上で、各施設に対し、どの製剤を何例使用するかについての割り振りを行うなど治験の実施全体を掌握して、治験が計画通りに実施されるよう指導したほか、治験のための研究会を開催する準備をした。
ケ 昭和六〇年七月一日、ヘキスト、トラベノール、化血研、カッター及びミドリ十字の以上五社の加熱製剤が一括して承認された。この五社の製剤の加熱方法、輸入・国産の別は、次のとおりである。
 ヘキスト 液状加熱 六〇度一〇時間 輸入
 トラベノール 乾燥加熱 六〇度七二時間 輸入
 化血研 乾燥加熱 六五度九六時間 国産
 カッター 乾燥加熱 六八度七二時間 輸入
 ミドリ十字 乾燥加熱 六〇度七二時間 国産
コ この製剤メーカー五社について、第U相試験の治験を開始するまでの状況は、次のとおりであった。
(ア)ヘキスト(当時ベーリングベルケ社)は、液状加熱の方式による加熱技術を有しており、昭和五六年に西ドイツで発売許可を得て、既に販売を行っていた。我が国においては、昭和五八年九月二七日に控訴人から第T相試験を実施するよう指示され、同年一一月一五日から帝京大学で第T相試験を開始し、昭和五九年二月に終了した。
(イ)@ 米国トラベノールは、昭和五八年三月二一日に米国食品医薬品局(FDA)から、B型肝炎ウィルス対策として開発した加熱製剤へモフィルトTにつき、承認を得て、販売を開始していた。その承認申請の際、血友病患者六人を対象として一回ずつ投与した六例の治験データを添付したが、第T相試験は実施しなかった。
A トラベノールは、昭和五八年五月、厚生省製剤課の担当官から、その承認申請においては、「加熱製剤は非加熱製剤の工程を一部変更した製剤に該当し、一部変更(一変)として申請できる」との考えを示され、基本的には臨床試験は不要と考えていたが、しかし一変であっても臨床使用経験的なデータは必要と考えていた。そこで、トラベノール社は、同年六月、控訴人に対し、使用成績的な臨床試験を依頼した。
B 厚生省は、昭和五八年八月、トラベノールに対し、申請書案の提出を促したので、同社は、同年九月にこれを提出した。しかし、乙山課長は、同社の加熱製剤について、B型肝炎の予防に対する有効性について、その資料だけでは有効性の証明として十分ではないと考え、治験が必要との考えを有していた。
C 控訴人は、昭和五八年九月、トラベノールに対し、第T相試験を行うよう指示した。
 また、トラベノールは、同年九月末ころ、厚生省から、何らかの使用成績的な臨床試験が必要であると言われ、試験について、再度控訴人に依頼した。その際、トラベノールは、控訴人から第T相試験を要求されたが、反対である旨の意見を述べた。
D その後トラベノールは、種々検討した結果、控訴人の下で治験に参加した方がデータ面で信頼性があること、今後の加熱製剤の販売に有利であるとの判断から、控訴人の提案する治験に参加することとし、昭和五八年一〇月一八日第T相試験用のサンプルの手配を行うとともに、同年一一月二一日、控訴人に第T相試験を依頼した。
E トラベノールは、結局第T相試験を行うことはなかった。なお、トラベノールは、治験開始前である昭和五八年二月の臨床データを、その後の第U相試験のデータとして使用した。
(ウ)化血研は、昭和五七年に加熱製剤を開発し、昭和五八年九月に控訴人から第T相試験の実施を指示され、同年一一月に熊本大学で第T相試験を開始し、昭和五九年一月にこれを終了した。
(エ)カッターは、米国で承認申請をし、昭和五九年二月にFDAの承認を得た。しかし、昭和五八年一二月の段階では、治験用サンプルの入手見込みはなく、昭和五九年三月一日、控訴人に治験を依頼した。カッターは、第T相試験は実施しなかった。
(オ)@ ミドリ十字は、昭和五八年八月三〇日、三種の加熱製剤のサンプル(液状加熱法、窒素乾燥加熱法、ヘプタン乾燥加熱法による各加熱製剤)を控訴人に届けて、その評価を依頼した。当時、どの加熱方法を採用するかは決定されておらず、届けた試製品も治験や実際の使用を前提としたものではなかった。
A 控訴人は、昭和五八年九月九日、ミドリ十字の担当者に対し、臨床用サンプルを同年一○月八日までに提出するよう述べるとともに、第T相試験は不要であるとの見解を示した。
B ミドリ十字は、昭和五八年九月二二日、加熱製剤コンコエイト二五〇単位切製剤を前臨床用サンプルとして一〇四バイアル、治験用サンプルとして二八二バイアル製造した。
C 控訴人は、昭和五八年一〇月七日、ミドリ十字担当者に対し、第T相試験で安全を確認しておくこと、同試験は帝京大学で実施してもよいと述べた。
 なお、ミドリ十字は、同月一九日、「ウィルス夾雑血漿蛋白を乾燥状態にて、酸性アミノ酸と塩基性アミノ酸との塩の存在下に、ウイルスが不活化されるまで加熱することを特徴とする血漿蛋白の加熱処理方法」について特許出願した。
D ミドリ十字は、昭和五八年一二月一三日の治験説明会当時、第T相試験のための加熱製剤のサンプルは準備していたが、第U相試験及び第V相試験のための加熱製剤のサンプルの準備はできていなかった。また、昭和五九年五月一六日の第U相試験の治験開始の際にも、五〇〇単位の加熱製剤のサンプルは揃っていなかった。
 ミドリ十字では、昭和五八年二月一五日五〇〇単位の加熱製剤一三〇バイアル、同月二九日二五〇単位の加熱製剤二五〇バイアル、五〇〇単位の製剤、同年一二月一三日二五〇単位の加熱製剤二五〇バイアル、五〇〇単位の加熱製剤一三〇バイアル、昭和五九一月一〇日七五〇単位の加熱製剤を製造した。また、治験用サンプルとして、昭和五九年六月一二日二五〇単位の加熱製剤三〇〇〇バイアル、同月二一日五〇〇単位の加熱製剤一五〇〇バイアル、同年七月六日五〇〇単位の加熱製剤一五〇〇バイアルを製造した。
E ミドリ十字の一〇〇パーセント子会社である米国のアルファ社は、米国において、昭和五八年七月に加熱製剤の承認申請をし、昭和五九年二月一〇日にその承認を受けた。アルファ社の加熱製剤の加熱方法は、乾燥加熱処理法のカテゴリーに属するものであったが(六〇度二〇時間)、加熱安定剤に用いるへプタンは可燃性が高く、我が国では消防法上の危険物に指定されていたので、この加熱方法を我が国に導入するためには、法令に適合するように設備の見直しをする必要があった。
 ミドリ十字は、自社独自の乾燥加熱処理法の開発の見通しが立っていたので、その開発を続けることとした。このため、昭和六〇年五月二二日に承認申請をするまでの間、アルファ社の製造技術を用いたり、アルファ社の加熱製剤を輸入したりすることはしなかった。
F なお、ミドリ十字は、控訴人から昭和五八年九月一九日、同年一〇月八日までにサンプルを提出するよう要請されていたにもかかわらず、期限までにこれを提出せず、かえって、同年一〇月七日、サンプルの提出を同月二〇日まで延期するよう要請した。その後、同年一一月一〇日までに、控訴人にサンプルを届けた。しかし、ミドリ十字は、結局第T相試験は実施しなかった。
サ 以上の製剤メーカー五社について、第U相試験からの治験の実施状況は、次のとおりであった。
 ヘキストは、控訴人に治験統括医を依頼した上で、昭和五九年四月末に研究会を開催し、第V相試験を開始した。承認申請は、昭和六〇年五月二日にした。
 トラベノールは、昭和五九年三月、控訴人の学会における地位及び学問的研究の内容を考慮して、控訴人に治験統括医を依頼し、同年五月八日に研究会を開催して、第U相試験を開始し、昭和六〇年二月に治験を終了し、同年四月三〇日に承認申請をした。
 化血研は、昭和五九年三月に控訴人に治験統括医を依頼し、同年五月一二日に研究会を開催して、第U相試験を開始し、昭和六〇年三月に治験を終了し、同年五月四日に承認申請をした。
 カッターは、昭和五九年三月に控訴人に治験統括医を依頼し、同月に第U相試験を開始する計画であったが、控訴人の日程の調整がつかなかったため、同年五月一九日に研究会を開催して第U相試験を開始し、昭和六〇年四月に承認申請をした。なお、カッターは、控訴人の治験統括医の辞任を受けて、昭和五九年一月一七日の社内会議でいったんは他の医師に治験統括医を依頼することを決定したが、同年三月に控訴人から治験統括医を引き受けるとの連絡があったので、他の医師に依頼して治験を実施することはしなかった。カッターが控訴人に対して再度、治験統括医を依頼したのは、控訴人が血友病の権威者で、治験の経験も多く、他の医師に依頼した場合、実際に治験が実現するか否かについて危惧していたからであった。
 ミドリ十字は、昭和五九年三月に控訴人に治験統括医を依頼し、同年五月一六日に研究会を開催して第U相試験を開始し、昭和六〇年五月に治験を終了し、同月三一日に承認申請をした。ミドリ十字は、その分野における圧倒的な権威を考慮して控訴人に治験統括医を依頼したもので、他の医師に治験統括医を依頼することは考えていなかった。
シ 厚生省に対する加熱製剤の製造承認申請については、一括して、昭和六〇年六月一〇日に調査会で審議が行われ、同年七月一日、製造ないし輸入の承認がされた。
 なお、その後、日本臓器は、昭和六一年三月一日に、日本製薬は、同年一一月一九日に、それぞれ加熱製剤の製造承認を受けた。
ス 血友病患者で、非加熱製剤の使用によりHIVに感染し、東京HIV訴訟の原告の一人となった高原洋太(仮名、高原)は、昭和五八年七月、東京ヘモフィリア友の会の会員二人とともにトラベノールを訪問した。高原らは、トラベノールから「加熱製剤は、早くに日本に出せる。」、「厚生省が許可してくれれば、もういつでも皆さんに供給できる。」、「そのために米国の本社のほうから役員が厚生省へ要望に行っているので、皆さんに供給されるのも間近ではないか。」という話を聞いた。
 高原は、昭和六〇年七月一六日、化血研の東京事務所を訪問し、血漿分画製剤担当の丁田から「化血研は、ワクチンを専門にやっていて、加熱の技術力があり、凝固因子製剤の加熱化などは割と簡単にできるので、早くから皆さんに供給したくてうずうずしていました。」、「当時はミドリ十字が加熱の開発が遅れていたので、それに合わせるために遅くなってしまったんですよ。」という話を聞いた。
 高原は、昭和六〇年八月一五日、帝京大学に控訴人を訪問した。控訴人は、高原に対し、「ようやく加熱が認可になった。自分が責任者として治験を取りまとめてきたんだよ。」と述べ、高原が「トラベノールなんかは、もっと早く出せると言っていましたよ。」と問いかけると、「そういうふうに一社だけが出したところで、製剤の奪い合いになっても困るでしょう。ですから、これまで出していた全社の態勢ができるまで待たせたんだ。そうしないと皆さんもお困りでしょう。」と述べた。
セ 控訴人は、昭和六三年一月一九日、毎日新聞の記者のインタビューを受け、それに対して次のように述べた。
 (記者) 先生、例えば加熱処理の時に二年四か月遅れておりますね。
 (控訴人) いや、あれはあのね、僕がもちろん関係しておりますから。今でも、まあ、血友病に関しては僕がまだやらねば
 (記者) 先生が全部治験も…。
 (控訴人) やったんです。(中略)僕たちがなぜやったかというと、少なくとも良いという人がいるんだ。それから、害があってはいけない。同じだったら、同じという人がいたら、私どもはやる。やりたい、やるべきだ。それから、害があるというのは絶対やってはいけない。それで、私は害があるかないかを示したかった。証明したかった。そうした、ね。というのは、私は自分の患者さんをモルモット代わりにする、というのに耐えられなかった。(中略)そう、それでフェイズ一を省略したのです。
 (記者) でも、それをやると、患者さんがストレートになっちゃいますよね。
 (控訴人) ストレートでやれ、乙山君が言ったのです。それでね、僕は非常に困ったわけです。そうでしょ。そうしたら丙田五郎君が来て、僕に「先生は金を集めるために、こういうことをやっているんじゃないか」と、乙山君が言っていると伝えてきた。で、僕は、金を集めるなんてことしないよねえ。だから僕、降りたんです、ぱーっと。そいで「君が、君たちがやってくれ、おれは知らん」と。たった一か月だけ。しかしこれはね、厚生省の責任ではない。患者さんに対する私、医者の基本精神です。しかし、実際は、その間も治験だけはやっておったんだけどね。治験だけはやっておったけれども、正式にそういうT相の治験も一緒に並行してやってもらいたい。で、並行しておった…。(中略)
 (記者) あれは先生、申請はミドリだけが遅れたとかいうのは…。
 (控訴人) うんうん、またそれはうんと後なの。ミドリはうんと遅れてたんだ。ミドリは遅れたけれども、そのね、まあトラベはもうずーっとね、前からやっていたからね。
 (記者) もうやってますね、アメリカで。
 (控訴人) だからね、早くやったらね、もう差がつくわけだ。
 (記者) 差が当然つきますね。
 (控訴人) うん、つく。(中略)僕はなぜ、そういうことをするかというと、これはね、確かに早くやったところの人が早くなるのは当然だ。治験は一番早くスタートしていましたから、早くできあがった。しかし、これを調査会にかけますことはね、私も調査会の経験がかなりある。そうすると、一例だけがポッツと出てきて次が申請しておるという形のときにはね、調査会で調整するんですよ。ていうのは、それだけを許したりするということは、普通はやらないのね。まあ、少なくとも二、三社が一緒になって。というのは、そりゃ、うんと離れているといっても、治験をやるのは僕らだからね。向こうが急いでやってこられたから、ね。だから、僕がちょっと調整する意味もあった。というのはね、やっぱり私どもとしては、どの製剤も一応、患者さんはみな安心して使えるんだということでやらないと、後で必ずいざこざが起こる。うん、もう僕はそれまでにね、何回もやってきたから。(中略)
 (記者) あの先生、それで資金援助は、あのシンポジウムの…。(中略)
 (控訴人) で、第三回以降はね、今度はミドリさんだけにしないで、それぞれにイーブンで出しましょう、ということになって…。
 (記者) そりや、売上げの多寡で…。
 (控訴人) 売上げの多寡は私は知らない。だけど、そりゃ、多少は「うちは高すぎる」っておっしゃれば「そうですか」って。とにかく僕は「これだけ欲しいんです」とね。で、余りましたものは、あまり金は残す必要はないのですから、それはみな…。というふうにしてきたわけです。そういうこともあって、なるべくね、一つの会社だけが遅れてしまうとか、一つの会社が潰れるというのはね、そうじゃなくて、僕はみな同じような立場で競争してもらいたいんだ。
ソ 被控訴人は、平成五年二月ころから、日本テレビを通じて、控訴人に対し数回取材を申し込み、控訴人はこれを断り続けていたが、平成六年三月八日、ようやくインタビューが実現した。その際控訴人は、次のように述べた。
 (控訴人) 丙田君はね、これは僕は、少ーし僕と意見が違います。それは、そのーね、丙田君は僕が、その、早めにちょっと先ほどのご質問の時にあって、これだけ、あー、この方にはちょっとしましたけど。私が、ちょっと、お、遅らしたというような事情、があるんですよ、治験を。で、治験をやるのにはね、これは先生、非常に重要ですよ。これはあなたは間違っておりますから。それはね、これが効くということを証明しなければいけません。それから、副作用がないということを。効くということは、前よりも条件がいいということを証明しなければいけないわけです。それから副作用がないということを証明しなければならない。ね。それから私の場合は。早く許可をもらいたいと思いました。それはもう、今までの話でもお分かりと思いますが、これはあなたの書かれたのでは、私が遅らしたということだけが強調されておりましてね。
 (被控訴人) 先生は、先ほど、私が治験を遅らせたということを、ご自分でおっしゃいました。
 (控訴人) いいえ、遅らしたと言ってるけど、これは間違いであると、これは抗議を申したいと。(中略)
 (被控訴人) あの、治験で一番遅れていたのはミドリ十字でございましたですね。
 (控訴人) はあ、ミドリ十字はあのー、日本の人は駄目でしたから、アメリカのアルファ社に助けてくれと、ね。というのはね、アルファ社、ミドリ十字という名前をつけてアルファ社のものがそれまでに入ってきたんです。で、いかに早く許可をもらうかというためには、いいですか、熱しない前の製剤を使った患者さんに、同じ製剤の熱したものを使って、そして効果がどうであったかということを比較するのが一番の、まあ早道なんです。そのために、いいですか、トラベノールを前に使った人はトラベノールをすぐやったんですが、今度ほかの、いわゆるミドリ十字やら、アルファ社のものを使った、カッターのものを使った人はこういう前のものを、やらな…。今のような方式を使わないときには、これは、もう成分からの分析とかそれからダブルブラインドからやらなきゃならなくなりますんです。それじゃ時間がかかります。それで私は行って、いつごろ待ったらいいのかと言ったら、ひと月くらいならばできるというような返事でしたから、それでは、まあ血友…、トラベノールはトラベノールで先行しましょうと、ね。であとも、その次々にやったんです。ただ、私が一つだけ言いたいことがあります。それはあなたは書いてらっしゃいませんけどね。そのー、私は患者さんにやる以上は、患者さんの納得をしてもらわなきゃいけないんです。はじめの、おー、効く、害がなくなったということと、それから副作用がないということのうえで。こりゃだから効かなくても副作用がないからやってくださいというようなことも言えるかもしれませんね。それがはじめてあって、そして今度はそのー、患者さんの納得を得られて、ですね、治験をやるわけです。それだけれども、私は副作用がないということを、やることを乙山君が許してくれませんでした。丙田君もそれに賛成でした。
 控訴人は、このほか、毎日新聞の記事にあるような「治験を調整した」ということは言っておらず、これは毎日新聞社によるねつ造であり、トラベノールの治験をわざと遅らせたことはなく、一刻も早く許可をもらうために調整をしただけであり、調整というのは遅らせるという意味ではないなどとも述べた。
(4)製剤メーカー各社からの寄付について
 <証拠略>によれば、以下の事実が認められる。
ア 控訴人が設立準備中であった財団法人血友病総合治療普及会に対する寄付として、昭和五八年五月二五日から同年七月一三日までの間に、合計四三〇〇万円(五月二五日にカッターから一〇〇〇万円、五月三一日にトラベノールから一〇〇〇万円、六月一五日に日本臓器から一〇〇〇万円、七月七日に化血研から三〇〇万円、七月一三日にミドリ十字から一〇〇〇万円)が、「財団法人血友病総合治療普及会代表甲野太郎」名義の銀行口座に振り込まれた。
 同財団法人は、この四三〇〇万円を含む一億円を資産として、昭和六一年七月八日に設立され、理事長に控訴人が就任した。
イ 昭和五八年六月末にストックホルムで開催されたWFH会議に出席するため、控訴人を含む参加者一五人分の渡航費用や滞在費等として、同年五月二七日から同年六月一日までの間に、合計一二〇〇万円余り(五月二七日に日本臓器から約二四七万円、五月三一日にミドリ十字から約四一二万円、同日にカッターから約三二八万円、六月一日にトラベノールから約二四七万円)が支払われた。
ウ 控訴人が主宰する家庭療法委員会への出席者の飲食費等に充てるための経費として、昭和五八年一〇月一七日から同年一一月二五日までの間に、合計三五〇万円(一〇月一七日にカッターから五〇万円、一〇月二〇日にアーマーから五〇万円、一〇月二七日にミドリ十字から五〇万円、一〇月二八日に化血研から五〇万円、一〇月三一日に日本臓器から五〇万円、一一月一〇日にへキストから五〇万円、一一月二五日に日本製薬から五〇万円)が支払われた。
エ 昭和五九年一一月に控訴人が主催した第四回国際血友病治療学シンポジウムの運営資金として、同年九月五日から同年一一月一二日までの間に、合計二五五〇万円以上(九月五日に化血研から五〇〇万円、九月六日にカッターから三五〇万円、九月二五日に日本臓器から三五〇万円、九月二九日にミドリ十字から四〇〇万円、一〇月五日に日本製薬から一〇〇万円、一〇月三一日にへキストから四〇五万円、一一月一二日にトラベノールから三五〇万円など)が支払われた。
 控訴人は、このシンポジウム運営資金の余剰金の中から一〇〇〇万円を昭和五九年一二月二七日、「財団法人血友病総合治療普及会代表甲野太郎」名義の銀行口座に入金した。
 なお、国際血友病治療学シンポジウムは、第四回までは控訴人が主催していたが、第五回と第六回は財団法人血友病総合治療普及会が主催した。
オ このほか、昭和五七年から昭和五九年までの三年間に、ミドリ十字、トラベノール、カッター、ヘキスト、日本臓器、化血研及び日本製薬の七社から、合計九一件、約一六二五万円が控訴人に提供された。
(5)本件記載アについて
 本件記載アは、血友病患者に対する非加熱製剤の投与によってエイズを発症させる危険性があることから、これを防止するためには加熱製剤の開発が重要であるにもかかわらず、我が国においては加熱製剤の開発が遅れたこと及びその原因について述べた部分であり、控訴人が、厚生省の治験説明会が行われた昭和五八年一一月以降、加熱製剤の開発が遅れていた我が国の血液製剤市場の最大手であるミドリ十字に合わせて加熱製剤全体の治験開始を遅らせ、その結果、我が国における加熱製剤の認可(承認)が昭和六〇年七月にずれこみ、米国よりも二年四か月遅いという事実を摘示したものである。
 そして、これに続く「こうして」以下の部分は、控訴人が治験開始を遅らせた事実及び本件記載イにおける治験の時期に控訴人が製剤メーカー各社から寄付を募っていた事実を前提として、控訴人がミドリ十字の利益を図った理由は、控訴人の欲にほかならないとする被控訴人の意見ないし論評を表明したものである。
 そこで、以上の認定事実に基づき、本件記載アについて真実性の証明がされたか否かを検討する。
ア エイズがウイルスによるものであるとの本格的な報告がされたのは昭和五八年五月のことであり、そのウイルスがHIVであると判明したのは昭和五九年五月であり、昭和五九年当時ウィルスが加熱により不活化することについては、なお科学的な証明が必要であると考えられていた。したがって、それ以前の昭和五八年当時は、未だエイズの本態について議論が続いており、同年六月未に開催されたWHFにおいては、血友病患者に対する治療方法として非加熱製剤の使用は否定されておらず、当時は血友病患者に対するエイズの感染対策として加熱製剤が期待されていたものの、その有効性等が確定していたという状況ではなかった。米国トラベノールが昭和五八年三月に米国FDAから承認を受けた加熱製剤は、元来B型肝炎ウィルスへの対策として開発されたものであり、昭和五八年三月当時は、米国においても、血友病患者のエイズ感染対策として期待されるという程度にとどまっていた。一方、我が国においては、加熱製剤の導入は主として肝炎対策として考えられていたものであり、昭和五八年三月当時は、加熱製剤の治験はおよそ問題になっていなかった。
 そして、控訴人が昭和五八年八月に加熱製剤の治験の必要性について問題を提起し、同年九月一四日の第一回血液製剤小委員会において、加熱製剤の治験を行うことが決定された。このころ以降、控訴人を始めとする専門医の間においては、第T相試験を行うか否かは別として、治験が必要であるとの共通の認識が形成されたということができる。しかし、その当時エイズに関しては、未だ不明な部分が多かったことから、この治験は、主に肝炎に関する効果、効能等についての試験資料を収集するものとして位置付けられていたものであり、エイズ対策として加熱製剤の効果、効能等の試験資料を収集することは、二次的なものに過ぎなかったということができる。
イ 次に、製剤メーカー各社の加熱製剤の開発状況及び治験が可能であったか否について検討する。
(ア)まず、各社の加熱製剤の開発状況についてみるに、ヘキスト、トラベノール及び化血研は、昭和五八年一一月一〇日時点では、いずれも加熱製剤の開発を終えており、治験を実施することは可能であった。ミドリ十字も、昭和五八年九月二二日から安定性試験、急性毒性試験及び一般薬理試験を実施しており、同年一〇月には加熱処理に関する特許申請を行い、同年一一月一〇日までにサンプルを控訴人に持参していたから、同年一一月時点において加熱製剤の開発を終え、治験を実施することは可能であったということができる。しかし、カッターは、昭和五八年一一月時点において治験を実施することは不可能であった。そうすると、同年一一月一〇日時点では、ヘキスト、トラベノール、化血研及びミドリ十字は、いずれも加熱製剤の開発を終えていたのであるから、ミドリ十字の加熱製剤の開発が遅れていたと評価することはできない。むしろ、開発が最も遅れていたのは、カッターであるといわざるを得ない。なお、ミドリ十字は、第V相試験の際、試験用サンプルを有していなかったことは前記のとおりであるが、この時点において所持していないことをもって、加熱製剤の開発が遅れていたと評価することはできないし、また、ミドリ十字が試験開始後の昭和五九年六月に治験用サンプルを製造していたことは前記のとおりであるが、それまでの製造実績に照らし、この遅れは指示の遅れによる可能性も否定できず、この遅れをもって直ちに開発の遅れと評価することもできない。
 次に、前臨床試験について検討する。前臨床試験とは、「治験を依頼するのに必要な毒性、薬理作用等に関する試験」(薬事法施行規則六七条一号)であり、治験の依頼をしようとする者が従わなければならない基準の一つとして、この前臨床試験を終了していることが規定されている。この前臨床試験は、当該治験薬等の物理的、化学的性質、品質、性状等に関する理化学試験等、毒性、薬理作用、吸収、排泄等に関する動物試験等のいわゆる前臨床許験等を指すが、当該試験の具体的な項目、内容等にっいては、当該治験の内容〔治験のフェーズ、投与経路(使用方法)、投与期間(使用期間)、被験者の選択等〕及び類縁物質の性質等を考慮の上、治験の依頼時点における科学的水準に照らし適正なものであることとされており(昭和五五年一〇月九日付け厚生省薬務局長通知)、その内容等は、製剤メーカー各社が独自に定めるものである。
 そこで、各社の前臨床試験について検討するに、<証拠略>によれば、以下の事実が認められる。
@ ミドリ十字
 物理的科学的性質等については、それぞれ製剤、安定化剤につき昭和五八年九月から昭和六〇年四月まで、規格及び試験方法については、製剤につき昭和五八年九月から昭和五九年二月まで、安定化剤につき昭和五八年一○月から昭和六〇年四月まで実施された。
 安全性については、長期保存試験として、製剤につき昭和五八年九月から昭和六〇年四月まで、安定化剤につき昭和五八年一〇月から昭和六〇年二月まで、苛酷試験として、製剤につき昭和五九年一〇月から昭和六〇年四月まで、安定化剤につき昭和五九年一一月から昭和六〇年四月まで実施された。
 急性毒性試験については、製剤につき昭和五八年九月から同年一一月まで、安定化剤につき昭和五九年九月から昭和六〇年四月まで、亜急性毒性試験については、安定化剤につき昭和五九年八月から*同年五月まで実施された。
 一般薬理に関する試験については、昭和五八年九月から同年一〇月まで実施された。
A トラベノール
 我が国においては、物理的化学的性質に関する試験は昭和五八年二月から昭和六〇年三月まで、規格及び試験方法に関する試験は昭和五八年二月から昭和五九年一二月まで、安定性に関する試験は昭和五八年四月から昭和六〇年四月まで(その後も継続されている。)実施された。トラベノールは、米国において、急性毒性試験は昭和五六年五月から一〇月まで、亜急性毒性試験は昭和五七年二月から昭和五八年二月まで、抗原性試験は昭和五六年九月から昭和五七年一月まで実施した。
 なお、米国では、亜急性毒性試験と臨床試験が同時期に始まった。
B カッター
 米国において、物理化学的性質に関する試験は昭和五八年八月から同年一二月まで、規格及び試験方法は同年一二月から昭和五九年三月まで、急性毒性試験は昭和五八年八月から同年一○月まで実施された。
C 化血研
 不活化効果は昭和五六年四月ころから昭和五七年五月ころまで、物理化学的性質に関する試験は昭和五七年一月から昭和五九年四月まで、長期保存試験及び苛酷試験は昭和五七年二月ころから昭和五九年一二月まで、急性毒性試験は昭和五八年一○月及び昭和五九年六月から同年一○月までそれぞれ実施された。
 これらの事実によれば、亜急性毒性試験については、トラベノールは、米国において臨床試験と同時に実施しており、カッター及び化血研は、実施していないこと、急性毒性試験については、トラベノールは五か月かけているが、化血研及びミドリ十字は二か月、カッターは一か月で終了していること、抗原性試験については、トラベノールは実施したが、ミドリ十字、化血研及びカッターは実施していないことが認められる。前臨床試験においては、治験の依頼に必要な毒性、薬理作用等に関して具体的にどのような試験をどの程度の期間をかけて実施するかについては、各社の判断に委ねられているものと解され、トラベノールが実施した試験を他社が実施していないことをもって前臨床試験が完了していないと評価することはできない。また、ウィルス不活化試験についても、昭和五八年九月までの一連の基礎研究において、既に実施されていたということができるのであって、これら前臨床試験の結果をもって、ミドリ十字の開発が遅れていたと評価することはできない。
 以上によれば、昭和五八年二月時点において、ミドリ十字の開発が遅れていたという事実については、真実性の証明があったとは認められない。
(イ)第U相試験が昭和五九年五月ころから実施されたことは、前記のとおりであるが、この点につき、被控訴人は、控訴人が治験を遅らせたという事実を摘示しているので、これについて検討する。
 製剤メーカー各社の開発状況に照らし、各社が厚生省説明会が開催された昭和五八年一一日一〇日時点で治験を実施することが可能であったか否かについてみると、前記のとおり、カッターは不可能であり、へキスト、トラベノール及び化血研は可能であったということができる。また、ミドリ十字は、同年一一月一〇日までにサンプルを持参していたことからすると、遅くともそのころまでには治験の実施は可能であったということができる。
 ところで、控訴人が、第T相試験の実施の必要性を主張し、ヘキスト、トラベノール、化血研及びミドリ十字に対して、その実施を要求し(一時期ミドリ十字には不要と伝えたことがある。)、それに応じてヘキスト及び化血研は第T相試験を実施したが、トラベノールは控訴人に依頼したものの、結局これを実施せず、また、ミドリ十字及びカッターはこれを実施しなかったことは、前記のとおりである。この第T相試験の必要性については、専門家の間において意見が分かれており、コンセンサスを得るに至らなかったものであるから、控訴人がその必要性を主張して、各社にその実施を求めたことをもって直ちに不合理であるということはできないし、それが治験を遅らせた原因であるとして批判するのは正当ではない。
 控訴人は、昭和五八年一二月に開催された製剤メーカー各社に対する治験説明会において、多施設を利用した上で「同時に承認申請する旨の方針を説明して、昭和五九年三月に第U相試験に着手するという治験計画案を示したが、第T相試験を行うことが前記のとおり不合理であるとは断定できず、また、治験を実施するために必要な準備期間を考慮すると、第T相試験を実施することを前提として、第U相試験の開始時期を昭和五九年三月に設定することは何ら不合理ということもできない。また、トラベノールは、第U相試験のためのサンプルを昭和五九年二月に入手することを予定していたのであるから、この治験計画案がトラベノールの承認申請を遅らせることを意図していたということもできない。さらに、前記のとおり、ここで実施が計画されていた治験は、試験一では単回投与による「薬物生体内動態及び急性副作用の観察」を、試験二では「長期多回投与による有効性、安全性と有用性をみる」ことを、それぞれ目的としており、その内容は、八社の加熱製剤につき、多施設において共同研究を行うものであって、その際には各施設にコントローラーを置いて、加熱製剤及び患者をランダマイズして実施しようとするものであり、各試験では、被験者の条件、加熱製剤の投与量、被験者数、観察項目及び期間がそれぞれ定められていたのであり、この治験は、各社の製造に係る加熱製剤の臨床試験の試験成績に関する適正な資料の収集を目的として、その効能・効果、用法・用量等に関し、多数の実施施設で、限られた血友病患者を対象として、一定期間内に相当数の症例を効率的に収集しようとしたものであり、承認申請をできる限り早期に行うという要請に沿ったものであったと評価することができると考えられる。したがって、この治験の実施をもって不合理であるということはできない。さらに、各社による統一申請は、厚生省における審査の迅速化、効率化に資するものであって、早期に承認を得るために統一申請をすることをもって不合理であるということもできない。そうであれば、控訴人が前記治験計画案に基づいて治験を実施しようと考えたことを捉えて、控訴人が治験を遅らせたと評価することはできない。
 そして、控訴人が、昭和五九年一月に治験統括医を辞退したこと及びその顛末は前記のとおりであり、この辞退とその後の復帰という一連の影響によって、治験(第U相試験)の開始が当初予定していた昭和五九年三月から同年五月になったと評価することができるが、辞退するに至った主たる原因は、控訴人が全く予期しなかった厚生省からの非公式な忠告であって、控訴人が当初から予定し又は予測し得たような事情ではなかった上、控訴人としては、根拠のない噂から身の潔白を晴らしたいという考えの下に辞退を決意したものと推測し得るから、これによって控訴人が治験を遅らせたものと評したり、更にその責任が控訴人に帰せられるとすることはできない(なお、控訴人は、治験統括医に復帰した後は、第T相試験及び統一申請に固執しておらず、厚生省の前記忠告に従ったものということができる。)。そして、控訴人は、昭和五九年三月の治験統括医復帰後、治験計画案に則って前記のとおり多数の施設間の調整、各社への症例の割り振り等を始め、各社研究会の開催及び資料の作成等の事務全般を遂行したものであるから、治験開始が同年四月ないし同年五月になったことを根拠として、控訴人が治験を遅らせたと評価することはできない。
 控訴人は、ミドリ十字に対してサンプルの提供を要請したにもかかわらず、ミドリ十字がこれを提出しなかったことから、その当時ミドリ十字の開発が遅れていたと認識していたとしても、昭和五八年一一月一〇日までにサンプルを入手していることからすると、遅くとも同時点以降は、ミドリ十字の開発が遅れているとの認識は有していなかったものと認められる。
 ところで、控訴人は、高原、毎日新聞社及び被控訴人との各インタビューにおいて、前記のとおり述べたことが認められる。
 高原とのインタビューにおいては、「これまで出していた全社の態勢ができるまで待たせた。」と述べているのは、何についてどのように待たせたというのか、その発言自体からは判然とせず、その趣旨が治験の実施又は承認申請を待たせたというものであるとしても、それが如何なる理由及び経緯等によるものなのか、控訴人がそれについてどのように関わり、責任を負うべき立場にあるのかなどが全く不明であるといわざるを得ない。
 また、毎日新聞社とのインタビューについては、全体的に質問と答弁が散漫であって明確性に欠けており、正確に受け答えが行われていない。控訴人は、治験は自分が実施した、加熱製剤の投与によって害がないことを証明する必要があった、第T相試験は省略した、金を集めるためにやっているのではないので、治験統括医を辞退した、ミドリ十字が遅れていた、調整する意味があった、各社が同じような立場で競争してもらいたいなどと述べているが、遅れていたというのは何時の時点のことなのか、この記載自体からは不明確であり(ミドリ十字の開発が昭和五八年三月の段階でトラベノールより遅れていたこと、控訴人が、遅くとも昭和五八年一一月一〇日までの間、ミドリ十字の開発が遅れていたと認識していた可能性があることは、前記のとおりである。)、また、「調整」が具体的に何をどのように調整したのか、その趣旨、目的は何か、それによって治験ないし承認申請に如何なる影響が生じたか、調整について控訴人がどのような責任を負うのかなどについては、この記載自体からは明らかではない。
 さらに、被控訴人とのインタビューにおいて、控訴人は、「私が、ちょっと、お、遅らしたというような事情、があるんですよ、治験を。」と述べ、それに続いて、治験に効果があること、副作用がないこと、前よりも条件がいいことを証明しなければならない、控訴人が治験を遅らせたというのは間違いである、毎日新聞社の記事にあるような「治験を調整した」とは言っていない、トラベノールの治験をわざと遅らせたことはなく、一刻も早く許可をもらうために調整しただけで、調整というのは遅らせるという意味ではないなどと述べている。ここで控訴人が述べているのは、第T相試験実施の必要性を主張したことをいう趣旨なのか、あるいは、治験期間及び症例数等を問題とした趣旨なのかなどが明らかではなく、これをもって控訴人がミドリ十字のために治験の実施を遅らせたという趣旨のことを述べたものと評価することは到底できない。
 そうすると、控訴人のこれらの発言をもって、ミドリ十字の加熱製剤の開発が遅れていたこと、控訴人が治験の実施を遅らせたことを認めることはできない。したがって、控訴人が治験の実施を遅らせたことについて真実性の証明があったということはできない。
(ウ)以上によれば、本件記事ア記載の事実のうち、昭和五八年二月当時ミドリ十字の開発が遅れていた事実、ミドリ十字に合わせるために控訴人が全体の治験の実施を遅らせた事実については、真実であることの証明がされたということはできない。
(6)本件記載イについて
 本件記載イは、加熱製剤の治験の時期に、控訴人が理事長を務める財団法人の設立資金とするために、控訴人が製剤メーカー各社から寄付を募っていたという事実を摘示したものである。
 ここでいう「治験の時期」とは、一般の読者を基準とすれば、その文脈及び時期の限定が付されていないことから考えて、加熱製剤の治験に関係する時期という趣旨に理解することができるのであって、実際に治験が実施された時期に限定されるものではないと認められるから、我が国において加熱製剤の治験が具体的に検討されるようになった時期をも含む意味に理解すべきである。そして、この治験が具体的に検討されるようになったのは、前記のとおり、昭和五八年九月一四日以降ということになる(なお、控訴人が同年八月には、治験の必要性を感じていたことからすれば、前記治験の時期は、早くとも同月ということになる。)。そうすると、前記のとおり、被控訴人が指摘する設立準備中の財団法人血友病総合治療普及会への寄付は、昭和五八年五月から同年七月三一日までの間のことであるから、本件記載イは真実とは認められない(しかも、トラベノールは、この時点においても治験を実施する意思はなかったものである。)。なお、控訴人が開催した第四回国際血友病治療学シンポジウムの運営資金として、昭和五九年九月五日から同年一一月一二日までの間に、化血研、カッター、日本臓器、ミドリ十字、日本製薬、ヘキスト及びトラベノール等から合計二五五〇万円以上の寄付があり、その余剰金から一〇〇〇万円が財団法人名義の銀行口座に入金されているが、これは、それらの運営資金としての寄付の余剰金であって、各社の寄付の趣旨が明らかであることに照らし、この入金をもって財団法人の設立資金としての寄付であるということは困難である。
 そうすると、本件記載イについても、真実であることの証明がされたということはできない。そして、控訴人が治験の開始を遅らせた事実及び治験の時期に寄付を募っていた事実を前提として、控訴人がミドリ十字の利益を図った理由は、控訴人の欲にほかならないとする被控訴人の意見ないし論評の表明については、その重要な部分について真実であることの証明がないことに帰する。
(7)本件記載ウについて
 本件記載ウは、控訴人が加熱製剤の治験の時期に、控訴人が製剤メーカー各社から財団法人設立資金の寄付を募っていた事実と、控訴人が治験統括医という絶対的優位な立場にあるという事実を摘示しつつ、それを前提にして、控訴人がその絶対的優位な立場を利用して寄付を強要したのであれば大問題であるという意見ないし論評を表明したものである。
 加熱製剤の治験の時期に控訴人が製剤メーカー各社から財団法人設立資金の寄付を募っていたという事実については、真実であることの証明がないことは前記のとおりであり、そうであれば、前記意見ないし論評の表明は、真実であることの証明がない事実に基づくものといわざるを得ない。
 また、「別の人物は、財団設立の資金だけでなく、学会での甲野氏の地位と体裁を保つための資金も大きな額になると推測する。」との部分については、「別の人物」が推測している事実を摘示したものであるが、この「別の人物」が誰を指すめか明らかにされていない以上、前記記載が真実であることの証明があるとはいえない。
(8)本件記載エについて
 本件記載エは、控訴人が製剤メーカー各社から寄付を受けていたので、加熱製剤の承認に向けて取り残される製剤メーカーが出ないように、治験の開始を遅らせたという事実を摘示するとともに、この摘示された事実を前提にして、控訴人が金のために医師の心を売り渡したものであり、医師としては到底許されない行為に及んだとする意見ないし論評を表明したものである。
 控訴人が製剤メーカー名社から寄付等を受けていたことは前記認定のとおりであるが、控訴人が加熱製剤の全体の治験の実施を遅らせたという事実、及び治験の時期に製剤メーカー各社から財団法人設立の資金提供(寄付)を受けていたという事実について真実であることの証明がないことは前記のとおりである。
 また、本件記載エには、「資金提供を受けていたから、どの社も落ちこぼれないように治験を遅らせた甲野氏は」と記載されているところ、この記載は、その前の記載にある、控訴人の「二年に一回、大きな国際学会を開催するわけですから大変ですよ。」という発言や、その後の控訴人の「(一九八一年の血友病治療の)国際シンポジウムね、……第一回は全部トラベ(ノール)が出したのです。で(ミドリ十字の)故戊野一男先生に『あなたは日本人ですか』と怒られた。そして次回からミドリが半分、残りを他の製薬会社がイーブンで分担ということになって……。とにかく僕はね、これだけ欲しいんですとね。そういうこともあって一つの会社が遅れてしまうとか、一つの会社が潰れるとかじゃなくて、皆同じ立場で競争してもらいたいんだ」という発言の後に記載されていることからすると、一般の読者を基準とすれば、ここにいう「どの社」とはミドリ十字を念頭に置いて記載されていることは明らかであるところ、ミドリ十字の開発が遅れていなかったことは前記のとおりであるし、同社を含めた各社が落ちこぼれないように治験を遅らせたという記載もまた、真実であるということはできない。
 したがって、前記意見ないし論評の表明については、真実であることの証明がない事実に基づくものというべきである。
三 真実と信ずるについての相当性
(1)相当性の抗弁
 前記のとおり、事実を摘示しての名誉毀損にあっては、仮に摘示された事実が真実であることの証明がなくても、行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、敬意又は過失は否定される。また、ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては、意見ないし論評の前提としている事実が真実であることの証明がなくても、行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、故意又は過失は否定される。
 そこで、被控訴人において、本件記載により摘示された事実を真実と信ずるについて相当の理由があるかどうかについて検討する。
(2)被控訴人の取材経過
 <証拠略>によれば、前記の控訴人に対するインタビューのほか、以下の事実が認められる。
ア 被控訴人は、フリーのジャーナリストである乙川九郎から薬害エイズの話を聞いていたが、平成四年三月下旬に乙川の著作「エイズからの告発」が出版されたので、早速これを読んだ。
 この著作には、安全な加熱製剤が米国では昭和五八年の時点で販売されており、他方、我が国で最大のシェアを誇っていたミドリ十字は、当時加熱製剤の開発が一番遅れていたこと、ミドリ十字としては、加熱製剤の導入が早まればシェアを失う危機にあったこと、日本において加熱製剤の治験の責任者の地位にあり、ミドリ十字と太いパイプを持つ控訴人が治験を意図的に遅らせ、ミドリ十字の加熱製剤の開発が間に合うように「調整」操作をしたこと、控訴人が昭和五九年夏から昭和六〇年春にかけて、帝京大学でのエイズ患者の存在を隠し続けていたこと、その期間は控訴人が加熱製剤の治験を行い、ミドリ十字のために治験の期間を「調整」していた時期と重なり、さらに、財団法人血友病総合治療普及会の設立のための寄付を要求した時期とも重なっていたこと、血友病総合治療普及会は、実体のない法人であり、控訴人がミドリ十字以外にも、トラベノール、カッターから一〇〇〇万円ずつ、化血研から三〇〇万円、財団法人のための寄付を受けていること等が記載されていた。
イ 被控訴人は、いわゆる東京HIV訴訟を、平成四年五月一四日の第一五回口頭弁論から傍聴するようになり、原告弁護団から訴状、答弁書、準備書面等の主張書面に加えて、書証や証人尋問調書もほとんど入手して、これらを検討した。
 被控訴人は、トラベノールの平成二年一〇月二九日付け準備書面を読んだが、そこには、トラベノールが昭和五八年三月二一日に米国でFDAから加熱製剤の承認を受けたこと、我が国では、同年一〇月二八日に「臨床治験施行のための代表世話人」である血友病専門家から第T相試験の治験計画案が示されたことが記載されていた。また、ミドリ十字の平成二年一〇月二九日付け準備書面を読んだが、そこには、ミドリ十字は、トラベノールが加熱方法として乾燥加熱処理法を採用したことを一種の驚きとして受け止め、それを契機にミドリ十字も乾燥加熱の研究に入ったこと、ミドリ十字は、昭和五九年一月になって品質試験、一般薬理試験、急性毒性試験等の前臨床試験を終えたことが記載されていた。
ウ 被控訴人は、東京HIV訴訟の原告弁護団を通じて、控訴人が昭和五八年一二月に製剤メーカー各社を集めて治験説明会を開催したこと、控訴人が昭和五九年一月に突然、治験統括医を辞任したことを知った。
エ 被控訴人は、昭和六三年二月二三日の衆議院予算委員会の会議録を読んだが、そこには、厚生省薬務局長の答弁として、控訴人がトラベノール、カッター、ヘキス卜、化血研及びミドリ十字の五社の加熱製剤の治験について「代表世話人」となったこと、これら五社の加熱製剤の製造承認がいずれも昭和六〇年七月一日であったこと、加熱製剤の治験開始の時期は、トラベノールが昭和五九年二月、カッターが同年三月、ヘキストが同年三月、化血研が同年五月であり、ミドリ十字が同年六月で最も遅かったことが記載されていた。
オ 被控訴人は、平成四年一二月二五日、乙川とともに、厚生省薬務局製剤課の乙山課長に対してインタビューを行った。
 乙山課長からは、トラベノールが加熱製剤の輸入承認を求めて厚生省に説明に来たこと、エイズ研究班を発足させた当時から、厚生省が加熱製剤の導入に重大な関心を寄せていたこと、当時、乙山課長としても、加熱製剤の治験の開始が遅れていたことに関心を持っていたこと、控訴人に関して治験に絡めて金銭を集めているとの噂が聞こえてきたこと、このことを人を通じて控訴人に伝えたことを聴取した。
カ 被控訴人は、平成五年三月一五日、東京HIV訴訟の第二二回口頭弁論を傍聴し、乙山課長の証人尋問を聴いた。
 乙山課長の証言は、昭和五八年一一月に開催された厚生省説明会では、第T相試験の省略と治験例数が重要な内容であり、厚生省側は、第T相試験については、必要ないものは必要ないと明確に答えを出せば、加熱製剤の治験がしやすくなると考えていたこと、また、加熱製剤は全くの新薬ではなく生物製剤基準の一部の変更になるので、剤型追加の基準を準用して治験例数を明確にしたこと等を内容とするものであった。
キ 被控訴人は、平成五年七月二二日、血液製剤小委員会の委員であった丙田五郎医師に対してインタビューを行った。丙田五郎医師は、血液製剤小委員会の報告書は、非加熱製剤を高く評価する控訴人の意向を反映させたものと推測していること、控訴人は、目的のためには他のものが見えなくなり、しゃにむになりがちな性格であること等を語った。
 丙田五郎医師に対しては、平成六年一月二七日と同年二月四日にもインタビューを行い、昭和五八年暮れに乙山課長から、加熱製剤の治験と金銭の関係を控訴人に進言するように依頼された経緯について取材した。
 この取材により、乙山課長が加熱製剤について「剤型変更」という方法により治験を行わないで承認することを検討していたこと、そのことを控訴人に訴えるよう乙山課長が依頼したので、これを受けた丙田五郎医師らが控訴人を訪ねて、「剤型変更」を承諾するよう頼んだこと、その際、治験を依頼している製剤メーカーに控訴人が財団への寄付を要求しているとの噂についても、乙山課長から頼まれていたので、丙田五郎医師が「噂が真実だとすれば、自重したほうがよい。」と控訴人に伝えたこと、これに対して控訴人は、「もう終わった。」と答え、寄付の要求はしていないとは述べなかったことを、被控訴人は把握した。
ク 被控訴人は、平成五年八月、日本製薬の元専務である丁野六郎(丁野元専務)に対してインタビューを行った。
 丁野元専務は、控訴人は、ミドリ十字と仲がよかったこと、加熱製剤の治験に絡んで、控訴人がミドリ十字の立場に配慮していたこと、治験では、第T相試験を行うことに控訴人が固執していたこと、控訴人が長い期間の治験に固執したのは、ミドリ十字が他社に比べて加熱製剤の開発が遅れていたためだと考えられること、控訴人が自己の主宰する財団法人設立のために寄付金を集めたり、クリオ製剤の適用拡大に反対したことに関して、乙山課長も控訴人に対し批判的であったこと等を語った。
 また、被控訴人は、化血研の担当者から、加熱製剤の開発に関してミドリ十字に合わせるために供給が遅くなった、控訴人が全体の体制ができるまで待たせたという話を聞いた。
ケ 被控訴人は、平成五年九月四日以降、数回にわたって、帝京大学の内部事情に詳しい関係者から取材をした。
 この人物は、控訴人が自室の机の前の棚に一〇センチメートルほどの預金通帳の束を無造作に置いているのを見たこと、三菱銀行板橋支店に控訴人の口座があること、製剤メーカーの人が控訴人のもとによく来ていたこと、控訴人の意向ですべてが決まること、控訴人は、金にうるさい人物であることを語った。
コ 被控訴人は、全国ヘモフィリア友の会の会報「全友第二〇号」を読んだが、そこには、控訴人が昭和五八年八月一四日に友の会の全国大会で講演を行い、血友病のための財団法人について「私は今、お金を集めている。現在八〇〇〇万円ほど集まっているが、皆様友の会としてもお力添えいただければありがたい。」と述べた旨が記載されていた。
サ 被控訴人は、東京HIV訴訟の原告の一人である高原が前記のとおり、昭和五八年七月から昭和六〇年八月にかけて、トラベノール、化血研と控訴人を訪問して聞いた話を、本件雑誌記事を執筆する以前に、高原から聞いた。
シ 被控訴人は、本件雑誌記事を執筆する以前に、昭和六三年二月五日付けの毎日新聞朝刊の記事を読んだ。
 この記事は、見出しを「血友病治療の加熱血液製剤 学会権威「治験」遅らす」とするもので、リード文には「約千人と確認されている国内のエイズ…患者・ウイルス患者の九割以上は、エイズウイルスに汚染された血液で作った血液製剤で血友病の治療を受けていた人たちで、汚染消毒の加熱処理を施した血液製剤の開発が、わが国で大幅に遅れたため被害が拡大した。開発が遅れた一因は、製薬五社の臨床試験(治験)を一手に引き受けた血友病の権威、甲野太郎・帝京大副学長(七一)が、研究の遅れているメーカーのため、先行メーカーの治験期間を延ばすなどの操作をした「調整」であったことが四日、甲野副学長本人や関係者の証言でわかった」との記載がある。
 そして、この記事の本文には、控訴人の語った言葉として「ミドリ(十字)は各社に比べはるかに遅れていた。どの製薬会社の薬も患者がみな安心して使える、ということでやらないと、あとで必ず、いざこざが起こる。だから、一社だけ遅れないよう調整した」との記載がある。
 被控訴人は、この記事の基になった控訴人に対するインタビューの録音テープを反訳した書面を、東京HIV訴訟の原告弁護団から入手し、本件雑誌記事を執筆する以前に読んだ。
ス 被控訴人は、トラベノール、ミドリ十字ら製剤メーカー五社に対して取材の申込みをしたが、裁判が進行中であるという理由で全社から取材を断られた。
 被控訴人は、エイズ研究班の班員であった甲田夏夫医師や、血液製剤小委員会の委員長であった甲川三郎医師、委員であった戊山七郎医師(神奈川県立こどーも医療センター)に対しても取材を申し込んだが、いずれも取材を断られた。また、エイズ研究班の班員であった丁原梅夫医師に取材をしたことはあったが、控訴人との意見の対立については「あまり言うと甲野さんの批判になるので、話したくありません。敗軍の将、兵を語らずです。」と述べ、話を聴取することはできなかった。
(3)相当性についての判断
 前記(2)アは、ジャーナリストの著作であるが、同著作に記載された事実が真実であることについて、高い信頼性が確立していたことを認めるに足りる証拠はないから、同著作に前記のような記載があることをもって、その記載された事実を真実と信ずるについて相当の理由があるとはいえない。
(2)イは、東京HIV訴訟の原告弁護団から得た準備書面、書証、証人尋問調書であるが、準備書面は、係争中の一方当事者が自己の事実上及び法律上の主張等を記載したものであり、その記載事実が常に真実であることについて客観的な保障ないし高い信頼性があるとはいえず、また、書証や証人尋問調書についても、被控訴人が当時入手した書証等が具体的にどの書証であるかは明らかでない上、その内容の信憑性は各証拠毎に審査しない限り判断し得ないものである。そして、本件で提出された丙田五郎、甲川三郎、甲山八郎らの各証人尋問調書によっても、控訴人がミドリ十字に合わせるため治験の開始を遅らせた事実、及び治験の時期に、控訴人が製剤メーカー各社から寄付を募っていた事実が真実であると認めることはできない。したがって、前記準備書面及び尋問調書等の記載をもって、それが真実であると信ずるについて相当の理由があるとはいえない。
(2)ウについては、東京HIV訴訟の原告弁護団から提供された情報であって、その内容が伝聞である以上、それだけでは真実と信ずるについて相当の理由があるということはできない。また、その情報が、治験説明会の開催や控訴人の辞任にとどまるものであれば、その情報が、ミドリ十字の加熱製剤の開発の遅れ及び控訴人が治験を遅らせたという事実に直ちに結び付くものではない。
(2)エについては、その情報は、ミドリ十字の加熱製剤の治験開始時期が他社に比較して最も遅かったというものであり、この記載からは、ミドリ十字の治験開始が遅れていたことを真実と信ずるについて相当の理由があるということができる。しかし、そのことから、ミドリ十字の加熱製剤の開発が遅れていたと信ずるについて相当の理由があるとまではいえない。
(2)オは、乙山課長に対するインタビューであるが、その内容は、同人が加熱製剤の治験の開始が遅れたと認識していたこと、控訴人が治験に絡めて金銭を集めているとの噂を聞き、控訴人にこれを伝えたことであり、このことから、控訴人が治験を遅らせたこと、治験に絡めて金銭を集めていたことを真実と信ずるについて相当の理由があるということはできない。
(2)カは、乙山課長の証言であり、この証言により、同課長は、第T相試験は必要ないと述べることによって治験がしやすくなると認識していたこと、加熱製剤については生物製剤基準の一部の変更になるので、剤型追加基準を準用して治験例数を明確にしたことを認識することができる。そして、控訴人が第T相試験の実施が必要であると考え、治験例数を多くする計画案を提示していたことから、控訴人が厚生省とは異なる考え方を有していたことは認識することができるとしても、このことから、控訴人が治験の開始を遅らせたと評価することはできないから、前記証言をもって控訴人が治験を遅らせたと信ずるについて相当の理由があるとはいえない。
(2)キについては、被控訴人は、丙田医師から、同人が控訴人に対し、控訴人が治験を依頼している製剤メーカーに寄付を要求しているとの噂があるので「自重したほうがよい。」と伝えたところ、控訴人が「もう終わった。」と答えたが、控訴人は寄付の要求をしていないとは述べなかったとの情報を得たものであるが、同情報によっても、控訴人が治験に際し寄付を要求していることが真実であると信ずるについて相当の理由があるとはいえない。
(2)クについては、被控訴人が日本製薬の丁野元専務とのインタビューによって得た情報は、加熱製剤の治験に絡んで控訴人がミドリ十字の立場に配慮していたこと、控訴人が長い期間の治験に固執したのは、ミドリ十字が他社に比べて加熱製剤の開発が遅れていたためであると受け止められるものであるが、同社はミドリ十字と競業関係にある製剤メーカーであり、このインタビューのみから、その情報が真実であると信ずるについて相当の理由があるとはいえない。また、化血研の担当者からの情報についても、当該担当者が誰でどのような立場にあるものかも不明である上、同社は、ミドリ十字と競業関係にあるメーカーであることからすると、このような取材から、その情報が真実であると信ずるについて相当の理由があるとはいえない。
(2)ケについては、帝京大学の内部に詳しい関係者の供述内容が、何故に高い信頼性を有するのか明らかではない以上、その供述内容が真実であると信ずるについて相当の理由があるということはできない。
(2)コについては、被控訴人は、控訴人が寄付を集めているとの情報を得たのであるが、控訴人が治験に絡めて寄付を集めていることまでは明らかになっていないから、これが真実であると信ずるについて相当の理由があるとはいえない。
(2)サは、高原からの伝聞であり、その内容に高い信頼性があるとはいえないから、その情報が真実であると信ずるについて相当の理由があるとはいえない。
(2)シのうち、毎日新聞の記事については、その内容に照らして、それに高い信頼性があると認めるに足りる客観的な裏付けがない限り、その記事を真実であると信ずるについて相当の理由があるとはいえない。また、毎日新聞記者の控訴人に対するインタビューの反訳書面については、前記のとおりその内容に不明確な部分が多く、これによってミドリ十字の開発が遅れており、控訴人がこれを調整するため治験を遅らせたと信ずるについて相当の理由があるとはいえない。
(2)スについては、被控訴人が控訴人に対しインタビューを行った際、控訴人自身が「私が、ちょっと、お、遅らしたというような事情、があるんですよ、治験を」と述べているが、これによって控訴人がミドリ十字のために治験を遅らせたと評価することができないことは前記のとおりであり、そのように信ずるについて相当の理由があるとまではいえない。
 そのほか、被控訴人は、ワシントンポスト紙が掲載した乙山課長のインタビューの記事等の新聞記事、乙川九郎の著作による「日本のエイズ」、「ミドリ十字三〇年誌」、丙原十郎の著作による「白い血液」、控訴人の著作による「エイズとは何か」「『流れる血液』と取り組んで五〇年」、また、家庭療法委員会や血友病患者によって構成されている会の出版物、血友病患者・感染被害者やその家族からの聞き取り取材、これらの人達による集会における取材、血液製剤問題小委員会の委員長である甲川三郎医師に対する電話インタビュー、エイズ研究班のメンバーである丁原に対するインタビュー等によって、本件記載を含めた本件雑誌記事及び本件単行本を執筆した旨述べているが、これらの取材等のうち証拠として提出されているものを検討しても、いずれも控訴人がミドリ十字のために治験を遅らせたこと及び治験の時期に製剤メーカー各社から寄付を募っていたことを真実であると信ずるについて相当の理由があるということはできず、その余の取材等についても、これらの点について立証がされたということはできない。
 以上のとおり、本件記載は、その全体を一般の読者の注意と読み方とを基準とすれば、加熱製剤の早期承認が血友病患者にとって利益であるのに、控訴人がこれを犠牲にして、ミドリ十字のために治験の開始を遅らせた結果、加熱製剤の承認が昭和六〇年七月にずれこんだこと、控訴人が治験の時期に、各社から寄付を募っていたこと、控訴人が治験統括医の優位な立場を利用して寄付を強要したのなら大問題であること、控訴人が寄付を受けていたので、製剤メーカーが取り残されないよう治験の開始を遅らせたこと等の事実を摘示するとともに、併せて自らの意見ないし論評を表明したものであるところ、前記取材等の内容を総合しても、被控訴人がミドリ十字の治験開始が一時期遅れていたと信ずるについては相当の理由があると認められるものの、それ以上に控訴人がミドリ十字のために治験の開始を遅らせたこと、治験の時期に各社から寄付を募っていたことについては、これを真実であると信ずるについて相当の理由があるということはできない。
 この点に関して、確かに、被控訴人は、製剤メーカーやエイズ研究班の班員であった医師等に対して取材の申込みをしたにもかかわらず、これを拒否されて取材が実現しなかったことが認められるが、一般論として、十分な取材ができないために、事実関係の究明ができず、取材内容の真実性について幾ばくでも合理的な疑問が残るのであれば、それを前提とする記述にとどめるべきであるから、もとより取材の拒否が相当性判断を緩和させるなどの理由になるものではない。また、エイズ薬害問題は、多数の血友病患者が有効な薬剤であると信じて投与を受けた非加熱製剤にたまたま混入していたHIVに感染したために、持続性全身性のリンパ節腫脹等の臨床症状が出現し、更に細胞性免疫が障害されて悲惨な病状に陥るという人道的にも社会的にも極めて重大な問題であり、被控訴人が、このエイズ薬害問題を取り上げて、諸外国に比べて我が国における血友病患者のHIVの悲劇が際だっており、適時に賢明な対処をしてさえいれば、この悲劇は防ぐことができたのに、現実は全く逆のコースを辿ってしまったとし、取材した多くの血友病患者らの心の叫びや人々の想いを伝えたいと考えて、本件雑誌記事及び本件単行本を公表したものであり、そのことはジャーナリストとして高い評価を受ける価値を有しており、また、この間題を広く一般の読者に問うものとして社会的にも重要な意義があるものと評価することができる。しかし、本件記載が真実であること及び真実であると信ずるについて相当の理由があるとは認められない以上、被控訴人が名誉毀損に基づく不法行為責任を問われることはやむを得ないことといわざるを得ない。
四 損害
 本件記載は、控訴人が自己の金銭欲から医師の心を売り渡し、患者の利益を犠牲にして、ミドリ十字のために治験の開始を遅らせ、その結果、本来なら感染しなくてもすんだ多くの血友病患者にエイズを感染させたことを骨子とするものであり、控訴人が長年にわたって血友病等の血液学を専門的に研究し、臨床医としても多くの患者の診療に携わってきた実績を有する医師であることを考慮すると、本件記載は、控訴人の人格的価値についての社会的評価を著しく低下させるものである。また、被控訴人は、著名なフリーのジャーナリストで、本件記載が社会的な関心事に関わる問題であり、本件単行本が大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したことを考慮すると、本件記載は広範囲の者に読まれたものと推認される。その他本件に顕れた一切の事情を総合考慮すると、控訴人が被った精神的損害を慰謝するには四〇〇万円が相当である。なお、謝罪広告は、その必要性が特に高い場合に限って命ずるのが相当であると考えられるところ、本件雑誌記事は平成六年四月号に掲載されたものであり、また、本件単行本は同年八月七日初版本が発行されたものであって、今日までにかなりの年月が経過していること、その購読範囲は全国紙による購読と比較して狭いと考えられること、本件において損害賠償請求が一部認容されることにより、控訴人の被った損害が相当程度回復されること等を考慮すると、本件においては謝罪広告を命ずるのは相当でないというべきである。
第四 結論
 以上のとおりであるから、控訴人の本件請求は、四〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である平成六年八月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので認容し、その余は理由がないので棄却すべきである。
 よって、前記と一部結論を異にする原判決を変更することとして、主文のとおり判決する。

東京高等裁判所民事第11部
 裁判長裁判官 大藤敏
 裁判官 高野芳久
 裁判官 遠山廣直


別紙 被控訴人訴訟代理人目録
河上和雄 的場徹 鈴木利廣 清水勉 伊藤俊克 佃俊彦 中西一裕 亀井正照 内藤雅義 中山福二 鮎京眞知子 大井暁 海老原信彦 藤倉眞 小松雅彦 仁科豊 清水洋二 水口真寿美 石谷勉 安東宏三 石井麦生 寺町東子 五十嵐裕美 加納小百合 安原幸彦 末吉宜子 横幕武徳 福地直樹 大森夏織 杉山真一 高井章光 山崎健 飯塚知行
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