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【事件名】カイロプラクティック書の無断翻訳事件(2)
【年月日】平成13年11月27日
 東京高裁 平成12年(ネ)第2902号 損害賠償等請求控訴事件
 (原審・東京地裁平成10年(ワ)第16632号)
 (平成13年8月28日 口頭弁論終結)

判決
控訴人(被告) A
訴訟代理人弁護士 池谷昇
控訴人(被告) エンタプライズ株式会社
訴訟代理人弁護士 清起一郎
被控訴人(原告) B
訴訟代理人弁護士 茅沼英幸


主文
 本件控訴を棄却する。
 控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実及び理由
第1 控訴人らの求めた裁判
 「原判決中控訴人ら敗訴部分を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。」との判決。
第2 事案の概要
 被控訴人は、原判決別紙著作物目録一ないし五記載の著作物(本件著作物)の著作権を有するが、控訴人らが共同して発行した原判決別紙書籍目録一ないし三記載の書籍(本件書籍)は、本件著作物についての翻訳の著作権及び氏名表示権を侵害するものであると主張して、控訴人らに対し、本件書籍の印刷、製本、発売及び頒布の差止め並びに損害賠償を求めた。原判決は、被控訴人主張の著作権侵害を認め、被控訴人の差止請求を認容し損害賠償請求の一部を認容した(氏名表示権の侵害は否定した。)。
 当審の審理の対象となるのは、翻訳の著作権侵害を認め、それに基づく差止め及び損害賠償を認容した原判決部分の当否であり、それに関する争いのない事実等及び争点は、原判決事実及び理由中の第二の一、二に摘示されているとおりである。ただし、原判決事実及び理由の第二の二の2の争点(氏名表示権の侵害の有無)は、被控訴人のこの点に関する主張を理由のないものとした原判決に対し、被控訴人からの控訴、付帯控訴がないので、当審の争点から外れる。したがって、これを前提とする3の争点中原判決9頁末行から10頁3行目までに記載されている、被控訴人主張の損害額からも、氏名表示権の侵害の損害額の主張部分は除かれる。被控訴人の損害額は、原判決で認容された609万9030円(及びこれに対する遅延損害金)までが、当審の審理の対象となっている。
第3 控訴理由(要点)
(控訴人A)
1 翻訳の認定の誤り
 本件の争点の一つは、本件書籍の一部が本件著作物の一部を翻訳したものであるか否かである。原判決は、本件対照表に記載の全箇所を比較検討することなく、適宜の1、2箇所についての検討を加えただけで、本件書籍における日本語の表現が本件著作物における英語表現の直訳と類似していることをもって、本件書籍を本件著作物の翻訳に当たると認定した。しかし、各箇所が以下の不可避的表現や目的的差異表現等に該当すれば、それは「直訳」とは認定することはできないし、結果的類似表現であっても、直ちに著作権侵害になるとはいえない。
 本件対照表に記載のうちで本件書籍と本件著作物の表現が類似ないし同一と思われるものは、次の3つのタイプに分類される。
(1) 不可避的表現
 本件書籍は、Cが開発したテクニックである「S.O.T.」(SACRO OCCIPITAL TECHNIC 頭蓋骨調整法)の理論と技術を解説するカイロプラクティック(CHIROPRACTIC 徒手脊柱矯正術)の教科書であることからして、著述上使わざるを得ない概念、用語、技術に該当する表現。
(2) 目的的差異表現
 本件書籍はパーマー大学において教授されている「S.O.T.」の日本人向け教科書であって、その理論と技術を説明するものであるが、著者である控訴人Aの臨床と研究の成果を付加して、理論としての異説、技術としての新技術を説明するために、旧来の通説的理論や一般的技術の紹介をしている部分。
 「S.O.T.」はCの開発したテクニックであるから、それを説明する教科書を著述する場合には、本件書籍に出てくるような表現を使用することになるが、控訴人Aが当該表現をもって説明しようとする内容、趣旨、意味内容は、本件著作物の意味内容とは差異がある部分。
(3) 結果的類似表現
 「S.O.T.」の理論や技術を解説する教科書であるが、Cの前提としていた医学的知識や医術の水準ではなく、現代医学や栄養学等の水準に基づく説明をした後に、施術療法の技術としては旧来のカイロプラクティックの療術を実施することとなるので、結果的には類似の説明となる部分であり、その思想ないし理論が相違している部分。
 上記のとおり、「S.O.T.」による治療は、検査・カテゴリー分析・治療の各段階において、いずれも定められた手順・順序に従って行われるものであるから、これらを説明するための著作は、その対象の同一性から同一ないし類似の表現となるのはやむを得ないところがある。本件書籍が本件著作物の翻訳でないと認定すべき根拠は、当審において認否表として詳述したとおりである。原判決が、例示した上「その違いは極めて少ない」と断定している部分は、むしろ控訴人Aのオリジナリティを読み取ることができるから、他の部分も同様、一見類似性があるものの、実際は控訴人Aの創作によるものであることが分かる。
2 損害額の認定の誤り
 原判決の損害額の認定は、本件書籍の翻訳割合を「ほとんど直訳」と評価することによっているが、上記不可避的表現などを除外すれば、翻訳割合も減少する。
 また、Cとパシフィック・アジア・カイロプラクティック協会との間の翻訳許諾料は、出版価格の5〜8%を超えるものであり、不当に高額であるから、これを基準にして被控訴人が被った損害額とすることはできない。
(控訴人エンタプライズ株式会社)
 カイロプラクティックは、米国で確立され、専門の高等教育機関も存する治療法であるから、同一の治療法を記載した書籍において、治療の手順、方法等において表現が類似してくるのは当然である。よって、本件書籍が本件著作物の翻訳であるというためには、いかなる経緯によってその表現が記載されたかが主張され、立証される必要があるのに、原判決は、この点の審理を尽くさないまま、本件書籍を本件著作物の翻訳と断定したものであり、原判決は取り消されるべきである。
第4 被控訴人の反論
 控訴人Aが、本件著作物を翻訳してその配列を適当に変更し、その上で独自の論述部分をつなぎ合わせて本件書籍を作成したのは明白である。例えば、本件書籍一の58頁第5段落が本件著作物二の154頁第7段落を直訳したものであることは、本件書籍一では、ダラ・サインの中心を説明するのに、「1米ドル銀貨の中心」と記述されているが、この部分が本件著作物二の「THE CENTER OF A SILVER DOLLAR」を翻訳したものであることからも明らかである。本件書籍三の52頁では、家庭のキッチン(台所)で見られる食物についての記述があるけれども、いずれも日本人には余りなじみのない食物で、この部分は本件著作物五の28頁の記述を直訳したものであることが明らかであって、これを控訴人Aの創作と見ることは不可能である。
 上記の点からみて、控訴人Aが、本件著作物を翻訳したのに間違いはない。
第5 当裁判所の判断
1 本件書籍の一部が本件著作物の一部を翻訳したものであるか否かについて
 当裁判所も、原判決添付対照表(本件対照表)の各左欄記載の本件書籍の部分のほとんどは、本件対照表の右欄記載の本件著作物の部分をそのまま直訳したものと認めるものであり、その理由は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決事実及び理由中の第三の一に説示されているとおりである。なお、原判決15頁3〜5行の括弧内の「JACK-KNIFE KNEE」に関する説示部分は削る。
 以下は、控訴人らが、当審において、本件著作物と本件書籍との間では文章表現が異なる部分がある、あるいは不可避的に同一ないし類似する表現となるなどと主張する点についての判断である。
(1) 臨床家のためのブロックテクニック(本件書籍一)について
(1)−1 本件著作物三(甲第4号証)の97頁20行目で「STAND TO HEAD OF TABLE. PATIENT BRINGS ARMS OVERHEAD INTO EXTENDED POSITION.」との記載に対応するのは、本件書籍一(甲第1号証)の96頁5行目における「ドクターはテーブルの頭方に立ち、患者は腕を伸ばして頭の上45度に持っていきます。」との記載であり、「頭の上45°に持っていきます。」の「45°」の表現は本件著作物三にはない。
 しかし、本件著作物三の上記「PATIENT BRINGS ARMS OVERHEAD INTO EXTENDED POSITION」との表現を、その意味を念頭に置いてより分かりやすくするために意訳したものと認められ、これをもって翻訳の域を出ているものと認めることはできない。
(1)−2 本件書籍一の116頁12〜15行「腰椎の矢状方向関節面にかかわる症候群で、特に第5腰椎に関連し、左の神経根が牽引され、右の関節面が圧迫されている典型的な例です(第5腰椎は右下方転位)。右側で、第5腰椎に回転サブラクセーションがある場合、腰椎の冠状方向の関節面で右神経根が圧迫されています(第5腰椎左回旋位)。」に対応する本件著作物一〜三(甲第2〜第4号証)の記載はないので、この部分は、控訴人Aの独自の表現と認めることができる。
(1)−3 本件著作物三の146頁1ないし5、8ないし11、13、14の項目番号は、本件書籍一の100頁、101頁の4ないし11、13、14の記載に対応するが、本件書籍一の99頁の1ないし3の項目番号の記載に対応するものとして被控訴人が主張する本件著作物の記載(本件著作物二の18頁、19頁、20頁の記載)は、本件著作物三の上記記載との配置関係を考慮すると、翻訳の範囲に属するものと認めることはできない。
(1)−4 本件著作物三の255頁34行目から36行目の「BOTH PATIENT AND DOCTOR CAN INHALE TOGETHER. . . WHEN INHALATION IS IN PROCESS, PULL DOWNWARD SLIGHTLY ONTO PATIENT'S CLOSED FIST AND HOLD FOR FIVE SECONDS. . . PATIENT EXHALES AND SO DOES THE DOCTOR.」との記載部分は、本件書籍一の144頁5行目から7行目における「患者とドクターは一緒に息を吸い、息を吸い込んでいるときに、患者の握り拳にのせた手を軽く下方に引き3秒間保持します。患者が息を吐くときは、ドクターも一緒に吐きます。」との記載に対応する。
 この記載に関し、控訴人Aは、「これは横隔膜ヘルニアの治療法についての記述である。S.O.T.の一般的知識に基づいて書かれたものであり、治療法の記述であって厳格に表現されなければならず、もし大幅に違っているとすれば、それは逆に危険である。例えば、外科的手術法についての記述ではどの部をどのように切開するという記述は同一になってしかるべきである。本件著作物では「5秒」とされていて、本件書籍では「3秒間」と記述されている。これは控訴人Aの約20年の臨床経験から「5秒間」では多くの場合、患者が苦痛を訴えるだけでなく、少なからず筋肉の痙攣を引き起こす危険があったため「3秒間」という記述になったものであり、横隔膜ヘルニアの治療における筋肉の痙攣発症の限界域が「3秒」であることを見極めたことになる。」と主張する。しかし、上記記載のうち「3秒間」以外の表現は、本件著作物の表現をほぼ直訳したものと認められるので、本件書籍一の上記記述は翻訳の範囲内に属するものというべきである。S.O.T.の一般的知識が必然的に上記記載となってくるものであることを認めるべき証拠はない。
(2) 臨床家のための内臓反射テクニック(本件書籍三)について
(2)−1 本件書籍三(甲第7号証)20頁1〜2行の記載は、「もし、カイロプラクティック以外の治療が必要ない状態ならば、患者の愁訴にしたがって、冠状動脈について話してもかまいません。」というものであるところ、本件著作物五(甲第8号証)の10頁末尾6行の記載は、
 「EVERY SPECIFIC MANIPULATIVE REFLEX APPLICAION HAS A SPECIFIC CONTROL FOR THIS POSTGANGLIONIC AND IT NEED NOT COINCIDE WITH ANY OF THE REFLEXES YOU ACTUALLY MANIPULATE. WHEN THE MANIPULATIVE REFLEX HAS BEEN CONTROLLED, THE POSTGANGLIONIC IS AN IDEAL FOLLOW-UP DAY TO DAY VISIT PROCEDURE. EACH MUST BE SPECIFICALLY APPLIED AS WE WILL ILLUSTRATE.」というものである。
 本件書籍三のこの部分は、控訴人Aの独自の表現がされているものと認められ、翻訳の域を超えているものと認められる。
(2)−2 本件書籍三37頁末行〜38頁1行の記載に対応する本件著作物五21頁末1〜2行は「ALWAYS MANIPULATE FROM ABOVE DOWN AS IF YOU WERE DRAINING A TUBE」(直訳は、「管を排水するかのように、必ず上から下にマニピュレーションしなさい。」)というものであるが、本件書籍三の上記記載は、「必ず管の中身をしぼり出すように、上から下へ行います。」というものである。この部分は単に意訳の範囲に属するものというべきである。
(3) 翻訳か否かに関する総合判断
(3)−1 本件対照表の本件著作物と本件書籍との記載の対応をみてみると、本件著作物の記載を意訳した部分も多いところ、意訳部分をもって翻訳に当たらないとすることはできない。控訴人らは、S.O.T.技法の記述に由来する表現の必然性があると主張するが、本件著作物が、言語及び図形の著作物であり、そこに独自の表現がされているものであることは明らかである。その表現内容がS.O.T.技法に係るものであることから、S.O.T.にかかわる用語や一般的な医学用語が多く使われることも当然のことであるが、特に本件対照表に摘示の本件書籍の記載に対応する部分の表現が、他のS.O.T.技法を解説した著作物であって本件著作物より前に刊行されたものの表現と同じようなものとなり、そのようになることに必然性が存するものであることを認めるべき証拠はない。本件書籍の本件対照表左欄の部分のうち、前記(1)−2、3、(2)−1で説示した部分を除く部分が、右欄記載の本件著作物の対応部分を翻訳したものであることは、甲第1ないし第8号証によって認定することができ、控訴人Aが独自に叙述したものであるとすることはできない。
 例えば、本件書籍三の27頁にある「心臓の病変には、いろいろなケースがあるので、ここでは臨床上の分類は割愛させていただきます。」との表現は技法の叙述でないことは明らかであり、これに対応する本件著作物五17頁にある「CARDIAC LESIONS ARE MULTIPLE, AND NO EFFORT WILL BE MADE HERE TO CLINICALLY CLASSIFY THEM.」との表現と一致するものであり、本件著作物を翻訳したものにほかならないことになる。被控訴人が指摘する本件書籍一の58頁の表現とこれに対応する本件著作物二の154頁の表現及び本件書籍三の52頁の表現とこれに対応する本件著作物五の28頁の表現とを対比すると、これらの本件書籍における表現が控訴人Aの創作によるものであるとは到底いうことができない。
 (3)−2 控訴人が、当審準備書面添付の認否表において主張する点をもってしても、上記説示した以外の本件対照表の各左欄記載の本件書籍の部分が、各右欄記載の本件著作物の部分を翻訳したものであるとの右認定を左右するものではない。
 なお、平成13年3月15日付け認否表(三)の認否補充書の主張は、原判決対照表に記載のない部分に関するものにすぎない。また、認否表(三)補足一覧表は、翻訳書(パシフィック アジア カイロプラクティック協会刊。乙22)における日本語表現と、控訴人A著作物における表現の対比を行っていて、英文である本件著作物の表現との対比に関する主張ではない。
2 損害額について
(1) 被控訴人が本件著作権侵害により被った米ドルによる損害額は、原判決事実及び理由の第三の三の1ないし4に説示されているとおりである。ただし、前記(1)−2、(1)−3及び(2)−1に説示の部分に関する割合を除くのに伴い(別紙翻訳割合表1、3参照)、次のとおり原判決の数値を改める。
 原判決18頁4行目の「76.9%」を「76.4%」に改め、その関係で、20頁5行目の「76.9%」を「76.4%」に、「3万7650米ドル」を「3万7405米ドル」に改める。
 18頁6行目の「68.3%」を「68.2%」に改め、その関係で、20頁7行目の「68.3%」を「68.2%」に、「1万6392米ドル」を「1万6368米ドル」に改める。
 20頁8行目の「5万5320米ドル」を「5万5051米ドル」に改める。
 したがって、被控訴人の被った損害額は5万5051米ドルということになる。
 控訴人Aは、Cとパシフィック・アジア・カイロプラクティック協会との間の翻訳許諾料が不当に高額であると主張するが、そのことを裏付けるべき事実関係を認めることはできない。
(2) 口頭弁論終結時当時の日本円と米ドルの交換レートが1米ドル当たり120円前後を推移し、少なくとも1米ドル当たり118.5円を下回るものでなかったことは顕著な事実であるから、仮に118.5円を基準にして前記5万5051米ドルを円に換算すると、652万3544円となり、被控訴人は少なくともこの金額の損害を被ったものと認めることができる。
 原判決認容額である609万9030円はこの額の範囲内であり、被告である控訴人らの控訴の関係でみれば、原判決認容額は正当である。
第6 結論
 よって、本件控訴は理由がない。

東京高等裁判所第18民事部
 裁判長裁判官 永井紀昭
 裁判官 塩月秀平
 裁判官 古城春実
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