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【事件名】交通安全標語の類似事件
【年月日】平成13年5月30日
 東京地裁 平成13年(ワ)第2176号 損害賠償請求事件
 (口頭弁論終結日 平成13年4月16日)

判決
原告 X
訴訟代理人弁護士 田中繁男
同 西川紀男
同 佐々木清得
被告 社団法人日本損害保険協会
被告 株式会社電通
被告両名訴訟代理人弁護士 内藤篤
同 北澤尚登


主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由
第1 請求
 被告らは、連帯して、原告に対し5000万円を支払え。
第2 事案の概要
 本件は、交通安全のための交通標語(スローガン)を創作した原告が、被告らは、原告の創作に係るスローガンと実質的に同一のスローガンを作成して、交通安全のための広告をテレビ放映させたとして、著作権侵害に基づき、原告の被った損害18億9000万円の一部である5000万円の損害賠償の請求をした事案である。
1 争いのない事実
(1) 被告社団法人日本損害保険協会(以下「被告協会」という。)は、損害保険業の健全な発展及び信頼性の維持を図ることを目的として、損害保険に関する調査、研究、啓発及び宣伝等の業務を行う社団法人である。被告株式会社電通(以下「被告電通」という。)は、宣伝及び広告等の業務を主たる目的とする株式会社である。
(2) 原告は、「ボク安心 ママの膝(ひざ)より チャイルドシート」というスローガン(以下「原告スローガン」という。)を創作し、財団法人全日本交通安全協会が主催した平成6年秋の全国交通安全スローガン募集に応募したところ、原告スローガンは優秀賞に選定され、平成6年12月1日付けの毎日新聞の第1面に掲載された。
(3) 他方、被告協会は、平成9年度後半の交通事故防止キャンペーンとして、チャイルドシート装着を訴えるための啓発及び宣伝をするため、被告電通にその宣伝の依頼をし、被告電通は、「ママの胸より チャイルドシート」というスローガン(以下「被告スローガン」という。)を作成し、被告らは、協議の上、前記宣伝として被告スローガンを各テレビ局に放映させた。
(4) 上記テレビ広告は、好評を博したが、原告から著作権違反を指摘されたため、被告らは、自発的に、テレビ広告中の被告スローガン部分を削除して放映した。
2 争点
(1) 原告スローガンの著作物性の有無
(2) 原告の著作権(複製権)侵害の有無
(3) 消滅時効の成否
(4) 損害額
3 争点に関する当事者の主張
(1) 著作物性の有無
(原告の主張)
 標語やキャッチフレーズであっても、例えば俳句に準ずるようなものなど、思想又は感情を創作的に表現したものであれば、著作物性は認められる。原告スローガンは、単に言葉を羅列して組み合わせただけのものではなく、原告の思想及び感情を創作的に表現したものであり、著作物性が肯定される。
(被告らの主張)
 原告スローガンは、ありふれた表現として創作性に欠けること、文化的所産として著作権の対象にするだけの創作性がないこと、キャッチフレーズやスローガンは字数や用いる言葉の制約が多すぎて選択の余地がないこと、公衆に周知徹底させる目的があり特定の者の独占に親しまないこと等の理由から、その著作物性は否定されるべきである。
(2) 著作権(複製権)侵害の有無
(原告の主張)
ア 被告スローガンは原告スローガンと実質的に同一である。被告スローガンは、原告スローガンの「ママの膝よりチャイルドシート」の「膝」を「ママの胸よりチャイルドシート」の「胸」に置き換えただけであり、実質的に同一である。
イ 被告スローガンは、以下のとおり、原告スローガンに依拠して作成された。原告スローガンは、日本三大紙の1つである毎日新聞の第1面に記載され、また、全日本交通安全協会が発行している「人と車」と題する月刊誌にも掲載されているから、損害保険の専門の法人である被告協会並びに広告及び宣伝を専業とし、非常に大きな組織力と情報量を有する被告電通が原告スローガン知らなかったということはあり得ず、依拠性は肯定される。
 被告スローガンにおける「ママの胸より」という比較表現は、胸に抱かれるのは乳幼児であり、他方、チャイルドシートに座れるようになるのは、それより成長した幼児であるから、このような比較表現は不自然である。このように被告らが、あえて不自然な表現をして被告スローガンを作成したのは、原告スローガンの真似であるとの批判を避けるためであり、被告らの依拠は明らかである。
ウ 以上のとおり、被告スローガンをテレビで放映したことは、原告スローガンについて原告が有する著作権(複製権)を侵害する。
(被告らの主張)
ア 被告スローガンは原告スローガンと実質的に同一とはいえない。
 被告スローガンと原告スローガンとは、「ママの」「より」「チャイルドシート」の語が共通する。しかし、スローガンは575調又は75調を採ることが極めて多いこと、両スローガンとも、交通安全のキャンペーンを目的とし、チャイルドシートというテーマで創作されたものであるから、「チャイルドシート」という語及び「チャイルドシート」から連想される「ママ」という語が用いられることはごく普通であることに照らすと、上記の共通点があっても、両スローガンは実質的に同一であるとはいえない。全体を見ると両者は実質的に同一でない。
イ 被告スローガンは、原告スローガンに依拠して作成されたものではない。被告電通は、街角調査の結果を踏まえて、社内のクリエーターに作成させたものである。原告スローガンは、毎日新聞1紙に1回掲載されたにすぎず、このような状況で被告らが原告スローガンを知ることはない。被告電通は、被告スローガンの創作に当たり、原告スローガンに全く依拠していない。
ウ したがって、被告スローガンをテレビで放映したことは、原告著作権について原告が有する著作権(複製権)を侵害しない。
(3) 消滅時効の成否
(被告らの主張)
 原告は、平成9年9月18日、被告協会に対して、原告スローガンが盗作された旨を電話で申し入れたことがある。これに対して、被告協会は、被告スローガンは被告電通が作ったものである旨回答した。原告はこの時点で「損害および加害者を知った」といえる。したがって、原告が原告スローガンについて著作権侵害を理由とする調停申立てをした平成12年9月28日には、既に知った日から満3年が経過し、本件請求権は、時効により消滅した。
(原告の主張)
 原告が、被告スローガンがテレビで放映されていることを知ったのは、原告が被告電通の担当者と面談した平成9年9月29日であるから、消滅時効期間は経過していない。
(4) 損害額
(原告の主張)
 著作権法114条1項により、被告らの得た利益が原告が被った損害と推定できるところ、被告らは、被告スローガンをテレビ等で広告したことにより、3か月の間に18億9000万円の利益を得た(1回の広告料金が105万円であり、上記広告は5社のテレビ局で3か月間、1日各4回放映されたことから、その広告料金の総額は18億9000万円となる。)のであるから、原告の損害は同額である。原告は同金額のうち5000万円の支払を請求する。
(被告らの主張)
 争う。テレビ局が得る広告料金を被告らの得た利益と推定する原告の主張は失当である。
第3 当裁判所の判断
1 著作物性の有無について
 著作権法による保護の対象となる著作物は、「思想又は感情を創作的に表現したものである」ことが必要である。「創作的に表現したもの」というためには、当該作品が、厳密な意味で、独創性の発揮されたものであることまでは求められないが、作成者の何らかの個性が表現されたものであることが必要である。文章表現による作品において、ごく短かく、又は表現に制約があって、他の表現がおよそ想定できない場合や、表現が平凡で、ありふれたものである場合には、筆者の個性が現れていないものとして、創作的に表現したものということはできない。
 そこで、原告スローガンについて、この観点から著作物性の有無を検討する。
 弁論の全趣旨によれば、原告は、親が助手席で、幼児を抱いたり、膝の上に乗せたりして走行している光景を数多く見かけた経験から、幼児を重大な事故から守るには、母親が膝の上に乗せたり抱いたりするよりも、チャイルドシートを着用させた方が安全であるという考えを多くの人に理解してもらい、チャイルドシートの着用習慣を普及させたいと願って、「ボク安心 ママの膝(ひざ)より チャイルドシート」という標語を作成したことが認められる。そして、原告スローガンは、3句構成からなる5・7・5調(正確な字数は6字、7字、8字)調を用いて、リズミカルに表現されていること、「ボク安心」という語が冒頭に配置され、幼児の視点から見て安心できるとの印象、雰囲気が表現されていること、「ボク」や「ママ」という語が、対句的に用いられ、家庭的なほのぼのとした車内の情景が効果的かつ的確に描かれているといえることなどの点に照らすならば、筆者の個性が十分に発揮されたものということができる。
 したがって、原告スローガンは、著作物性を肯定することができる。
 被告は、原告スローガンは、ありふれた表現として創作性に欠けること、文化的所産として著作権の対象にするだけの創作性がないこと、キャッチフレーズやスローガンは字数や用いる言葉の制約が多すぎて選択の余地がないこと、公衆に周知徹底させる目的があり特定の者の独占に親しまないこと等の理由から、その著作物性は否定されるべきであると主張するが、前記判断に照らして、いずれも採用できない。
2 被告スローガンの内容及び著作権侵害の有無
 証拠(乙2)によれば、被告電通は、被告協会から、チャイルドシートの着用促進を目的とした広告の作成を依頼されたこと、街角調査の結果、チャイルドシートの普及率が低いのは、親が幼児を抱く方がチャイルドシート着用より安心であるとの誤った考えが残っていたことが判明したこと、そこで、そのような考えを改めるための広告表現として、「ママの胸より チャイルドシート」というスローガンを採用したことが認められる(なお、被告は、被告スローガンは、広告表現の中で使用された一部であり、独立のスローガンとしての意味はない旨主張するが、乙2に照らして採用できない。)。そして、被告スローガンは、2句構成の7・5調(後の句の字数は8字)が採用され、前記の趣旨が、極めて短い語句で、簡潔かつ直裁的に表現されている。
 そこで、原告スローガンと被告スローガンの各表現を対比する。
 両スローガンは、「ママの」「より」「チャイルドシート」の語が共通する。
 上記共通点については、両スローガンとも、チャイルドシート着用普及というテーマで制作されたものであるから、「チャイルドシート」という語が用いられることはごく普通であること、また車内で母親が幼児を抱くことに比べてチャイルドシートを着用することが安全であることを伝える趣旨からは、「ママの より」という語が用いられることもごく普通ということができ、原告スローガンの創作性のある点が共通すると解することはできない。
 これに対し、原告スローガンは、被告スローガンと対比して、@「ボク安心」の語句があること、A前者が「膝」であるのに対し、後者は「胸」であること、B前者は、6字、7字、8字の合計21字が3句で構成されているのに対し、後者は、7字、8字の合計15字が2句で構成されている点において相違する。そして、@原告スローガンにおいては「ボク安心」という語句が加わっていることにより、子供の視点から見た安心感や車内のほのぼのとした情景が表現されているという特徴があるのに対し、被告スローガンにおいては、そのような特徴を備えていないこと、A「ママの膝」と「ママの胸」とでは与えるイメージ(子供の年齢、抱きかかえた姿勢等)に相違があること、B原告スローガンにおいては、3句構成からなる5・7・5調が用いられ、全体として、リズミカル、かつ、ゆったりした印象を与えるのに対し、被告スローガンにおいては、2句構成からなる7・5調が用いられ、極めて簡潔で、やや事務的な印象を与えること等から、前記各相違は、決して些細なものではなく、いずれも原告スローガンの創作性を根拠付ける部分における相違といえる。
 そうとすると、両者は、前記の共通点があっても、なお実質的に同一のものということはできない。
以上のとおりであるから、被告スローガンは、原告スローガンについて原告が有する複製権を侵害しない(なお、前記と同様の理由から翻案権侵害もない。)。
3 結語
 よって、その余の点を判断するまでもなく、本件請求は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
4 審理経過について
 本件は、第1回口頭弁論期日の審理をした後、続行期日を指定することなく、即日終結した。これは、双方訴訟代理人の迅速な訴訟活動の成果である。
 すなわち、被告側は、第1回期日より1か月以上の余裕をもって、詳細な答弁書及び証拠を提出し、原告側も、第1回期日当日に、答弁書に対する反論のための詳細な準備書面及び証拠を提出したため、裁判所は、第1回期日に必要な審理のすべてを行うことができた。そして、裁判所は、双方代理人の進行意見を聴取した上、弁論を終結した(なお、弁論を終結した後に和解手続を1回実施した。)。
 我が国の民事訴訟では、弁論期日を何回か開いて順次内容を深めていく審理が慣行的に行われており、そのような審理方式には合理性があるといえる。しかし、訴訟代理人の十分な協力と理解があれば、第1回目の弁論期日において審理を尽くして終了させることもできるのであって、当裁判所としては、事件の性質に応じて、今後もこのような審理方法を拡大していくための努力を続けたい。迅速審理のための尽力に対し、双方訴訟代理人に深甚なる敬意を表する。

東京地方裁判所民事第29部
 裁判長裁判官 飯村敏明
 裁判官 谷有恒
 裁判官 佐野信
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