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【事件名】中古のゲームソフト販売事件(エニックス)(2)
【年月日】平成13年3月27日
 東京高裁 平成11年(ネ)第3355号 著作権侵害差止請求権不存在確認請求控訴事件
 (原審・東京地裁平成10年(ワ)第22568号)
 (口頭弁論終結日 平成12年11月9日)

判決
控訴人 株式会社エニックス
代表者代表取締役 福嶋康博
訴訟代理人弁護士 牧野利秋
同 前田哲男
同 濱野英夫
同 山崎龍一
同 伊藤真
同 齋藤浩貴
訴訟復代理人弁護士 糸井千晴
被控訴人 株式会社上昇
代表者代表取締役 金岡勇均
訴訟代理人弁護士 椙山敬士
同 藤田康幸
同 小川憲久
同 吉田正夫
同 藤本英介
同 中野通明
同 小倉秀夫
同 岡村久道
同 木村圭二郎
同 北岡弘章
同 錦徹
同 神頭正光
同 志村新
同 濱田広道
同 鈴木誠
同 杉浦幸彦
同 大土弘
同 岩崎晃
同 権藤龍光
同 追川道代


主文
 本件控訴を棄却する。
 控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人
(1) 原判決を取り消す。
(2) 被控訴人の請求を棄却する。
(3) 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
2 被控訴人
主文と同旨
第2 事案の概要
 本件は、控訴人が、原判決別紙ゲームソフト目録記載の各ゲームソフト(以下、同目録一記載のゲームソフトを「本件ゲームソフト一」、同二記載のゲームソフトを「本件ゲームソフト二」といい、これらを併せて「本件各ゲームソフト」という。)は著作権法(以下、単に「法」ということがある。)上の「映画の著作物」に該当し、これらについて法26条1項の頒布権を有すると主張して、本件各ゲームソフトの中古品を販売している被控訴人に対し、その販売の中止を求めたのに対し、被控訴人が控訴人を相手方として、本件各ゲームソフトの著作権に基づく中古品販売差止請求権の不存在確認を求めた事案である。原判決は、本件各ゲームソフトは法2条3項にいう「映画の著作物」に該当しないとし、これを前提に被控訴人の請求を認容した。
 事実関係は、次のとおり付加するほか、原判決の事実及び理由「第二 事案の概要」に記載のとおりであるから、これを引用する。
(当審における控訴人の主張の要点)
1 本件各ゲームソフトの、「映画の著作物」該当性
(1) 法2条3項の規定する3要件の充足
 著作権法(以下、単に「法」ということがある。)2条3項によれば、「映画の著作物」たりうるためには、
a 映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されていること(表現方法の要件)、
b 物に固定されていること(存在形式の要件)、
c 著作物であること(内容の要件)
 の3要件を満たすことが必要である。
 本件各ゲームソフトは、いずれも、上記の3要件を満たすから、法2条3項の「映画の著作物」に該当する。
@ 「表現方法の要件」について
 表現方法の要件は、「映画の効果」に「類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる」という「方法で表現され」ていること、である。
ア 「映画の効果」とは、目の残像現象を利用して動きのある画像として見せる、という視覚的な効果、及びトーキー映画におけるような連続影像と音声・背景音楽・効果音等との同期による聴覚的な効果である。
ここでは、「表現方法」における映画の効果との類似性が求められているのであって、表現の内容たる「思想、感情」や、表現物の「利用態様」における映画との類似性が求められているのではない。
 劇場用映画とは全く異なる「思想、感情」を表現するものであっても、その表現方法が類似していれば「映画の著作物」である。被控訴人は、「映画の著作物」であるためには、「一本の映画全体を貫く思想又は感情の表現」であることが必要であると主張する。しかし、法2条3項の文言から、表現方法の要件について、このような要件を読みとることはできない。同様に、表現物の「利用態様」が異なっても、表現方法の視聴覚的効果において類似性があれば「映画の著作物」となる。劇場における上映を利用態様として想定しているかどうかは、全く問題とならない。このことは、現行著作権法の立法の際に、劇場用映画と利用態様等が全く異なり、配給制度とは直接の関係がないと思われるテレビ番組、放送用映画等も映画の著作物概念に取り込むことが明確に意図されていたことからも明らかである。
イ 法2条3項の表現の要件は、ベルヌ条約ストックホルム会議の公式提案中の「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法によって表現され」との部分を、採用したものである。同会議においては、この公式提案は、単なる影像の連続を感得させるだけで著作物性を欠くものまでが保護の対象になるおそれがあり相当でないとの判断の下に否決され、「映画的著作物(映画に類似する方法で表現されているものを含む)」との表現を採用した。法2条3項は、上記公式提案の「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法によって表現され」との部分をそのまま活かしながら、単なる影像の連続にすぎないものが「映画の著作物」から除外されることを明らかにするため、前記「内容の要件」が必要であることを法2条3項に明記することによって、同会議の趣旨を実質的に取り込んだものである。したがって、同会議の経過及び結果並びにこれを踏まえた立法の経緯は、表現の要件についての上記解釈を裏付けるものである。
ウ 本件各ゲームソフトは、いずれも、「眼の残像現象を利用して動きのある画像として見せること」という「映画の効果」に類似する「視覚的効果」を生じさせる方法によって、人物・背景等を動画として視覚的に表現するものであり、かつその視覚的効果に音声・効果音・背景音楽を同期させて聴覚的効果を生じさせ、このような方法によって表現されている著作物であるから、「表現方法」の要件を満たすことは、明らかである。本件各ゲームソフトが具体的に表示される影像は、著作者が創作して用意した影像の範囲の中からユーザーの操作によって選択・決定される、といういわゆるインタラクティブ性(双方向性)を有していることは、表現方法の要件を充足することを妨げるものではない。
A 「内容の要件」について
ア 法2項3項が、特に、前記「内容の要件」として、著作物性が必要であるとしたのは、「単なる影像の連続」にすぎず、著作物性を有しない単なる録画物を「映画の著作物」から除外することを明らかにするためである。
 映画の著作物に求められる著作物性は、独創性の有無を問わず、カメラワークの工夫、モンタージュあるいはカット等の手法、フィルム編集など視覚的又は視聴覚的表現方法に何らかの創作性の付加があれば足り、他の著作物と異なる、あるいはそれ以上の「創作性」が求められるものではない。
イ 本件各ゲームソフトの影像は、カメラワーク、視点や場面の切替え、ある状況において次にどのような影像を画面に表示させて一つのシーン(場面)を構成するか、ライティング(照明演出)等、細部にわたるまで、ゲームソフトの著作者によって視覚的又は視聴覚的効果が創作・演出されており、表現方法において、映画と同様の技法が駆使されている。プレイヤーは、あらかじめゲームソフトの著作者によって創作・演出された視覚的効果又は視聴覚的効果及び基本的な場面展開のパターンの範囲内において、限られた操作・選択をするに過ぎず、プレイヤーの操作・選択が視覚的又は視聴覚的効果や場面展開を能動的に創作する行為となるものではないから、画面上に表示される連続影像は、ゲームソフトの著作者による思想、感情の創作的表現にほかならない。
B 「存在形式(固定性)の要件」について
ア 著作権法が「映画の著作物」に固定性を求めたのは、テレビの生放送のような、生成と同時に消滅していく連続影像を映画の著作物から排除するためであり、著作物が何等かの方法により物に結びつくことにより、その存在、内容及び帰属等が明らかとなる状態にあれば、固定性の要件を充足すると解するのが相当である。
イ 本件各ゲームソフトは、いずれも、著作者により創作された一つの作品としてCD―ROMという媒体に固定されている。本件各ゲームソフトでは、プログラムに基づいて抽出された影像についてのデータが、ディスプレイ上の指定された位置に順次表示されることによって、全体として連続した影像となって表現されるものであり、そのデータはいずれもCD‐ROM中に著作物として再現することが可能な形で記憶されているから、「固定性」の要件を充足する。
ウ 本件各ゲームソフトにおいては、プレイヤーによるコントローラの具体的操作に基づいて、画面上に表示される影像の内容や順序は、各回のプレイごとに異なるものとなる。しかし、これらの影像及びそれに伴う音声の変化は、当該ゲームソフトのプログラムによってあらかじめ設定された範囲内において、プレイヤーが選択しているに過ぎず、著作者によって創作されていない影像が画面上に表示されることはないのであるから、常に同一の影像及び音声が連続して現われないからといって、「固定性」の要件を欠くということはできない。
(2) インタラクティブ性(双方向性)と「映画の著作物」
@ 本件ゲームソフトがインタラクティブ性を取得している(プレイヤーの操作をも念頭において視聴覚的効果が演出されている)ことをもって、「映画の著作物」性を喪失すると解釈することはできない。映画の著作物かどうかは、インタラクティブ性の有無にかかわらず、専ら上記の3要件を充足するか否かによって決定されるのであり、インタラクティブ性のないことが第4番目の要件となることはあり得ない。
A 現行法の立法時にゲームソフトが存在しておらず、その存在が予測されていなかったとしても、これを「映画の著作物」から排除しようとする考え方は誤りであり、視覚的又は視聴覚的表現の方法において映画と類似するものならば、立法当時においては予測されていなかった新技術によるものであっても、「映画の著作物」に含めるべきである。
 「映画」においても、DVD(Digital Versatile Disc )ビデオに収録して「マルチストーリー」あるいは「マルチエンディング」として視聴者が複数の選択肢の中からストーリーを選ぶことが可能になっているものや、「マルチアングル」として、同一場面を複数の視点から選択して見ることができるもの等が既に存在している。さらに、劇場での上映を予定して製作された映画についても、観客の反応を装置によって感知し、これによって画面上の人物の動き、表情及び筋書きが変化する双方向映画(インタラクティブ映画)が存在する。技術の発達により「映画」に双方向性が付加されたからといって、「映画の著作物」でなくなることはない。インタラクティブ映画や「マルチエンディング」又は「マルチストーリー」の作品は、明らかに「映画の著作物」である。
(3) 被控訴人は、法2条3項が、劇場用映画以外には、テレビ放送を固定したフィルム、ビデオテープ等を含めることのみを目的として立法されたかのように主張する。
 しかし、仮に立法時において法2条3項に当てはまる具体的な例としてテレビ映画が想定されていたとしても、そのことによって、テレビ映画以外のものが法2条3項から排除されることにはならない。法2条3項の文言は、「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」ているかどうか、という表現方法における効果をもって、「映画の著作物」に該当するか否かの判断基準としている。製作目的や利用態様を「映画の著作物」の該当性の判断基準とはせず、逆にそのような判断基準を排斥することにこそ、現行法の意図がある。
(4) 原判決の解釈(劇場用映画との関係)について
原判決は、映画の著作物に関する著作権法の規定が、いずれも、「劇場用映画の利用について専ら映画製作者が右のような配給制度を通じて権利行使する上で、円滑な権利処理が行われることを企図して設けられたものということができる。」としたうえで、「著作権法は、多数の映画館での上映を通じて多数の観客に対して思想、感情の表現としての同一の視聴覚的効果を与えることが可能であるという、劇場用映画の特徴を備えた著作物を、「映画の著作物」として想定している」と判断した。
 しかし、著作権法の規定は、「劇場用映画」を想定して「映画の著作物」概念を構築しているのではなく、また「劇場用映画」のみの特殊性を考慮して「映画の著作物」に関する各規定を設けているのではないから、原判決の判断は誤っている。
2 本件各ゲームソフトは、「頒布権のある」映画の著作物に該当するか
被控訴人は、映画の著作物について認められる「頒布権」は劇場用映画のフィルム配給権のことであり、したがって、ゲームソフトは、「映画の著作物」に該当するとしても、「頒布権のある」映画の著作物には該当しない旨主張する。しかし、このような解釈は、著作権法の文理や立法経緯に照らし、全く成り立たない。そして、本件各ゲームソフトは、劇場用映画と同様に頒布権を認められるべき実質上の根拠も有している。
(1) 文理解釈
@ 被控訴人の解釈は、法26条1項、2条1項19号の文理に反する。
法26条1項の文言からは、映画の著作物の著作者に認められた頒布権が劇場用映画に限定されたものであることは、全くうかがわれない。かえって、法2条1項19号は、「頒布」の定義として、劇場用映画のフィルム配給行為が該当すると考えられる「有償であるか又は無償であるかを問わず、複製物を公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し又は貸与すること」(同号後段)という頒布態様のほかに、ビデオソフトやゲームソフトの流通形態の典型であると考えられる「複製物を公衆に譲渡し又は貸与すること」(同号前段)を、基本的な頒布の形態として規定している。このような「頒布」の概念を前提とすると、著作者は映画の著作物を複製物により「頒布」する権利を専有する、と規定する法26条1項の解釈として、被控訴人の主張するような、映画の著作物における頒布権を劇場用映画のフィルム配給権に限定すべきであるという解釈が出てくる余地はない。
A 映画の著作物における頒布権が劇場用映画のフィルム配給権に限定されないことは、昭和59年に著作権者に貸与権を認める旨の規定(26条の2)が設けられた際に、映画の著作物については頒布権があることを理由に、貸与権の規定の適用が除外されたことからも裏付けられる。当時、既に貸ビデオも存在したのであるから、立法者は、ビデオソフトも映画の著作物に入り、映画の著作物の頒布権によって規制できると考えていたことが明らかである。したがって、現行著作権法は、配給制度によらず、多数の複製物が公衆に販売されるようなものも映画の著作物に含まれることを前提としていると解さざるを得ない。この点からみても、ゲームソフトが頒布権のある映画の著作物に含まれると解することに不都合はない。
(2) 立法の経緯等
@ 現行著作権法が映画の著作物について頒布権の規定を置くとともに、映画の著作物の定義規定を置いた立法作業の過程において、当初は、映画の著作物から放送用映画を除く考え方に基づく方向での立法作業が行われていたが、その間に一転してこれをも映画の著作物に含めるものとするベルヌ条約ストックホルム改正規定が実現したため、結局これに沿う形での法案に改められたうえ、現行著作権法が成立したものである。このような、現行著作権法の立法の経緯によれば、著作権法は、配給制度とは直接の関係がないと考えられる放送用映画が、映画の著作物に含まれることを予定して成立したものであることは明らかである。したがって、現行著作権法の解釈として、「頒布権のある映画の著作物」の概念を、配給制度という慣行の存在する劇場用映画のみ、あるいは劇場用映画の特質を備えるもののみに限定して解釈することは相当でない。
A 上記の立法の経緯によれば、映画の製作目的であるとか利用方法といったものが、「映画の著作物」の概念を判断するうえでは係わりのないものに変化し、それに替わって表現方法における視覚的または視聴覚的効果というものが新たな標識ないし基準として登場したことは明らかである。すなわち、「もっぱら放送のための技術的手段として放送事業者によって作成された」フィルムやビデオテープ等も「映画の著作物」に含まれることになったのに伴い、もはや「劇場へのフィルム配給用」の映画といった製作目的とか利用方法に着目した「映画の著作物」概念の画定の仕方は現行著作権法のうえでは捨てられていることになる。したがって、現行著作権法26条1項の解釈上、「頒布権のある映画の著作物」を「劇場用映画」に限定する解釈を採り得ないことは当然の帰結である。
B 法29条2項2号が、放送事業者に帰属するテレビ映画に関する権利に関して、複製権については何らの限定をしていないにもかかわらず、頒布権については「その複製物により放送事業者に頒布する権利」に限定した趣旨は、テレビ映画を放送事業者以外の者に頒布する権利は著作者に帰属することとして、放送事業者が著作者の許諾を得ることなくテレビ映画を他の放送事業者以外の者に頒布することを禁ずることにある(法29条3項2号も同趣旨である。)。被控訴人が主張するように、映画の著作物の頒布権の対象は、劇場用映画の配給を内容とするフィルムの頒布のみに限定されるものと解すると、ビデオ・カセットによって頒布されるテレビ映画には、頒布権が認められないことになるから、放送事業者は、著作者の許諾を得ることなく、法29条2項第2号の複製権に基づいて複製したビデオ・カセットを頒布することができることになってしまい、同規定の立法趣旨に全く反する。このことは、映画の著作物の頒布権の対象は、劇場用映画の配給を内容とするフィルムの頒布のみに限定されるものと解することが全くの誤りであることを示すものである。
C 被控訴人は、法2条1項19号の「頒布」の定義規定を、同号前段の頒布(公衆に譲渡・貸与。以下「前段頒布」という。)、と同号後段の頒布(公衆に提示することを目的とした譲渡・貸与。以下「後段頒布」という。)とに分け、前段頒布は映画の著作物を含む著作物一般に関する「頒布」概念を、後段頒布は映画の著作物のみに適用される「頒布」概念を規定したものである、とし、このような「後段頒布」こそ頒布権という特別な規定の内容をなす「頒布」の意義でなければならないと主張する。
しかしながら、このような、被控訴人の上記解釈は極めて特異な解釈であって、現行著作権法の解釈としては到底成り立ち得ない。
(3) 実質的根拠
@ 頒布権の実質的根拠
 著作権法が、劇場用映画について配給制度の慣行が存在するという社会的事実を背景として、映画の著作物について頒布権を認めたという事情が存在したことは、控訴人も認めるところである。
 しかし、前記のとおり、法が、劇場用映画だけを「映画の著作物」として想定していたわけではないことは、文理上も、立法経緯からも明らかである。法は、「映画の著作物」には劇場用映画以外の著作物も含まれることを明確な前提とした上で、26条において、広く「映画の著作物」全般に頒布権を付与しているのであるから、立法当時の社会的な背景として配給制度が存在したということだけから、頒布権の対象となるのが劇場用映画に限定されると解することは、著作権法の文理にも、立法事実にも反する。
 著作権法が映画の著作物のみに頒布権を認めた実質的根拠は、映画の著作物が有するところの、a 製作に多大な費用、時間及び労力を要し、にもかかわらず、b 一度視聴されてしまえば視聴者に満足感を与え、同一人が繰り返し視聴することが比較的少ないこと、という特性を考慮して、映画の著作物について、投下資本の回収の多様な機会を与えることにあると考えられる。
 現行著作権法の立法当時、テレビゲームは存在していなかったから、映画の著作物にゲームソフトのようなものが入ってくることは、予想されていなかったといえよう。しかし、立法時以降の技術の進歩、メディアの発展や社会情勢の変化等に対応して、映画の著作物として保護すべき著作物として新しい形態のメディアが現われることも当然のことであるから、立法当初予定されていなかった種類の著作物であるからといって、これを排除すべきものではなく、制度の立法趣旨を踏まえて、著作権法上の映画の著作物としての保護を与えるに適したものか否かを、形式的な要件とともに実質的な側面からも判断すべきである。
 本件各ゲームソフトのようなゲームソフトにおいては、プロデューサー、ディレクター、キャラクター・デザイン担当者、影像担当者、サウンド担当者、プログラマー、シナリオライター等多数の者が組織的に製作に関与し、多額の費用と時間をかけて製作される場合が多く、この点では劇場用映画に類似する。本件各ゲームソフトについてみても、その製作に多大な費用(本件各ゲームソフトの宣伝広告費を除く製作費は、本件ゲームソフト一について約10億8000万円、本件ゲームソフト二について約4億6000万円に達する)、時間及び労力を要している。それにもかかわらず、ゲームソフトは、視聴者(需要者)に短時間(劇場用映画と比較すればその差はあるが)で満足感を与えるものである点も、劇場用映画と大きく異ならず、殊に人気ゲームソフトでは、新作の発売日の翌日から中古品販売店に売却する視聴者が現れ、新作発表後2ないし3か月で中古品販売数量が新品販売数量を上回ることも少なくない。
 これらの事情を考慮すると、ゲームソフトについて、その投下資本の回収の多様な機会を与えることには劇場用映画と同様の合理性があり、映画の著作物に頒布権を認めた立法趣旨に照らして、頒布権のある映画の著作物として保護を受けるに値する実質的な理由があるというべきである。
A 投下資本の回収の「多様な機会」の意味
 被控訴人は、投下資本回収の多様な機会を与えるということについて、頒布権は投下資本の回収一般のために認められているのではなく、劇場用映画の特殊な利用、流通形態である配給制度の保護のために認められているのであって、配給以外の「多様な機会」などは、実態として存在せず、想定もされていない旨、主張する。しかし、この主張は、次のような二重の誤解に基づくものである。
ア 被控訴人の主張は、現行法制定当時において、配給以外の流通形態が存在していなかったということを前提にしているが、これは、全くの誤りである。劇場用映画についてさえ、次のような、配給制度によるものには限られない利用方法が社会的実在として広く行われていた。
a 劇場用映画をテレビ放送することは昭和30年代から広く行われていた。
b 35ミリフィルムを16ミリフィルムに焼き直したものを利用して行う「非劇場上映」も古くから広く行われていた。
c 昭和40年代からは、劇場用映画をビデオテープに収録して船舶や学校、ホテル等に供給することが行われていた。
イ 被控訴人は、「多様な機会」という言葉の表面的な意味のみに拘泥して、控訴人の意図するところを全く理解していない。
 配給制度においては、映画会社は、自己の配給した映画の入場人員とその収入を正確に把握するために共同して統一した入場券を作成し、これを契約した映画館において使用することを契約上義務づけている。これは、右の映画館における入場実績を正しく把握して、入場券の一定の歩合で定められる映画の上映使用料を鑑賞した人員に応じて徴収するためである。配給制度においては、一本の映画を一人の者が一回鑑賞するたびにその者に対して入場券を販売することによって対価を回収し、そのうちの一定割合を著作権使用料として著作権者たる映画会社に還元する。これは、映画会社が映画館に供給する一本の複製物(プリント・フィルム)に対して、一人の者が一回鑑賞するたびに著作権使用料を得るという多様な機会を与えているものである。控訴人が、投下資本の回収の「多様な機会」と言っているのは、前述のような配給制度による利用方法に限られない多様な利用方法について権利行使が認められるということに加えて、その各利用方法において、さらに、上記の配給制度の場合のように一本の複製物が重層的に利用される場合についても、権利行使が認められるという趣旨を含む広い意味で用いている。法は、「映画の著作物」につき、視聴者が一回著作物を利用して著作物の価値を用い尽くす度ごとに、相当な対価を著作権者に還流させることによって、利用実態を正しく反映した報酬を著作権者が得ることができるようにするのが相当であるとの価値判断の下に、映画の著作物のみに頒布権を与えたものである。
B 製作に多大な費用、時間及び労力を要するにもかかわらず、一度視聴されてしまえば視聴者に満足感を与え、同一人が繰り返し視聴することが少ないという特性の双方を満たす著作物が映画の著作物以外にはない。
ア 被控訴人は、a 製作に多大な費用、時間及び労力を要するにもかかわらず、b 一度視聴されてしまえば視聴者に満足感を与え、同一人が繰り返し視聴することが少ないという特性は、百科事典、データベース、コンピュータプログラム、小説や随筆など、他の著作物にも認められるものであって、映画の著作物だけに認められる類型的特性とは言い得ない旨主張する。
 なるほど、百科事典、コンピュータプログラム、データベースの中には、映画の著作物に比肩しうべき多大な費用、時間、及び労力を有するものも少なくないであろうが、これらはいずれも、繰り返しての参照(百科事典及びデータベースの場合)や、コンピュータを目的に添って動作させる(コンピュータプログラムの場合)といった実用的な目的ために、長期間に渡って繰り返し用いられることが通常であり、「一度視聴されてしまえば視聴者に満足感を与え、同一人が繰り返し視聴することが比較的少ない」という性質を全く有していない。
 また、小説や随筆は、読む者に短期間で満足感を与えることも多いかも知れないが、通常は一人の手によって創作されるものであることから、一般的に見て、その創作にかかる費用、時間(創作に携わる者の延べ時間)、労力は、映画の著作物と比較して、圧倒的に少ないことは明らかであって、「製作に多大な費用、時間及び労力を要する」という性質を全く有していない。
イ 被控訴人は、車、航空機及びコンピュータを例に挙げて、製作に多数人が関与し、多額の費用と時間を要するのは世の中の全ての商品に当てはまる事柄である、と主張する。しかしながら、これらはいずれも、耐久消費財たる動産(有体財産)であり、著作物は、無体の知的財産である。その財としての性質は全く異なるのであって、両者を同列に論じることはできない。
 ゲームソフトの複製物はCD−ROMのように非常に耐性が高いメディアで流通し、デジタル方式で記録されているために、半永久的に新品と同様の著作物の利用が可能である。また、ゲームソフトの複製物の場合には、その視聴覚的効果のゆえに利用者がその複製物に記録されている著作物の価値を短期間に用い尽くすにもかかわらず、著作物を鑑賞するという効用においてその複製物の持つ客観的な価値は減少しないという点で、自動車などの有体財産とは決定的に異なる。製作者としては、第一購入者に販売する時点では、その複製物が何名に再頒布されてこれに記録されている著作物が何名の者に用い尽くされるかを想定することができず、第一購入者に対する売買における対価だけでは著作物の利用の正当な対価を得ることができない。
C ゲームソフトの流通実態への適合性
 ゲームソフトの流通の実態もまた、劇場用映画と同様の投下資本回収の多段階の機会を認めるべき実態を有している。ゲームソフトの場合、ゲーム喫茶やホテルでの上映のような利用形態も存するが、現在の公衆への提供の方法の中心は複製物の頒布である。そして、「一度視聴されてしまえば視聴者に満足感を与え、同一人が繰り返し視聴することが比較的少ない」という特質が顕著であり、耐性の高いCD−ROMという媒体に格納されていることと相まって、一つの複製物が中古販売店による公衆への頒布を通じて、複数のユーザーに数回にわたって満足を与えている実態がある。このような実態を見るとき、「製作に多大な費用、時間及び労力を要する」という特性によって多大な投資が類型的に必要であるゲームソフトにおいては、複製物が中古販売店によって再度公衆に頒布され、新たに当該ゲームソフトの視聴覚的表現によって完全な満足を得るユーザーが生じる場合には、その度ごとに鑑賞するユーザーの数に応じた正当な対価を著作権者に還流させなければ、ゲームソフト製作者に十分な製作のインセンティブを確保することができないこととなる。
D ゲームソフトの中古販売の被害の実態
 ゲームソフトの中古販売は、現実に控訴人らゲームソフトの著作権者に多大な損害を与えている。
 「1998年CESAゲーム白書」(乙第49号証)「1999年CESAゲーム白書」(乙第89号証)「2000年CESAゲーム白書」(乙第90号証)によれば、1997年中の中古ゲームソフトの売上本数は4048万4000本で、ゲームソフトの全売り上げに占める割合は28・5パーセント、1998年中の中古ゲームソフトの売上本数は4359万9000本で、ゲームソフトの全売上げに占める割合は30・2パーセント、1999年中の中古ゲームソフトの売上本数は3849万6000本、ゲームソフトの全売上げに占める割合は29・0パーセントであり、中古ゲームソフトの販売により、正規商品の販売が大きな影響を受け、ゲームソフトの製作者が多大な被害を受けている状況が続いていることは、明らかである。
E 以上のとおり、複製物が多数流通に置かれるような性格の「映画の著作物」についても、劇場用映画における配給制度のほかに頒布権を認めるべき実質的根拠が考えられる以上、これらの「映画の著作物」につき、敢えて明文の文理に限定を加えて「頒布権なき映画の著作物」といった新たな概念を作り出すことは、現行法の解釈論を大きく逸脱するものであって許されない。
3 頒布権の消尽について
(1) 著作権法の条文の構造上、映画の著作物の頒布権について消尽論を適用する余地はない。
@ 著作権法は、著作物一般については頒布権を認めず、著作権を侵害する行為によって作成された物を情を知って頒布する行為を著作権侵害行為とする旨の規定を設けている(法113条1項2号)。他方、法は、映画の著作物についてのみ、他の著作物一般には認められていない頒布権を認め(法26条1項)、映画の著作物をその複製物により頒布する権利を著作権者に専有させている。このことは、とりもなおさず著作権を侵害する行為によって作成された物であるか否かを問わず、映画の著作物の複製物により頒布する権利を著作権者に専有させていることを意味するから、映画の著作物の頒布権について消尽論を適用する余地はない。
A これまで、映画の著作物の頒布権については、特許権とは異なり、第一譲渡後も消尽しない権利として一般的に理解されてきており、最初の譲渡にとどまらず、その行先を指定する権利として認められている。むしろ、複製物の行先等をコントロールする権限を認めることは、最初の譲渡に関してではなく、その後の譲渡に関してこそ、実質的な意義がある。
B 昭和59年の著作権法の改正により、著作物一般について設けられた貸与権(現行の法26条の3)については、複製物が適法に譲渡された後(すなわち第一譲渡行為の後)であっても行使できることが当然の前提となっている(貸与権は、特に第一譲渡後の貸与を想定してこれを規制するものである。)。法26条の3の規定が、貸与権の対象となる著作物から映画の著作物を明示的に除外しているのは、映画の著作物には貸与を含む頒布権が認められており、改めて貸与権を定める必要がなかったためである。このことは、貸与に及ぶ権利を含む映画の著作物の頒布権が、第一譲渡によって消尽しない権利であることを当然の前提としている。
 また、著作権法は、「頒布」の定義規定を同法2条1項19号に設け、「有償であるか又は無償であるかを問わず、複製物を公衆に譲渡し、又は貸与することをいい」と譲渡と貸与とを一体のものとして定義した上、同法26条1項において、著作権者が「複製物により頒布する」権利を専有する旨を規定しているのであるから、譲渡と貸与とで区別し、一方については消尽するが他方については消尽しないと解釈する余地はない。
(2) 法26条1項の立法趣旨からして、映画の著作物の頒布権について消尽論を適用する余地はない。
@ 法26条1項の立法趣旨は、映画の複製物が「譲渡」によって流通することを前提とし、複製物の所有者による譲渡の自由に対し、著作権者保護の観点から制限を加えようというところにある。すなわち、著作権法は、映画の著作物の著作権者に対し、複製物の「最初の譲渡にとどまらず、その行先を指定する権利としての頒布権」を認めたのであり、その頒布権の具体的内容としては、頒布先、即ち譲受人又は借受人を限定したり指定したりすること、頒布場所を限定したり、指定したりすること、時間的に頒布期間を限定することが含まれる。
A 例えば、劇場用映画のフィルム配給に関していえば、頒布権は、フィルムの供給を受けた者が、次にそのフィルムをいつ、どこに供給するのかを、著作権者において指示決定することができる権利として機能する。そして、法26条1項は、フィルムなどの複製物の所有権を譲り受けることにより当該複製物を供給された者が、第三者にその所有権を「譲渡」することをも明確に想定して、その「譲渡」を著作権者のコントロールの下におき、著作権者に複製物の「行先・時期等を指定する権利としての頒布権」を認めているのである。
B 複製物の「所有者」と「著作権者」とが一致する場合には、頒布権を認めなくとも、その者は、複製物の所有権によって当該複製物の利用、収益、処分をコントロールすることができる。頒布権が格別の意味を持つのは、複製物の「所有者」と「著作権者」とが分離する場合である。法が「複製物により公衆に譲渡」する権利を認めたのは、著作権者でない者により複製物が公衆へ譲渡されることを想定しこれに対しても著作権によるコントロールを行おうとしたからであって、それ以外に理由はない。映画の著作物については、その著作権が法29条1項により原則として映画製作者に帰属しており、また、劇場用映画のフィルム原版の所有権も映画製作者に帰属するから、原則としてフィルム原版の所有者と著作権者が一致する。フィルムの「所有者」と「著作権者」とが分離するのは、映画製作者又はその許諾を受けた者により当該フィルムの第一譲渡がなされた後のことであり、法26条1項が複製物の「譲渡」を著作権者によるコントロールの下に置いたのも、第一譲渡後のフィルムの所有権移転を想定しているからであって、そうでなければ頒布権に実質的な意味はない。
C 以上のとおり、法26条1項の立法趣旨は、映画の複製物が「譲渡」によって流通することを前提とし、複製物の所有者による譲渡の自由に対しても、著作権者保護の観点から制限を加えようというところにあるのであり、かかる立法趣旨からして、映画の著作物の頒布権について消尽論を適用する余地はないことは明らかである。
(3) 法26条の2の立法経緯からみても、映画の著作物の頒布権について消尽論を適用する余地はない。
@ 一般の著作物については、平成11年の著作権法改正により「譲渡権」が認められたが、右譲渡権は「譲渡権を有する者又はその許諾を得た者により公衆に譲渡された場合」には消尽することになっている(法26条の2第2項1号)。これに対し、映画の著作物については、このような明文による例外規定は設けられておらず、従来から著作物の複製物の行先を指定する権利としての頒布権が認められていると解されている。
 一般に販売されている市販ソフトとしてのビデオ・カセット等に、上記のような頒布権が認められることについては、立法論はともかくとして、少なくとも解釈論としての異論はあり得ない。映画の著作物を収録したビデオ・カセット等は既に現行著作権法施行の以前から商品化され、ある程度の普及をみており、「映画の著作物」について頒布権を認め、特に頒布権の適用を映画フィルムに限定していない現行法においては、映画の著作物を収録した市販のビデオ・カセットに頒布権が存在しないという解釈論を採る余地はない。
A 市販のビデオ・カセット及びゲームソフトの頒布権を消尽させるべきかどうかは、譲渡権創設の検討過程においても審議された。
 平成11年の著作権法改正の譲渡権創設の審議の過程において、頒布権が劇場用映画の配給という実態を踏まえた権利であり、ビデオソフト等についてはその円滑な流通を図るためには最初の譲渡以降は権利が消尽するとすべきではないかとの意見や、また一方では、映画の著作物がビデオ化された後も頒布権が消尽しないことを前提とした流通秩序が既に存在することから引き続き頒布権を消尽しないこととする必要がある、といった意見があった。しかし、頒布権が消尽するかどうかということは取引秩序に重大な影響を与えることであって、従来の映画の著作物の取扱いを変更すべき決定的な理由も見出し難いとの理由から、頒布権には変更を加えず、従来の規定を維持することになり、新設された譲渡権の条文から「映画の著作物」が除外され、しかも頒布権については、譲渡権に規定されているような消尽の規定がおかれなかったという経緯がある(乙第24号証)。したがって、上記改正に当たって、映画の著作物については、消尽しない頒布権を維持するものとされたことが明らかである。
B 近年においては、「映画の著作物」以外の著作物においても、複製物の中古品が公衆に対して販売されることによって新品の販売と異ならない著作物の享受をエンドユーザーに与えることが生じてきている。そこで、中古販売業者が新品と異ならない著作物の享受を公衆に提供し、かつ、著作物の公衆への提供行為それ自体によって経済的利益を上げることに対しては、「映画の著作物」以外であっても、著作権者が何らかの権利を行使できるとすべきであるという考え方がクローズアップされてきている(乙第76、第77号証)。
「映画の著作物」については、一つの複製物が繰り返し利用されることをコントロールする必要が強かったことから、既に現行法において消尽しない頒布権が設けられており、この頒布権を有効活用することによって、他の著作物については近年提起されるに至った前記問題点に対して適切に対応する方途が、現行法において既に用意されている。「頒布権」による中古販売の規制は、「解釈論上やむを得ないが立法論としては否定されるべきもの」なのではなく、むしろ立法論としても、積極的にその現代的意義が肯定されるべきものである。
C 以上のとおり、平成11年の法改正の経緯に照らすと、本件各ゲームソフトが映画の著作物に該当する以上、これらのゲームソフトに付与された頒布権が第一譲渡行為により消尽するという解釈をする余地がないことは明らかである。映画の著作物の「頒布権」は、デジタル化時代における著作物の保護としては、立法論的にもこれを制限することが検討されるべきではなく、むしろ逆に、他のデジタル化された著作物の中古販売についても、著作権者に何らかの権利を認める方向での立法論の検討がなされるべきなのであり、それは既に開始されているのである。
(4) ベルヌ条約及びWIPO著作権条約との関係について
@ 被控訴人は、ベルヌ条約の頒布権は第一譲渡をする(流通におく)権利であり、第一譲渡後は頒布権が消尽することを前提としているから、わが国の著作権法においても同様に解釈すべきである旨を主張する。
 しかし、ベルヌ条約が同盟国に保護を強制するのが「第一譲渡する(流通におく)権利」であるとしても、同盟国が頒布権を第一譲渡後も消尽しないものとするか否かは、同条約の定めるところではなく、同盟国の立法に委ねられており、かつ、同盟国が条約に定められた範囲内で法律又は解釈によって著作権を強化することを否定するものではない。
 また、わが国の著作権法の定める頒布権が単に「第一譲渡をする(流通におく)」権利にとどまらないことは、頒布権によって少なくとも映画フィルムの転々流通をコントロールすることができるという異論のない前提からも、明らかである。
A WIPO著作権条約第6条(2)は、「この条約のいかなる規定も、(中略)権利の消尽について、締約国が自由にその条件を定めることを妨げるものではない。」と規定し、消尽については、各国の立法に委ねている。
(5) 特許権に関する最高裁判所第3小法廷平成9年7月1日判決(民集51巻6号2299頁・以下「BBS事件最高裁判決」という。)で示された国内消尽に関する論旨は、本件には適用されるべきではない。
 BBS事件最高裁判決では、傍論において特許権の国内消尽について論旨が展開されている。しかし、特許法におけるのとは異なり、著作権法においては、映画の著作物についての頒布権が第一譲渡行為後においても消尽しないことを前提に設計されているのであるから、特許権に関する同判決を引用して、右頒布権について国内消尽を論ずることは、的外れである。
(当審における被控訴人の主張の要点)
1 ゲームソフトは「映画の著作物」ではない。
(1) 著作物の一類型としての「映画の著作物」には、「映画の効果に類似する視覚的または視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」た著作物であって、「物に固定」されたものを含むものとされている(法2条3項)。
(2) 「映画の効果に類似する視覚的または視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」た著作物といえるためには、単に、影像が連続して動いているように見えるだけでは足りず、NGフィルム選別、シナリオに従った粗編集、細編集、音づけ等の映画製作過程を通じて、著作者の思想、感情に基づいた一貫した流れのある影像が表現されていることが必要である。
@ この点は、いわゆる三沢市市勢映画事件の高裁判決(東京高等裁判所平成5月9月9日判決)を支持して上告を棄却した最高裁判決(最高裁判所第2小法廷平成8年10月14日判決)により、判例として確定しており、これと矛盾する下級審判決は先例としての意味をなさない。
A 我が国の著作権法上の映画の定義に関する規定は、ベルヌ条約ストックホルム改正会議の成果を受けて起草されている。同会議は、「各画面(カット)をいかにつなぎ合わせて(モンタージュ)、思想感情を伝えるために全体を構成するかという映画表現の手法」により表現されているものを映画的著作物とするとしたものであり、影像の連続さえあれば「映画の著作物」とするとしたものではない。カットやモンタージュ等の映画表現の手法とは、影像や音声を切り取って選び、組み立てること、すなわち編集を意味する。映画は、総合芸術であって、多数の著作物を総合して成り立つものである。多数の既存の著作物である影像や音声を「カットやモンタージュ」することで、既存の著作物の単なる集合を越えた新たなものを明確に固定するところに映画が著作物たる根元的な根拠がある。
B 現行著作権法が、旧著作権法よりも「映画の著作物」の範囲を拡張したのは、劇場用映画のほかにテレビ映画を含めるためであり、それ以外のものは考慮の範囲外であった。
 このことは、昭和44年5月14日の第61回国会衆議院文教委員会における著作権法案(昭和44年法案)提案理由についての立法当局者の補足説明(甲第80号証)から明らかであり、法2条3項の「映画の効果に類似する視覚的または視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」ている著作物との文言は、具体的にはテレビ映画の著作物のみを念頭において規定されたにすぎない。したがって、法2条3項の「映画の著作物」の範囲を、テレビ映画の著作物以外のものまで拡張解釈すべきではない。
(3) 「物に固定」されているとは、特定の有体物を媒介として、「一定の内容の影像が、常に一定の順序で再生される」状態を指す。国語的にも、「物に固定」されるべきものは、上記「著作者の思想、感情に基づいた一貫した流れのある影像」以外にはあり得ない。 また、ここにいう「固定」の語は、「録画」を定義した著作権法第2条第1項第14号にいう「固定」と同様の解釈をすべきである。
著作権法が「映画の著作物」の要件として「固定」性を要求したのは、テレビの生放送を「映画の著作物」に含めないためである。これを、テレビ放送を含む映像表現全体に適用できるように抽象化していえば、「実際に上映したときに初めて具体的な連続影像群が特定されるような映像表現を「映画の著作物」から除外するために「固定」性の要件を設けた」というべきである。
 また、「映画の著作物」に関する著作権法の規定が、いずれも、劇場用映画の利用について映画製作者による配給制度を通じての円滑な権利行使を可能とすることを企図して設けられたものであることからすると、著作権法は、多数の映画館での上映を通じて多数の観客に対して思想、感情の表現としての同一の視聴覚的効果を与えることが可能であるという、劇場用映画の特徴を備えた著作物を、「映画の著作物」として想定しているものと解すべきであり、だとすれば、著作権法上の「映画の著作物」といい得るためには、当該著作物ないしその複製物を用いることにより、同一の連続影像が常に再現される(常に同一内容の影像が同一の順序によりもたらされる)ものであることを、要するというべきである。
(4) 本件各ゲームソフトは、「一定の内容の影像が、常に一定の順序で再生される」ものではなく、ゲームをプレイすることによってモニターに映し出される映像表現は、まさにプレイヤーによるコントローラーの操作等に応じて生成し、生成と同時に消滅してしまうものであるから、「映画の著作物」には該当しない。
2 本件各ゲームソフトは頒布権付きの映画の著作物に該当しない。
 本件各ゲームソフトは、映画の著作物について劇場用映画フィルムの配給制度を前提に頒布権を認めた立法趣旨からして、頒布権を認められるべき映画の著作物に該当しないことが明らかである。また、本件各ゲームソフトには、頒布権を認めるべき実質的な理由もない。
(1) 立法経緯
 頒布権の立法経緯からみて、本件各ゲームソフトを頒布権付きの映画の著作物とみることはできない。
@ 映画的手法
 映画の著作物の定義に関するベルヌ条約ストックホルム改正規定は、映画に類似しているものとして、映画の著作物となるためには、連続影像という視覚的効果があるだけでは足りず、それが、カットやモンタージュ等の映画的手法に適合したものでなければならないことを要するものであること、が確認されたうえ、採択されたものである。控訴人は、ストックホルム改正規定に関連して、視覚的または視聴覚的効果というものが新たな標識ないし基準として登場した旨主張する。しかし、このような理解は全くストックホルム改正規定の経緯を無視するものである。映画の著作物をとらえるのに、控訴人のいう、表現方法における視覚的または視聴覚的効果というものを新たな標識ないし基準とする考え方、が明確に否定されたのが、ストックホルム改正規定なのである。したがって、ストックホルム改正規定を踏まえて立法されたわが国の著作権法においても、頒布権のある映画の著作物であるためには、連続影像という視覚的効果があるだけでは足りず、カットやモンタージュ等の映画的手法に適合したものでなければならないと解釈されるべきである
 画面上に表示される連続影像が一定の内容及び順序によるものとしてあらかじめ定められていることのないゲームソフトが、頒布権を有する映画の著作物に該当することは、あり得ない。
A 配給権
 法26条1項が、映画の頒布権を認めたのは、国際会議の趨勢と、これに基づいて定められたベルヌ条約の規定に従ったものである。わが国においては、映画の配給権という形での商慣習が成立しているという実態があり、そういった映画の分野に存在する商慣習としての配給権イコール法26条1項の頒布権という発想に基づいて、条約の履行として法26条1項は創設されたものである。したがって、配給制度と無関係であり、配給権などないゲームソフトに頒布権を認めることはできない。
(2) 頒布権と配給制度
 配給制度と無関係な本件各ゲームソフトの流通に、頒布権を適用する余地はない。
 映画の著作物について劇場用映画の配給制度を前提に頒布権を認めた立法趣旨からみて、配給制度、配給権と無関係な本件各ゲームソフトは、頒布権が認められるべき映画の著作物に該当しない。映画の著作物にのみ頒布権を認めるという例外的な取り扱いが認められたのは、映画の著作物の特殊性、とりわけその配給制度の保護要請が認められた結果である。すなわち劇場用映画フィルムの場合には、経済的な効用度が高く、一本のフィルムの上映によって多額の収益をあげることができるため、映画の著作物が化体されたオリジナルコピーともいうべき映画プリントの物品的価値に着目して、その行先を指定する権利としての頒布権を認めたものである。したがって、上映による収益が予定されておらず、配給制度、配給権と無関係な本件各ゲームソフトは、頒布権が認められるべき映画の著作物に該当しない。
(3) 頒布権と投下資本回収
 投下資本回収一般のために頒布権が認められているわけではない。
 控訴人は劇場用映画に勝るとも劣らない先行投資を必要とするゲームソフトでも投下資本回収を流通過程で認められる必要があるから頒布権を認めるべきであると論じる。しかし、原判決が述べるように、頒布権は投下資本の回収一般のために認められているわけではなく、劇場用映画フィルムの利用・流通形態の特殊性すなわち配給制度の保護のために認められているのである。大量の複製物の公衆への販売という流通形態に頒布権を適用することはおよそ想定されていなかった。すなわち頒布権が創設されたとき、その前提となった流通は配給制度による配給であり、そのとみ、配給以外の「多様な機会」など存在せず、想定もされていない。
 なお、投下資本の回収が目指されるのは、およそ市場活動一般に妥当することである。著作物の作成に多大な先行投資が必要とされるのは、映画やゲームソフト(それらのすべてが、多大な先行投資を必要とするものというわけではない。)だけでなく、プログラム、データベース、百科辞典等々いくらもある。投資が著作権法上の保護を正当化するわけではない。したがって、仮にゲームソフト製作への投下資本が膨大であったとしても、そのことは、配給制度のないゲームソフトに、頒布権を認める根拠にはなり得ない。大量の複製物の公衆への販売に関して流通をコントロールして投下資本回収を図ることは、頒布権立法当時想定されていないし、これが頒布権の内容とされたこともない。
(4) 頒布権と大量流通
 大量生産され、公衆に大量流通する本件各ゲームソフトには頒布権を与える根拠がない。
 頒布権の与えられるべき映画の著作物は、「少量の複製物しか製作されず、製作された複製物の経済的効用が劇場用映画のオリジナルプリントに比肩するもの」に限定される。本件各ゲームソフトは、そのようなものではないので、これに頒布権を与えるべき根拠がない。また、複製物が多数製造販売され、これが公衆へ譲渡されることが予定されている著作物は、本、音楽CD、プログラムなど他にもたくさんあるが、本件各ゲームソフトのみに頒布権を認めるのは、他の著作物と比較して保護内容に均衡を失することとなる。連続影像性ということから、ゲームソフトに頒布権を認めることを導くことはできない。
(5) 頒布権と公衆提示目的
 法26条1項の頒布権の対象となる頒布は、公衆提示目的(上映目的)の著作権法第2条1項19号後段の頒布であり、公衆提示目的(上映目的)のない本件各ゲームソフトの流通には頒布権を適用する余地はない。
 上映目的でない映画の複製物の頒布には、頒布権は及ばない。WIPOが1978年に発行した逐条解説(和訳1979年)は、ベルヌ条約14条に関し、上映目的でない映画の頒布はそもそも同条項の予定する範囲にないことを明らかにしている。すなわち、映画であっても現在のビデオカセットのような劇場で上映する目的ではなく家庭内で鑑賞する目的のための譲渡をコントロールするようなことはもとより想定されていなかったのである。ましてや、個人の家庭内使用がよりいっそう明らかなゲームソフトについて、その譲渡をコントロールすることが想定されていなかったことは明らかである。
 著作権法第2条1項19号は、映画の著作物を含む著作物一般に関する「頒布」概念として前段頒布(「複製物を公衆に譲渡し、又は貸与する」こと)を規定し、映画の著作物のみに適用される「頒布」概念として後段頒布(「これらの著作物を公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し、又は貸与すること」)を規定していることがわかる。
 後段頒布は、「映画の著作物」にのみ認められた特別の規定であり、これは著作権法第26条(平成11年改正前)という特別の扱いを認めるためにのみ作られた規定である。したがって、後段頒布こそ頒布権という特別な規定の内容をなす「頒布」の意義でなければならない。前述のとおり、後段頒布は公衆への直接的な譲渡、貸与(前段頒布)ではなく、上映目的など公衆に提示する者への譲渡・貸与すなわち配給を意味する。これは、立法当時の映画が劇場において多数の者の需要を一時に満たすという利用形態を前提としており、その限りでは、強力なコントロールの根拠であり得たものである(テレビ放送用映画も同様である。)。
 しかし、ゲームソフトの販売においては、劇場用映画やテレビ放送用映画のように公衆提示目的で譲渡が行われるわけではない。したがってゲームソフトの販売では、そもそも頒布権の対象となる後段頒布はなされておらず、頒布権侵害が生じる余地がない。
(6) テレビ放送用映画の頒布権
 テレビ放送用映画に頒布権が認められていることは、ゲームソフトに頒布権を認める根拠にはならない。
 著作権法制定時に、当初案では映画の著作物には「もっぱら放送のための技術的手段として放送事業者によって作成されたものを含まない」とされていたものが立法段階で削除された事実があるとしても、それは放送用映画を映画の著作物から排除しないという意味を有するにすぎない。しかも放送事業者等が行うこの頒布では、頒布先である放送事業者等によってそのテレビ放送用映画が放送され公衆に提示されることが目的となっているのであるから、むしろこれらの規定は「公衆に提示することを目的とした譲渡・貸与」が(映画の著作物のみに適用される)頒布権における「頒布」概念(著作権法2条1項19号の「後段頒布」)であることを如実に示すものといえる。
 これに引き換え、ゲームソフトには配給制度もないし、消費者向けに大量生産され大量に流通するゲームソフトの販売には、放送や有線放送を行う放送事業者等のような公衆に提示する目的もない。いずれの点から見てもゲームソフトに頒布権を認める根拠は出てこないと言わざるを得ない。テレビ放送用映画に頒布権が認められていることは、ゲームソフトに頒布権を認める根拠にはならない。
(7) 頒布権と反復視聴の可能性
 反復視聴の可能性が少ないことは頒布権を認める根拠とならない。
 控訴人は、映画の著作物に頒布権が与えられたのは、単に多大な先行投資を要するからではなく、映画の著作物は、製作に多大な費用、時間及び労力を要する反面、一度視聴されてしまえば視聴者に満足感を与え、同一人が繰り返し視聴することが比較的少ないという特性が考慮されているからである旨、主張する。しかし、同一人の反復視聴・反復利用の可能性の少ない著作物を特別に保護するとの考えは著作権法にはない。逆にゲームソフトは他の著作物に比べはるかに同一人による反復利用がなされるものであるので、仮に控訴人の前提に立ってもゲームソフトに頒布権を認める必要性を否定する結果にしかならない。
 また、頒布権は配給制度を前提に、これを維持するために認められたものであり、製作に多大な先行投資を行うが反復視聴の可能性の少ない著作物のためにこれを認めた、という立法経緯は全くない。
(8) 頒布権と著作物利用の対価
 ゲームソフトの複製物販売の対価について、市場原理で定まる価格以上のものを保障する理由はないし、そのために頒布権を与える必要性もない。
 控訴人は、有体財産であるゲームソフトの複製物の販売の場合、第一の購入者に対する対価だけでは著作物の利用の正当な対価を得ることができないから頒布権を与えるべき実質的根拠がある旨主張する。しかし、当該ゲームソフトの複製物の販売価格は、市場原理により定まるものである。それにもかかわらず、その価格が自らが希望する価格より低いからといって、ゲームソフトについてだけ特別扱いして、その後の第二以降の売買にまで著作権者の権利を及ぼさせ、自らが希望する価格を回収させる理由はない。事実、ゲームソフトと同様に大量生産・大量流通のものとして複製物の販売がなされる、本、音楽CD、プログラムなどについてそのような必要性が主張されることはないし、むしろ譲渡権は第一譲渡により消尽するとされているのである。控訴人の主張は、独自の見解あるいはゲームソフトメーカーの身勝手な希望に過ぎない。
(9) 頒布権と劇場での上映
 劇場用映画の劇場以外での例外的な公の上映形態があることとゲームソフトについて頒布権を認める根拠とは無関係である。
 控訴人は、ゲームソフトに頒布権を認める理由として、劇場用映画について劇場以外での例外的な公の上映形態をいくつか取り上げて主張する。
 しかし、劇場用映画について劇場以外での例外的な公の上映形態があるからといって、劇場であれ、劇場以外であれ公の上映がなされないゲームソフトについて、頒布権を認める根拠には到底なり得ない。
(10) 頒布権と貸与権
 貸与権規定の創設をゲームソフトの頒布権肯定に結びつけることは誤りである。昭和59年に貸与権が創設されたことと、頒布権のうち公衆への貸与行為ではない譲渡行為を対象とした部分とは何の関係もない。
 貸しビデオは、頒布権ある映画の著作物に該当しないとしても、そうなれば、貸与権の対象となるため、貸与権によって規制することができるから、ビデオソフトについて映画の著作物の頒布権によって規制する必要性は全くない。したがって、貸与権の規定は、貸与権制度の創設当時、立法者はビデオソフトが映画の著作物に該当すると考えていた、とする論拠とはなり得ない。
 貸与権は販売とは関係がない。貸与権を、本件各ゲームソフトにおけるように、多数の複製物が公衆に販売されるものと関連づける控訴人の主張は、非論理的であり、誤りである。ゲームソフトが映画の著作物に当たらないとしても、公衆への貸与については貸与権での規制は可能であるから何ら不都合はない。公衆への譲渡は元々貸与権の範疇外の問題であるから、貸与権の創設によりこれが影響を受けるいわれはない。貸与権の規定創設をゲームソフトの頒布権肯定に結びつけることは誤りである。
 以上のとおり、本件各ゲームソフトは頒布権を認められるべき映画の著作物に該当せず、これに頒布権を認めるべき実質的な理由もない。
3 頒布権の消尽について
 仮に、本件各ゲームソフトにつき頒布権が認められるとしても、頒布は複製物を最初の流通に置くことを意味するので、控訴人がいったん流通に置いた後に、被控訴人が仕入れて販売することに権利は及ばない。
 また、仮に、上記のようにいうことができないとしても、本件各ゲームソフトの複製物が最初に適法に流通に置かれた後は、その複製物について頒布権は消尽すると解すべきである。
(1) 頒布権は第一頒布に適用されるのみで、その後の再頒布には及ばない。
 ベルヌ条約における映画の著作物に関する頒布権は、最初の公衆への頒布行為に適用されるのみであり、いったん頒布された後の再頒布には及ばない。すなわち、WIPOにおけるベルヌ条約議定書の検討のための事務局文書では、この規定の頒布権とは著作物の最初の公衆への頒布行為に適用されるのみであり、いったん頒布された後の再頒布には及ばない、と説明されており、ベルヌ条約上、頒布権は第一頒布に限定されることを当然の前提としている(甲第21号証)。
 ベルヌ条約の英語版と仏語版とは、「頒布」に相当する語の意味するところに差異がある。英語版では、「distribution」という語が用いられており、仏語版では「mise en circulation」という表現が用いられている。英語の「distribution」は二通りに解釈できる。すなわち、第一回目の頒布だけを意味するか、以後の一切の頒布をも合わせ意味するか、である。しかし、仏語の「mise en circulation」(「流通に置くこと」)は、第一の頒布のみを意味する。同条約の第37条1項(c)の下では、多数の言語版の解釈上意見の違いがあるときは、仏語版が優先するものとされているから、(甲第21、第22号証)第一の頒布のみが「頒布」の意味となるのである。
(2) 消尽理論は、「半導体集積回路の回路配置に関する法律」を除き、明文の規定こそないものの、知的財産権法上、既にBBS事件最高裁判決によって確立された法理論である。著作権法において消尽理論を正面から適用又は否定した判決は見当たらないが、これは著作権においては消尽理論が適用されないことを意味するものではない。ちなみに、アメリカやドイツでは、著作権につき消尽が判例法で認められた後に立法化されている。著作権に消尽理論が及ばないとか、著作権に消尽理論の例外を認めるべきであると解すべき理由は何ら存しない。
(3) BBS事件最高裁判決の法理を著作権に当てはめると次のとおりである。
 著作権法による著作権の保護も社会公共の利益との調和の下において実現されなければならない。一般に、譲渡においては、譲渡人は目的物について有するすべての権利を譲受人に移転し、譲受人は譲渡人が有していたすべての権利を取得するものである。著作物の複製物が市場での流通に置かれる場合にも、譲受人が著作権の複製物につき著作権者の権利行使を離れて自由に再譲渡をすることができる権利を取得することを前提として、取引行為が行われるものである。仮に、著作物の複製物について譲渡を行う都度著作権者の許諾を要するということになれば、市場における商品の自由な流通が阻害され、著作物の複製物の円滑な流通が妨げられて、かえって著作権者自身の利益を害する結果を来し、ひいては「文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とする」(著作権法第1条参照)という著作権法の目的にも反することになる。
 他方、著作権者は、著作物の複製物を譲渡するに当たって著作物の複製物の利用の対価を含めた譲渡代金を取得し、著作物の利用を許諾するに当たって許諾料を取得するのであるから、著作物の利用許諾の代償を確保する機会は保障されているものということができ、著作権者又は許諾を受けた者から譲渡された著作物を含む製品について、著作権者が流通過程において二重に利得を得ることを認める必要性は存在しない。
(4) 著作物の複製物の譲渡について頒布権が形式的には及ぶ形になっている法制度をとる国では、例外なく、第一販売で権利が消滅する消尽やファーストセール・ドクトリンなどの法理が認められている。このことは、米国や欧州連合諸国のみにとどまらず、韓国などのアジア諸国や、ロシアなどの旧共産圏諸国でも例外でない。また、WIPOなどの国際会議でも頒布権が国内消尽することは当然の前提となっており、WIPO著作権条約においても、その前提のもとに頒布権の規定が設けられている。わが国の頒布権についても同様に消尽理論を認めるべきである。
(5) 第一譲渡後の著作物の複製物の譲渡、殊に消費者向けに大量に流通するものについては、適法に譲渡された著作物の複製物に対する頒布権による差止めを認めないのが健全な法常識であり、頒布権は消尽し、以後自由に譲渡することができると解すべきである。
(6) 控訴人は、貸与についての頒布権が消尽するとすれば、貸与権が認められた他の著作物とのバランスを失する旨主張する。しかしゲームソフトのレンタルは貸与権の規定でカバーできるから、これを無理に「映画の著作物」とする必要はない(ちなみに、アメリカではゲームソフトのレンタルも許されている)。貸与権の規定の創設をゲームソフトの頒布権肯定に結びつけることは誤りである。
(7) また、控訴人は、特許権の消尽を認めたBBS事件最高裁判決が著作権には、適用されない旨主張する。しかし、前記(3)で述べた消尽を認めるべき根拠に関する部分については、著作権と特許権との間に本質的な違いはない。また、外国(特にドイツなど)における消尽理論は、当初著作権について判例で認められ、その後特許権等について認められたものであることからすれば、特許権には認められる消尽理論が特許権と著作権の本質的相違によって著作権には認められないことになるというような控訴人の主張が誤りであることは、明白である。
(8) さらに、控訴人は、立法の経緯や、著作権審議会において、頒布権は消尽しないものと解されていたなどと主張するが、誤りである。控訴人が援用するものは、単に、頒布権の消尽については、立法府や行政府は明確な解釈を示さず、司法にその解釈をゆだねたことを示しているにすぎず、頒布権が消尽しないものであるとする根拠には何らなり得ない。
 以上のとおり、仮に、本件各ゲームソフトにつき頒布権が認められるにしても、頒布権は複製物を最初の流通に置くことを意味するので、控訴人がいったん流通に置いた後に被控訴人が仕入れて販売することには権利は及ばない。また、仮にそのようにいうことができないとしても、本件各ゲームソフトの複製物が最初に適法に流通に置かれた後はその複製物について頒布権は消尽するものというべきであり、消尽しない頒布権を前提とする控訴人の主張は理由がない。
第3 当裁判所の判断
 当裁判所も、被控訴人の本訴請求には理由があると判断する。その理由は、次のとおりである。
1 法26条1項の定める頒布権の概要及び本件における問題の所在について
 法26条1項は、「著作者は、その映画の著作物をその複製物により頒布する権利を専有する。」と定める。同法条がこのようにして定めた頒布権は、「映画の著作物」についてだけ認められ、「複製物」の「頒布」に関する物権的権利である。「頒布」とは、法2条1項19号の与える定義によれば、「有償であるか又は無償であるかを問わず、複製物を公衆に譲渡し、又は貸与することをいい、映画の著作物・・・にあっては、これらの著作物を公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し、又は貸与することを含む」ものであるから、著作者は、頒布権により、著作物の複製物の譲渡・貸与であって公衆にかかわるものについては、その相手、時期、場所などあらゆる面で完全に支配することが可能であり、著作物の複製物の流通を極めて強力に規制することができることになる。
 本件で問題とされているのは、本件各ゲームソフトのいわゆる中古品につき、その著作権者である控訴人が上記頒布権を有するか否かである。すなわち、本件で判断されなければならないのは、上記中古品は法26条1項にいう「映画の著作物」の「複製物」に該当する、といい得るか否かである。
2 本件各ゲームソフトの、「映画の著作物」該当性について
(1) 法10条1項7号は、同法において保護の対象となる著作物の一つとして、「映画の著作物」を例示し、法2条3項は、同法にいう「映画の著作物」には、「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され、かつ、物に固定されている著作物」を含む、と規定する。「映画」の語自体については、定義規定が置かれていないものの、証拠(甲第6、第9号証の各1ないし3、第69号証、乙第46号証)及び弁論の全趣旨によれば、ここにいう「映画」の語は、フィルムによって固定され、映画館などで一般公開されることを目的として製作される、いわゆる劇場用映画を念頭に置いて規定されたものであることが認められる。
 また、証拠(甲第69、第79号証)によれば、法2条3項は、劇場用映画以外のものであっても、テレビ放送用に作成されたフィルム、ビデオ・テープ等、「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され、かつ物に固定されている著作物」という要件を満たすものについては、著作権法上、「映画の著作物」に含まれることとする趣旨で立法されたものであることが認められる。
 本件各ゲームソフト(原判決の与えた定義(原判決4頁10行〜5頁1行)によれば、「本件各ゲームソフト」は、販売される商品であるから、いずれも著作物の複製物を意味することになる。そこで、以下、これら複製物を作るもととなった物(原作品)を特に示すときは、「本件各ゲームソフト原作品」と、本件で問題とされる態様の流通に置かれる複製物を示すときは、「本件各ゲームソフト複製物」といい、本件各ゲームソフト原作品及び本件各ゲームソフト複製物を含むその複製物の両方を含めて示すときにのみ、「本件各ゲームソフト」ということにする。)が劇場用映画ではないことは、明らかであるから、本件各ゲームソフトが法2条3項にいう「映画の著作物」に当たるか否かは、それが同条項の規定する上記要件を満たすか否かによって決せられるべきである。法2条3項の文言によれば、同条項の定める要件は、@映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されていること(いわゆる表現の要件)、A物に固定されていること(いわゆる存在形式の要件)、B著作物すなわち「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」(法2条1項1号)であること(いわゆる内容の要件)、の3要件に分けられる。
 表現の要件における「視覚的効果」とは、劇場用映画の持つ様々な効果のうちの視覚的効果、すなわち、「長いフィルム上に連続して撮影した多数の静止画像を、映写機で急速に・・・順次投影し、眼の残像現象を利用して動きのある画像として見せる」(広辞苑第5版の「えいが」の項参照)という効果(映写される影像が動きのあるものとして見えるという効果)をいい、視聴覚的効果とは、上記視覚的効果に合わせた音声を伴った効果をいうものと解すべきである。
 存在形式の要件である「物に固定されていること」が必要とされているのは、テレビの生放送番組のように生成と同時に消えていく連続影像を「映画の著作物」に含めないためであり、そこにそれ以上の意味はないというべきである。したがって、「物に固定されていること」とは、著作物が何らかの方法によりフィルム、磁気テープ等の有体物である媒体に結び付くことによってその存在、内容及び帰属等が明らかになる状態にあることをいう、と解すべきである。
 内容の要件である「著作物」とは、法2条1項1号に定義されているとおり、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」をいう、と解すべきである。したがって、上記表現方法である連続影像は、映画の著作物として認められるためには、創作的なものであること(カット、モンタージュ、カメラワークの工夫等何らかの知的活動の成果であること)を要し、創作性を有しない単なる影像の連続にすぎないものは、内容の要件を充足しないと解すべきである。
(2) 被控訴人は、法2条3項の解釈につき、「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じる方法で表現された著作物」であるといえるためには、単に、影像が連続して動いているように見えるだけでは足りず、NGフィルム選別、シナリオに従った粗編集、細編集、音づけ等の映画製作過程を通じて、著作者の思想、感情に基づいた一貫した流れのある影像が表現されていることが必要であり、「物に固定」されているといえるためには、特定の有体物を媒介として、「一定の内容の影像が、常に一定の順序で再生される」状態にあることを要する旨主張する。しかし、法2条3項の文言から、直ちに、被控訴人の主張する上記要件を読み取ることはできない。そうだとすれば、他に、被控訴人の上記解釈が相当であることを裏付けるに足りる実質的根拠が認められない限り、同解釈を採用することはできないというべきである。
@ 被控訴人は、「映画の著作物」に関する著作権法の規定が、いずれも劇場用映画の配給制度を通じての円滑な権利行使を可能とすることを企図して設けられたものであるとし、このことを前提に、著作権法は、多数の映画館での上映を通じて、多数の観客に対し、思想、感情の表現としての同一の視聴覚的効果を与えることが可能であるという劇場用映画の特徴を備えた著作物を「映画の著作物」として想定しているものと解されるから、著作権法上の「映画の著作物」というためには、著作者の思想、感情に基づいた一貫した流れのある影像が表現されており、かつ、常に同一内容の影像が同一の順序で再現されるものであることを要すると解すべきである旨主張する。
 しかしながら、著作権法における「映画の著作物」に関する規定は、主として、規定の設けられた当時現存した劇場用映画の有する特性に着目して設けられた規定であるとはいえても、それらの規定のすべてが、劇場用映画の配給制度を念頭において設けられたとみることには、無理があるといわざるを得ない。確かに、頒布権について定めた法26条1項は、後述のとおり、劇場用映画の配給権を前提とした規定であるということができる。しかし、映画の著作物に関するそれ以外の規定は、劇場用映画を念頭に置いた規定であるとはいえても、劇場用映画が有する種々の側面のうちの配給権の側面に着目して定められた規定であるとはいえない。著作者の範囲について定めた法16条は、劇場用映画の特色のうちの、多様な職種の多数の関係者が様々な形で製作に関与するという特色に着目して、著作者となる者を具体的に明らかにすることを意図した規定である。法29条1項は、劇場用映画が、映画製作者がその企業活動として多額の製作資金を投入して製作し公表する特殊な性格の著作物であること、上記のとおり、映画の著作者の地位に立ち得る多数の関与者が存在するという特色に着目し、映画製作者に著作権を認めることによって、権利関係を明確にし、映画の著作物の利用を円滑化することを意図したものである。そして、法54条は、法16条によれば、映画の著作物の著作者が、監督・カメラマン・美術監督など、多数にのぼるのが通例であり、同条の規定によっても、著作者の範囲が必ずしも明らかでないため、著作者の死亡時を基準として保護期間を計算することは適切ではないとの判断の下に、映画の著作物の保護期間を、その公表後50年間としたものである。また、そもそも、法16条の「演出」とは、テレビ映画におけるディレクターの行為をいうから、同条の対象となる映画の著作物は、劇場用映画に限られるものでなく、法29条2項、3項は、放送事業者又は有線放送事業者が放送又は有線放送のための技術的手段として製作する映画の著作物に関する規定であって、劇場用映画とは無関係の規定であることが明らかである。
 以上によれば、著作権法上の「映画の著作物」に関する各規定は、多くは劇場用映画を念頭に置いて設けられたものであるとはいえるものの、頒布権を定める法26条1項を除き、これらを劇場用映画の配給制度を前提として設けられたものであるとすることはできない。
 したがって、「映画の著作物」に関する著作権法の規定が、いずれも劇場用映画の配給制度を通じての円滑な権利行使を可能とすることを企図して設けられたものであることを前提に、法2条3項にいう「映画の著作物」の範囲を限定して解釈すべきであるとの被控訴人の主張は、その前提を欠くものであって、採用することができない。
A 被控訴人は、いわゆる三沢市市勢映画事件についての高裁判決(東京高等裁判所平成5年9月9日判決)及びこれを支持した最高裁判決(最高裁判所第2小法廷平成8年10月14日判決)を引用して、上記各判決により、被控訴人の主張する解釈は、判例上確定していると主張する。しかし、同判決は、映画の著作物の著作者に関する規定である法16条、29条の適用が問題となった事案においてなされたものであって、本件とは事案を異にするものである。また、同判決の判断内容についても、そこで法2条3項の解釈についての明確な判断がなされていると認めることはできない。したがって、上記各判決により、法2条3項につき被控訴人の主張する解釈が判例上確定したとすることはできない。
B 被控訴人は、法2条3項がベルヌ条約ストックホルム改正会議の成果を受けて起草されたものであり、同会議においては、各画面(カット)をいかにつなぎ合わせて(モンタージュ)、思想、感情を伝えるために全体を構成するかという映画表現の手法により表現されているものを映画的著作物とするとされたことを、上記解釈の実質的根拠として主張する。
 証拠(甲第75、第80号証)及び弁論の全趣旨によれば、同会議の公式提案は、映画に類似する視覚的効果を生ずる方法で表現された著作物で固定されたものを映画著作物とみなす、というものであったが、会議は、公式提案では、単なる影像の連続を感得させるだけで著作物性を欠くものまでが映画著作物に含まれることになるおそれがあるとして、公式提案を否定し、単なる影像の連続を感得せしめるものとしての映画との類似性よりも、より著作物性に重点を置いた影像のモンタージュやカット等の手法的な面での類似性によって映画類似の著作物をとらえる意図の下に、ベルヌ条約ブラッセル規定に「映画的著作物および映画に類似する方法で得た著作物」とあったのを、「映画に類似する方法で表現されているものを含む映画的著作物」と改めたこと、わが国の法2条3項は、昭和45年の著作権法改正の過程において、ストックホルム改正会議で否定された上記公式提案の表現を、表現方法の要件として取り入れつつ、単なる影像の連続にすぎないものは、前記内容の要件により除外することにより、同会議の結果を実質的に取り入れたものであること、が認められる。
 上記認定によれば、そもそも法2条3項の、表現方法の要件は、同会議で否定された公式提案の表現を取り入れたものであり、同要件は、影像の連続を感得せしめるものとしての映画の類似性を問題としたものであるから、被控訴人の解釈の根拠とはなり得ない。また、同会議の結論部分における、影像のモンタージュやカット等の手法的な類似性があることを要するという点についても、これが、「一定の内容の影像が、常に一定の順序で再生されること」を必要とするものであることを認めるに足りる証拠はない。したがって、同会議の結果は、被控訴人の解釈を相当とする根拠とはなり得ないものというべきである。
被控訴人の主張は採用できない。
C 被控訴人は、法2条3項が「映画の効果に類似する視覚的または視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されている著作物」と規定したのは、テレビ映画の著作物を「映画の著作物」に含めることのみを念頭に置いていたものであるから、それ以外のものを含むものと解釈すべきではない旨主張する。しかしながら、立法当時、法2条3項が、そこに含まれるものとしてテレビ映画の著作物しか想定していなかったとしても、そのことは、その後の技術の進歩等により、立法当時存在せず、予想もされていなかったものが前記の3要件を満たすものとして出現し、しかも、それが、立法当時存在し、あるいは予想されたものと同様の扱いを受けるに値する場合に、前者も後者と同じく、法2条3項により著作権法の保護の対象に含まれる、と解することを妨げる根拠にはなり得ないものというべきである。
 被控訴人の主張は採用できない。
 以上に述べたところによれば、法2条3項の解釈についての被控訴人の主張はいずれも採用することができず、他にも、被控訴人の解釈を正当とする実質的根拠となるべき事由を認めるに足りる証拠はない。
(3) 証拠(乙第1ないし第3号証、検証)及び弁論の全趣旨によれば、@本件各ゲームソフトは、いずれも、「眼の残像現象を利用して動きのある画像として見せる」という、映画の効果に類似する視覚的効果を生じさせる方法によって、人物・背景等を動画として視覚的に表現し、かつ、この視覚的効果に音声・効果音・背景音楽を同期させて視聴覚的効果を生じさせていること、A本件各ゲームソフトの影像は、いずれも、ゲームソフトの著作者によって、カメラワーク、視点や場面の切替え、照明演出等が行われ、ある状況において次にどのような影像を画面に表示させて一つの場面を構成するか等、細部にわたるまで視覚的又は視聴覚的効果が創作・演出されていること、B本件各ゲームソフトは、いずれも、著作者により創作された一つの作品として、CD−ROMという媒体にデータとして再現可能な形で記憶されており、プログラムに基づいて抽出された影像についてのデータが、ディスプレイ上の指定された位置に順次表示されることによって、全体として連続した影像となって表現されるものであることが認められる。
 上記認定の事実によれば、本件各ゲームソフトは、前記(1)の3要件を満たすことが明らかであるから、法2条3項にいう、「映画の著作物」に該当するというべきである。
3 本件各ゲームソフトは、「頒布権のある」映画の著作物に該当するか否かについて
 本件各ゲームソフトは、上述のとおり、法2条3項にいう「映画の著作物」に該当するというべきであるから、反対の結論に導く合理的な根拠が認められない限り、法26条1項にいう「映画の著作物」とみられるべきであり、その著作者には同法条所定の頒布権が認められるものというべきである。そして、上記根拠となるべき事情は、本件全証拠によっても認めることができない。したがって、本件各ゲームソフトの著作権者である控訴人は、これについて頒布権を有するものというべきである。
4 本件各ゲームソフト複製物は、頒布権の対象となる「複製物」に該当するか否かについて
(1) 法26条1項が定める頒布権は、前述のとおり、著作物の「複製物」の流通を極めて強力に支配する権利とされている。そこで、本件で、次に問題となるのは、本件各ゲームソフト複製物が同法条にいう「複製物」に該当するか否かということである。
 同法条にいう「複製物」が「複製」された物を意味することは明らかである。そして、法は、2条1項15号で「複製」を「印刷、写真、複写、録音、録画その他の方法により有形的に再製すること」と定義しており、この定義による限り、本件各ゲームソフト複製物が本件各ゲームソフト原作品を「複製」することによって得られたものであることは明らかである。他方、法26条1項は、文言上、そこでいう「複製物」につき格別の制限を付していない。したがって、法26条1項の文言にそのまま従う限り、本件各ゲームソフト複製物には、本件各ゲームソフトの頒布権が及ぶことになる。
 しかしながら、当裁判所は、法26条1項の立法の趣旨に照らし、同条項にいう頒布権が認められる「複製物」とは、配給制度による流通の形態が採られている映画の著作物の複製物、及び、同法条の立法趣旨からみてこれと同等の保護に値する複製物、すなわち、一つ一つの複製物が多数の者の視聴に供される場合の複製物、したがって、通常は、少数の複製物のみが製造されることの予定されている場合のものであり、大量の複製物が製造され、その一つ一つは少数の者によってしか視聴されない場合のものは含まれないと、限定して解すべきであると考える。
(2) 証拠(甲第6号証、第9ないし第14号証、第21号証、乙第24号証。いずれも枝番を含む。)及び弁論の全趣旨によれば、著作権法がその26条1項により映画の著作物にのみ頒布権を認めたのは、ベルヌ条約ブラッセル規定が映画の著作物について頒布権を設けていたことから、条約上の義務の履行として規定を設けたものであること、立法当時、劇場用映画については、劇場や映画館等で公に上映されることを前提に、映画製作会社により製作され、完成したオリジナル・フィルムを本に一定数のプリント・フィルムが複製され、このプリント・フィルムが、映画製作会社から劇場、映画館等に貸与され、貸与の許諾を受けた各劇場、映画館等の間を転々と移転するという流通形態である、いわゆる配給制度の慣行が存在したこと、映画製作会社は、このような配給制度を通じての公の上映によって、劇場用映画の製作に投下した資金を回収しており、1本1本のプリント・フィルムが劇場公開により多額の収益を生み出すものとして、高い経済的価値を有する状態にあったこと、立法者は、このような劇場用映画に特有な流通形態である配給制度の存在と、1本1本のプリント・フィルムの高い経済的価値に着目し、配給制度を実効あらしめるための権利として、フィルムの頒布先、頒布場所、頒布期間等を規制する、他の著作物にはない極めて強力な権利として、頒布権を認めたものであり、頒布権を劇場用映画の配給権と同義であると理解していたことが認められる。
 上記認定によれば、法26条1項の頒布権は、立法当時、著作権による格別の保護のないままに既に存在するに至っていた劇場用映画の配給制度を念頭において、いわば法律上の制度に高めることによりこれを保護し、保障するために規定されたものであることが、明らかである。そして、上記配給制度の下では、配給の対象となるプリント・フィルムは少数しか作成されず、頒布先も劇場、映画館などに限定されていることから、1本1本のプリント・フィルムの経済的価値が高く、これの流通を支配することが認められなければ、投下資本の回収が極めて困難となる反面、頒布権により複製物の流通を規制することを認めたとしても、取引秩序に与える影響は小さいということができる。このように、法が、複製物の流通をほとんど全面的に規制することができる強力な権利である頒布権を、映画の著作物にのみ認めた実質的理由は、劇場用映画の配給制度を保護、保障することにあるということができ、他に、映画の著作物に頒布権を認めた実質的な理由となるべき事由は、本件全資料を検討しても、見いだすことができない。
 このような立法趣旨に照らすと、同条にいう「複製物」は、配給制度による流通を前提とするもの、及び、上記立法趣旨からみてこれと同等の保護に値するもの、すなわち、一つ一つの複製物が多数の者の視聴に供される場合の複製物、したがって、通常は、少数の複製物のみが製造され、著作者はそれら少数の複製物の流通の支配を通じて投下資本を回収すべく予定されている場合のものに限定され、大量の複製物が製造され、その一つ一つは少数の者によってしか視聴されない場合のものはこれに含まれないとするのが、合理的な解釈となるというべきである。
 本件各ゲームソフト複製物が、上記の、大量の複製物が製造され、その一つ一つは少数の者によってしか視聴されない場合のものであることは明白である。したがって、これらは、法26条1項にいう「複製物」に当たらず、したがって頒布権の対象にならないものというべきである。
(3) 上記のような解釈が、法26条1項の文理に反することは、前述のとおりである。しかしながら、当裁判所は、複製物、すなわち、法2条1項15号にいう「複製」によって再製された物に含まれるものであっても、頒布権という極めて強力な権利を映画の著作物のみに認めた立法趣旨に照らし、法26条1項の「複製物」には、上記限定が設けられているものと判断するのが相当であると解するものである。当該条項の適用対象を限定することを相当とする実質的根拠が認められないのに、文言自体には含まれない限定を解釈により加えることが許されないことはいうまでもない。しかしながら、そのような実質的根拠が認められる限り、解釈により文言に限定を加えることが許されるのは当然というべきである。そうしなければ、特に、立法当時予想されていなかった事態が時の経過等に伴って出来した場合など、何らかの形で、むしろ立法の目的自体に反する不当な結果となることが避けられなくなることは、見やすい道理であり、このような結果となることを認めるのが、法の解釈としてあるべき姿とは考えられないからである。頒布権について、その適用対象を配給制度による流通を前提とするものを典型とする、一つ一つの複製物が多数の者の視聴に供される、通常は少数の複製物のみが製造される場合のものに限定することを相当とする実質的理由があることは上記のとおりであるから、法26条1項の「複製物」の文言を限定して解釈することは、法解釈として許されるのみでなく、むしろなされなければならないことというべきである。
(4) 控訴人は、法2条1項19号前段が、ゲームソフト等の流通形態の典型であると考えられる「複製物を公衆に譲渡し又は貸与すること」を基本的な頒布の態様としていることが、本件各ゲームソフト複製物に頒布権が及ぶとの解釈の根拠になる旨主張する。
 法2条1項19号は、「頒布」の定義として、まず、劇場用フィルムの配給行為とはいえない「複製物を公衆に譲渡し又は貸与すること」(同号前段)と規定し、次いで、映画の著作物については、劇場用映画のフィルム配給行為がそれに該当すると考えられる「有償であるか無償であるかを問わず、複製物を公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し又は貸与すること」(同号後段)を含む、として規定しており、文言上、前段の頒布が、映画の著作物を含む著作物の基本的な頒布の態様であるかのような規定の仕方となっていることは、控訴人の主張のとおりである。したがって、もし、同法条が映画の著作物のみのために設けられた規定であるとするならば、控訴人の議論には合理性があるということができる。しかしながら、忘れてならないことは、法2条1項19号は、もともと、特に映画の著作物のみのために設けられた規定ではなく、広く著作物一般のために設けられた規定であるということである(法3条、49条、80条、113条参照)。法2条1項19号がそのようなものであるとすれば、そこにおいて、著作物一般の流通形態の典型である「複製物を公衆に譲渡し又は貸与すること」が基本的な頒布の態様となるのは極めて当然であり、そのこと自体は、映画の著作物に与えられる頒布権の対象として何が認められるべきかの問題とは関係がない事柄であるということができる。現に、立法当時、映画の著作物の頒布権が配給権と同義であると理解されていたことは前記のとおりであり、映画の著作物が不特定多数の者に対する譲渡・貸与という形態で頒布されていたことや、そのような頒布の態様が映画の著作物の頒布の基本的な態様であると認識されていたことを示す形跡は本件全証拠を検討しても見いだすことはできない。そうだとすると、法2条1項19号の文言に関して映画の著作物の頒布権との関係で重要なのは、むしろ、映画の著作物のみのために、劇場用映画フィルムの配給行為を想定しているとみられる上記後段の文言が設けられたことであり、同条項の文言は、法26条1項についての前記解釈を妨げるものではないというべきである。控訴人の主張は、採用することができない。
 なお、被控訴人は、映画の著作物の頒布権は、法2条1項19号後段の「頒布」に限定されるべきである旨主張する。しかしながら、複製物の流通に対する極めて強力な支配権として頒布権を認めた立法趣旨からすれば、その趣旨を貫徹するため、後段の頒布のみならず、前段の頒布も法26条1項の頒布権の対象となると解することが相当であり、被控訴人の主張するように後段の頒布のみに限定するのは相当でないものというべきである。
(5) 控訴人は、昭和59年の著作権法改正により貸与権に関する規定(現行の法26条の3)が創設された際に、映画の著作物については、頒布権があることを前提に、貸与権の適用対象から除外されたこと、当時、貸ビデオも既に存在したことから、立法者は、ビデオソフトのように多数の複製物が公衆に販売、貸与されるようなものも、頒布権の対象となる映画の著作物に含まれることを前提としていたと解さざるを得ない旨主張する。
 証拠(甲第6号証の1ないし3、乙第69号証)によれば、立法当局者による上記改正の解説中に「貸ビデオについては、現行法でもビデオ・ソフトを含む映画の著作物について頒布権(法26条)が認められているが、その他の著作物のレンタルについては端的に権利を認めた規定がない。したがって、著作者等の適正な保護を図るために著作物の複製物の公衆への貸与を著作権制度上どう取扱うかが重要な課題となってきた。」との記載があること、著作権法の解説書において「貸レコード問題を契機として次条の貸与権が創設されたときも、それ以前から映画の著作物については頒布権が認められており、それによって貸ビデオに係る権利者の利益確保はできるということで、貸ビデオについては貸与権の対象とせず、従来通り頒布権で対処することとされました。」との記載があることが認められる。
 上記認定によれば、確かに、貸与権規定の創設当時において、立法当局者に、ビデオ・ソフトに頒布権が及ぶとの理解があったことが認められる。
 しかしながら、上記認定の立法当局者の解説や著作権法の解説書の述べるところは、つまるところ、以前から認められている映画の著作物の頒布権の及ぶものについては貸与についての保護をそれにゆだねることとして、それが及ばないものについての保護のための制度として貸与権が創設された、ということを示すに尽きるのであり、そこには、貸与権制度の創設に際して従来から存在した頒布権の内容に変更が加えられたことを意味するものは、何ら見いだすことができない。これらの中の貸ビデオについての部分は、既に存在する頒布権についての解説者の認識ないし解釈を述べたにすぎないことに帰するものというべきである。現に、法文上も、法26条の3においては、貸与権の適用除外の対象は「映画の著作物の複製物」とされているだけであるから、これを法26条1項と併せて読めば、結局のところ、そこには、既に法26条1項によって「映画の著作物の複製物」として頒布権の認められているものには貸与権は及ばない、という、いわば当然のことが示されているにすぎず、これによって同法条の内容を変えることまでが示されているとすることはできない。そうである以上、貸与権制度の創設のいきさつ及び貸与権を定めた法26条の3のいずれについても、「映画の著作物の複製物」に、ビデオ・ソフトが含まれるとの解釈がそこから当然に導かれるものということはできず、ビデオ・ソフトが含まれるか否かは、これを離れて、法26条1項の解釈により決すべき事柄となるというべきである。
 前記説示のとおり、当裁判所は、法26条1項の立法趣旨に照らし、配給制度等を前提とせず、多くの複製物が製造されて流通に置かれ、その一つ一つは少数の者の視聴にしか供されない場合のものについては、法26条1項の頒布権が認められないとの立場に立つものであり、したがって、多数の複製物が製造され公衆に販売、貸与されるようなビデオ・ソフトが法26条1項の頒布権の対象となる「映画の著作物の複製物」に当たるとの上記見解は必ずしも相当でないと考える。上記立法当局者の見解は、法2条3項の「映画の著作物」に該当するものの複製物であれば、すべて当然に法26条1項の頒布権の対象になるとの見解を前提にしているものと思われる。しかし、このような見解は相当でなく、法26条1項の「複製物」は、上記のとおり、その立法趣旨に照らし、限定的に解釈すべきである。
 仮に、長く続いた事実関係の尊重その他何らかの理由により、ビデオ・ソフトについては、頒布権の及ぶ複製物に該当するとの解釈が採用されるべきであるとしても、法26条1項の前記立法趣旨に照らすと、それはあくまで、必ずしも合理的でない理由により例外的に認められたものにすぎないと考えるべきであり、それと類似するもの一般にその扱いを広げることに、正当性は認められないというべきである。
 結局、後の立法によって設けられた貸与権の制度によって、法26条1項についての上記解釈を変更すべき理由は見いだすことができない。実質的にみても、法26条の3の適用除外の対象となる「映画の著作物の複製物」が頒布権の認められるものを意味することは明らかである以上、上記解釈によっても、頒布権が認められない映画の著作物の複製物は、法26条の3の適用除外の対象とならず、貸与権が認められることになるから、不当な結論を導くことにはならない。
 控訴人の主張は、採用できない。
(6) 控訴人は、頒布権の対象となる映画の著作物の「複製物」の範囲を上記のように限定して解釈すると、法29条2項2号(同条3項2号も同趣旨である。)が、放送用事業者に帰属するいわゆるテレビ映画の複製物に関する権利につき「その複製物により放送事業者に頒布する権利」のみを放送事業者に認めるにとどめ、放送事業者以外の者に対し頒布する権利については、著作者に帰属させた立法趣旨に反する旨主張する。
 しかしながら、同法条は、テレビ映画の複製物につき、放送事業者に、他の放送事業者に対し頒布する権利を認め、その余の複製物に関する権利を著作者に留保したものにすぎず、著作者に留保された複製物に関する権利がいかなるものであるかについて明確に示したものではない。著作者にテレビ映画の複製物につき法26条1項の頒布権が認められるか否かは、上記のとおり、同法条の「複製物」に当たるか否かによって決せられるものであるから、法29条2項2号の規定は、上記解釈を妨げるものではない。
(7) 控訴人は、映画の著作物につき頒布権を認めた実質的根拠の所在につき、それは、映画の著作物は、製作に多大な費用、時間、労力を要すること、一度視聴されてしまえば視聴者に満足感を与え、同一人が繰り返し視聴することが比較的少ないこと、という特性を有することを考慮して、映画の著作物につき投下資本の回収の多様な機会を与えることにあるとして、このような特性を有する本件各ゲームソフトについても、頒布権を認めるべき実質的な根拠がある旨主張する。しかし、法26条1項は、単なる投下資本の回収一般を保護の対象として頒布権を認めたものではなく、劇場用映画の配給制度等の一定の流通態様を通じての投下資本の回収を保護の対象としたものというべきである。法が単なる投下資本の回収一般の保護を目的としていると考えるべき根拠は見いだせず、また、著作物の作成に多大な費用等を要するのは必ずしも映画やゲームソフトに限られるわけではないから、投下資本が多大であること自体は、複製物が大量に製造されそれらが流通に置かれることが予定されている場合の複製物について頒布権を認めるべき実質的根拠にはなり得ない。また、一度視聴されてしまえば視聴者に満足感を与え、同一人が繰り返し視聴することが比較的少ないという点については、他の著作物である書籍やレコード等についても、少なからず見受けられるところであり、映画やゲームソフトに特有のことではないから、上記の点も、頒布権を認めるべき実質的根拠とはなり得ない。
 また、上記投下資本の多大さと同一人が繰り返し視聴することが比較的少ないという点を総合しても、上記実質的根拠とはなり得ないものというべきである。
 控訴人の主張は採用できない。
(8) 控訴人は、ゲームソフトが耐性の高い媒体であるCD−ROMに格納されており、中古品であっても内容が劣化せず、中古品販売を通じて複数のユーザーに数回にわたって完全な満足を与えていることから、中古品売買が行われ、ゲームソフトがユーザーに完全な満足を与えるごとに、その対価を著作権者に環流させなければ、著作権者が十分な対価を得ることができないと主張する。しかしながら、頒布権は、著作権者に投下資本に見合った対価の取得を一般的に保障するために認められた制度ではないことは前述のとおりであるから、控訴人の主張は、それ自体失当である。
 また、その点はさておいても、ゲームソフト製作者が、中古ソフトの売買の際にも対価を回収しなければ十分な対価を得ることができないかどうかについては、これを明確にするに足りる資料は、本件全証拠を検討しても見いだすことができない。控訴人は、中古ゲームソフトの販売によって、新品の売り上げが減少し、ゲームソフトの製作者が多大な被害を受けている旨主張し、証拠(乙第49号証、第61号証の2、第89、第90号証)によれば、平成9年から平成11年までの間の中古ゲームソフトの売上本数がゲームソフトの全売上に占める割合は平均30パーセント弱であったこと、ゲームソフトによっては新品の発売後約2か月で中古品販売台数が新品の販売台数を上回ることがあることを示すデータがあることが認められる。しかし、証拠(甲第54、第55、第62、第89号証)によれば、新品の購入代金の少なくともその一部が、前に購入した中古品の売却代金によって調達されることも少なくなく、中古品の売却代金が新品の需要を喚起している面もあることが認められ、上記認定の新品と中古品の販売台数の比較のみでは、中古品の販売がどの程度新品の販売に影響を与えているのか、新品の販売のみによって、ゲームソフトの製作者が十分な対価を得られていないといえるのかを判断することはできない。
 いずれにせよ、上記の点もゲームソフトにつき頒布権を認めるべき実質的根拠とはなり得ず、控訴人の主張は失当である。
(9) 控訴人は、近年、「映画の著作物」以外の著作物においても、複製物の中古品が公衆に対して販売されることによって新品の販売と異ならない著作物の享受をエンドユーザーに与えることが生じてきており、中古販売業者が新品と異ならない著作物の享受を公衆に提供し、かつ、著作物の公衆への提供行為それ自体によって経済的利益を上げることに対しては、「映画の著作物」以外であっても、著作権者が何らかの権利を行使できるものとすべきであるという考え方がクローズアップされてきているとし、少なくとも「映画の著作物」の中古品の販売については、現行法上、既に設けられている頒布権を認めることによって、このような問題に適切に対処すべきである旨主張する。
 確かに、音楽CD、書籍等、頒布権が認められていない著作物について、複製物の中古品が公衆に対して販売されることによって新品の販売と異ならない著作物の享受をエンドユーザー(最終消費者)に与えるような事態が生じている場合に、現行の著作権法が規定する権利のみでは著作権者の保護として不十分であり、このような事態に対処するため、中古品販売による利益を何らかの形で著作権者に還元する立法等の措置を講ずる必要性がある、とする議論は、十分合理的に成立し得るものというべきである。しかし、だからといって、そのことは、複製物が大量に流通することが予定されている種々の著作物のうち、「映画の著作物」に対してのみ、複製物がそのようなものでないことを前提に認められた、前述のとおり極めて強力に流通を支配する権利である頒布権を認めるべきであるとする根拠にはならないものというべきである。
 控訴人の主張は採用することができない。
(10) 以上のとおり、控訴人の主張は、いずれも、大量に製造され、それらが流通に置かれることが予定されているゲームソフト複製物につき頒布権を認めるべき根拠となり得ず、他にも、このようなゲームソフト複製物に頒布権を認めるべき根拠は、本件全証拠を検討しても見いだすことができない。
5 まとめ
 上に述べたところにより、本件各ゲームソフト複製物は、法26条1項の映画の著作物の「複製物」に該当せず、したがって、これについての頒布権は認められず、控訴人が、同条項に基づき、被控訴人に対し、その販売の中止を請求することは許されないものというべきである。
第4 結論
 以上のとおりであるから、本件各ゲームソフトの中古品の被控訴人による販売につき、控訴人が差止請求権を有しないことの確認の請求を認容した原判決は、結論において相当であって、本件控訴は理由がない。そこで、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法67条、61条を適用して、主文のとおり判決する。

東京高等裁判所第6民事部
 裁判長裁判官 山下和明
 裁判官 宍戸充
 裁判官 阿部正幸
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