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【事件名】印刷用書体ゴナU対新ゴチック体U事件(3)
【年月日】平成12年9月7日
 最高裁(一小) 平成10年(受)第332号 著作権侵害差止等請求本訴、反訴事件
 (一審・大阪地裁平成5年(ワ)第2580号ほか、二審・大阪高裁平成9年(ネ)第1927号)

判決
上告人 株式会社写研
右代表者代表取締役 石井裕子
右訴訟代理人弁護士 花岡巖
同 新保克芳
同 木崎孝
被上告人 株式会社モリサワ
右代表者代表取締役 森沢季公生<ほか一名>


主文
 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人の負担とする。

理由
 上告代理人花岡巌、同新保克芳、同木崎孝の上告受理申立て理由第一点及び第二点について
一 著作権法二条一項一号は、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」を著作物と定めるところ、印刷用書体がここにいう著作物に該当するというためには、それが従来の印刷用書体に比して顕著な特徴を有するといった独創性を備えることが必要であり、かつ、それ自体が美術鑑賞の対象となり得る美的特性を備えていなければならないと解するのが相当である。この点につき、印刷用書体について右の独創性を緩和し、又は実用的機能の観点から見た美しさがあれば足りるとすると、この印刷用書体を用いた小説、論文等の印刷物を出版するためには印刷用書体の著作者の氏名の表示及び著作権者の許諾が必要となり、これを複製する際にも著作権者の許諾が必要となり、既存の印刷用書体に依拠して類似の印刷用書体を制作し又はこれを改良することができなくなるなどのおそれがあり(著作権法一九条ないし二一条、二七条)、著作物の公正な利用に留意しつつ、著作者の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与しようとする著作権法の目的に反することになる。また、印刷用書体は、文字の有する情報伝達機能を発揮する必要があるために、必然的にその形態には一定の制約を受けるものであるところ、これが一般的に著作物として保護されるものとすると、著作権の成立に審査及び登録を要せず、著作権の対外的な表示も要求しない我が国の著作権制度の下においては、わずかな差異を有する無数の印刷用書体について著作権が成立することとなり、権利関係が複雑となり、混乱を招くことが予想される。
二 これを本件について見ると、原審の確定したところによれば、第一審判決別紙目録(三)の書体を含む一組の書体(ゴナU)及び同目録(四)の書体を含む一組の書体(コナM。以下、ゴナUと併せて「上告人書体」という。)は、従来から印刷用の書体として用いられていた種々のゴシック体を基礎とし、それを発展させたものであって、「従来のゴシック体にはない斬新でグラフィカルな感覚のデザインとする」とはいうものの、「文字本来の機能である美しさ、読みやすさを持ち、奇をてらわない素直な書体とする」という構想の下に制作され、従来からあるゴシック体のデザインから大きく外れるものではない、というのである。右事情の下においては、上告人書体が、前記の独創性及び美的特性を備えているということはできず、これが著作権法二条一項一号所定の著作物に当たるということはできない。また、このように独創性及び美的特性を備えていない上告人書体が、文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約上保護されるべき「応用美術の著作物」であるということもできない。
三 結論
 以上のとおり、上告人書体が著作物とはいえないとした原審の主位的請求に関する判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は採用することができない。
 なお、予備的請求に関しでは、上告受理申立ての理由が上告受理の決定において排除された。
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判長裁判官 井嶋一友
裁判官 遠藤光男
裁判官 藤井正雄
裁判官 大出峻郎
裁判官 町田顯


上告代理人花岡巌、同新保克芳、同木崎孝の上告受理申立て理由

はじめに
 本件の第一審は、上告受理申立人の相手方に対する書体に関しての@著作権に基づく著作権侵害差止等の請求及びA不法行為に基づく損害賠償請求等の予備的請求を棄却した(大阪地方裁判所平成九年六月二四目判決、平成五年(ワ)第二五八〇号著作権侵害差止等請求事件(本訴)、平成五年(ワ)第九二〇八号著作権侵害差止等請求事件(反訴))。それは、著作権に基づく請求に対しでは本件書体の著作物性を否定し、不法行為に基づく請求に対しては「一組の書体のほぼ全体にわたってそっくり模倣し…た」とはいえないとするものであった。
 原判決は、この一審判決を維持したものであるが、それは左記のように法令の解釈を誤ったものである。
第一点 書体の著作物性についての法令解釈の誤り
一 原判決は、書体が美術の著作物として保護されるための要件について、「ゴナのような印刷用書体であってなお美術の著作物として著作権の保護を受けるものがあるとすれば、それは、文字が本来有する情報伝達機能を失うほどのものであることまでは必要ではないが、その本来の情報伝達機能を発揮するような形態で使用されたときの見やすさ、見た目の美しさ等とは別に、こうした実用性の面を離れてもなお当該書体それ自体が一つの美術作品として美的鑑賞の対象となり得ることが社会通念上認められるものでなければならないというべきであり、そのためには、一般的にいって、これを見る平均的一般人の美的感興を呼び起こし、その審美感を満足させる程度の美的創作性を持ったものである必要があるといえる。」と述べ、ゴナについてはこの要件を満たさないとして著作物性を否定した。
 しかし、書体が美術の著作物として保護される要件を右のように極度に限定的に解して、ゴナの著作物性を否定した原判決は、著作権法二条一項一号、一〇条一項四号の解釈適用を誤った違法なものであり、この違法が原判決に影響を及ぼすことは明らかである。
 以下、理由を詳述する。
二 まず、原判決は、最高裁判所の先例の処理における判断(最高裁昭和五八年(オ)第七九九号(ヤギ・ボールド事件))と相反するものである。
 右ヤギ・ボールド事件は、「ヤギ・ボールド」等四つのアルファベット書体の創作者が、これらの書体を無断で書体見本帳に創作者名も付さずに掲載するなどしたのは書体の著作権侵害であるとして、その書体見本帳の発行差止、損害賠償等を求めた事案である。第一審(東京地裁昭和五四年三月九日判決、判例タイムズ三八三号一四九頁)、第二審(東京高裁昭和五八年四月二六日判決、判例タイムズ四九五号二三八号)はいずれも、書体の著作物性を否定して請求を棄却したが、最高裁において、裁判官の強い和解勧告により、左のような和解が成立している。
「一 上告人は、被上告人柏書房株式会社に対する本件上告を取り下げる。
 二1 上告人及び被上告人桑山は、今後創作されたタイプフェイスを出版物に引用する場合には、創作者の了解を得た上、その氏名を明記する慣行を作ることに努力する。
2 被上告人桑山は、上告人に対し、本件出版物に上告人が創作した本件タイプフェイスを引用する際、その創作者が上告人であることの調査が不十分であったため、その引用につき上告人の承諾を得なかったこと及び引用部分に上告人の氏名を表示しなかったことについて本日遺憾の意を表示する。
3 上告人の被上告人桑山に対するその余の請求を放棄する。
三 訴訟費用は各自弁とする。」
 「ヤギ・ボールド」等の右各書体はいずれも、いわゆる「書」や「花文字」のようなものではなく、普通に情報伝達のために印刷、使用される形態の書体である。右ヤギ・ボールド事件の東京高裁判決も、「本件各文字にはデザインが施されているとはいえ、各文字、数字、その他の記号などは、本来的にそれらの組合わせによって、情報伝達という実用的機能を期待されたものであり、それがため、そこに美の表現があるとしても、文字等についてすべての国民が共通に有する認識を前提として、特定の文字なり、数字なりとして理解されうる基本的形態を失ってはならないという本質的制約を受けるものである。この点からしても、本件各文字を美術鑑賞の対象として絵画や彫刻などと同視しうる美的創作物とみることはできない。」と判示している。本件の原判決のように書体の著作権成立を極めて限定的に解する立場を採れば、右「ヤギ・ボールド」等の著作物性も否定されるであろう。しかし、そのような書体であっても、最高裁は、右のとおり実質的には書体に著作権を認める形で和解を成立させたのである。
 したがって、原判決には最高裁の先例の処理における判断と相反する判断があるものと評価できるのであり、法令の解釈に関する重要な事項を含むものとして、本件上告受理申立が受理決定されるべきことは明らかである。
三 原判決は、書体が美術の著作物として保護される要件を右のように極めて限定的に解する理由として、「本件で問題とされるゴナ等のようなタイプフェイス(印刷用書体)は、……その性質上、万人にとって読解可能で読みやすいといった文字が本来有する情報伝達機能を備えることが最低限必要であるとともに、何よりも重視されるものである。したがって、その形態については、そこに美的な表現があるとしても、情報伝達という実用的機能を十全に発揮し、特定の文字として認識され得るように、字体を基礎とする基本的形態を失ってはならないという制約を受けるものである。……(そのため書体の創作性の)裁量の幅は大きくなく、また、過去に成立した各種書体からの大きな差異を創出する余地も余りないものといわなければならない。このような書体に内在する制約や書体の実用的機能にかんがみると、書体は、純粋美術として成立する「書」とはかなり趣を異にし、一般的に、知的・文化的活動の所産として思想又は感情を創作的に表現する美術作品としての性質まで有するに至るものではなく、これに著作権の成立を認めることは困難といわなければならない。」と述べている。
 確かに、原判決の言うとおり、書体の形態は、情報伝達という実用的機能を十全に発揮し、特定の文字として認識され得るように、字体を基礎とする基本的形態を失ってはならないという制約があるため、その創作性の裁量の幅が、美術の著作物の代表である絵画などと比較すると狭いのはその通りである。しかし、だからといって、書体の著作権成立を原則として否定するのは誤りである。
 例えば、ある景勝地で、何人かのカメラマンが、同じ地点から同じ方向で写真を撮った場合、その写真は自ずと似たようなものとならざるを得ず、その創作性の範囲は書体以上に狭いものである。しかし、そのような写真であっても、すべて何ら限定なく、それぞれ別個の著作物として保護されることに異論は唱えられていない。字体という制限のために創作性の幅が狭いからといって、書体についてだけ、著作物として保護される範囲を極端に限定する原判決の法解釈は明らかに誤っていると言わざるを得ない。
 なお、右のような字体という基本的制約がある中においても、毎年多くの新書体が数多くのデザイナーによって創作され、上告受理申立人あるいは相手方を初めとする書体制作会社によって商品化されているのが実状である。原判決は、「過去に成立した各種書体からの大きな差異を創出する余地も余りない」などというが、書体に関する素人的な認識に基づく誤った判断と言わざるを得ない。
 書体は、書体デザイナーが、デザインコンセプトを決めて、これを実現するために、一文字ずつ多大の時間と費用をかけてデザインしていくものであり、こうした創作活動の末に創り出される新たな書体は、デザイナーの思想又は感情を創作的に表現したものであり、著作物性を備えたものであることは明らかである。そして、創作されたものが社会的にどのように利用されるかは、著作物性の判断とは関係ないものであり、創作されたものが実用目的で利用されようとも、そのことは著作物性に影響を与えるものではない。原判決は、「タイプフェイスが前記のとおり多くの労力、時間、費用を費やして制作されること等に照らしてこれに対する何らかの法的保護を与えることは検討に値する」としながら、後記四、五のような消極的理由から、書体についてのみ、著作物として保護されるためには、「思想又は感情を創作的に表現したもの」という明文の要件以外にも、「これを見る平均的一般人の美的感興を呼び起こし、その審美感を満足させる程度の美的創作性」という特別の要件が必要であるとして、事実上その保護を全面的に否定しているが、極めて不当な判断である。
四 原判決は、書体が美術の著作物とし
て保護される要件を右のように極めて限定的に解する理由として、「仮に書体に著作権の成立を肯定すると、類似した著作権が、成立時期も不明確なまま、数多く、かつ、権利者が法人であれば五〇年、個人であればさらに長期にわたって成立し得ることとなり、その登録制度もない我が国においては、著しい混乱を誘発するおそれがあり、結果的に、広く利用されるべき文字の使用自体にも支障をもたらすおそれがある。」ということも述べている。
 しかし、書体以外の著作物性に争いがないものであっても、類似した著作権が成立する場合も多いこと、著作権の成立時期が不明な場合も多いこと、登録制度がないことは、書体の場合と同じであり、現に、書体以外の著作物についても多くの著作権侵害に関する紛争が起こっており、裁判にまで発展している事案も多い。著しい混乱を誘発する「おそれ」を理由に、書体についてのみ、著作物として保護されるために加重な要件を要求する原判決の判断は、法令の解釈を誤った違法なものである。また、原判決は、右のとおり、書体に著作権を認めた場合「結果的に、広く利用されるべき文字の使用自体にも支障をもたらすおそれがある」というが、これも失当である。書体について類似した著作権が数多く成立したとしても、それら数多くの書体は、数多くのデザイナーの創作活動の末できあがったものであり、もともとこの世には存在しなかったものである。そのような書体についてどのような使用を認めるかは、本来書体創作者が自由に決めることができるはずのものであり、「広く利用されるべき文字の使用に支障をもたらす」などと言って、書体の著作物性を原則的に否定するのは、書体創作者の知的・文化的活動の努力を全く無視したもので、到底容認できない判断である。
五 原判決は、さらに、書体が美術の著作物として保護される要件を右のように極めて限定的に解する理由として、「右のような要件を満たさない書体までが一般的に著作物として保護されることになれば、言語の著作物を印刷により出版することが一般的である今日、言語の著作物を出版する際に、書体の著作者の氏名を逐一表示しなければならないなどの対応を余儀なくされるばかりでなく、出版された言語の著作物を複写によって利用する場合、当該言語の著作物の著作権者の許諾だけではなく、印刷に使用された書体の著作権者の許諾をも受ける必要があり、また、出版された言語の著作物自体は著作権による保護の対象とならないもの(著作権法一三条)であるときでも、使用された書体の著作権者の許諾を受ける必要があることになり、著作権の存続期間が長期にわたることもあって、言語の著作物の利用に対する重大な支障になることは明らかであり、著作物等の「文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作権者等の権利の保護を図」るという著作権法の目的(一条)に反することにもなる。」とも述べている。
 印刷業界、出版業界、サインディスプレー業界、コンピュータ業界等では、真に創作された書体はすべて、著作物であると理解され、印刷業者等の書体ユーザーは、書体の著作権者から書体を購入したり、あるいは有償で使用許諾を受けている。しかし、書体は、出版物等に文字組として固定して使用するのが通常の方法であり、文字組固定された出版物が複写によって利用されることも通常予想されるので、右書体の売買あるいは使用許諾契約の際、その書体を使用して言語の著作物を印刷により出版したり、文字組固定された出版物等を複写によって利用することについては、書体の著作権者は許諾(明示あるいは黙示の)を与えているのである。これは業界の商慣行として古くから定着しており(業界の慣習法として成立していると言ってもよい)、何の混乱も起こっていない。
 したがって、書体に著作権を認めたとしても、言語の著作物の利用に対する支障が出ることは考えられない。もし仮に、書体の著作権者が、正当に入手した書体を用いての印刷出版、あるいはその出版物の複写等についてまで、書体の著作権侵害であると主張するようなことが起こったとしても、前述の黙示の許諾を認めたり、書体が販売(あるいは使用許諾)された時点で当該書体の著作権は消尽(用尽)したと解したり、あるいは権利濫用であるとして、そのような主張を封じ、妥当な結論を導くことが十分可能である。
 また、書体に著作権を認めると、言語の著作物の利用が制限され、「文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作権者等の権利の保護を図る」という著作権法一条の目的に反することになるとの原審の判断もまた失当である。書体一般に著作権成立を認めてその権利保護を図ったとしても、国民の言語の著作物の公正な利用は、前述のとおり、黙示の許諾、消尽(用尽)、権利濫用といった構成で十分に守ることができるのである。原判決のように、ほとんどあり得ない心配を理由に、書体の著作物性を事実上否定することこそ、著作権法一条の趣旨に反するものである。
六 以上のとおり、書体が美術の著作物として認められるためには、「文字が本来有する情報伝達機能を失うほどのものであることまでは必要ではないが、その本来の情報伝達機能を発揮するような形態で使用されたときの見やすさ、見た目の美しさ等とは別に、こうした実用性の面を離れてもなお当該書体それ自体が一つの美術作品として美的鑑賞の対象となり得ることが社会通念上認められるものでなければならないというべきであり、そのためには、一般的にいって、これを見る平均的一般人の美的感興を呼び起こし、その審美感を満足させる程度の美的創作性を持ったものである必要がある」として、書体のみに加重な要件を課した原判決は、判決に影響を及ぼす法令の解釈の誤りがあり、それは最高裁判所の先例の処理における判断と相反する判断、その他法令(著作権法二条一項一号、一〇条一項四号)の解釈に関する重要な事項を含むものであるから、上告受理申立の受理決定がなされるべきことは明らかである。
第二点 ベルヌ条約の解釈の誤り
 仮に、書体が応用美術であって、著作権法にいう美術の著作物として保護されないとしても、少なくとも著作権法五条、ベルヌ条約二条(1)項、(6)項及び(7)項に基づき同条約により保護されることになるという上告受理申立人(原告)の主張に対し、第一審判決は、ベルヌ条約は、保護を受ける「文学及び美術的著作物」として応用美術の著作物を掲げるが(二条(1)項)、二条(7)項で、応用美術の著作物に関する法令の適用範囲及び応用美術を著作物として保護する条件については基本的に締約国の国内法の定めるところに委ねることとされているのであるから、応用美術のうち意匠法による保護の与えられないものはすべて著作権法により保護されるものとの趣旨であるとは解されないと判示した。
 これに対し、上告受理申立人(控訴人)は、控訴審に扱いて、「ベルヌ条約二条(7)項が締約国の国内法の定めるところに委ねているは(ママ)、応用美術を著作物として保護するか意匠として保護するかという選択、並びに応用美術を著作物として保護した場合の具体的条件設定についてだけである。ベルヌ条約は、二条(6)項で「前記の著作物は、すべての同盟国において保護を受ける」と定めているが、この「前記の著作物」には応用美術も当然含まれ、何らの限定も付されていない。したがって、ベルヌ条約は、応用美術が同盟国において何らの保護も受けられないというようなことは認めていないのである。日本は、このベルヌ条約を何らの留保なく批准しているのであるから、書体(書体が少なくとも応用美術であることには争いはない)が日本の著作権法や意匠法で保護されないのであれば、ベルヌ条約そのものによって保護されることとなるのである。原判決の右判断は誤りである。」旨反論した。
 しかし、原判決は、この反論を当事者の主張の事実摘示に追加したものの、これについて何ら判断を示さないまま一審判決の判断をそのまま維持しており、原判決には法令(著作権法五条、ベルヌ条約二条(1)項、(6)項及び(7)項)の解釈を誤った違法があり、この違法が原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。
 よって、この点からも、原判決は、法令(著作権法五条、ベルヌ条約二条(1)項、(6)項及び(7)項)の解釈に関する重要な事項を含むものであり、上告受理申立の受理決定がなされるべきことは明らかである。
第三点 訴松手続法違反(審理不尽)
 第一審判決は、新ゴシック体がゴナを複製(模倣)したものであるかどうかという点について、「被告らが新ゴシック体の制作に当たりゴナを参考にしたことが窺われるものの、新ゴシック体の制作に当たり小塚及び森を中心とするスタッフがゴナを手元においてこれを槙倣したとの事実を直接認定できるだけの証拠はない」(一二五頁八〜一一行)と判断して、不法行為の成立を否定した。
 しかし、第一審判決が要求する「新ゴシック体の制作に当たりスタッフがゴナを手元においてこれを模倣したとの事案を直接認定できるだけの証拠」は、実際に新ゴシック体制作に携わった者の証言しかあり得ない。そして、第一審で取り調べられた小塚証人は、新ゴシック体の平仮名の制作には直接関わっていたものの、漢字の制作については直接関わってはいなかった。そこで、上告受理申立人(控訴人)は、控訴審において、新ゴシック体の漢字の制作に直接携わっていた森輝氏、戎保雄氏、中村一郎氏の証人尋問を申請した。しかし、原裁判所は、いずれの証人も採用することなく、右第一審判決の判断をそのまま維持した。
 右森、戎、中村らを証人として取り調べることは、新ゴシック体(その中でも特に漢字)がゴナを模倣して作られたものであることを明らかにするためにぼ必要不可欠であるにもかかわらず、原審の大阪高裁は、上告受理申立人の立証の機会を不当に制限したまま右のような判決を下したものであり、原判決の結論に影響を及ぼす審理不尽の違法があることは明らかである。
 よって、この点からも、本件上告受理申立の受理決定がなされるべきである。
 以上

最高裁判所第一小法廷
 裁判所書記官 佐宗弘貴
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