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【事件名】昭和天皇コラージュ訴訟事件
【年月日】平成10年12月16日
 富山地裁 平成6年(ワ)第242号 国家賠償等請求事件
 (口頭弁論終結日 平成10年7月29日)

判決
原告 別紙当事者目録記載のとおり
右35名訴訟代理人弁護士 中北龍太郎
富山県(以下住所略)
 被告 富山県
右代表者知事 中沖豊
富山県(以下住所略)
 被告 富山県教育委員会教育長 飯田宗映
右両名訴訟代理人弁護士 細川俊彦
右両名指定代理人 山本勇宰
右同 棚瀬佳明
石同 金森達雄
右同 山本賢治


主文
一1 被告富山県は、原告佐伯利丸に対し、金3万円、原告浅見克彦、同太田俊男、同岡山寛、同柏木美枝子、同木下忠親、同佐伯篤子、同澤田陽子、同三橋秀子、同宮崎俊郎及び同胸永等に対し、それぞれ金2万円、及び右各金員に対する平成6年9月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 右原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
二 石原告らを除くその余の原告らの被告富山県に対する請求をいずれも棄却する。
三 原告らの被告富山県教育委員会教育長に対する訴えをいずれも却下する。
四 訴訟費用は、2項の原告らと被告らとの問においては、全部同原告らの負担とし、1項の原告らと被告らとの間においては、同原告らに生じた費用の10分の1と被告富山県に生じた費用の5分の1を被告富山県の負担とし、同原告ら及び被告富山県に生じたその余の費用並びに被告富山県教育委員会教育長に生じた費用は同原告らの負担とする。

事実及び理由
第1 原告らの請求
一 被告富山県は、原告大浦信行に対し、金100万円、原告大浦信行を除く原告ら各自に対し、金10万円、及び右各金員に対する平成6年9月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
二 被告富山県教育委員会教育長のした、原告大浦信行が製作した「遠近を抱えて」と題する連作版画7、8、9、10の売却処分及び「'86富山の美術」と題する図録の焼却処分が無効であることを確認する。
三 被告富山県教育委員会教育長は右版画を買い戻し、右図録を再発行せよ。
四 訴訟費用は被告らの負担とする。
五 仮執行宣言
第2 事案の概要
一 本件は、富山県立近代美術館(以下「県立美術館」という。)が、原告大浦信行(以下「原告大浦」という。)の製作した「遠近を抱えて」と題する連作版画7、8、9、10(以下「本件作品」という。)を収蔵していたところ、本件作品及び本件作品等を収録した図録(以下「本件図録」という。)を非公開、本件図録を非売品とし(以下「本件非公開措置」という。)、さらに、本件作品を売却し(以下「本件売却」という。)、本件図録を焼却した(以下「本件焼却」という。)ことから、原告大浦は表現の自由を侵害されたなどとして、原告大浦を除く原告ら(以下「その他の原告ら」という。)は知る権利を侵害されたなどとして、被告富山県(以下「被告県」という。)に対し、損害賠償を求め、被告富山県教育委員会教育長(以下「被告教育長」という。)に対し、本件売却及び本件焼却の無効確認並びに本件作品の買い戻し及び本件図録の再発行を求めた事案である。
二 争いのない事実及び証拠により容易に認められる前提事実
1 当事者等
(一) 原告ら
 原告大浦は、昭和24年に富山県で生まれた美術作家で、昭和46年に国学院大学を卒業後、本件作品を含む連作版画「遠近を抱えて」14点(以下「本件版画」という。)を始め、多数の版画等を製作し、国内外の展示会で作品の展示を続けてきた(原告大浦本人)。
 その他の原告らはいずれも、本件作品の鑑賞、本件図録の閲覧又は購入を希望していた(原告佐伯利丸本人、弁論の全趣旨)。
(二) 県立美術館
 県立美術館は、昭和56年に開館し、国内外における20世紀美術の流れを展望するとともに、郷土美術の伝統をたしかめ発展させることを基本姿勢とし、21世紀をめざして、新しい創造の可能性を見いだすにふさわしい文化拠点としての役割を果たすことを運営の基本方針としている(甲13の2)。
 県立美術館は、美術品等を収集、保管、展示することや、美術に関する案内書、解説書、目録、図録、年報、調査報告書等を作成し、頒布する事業を行い(富山県立近代美術館条例4条(1)、(4)、甲13の3)、県立美術館においては、常設展示室及び企画展示室において展示している美術品を観覧することができるほか、富山県教育委員会(以下「県教育委員会」という。)の許可を受けて、展示又は保管している美術品について学術研究等のために模写、模造、撮影等の特別観覧をすることができ、県教育委員会は、美術品の管理のために必要な範囲内で条件を付すことができる(同条例7条1、2項)。そして、特別観覧をしようとする者は、特別観覧をしようとする日の七日前までに、特別観覧許可申請書を被告教育長に提出しなければならない(同条例施行規則4条1項、甲13の1)。
 さらに、同条例は11条で入館の拒否及び制限について規定し、(1)他の入館者に迷惑となる行為をするおそれがあるとき、(2)施設設備、美術品又は美術資料を汚損し、又は損傷するおそれがあるときには、県教育委員会は入館を拒否できるとしている。
2 本件作品及び本件作品の県立美術館における展示、購入の経過等
 本件作品は、昭和57年ないし昭和58年に製作され、材質は和紙、リトグラフ、シルクスクリーンであり、寸法は77センチメートル×57センチメートルであり、昭和天皇の肖像と東西の名画、解剖図、家具、裸婦などを組み合わせて構成され、コラージュと呼ばれる手法を用いた作品である(甲152、検甲1たいし4、原告大浦本人)。
 昭和61年3月15日から同年4月13日にかけて、県立美術館において、県立美術館主催の展覧会「'86富山の美術」(以下「本件展覧会」という。)が開催され、本件版画のうち本件作品を含む10点が展示された。
 本件展覧会の出品作家及び作品は、昭和60年2、3月ころ、富山県立近代美術館収蔵美術品選定委員会(以下「選定委員会」という。)において、富山県在住ないし出身の作家である60人の中から30人が選考され、館長決定となった(証人久泉迪雄)。
 選定委員会は、本件作品を購入するため、富山県知事(以下「県知事」という。)あてに、「社会的な現象を一定のパターンにとらわれることなく、作者の個性が高く表現された作品である。」との意見内容を記載した意見書を提出した。
 被告県は、昭和61年3月19日、原告大浦から本件作品を各5万円、合計20万円で購入した。
 原告大浦は、県立美術館から右購入の申入れがあった際に担当学芸員から本件版画のうち本件展覧会において展示された本件作品以外の6点について寄贈してほしいとの申入れがなされたため、右申入れを承諾し、右6点を寄贈した。
 また、県立美術館は、本件作品及び本件展覧会において展示された作品を収録した本件図録を製作した。
3 富山県議会における議員の発言
(一) 昭和61年6月4日、富山県議会(以下「県議会」という。)の教育警務常任委員会において、議員が、被告県側に対し、本件作品を見て不快感を覚えたとして、本件作品の本件展覧会での選考意図、選考経過、県民の反響、購入経過などについて質問した(甲147、乙6)。
 県議会における右質疑応答は、翌日、新聞紙上で大きく報道された(甲147)。
(二) 同年7月11日、県議会の定例議会において、議員が、本件作品は不快感を与えるようなものであり、右翼を挑発し、行動させたことについては社会常識と風潮を無視し常識外れの判断を示した県立美術館館長に一切の責任がある、県民の美術感情を原点とした運営についての基本姿勢をただすとともに、館長制度の任期を含めた機構改革を強く要望するなどと発言した(乙7)。
4 本件作品、本件図録の廃棄等を求める動き
 前記3、(一)の新聞報道以後、本件作品及び本件図録の廃棄等を求める団体やその構成員ら(以下「非公開派」という。)は、県立美術館や被告県に対し、以下のとおりの活動をした(なお、非公開派の活動の経緯の詳細は別紙経過一覧表の「非公開派」の活動とされる部分のとおりである。)。
(一) 昭和61年6月6、7日
 井口村神主の井頭克彦(以下「井頭」という。)、雷鳴塾塾長の安達福松(以下「安達」という。)、日枝神社の平尾宮司、神社新報の西田記者は、それぞれ電話で、あるいは県立美術館を訪れ、「戦後、天皇に対する不敬罪がなくなったのをいいことに、天皇の写真を悪用した作品を展示したことは問題である。美術館は法律論で表現の自由を主張しているが、法律論を超えた国民感情が納得しない。宮内庁に抗議したが、事実関係を知らないので答えられないと言ったが、今の宮内庁はなっていない。」と抗議し、「当該収蔵作品の破棄、小川館長の辞職、小川館長による皇室に対する崇拝の念の披歴」を要求した(乙11)。
(二)同月16日
 安達らは、富山県庁(以下「県庁」という。)の秘書課を訪れ、職員が「美術館は教育委員会の所管であり、文化課で取り扱っているので詳しくは分からない。」などと言うと、「県の中枢にいてどうして知らないのか。」、「この問題は富山県一県の問題ではなく全国的に右翼の問題になっているものである。「件」の作品を一か月余りも展示したことは、近代美術館、文化課や教育委員会の問題ではたく、知事の責任である。」と言った(乙13の1)。
 さらに、安達らは、県庁の県教育委員会室を訪れ、職員に対し、「天皇陛下の写真といれずみの裸婦をならべたようた作品は、靖国神社でストリップショーをやるようなものであり、許すわけにはいかない。天皇は日本国の象徴であり、これを侮辱したのは許せない。」と言い、小川館長については「館長は公舎を私物化している。女のところへ入り浸っており、近所でも問題にされている。表札がM・OGAWAとなっている。日本式の表示にしなければならない。館長は秘密左翼文化人の影響を受けている。」などと言った。その後、抗議書を朗読し、県知事に渡すよう要求した(乙12、13の2)。
(三) 同年7月3日
 井頭は、被告県に対し、本件作品を公開、展示しないとしても、美術品として収蔵する以上、陛下に対する不敬、不忠行為は免れず、廃棄処分、井頭が引き取る、作者が自主的に引き取るかのいずれかを要求するなどと書いた「富山県立近代美術館の不敬問題について」と題する書面を送付した(乙14の1、2)。
(四) 同月11日
 井頭、不二歌道会の西川泰彦(以下「西川」という。)は、県庁の県教育委員会室を訪れ、本件作品の廃棄、県立美術館館長の処分、選定委員の入れ替え、本件作品の制作者による引き取り、県知事や県教育委員会委員及び県立美術館館長との面談などを要求した(乙15の1ないし3)。
(五) 同月21日
 大日本量武会等30数団体の約220名、車52台は、富山城址公園広場に集合し、参加団体の長らが県庁を訪れ、秘書課長に対して県知事との面会を申し入れ、県教育委員会室において抗議し、社会教育部長に対して県立美術館館長の辞職を要求する旨の県知事あての「警告書」と題する書面を手渡し、その後、県庁周辺、富山市内において街宣活動をした(乙16、17の1、2)。
(六) 同月23日
 殉国機関日本国士会の谷口信義(以下「谷口」という。)は、県教育委員会文化課に電話し、「我々は極右の団体である。作品が将来展示されないといっても、そこにあるということが納得できない。過激な行動をとらざるを得ない。」などと言った(乙18)。
 井頭は、県教育委員会文化課長に対し、「作者が反省し作品が破棄焼却されるまで我々は追及を止めぬつもりであります。我々が常に問題にしておるのは県立美術館という公の組織施設が不敬行為の片棒を担ぐという不明非常識さをいう。」などと書いた書面を送付した(乙19の1、2)。
(七) 同年9月5日
 日本皇臣塾の木村は、県立美術館の総務課長に電話し、県立美術館館長の経歴、本件作品の作者の意図などについて聞いた(乙20)。
(八) 同月15日
 谷口、日本国士会の堀基彦は、県立美術館を訪れ、県立美術館館長らと面談し、本件作品の引き渡しを要求した(乙21の1、2)。
(九) 昭和62年6月20日
 井頭は、「富山県立近代美術館の不敬行為について」と題する書面を送付した(乙22の1、2)。
(10) 平成元年3月10日
 西川は、「県立近代美術館所蔵不敬版画及び関係図録等廃棄要望の件」と題する書面を被告教育長及び県知事に対して送付し、本件作品及び本件図録の廃棄を要求した(乙23の1ないし3、24の1、2)。
(二) 平成2年5月20日
 三宅萬造は、県教育委員会社会教育部文化課長に対し、本件作品等の原告大浦への返却を求める旨の書面を送付した(乙25の1ないし3)。
(一二) 同年8月17日
 大東塾の川田貞一(以下「川田」という。)は、県知事宅を訪れ、県知事夫人に対し、本件作品の廃棄等を求める「指示書」と題する書面を手渡した(乙26の1、2)。
(一三) 平成4年8月4日
 川田は、県庁の知事室に侵入し、県知事に対して棒で殴りかかろうとした(以下、この事件を「県知事暴行未遂事件」という)。
(一四) 同月8日
 皇室の尊厳を護る県民の会の山田博史らは、被告県の生涯学習室長らと面談し、「県は初めに公開しないと言っていて左派から責められて公開した。やはり作品の破棄、図録の焼却しか方法はない。あらゆる手段をとっても破棄させる。こんなもの残せばまた犯罪を出すことになる。これでよいのか。」、「我々は井頭さんのようにやさしくはない。裁判が長引いても徹底してやる。県が破棄しないなら美術館を壊すことだってある。それでもよいのか。」などと言った(乙27)。
(一五) 同年9月18日
 皇室の尊厳を護る県民の会の土肥清らは、県庁を訪れ、秘書課課長代理らに対し、県知事に対して本件作品の廃棄を要求する書面を提出した(乙28の1ないし4)。
(一六) 同年12月2日
 野田和昭らは、県庁の県教育委員会室を訪れ、文化課長らと面談した(乙29)。
(一七) 同月16日
 野田和昭らは、県立美術館を訪れ、県立美術館副館長らと面談し、「作品、図録は館にあるのだな、それらがなくなるまでわれわれは行動する。作品は大浦に返してもよいし、われわれに売ってくれてもよい。」などと言い、本件作品及び本作図録の廃棄を要求する「要望書」と題する書面を提出した(乙30の1ないし6)。
(一八) 平成5年1月13日
 野田和昭らは、県立美術館を訪れ、県立美術館館長らと面談し、「皇室の尊厳を損なう作品ではなく、不敬そのものだと考える。館長が変われば方針が変わることを恐れる。」たどと言った(乙31)。
(一九) 同月19日
 野田和昭は、県立美術館館長に対し、本件作品及び本件図録の廃棄を求める書面等を送付した(乙32の1ないし4)。
5 本件非公開措置並びに本件売却及び本件焼却に至る経過
(一) 館長見解
 県立美術館は、昭和61年6月11日、県立美術館副館長、事務局長らが相談し、県立美術館館長の承諾をとって、県議会に対する以下<「の」が欠落>とおりの「館長見解」をまとめた(乙8、証人久泉迪雄)。
@ 今回の作品展示について、一般県民の感情からいって好ましくない、という御指摘がありましたことについては、御質疑の経過とともに報告を受けました。私の平均的日本人の一人としての心情は、県議会議員の皆さんとかわらぬものと確信しております。
A 今回のように、一般の不快感を誘うような場合については、今後の運営にあたって、より細心の注意を払ってまいりたいと考えております。
B なお、購入した当該作品は、美術資料として保管するにとどめます。
 右「館長見解」は、同年7月18日、県議会の教育警務常任委員会において報告された(乙6)。
 そして、同日から、本件作品及び本件図録を非公開とされ、本件図録は非売品とされた(証人久泉迪雄)。
(二) 寄贈作品の返却
 県立美術館は、同年9月2日、寄贈されることになっていた本件版画のうちの6点を原告大浦に返却した。
(三) 本件作品の特別観覧許可申請に対する不許可
 別紙特別観覧許可申請者一覧表のとおり、昭和62年8月4日から平成5年3月26日までの間、被告教育長に対し、本件作品に対する117件の特別観覧許可申請がなされたが、被告教育長は「当該作品は県立美術館において公開しない作品として取り扱って」いるとの理由でそのすべてを不許可とした(甲1、甲2の1ないし20の各1、2)。なお、別紙特別観覧許可申請者一覧表のうち、原告となっている者は、原告浅見,同太田、同岡山、同佐伯利丸、同柏木、同木下、同佐伯篤子、同澤田、同三橋、同宮崎及び同胸永の11名である。
(四) 本件図録の閲覧及び販売の拒否
 県立美術館は、本件図録についても、本件作品の関連資料として本件作昂と一体として取扱い、閲覧及び販売を拒否し続けた(乙33、証人久泉迪雄、同楠顕秀、原告佐伯利丸本人)。
 訴外和田廣治は、昭和62年11月10日、県立美術館館長に対し、本件図録の閲覧及び販売を申請したが、認められなかった(甲26、原告佐伯利丸本人)。
 また、原告佐伯利丸は、同年8月14日、富山県情報公開条例に基づき、県立美術館の本件図録の開示を請求したが、同年9月10日、却下された(甲27)。
(五) 富山県立図書館は、昭和61年7月9日、県立美術館に対し、本件図録の寄贈を要請したところ、県立美術館は、同年8月12日、「一般公開しない」との条件付きで本件図録1冊を同図書館に送付した。同図書館は、同月20日、当分の間本件図録を閲覧及び貸出しないことを決定した。また、県立美術館は、昭和62年11月30日、同図書館に対し、本件図録の非開示を要請した。同図書館は、原告佐伯利丸らの本件図録の閲覧請求を拒絶し続けた。これに対し、日本図書館協会の図書館の自由に関する調査委員会は、昭和63年3月18日、「利用者の知る自由を保障することを任務とする図書館として、できるだけ速やかに提供制限の措置を撤回または緩和されることを期待する。」との見解を採択した。また、県議会議員が、同年9月7日、県議会の定例議会において、次いで、同月26日及び平成元年6月14日、県議会の教育警務常任委員会において、それぞれ同図書館所蔵の本件図録の閲覧禁止の解除を要求した。同図書館は、平成2年3月22日から、本件図録を閲覧に供することにした(甲14、19、23、126、127、130)。
 井頭は、公開初日の同日、同図書館において、本件図録のうち本件作品の掲載頁を破り、逮捕された(甲15、48。以下、この事件を「本件図録破棄事件」という。)。
(六) 本件売却及び本件焼却
(1) 県教育委員会は、平成5年4月9日、以下のとおり決定した(甲149の1)。
@ 本件作品について、次のとおり確認の上、富山県立近代美術館美術品管理要綱8条の規定により、譲渡することを決定した。
 譲渡の相手方については、具体的に譲受人の個人名をあげ、その適格性を審査した結果、同人が美術品に対する造詣が深く、教育行政に理解のある者であるので適格性を有すること。
 ただし、譲受人は、私的鑑賞にとどめるものであり、公開の意思はなく、プライバシー保護のため氏名を公表しないよう求めているので、それを尊重し、そのように取り扱うこととする。
 譲渡価格については、選定委員会の答申による適正価格とする。
A 本件図録について、売却することは不適当であり、富山県会計規則131条の規定の手続きにより処理することを決定した。
(2) 右決定にあたって検討された理由(甲149の1)
@ 管理運営上の障害
 本件作品の公開、非公開等相対立する見方、考え方があるため、本件作品及び本件図録を所持する限り、今後とも管理運営上の障害となること
A プライバシーの保護
 プライバシー侵害の疑いがあるとされる本件作品及び本件図録を保持すること自体が県に対する不信感を招き、社会問題化することは避けられないこと
(3) 県立美術館館長は、同月13日、選定委員会において、本件売却を提案し、可決された。また、選定委員会は、富山県立近代美術館美術品管理要綱8条4項に基づく意見書を作成した(甲149の5、6)。
 美術品の不用の決定、売却の決定の専決権者である県教育委員会文化課長は、同月16日、富山県会計規則128条に基づき本件作品を不用とする決定をし、同規則129条に基づく本件作品の売却を決定した(甲149の2ないし4)。
 県立美術館館長は、同月19日、一件の残存価額が20万円未満の不用物品の売払い契約に関する専決権者である出先機関の長として、本件作品を金20万円で売却した。
 物品の不用の決定、焼却の決定に関する専決権者である県立美術館館長は、同月16日、同規則128条に基づき本件図録を不用とする決定をし、同規則131条に基づき本件焼却の決定をし、本件図録を焼却した(甲149の8、9)。
6 本件作品及び本件図録の公開を求める動き
 美術関係者、有識者や市民は、本件非公開措置に対し、次のとおりの活動をした(詳しくは別紙経過一覧表の「公開派」の活動とされる部分のとおりである。)。
(一) 県立美術館、県への申入れ
(1) 昭和61年9月ころ
 日本・アジア・アフリカ・ラテンアメリカ美術家会議等は、「天皇を扱う作品の表現の自由を守れ」と題する抗議声明を発表した(甲24)。
(2) 平成2年8月4日
 大浦作品を鑑賞する市民の会(以下「市民の会」という。)は、県立美術館に対して、本件作品の公開及び本件図録の公開と販売再開等を求める申入書を提出し、県教育委員会、秘書課長に対して申入書を提出した(甲16の2、4、6、甲30の1、2、乙38)。
(3) 同年10月13日
 市民の会は、県立美術館正面に、本件作品の公開を要求する立て看板を設置し、来館者に対し、ビラを配布した(乙40)。
(4) 平成5年1月10日
 原告佐伯利丸、原告浅見地1名は、県教育委員会の文化課長、文化課長代理と面会し、県知事殴打未遂事件以後の対応について問い合わせた。
(5) 同年1月中旬
 平成4年12月、市民の会に本件作品の売却計画があることを知らせる匿名の手紙が寄せられたため、市民の会は、被告県の教育文化課に対して、本件作品を売却する計画がある<「か」が欠落>どうかを問い合わせ、そうしたことがないよう申し入れた(甲72)。
(二) その他の動き
 その他、本件作品及び本件図録の公開を求めて、原告佐伯利丸ら(乙33ないし37(枝番を含む)、39、41、50)、市民の会、図書館を考える会、表現の自由を考える会(乙42の1、乙43の1、乙44の1、乙45ないし49(枝番を含む))が県立美術館等に対して抗議し又は抗議文を提出するなどした。
 また、事実を知らせ、世論を高めるため、集会を開催したり、市民への情宣活動などが展開された(甲、28、29、31ないし41、43、47、72、83の9ないし11)。
三 争点
(無効確認訴訟について)
1 無効確認訴訟の適法性
(原告らの主張)
(一) 本件売却及び本件焼却の処分性について
(1) 被告は、本件売却及び本件焼却はいずれも事実行為であって、行政事件訴訟法3条4項にいう「処分」には該当しないから、原告らの無効確認訴訟は不適法であると主張する。
 しかしながら、同条2項の「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」については、判例によれば、「行政庁の処分」とは「公権力の主体たる国または公共団体が行う行為のうち、その行為によって直接国民の権利義務を形成しまたその範囲を確認することが法律上認められているもの」であるとされ、「公権力の行使」とは「法が認めた優越的な地位に基づき、行政庁が法の執行としてする権力的な意思活動」、すなわち、相手方の意思如何にかかわらず一方的に意思決定し、その結果につき相手方の受忍を強制しうるという法的効果、つまり、公定力を生ずる性質の行為、いわゆる公権力的事実行為であるとされている。
(2) 本件売却及び本件焼却は、市民の本件作品の特別観覧請求権、本件図録の閲覧請求権を永久に奪うものであって、市民の権利に直接の影響を与える公権力の行使であるか、ないしは公定力を有する公権力的事実行為であるから、処分性を有することは明白である。
(二) 原告適格について
(1) 行政事件訴訟法36条の「当該処分又は裁決に続く処分により損害を受けるおそれのある者」が訴えを提起する場合、同条の「当該処分若しくは裁決の存否又はその効力の有無を前提とする現在の法律関係に関する訴えによって目的を達することができないものに限り」という消極的要件を不要とするのが判例及び通説である。
 同条の「その他当該処分又は裁決の無効等の確認を求めるにつき法律上の利益を有する者」については右消極的要件が必要とされるが、この要件は、判例によれば、紛争の実態から無効確認訴訟の方がより直裁的で適切な訴訟形態と判断される場合も当たると解され、現在の法律関係に関する訴えに還元できないことを意味するものではない。
(2) その他の原告らは特別観覧許可を申請しあるいは申請しようとし、その他の原告ら以外にも多数の市民が本件作品の特別観覧許可を申請し、また、本件売却後も本件売却がなければ特別観覧許可を申請する市民が多数いたものと予測される。
 その他の原告らは、本件売却によって、本件作品の特別観覧が「できなくなり、その損害を受けるおそれのある者」であり、また、その他の原告らは本件作品の特別観覧請求権を有しているから、無効確認を求める法律上の利益を有している。
 また、本件売却後、特別観覧許可を申請しても本件作品の不存在を理由に特別観覧許可申請が不許可となることは明白であるから、右不許可処分の取消訴訟を提起してもその処分のため被っている不利益を排除することはできない。
 しかも、本件作品の特別観覧許可を申請すると予測される者は不特定多数に及ぶことからすると、紛争の実態から無効確認訴訟の方がより直裁的で適切な訴訟形態である。
 以上については、本件図録についても同様である。
 そして、後記のとおり、本件売却及び本件焼却は違法であり、明白かつ重大な瑕疵がある。
 したがって、本件無効確認訴訟は認容されるべきである。
(被告教育長の主張)
 原告らは、本件売却及び本件焼却の無効確認を求めるが、売却及び焼却はいずれも事実行為であって、行政事件訴訟法3条4項にいう処分には該当しない。
 よって、原告らの訴えは不適法である。
(義務付け訴訟について)
2 義務付け訴訟の適法性
(原告らの主張)
(一) 義務付け訴訟については、全面的否定説は後退し、一定の要件の下に許容することができるとする制限的肯定説や全面的肯定説が主流をなしている。
 全面的否定説は、三権分立の原則、行政庁の第一次判断権の留保の原則、裁判所の事後審査の原則、行政の裁量権の原則を論拠としてきた。しかしながら、三権分立の原則はあくまで市民の権利自由を保障するための一手段に過ぎないこと、また、義務付け訴訟では、行政庁が申請に対して相当の期間内に何らの返答もしない場合、拒否処分をした場合あるいは行政庁自ら特定の行政処分をした場合に初めて認められるものであるから、行政庁に判断の機会は与えられていること、行政庁は訴訟においてあらためて行政処分をたす義務の存否について主張立証する機会が与えられており、行政処分の義務付けは事案が判決に熟するときに限って宣告され、このような段階に至れば法規裁量の場合はもとより行政裁量が認められている場合においても行政の裁量がゼロに収縮しているから、行政庁の裁量権を侵害することにはならないことからすると、全面的否定説は妥当でない。したがって、義務付け訴訟では、行政裁量がゼロに収縮しているか否かを審理すべきであって、事案が判決に熟し、行政庁に行政行為をなす義務の存在が認められれば、その旨宣告すべきことになる。
 これに対し、制限的肯定説は、義務付け訴訟は取消訴訟では有効適切な権利保護が期待されない場合に限り許容されるとし、右要件の外、求められている行政処分の一義的特定性、回復し難い損害の発生、緊急性を要件として挙げる。しかしながら、制限的肯定説は、実質的に全面的否定説と同様に機能し、義務付け訴訟の有用性を減殺し、市民の権利保障をないがしろにすることになること、取消訴訟では有効適切な権利保護が期待されないという要件は、その要件の存否について争いを生じ、義務付け訴訟の許容性の判断に関し原告側に過大な負担を負わせることにたること、制限的肯定説が挙げる、求められている行政処分の一義的特定性、明確性の要件は、義務付け訴訟が行政庁の第一次判断権、裁量権を侵害してはならないことをその理由としているが、右に述べたとおりこの理由付けそのものが妥当でないことからすると、制限的肯定説も妥当でない。
(二) 本件売却及び本件焼却によって、その他の原告ら及び多数の市民の本件作品の特別観覧請求権及び本件図録を閲覧する権利が侵害されたことは明白であり、この権利を保護するには本件作品の買い戻しおよび本件図録の再発行が不可欠である。しかも、その他の原告らに右権利侵害を受忍するよう要求することは被害の性格上許されないし、被害が不特定多数に上るので当事者訴訟は合理的に機能し難い。また、本件では、判決をなすべき成熟性もある。
 仮に、制限的肯定説によるとしても、本件では、本件作品及び本件図録は県立美術館には存在せず、本件作品の特別観覧及び本件図録の閲覧は不可能であり、不存在を理由とする不許可処分に対して取消訴訟を提起しても有効適切な権利保護は期待できないこと、無効確認訴訟が認容されたときに行政庁がなすべき行政処分が本件作品の買い戻し及び本件図録の再発行であることは一義的に明白であること、その他の原告らの権利、利益は憲法上の保障を受ける重要なものであって、その被害は重大である上、取消訴訟ないし無効確認訴訟で勝訴しても権利は回復し難く、かつ、この権利回復には緊急の必要性があることからすると、右各要件を充足している。
 以上のとおり、いずれにしても、本件では義務付け訴訟は認容されるべきである。
(被告教育長の主張)
(一) 義務付け訴訟については、古くは行政庁の第一次判断権を侵すものであるとして否定されてきたが、近似の裁判例においては、@行政庁が当該処分をなすべきこと又はなすべからざることについて、法律上、羈束されており、行政庁に自由裁量の余地が全く残されていないため、第一次的な判断権を行政庁に留保することが重要でないと認められるとき、A事前審査を認めないことによる市民にもたらす損害が大きく、事前救済を与える必要が顕著であること、B義務付け訴訟を認める以外に適切な救済方法がないことの要件をすべて備えるときに限って、容認されている。
(二) ところで、その他の原告らは、本件作品を鑑賞する権利を有し、また、本件図録を入手ないし閲覧する権利を有しているとして、本件売却及び本件焼却の違法を主張し、本件作品の買い戻し及び本件図録の再発行を求めており、行政処分の内容が一義的に明白であると主張する。
 しかし、義務付け訴訟の要件である行政処分の内容が一義的に明白であるというのは、判決によって行政処分が取り消されたとき、続いて行政庁がなすべき行政処分について、行政庁が裁量を働かせて処分内容を選択する余地が全くなく、その内容が明らかである場合をいうのであり、行政庁の裁量権がゼロに収縮し、なすべき行政処分が一種しか考えられない場合である。
 本件の場合、行政庁のなすべき行政処分の内容が一義的に明白であるということはできない。
(損害賠償請求について)
3 本件非公開措置並びに本件売却及び本件焼却(以下「本件非公開措置等」という。)の違法性
(原告らの主張)
(一) 美術館の自由について
(1) 博物館法2条によると美術館は博物館の一種である。
 そして、憲法は国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を三大原理とし、教育基本法は憲法の基本精神を受けて憲法に内在する教育理念を一層具体的に明示したものであり、社会教育法は、教育基本法の精神に則って社会教育に関する国及び地方自治体の任務を明らかにすることを目的として制定され、公民館、図書館と共に博物館を社会教育のための機関と定め、博物館法は、社会教育法の精神に基いて博物館の設置及び運営に関して必要な事項を定め、その健全な発達を図り、もって国民の教育、学術及び文化の発展に寄与することを目的として制定されている。
 博物館は、右のように、憲法、教育基本法、社会教育法の精神に則って運営されなけれぱならないことからすると、憲法で保障された市民の表現の自由、教育を受ける権利などを尊重する義務を負い、教育基本法10条の不当な支配の排除条項は博物館の運営にも適用ないし準用される。
 そして、博物館法3条に定められている事業は、大別すると、資料の収集・保存・管理、調査研究、一般市民への公開・教育の三つがあるが右のような三つの事業を担う博物館の運営にとって重要なことは、当該博物館の理念、目的が確固たるものでなげれぼならず、市民の表現の自由、知る権利、鑑賞する権利を保障し、不当な支配に服することのない自主性、独立性を堅持することであり、この自主性、独立性の原則は博物館の自由とも呼ばれている。
(2) 右のように、博物館は、博物館の自由を有しているが、この自由は博物館が右の三つの事業について恣意的な運用をする自由ではなく、博物館には市民に対して公共的な責任をもつ運営とそのための努力が求められ、設置者や管理者の都合で恣意的な運営をすることは禁じられており、このような観点から博物館の自由は制約を受けている。
(二) 美術製作者の表現の自由並びに美術作品及び図録を鑑賞する権利について
(1) 美術製作者の表現の自由
 憲法21条1項からすると、美術作品の製作だけでなく、美術作品を市民に鑑賞してもらうことも表現の自由として保障されている。この芸術上の表現の自由には、美術製作者が、公人や天皇の肖像を素材として版画を製作し、市民に鑑賞してもらうことも含まれている。
(2) 美術作品を鑑賞する権利
@ 知る権利としての鑑賞権
 憲法21条1項は表現の自由を定めているが、この表現の自由には、国家による介入、妨害を排除する、国家からの自由という自由権的側面とともに、国家に対して情報、知識の公開を義務づける権利、つまり知る権利という二つの性格がある。
 したがって、市民は知る権利の一環として芸術作品を鑑賞する権利を有している。
A 教育を受ける権利としての鑑賞権
 憲法26条1項は教育を受ける権利を定めているが、この教育を受ける権利は、学校教育に限らず、社会教育についても保障される。つまり、教育を受ける権利は、向上可能性をもつすべての人々が生涯持ち続けるものであって、子どもの段階では発達権と結びつき、成人になると自己教育の権利として、誰もが持ちうる自然権である。
 そして、社会教育の中に、芸術の鑑賞、学習も含まれることはいうまでもなく、社会教育法も芸術に関する博物館である美術館を社会教育施設と認めている。すなわち、社会教育を受ける権利は、芸術に関していえば、芸術を鑑賞し学習する権利であり、この権利の充足は文化的水準を高めるために極めて重要な意義を有している。そして、公立美術館は、このような芸術作品を鑑賞する権利に応える責務を負っている。
A 特別観覧請求権
 富山県立近代美術館条例7条は特別観覧制度を定めているが、この規定は憲法で保障されている美術作品を鑑賞する権利を具体化したものである。
 この特別観覧請求権は、右7条に「学術研究等」とあることからも明らかなとおり、研究者、専門家の学術研究のためばかりでなく、一般市民による芸術鑑賞のためにも認められている。
(3) 図録を鑑賞する権利
 美術館では、常設展示作品や特別展示作品を収録した図録を発刊しており、県立美術館条例4条4号も、美術に関する図録を作成し、頒布することを基本事業として定めている。
 特別展の場合、特別展が終わると作品を展示室で観ることができなくなり、また、当該美術館が借受けた作品は所蔵者に返却され、空間に配置された作品は解体、撤去されてしまうことになり、図録が唯一の記録となる。このように、図録は、記録として重要な意味をもち、市民にとって、特別展の理念、内容を知り、展示された作品を観るうえで不可欠の出版物である。
 このように、図録を購入して閲覧しもしくは美術館内で閲覧することは、芸術鑑賞の上で重要な意義があり、図録を閲覧する権利も知る権利及び教育を受ける権利として保障されている。
 そして、図録を閲覧する権利は、県立美術館条例には明文で定められてはいたいが、同条例7条1項の特別観覧制度の趣旨及び同条例4条4号の趣旨をあわせかんがみると、同条例7条1項の規定が準用ないし類推適用されるべきである。
 また、図録を閲覧する権利は、地方自治法244条2項の公の施設を利用する権利の一つである。なぜなら、公の施設を利用する権利というのは、公の建物や部屋を使用する権利に限定されるものではなく、施設を利用して施設の中の有形、無形のものを利用することをも包含していることは当然のことであり、図録を閲覧することもその一形態に外ならないからである。
 このように、図録を閲覧する権利も、県立美術館条例や地方自治法224条2項により具体化されている。
(三) 違法性の判断基準について
(1) 国家賠償法上の違法性の要件
 不法行為の成立要件の一つである違法性は、被侵害利益の種類と侵害行為の態様との相関関係で定められ、侵害行為の不法性が強い場合は、被侵害利益の権利性が弱くても侵害行為の違法性が認められ、また、被侵害利益の権利性が強い場合は、侵害行為の不法性が弱くても侵害行為の違法性が認められる。そして、被侵害利益については、侵害行為を受けた結果として現に存在する利益状態と、当該侵害行為がなかったと仮定したならば存在したであろう利益状態との差であると考えられている。特に、国家賠償法の場合、「他人の権利を侵害し」という要件に代えて「違法に」という表現を用いており、より右の見解が当てはまる。
(2) 本件における侵害行為の違法性の判断基準
@ 本件作品及び本件図録の公開は憲法上の要請であり、美術製作者の美術作品を鑑賞してもらう権利は憲法21条で保障された表現の自由に含まれ、市民の美術作品を鑑賞し、図録を閲覧する権利は憲法21条、26条で保障された権利であるから、本件非公開措置等という本件における侵害行為の違法性の判断は、憲法判断が前提となる。
A 表現の自由に関する違憲審査基準
 表現の自由に関する違憲審査基準については、表現の自由は、民主的で文化的な社会、国家を支えるものとして、それ自身極めて高い公共的価値を有していることから、他の基本的人権よりも厚く保障されなければならないという優越的地位にあり、したがって、表現の自由に対する制約は必要最小限でなければならず、また、他の基本的人権の制約は自由な言論によってその誤りを修正できるが、表現の自由に対する制約は自由な討論そのものが抑止されて誤りの修正が難しいことから、裁判所は表現の自由に対する制約についての違憲審査にあたっては厳格に判断すべきである。
 そして、右のような基本認識から、次のような違憲審査基準が構成される。
ア 明確かつ現在の危険の理論
 近い将来、実質的害悪をひき起こす蓋然性が明白であること、重大な害悪の発生が時間的に切迫していること、当該規則が害悪を避けるために必要不可欠であることの三つの要件が認められる場合にしか、表現行為を規制できない。
イ 事前抑制の理論
 表現活動を事前に抑制することは許されない。憲法21条2項の検閲の禁止の原則はこれを確認したものである。この事前抑制の理論は、知る権利についていえば、情報の受領時を基準として、受領前の抑制や情報の発表に抑止的な効果を及ぼすような事後規制も該当する。
ウ より制限的でない他の選びうる手段
 立法目的は表現内容に直接かかわりのない正当なものとして是認できるが、規制手段が広汎である点に問題のある法令について、立法目的を達成するため規制の程度のより低い手段が存在するかどうかを具体的、実質的に審査し、それがありうると解される場合には当該規制立法を違憲とする。この基準は、立法目的の達成にとって必要最小限の規制手段を要求する基準と言い換えることもでき、とりわけ表現の時、所、方法の規制の合憲性を検討する場合に有用である。
工 利益較量論
 表現の自由と対立する利益との間の較量によって表現の自由を制限することの妥当性を判断する。表現の自由の優越的地位を前提にして、厳格な審査を行うことが不可欠である。
B 管理運営上の障害による表現の自由に対する制限本件非公開措置等の理由の一つとして管理運営上の障害が挙げられている。
 管理運営上の障害を理由とする本件非公開措置等といった表現の自由に対する制限についても右の諸理論が適用される。つまり、本件非公開措置等については、明確かつ現在の危険が存在するか、事前抑制に該たらないか、より制限的でない他の選びうる手段がないか等が検証されなければならない。
 そして、表現の自由の一つとされる集会の自由と公の施設の利用可否決定に関して、最高裁判例を含め多数の判例が集積されている。これらの判例は本件についても参考にはなるが、公の施設の利用は多数者が有限の一定場所、施設を一時的に占有、利用する場合であるのに対し、本件作品の鑑賞及び本件図録の閲覧は、個々人により行われるものであって占有面積は比較にならないほど小さく、また、利用形態、方法も異なっているという相違があり、この相違を十分意識して参考にすべきである。
 最近の最高裁判例としては、平成8年3月15日の上尾市福祉会館判決があり、最高裁が公の施設の集会のための使用不許可の合憲性について判示した最初の事件は平成7年3月7日の泉佐野市民会館事件判決である。
 上尾市福祉会館事件判決は、公の施設の利用可否決定における集会の自由の最大尊重原理を明らかにした上、管理運営上の障害の程度について、明白かつ現在の危険の原則を採用することを明示し、管理運営上の障害という利用不許可事由に絞りをかけたものと評価されている。さらに、「敵意ある聴衆」の理論に類似する問題点について、主催者が集会を平穏に行おうとしているのに、その集会の目的や主催者の思想、信条等に反対する者らが、これを実力で阻止し、妨害しようとして紛争を起こすおそれがあることを理由に公の施設の利用を拒むことができるのは、公の施設の利用関係の性質に照らせば、警察の警備等によってもなお混乱を防止することができないなど特別な事情がある場合に限られるものというべきであり、あわせて管理運営上の障害に関して、警察の警備等によりその他の施設の利用客に多少の不安が生ずることが管理運営上の障害が生ずるという事態に当たるものでないとも判示している。
 泉佐野市民会館事件判決も同様の判示をしている。
 以上のとおり、右最高裁判決は、利益較量論を違憲審査基準のべ一スとし、その利益較量にあたっては、集会の自由の尊重原理を重視して厳格な審査を要求し、明白かつ現在の危険の原則、より制限的でない他の選びうる手段の原則を重視している。
B 肖像権侵害による表現の自由に対する制限
 本件非公開措置等の理由の一つとして肖像権の侵害が挙げられている。
 肖像権は、自己の肖像を他人が権限なくして絵画、彫刻、写真その他の方法により作成、公表することを禁止できる権利とされ、プライバシー権ないし人格権の一つとして認められている。もっとも、肖像権については表現の自由との調整が必要であり、表現の自由の公共的価値、優越的地位にかんがみると、両者を対等なものとして単純に較量することは許されず、表現の自由の重要性を十分に踏まえた較量が必要とされ、表現行為による肖像権侵害が違法とされない要件を明確に定めることが必要である。
 右要件の一つに、本人が承諾している場合があるが、それ以外に、公的存在の法理が承認されている。この法理は、国家的、社会的に重要な地位にある者、あるいは自己の業績、名声、生活方法等により公的存在とたった者、公衆がその行為や性格に興味を持つであろう職業を選択することにより公的存在となった者は、その肖像権を大幅に失うとする法理である。この法理の根拠は、公的存在となった者は肖像の公表、公表された肖像の利用に承認を与えたものとみなされ、公衆の知る権利の対象となったと評価されるという点にある。さらに、肖像を利用した表現行為が公衆の正当な関心事であるときは肖像権侵害とならないという公衆の関心事の法理がある。
 天皇は、公的存在であり、かつ、公衆の正当な関心の対象である上、日本国、日本国民統合の象徴であって、他の公的存在に比べ、その肖像権が大幅に制約されることは当然である。
(四) 本件における被侵害利益
(1) 原告大浦について
@ 本件作品を市民に鑑賞してもらう権利の侵害
 原告大浦は、憲法21条1項により、本件作品及び本件図録に掲載された本件作品を市民に鑑賞してもらう権利を有している。
 原告大浦は、本件非公開措置等によって、本件作品及び本件図録に掲載された本件作品を市民に鑑賞してもらう権利を侵害され、ひいては、憲法21条1項で保障された美術作品を自由に製作する権利、利益や憲法19条で保障された芸術家としての思想、信条の自由をも侵害された。
A 名誉棄<「棄」は「毀」の誤>損、名誉感情の侵害
 本件非公開措置に関して発表された館長見解において、県立美術館は本件作品が「一般の不快感を誘うような」作品であるとの指摘を受け入れる旨表明し、右評価に基づいて長期間にわたって本件非公開措置を続けてきた。また、本件売却及び本件焼却の理由として、本件作品に「プライバシーの侵害の疑い」があるとの評価も公表された。
 本件非公開措置等に際してのこうした評価は、本件作品に対する全く的外れな誹諸、中傷であり、このような本件作品に対する全く不当な評価を理由に長期間にわたって本件非公開措置を続け、さらに本件売却及び本件焼却を行ったことは、原告大浦の社会的地位を低下させ、芸術家としての名誉感情を害し侮辱するものであって、原告大浦の人格権を著しく傷つけた。
(2) その他の原告らについて
@ 特別観覧拒否関係
 その他の原告らは、県立美術館で展示された本件作品を特別観覧したいと強く希望し、その他の原告らのほぼ全員は、県立美術館に対し、本件作品及び本件図録の公開等を求める署名用紙に署名し、また、原告佐伯利丸、同中河、同浅見、同柏木、同胸永、同太田、同宮崎、同福住は、直接県立美術館あるいは県教育委員会に出向き、本件作品及び本件図録の公開を請求し、本件売却及び本件焼却に対しては、本件作品の買し戻し、本件図録の再発行等を要求してきた。実際、原告佐伯利丸、同浅見、同太田、同岡山、同柏木、同木下、同佐伯篤子、同澤田、同三橋、同宮崎及び同胸永は、県教育委員会に対し、本件作品の特別観覧許可を申請した。しかしながら、県教育委員会は一貫して特別観覧許可申請を不許可としてきた。
 特別観覧許可申請をしていない原告らも、他の人の特別観覧許可申請が許可されたならば、自らの特別観覧許可申請をするつもりであったが、それが一貫して拒否されてきたため、特別観覧許可申請をすることすら断念せざるを得なかった。
 このように、その他の原告らは、特別観覧許可申請の不許可によって、本件作品を鑑賞する権利を侵害された。
B 本件図録閲覧拒否関係
 県立美術館は、本件作品のみならず、本件図録をも非公開とし、その閲覧及び販売を拒否した。右@のとおり、その他の原告らは本件図録の公開を求め、また、訴外和田廣治は県立美術館に本件図録の閲覧を求め、原告佐伯利丸は県立美術館所有の本件図録の閲覧を請求したが、県立美術館の一貫した拒否の姿勢は本件売却及び本件焼却まで続いた。その結果、その他の原告らは、本件図録を閲覧する権利を侵害された。
C 本件売却及び本件焼却関係
 本件売却及び本件焼却は、その他の原告らの本件作品を鑑賞し、本件図録を閲覧する権利を永久に奪いさるものである。
(五) 天皇のプライバシー、人格権、肖像権の侵害について
(1) 県立美術館の本件作品に対する評価
 選定委員会は、昭和61年3月4日付けで、本件作品の購入、寄贈に際し県知事あてに「社会的な現象を一定のパターンにとらわれることなく作者の個性が高く表現された作品である。」との意見書を送付した。
 右意見書に見られるとおり、県立美術館は、本件作品を、既存の素材を組み合わせるコラージュの方法を用いていて、作者の個性が高く表現され、天皇にかかわる社会的な現象を画一的なパターンにとらわれずに自由に描いた作品であり、収蔵する価値のある作品であると評価していた。
(2) 本件作品と天皇のプライバシーの侵害
 県立美術館は、本件作品が「不快な作品」であるとか「不快感を感じる作品」であるとかの評価をしていなかったし、ましてや天皇のプライバシーの侵害の疑いのある作品だとは評価してこなかった。
 また、本件作品が天皇のプライバシーの侵害の疑いがある作品であるとどのように評価できるというのか全く不明である。被告らは「本件作品に不快感を覚えるものがいることも想像に難くない。」、「一般に俗悪と思われる題材と肖像写真が併用される場合、その人の名誉感情への配慮から、不特定多数の閲覧に供せられる肖像写真の本人の承諾が必要」、「そのことは常識的な節度」と主張するだけであって、本件作品が天皇のプライバシーを侵害する疑いのある作品だという具体的根拠は明らかでない。ちなみに、プライバシー及びその一つとされる肖像権と名誉感情とは別概念であって、名誉感情への配慮を欠いていることをもってプライバシーの侵害の疑いを導き出すことはできない。
 また、被告らは、「問題は、本件版画における天皇等の肖像写真の無断利用が天皇等の『評価、名声、印象等を毀損若しくは低下させ』や『侮辱的調子を帯びている』といえるか、ということである。」と主張しているが、これに対する具体的回答がなされないまま、「天皇も敬意を払われるべき存在」であり「『公の存在』であっても天皇にはその肖像権が保護されべきである。」ということから一気に「したがって、本件版画における天皇の肖像写真の用い方は天皇の肖像権(プライバシー権)を侵害しているとの疑いを生む。」との結論を導き出している。
 天皇にプライバシー権、肖像権、人格権が認められるとしても、被告らも認めるとおり、肖像権、プライバシー権及びそれに密接にかかわる人格権については、「公の存在の理論」が学説、判例上、一般的に承認されており、一般私人に比べその保護も限定され大きな限界がある。
 したがって、問題は、本件作品が本件非公開措置等を必要とするほどに天皇の評価、名声、印象等を毀損もしくは低下させるような場合にあたるかどうかである。この点に関する被告らの主張は「本件作品が一般に俗悪と思われる題材と組み合わせられている」ということに尽きる。
 しかしながら、被告らが「俗悪」と決めつける女性の裸体、臀部、入れ墨、どくろの絵等は決して俗悪なのではない。また、一つの作品の中に人物と右のような様々な素材とが組み合わされているからといって、その肖像の人物を卑しめ、その人格を低下させ、評価をおとしめるということには全くならない。本件作品においても、天皇の肖像が右素材と一つの作品の中で組み合わされているからといって、天皇の評価を低下させると評価することは到底できない。
 このように、本件作品は被告らの主張するように天皇の評価を低下させ、あるいはその名誉感情を害する要素はなく、被告らの評価は全く根拠のない独断である。
(3) 本件作品と天皇の肖像権の侵害
 本件作品は近代美術の一手法として確立されたコラージュの手法を用いている。コラージュは、素材が組み合わされることによって相互に関連づけられ、互いに新たな意味を生み出すことになり、素材の既成観念にとらわれない新たな芸術的価値を想像する手法である。コラージュの手法においては、しばしば著名人、中でも国家の象徴、元首の肖像が用いられてきたが、そうした手法によって肖像に対する人々の既成観念とは別の観念を肖像に付与させ、その肖像が象徴する時代、社会に対する価値ある作品を生み出してきた。国家の象徴や元首は、その時代、社会の中で重要な意味を与えられており、その時代、社会を主題にした作品にとって、その肖像は極めて価値ある芸術上の素材となる。同様に、日本という国や日本人を主題とするコラージュ作品にとって天皇や皇族の肖像は日本という国や日本人を象徴する表現媒体であり、その肖像は、芸術的創造にとってかけがえのない価値を有している。
 本件作品の製作の動機は、原告大浦が自画像を描こうとしたものである。原告大浦は、この主題にとって天皇の肖像が日本を象徴する素材としてもっとも適していると考え、本件作品の素材として組み込んだものである。また、天皇以外の素材についても、作者のアイデンティティを表現する上で不可欠であった。被告らが問題とする骸骨、解剖図、ヌードも、近代社会が有している身体観のひとつであり、グロテスクなものとか気持ち悪いものという意味はなく、むしろ作者の自画像の表現の一部である。そして、本件作品は、天皇の肖像と古今東西の著名な素材とを多様に組み合わせることによって、世界と日本、自然と人工、伝統と現代、日常と非日常などを混在させて、価値観の多様化の中に生きる作者のアイデンティティを表現しようとしたものである。
 このように、本件作品で天皇が素材に取り上げられたのは、日本人としてのアイデンティティーを表現する作品にとって、象徴的機能を担っている天皇の肖像が重要な意味をもっていたからである。被告らも認めるように、本件作品で天皇の肖像を用いたことに、天皇への侮辱的意図は少しもなかった。また、本件作品は、多くの美術専門家が指摘しているとおり、現代美術のコラージュ作品として高く評価されている。
 このように、本件作品は、天皇の評価を貶めたり、その名誉感情を害するとは絶対にいえず、「公の存在の理論」から考えて、天皇の肖像利用についてその承諾を要しないことは明白であり、その承諾がなかったからといって、肖像権、プライバシー権、人格権侵害が凝われることは絶対にない。
(六) 管理運営上の障害について
(1) 本件作品の非公開
@ 非公開派による作品破壊の危険性
 被告らは、本件作品を公開し、特別観覧を許可すると、非公開派が破壊の意図を秘して特別観覧の許可を得、その機会を利用して本件作品を破壊する危険があったとする。そして、被告らは、非公開派による本件作品の破壊の危険性に関して、非公開派が作品の非公開、廃棄を強く求めており、その中には本件作品ないし県立美術館の職員に危害を加えることを仄めかす過激な言動もみられ、最も過激なものとして2度にわたる街宣活動を挙げ、昭和61年7月21日の県教育委員会の会議室における脅迫的発言や井頭による富山県立図書館での本件図録破棄事件を挙げている。
 しかしながら、公の施設の利用可否決定に関する前記最高裁判決は、「敵意ある聴衆」の理論を採用し、集会に対する妨害行為のおそれを理由に施設利用の拒否を認めず、警察の警備等によってもなお混乱を防止できない特別の事情のある場合以外は施設利用を拒めないと判断している。
 本件の場合、非公開派は、本件作品の特別観覧を希望していたものではなく、公開に反対していたのであるから、公開派の市民による特別観覧を直接その場で妨害し、本件作品を破壊するおそれがあるというよりも、特別観覧に抗議し、特別観覧させないために破壊行動をとるおそれがあったかどうかが問題となる。この点で、前記最高裁判例の集会場への攻撃のおそれが問題となる事案とは異なってはいるが、反対派による混乱ないし破壊を理由に他の人々、団体の表現の自由を制約することの違憲審査である点で、前記最高裁判例の事案と本件とは共通しており、前記最高裁判例で採用された「敵意ある聴衆」の理論はまさにこの点に核心があるのだから、本件でも適用される。
 そして、前記最高裁判例の「敵意ある聴衆」の理論から考えると、県教育委員会は、市民に特別観覧許可申請を許可した場合、非公開派も特別観覧し、その機会を利用して本件作品を破壊するおそれがあることを理由に、市民による特別観覧許可申請を不許可とすることは許されない。少なくとも、県立美術館や県教育委員会としては、県立美術館条例7条2項の許可条件を活用したり、破壊から本件作品を防禦するための諸般の措置を講じ、また、必要に応じ警察の警備等による破壊防止対策を講ずべきであって、それでも本件作品の破壊を防止できないなどの特別な事情がなければ、特別観覧許可申講を不許可とすることは違憲となる。
 一般的にも、美術館は作品を最大限に防禦する責務を負っており、ましてや作品破壊の危険性がある場合には特別な措置を講ずべき義務を負っている。特別観覧の場合、展示場に作品を展示する場合に比べ、破壊防止対策ははるかに容易である。特別観覧の場合、一人ずつ個別的に見せるのが通常であり、特別観覧をする場所、構造を慎重に選択し、また、作品をケースに入れたり、作品と観覧者との間に距離を置くようにし、さらに警備のために美術館職員が立会いをすれば、十分に作品の破壊を防止することができる。
 また、警察の警備等によって作品を保全することもできる。
 さらに、特別観覧許可申請した人物を調査し、目的を事情聴取することによって、作品を破壊する危険のある者には特別観覧を許可しない措置をとることもできる。この点について、被告らは、真撃な態度で鑑賞したいと願う市民に対しては全て等しく許可しなければならないと認めているが、真撃な特別観覧許可申請である限り特別観覧申講を許可すべきであり、他方、作品破壊の意図を有している者は、真撃な態度で鑑賞したいと願う者ではないから、特別観覧申請を不許可とする正当な理由がある。さらに、被告らは、作品を破壊する意図を秘して特別観覧許可申請をした場合、それを見抜くことができず、そのような者が特別観覧する危険性があるともいうが、そのような場合にも、右に述べたような諸措置を講じていれば破壊される心配はない。
 本件の場合、県教育委員会や県立美術館は、特別観覧許可申請に際して、右のような事情について個別的に判断する作業をしておらず、右のような可能性について具体的に検証しておらず、抽象的な危険を想定しているにすぎたい。被告らのように、抽象的な危険を偏重し、すべての特別観覧許可申請を不許可とすることを正当化する対応、解釈は、著しく表現の自由を軽視するものであって、明らかに前記最高裁判例に反するものといわざるを得ない。
 また、被告らは、本件作品を公開し、特別観覧許可申請を許可すると非公開派の行動が過激化するおそれがあったとし、その危険を回避するため本件非公開措置を継続したと主張する。
 しかしながら、右主張は、表現の自由を敵視する者らの暴力的行為による表現の自由の制約を容認するものであって、前記最高裁判例に反し、かつ、敵対者の暴力に対し毅然として立ち向かい表現の自由を擁護することが民主主義の基本であるという理念を踏みにじるものであって、明らかに誤りである。
 さらに、被告らは、富山県立図書館における本件図録破棄事件から、破壊の危険性の心配があったと主張する。しかしながら、右破棄事件は本件図録に対するものであって、本件作品とは同列に論じられないし、また、富山県立図書館においても、本件図録を破棄させないような措置を講じていなかったことから、本件作品を掲載した頁が破棄されたものである。したがって、右破棄事件をもって、本件作品について十分な防禦措置を講じても本件作品が破壊される特段の事情があったということは到底できない。
A 明白かつ現在の危険の不存在非公開派の動きから、本件作品を破壊したり、県立美術館職員に危害を加えるたどの事態を引き起こす明白かつ現在の危険があったとも認められない。
 確かに、非公開派は、常軌を逸した不穏当な行動を続けてきた。しかしながら、それらの行動、状況から本件作品を破壊したり、県立美術館職員に危害を加える具体的な蓋然性が高かったとはいえない。本件作品が問題にされて以降、本件売却まで長期間にわたったが、非公開派が本件作品を破壊したり、県立美術館職員に危害を加えたり、また、そのような行為に及ぼうとしたこともなかった。
 また、非公開派が、本件作品を破壊したり県立美術館職員に危害を加える旨告知したことがあったが、こうした言動から直ちにそのような行為を行う可能性が高かったとは認められない。こうした言動は、本件作品及び本件図録の非公開、破棄等の要求を実現するための手段にほかならず、また、実際にそのような行為を行った可能性が高かったのであれば、それに対抗して適切な手段を講じることができたはずであるが、これといった対策が講じられたことはなかった。
 さらに、2度にわたる街宣活動については、本件作品の破壊や県立美術館職員への危害とは関係なく、そのような行為の可能性を裏付けるものではたい。しかも、非公開派の県立美術館に対する抗議活動の件数は、昭和61年に集中しており、昭和62年以降はいずれの年も10件以下であり、県立美術館に対するものは0ないし3件程度になっていた。また、昭和61年には、多数の右翼団体が抗議活動に参加していたが、翌年以降は抗議活動に参加する右翼団体は少数となっており、しかも、昭和61年に全国から来た右翼団体も昭和62年以降は来なくなっていた。このように、非公開派の抗議行動は昭和62年以降は下火になっていた。
 平成4年8月4日に県知事殴打未遂事件が発生したが、この事件は警備体制のミスをついた事件であり、防ぐことができた事件である。また、県知事等政府、地方公共団体の要人は一般的にその政治姿勢、政策に反発する者らによる攻撃を加えられる危険があることから特別警備の対象となっており、このような特別警備の対象となっている要人と県立美術館職員とは、右翼団体から攻撃される危険の程度には明らかに大きな差がある。したがって、県知事が危害を加えられそうになったからといって、県立美術館職員が攻撃を受ける明白な現在の危険があるということにはならない。
 さらに、そもそも展示されていない収蔵作品を破壊することは極めて困難である。
 以上からすると、本件作品を破壊したり、県立美術館職員に危害を加えるなどの事態を引き起こす明白かつ現在の危険が認められないことは明らかである。
C 美術館としての環境保護
 被告らは、「県立美術館の運営にあたって、警察力に頼ることはふさわしくない。」とか、「公開派と非公開派の対立は収拾する気配はたく、市民が美術品を鑑賞するに必要な静寂な環境を著しく損なう。」と主張している。
 美術館等においては、静寂な環境が維持されることが望ましいし、警察力に頼るような事態が発生しない方がよいには違いない。しかしながら、そうであるからといって、静寂な環境を過度に優先するならば、表現の自由は死滅することになりかねない。民主主義社会における表現の自由の公共的価値を認める限り、また、それを保障する憲法の下では、そのような見解は暴論である。前記最高裁判決は「警察の警備等により施設の利用客に多少の不安が生ずることが会館の管理運営に障害が生ずるとの事態にあたらない。」と判断しているが、美術館についても、警察や美術館の自発的な警備によって美術館の静寂を多少損なうとしても、それをもって美術館に管理運営上の障害が生じているということはできない。
 また、本件の場合、実際に著しく県立美術館の静寂な環境が損なわれたことはなかった。非公開派の街宣活動は行われたが、その主なものは2回程度で、多く見ても4回であり、その時期も昭和61年までである。しかも、最も激しい抗議行動があったとされる昭和61年7月21日の場合、富山城址公園や県庁付近に街宣車を集結させた抗議行動であったことは記録されているが、県立美術館周辺での抗議行動については具体的には記録されていない。また、県立美術館周辺での街宣車による抗議があったとしても、国道41号線と立山通りは、城南公園を隔てた反対側にあり、スピーカーによる抗議が展示場での観覧を妨げるほどの影響を与えたとは考えられないし、美術館内にスピーカーによる音声が届いていたとしても、それはわずかの時間であって、ことさら問題にする余地はない。非公開派との面談は展示室とは別の会議室で行われており、会議室への出入りも一般の観覧者の出入口とは別の出入口から行われる。
 公開派の市民による県立美術館付近での情宣活動が行われたこともあったが、回数は極めて少なく、立て看板を美術館の周辺に立てかけたのは1回だけであり、ビラを配付する程度でマイクを使った演説も行われなかった。また、公開派の市民との面談も、展示室とは別の部屋で行われており、県立美術館からの苦情は一切なかった。
 このように、非公開派や公開派の市民によって県立美術館の静寂な環境が著しく損なわれる事態は生じていなかったし、そのおそれもなかった。
D 公開派の市民との面談
 被告らは、非公開派と公開派の市民との対立の存在や、県立美術館職員は、公開派の市民との面談に相当な時間を費やし、日常業務に多大の支障をきたし、また、公開派の市民は自己の要求を貫徹することを目指し堂々巡りの議論を展開した結果、精神的に疲労したとし、これらをもって、管理運営上の障害があったと主張する。
 被告らの右主張は、非公開派と公開派の市民とを等価値的に評価している点において、すでに基本的問題がある。公開派の市民は、本件作品の鑑賞及び本件図録の閲覧を願い、本件非公開措置が表現の自由を侵していると考えていた一般市民であり、市民の会もそうした市民の有志が集まった会にすぎない。右の願いや要求は、憲法の基本原理に合致し、かつ、憲法で保障された権利を実現しようとするものであって、憲法上正当な意義を有している。これに対し、非公開派は、警察当局や県も認めるように右翼団体であって、天皇を神聖化し不敬罪の復活を願望する旧憲法的価値観に基づいて表現の自由を制約しようとし、常軌を逸した不穏当な言動を続け、犯罪を犯してまで県立美術館等に圧迫を加えてきたものである。両者の行動にはこのように憲法理念との合致の有無において決定的な差異があり、両者を等価値的に見ることは許されない。表現の自由を守るべき責務を追った県立美術館や被告県としては、表現の自由を守ろうとする活動を擁護し、それを不当に侵犯しようとする団体に対し厳正に対処するのが妥当な対応である。
 また、非公開派と公開派の市民とが直接に対立したことはなく、両者が対立関係にあったことと管理運営上の障害とは本来無関係である。さらに、被告らは、対立関係は益々熾烈を極めていたというが、非公開派の動きは年を重ねるごとに沈静化していったのであるから、この主張は事実に反している。
 公開派の市民との面談についても、公開派の市民は真撃に県立美術館職員と面談し、不穏当な言動をとることはたかったし、不当な態様、方法で自らの要求を貫徹しようとしたこともなかった。また、市民の会が県立美術館職員と面談したのは、約7年間で11回程度であり、他の団体や個人が県立美術館職員と面談したのは4回程度であった。こうした面談を行ったのは、県立美術館が本件非公開措置の理由や将来の見通し、対策について県民に対し何ら具体的な説明をしてこなかったからであるし、交渉の時間が長引いたのは、県立美術館が本件非公開措置の理由について具体的な説明をせず、場合によっては返事すらしないということが繰り返されたからである。しかも、面談は展示室とは別の場所で行われ、県立美術館の業務に支障を生じさせることはなかった。
D 以上からすると、本件作品の非公開について、管理運営上の障害が正当な理由にならないことは明白である。
(2) 本件図録の非公開
 本件図録の非公開についても、本件作品に対するのと同様の根拠から、管理運営上の障害が正当な理由になるとは認められたい。
 それに加えて、本件図録の場合、本件作品と異なって同じものが470冊もあり、1冊が破壊されても修復不可能な損失という事態を招来しない。
 また、県立美術館は、本件図録の非公開について、公開派の市民に対し、本件作品と本件図録とは一体であるとして、館長見解に基づいて本件図録も非公開とする旨答えてきた。しかしながら、本件図録は、本件作品のみならず、他の多くの作家の作品も掲載しているし、図録にはそれ固有の発行目的があり、単純に両者を一体として同じ取り扱いをすることに合理的根拠は認められない。
(3) 本件売却及び本件焼却について被告らは、本件売却及び本件焼却について、本件非公開措置の理由と同一の管理運営上の障害を理由としているが、これらがいずれも誤りであることはもはや明白である。
 しかも、非公開にとどまっていた場合にはいずれ公開されて鑑賞、閲覧できることを期待できるが、これらの処分はその機会を永久に奪いさるものであり、かつ、保存しているだけの場合、公開した場合に比べ本件作品及び本件図録が破壊される危険性ははるかに小さい。したがって、非公開とする場合より以上に管理運営上の障害は重大であることが要件となるが、本件では、本件非公開措置についても管理運営上の障害ありとすることはできたいのであるから、ましてや本件売却及び本件焼却については管理運営上の障害が正当な理由にならないと断ぜざるを得ない。
(七) 本件非公開措置等の違法性について
 以上のとおり、原告大浦は、自らの作品を市民に鑑賞してもらう権利を有し、その他の原告らは本件作品を鑑賞し、本件図録を閲覧する権利を有しており、県立美術館は、本件作品及び本件図録を公開することによって、原告大浦に市民に鑑賞してもらう権利を保障し、その他の原告らの鑑賞、閲覧する権利を保障する義務を負い、不当な圧力を加えられた場合にも、それを排除し、原告大浦の市民に鑑賞してもらう権利及びその他の原告らの鑑賞、閲覧する権利を守る義務を負っていた。
 同時に、県立美術館は、地方自治法244条にいう公の施設にあたり、本件作品及び本件図録も同条の公の施設に含まれ、県立美術館や県教育委員会は、正当な理由がない限り、その他の原告らがこれを利用することを拒んではならなかった。
 そして、県立美術館や県教育委員会等による市民や美術家の権利に対する制限は、それが合憲と判断されるものでない限り、違憲、違法となり、また、正当な理由なく右権利を制限するときは、憲法の保障する表現の自由の不当な制限となる。
 本件の場合、本件作品は天皇のプライバシー、肖像権を侵害しないしその疑いがあると評価することもできないし、本件非公開措置を合憲足らしめる管理運営上の障害も認められない。
 しかも、本件非公開措置は、知る権利の一つとしての美術作品の鑑賞権を、その鑑賞前に抑制したものにほかならないから、憲法21条2項の禁止する事前抑制にもあたる。
 したがって、本件非公開措置は、侵害行為としての違憲性、違法性が明らかであり、すでに述べたとおりの原告らの権利、利益が侵害されたのであるから、その違法性は明白である。
 また、本件売却及び本件焼却は、市民が本件作品の特別観覧、本件図録の閲覧等を求めていたにもかかわらず敢行されたものであって、本件請求の趣旨3項が認容されない限り、原告らは本件作品を鑑賞し、本件図録を閲覧する権利は永久に奪いさられることになる。また、本件作品は県立美術館に収蔵され特別観覧に供される状態になっていたし、本件図録は製作、販売され、いずれも表現活動が流通過程に置かれていたにもかかわらず、合理的理由もなく不当な圧力に支配された結果、本件売却及び本件焼却に至ったものであって、これらは情報の流れを断ち切ったのであるから、憲法で保障された原告大浦の市民に鑑賞してもらう権利、その他の原告らの鑑賞、閲覧する権利を違法に侵害したものである。
 したがって、本件売却及び本件焼却の違法性も明白である。
(被告らの主張)
(一) 博物館の自由たいし美術館の自由について
 原告らは、博物館の自由たいし美術館の自由を主張し、本件非公開措置等はこれに反するとする。
 しかしながら、博物館の自由ないし美術館の自由という概念は不明確であり、また、博物館ないし美術館は博物館たいし美術館を利用する市民の権利、自由のために奉仕しなければならないが、そのような博物館ないし美術館の役割は、博物館ないし美術館の自由というよりも、博物館ないし美術館の職員が職務を遂行する際の心構えにすぎない。
(二) 原告大浦の請求について
 原告大浦は、本件作品をその他の原告らを含む不特定多数の人々に鑑賞してもらう権利を侵害されたと主張する。
 憲法21条は、人の内心における精神作用を外部に公表する精神活動を保障するものであり、芸術上の表現活動も同条の保障する表現の自由に含まれると解されており、芸術家は作品を製作し、それを発表し、他人に鑑賞してもらうという権利を有しているということができる。
 しかしながら、右にいう権利は、右のような活動を国家権力によって侵害されないという消極的権利、すなわち国家からの自由を内容とする権利であって、国や公共団体に対し、他人に自己の作品を鑑賞してもらえるための措置を取ることを求めるという積極的権利、たとえば、国公立美術館による自己の作品の購入、展示、あるいは自己の作品の製作や展示のための資金援助等を求めることをいうものではない。
 本件においても、県立美術館が原告大浦の作品を購入するかどうか、購入した作品を展示するかどうか、それを所蔵し続けるかどうかなどは、原告大浦との関係では、県立美術館が完全な裁量の自由を有する事柄である。
 したがって、原告大浦の作品が県立美術館によって購入、展示され、それによって不特定多数の人々に鑑賞してもらえるという原告大浦の利益は、原告大浦の権利でも法的利益でもなく、いわゆる反射的利益ないし事実上の利益にすぎず、本件売却及び本件焼却は原告大浦の権利ないし法的利益を何ら侵害するものではなく、右の行為によって原告大浦が
何らかの損害を受けることもない。
 よって、原告大浦の請求は失当である。
(三) その他の原告らの請求について
(1) その他の原告らは、本件作品を鑑賞し、本件図録を購入する憲法上の権利を有すると主張するが、憲法上の表現の自由ないし知る権利はその他の原告らが有すると主張する権利の根拠足り得ず、その他の原告らが有すると主張する権利は地方自治法244条に基づく公の施設の利用権に帰することになり、右利用権を考察するにあたり憲法上の表現の自由ないし知る権利が関わってくることになる。
(2) 天皇の肖像利用の問題点
@ 憲法1条は、天皇が日本国及び日本国民統合の象徴にとどまること、その地位が主権者である国民の総意に基づくことを定めている。
 ところで、象徴とは抽象的な観念を表す具体的なものをいい、それが特定の意味内容を実現しているという事実的側面と、象徴的な機能を持つものとして受け取られるべきであるという規範的側面を持っている。
 したがって、憲法1条から天皇を象徴として待遇し取り扱うべきであるという規範的意味が導き出され、天皇は象徴としてふさわしい存在でなければならず、国民は天皇を象徴としてふさわしい存在として取り扱わなければならないことになる。
 その結果、天皇の肖像の使用方法が一定の制限を受けることはやむを得たいことになり、天皇の肖像を象徴としての尊厳を傷つけるような態様で使うことは許されないことになる。
A また、天皇も自然人である以上、人格権を有し、天皇の肖像の使用については一般市民と近似した保障が与えられるべきである。
 天皇が機関としての公人の側面を有することは当然であるが、自然人がその地位に就く以上、一般市民としての人格権を有することまで否定するのは相当ではない。
 そして、本件作品においては、昭和天皇の肖像が女性の裸体像、胃部を露わにし入れ墨をした人体と同一画面に併置する構造をとっていることからすると、肖像の主体に不快感を与えることは想像に難くなく、本件作品は許諾なくして肖像を利用される者の人格権を損なうおそれがある。
B そして、美術的表現が他者の人権と関わるとき、あるいは、公序良俗と抵触するおそれがあるときは、美術的表現とこれらとの調和が求められることになる。
 たとえば、公人、公職の候補者については、私生活を報道、論評することも正当とされるが、それもその公人の人物評価を下すために合理的な範囲に止まるべきである。表現の自由とプライバシーの権利とはいずれかが優先するという関係には立たず、表現の自由があるからといって公共の秩序、利害に直接関わりのない限りプライバシーを侵害することは許されず、また、芸術的にいかに優れていても一般人の観点から公開を欲しない事柄の公開はプライバシーの侵害となる。
(3) 管理運営上の障害 
@ 非公開派の抗議行動
 本件作品が県議会で取り上げられた翌日の昭和61年6月5日以降、県立美術館に対し、館長との面会要求、電話による抗議、抗議文の送付などが殺到し、中には本件作品の廃棄や館長らの辞任を求め街宣活動を行う者もあった。また、富山県立図書館に送られた本件図録の本件作品が掲載されている箇所が破られたり、県知事が知事室において殴りかかられたこともあった。
 そして、右の非公開派の抗議活動からすると、非公開派の者は説得を受け入れる余地は全くたかったことが明らかであり、また、非公開派の抗議活動は県立美術館が本件作品を所蔵し、本件図録を所持している以上、やむ気配のないものであった。
A 公開派の抗議行動
 本件非公開措置に対しては、本件作品及び本件図録の公開を求める者らから、表現の自由、知る権利を根拠として、県立美術館に対し、抗議ないし説明を聞くための面談要求が頻繁に行われ、県立美術館の担当者はその応対に精力を注ぎ、平常業務に直接、間接に支障を来した。
B 公の施設利用拒否の正当性特別観覧は、研究目的で当該美術品の熟覧を希望する市民に対して提供するものであり、特別観覧制度を規定する富山県立近代美術館条例7条は、知る権利を具体的に保障した規定である。
 ところで、特別観覧許可申請者の申請理由の把握は、もっぱら申請者の自己申告によるしか方法はなく、県立美術館としては申請者が公開派であるのか、非公開派であるのかを判別するのは容易ではなく、非公開派がその真意を隠して特別観覧許可申請をして特別観覧を行った際に、本件作品を損傷する行為に出た場合にはこれを阻止することは至難の業である。
 この点について、本件作品を攻撃から防御するためのケース内に入れればよいという意見もあるが、防御ケースの強度如何によっては攻撃から作品を守りきることはできないし、作品自体の購入価格と比較して高価な防御ケースに入れることは実際的ではない。
(4) 美術館の裁量
 美術館は、多数の収蔵品について、一定の目的の下に展覧会を企画し、一般市民に鑑賞の機会を提供する。公立美術館としては、多くの市民の共感を得る作品展、新人の作家を育てる目的でする作品展など種々の企画を行うが、すべての市民の要望を満足させることは到底できるものではなく、市民のためにいかなる展覧会を開催するかについては美術行政の専門的知識を有する美術館に大幅な裁量権が認められるべきである。
 そして、昭和天皇の肖像権を侵害している疑いのある本件作品については、その美術的価値を重視して一般公開に供するのも一つの識見であり、法的に肖像権を侵害しないとしても肖像の主体である本人が否定的意見を抱く可能性を否定しきれない作品の公開を中止するのも一つの識見である。そして、このように選択肢が複数存在するときには、いずれか一方だけが正しく、他方は違法であるということはできない。
 また、県立美術館は、本件作品のほかに多数の作品を収蔵しているところ、収蔵品の一部にすぎない本件作品を非公開とすることで美術館としての平穏を確保することができ、本件作品以外の作品について多くの鑑賞者の利用に供することができたし、反対に、表現の自由に重きを置き、警察力を数段増強し、本件作品の公開に反対する者の行動を実力で封じて公開を貫徹することも選択肢の一つと考えられる。
 そして、これらのいずれを選択しても、県立美術館の裁量権の範囲内の選択として非難されるべきではない。
4 被告県の責任
(原告らの主張)
 本件作品の特別観覧許可申請の不許可及び本件図録の閲覧拒否は、県教育委員会及び県立美術館館長が県の職務を執行するについて行った違法な侵害であり、本件売却処分及び本件焼却処分は、県立美術館館長が県の職務行為をなすについて行った違法な侵害であるから、被告富山県は国家賠償法1条により右侵害行為によって生じた後記のとおりの原告らの損害を賠償する責任がある。
(被告らの主張)
 争う。
5 原告らの損害
(原告らの主張)
(一)原告大浦は、本件非公開措置によって、本件作品及び本件図録に掲載された本件作品を市民に鑑賞してもらうことができなくなり、市民に本件作品を鑑賞してもらう権利を侵害された。
 また、原告大浦は、本件作品及び本件図録の非公開に際して、県議会議員の「一般県民の感情からいって好ましくない」、「一般の不快感を誘う」との評価を受け入れた館長見解が発表され、かつ、本件売却及び本件焼却に際して、「プライバシー侵害の疑いがあるとされる作品」との理由が公表されることによって、美術家としての名誉感情を著しく傷つけられ、さらに、本件非公開措置並びに本件売却及び本件焼却によって、自らの表現活動に重大な圧迫を加えられ、自らの作品を発表する場を大きく制約されることになった。
 被告らの右侵害行為により原告大浦が受けた精神的損害を慰籍すべき金額は金100万円を下らたい。
(二)原告佐伯利丸、同浅見、同太田、同岡山、同柏木、同木下、同佐伯篤子、同澤田、同三橋、同宮崎及び同胸永は、本件作品の特別観覧許可申請をしたが、県教育委員会はこれをいずれも却下したため、右原告らは件作品を特別観覧できなかった。
 また、原告佐伯利丸らは、本件図録の閲覧を求めたが、県立美術館、県教育委員会がこれを拒否したため、右原告らは本件図録を閲覧できなかった。
 原告佐伯利丸ら以外の原告らも、本件作品の特別観覧を希望していたが、県教育委員会が本件作品の特別観覧を一律に拒否していたため、本件作品の特別観覧許可申請を断念せざるを得ず、本件図録の購入ないし閲覧を希望していたが、県立美術館がこれを一律に拒否したため、本件図録の購入ないし閲覧を断念せざるを得なかった。
 さらに、その他の原告らは、本件売却及び本件焼却により、本件作品の買い戻し及び本件図録の再発行の請求が認容され、かつ、それらが実現されたい限り永久に、本件作品の鑑賞及び本件図録の購入、閲覧ができなくなった。
 被告らの右侵害行為によりその他の原告らが受けた精神的損害を慰籍すべき金額は各自金10万円を下らない。
(被告らの主張)
 争う。
第3 当裁判所の判断
一 争点1(無効確認訴訟の適法性)について
1 請求の趣旨二項に係る訴えは、被告教育長に対し、本件売却及び本件焼却の無効確認を求めるものであり、右訴えは行政事件訴訟法3条4項に規定されている無効確認訴訟である。
 ところで、無効確認訴訟の対象である行政庁の処分とは「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」をいうところ、後者の「その他公権力の行使に当たる行為」には事実行為も含まれるものと解されるから、被告教育長の主張するように、本件売却及び本件焼却が、事実行為であるからといって、直ちに行政庁の処分に該当しないということはできない。
 しかしながら、行政庁の処分とは、行政庁の法令に基づく行為のすべてを意味するものではなく、公権力の主体である国又は公共団体が行う行為のうち、その行為によって直接、国民の権利義務を形成し又はその範囲を確定することが法律上認められているものをいうと解するのが相当である。
 これを本件についてみると、前記第2、二、5、(六)のとおり、本件売却は富山県立近代美術館美術品管理要綱及ぴ富山県会計規則に基づき、本件焼却は富山県会計規則に基つぎ、それぞれなされているところ、富山県立近代美術館美術品管理要綱及び富山県会計規則は、いずれも美術品等の取得ないし処分等に関する被告県ないし県立美術館等の内部的手続について定めた規定にすぎず、他に、本件売却及び本件焼却について国民の権利義務を形成し又はその範囲を確定することを定めた法令の規定は存在しないものと認められる。
 したがって、本件売却及び本件焼却によって、原告大浦は本件作品を県立美術館において市民に鑑賞してもらえなくなり、その他の原告らは、本件作品を県立美術館において鑑賞できなくなり、本件図録を閲覧ないし購入できなくなったという不利益を、それぞれ被ったとしても、それらは本件売却及び本件焼却により事実上の不利益を受けるものであるにすぎず、本件売却及び本件焼却は、直接原告らの権利義務を形成し又はその範囲を確定することが法律上認められている場合に該当するものということはできず、行政庁の処分には当たらないといわなければならない。
2 そうすると、原告らの被告教育長に対する本件売却及び本件焼却の無効確認を求める訴えは、その余の点について判断するまでもなく、不適法である。
二 争点2(義務付け訴訟の適法性)について
1 請求の趣旨三項に係る訴えは、被告教育長に対し、本件作品の買い戻し及び本件図録の再発行を求めるものであり、右訴えが行政庁の公権力の行使を求めるいわゆる無名抗告訴訟の一類型である義務付け訴訟であることは明らかである。
 ところで、行政事件訴訟法が抗告訴訟として取消訴訟、無効等確認訴訟及び不作為の違法確認訴訟を法定した上、公権力の行使に関する救済方法としては取消訴訟を中心としている趣旨に照らすと、行政庁の第1次判断を待つことなくその公権力の行使を求める義務付け訴訟が例外的に許されるのは、@行政庁に第1次判断権を行使させるまでもないほど処分要件が一義的に明確に定まっており、裁量の余地がないなど、第1次判断権を行政庁に留保することが必ずしも重要でないこと(明白性)、A事前審査を認めないことによる損害が大きく、事前救済の必要性が顕著であること(緊急性)、B他に適切な救済手段がないこと(補充性)といった要件を満たす場合に限られるものと解するのが相当である。
 これを本件についてみると、県立美術館による美術品の購入及び図録の発行に関しては、美術品等の取得ないし処分等に関する手続について富山県会計規則及び富山県立近代美術館美術品管理要綱に規定があるほかは(乙2、9)、どのような美術品を購入するか、どのような内容の図録を発行するかについての規定は存在しないこと、どのような美術品を購入するか、どのような内容の図録を発行するかについては、その性質上、美術に関する高度な専門的判断が必要であることからすると、どのような美術品を購入するか、どのような内容の図録を発行するかについては被告教育長の広範な裁量に委ねられているものと解される。
 また、本件において原告らが求めるのは新たな美術品の購入や新たな図録の発行ではなく、本件作品の買い戻し及び本件図録の再発行であるが、本件売却及び本件焼却が原告らの主張するように違法な行政処分であるとしても、そのことから直ちに被告教育長に本件作品の買い戻し及び本件図録の再発行をする義務が生じるものと解することはできない。
 以上によれば、原告らの被告教育長に対する本件作品の買い戻し及び本件図録の再発行を求める義務付け訴訟は、少なくとも右@の明白性の要件を欠くものといわなければならない。
2 そうすると、原告らの被告教育長に対する本件作品の買い戻し及び本件図録の再発行を求める訴えは、その余の点について判断するまでもなく、不適法である。
三 争点2(本件非公開措置等の違法性)について
1 博物館の自由ないし美術館の自由について
 原告らは、美術館は美術館の自由を有するが、美術館の自由も無制限ではなく、市民の知る権利等を保障するという観点から制約を受けるとこう、本件非公開措置等は右制約を逸脱し、違法である旨主張する。
 しかしながら、原告らの主張するように本件非公開措置等が美術館の自由に対する制約を逸脱し、違法であると認められるとしても、右制約とは原告らの知る権利等を保障するという観点からのものであるというのであるから、つまるところ、本件非公開措置等が違法であるか否かは、原告らが主張する原告らの知る権利等が本件非公開措置等により侵害されたか否かについての判断に帰することになる。
 そうすると、本件非公開措置等が違法であるか否かについて、美術館の自由に対する制約の逸脱という観点から別個に判断する必要をみない。
2 原告大浦について
(一)原告大浦は、まず、本件作品の非公開によって、本件作品を市民に鑑賞してもらう権利を侵害された旨主張する。
 ところで、憲法21条1項は、表現の自由、すなわち、人の内心における精神作用を外部に公表する精神活動の自由を保障しているところ、ここにいう表現の自由には芸術上の表現活動の自由も含まれ、芸術家は芸術作品を製作して発表し、他人に鑑賞してもらう自由を有しているものと解される。
 しかしながら、右にいう表現の自由の保障とは、情報収集―情報提供―情報受領という情報の流通過程のうち、情報提供の過程においては、情報提供に関わる国民の諸活動が公権力によって妨げられないことを意味し、公権力に対し、国民が自己の有する情報を提供するための作為を求めることができることまで意味しないものと解するのが相当である。これを芸術上の表現活動の自由についていえば、芸術家が作品を製作して発表することを公権力によって妨げられることはないが、公権力に対し、芸術家が自己の製作した作品を発表するための作為、たとえば、展覧会での展示、美術館による購入等を求めることはできないといわなければならない。
 これを本件についてみると、原告大浦は、本件作品を製作した後、本件展覧会において展示し、更に県立美術館に売却したわけであるが、この間、公権力によって本件作品の発表を妨げられたという事実は認められず、また、県立美術館に対し、売却した本件作品の展示等による公開を求めることはできないのであるから、県立美術館が本件作品を非公開としたからといって、原告大浦においてその表現の自由を侵害されたということはできない。
 よって、原告大浦のこの点に関する主張は採用できない。
(二)原告大浦は、次に、本件図録の非公開によって、本件図録に掲載された本件作品を市民に鑑賞してもらう権利を侵害された旨主張する。
 しかしながら、いわゆる図録は、美術館がその利用者に対するサービスの提供として発行し、利用者に対して閲覧ないし購入させるものであるから、芸術家は、自己の作品が図録に掲載され、それを通じて市民に自己の作品を鑑賞してもらうことができるとしても、それは美術館による図録の発行というサービスの提供により事実上の利益を受けるものであるにすぎないのであって、図録に掲載された自己の作品を市民に鑑賞してもらう権利を有するということはできない。
 よって、原告大浦のこの点に関する主張も採用できない。
(三)原告大浦は、さらに、本件非公開措置に際して、「一般県民の感情からいって好ましくない」、「一般の不快感を誘う」との評価を受け入れた館長見解が発表され、本件売却及び本件焼却に際して、「プライバシー侵害の疑いがあるとされる」との理由が公表されたことによって、美術家としての名誉感情を著しく傷つけられ、さらに、本件非公開措置等によって、自己の表現活動に重大な圧迫を加えられ、自らの作品を発表する場を大きく制約されることになった旨主張する。
 しかしながら、右館長見解や本件売却及び本件焼却に際して公表された理由は、本件作品に対する多数存在すると考えられる評価のうちの、単なる一つの見方であるにすぎないであって、これらによって原告大浦の美術家としての名誉感情が著しく傷つけられたとまで認めるに足りる証拠はない。
 また、本件非公開措置等によって原告大浦が自らの作品を発表する場を大きく制約されることになったことを認めるに足りる証拠もない。
 よって、原告大浦のこの点に関する主張も採用できない。
3 その他の原告らについて
(一)その他の原告らは、まず、本件非公開措置によって、本件作品を鑑賞し、本件図録を閲覧する権利を侵害された旨主張する。
(二)(1)前記第2、二、5、(3)のとおり、その他の原告らのうち、原告佐伯利丸、同浅見、同太田、同岡山、同柏木、同木下、同佐伯篤子、同澤田、同三橋、同宮崎及び同胸永は、県教育委員会に対して本件作品の特別観覧許可申請をしたが、県教育委員会がこれらをいずれも不許可としたため、本件作品の特別観覧をすることができたかったことが認められる。しかし、その他の原告らのうち、右原告佐伯利丸らを除く原告らは、本件作品の特別観覧を希望し、本件作品等の公開を求める署名用紙に署名したり、県立美術館や県教育委員会に出向き公開を請求したりしていたものの、県教育委員会の右原告佐伯利丸らの特別観覧許可申請に対する対応からして、本件作品の特別観覧許可申請をすること自体を断念せざるを得なくなり、結局、本件作品の特別観覧をすることができなかったと主張するが、仮にそうであっても、同原告らは本件作品の特別観覧許可申請自体はしておらず、特別観覧許可申請は要式行為とされていることに照らすと、特別観覧につき、抽象的な期待権を有しているにとどまり、同原告らについて、特別観覧ができなかったとしても具体的な損害賠償請求権は発生しないものといわざるを得ない。
 ところで、憲法21条1項は、表現の自由を保障しているが、前記2、(一)のとおり、表現の自由には芸術上の表現活動の自由も含まれ、表現の自由の保障とは情報収一情報提供一情報受領という情報の流通過程における国民の諸活動が公権力によって妨げられないことを意味し、右のうち情報収集の過程においては、いわゆる知る権利も保障されているものと解される。ただし、知る権利は、国民が自己の情報収集行為を公権力によって妨げられないという消極的権利の側面においては裁判規範性を有するが、国民が公権力に対して情報の開示を求めるという積極的権利の側面においては、それは公権力に対して作為を求めるものであること、三権分立構造下の裁判所の地位を考慮すると、法令による開示基準の設定と具体的開示請求権の根拠付けがあって初めて、裁判規範性を有するに至るものと解するのが相当である。
 そして、富山県立近代美術館条例は、第2、二、1、(二)のとおり、特別観覧制度を定めているが、これは、県立美術館に収蔵されている作品についての知る権利を具体化する趣旨のものであると解することができる。
 右条例は不許可の場合については規定していないものの、正当な理由がある場合には不許可にできるものと解されるが(地方自治法244条参照)、正当な理由なく特別観覧許可申請を不許可とするときは、憲法の保障する知る権利を不当に制限することになると解するべきである。
(2)また、前記第2、二、2、(四)のとおり、原告佐伯利丸が本件図録の閲覧を求めたが、これが拒否されたため、本件図録を閲覧することができなかったことは明らかである。しかし、その余の原告らについては、証拠(乙33、34の1ないし3、35ないし39、41、50、原告佐伯利丸本人)によると、一部の原告らは県立美術館に出向いているものの、むしろ抗議のためであって、右事実をもって損害賠償請求権を発生させるに足る明確な閲覧請求及び拒否があったと認めることはできず、他に右事実を認めるに足る証拠はない。
 ところで、富山県立近代美術館条例には図録について閲覧を認める規定はないが、図録の作成頒布が県立美術館の事業の一つとされ、県立美術館は地方自治法244条1項にいう公の施設に当たり、県立美術館が所蔵する図録を閲覧することは公の施設を利用することに当たるから、被告県は、地方自治法244条2項により、正当な理由がない限り、住民が図録を閲覧することを拒んではならないものと解される。
 そして、公の施設がその物的施設を住民に対する情報提供の場ないし手段等に供することを目的として設置されている場合には、住民はその施設の設置目的に反しない限りその利用を原則として認められることにたるので、管理者が正当な理由なくその利用を拒否するときは、憲法の保障する知る権利を不当に制限することになると解するべきである。
(3)右のような観点からすると、本件作品の特別観覧許可申請を不許可とし、本件図録の閲覧を拒否しうるのは、本件作品を特別観覧させ、あるいは、本件図録を閲覧させることによって、他者の基本的人権が侵害され、公共の福祉が損なわれる危険がある場合に限られるものというべきであり、このような場合には、その危険を回避し、防止するために、本件作品の特別観覧ないし本件図録の閲覧が必要かつ合理的な範囲内で制限を受けることがあるといわなげればならない。
 そして、本件作品の特別観覧ないし本件図録の閲覧に対する制限が必要かつ合理的な範囲内のものとして是認されるか否かは、基本的人権としての知る権利の重要性と、本件作品及び本件図録が公開されることによって侵害される他者の基本的人権の内容や侵害の発生の危険性の程度等を較量して決せられるべきである。
 そして、右のような較量をするに当たっては、知る権利に対する制限は、基本的人権のうちの精神的自由に対する制限であるから、経済的自由に対する制限における以上に厳格な基準の下でなされなければならないと解するのが相当である。
(三)(1)そこで、県教育委員会による本件作品の特別観覧許可申請の不許可、県立美術館及び県教育委員会による本件図録の閲覧の拒否が、その他の原告らの有する知る権利に対する必要かつ合理的な範囲内の制限であるとして是認されるか否かについて検討する。
(2)この点について、被告らは、まず、本件作品及び本件図録を非公開とした理由として、天皇も自然人として人格権を有しているところ、本件作品は昭和天皇のプライバシーの権利ないし肖像権を侵害するかその疑いがある旨主張する。
 ところで、憲法13条は、いわゆるプライバシーの権利を保障しており、公権力がその人の意思に反して接触を強要し、その人の道徳的自立の存在に関わる情報を取得し、あるいは利用ないし対外的に開示することは原則的に禁止され、また、国民の私生活上の自由の一つとしていわゆる肖像権を保障しており、国民は、その承諾なしに、みだりにその容貌、姿態を撮影されない自由を有しているものと解される。そして、天皇も憲法第3章にいう国民に含まれ、したがって、憲法の保障する基本的人権の享有主体であり、天皇の地位の世襲制、天皇の象徴としての地位、天皇の職務からくる最小限の特別扱いのみが認められるものと解されるから、天皇にもプライバシーの権利や肖像権が保障されることとなる。ただし、天皇の象徴としての地位、天皇の職務からすると、天皇についてはプライバシーの権利や肖像権の保障は制約を受けることになるものと解するのが相当である。
 これを本件についてみると、本件作品は、前記第2、二、2のとおり、昭和天皇の肖像と東西の名画、解剖図、家具、裸婦などを組み合わせて構成されたものであること、さらに、本件作品は既に撮影された昭和天皇の写真を利用して製作されたものであるから、新たにその容貌等を撮影されない自由としての肖像権を侵害するか否かという問題にはならたいこと、個人の私生活に関する情報を含まない単なる容貌等についての写真は右にいうプライバシーの権利が保障する個人の道徳的自立の存在に直接関わる情報ではないから、そのような写真を利用ないし対外的に開示しても直ちにプライバシーの権利の侵害になるとはいえないところ、本件作品において利用された昭和天皇の写真は何ら昭和天皇個人の私生活に関する情報を含まないものであり、かつ、その利用の仕方からしても昭和天皇個人の私生活に関する情報を開示するものでないと認められること(甲152、検甲1ないし4)、さらに、右にみたように、天皇の象徴としての地位、天皇の職務からすると、天皇についてはプライバシーの権利や肖像権の保障は制約を受けることを総合考慮すると、本件作品が昭和天皇のプライバシーの権利や肖像権を侵害するとか、その疑いがあるとは認められない。
(3)さらに、被告らは、本件作品及び本件図録を非公開とした理由として、県立美術館の管理運営上の障害があった旨主張し、具体的には、本件作品及び本件図録の公開について、県立美術館等に対し、抗議、抗議文の送付、県立美術館館長等との面談の要求、本件作品等の廃棄や県立美術館館長の辞任等を求める右翼団体による街宣活動、富山県立図書館における本件図録の破棄事件、県知事に対する暴行未遂事件などがあり、さらに、公開派による本件非公開措置に対する抗議行動があり、これらによって、県立美術館職員の業務に支障が生じたり、美術館としての平穏が害されるおそれがあり、本件作品の特別観覧許可申請を不許可としたのは、特別観覧によっても本件作品を損傷しようとする行為を阻止することが困難であったからであると主張する。
 ところで、被告らの主張するように美術館が管理運営上の障害を理由として作品及び図録を非公開とすることができるのは、前記(二)の観点からすると、利用者の知る権利を保障する重要性よりも、美術館で作品及び図録が公開されることによって、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避、防止することの必要性が優越する場合であり、その危険性の程度としては、単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、客観的な事実に照らして、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要であると解するのが相当である。
 そこで、本件においても、客観的な事実に照らして、本件作品及び本件図録の公開によって、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されたか否かについて検討する。
@確かに、前記第2、二、4のとおり、非公開派は、本件作品及び本件図録の公開の中止等を要求し、さらに、本件非公開措置がなされた後も、本件作品及び本件図録の破棄等を要求して、長期問、多数回にわたり、県立美術館館長ら県立美術館の職員やその他の被告県の職員に対し、面談を要求し、抗議を繰り返し、抗議文を提出したり送付したりし、これらの抗議や抗議文の中には本件作品を破壊したり県立美術館の職員に危害を加える旨告知したものもあり、さらに、多数の車両、人員を動員して街宣活動をするなど、常軌を逸した不当な活動を続けてきた。
 しかしながら、非公開派が右のような言動をするに当たって、本件図録破棄事件や県知事暴行未遂事件が発生したものの、実際に本件作品を破壊しようとしたり、県立美術館の職員に危害を加えようとした事実は証拠上認められず、非公開派の右のような言動は、本件作品及び本件図録の非公開、破棄等の要求を実現するための手段として行ったものと認められる。
 また、非公開派による街宣活動自体は、本件作品の破壊や県立美術館の職員への危害をもたらすものではない。
 さらに、非公開派の右のような言動は、昭和61年6月から9月までの間に集中しており、昭和62年以降はいずれの年も年に10件以下であり、県立美術館に対するものは4件以下であり、昭和61年には、多数の右翼団体が右のような言動に参加していたが、翌年以降は参加する右翼団体は少数となっており、非公開派の右のような言動は昭和62年以降は収束に向かっていたものと認められる。
 また、本件図録破棄事件や県知事暴行未遂事件も発生したが、これらは閲覧の制限あるいは警察による警備方法等の工夫により防ぐことが可能であると認められる。
 以上からすると、非公開派の言動から本件作品が破壊されたり、県立美術館の職員が危害を加えられたりするなどの事態の発生が予見されたとしても、そのような事態が発生する蓋然性は高いとはいえず、また、警察の警備等により防止することができる程度のものであると認められ、本件作品及び本件図録の公開によって、本件作品が破棄<「棄」は「壊」の誤り〉されたり、県立美術館の職員が危害を加えられたりするなどの事態が生じる明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されたということはできない。
Aまた、被告らは、非公開派や公開派による抗議活動により県立美術館において市民が美術品を鑑賞するための静寂な環境が著しく損なわれた旨主張する。
 しかしながら、まず、非公開派による抗議活動についてみると、非公開派との面談は展示室とは別の会議室で行われ、その会議室への出入りも一般の利用者の出入口とは別の出入口から行われたというのであり、非公開派による街宣活動は4回程度であり、しかも、そのうちで県立美術館周辺においても行われたのは2回程度であり(証人久泉道雄)、その他に、非公開派の抗議活動によって県立美術館の静寂な環境が損なわれたことを認めるに足りる証拠はない。
 さらに、公開派による抗議活動についてみると、県立美術館周辺での活動の回数は少なく、立て看板を美術館の周辺に立てかけたのは1回だけであり、その他にはビラを配付する程度であったし、県立美術館の職員との面談も、展示室とは別の部屋で行われたというのであり、その他に、公開派の抗議活動によって県立美術館の静寂な環境が損なわれたことを認めるに足りる証拠はない。
 以上からすると、非公開派や公開派による抗議活動によって県立美術館の静寂な環境が著しく損なわれるという事態が生じたとは認められない。
Bさらに、被告らは、非公開派や公開派の活動により、県立美術館の職員の業務に支障をきたした旨主張する。
 しかしながら、公開派や非公開派の活動は右@、Aにみた程度のものであることからすると、県立美術館の職員がこれらの活動に対する対応をしなければならなかったとしても、それは県立美術館の職員の通常の業務に著しい支障をきたすものであったとまでは認められない。
 また、そもそも、県立美術館の職員の業務に支障が生じたことが、利用者の知る権利を保障する重要性よりも優越するような、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれるという危険にあたるということはできない。
Cその他、被告らは、市民に特別観覧許可申請を許可した場合、非公開派も特別観覧許可申請をし、その許可を得て特別観覧の機会を利用して本件作品を破壊するおそれがあった旨主張する。
 しかしながら、県教育委員会は、特別観覧許可申請をした人物、特別観覧許可申請をした目的等を調査することによって、本件作品を破壊するおそれのある者には特別観覧許可申請を許可しないことができ、さらに、本件作品をガラスケースに収納するとか、特別観覧に際して、本件作品と特別観覧する者との距離を保つようにするとか、警備員を配置するとかの本件作品を防禦するための措置を講ずることが考えられ、さらに必要に応じて警察の警備等を要請することが考えられ、このような措置を講ずれば、本件作品の破壊を防止することは十分に可能と考えられる。
 以上からすると、本件事実関係の下においては、本件作品の特別観覧許可申講の不許可、本件図録の閲覧の拒否については、客観的な事実に照らして、本件作品及び本件図録の公開によって、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されたものということはできないから、本件作品の特別観覧許可申請の不許可、本件図録の閲覧の拒否は違法なものというべきである。
(4)その他の原告らは、さらに、本件売却及び本件焼却により、本件作品を鑑賞し、本件図録を閲覧する権利を侵害された旨主張する。
 しかしながら、県立美術館が所蔵している作品及び図録の公開如何の問題と異なり、県立美術館による美術品の取得ないし処分、図録の発行ないし処分等に関しては、前記二、1のとおり、美術品の取得、処分等の手続について富山県会計規則及び富山県近代美術館美術品管理要綱に規定があるほかは、美術品の取得ないし処分、図録の発行ないし処分等についての法令の規定は存在しないこと、これらの事項については、その性質上、美術に関する高度な専門的判断が必要であることからすると、県教育委員会及び県立美術館館長の広範な裁量に委ねられているものと解される。
 そして、右(3)において検討した本件事実関係からすると、本件売却及び本件焼却は県教育委員会及び県立美術館館長がその裁量を逸脱したものと認めることはできず、その他、県教育委員会及び県立美術館館長がその裁量を逸脱したことを認めるに足りる証拠はない。
 そうすると、この点についてのその他の原告らの主張は採用できない。
四 争点4(被告県の責任)について
 本件作品の特別観覧許可申請の不許可は被告教育長が県の職務を執行するたついて行った違法な侵害であり、本件図録の閲覧の拒否は県立美術館館長が県の職務を執行するについて行った違法な侵害であり、少なくとも過失があったものといわざるを得ないから、被告富山県は国家賠償法1条により右侵害行為によって生じた損害を賠償する責任がある。
五 争点5(原告らの損害)について
 原告佐伯利丸、同浅見、同太田、同岡山、同柏木、同木下、同佐伯篤子、同澤田、同三橋、同宮崎及び同胸永は、被告教育長に対して本件作品の特別観覧許可申請をしたが、被告教育長がこれらをいずれも不許可としたため、本件作品の特別観覧をすることができなかった。
 また、原告佐伯利丸は、県立美術館館長に対して本件図録の閲覧を求めたが、県立美術館館長はこれらを拒否したため、本件図録を閲覧することができなかった。
 そして、右原告らの社会的地位、活動、特別観覧不許可、図録閲覧拒否の態様及び理由等諸般の事情に照らすと、被告教育長らの右侵害行為により右原告らが受けた精神的損害を慰籍すべき金額は、原告佐伯利丸につき3万円、原告浅見、同太田、同岡山、同柏木、同木下、同佐伯篤子、同澤田、同三橋、同宮崎及び同胸永につき各2万円と評価するのが相当である。
六 結論
 以上によれば、原告浅見、同太田、同岡山、同佐伯利丸、同柏木、同木下、同佐伯篤子、同澤田、同三橋、同宮崎及び同胸永の被告県に対する請求は、原告佐伯利丸につき3万円、その余の原告らにつき各2万円及び右各金員に対する訴状送達の日の翌日である平成6年9月17日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、同原告らの被告県に対するその余の請求は失当であるからこれを棄却し、その余の原告らの被告県に対する請求は理由がないからこれを棄却し、原告らの被告教育長に対する訴えはいずれも不適法であるからこれを却下することとする。仮執行の宣言は相当でないのでこれを付さない。

富山地方裁判所民事部
 裁判長裁判官 徳永幸藏
 裁判官 源孝治
 裁判官 村上泰彦

別紙当事者目録 略
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