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【事件名】絵画の著作物の戦時期間加算事件
【年月日】平成10年3月20日
 東京地裁 平成9年(ワ)第12076号 著作権侵害排除等請求事件
 (口頭弁論終結の日 平成9年10月31日)

判決
リヒテンシュタイン公国(以下住所略)
 原告 ミュシャトラスト
右代表者 リースベト・ハスラー
右訴訟代理人弁護士 斉藤驍
東京都(以下住所略)
 被告 株式会社ビバリー
右代表者代表取締役 神下英弘
右訴訟代理人弁護士 木津川迪


主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
一 被告は、別紙物件目録記載のミュシャの絵を使用したジグソーパズル及び外箱の製造販売頒布をしてはならない。
二 被告は、右ジグソーパズル及び外箱を市場から直ちに回収し、在庫とともに廃棄しなければならない。
三 被告は、原告に対し金900万円及びこれに対する平成9年6月14日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
 本件は、アルフォンス・ミュシャ(1939年7月14日死亡。以下「ミュシャ」という。)の全ての著作物の著作権を相続したジリ・ミュシャ(1991年4月5日死亡)から更に相続したジェラルディン及びジョンからこれを譲り受けたとする原告が、別紙物件目録記載のジグソーパズル(以下「本件パズル」という。)を製造販売している被告に対し、著作権(複製権)の侵害を理由として第1記載の判決を求めた事案である。
一 争いのない事実
1 被告は、ジグソーパズル等の玩具の製造販売等を業とする株式会社であり、遅くとも平成8年(1996年)9月1日から本件パズルを製造販売している。
2 本件パズルは嵌合完成時にミュシャの著作にかかるリトグラフ2点(「ジョブ」及ひ「ラ・プリュム」。以下「本件著作物」という。)の複製物を構成し、本件パズルの外箱にも本件著作物が印刷されている。本件著作物はいずれも1896年にパリで最初に発行された。
3 ミュシャはチェコ人てあり、1939年(昭和14年)7月14日に死亡した。
二 主な争点
 ミュシャの著作物である本件著作物の著作権が、連合国及び連合国民の著作権の特例に関する法律(以下「連合国特例法」という。)4条1項のいわゆる戦時加算の特例を受けることにより、現在もなお保護期間内にあるか否か。
1 原告の主張
 著作権法6条3号は「保護を受ける著作物」として「条約により我が国が保護の義務を負う著作物」を掲げているところ、我が国は、文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約に1899年7月25日に加盟し、1975年4月に同条約のパリ改正条約を批准している。他方、本件著作物が発行されたフランスはベルヌ条約創設以来の加盟国であり、チェコは1928年に右条約がローマで改正された際にこれに加盟している。そして、我か国は、他のベルヌ同盟国の著作物を保護しなければならない立場にあり、条約上の著作物の保護は、一般的に著作者の国籍より最初に発行された国の著作権としてその保護を与える発行地主義が基本的な原則となっている。同盟国民でなくともフランスで第一発行されればその著作物の本国はフランスということになるのであるから、同盟国のチェコの国民であるミュシャがフランスで第一発行した本件著作物の本国はフランスということになる。
 フランスが、日本国との平和条約(以下「平和条約」という。)15条(C)、25条及びこれを受けた連合国特例法にいう「連合国」の一つであることは明白な事実であるから、フランスを本国とする本件著作物が戦時加算の対象となる。
2 被告の主張
 ミュシャは1939年(昭和14年)7月14日に死亡し、同人の著作権は1940年1月1日から50年が経過した1989年(平成元年)12月31日の経過により消滅している。同人はチェコ人であり、平和条約の締結国の国籍を有しないから、連合国特例法の適用はなく、著作権の保護期問に関する戦時加算の特例の適用はない。
第3 当裁判所の判断
一 ミュシャが生前チェコ人であったことは当事者間に争いがなく(1993年(平成5年)1月のチェコとスロバキアの独立前の「チェコとスロバキア連邦共和国」(国名改正前の国を含む。以下単に「チェコスロバキア」という。)の国民であったということであろう。)我が国とチェコ及びチェコ独立前のチェコスロバキアがともに文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約パリ改正条約(以下「ベルヌ条約」という。)の締結国であることは当裁判所に顕著な事実であるから、本件著作物は、著作権法6条3号及びベルヌ条約3条(1)項(a)の規定により、我が国の著作権法の保護を受ける。
 しかしながら、後述のとおり、本件著作物の保護期問については戦時加算の特例の適用はないものと解され、著作権法51条2項及び57条によれば、本件著作物の著作権は、ミュシャの死後50年の経過すなわち1989年(平成元年)12月31日の経過をもって既に消滅しているものである。
二1 平和条約15条(C)項は、我が国が太平洋戦争期間中に、戦前の条約で保護の義務を負っていた連合国及び連合国民の著作物を実際には保護していなかったとの前提に立って、著作権の保護期間に平和条約が発効するまでの戦争期間を加算する義務(戦時加算義務)を我が国に課し、これを受けて連合国特例法が制定されている。連合国特例法4条1項は「昭和16年12月7日に連合国及び連合国民が有していた著作権は、著作権法に規定する当該著作権に相当する権利の存続期間に、昭和16年12月8日から日本国と当該連合国との間に日本国との平和条約が効力を生ずる日の前日までの期間(当該期間において連合国及び連合国民以外の者が当該著作権を有していた期間があるときはその期間を除く。)に相当する期間を加算した期間継続する。」と規定している。
 そして同法2条2項1号は、「連合国の国籍を有する者」が連合国民に該当する旨を規定するとともに、同条1項では「この法律において「連合国」とは、平和条約第25条において「連合国」として規定された国をいう。」とし、平和条約第25条は「この条約の適用上、連合国とは、日本と戦争をしていた国又は以前に第23条に列挙する国の領域の一部をなしていたものをいう。但し、各場合に当該国がこの条約に署名し且つこれを批准したことを条件とする。第21条の規定を留保して、この条約は、個々に定義された連合国の一国でないいずれの国に対しても、いかなる権利、権原又は利益を与えるものではない。」(第1文ないし第3文)と規定している。
2(一) 昭和16年(1941年)12月7日当時、我が国がベルヌ条約ローマ改正条約(1928年改正。なおフランス及びチエコスロバキアも加盟していたことは当裁判所に顕著である。)によってミュシャの著作物を保護すべき義務を負っていたとしても、前記のとおり、平和条約及び連合国特例法において、戦時加算の特例の適用を受けるのは、平和条約に署名し、これを批准した連合国又はその国の国籍を有する者が昭和16年12月7日に有していた著作権であり、かつ我が国がベルヌ条約等による保護義務を負っていたものであって、連合国で最初に発行された著作物の著作権について保護期間の戦時加算の特例が適用される旨の規定はなく、平和条約及び連合国特例法ではいわゆる発行地主義的な考え方は採用されていないことは、右1の各規定からも明らかである。
 したがって、本件著作物の著作権につき保護期間の戦時加算の特例が適用されるためには、@ 昭和16年(1941年)12月7日当時、本件著作物の著作権につき、我が国がベルヌ条約等による保護義務を負っていたこと、A 当時の著作権者が、平和条約に署名し、これを批准した連合国又はその国民であったこと、の二つ(「の」が欠落?〉要件を備える必要がある。
(二) これを本件についてみるに、右@の要件はともかくとしても、本件では右Aの要件の充足を認めることはできない。
 ます、原告の主張によれば昭和16年12月7日当時の本件著作物の著作権者はジリ・ミュシャであったところ、同人が当時、平和条約25条第1文及び第2文に規定する連合国の国籍を有していたことについての主張立証はない。
 また原告の主張態度からすれば、原告は、ジリ・ミュシャが終始チエコスロバキアの国籍を有していたことを前提とするようであり、また、仮にチェコスロバキアが「日本と戦争をしていた国」であったとしても(歴史上の事実として当裁判所に顕著な、1939年のドイツによるチェコスロバキアの領域の一部であるスロバキアの保護国化及び現在のチェコの領域に含まれるボヘミア・モラビアの保護領化といった状態が維持されていた昭和16年12月7日当時の国際政治状況に鑑みると、チェコスロバキアが「日本と戦争をしていた国」であったかどうか、ジリ・ミュシャの国籍に変動があったかどうかは記録上判然としない。)、チェコあるいはかつてのチェコスロバキアが平和条約に署名し、これを批准していないことは当裁判所に顕著な事実である以上、右判然としない点を明確にするまでもなく、本件著作物の著作権につき保護期間の戦時加算の特例の適用はないといわざるを得ない。
3 なお前記第2の二1のとおり原告は主張するが、ベルヌ条約上、我が国がある著作物を保護すべき義務を負うための要件と、ベルヌ条約により我が国で保護される著作物の保護期間について、平和条約及び連合国特例法による戦時加算を認めるための要件とは別個のものであり、原告の主張はこれらを混同するものである。
 すなわち、ベルヌ条約は、非同盟国の国民の著作物であってもいずれかの同盟国で最初に発行された書作物は保護の対象となる旨を規定するとともに(3条(1)項(b)前段)、当該著作物の本国を、「いずれかの同盟国において最初に発行された著作物については、その同盟国。」とし(5条(4)項(a)その国ではその国民と同様の保護を受けること(同条(3)項)、その他の同盟国においては、その国の法令が自国民に現在与えており又は将来与えることがある権利及びこの条約が特に与える権利を享有すること(同条(1)項)、「(1)の権利の享有及び行使には、いかなる方式の履行をも要しない。その享有及び行使は、著作物の本国における保護の存在にかかわらない。したがって、保護の範囲及び著作者の権利を保全するため著作者に保障される救済の方法は、この条約の規定によるほか、専ら、保護か要求される同盟国の法令の定めるところによる。」こと(同条(2項)をそれぞれ規定し、ベルヌ条約上の保護の対象となるか否かの基準として公刊著作物についてはいわゆる発行地主義をも採用し、保護の範囲・態様につきいわゆる内国民待遇の原則や無法式主義、法廷地法の原則を定めている。
 しかし、ベルヌ条約の条項による著作物の本国の決定は、あくまで本件著作物がベルヌ条約上の保護を受けるか、受けるとしていかなる保護の範囲・態様となるかを決定する前提であり、本件著作物がフランスで最初に発行され(当事者間に争いはない)本件著作物のベルヌ条約上の本国がフランスであるからといって、本件著作物が連合国特例法上の連合国たるフランスあるいはフランス国民の著作物(著作権)となるものではない。
 よってこの点において原告の主張は採用できない。
四〈ママ〉 以上によれば、原告がミュシャの相続人らからミュシャの著作物の著作権を譲り受ける旨の何らかの契約を締結していたとしても、その我が国における著作権がなお存続していることを前提とした原告の請求は、その余の点について検討するまでもなくいずれも理由がないから、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第29部
 裁判長裁判官 西田美昭
 裁判官 八木貴美子
 裁判官 池田信彦


別紙
物件目録
 アルフォンス・ミュシャの著作に係るリトグラフ「ジョブ」及び「ラ・ピュルム」を、上面及び側面に印刷により複製表示した外箱に収納され、嵌合時に前記リトグラフの複製物を形成するジグソーパズル。別紙写真1ないし4のとおり。
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